将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:宮城谷昌光

12110603 私は司馬遷『史記五帝本紀第一丹朱・象』で次のように書きました。

 また舜の弟の象(しょう)ですが、これも最初には父と母と一緒に舜を殺そうとしたとあります。でも私は宮城谷昌光がけっして象を貶してばかりは書いていません(作品名が何だったか思い出せない)。象もまた兄舜を認めたのだろうと思います。

 この宮城谷昌光の作品を読みました。前に読んでいたことを思い出しました。王子図書館にて「宮城谷昌光全集第1巻」を借りてきたのです。
 最初の「暮れのこる野畦(のみち)に、二つの影がある」という文を読んで、私は思わず涙を浮かべていました。もう昔読んだこの小説の中身を思い出したからです。どうしても舜(この小説では俊となっています)の気持の美しさに私は涙となるのです。
 でもこの父親瞽叟は盲目でした。それは司馬遷も書いていたのです。私はそれを覚えていない自分の恥ずかしさにたまりません。
 でもこの小説には他にも幾人の人物も出てきます。でもみな司馬遷が本紀に書いている人物ばかりです。舜のあと禅譲によって後を継ぐ禹の父親鯀(こん)も出てきますが、堯帝に罰せられるだけの人物です(彼が悪いわけではないのですが、治水事業で失敗します)
 この悪いとしか思えない父も亡くなり、俊は「ーわたしが今日こうあるのは父のおかげである」と悲しみます。
 一旦は俊を殺そうとまでした象ですが、この俊がやがて亡くなったときの、この葬られた遺体の陵を守って死んでいったのは象でした。
 最後に

  俊はまた舜とも書かれる

で、この作品は終わっています。

110917031 今年のベスト3
【第1位】「戦争と平和」 吉本隆明
【第2位】「三国志 第1巻」 宮城谷昌光
【第3位】「青玉獅子香炉」 陳舜臣

 今年もたくさんの本を読みましたが、その中でベストを選ぶのは難しいです。
 でもとにかく1は、1995年3月10日に、著者の講演を私自身が聞いていました。懐かしい思い出です。
 2は、この1巻だけでも、他の方たちと違う三国志を思います。吉川英治さんの最初は、劉備玄徳がお茶を尋ねる旅人のシーンでした。思えば、正史も演義もまた違うものでしたね。
 3は、この物語を私が知ったのは、今から36年前の府中刑務所の独房の中のことでした。今やっと、今の私と繋がった気がします。(こうした内容は、私のホームページ内で書いています)
 それで、番外ですが、本日帰宅の中の電車で読んだのですが、

  伊古浩爾「生きていくのに大切な言葉 吉本隆明74語」

がかなり大好になりました。「今年のベスト3」とどうしようかな、というところで、こうした書きました。

2.今年いまいちだったベスト3
【第1位】「蒼穹の昴」 浅田次郎

 ええとこのベストを書くのは難しいな、という思いです。ここであげた「蒼穹の昴」は、歴史的には「戊戌の政変」という、私たちにとっては、どうでもいい事件なのですが、それをまたいろいろと思いだして、ここまで書かれて、でもでも私は理解できませんねえ。

3.来年読んでみたい作家や作品

 まず、「とにかく年間300冊を読む」ということを達成させたい、です。

4.今年のベスト1 映画・ビデオ

 「ホテル・ハイビスカス」

 今年の映画というわけではないのですが、「ナビィの恋」の中江裕司監督の映画です。家族みんなで見ていました。やはり沖縄の空気がいいですね。私の家族全員が沖縄が大好きです。2回連続見ました。大好きな映画です。(2004.12.31)

11082502   Sunday, August 08, 2004 11:40 PM
はい、はい、了解です。

 私以外にも載せられるメールがあってよかったですね。
 椎名誠さんは私もファンで文庫が出ているのを見るたび買っていたんですが、十年ほど前でしょうか、続けて三冊ほど週刊誌の連載のつまらないエッセイをまとめただけのものとか、どこかの雑誌の企画で無理に旅行してまとめた様なものを続いて買ってしまい、それ以来対投資効果が薄いと判断して買わなくなってしまいました。
 海音寺潮五郎さんの平将門はyahoo booksで検索したところ、文庫は絶版で3800円の豪華本しかないことがわかりました。残念です。読みたい本がいくらかまとまると、送料も無料になるのでネットで年に二三回まとめて注文しています。昔は注文を出した後で楽しみに待ったあげく絶版とわかったりして苦労したものですが。
 それでというわけではないんですが、項羽と劉邦については誰の小説がおもしろいでしょう。オーソドックスなところで司馬遼太郎の項羽と劉邦は読んだんですが、膨大な文献を読みこなしてできるだけ本当にこうだっただろうと正確に書こうとしているように思えました。そのためキャラクターの魅力に乏しく歴史の講義を聞いているようで感情移入するところまでいきませんでした。血わき肉躍るというタイプが好みなんです。よろしくおねがいします。

   Friday, August 27, 2004 12:30 PM
Re: はい、はい、了解です。

 ごめんなさい。こんなに返事が遅れてしまいました。いえ、仕事も忙しいのですが、ようするに毎日大酒を飲んでいましてね。昨日は圧倒的美女と飲んでいまして愉しかったな。

項羽と劉邦については誰の小説がおもしろいでしょう。オーソドックスなところで司馬遼太郎の項羽と劉邦は読んだんですが、膨大な文献を読みこなしてできるだけ本当にこうだっただろうと正確に書こうとしているように思えました。そのためキャラクターの魅力に乏しく歴史の講義を聞いているようで感情移入するところまでいきませんでした。

 司馬遼さんはね、もう仕方ないのよ。彼は小説を展開するよりも、とにかく歴史を語りたくて仕方ないのですね。そしてしかも語るのは、彼の思う歴史なんです。私は彼の小説では、

  功名が辻
  北斗の人
  竜馬が行く

が好きですが、あとはみなすべて嫌いです。
 ところで、漢楚の攻防の歴史ですが、間違いなく一番面白いのは、司馬遷の「史記」だと思いますよ。「史記」は、「本紀」や「世家」、「列伝」の中にこの時代はあちこちに書かれていますが、一番生き生きとしていると私は思います。おそらく作者司馬遷にとって、「ついこのあいだのことだ」と思えるのがこの漢楚の時代だったのではないでしょうか。
「本紀」というのは、中国を支配した帝王たちの歴史です。最初から

  五帝本紀
  夏本紀
  殷本紀
  周本紀
  秦本紀

と続きます。ところがこのあとが、何故か「秦始皇帝本紀」となり、そして漢の「高祖本紀」となる前に、中国すべてを支配したとはいえない、かつ漢の敵であった楚の「項羽本紀」が書かれているのです。おそらく司馬遷は、この「項羽本紀」が実に好きだったのでじゃないでしょうか。
 司馬遷の「史記」を思いながら、私は司馬遼と比較して、私の好きな作家は宮城谷昌光です。ただ私は最初の頃、彼の小説を読みまして、

  この人は、司馬遷「史記」はあまり評価しないのかな

と思ったものでした。あまりに彼の小説の中に「史記」の描く内容が少ないように思ったのです。「むしろ、『春秋左氏伝』なんかのほうが好きなのかな」なんていう思いでした。でもでも違うのです。
 実は宮城谷さんは、この「史記」を全文手で書いたことがあるそうです。そしてそうしてはじめて「史記」のすごさが判ったようです。「史記」を全文書き抜くと司馬遷の心、気持が判ったそうです。(しかも司馬遷は紙に書いたのじゃないものね。青竹の後ろに書いたわけだ)。
 司馬遷はあの当時中国全土を歩き、あらゆる書物を読み、かつあらゆる故老の話を聞き、またたくさんの伝承を収集しました。それはあの長大なる「史記」の数十倍あったものと想像されます。その数十倍あった資料を取捨選択していったのが司馬遷なのです。
 司馬遼の「項羽と劉邦」の項羽の最後のシーンは、私たちが知っている項羽の最後とは違います。司馬遼は、「これのほうが本当の歴史なんだ」という思いで書いたのでしょうが、実は司馬遷は、司馬遼の書くあのような最後も知っていたことでしょう。でもでも、司馬遷は、やはり自分の好きな項羽の最後を、「史記」で書いたような内容にしました。このことこそが、司馬遷の偉大さです。司馬遼の判っていないことです。
 項羽を好きだった杜牧も、この項羽の最後を何度も思い浮かべたことだと思います。(私のよくやります詩吟の一つです。ああ、昨夜は乃木希典「爾霊山」を詠いました)。

  杜牧「烏江廟」

 そして杜牧もまた司馬遷の描く項羽にこそ涙を流したのではないでしょうか。
 こうしたことに気がつかせてくれた宮城谷昌光さんが、この漢楚の時代を描いたのは「香乱記」があります(ただしまだ文庫本になっていません)。ただし、これは項羽も劉邦も主人公ではありません。私ももしこの時代に生きていたとしても項羽には絶対に就きたくないし、劉邦も嫌です。そんな思いからすると、この小説はいいですよ。
 ただそれより前に「長城のかげ」を読まれるといいです。エッセイですが、宮城谷さんの漢楚の時代への思いが理解できるかと思います。
 それから、実は宮城谷さんは、「文藝春秋」にて「三国志」を執筆中です。ものすごい内容ですよ。おそらく、世界で一番長大なる「三国志」になると思います。
 正史「三国志」は実に長い歴史書です。ただし、内容がものすごく簡潔です、いや簡潔すぎます。それで、裴松之という人がものすごい註を書きます。以下にそのことを少し書いています。

  横山光輝「三国志」

 それで、大昔(つまり1,000年以上昔から。中国だけではなく、この日本でも)から、「三国志」よりも、この裴松之の「註」のほうが長いと思われてきました。3倍くらいあるのじゃないかと思われてきました。
 そして20世紀になっても、清の三国志の研究家が、

  私は実際に字数を数えてみたが、やはり裴松之の「註」のほう
 が字数が多い(3倍あると)

と言ってきました。だが、近ごろ本当に数えた人がいましてね、「三国志」のほうが裴松之の「註」よりもわずかに字数が多いそうです。これはすごいことですね。私は実にたまげました。これは前にも紹介した高島俊男さんが書いています。

 http://myshop.esbooks.co.jp/myshop/shomon?shelf_id=08

 ここの「三国志 きらめく群像」を読んでみてください。面白いですよ。私はこの高島さんの本を電車の中で読めないんですよ。とにかく、げらげら笑ったり、急に涙がこみ上げたりしてしまうのです。
 申し訳ない、「血わき肉躍るというタイプが好み」というあなたに、このくらいことしか書けませんでした。萩原周二
(第215号 2004.09.27)

11072706   Thursday, August 21, 2003 11:57 PM
「お元気ですか?」
 ごぶさたしています、お変わりありませんか?
 毎週月曜日のメルマガ楽しみに読ませていただいてます。いろいろなメルマガ購読しましたが、いまだに毎号読むのはもう周さんのメルマガだけになりました。
 中国の歴史の本と宮城谷昌光さんの本を読み始めて、インターネットで遊ぶ時間も減りましたから、しかたないかもしれません。
 それにしても、歴史とはおもしろいものですね。40歳目前にしてそのことにようやく気づきました。正直なんでもっと早く気づかなかったかと後悔しています。この歳になったからこそおもしろいと思える部分もあるかもしれませんが・・^^;
 歴史は常に勝者の私物で、敗者は常に悪役ですね。善悪も時の権力者の都合次第になるなんてことは、中途半端に子供に言えません。
 たとえば、道という字を、昔の中国で夷狄の住む地域の地域名として使っていたと知ったのですが、子供には教えにくいです。なぜ日本の北海道にはそんな字をつかってあるのか?まで説明しきれません。(下手な説明では、子供は途中で聞き飽きて逃げてしまうでしょう。^^;
 子供達、早く大きくならないかな・・いつか気がねなく話せる時がきて、うまく話せるようにもっともっといろんな本を読もうと思います。
 来週もメルマガ楽しみにしています。お体大切にこれからもがんばってください。こたつのこっちー

   Monday, September 15, 2003 10:54 PM
「Re: お元気ですか?」
 まずメールの返事がこんなに遅くなり申し訳ありません。

 ごぶさたしています、お変わりありませんか?

 毎日いろんなことがありまして、なんだかにぎやかなことです。仕事でも、いろいろなことがあり、また家族みんないろいろと忙しくて、まったくたいへんなことばかりです。

 毎週月曜日のメルマガ楽しみに読ませていただいてます。いろいろなメルマガ購読しましたが、いまだに毎号読むのはもう周さんのメルマガだけになりました。

 本当にありがとうございます。こうしたメールをいただくと、「やっぱり頑張ってやりつづけよう」という気持がわき上がります。
 このごろ、けっこうあちこちで宮城谷昌光さんの愛読者の方と知り合いになります。彼の小説の内容でお話できるのは愉しいですね。そしてまた、その話は、中国の歴史の話であれ、登場人物の話であれ、そして他の作家との比較とかいくらでも話すことがあって、実に話しがいがあるという思いです。

 たとえば、道という字を、昔の中国で夷狄の住む地域の地域名として使っていたと知ったのですが、子供には教えにくいです。なぜ日本の北海道にはそんな字をつかってあるのか?まで説明しきれません。

 いえ、日本の律令国家も中国を倣って、これは使ってきたのですよ。東海道、中山道、南海道、西海道というように地方を別けてきました。ただ、その時代には北海道の存在は、日本内にはありませんでした。明治になって「北海道」となづけただけなんで、そのときにはもう「夷狄」ということではなかったと思いますよ。
 本当をいいますとね、「夷狄」というけれども、もともとは、「この日本も夷狄のところだったのだ」という意識は律令国家にあったのだと思うのですよ。「日本」のもともともの語は、「えのもと」なんですよ。これは「夷の本」なんですね。つまり、この日本こそのおおもとは、あの「夷狄」の人たちが住んでいたのだというのは、律令国家を作った人たちには、判っていたのではないでしょうか。日本の神話からいいましても、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が天孫降臨してくる前に、この日本を支配していたのは、天照大神の弟の須佐之男命の子孫の大国主命の出雲族なのですね。彼らの子孫が、天皇族に追われて、次第に北に南に追い払われたと思うのですよ。
 もっと言うと、こうした文字で人を差別することを教えてくれた中国のほうも同じじゃないかな。中国を支配した族は、みな最初の最初は「夷」なのですよ。宮城谷さんを読まれると判るでしょう。例えば、周は西方の「夷」ではないですか。周の成立を助けた太公望も、どうみても遊牧民の「夷」の出身ですね。周のあとの秦だって、もとは西方の「夷」でしょう。それどころか、夏王朝にとっては、商(殷)の民族も夷だったはずです。
 もともと自らが夷狄だったことを隠そうとするから、周辺の族をことさら、夷狄だというように思いますね。
 もっともっと言うとすると、こうしたことはけっこうみな知っていたと思うんです。例えば、水戸黄門は、判っていたと思いますよ。もっと言うと、聖徳太子は判っていたでしょうね。私は聖徳太子の時代に、中臣御食子(藤原鎌足の親父)と蘇我蝦夷なんか、二人で次のように話していたように思いますよ。

   もともと、あの「蝦夷」と言われる人たちが、この倭(やまと)
  の持ち主なんだよね。俺たち自身にも実は、その血が流れている。
  でも太子はみんな判っているんだろうなあ

 実はこの二人はもっといろんなことを話していたでしょうね。
 ちょっと簡単に書いてしまいました。たしかに歴史は隠されてしまったことがたくさんあるかと思っています。
 また。周
(第162号 2003.09.22)

   Wednesday, May 23, 2001 9:34 PM
「Re: 将門Webマガジン第40号」

11070205いつも読み応えのあるメルマガをありがとうございます。また、 先日はお手数おかけし、すいませんでした。
 最近は、リンクス情報から、いろんなサイトへおじゃましてみるのが楽しくて、歴史の本もろくに読まず、パソコンの前にくぎ付けでした。
 個人事業主さんの掲示板に周さんの書きこみを発見、その通りだと思いました。
 日本史は、今ようやく南北朝にたどり着いたところ、しかも古墳時代をとばしています。とりあえず6月中に明治時代まで行って、7月からもう一度復習しようと決めました。
 日本史の本を読んでいると、どうしても中国の歴史の本も読まないといけない気がしてきて、ほかの本にも手を出してしまい寄り道ばっかりしています。
 また、メルマガの中で周さんが、ギリシャ悲劇についてお書きになっていたのを見て、ギリシャ神話など読みたくなったりしています。
 なんだか、つまらないことばかり書きました。
インターネットをはじめてまもなく、周さんのサイトに出会えたのは幸運だったなと、最近思っているところです。夏になってもこたつのこっちー


   Thursday, May 31, 2001 4:38 AM
「Re: 将門Webマガジン第40号」

 いつもメールいただきまして、その返事が遅くなり申し訳ありません。

 最近は、リンクス情報から、いろんなサイトへおじゃましてみるのが楽しくて、歴史の本もろくに読まず、パソコンの前にくぎ付けでした。
 個人事業主さんの掲示板に周さんの書きこみを発見、その通りだと思いました。

 いくつもの掲示板でこたつのこっちーさんの書込みを見ることができるのは嬉しいです。

 日本史は、今ようやく南北朝にたどり着いたところ、しかも古墳時代をとばしています。とりあえず6月中に明治時代まで行って、7月からもう一度復習しようと決めました。

 もう南北朝は読まれたでしょうね。あの「太平記の世界」で、どの人物が好きですか。私はもうなんと言っても、あの時代はすべての人物が好きになるのですね。
 例えばですね、足利尊氏はその複雑な性格含めて好きですし、ただ真面目な直義も好きです。いや、日本の歴史では最高の嫌われものであろう高師直も好きです。そして愚直とも思える新田義貞も好きです。北畠顕家も当然好きですし、いやいや、例えばもっと時代が下って活躍する細川頼之も好きです。足利直冬の最後の心を思うと、とても悲しくなりますが、彼にもひかれます。
 いや、嫌いだといえば、太平記で活躍するわけではないですか、吉田兼好が嫌いですかね。

 日本史の本を読んでいると、どうしても中国の歴史の本も読まないといけない気がしてきて、ほかの本にも手を出してしまい寄り道ばっかりしています。

 そうです。南北朝の太平記は中国の「三国志演義」なのですね。尊氏は曹操であり、楠正成は諸葛孔明なのです。
 中国の歴史関係では、一番最初に読むべきは「十八史略」だと思います。そしてやはり「史記」ですかね。「史記」はやはり「本紀」や「世家篇」というのは若干退屈なのですが、それを我慢して読んでいきますと、「列伝」という、驚くほど面白い世界になります。
 私は宮城谷昌光という作家が好きです。ただし、彼の小説を読むのには、ある程度中国の歴史と古典を読まれてからがいいと思うんです。彼の小説を読むと驚いちゃうんですよ。
 例えば、帝舜のことをかいた小説があるのですが、そこに舜の弟で象という人物がいます。この人物のことは、やはり最初は「十八史略」なりで読んでからでないと、この宮城谷昌光という人のすごさが判りません。あるいはその小説にかすかに背景に出てくる、堯という帝王の画き方にも、私は驚いてしまうわけなのですが、それもこれも、まずは最初に常識としての人物像を持つべきだと私は思うのですね。

 また、メルマガの中で周さんが、ギリシャ悲劇についてお書きになっていたのを見て、ギリシャ神話など読みたくなったりしています。

 たしかに、ギリシアの神話および英雄伝説というのは、実に面白いですね。これまた基本的なことを読んでおきますと、さまざまな作家の解釈に実に興味が深まると思います。
 例えば、ギリシアでは、英雄としてヘラクレスが最強の男であり、人気があるはずと考えるわけですが、実はそう簡単ではありません。ヘラクレスの親友でもあり、若いときには、あのトロイア戦争の原因になるヘレネを誘拐したこともあるテーセウスという英雄が人気があるというか、だんだん人気が出てくるのです。それは、ヘラクレスは彼の死後、彼の子孫たちが、ペロポネソス半島を攻略したことになっており、これは歴史上ではアカイア人たちの土地を奪ったドーリス人が作ったスパルタ国になるわけなのですが、このことがペロポネソス戦争におけるイオニア人だったアテナイ人には、気にいらなかったことなのでしょう。テーセウスは一貫としてアテナイの英雄です。
 とにかく、やっぱりさまざまに読んでいかないとならないなあと私も今確認しているところです。萩原周二

   Saturday, June 02, 2001 9:03 PM
「Re: 将門Webマガジン第40号」

お忙しい中、お返事ありがとうございました。
 日本史の中では、いままでのところ、ヒトがやまあいでこじんまりと暮らしているような縄文時代がすきだったのです。
 南北朝や戦国時代には、ヒトは狡猾になってゆくばかりです。戦をふせぐためにも、自分が生きるためにも、人の裏をかき、身内を犠牲にしなければならないです。でも、周さんのメールを読んでいるうちに、だれしも好きでそんな時代に生まれたわけじゃないし、みんなその中でなんとか一生懸命やった人たちばかりなんだ、と思えるようになりました。

 もう南北朝は読まれたでしょうね。あの「太平記の世界」で、どの人物が好きですか。私はもうなんと言っても、あの時代はすべての人物が好きになるのですね。
 例えばですね、足利尊氏はその複雑な性格含めて好きですし、ただ真面目な直義も好きです。いや、日本の歴史では最高の嫌われものであろう高師直も好きです。そして愚直とも思える新田義貞も好きです。北畠顕家も当然好きですし、いやいや、例えばもっと時代が下って活躍する細川頼之も好きです。足利直冬の最後の心を思うと、とても悲しくなりますが、彼にもひかれます。 いや、嫌いだといえば、太平記で活躍するわけではないですか、吉田兼好が嫌いですかね。

↑を読んで、歴史上の人物の中で誰がすきかなんて思ったことがなかったので、ショック。そういう風に読めば 、すごくおもしろいでしょうね。 いま、信長とか秀吉が出てきたところまでしか読んでないので、引き返してもう一回読んで見ます。
 好きな人はいないけど、後醍醐天皇は、立場をわきまえずわがままな人だと思うので、もし今生きてても出会いたくない人です。
 足利兄弟は、お兄ちゃんの方が戦に強くて、弟はかしこいけど戦がだめだったみたいですね。あの厳しい時代に、長年、二人で一緒に仕事していくのはきつかっただろうな。血のつながり以上のものがないと、できないことですね。 高師直という人は、わかりません。(いーかげんな読み方してるのが、はずかしい)とりあえず、もう一回読んでみます。

   Saturday, June 09, 2001 1:28 AM
「遅くなりました」

 返事を書かないでいるうちに次のメールをいただいてしまいました。

 南北朝や戦国時代には、ヒトは狡猾になってゆくばかりです。戦をふせぐためにも、自分が生きるためにも、人の裏をかき、身内を犠牲にしなければならないです。でも、周さんのメールを読んでいるうちに、だれしも好きでそんな時代に生まれたわけじゃないし、みんなその中でなんとか一生懸命やった人たちばかりなんだ、と思えるようになりました。

 まったくそう思いますよ。だから、私は南北朝の時代でも、尊氏も直義も高師直も好きなのです。

 好きな人はいないけど、後醍醐天皇は、立場をわきまえずわがままな人だと思うので、もし今生きてても出会いたくない人です。

 これは仕方ないでしょうね。私も好きになれません。

 足利兄弟は、お兄ちゃんの方が戦に強くて、弟はかしこいけど戦がだめだったみたいですね。あの厳しい時代に、長年、二人で一緒に仕事していくのはきつかっただろうな。血のつながり以上のものがないと、できないことですね。

 私は以下で次のように書きました。

   堺屋太一「豊臣秀長」

 日本の歴史で、政権をとった兄と弟といったらたくさん出てくると思います。いまざっと思い出してみました。

  天智天皇と天武天皇
  源頼朝と義経
  足利尊氏と直義

まだまだいるでしょうが、上の二組はそれほど親しい肉親といった感じはなかったと思われますが、尊氏と直義といったら、実に仲のいい兄弟でした。だが、最後に兄は弟を毒殺してしまいます。直義が保守的な鎌倉武士団にどうしても担ぎあげられてしまい、兄の補佐役などに留まることなどできなかったからでしょう。

 この二人の兄弟、および直冬のことはときどき思い出しては、ため息をついてしまいます。
 でも南北朝は、この他さまざまな人物が生き生きとしていて好きです。例えば今川範氏や小弐頼尚や、もちろん菊地武時(いちおうみな九州での武将をあげました)も、みなそれぞれ魅力があります。ちょうどやはり、「三国志」なんだよな(いや、正確には「三国志演義」かな)なんて思います。すいません。どうでもいいことを。また。萩原周二
(第46号 2001.07.02)

2017020606

書 名 晏子(全4巻)
著 者 宮城谷昌光
発行所 新潮文庫
1、2巻1997年9月1日発行
3、4巻1997年10月1日発行
(94年10〜12月新潮社より上中下3巻として刊行)

11052416 私は晏子というと、どうにも偏狭な人物としか思っていないところがあり、この本が単行本で出版されていたときにも手に取る気になれませんでした。私のその思いは、諸葛孔明がまだ劉備に出会わないころ、南陽の隆中で隠栖していたときに、常に好んで歌っていたと言われる「梁甫吟」の内容にありました。
 この詩を吟う孔明は、晏子がこそが、たいへんに心の狭い人間でこの三士が礼を失したというので、こうした策略を謀ったというわけです。孔明は晏子の狭量を責めていると思えたのです。
 ところが、このごろ私はこの「梁甫吟」を思い浮かべていたときに、まったく逆の意味に気が付いてきたのです。
 諸葛孔明は、自らを春秋時代の斉の管仲や戦国時代の中山(ちゅうざん)の楽毅にも並ぶ人物だとしていました。そうした誇大妄想の中にいたような青年であった孔明としたら、この詩を好んで吟った意味は、勇者3人をただの桃二つでたちどころに殺すことの出来た晏子をこそ、自らに比していたのではないのかなと思い至ったのです。
 こう思ったときに、私はこの宮城野昌光の「晏子」を読んでみようという気になりました。晏子そのものに興味が湧いてきたのです。
 宮城野昌光の他の歴史小説と同じなのですが、私はたちどころにこの本を読み終わってしまいました。まさしく読み耽けるという感じで、春秋時代にひたってしまいました。
 この「晏子」は春秋時代に斉に仕えた晏弱、晏嬰の親子の物語です。歴史上では子の晏嬰が晏子と呼ばれています。司馬遷「史記」の「列伝」では管仲と一緒に、章を設けてあります。おそらく司馬遷も、この晏嬰のことをかなり評価していると思われます、もし今、晏子が生きていたら、私はその御者になっていたいというようなことまで言っています。ただ、司馬遷は当時残っていたたくさんの晏子に関するエピソードのその僅かしか記していません。それを宮城谷昌光は、それこそすべてを描き切っている気がします。司馬遷の書いている中のその行間の中にさらに、分け入っているのですね。「春秋左氏伝」や「晏子春秋」を読んだとしても、ここまで晏子の世界を見ることはできないでしょう。この著者だからこそ展開できる世界なのだと思います。

 それにしても、この物語は晏子そのものを世界に出す前の、その父晏弱の姿を丁寧に描いているところが、まさしくこれこそが宮城野昌光だなと思わせるところです。これだけは、司馬遷も頭を下げるのではないでしょうか。読んでいると、私たち自身が晏弱のそばで、一緒に歩んでいるような気持がしてきます。こうした事態に俺なら晏弱とどのように行動するかなと思ってしまうのです。晏弱その人に自然についていってしまう気になっているのですね。
 誰もが、きっと「俺ならどうするだろう」などとではなく、「晏弱のそばで、どのようにやるのか」と考えるのではないかと、私は思うのですね。それほど晏弱は魅力ある政治家であり、魅力ある人物です。
 晏子たる晏嬰は、私にはまだ中が深いような気がしていて、簡単には言えないのですね。どちらかと言ったら、私はこの著者の描く晏嬰のそばには、あんまり居たいという気にはなれませんね。私はもっと俗人です。その俗人でも、父親の晏弱には、一緒についていきたい気がしてしまうんのです。
 ただ、私にはまだこの晏子を描く小説はこのあとも出てくるような気がしています。晏嬰その人が、最初あげた「梁甫吟」の中での桃で三士を殺してしまうような策謀家なのか、それともこの著者が描いているような義の人なのか、それが私にはまだ判断できないからなのです。

 それが晏子そのもものよりも、この中国の春秋戦国時代というものから来ていることではないのかななんて思ってしまいます。それは中国の長大なる歴史の中では、この時代こそが、もっとも魅力にあふれた時代に思えてしまうからなのでしょう。(1998.11.01)

11031609 宮城谷昌光の数々の小説を読んできました。これからも文庫本にされたものはすべて読んでいくつもりです。
 彼の中国古代の小説を読んでいると、いわゆる中国の一般的な古典上では出てこないような出来事が大量に書かれています。彼は実に甲骨文から読み出してきているのです。これはそれだけで驚いてしまうことですが、それだけではないことに気がついてきます。そのときに、以下の本にたどりつきました。

書 名 中国古代の民俗
著 者 白川静
発行所 講談社学術文庫
1980年5月10日初版発行

 私は中国の歴史も文学も好きですから、白川静という学者の名前はよく存じていましたが、こうして1冊の本を通して読んだのは始めてです。
 読んでみてなんと言ったらいいのでしょうか。ますます、わけが分からないよと、泣き言を言ってしまうしかない私になってしまいます。どうして、「万葉集と民俗学」「詩経と民俗学」という章が並んでいるんだろうと思ってしまうのです。折口信夫を論じ、すぐま中国古代の歌謡を論ずる方法には、私ではただ驚いてしまうしかないのです。
 だが、訳が分からない私としても、非常にいろいろなことが示唆された本であるわけです。現在私たちがインターネットという英語が主体の世界に接してしまわざるを得ないときに、日本の古代でも漢文というまったく違う言語に出会ってしまった私たちの祖先をとまどいを思います。それでも私たちの祖先たちは、その言語文字を使用して、日本の文化民俗を作り上げてきました。このことは、現在の私たちに、大いに考えさせることがあると思うのです。また、吉本隆明「共同幻想論」において、吉本さんが共同幻想を論ずるのに、「古事記」と「遠野物語」のみで論を展開するわけですが、これは中国あるいは東南アジアの古代民俗を研究することによっても可能ではないのかな、と大いに意を強くしたところなのです。でもとにかく、まだまだいろいろなことを学んでいかなければならないことを深く思います。(1997.09.14)

11030902 宮城谷昌光の「夏姫春秋」を読んで、いわばこの原典になる「春秋左氏伝」を読んでみました。私は「史記」は何度も読み、「戦国策」も読んでいますが、この「左伝」だけは読んでいませんでした。なんだか春秋時代の出来事がそれこそしこたま出てくる感じで、しかも魯の国の年代記として書かれているために、魯の国の王の名前で年代を追っていくわけで、非常に年を確定しつつ読んでいくのが煩わしかったのです。いわば「史記」の「本紀」と「世家篇」のみを延々読まされている気になってしまいます。
「史記」は「列伝」という実に愉しい部分があるために、それで勢いで読んでいくことができます(つまりこれを読み終れば「列伝」があると思い込める)が、「左伝」はどうにも私には読みにくいものなのです。
 でも読んでいて思うのですが、「史記」にしろ、この「左伝」にしろ出ているエピソードがこの日本でもそっくりの話になっているのが幾つもありますね。
 例えば長篠の合戦のときに、武田軍に囲まれた長篠城にて、徳川方の鳥居強右衛門(すねえもん)が家康に連絡に行ったあと、長篠城に戻ろうとするときに、武田軍に捕まってしまい、援軍がこないから降伏開城をするように呼びかけるようにと武田に強要され、了解したふりをして、「徳川・織田の援軍がくるから頑張れ」と叫んで、武田に刺し殺された話(これは私の記憶だけで書いているから、細かくは違うかもしれない、原典は「三河物語」だと思う)(註)は、実は宋が楚の荘王の大軍に囲まれたときに晋の使者の解揚(かいよう)がやったことなのですね。「左伝」を読んでみて、「なんだそうなのか」と思ったものです。思えば、こうして思い当たる話がいくつもあります。我が日本人にとって、中国の古典とは、いわば自分たちの大事な古典でもあったわけなのでしょう。

(註)彼は長篠城の奥平貞昌の家臣であり、城が包囲されたことを信長・家康に報告に行きます。そして援軍が来ることを復命しに帰るところを武田勝頼軍に捕まってしまいます。そして、援軍が来ないから降れといえば命を助けるという勝頼の命に従うふりをして、磔の上で、城方の仲間に援軍の来ることを知らせます。ために彼はそのまま刺し殺されます。この話は実は春秋時代の話なのだということに私は気が附きましたが、またどうして、このように強右衛門は命を張るのだということは、それはまた興味深い問題です。そのことはまた、中国春秋戦国の先輩たちとは違うところに理由(わけ)があるということが、「三河物語」等々を読むと、見えてくるわけです。(1998.11.01)

もう一つの『三國志』 ―「演義が語らない異民族との戦い―

   この本を読み終わりましたが、今までにもこのブログに、私が読んだそのときの思いを書いてきました。それを含んで、すべて書き改めましたので、重複する部分もあるわけですが、以下にまとめて書いておきます。(2007.10.10)

 この本を時間がかかりましたが、すべて読み終わりました。ほぼ我孫子の自宅との往復の電車の中でのみ、読んでいました。

書 名 もう一つの「三國志」
    ───「演義」が語らない異民族との戦い───
著 者 坂口和澄
発行所 本の泉社
定 価 1,714円+税
発行日 2007年8月12日初版第1刷
読了日 2007年10月10日

 私は最初次のような思いを感じて書いていました。

 もうこれは面白いです。どんなに面白いかというと、私はその面白さを読むのが怖くて、本を開けられないのです。本を読むと、いつか読み終わってしまいます。それがものすごく怖いのです。
 最初に以下が大変に気になりました。

 曹操には十三人の女性に産ませた男の子が二十五人いた。そのうち六人は生後まもなくか。あるいは十歳未満で亡くなっている。めぼしい子といえばベン皇后が生んだ曹丕・曹彰・曹植、劉夫人が生んだ曹昴、杜夫人は生んだ曹コン、環夫人が生んだ曹沖・曹宇、王昭儀が生んだ曹幹、孫姫が生んだ曹彪あたりであろうか。
 父曹操の文学者としての一流の才能を受けたのは曹丕と曹植、これにやや劣るのが曹コンだった。文学者ではないが、これに十三歳で夭逝した天才児曹沖も加えていい。

 私はこんなに多くの曹操の息子たちを知りませんでした。
 私は前に、この曹操の息子の夢を見たことを書きました。

   http://shomon.net/bun/yume3.htm#050910  曹丕・曹植の兄弟

 でも思えば、この私の夢で見た「曹林」という人物に関しては、この著者は書いていませんね。まあ、仕方ないかなあ、と思ったものでした。(2007.10.07)

 日本人が読める「三國志」としては、以下の本を私は読んできました。私が読みました順です。

 吉川英治「三国志」
 柴田連三郎「英雄ここにあり」
 陳寿「三國志」(裴松之の註を含む)
 羅貫中「三國志演義」
 横山光輝マンガ「三国志」
 北方謙三「三国志」
 伴野朗「呉・三国志 長江燃ゆ」

 もちろん、あと短いものはいくつも読んでいます。

 それに小説ではないのですが、

   http://shomon.net/kansi/siika2.htm#tutii
                      土井晩翠「星落秋風五丈原」

は一時は全文暗記暗誦できたものでした。あと「世説新語」、「三国志平話」はまだ読んでいません。手に入れるのが大変だから、図書館でと思っています。
 それと宮城谷昌光さんの「三国志」が「文藝春秋」で連載中です。私はこれが世界で最大の「三国志」になるだろうと思っています。

ebeda195.jpg ところで、この坂口和澄さんのこの本ですが、大変に読み応えがあります。「西南夷の章」の「南征の目的はどこにあったか───諸葛亮」というところは、実に頷きました。孔明の南征は、「一体あんな遠征することが何になった
のかなあ?」という思いもあったのですが、実に納得できました。

 でも、思えば「三国志」の世界というのは、こうしたことをすべて含んでいるんですね。たとえ、「演義」には書かれていなくても、「正史三国志」では簡単に書いてあっても、それはまた別なところには、詳しく書かれています。

 そういえば、陳寿の「正史三国志」よりも、裴松之の註のほうがずっと文量が多いと思っていましたが、この21世紀近くなって実際に数えた人がいるそうで、わずかに陳寿の著述のほうが、文の量は多いそうです。これを知って私は実に驚いたものでした。私が考えることなんて、実に誰とも同じようなことしか頭に浮かばないものなのですね。
 奥付やインターネットで見つけた、この著者の著作が以下です。

 「戦」日中出版 1985年12月
 「眞説三國志」小学館 1997年06月
 「三国志英雄妖異伝」青春出版社 2001年08月
 「三國志群雄録」徳間書店 2002年12月
 「正史三國志群雄銘銘傳」光人社 2005年06月
 「三国志検定」青春出版社 2006年04月
 「三国志人物外伝」平凡社 2006年05月

 できたら、このすべてを読んでみようと思っています。

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