将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:宋教仁

11112510 つい先日、「国際ニュースの裏を読む」という題名での講演会を聞く機会がありました。内容はとくに香港返還にともなう中国のことのようです。講演者は、長年時事通信の記者を勤めていて、長く中国に関わっており、現在はある大学の文学部の教授の方です。
 たいへんに人間的には真面目な方であり、好感の持てる方です。
 講演では、まず現在私たちがさまざまな情報を真っ先に仕入れてしまうのは、テレビであるが、そのテレビとはいかなるものなのかというお話です。テレビでの報道の特性を上げられ、「これですべてを判断しては、間違いを犯してしまう」というような内容のことをつぶさに語られました。これは実に納得いくお話でした。
 マスコミや学者の中では、「テレビから来た奴は使いものにならない」ということが常識のようで、やはり「活字媒体出身」のほうがまともだ、というのがこれまた常識のようです。………というようなことを述べられます。これまた、私も頷きました。「でも、だからどうなのだろう。テレビのことなんかどうだっていいのだ。一体中国はどうなるの?」というのが、私の関心であるわけです。

 さていよいよ、その中国のお話です。先日の香港返還の際にも、この先生は香港に行っていたということでした。ただ、個人的に行ったわけで、式典を見るのは私たちがテレビで見ていたのと変わりません。なんだか前日だかに、イギリス単独がやる式典を、あるビルの上のほうから眺めていたそうです。そこは中国のある省の管轄のビルのようで、そこからの招待でその場にいたようです。
 その上からイギリスがやる儀式をみんなで見ていたところ、見ている中国のある省の要人たちから、次のような声が出てきたと言います。

  (イギリス兵のやる儀式を見下ろしながら)
 A「なんだ、これなら、まだ香港がやる方がうまいな」
 B「そんなこというなら、中国こそ、こうした儀式はうまくやれ
    るぞ」
 C「いやいや、もっとこうしたことをうまくやれるのは北朝鮮だ
    よ」
 D「要するに、貧しい国こそ、こんなことがうまいのさ」

ということで、みんなでひとしきり笑ったそうです。ここで、この先生はこのことが、実に今回の香港返還の中で印象的な出来事であり、何かを象徴しているように思えたそうです。中国人の要人たちも、こんなことを平気で言えるようになったというのですね。
 この先生の講演の中で香港返還の際の現場でのお話はいわば、これだけでした。あとは香港のいわば原宿のように言われているところへ、今回偶然行ってみたが、全然たいしたことがなくて、あれはテレビがその路地をある面からのみしか映していないからだ、ということで、これはテレビが駄目なのだというお話でした。
 それから、では、一体これからの問題はどうなるこかということです、それに答えなければ、何もならないだろうと、先生は言います。
 まず、「中国全土が香港化する」のか、「香港こそが中国化する」のかという問題だが、これはそのどちらなのだというようなことではない、といいます。でも、もうここらから、私周は不満になってきました。「そんなことは、この俺だって言えるよ」。「一体これからの中国はどうなるのだ」ということを、私は知りたいのです。この中国とは台湾を含めた中国全体のことです。
 先生はさらに言いました。

  中国は、あのまま体制が変わらないかというと、そうではなく、
  いずれ変わっていかざるをえません。そしてそれがいつというと、
  ………、50年後には同じ体制があるとは考えられないでしょう。
  だが、これでは答えになりませんね。

そうです。そんな言い方なら、「俺だってできるよ」。
 そして、台湾の憲法改正の話になって(これはけっこう私は知って良かった)、それで終わりました。

 「お、おー、これでは一体何なのだ! 俺だってできる話だよ」。

 そのあと、少し別なことがあって、懇親会がありました。私はいろいろとおききしたかったのですが、他の方々とのお話でこの先生には話かけるチャンスがありませんでした。
 時間がたって、でもその会場から出るときに、ロビーのところで話しかけ、さらに主催者が用意してくれたタクシーに私も一緒に乗り込みました。けっこう道中が長かったので、私はけっこう話かけました。

  先生のお話は大変に、為になったのですが、近い将来の中国の
  姿として、次のような形になることはないのでしょうか。すなわ
  ち、広東・香港、福建・台湾、上海を中心とする一帯、旧満州、
  そして北京が支配する地域の5つに分裂する。中国は過去の歴史
  に於て、統一した巨大な国家の時代も長いが、分裂した時代も長
  かったはずです。

 先生は、「たしかに分裂して、連邦国家になる可能性もあります」と言います。(そんなら、さっきそうした話をしてほしかったな)。
 さらに、私は言います。

  いや、でも私はこんなことをおききしたかったのではなく、こ
  うした分裂国家を避ける方法というと、それはただ一つ、国民党
  政権の復活です。長谷川慶太郎さんが言っているのですが、香港
  返還のあと、中国全土に青天白日旗が翻る、天安門にこの旗がた
  つ可能性があるというのですが、どうなのでしょうか。慶太郎さ
  んがいうのには、中国全土で、みんなその旗を皆用意していると
  いうのですが。

 私は、「長谷川慶太郎さんが言っているのですが」と言わないと、ただ一笑にふされてしまうことを恐れたのです(もちろん、慶太郎さんはこう述べてますよ)。できたら、現場をよく知っているこの先生の意見が知りたかったのです。

  長谷川慶太郎さんが、どのような根拠でいわれているのか分か
  りませんが、そのようなことは見当がつきません。

 もうタクシーが駅に迫っていました。私はもっと聞きたいこと、言いたいことがあったわけです。

  いや、私がさらにおききしたかったことは、この中国の分裂を
  避けるための国民党の全土支配という内容の、国民党とは、孫文
  の国民党ではなく、宋教仁の国民党だということです。孫文の国
  民党は結局は、中共に至ってしまう。そうではなく、宋教仁の国
  民党こそが、中国の将来を支えるのではないでしょうか。

 ここいらへんで、この先生は私のことを狂人と思ったかも知れません。一体何を言いだすのだ。一体現在の時代時間を理解しているのか、と。でも私はもう言わないと気がすみません。

  宋教仁の国民党こそは、私が国の北一輝も一緒に闘ったわけで
  すが、中国の未来を担うのではないでしょうか。私は孫文ー毛沢
  東という流れではなく、章炳麟−宋教仁という流れこそが中国の
  本来の流れだと思っているのです。

 どうも、先生は宋教仁にしろ、まして章炳麟なんてまったく関心がないようです。私はタクシーを降りて、丁寧に非礼をわびて、できたらまたお会いできることがあればといいました。先生も丁寧に挨拶され、お別れしました。
 少し中途半端な会話で終わってしまったわけですが、私はこうしたことを真面目に思っているのです。だから現場を知っているはずの方から、是非いろいろなことが知りたいわけなのです。

 私は思ったのです、たしかにテレビ出身の方は駄目な面があるのかもしれません。でも新聞記者や通信記者を長年やってきたとしても、歴史の転換点を明確に認識したり把握できるものなのでしょうか。べつにテレビ記者だろうが、あんまり差があるようには思えません。香港の返還だからと、その現場に行くという行為は理解できますが、現場に行ったものと、行かないで日本でそれをテレビで見たり、飲み屋でいろいろ話していたりすることと、それほどの時代把握の上で違いができるものなのでしょうか。いや当然、現場を見たものこそが、よく把握できているのだというのなら、そのような展開をこそ期待しているのです。
 もしも、もしも、「中国の未来を知りたいのなら、香港の現場へ行くよりも、『左伝』1冊読め」というような、頑固で面倒な老学者がいたとしたらそれに対して「いや、違うよ」という根拠が、あのような先生にはたしてあるのかな、と私は非常に疑問に感じてしまったのです。
 でもまたお話する機会があるかもしれません。ぜひ、もっといろいろなお話を聞いてみたいものです。

 孫文の「満州租借」について(1995.05.30)に、脱毛おじさんから、次のコメントがありました。

1. Posted by 脱毛 おじさん   2011年09月21日 10:36
とても勉強になります。

11092206 ありがとうございます。私は孫文にはかなりな思いがありましたから、これを読んで、やはり北一輝の言うことが正しかったのか。そうすると、宋教仁を暗殺したのは、北一輝の言うとおり、孫文なのかなあ、と思ったものです。

0298a5eb.jpg

 私は わが家のおかあさん2006.12.11 の画像の説明で次のように書きました。

 写真は12月8日、渋谷に行きましたときに、撮りました2・26事件の悲母観音です。

 この悲母観音の写真を撮りましたのが12月8日の午後3時頃のことです。
 そして10日に、日曜洋画劇場で、「ラストサムライ」を見て、翌朝夢を見ました。その夢のことは 夢の中の日常「ケータイとウィルコム」 に書きました。
 この中で、次のように書いています

孫文の宋教仁暗殺(歴史上では、宋教仁を殺したのは袁世凱であるとされている)のあと、中国民衆の反日の声の渦の中、北は、宋教仁の霊の声を聞きながら「国家改造法案大綱」を書き上げ、それを持って日本へ帰ります。これがやがて、2・26へとつながります。
 ところが明治天皇の孫である昭和天皇は、北一輝を嫌います。彼らを暗殺裁判によって銃殺にします。私は今も渋谷の悲母観音を見上げては、あのときの死刑になった将校たちを思い、北一輝を思っています。

 私はこの渋谷登記所のすぐ横にある2・26事件慰霊像の前で、写真を撮り、またすぐにタクシーをつかまえ、次に急ぎました。
 ただ、このときの私の思いが、「ラストサムライ」を見たあとの翌朝の夢の中に出てきたのだと思っています。
 西郷隆盛が「最後のサムライ」だという思いは判りますし、多分北一輝もそう思っていたでしょうね。

 このところよく夢を見ます。今朝も長く見ていました。でも今回はもう内容を思い出すのはやめよう。

続きを読む

↑このページのトップヘ