将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:家族

11041610 家族は、おそらく人間が歴史にのこす最後のものである。
 モダニストは家族を桎梏としておもいえがく。そして自由な男女の性愛が可能であると錯覚する。しかり、家族はたしかに桎梏である。しかし、この桎梏なるものは家族からくるのではなく、つねに家族外から、つまり経済社会構成から、つまり政治的国家からやってくるので、家族そのものの本質からくるのではない。そこで、ただ本質的にのみ語れば、家族は人間が性の現実的場面を喪わないかぎり存在することを続ける。自由な男女の性愛という概念は、自由な差別なき社会あるいは世界という概念とけっして等価ではないが、後者は前者の必須条件のひとつである。

「解説−平岡正明『地獄系24』−」1970.8芳賀書店に掲載 「詩的乾坤」1974.9国文社に収録された

 本当をいえばこの家族の桎梏の体験にはかなりな個人差があるわけなのだろう。だから私も簡単にはいえない。ただその桎梏のよってくるものはかなりはっきりしているように思える。しかし、その最後の先に人間がいくこともあるのだろうか。そのとき家族はどうなるのだろう。

 人間の個体が性(セックス)として現われざるをえない場所である。つまり、人間が男あるいは女として現れざるをえない場所である。
「南島論」1970.9.3筑摩総合大学講座於紀伊国屋ホール 1970.12「展望」に掲載「敗北の構造」1972.12.15弓立社に収録された

 かなり分かりやすい定義だと思う。人類がこの後どうなっていこうとも、この家族そのものは変わりないということだろう。

cbaf7ec2.jpg 新年あけましておめでとうございます。3日に次女夫妻が来てくれて、義母と全部で8人の家族が集まりました。もう私は大変に嬉しくていっぱい飲んでしまいました。1月3日で孫も満一歳になりました。こうして家族が集まるのはいいですね。私の父と母、義父のことを思い出していました。みんなそれらの親たちのおかげです。
 写真は1月2日に新宿京王百貨店で開催されていた「職人・技の祭展」(1/2〜8)で孫の誕生日に買ってきた土鈴です。(01/05)
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52f00c9c.jpg 今また、朝の「連続テレビ小説『ちりとてちん』」を見ていました。
 また喜代美が大阪に戻れて嬉しいです。やっぱり、ああいうふうに家族って存在していくべきだなあ、なんて思っています。
 大阪落語のことも、少しは好きになってきました。
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「接触事故」まっくまっく の彼女が、コメントをくれました。

1. Posted by プラム    2007年07月10日 13:36
こんにちわぁ〜 (^^)/   なんか心配掛けてしまったようで・・・   ありがとうですm(_ _)m
おっしゃる通りですね、保険に入って無いバイクや車に乗ってはいけませんよね。前々から保険に入っているかどうか聞いていたのです。そして入っていると言っていたので、その言葉を信じていたのです。私が親としてきちんと把握しておかなかったからいけなかったと反省してます。直ぐに私が入っている自動車保険にバイクの保険も付けるよう手配したのです。今回の事故に懲りてバイクを運転するのを辞めてほしいと願う母でしたが無理のようでした。

 あのですね。ちょっと厳しいことをいいますと、親としては、「保険に入っているかどうか聞いていたのです。そして入っていると言っていたので、その言葉を信じていたのです」というのは言い訳にならないと思うのです。高校生の子どもであるわけですから、そういう返事なら、「それなら、その保険証券を見せて」と言わないといけないのです。そしてその証券を家族誰もが判るところに入れておくべきです。これが大人なら、そうしたものは、各個人本人が管理すべきでしょう。でもまだ未成年なのです。

 ドストエフスキーに「未成年」という小説がありまして、これがまた他のドストエフスキーの作品と同じで、実に長い小説です。そして私は、「こんなに長い必要があるのかなあ?」なんていう思いでいたわけですが、今始めてその意味が判った気がします。
 もちろん、ドストエフスキーのいう未成年とは、現代日本でいう法の上での未成年とは違うのでしょうが、今はあの「未成年」の内容がよく理解できました。
 私がこの小説を読んだのが、1970年1月です。私は当時埼玉県の朝霞警察の留置場にいました。当然接見禁止で、本も手紙を差入れはできず、面会も禁止です。でも当時の私の彼女が、裁判所の許可をとって、差入れしてくれていました。そのときに、このドストエフスキー「未成年」(小沼文彦訳)があったものです。私はやはり内容が不可解かつ面白くなく、他の留置人にも、これは貸しませんでした。きっと面白くないだろうと思っていました。だって、貸す本は他にもいっぱいあったのです。

 そんなまったく別なことを思いだし、また考えてしまいました。
 男の子は、その年齢だと今後なかなか母親に手の届かない感じのところへ行ってしまいます。もちろん、父親にはそれ以上に離れてしまいます(まれに、よく子どもとうまく話せる父親もいますが)。
 私が自分の母親のもとに精神的に帰りたいと思ったのは、もう今のことなのです。そのとき、私の母親は、89歳で、入院しています。私が面会に行きましても、いつも眠っている母親の姿にしか会えません。悔やんでも、もう遅すぎるのです。

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9b78b681.jpg 私の長女が作ってくれた義母を中心とした家系図ですが、昨日そんなソフトがないものかな、なんて探していましたら、インターネット上で見つけました。もうすぐ私の次女の結婚式がありますから、そこで私が親族を紹介するのですが、こんなソフトがあるといいですね。私のたくさんの親族がいるのを見ますと、とても嬉しくなってきます。(1/26)
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 一つ前のUPの わが家のおかあさん2007.01.25 ですが、この「家系図(系図と言っていいのかは判りませんが)」は実に役だっています。それを画像でここに出せればいいのですが、それではみんなの名前が判ってしまうからできません。
 でも私がそのことを書きたいのは、できたらここを読んだ多くの方が、自分あるいは自分の母親・父親あるいは、義母・義父を中心とした系図を書いてみてほしいからです。
 自分は一人ですが、私のように結婚していれば、自分の父母・義父母は4人です。自分の祖父母・義理の祖父母は全部で8人です。そして私は娘が二人です。長女は結婚して、義理の息子もできました。次女は3月25日に結婚しますから、彼女の夫になる彼が私の義理の息子になります。そして、今月3日に私の初孫が産まれました。
 今度の3月25日の次女ブルータスの結婚式では、式の前に、ブルータスの親族が集まります。それで、「あ、そこで親族紹介をするわけだが、あ、そうだ、これは私がやるんだ!」と私は妻に確認していました。
 そのとき私は紹介するブルータスの親族を私は今全員の名前を書いてみました。正確に私は言うことができますが、やはりこれはちゃんと姓名を書きましたメモを読み上げるようにします。
 このことは大切で嬉しいことです。私にもこんなにいい親族・姻族がいるんですね。

 それで、長女おはぎが義母のために作った家系図は、ブルータスの結婚とは関係なく、義母のために作ったものですから、あくまで義母を中心に考えています。
 そうすると、私もお会いしたことのない、義母の父親・母親のことも私の脳裏には浮かんできます。義父の父親・母親にもお会いしたことはありませんが、こうして家系図で書かれていますと、実に一度でもお目にかかりたかったなと思われてきます。
 その家系図にある義母の妹さん、弟さん二人にはお会いしたことがあります。義父の妹さん、弟さんにもお会いしたことがあります。
 おはぎが作ってくれた家系図には、デジカメ画像がある人は、その画像が貼られています。この画像が貼られているというのはいいですね。ここに3月25日のあとにはブルータスの彼も写真が貼られるのです。

 このおはぎの作った家系図は、あくまで義母のためのものです。おはぎを中心として作っていけば、またおはぎの彼のミツ君の親族の家系図が画かれるでしょう。

 そして、私を中心とすると、また私の父母の家系図が膨大なものになります。
 何年か前に、母の実家の茨城県佐貫で、「いとこ会」と称する会合がありました。「そんなの誰もこないよ」なんていう思いがありましたが、私の兄弟3人は、もちろんのこと、実に莫大な数の人が集まりました。母は兄弟が4人ですが、その息子娘つまり私のいとこが大勢います。私の兄弟は気合いが入っていなかったので、私たちだけでしたが、多くは、そのつれあいもきています。そしてその私のいとこたちの子どもたちです。その子どもたちにはさらに子どものいる人もいます。
 もう私はこの莫大な数の親族・姻族にものすごく感心しました。そしてはるかに、私の母の父親・母親の顔を思い出していました。母方の祖父は実に勝手きままに生きた方ですが、その子ども・孫・ひ孫、そしてひ孫の子どもまで大勢集まっているのです。
 これだけ集まると、親族・姻族は日本人だけではありません。私の従姉妹の一人には、香港で化粧品会社をやっていますドイツ人の夫がいます。彼は大変は日本びいきの方ですから、このときに米国から参加したと言っていました。

 でもこれは私の母方の話です。私の父は9人兄妹ですから、もし私のいとこ会をやるなんていうと、もうそれは実に莫大な数になるでしょう。

 できたら、この家系図を作ってみてください。作らずとも、自分あるいは自分の配偶者、あるいは自分の父・母を中心とした家系図を頭の中でえがいてみてください。判ってくるはずです。その中心にいる人物が、どんなに大切な存在か判るはずです。自分の父親・母親がどんなに大切な存在か判るはずです。自分の子どもがどんなに大切で重要な存在か判るはずです。

 私の友人たちで、多くの同じ大学の友人たちはみな結婚をして子どもたちがいます。ときどきその子どもたちの消息を聞きます。どこの大学に入った・就職して、○○地方に住んでいる・結婚して子どもが何人だよ…………。とても嬉しい情報です。
 ただ、私よりもはるかに若い友人たち(だからもうもちろん、同じ大学だったという知り合いではありません)には、結婚しても子どもがいない方がいます。体質的に子どもができない方というのは、ごくわずかいますが、そうではなく、「子どもは作らない」という方少しいます。いやそういう言を聞いたのは二人います。私にはそれがとても悲しいことです。なんどか、自分の子どもがいることがどんなに素晴らしいことか話したものですが、どうしても判ってくれませんでした。
 いや、これは私がいけないのです。私にその説得力がないからなのです。

 ぜひ自分に関係した家系図を思い画いてください。どんなに、自分の家族・親族・姻族が大切な存在か判ってくるはずです。

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