10123008 昨年11月から12月にかけて、いくつもの喪中の葉書をいただきました。そしてその中に「えッ!」と驚く訃報がいくつかあります。今回、ちょうど私と同じ年の友人の喪中葉書がありました。
 私と1968年(二人とも大学2年生でした)に知り合いました早稲田大の友人でした。彼の高校時代の友人の紹介で、急に知り合って急激に親しくなった友人でした。何度か私の下宿にも来てくれました。
 何故か私の話を好いてくれて、一緒に歩いていても、なんだか歩くのに私が歩きにくくなるほどそばによってきて、話し続ける愉しい友人でした。彼も当時の学生活動家ではありましたが、どこかのセクトの構成員というわけではなく、私がまたいつも「孫子」や「呉子」の話から学生運動の話をすることに、なんだか興味を持ったものでしょうか。私の下宿から、「ナポレオン戦略」という本を借りていきまして、そのままになっていたものでした。私はこの本を再度手に入れるために、大学5年の頃、神田と早稲田の古書店を探し回って手に入れたものでした。
 思いだせば、最後は1969年の1月に東大の安田講堂の屋上で会いました。たしか1月16日の頃、安田講堂の屋上を歩いてきた彼を見て、そのヘルメットを見て、「何でそんなセクトのメットかぶっているの?」というと、彼は恥ずかしそうに、「いや、どっかに入っていないと、ここにいられないだろう」なんて言っていたものでした。
 そのときが彼との別れでした。再び彼の住所を知ったときは、もう二人とも45歳をすぎていて、年賀状の挨拶だけになりました。
 ただ一度だけ電話で話したことがあります。そのとき、いろいろな話をしました。私は、またきっとそのうちに親しく熱心に話す機会があるとばかりに思っていました。
 結局、そうした機会がないまま、昨年末彼の喪中の知らせを受けていました。
 彼は、私と同じく学生運動をやっていたわけですが、検挙歴もないままでしたから、大きな出版社に入りまして、そこで実にモーレツ社員として頑張ったようです。そして自分で会社を作ってやりだしました。でも結局バブルが終焉するとともに、彼の会社はうまく行かなくなったようです。その頃からノイローゼのような症状になったようでした。私が彼と電話で話したときにも感じたものでした。
 彼の死を葉書で知りまして、さらに共通の友人から、その訳を知りました。
 私は、彼と会って話しておかなかったことを悔やみました。私は生意気なんですが、私と会っていれば、彼の死はなかったかもしれないと思ってしまうのです。私のように人生をノーテンキに考える友人と会えば、彼もまた別な思いに至れたかもしれないと思うのです。
 彼は自殺しました。なんだか、悔やむだけの私がいます。(2004.01.12)