08030814

 周の『独楽吟のススメ』の46 へのコメント に次のように書いていました。

 今朝は「周の『独楽吟のススメ』の47」をUPするのが遅くなりました。いえね、孫を抱いて歩いて、テレビで「お母さんと一緒」を見ていたのよ。少し笑顔も見られたから良かったです。
 さて、あわててさらに確実に仕事を処理します。

 それで、長女の家から戻って、でも玄関の電灯が切れていましたので、すぐに買いに行きまして、ついでに図書館にも寄りまして、本を8冊借ります。そして戻ってまた仕事を始めますと、ちょうど2時30分頃、長女が来て欲しいという電話が入ります。もう長女が身体が辛くて、ポコ汰を見ていて欲しいというのです。それですぐに行きまして、ポコ汰をずっと見ています。でもポコ汰はなんだかぐずり泣きます。やっぱり身体が辛いのでしょうね。
 ポコ汰を抱いて部屋をあちこち歩き回るといいのですが、でもさすがに長時間抱いていると私も疲れてきます。腕が痛くなります。
 それで、私がポコ汰を見ていますから、おはぎには医者へ行ってもらうことにしました。でもいつもかかりつけの内科がきょう木曜日はお休みです。
 それで、でも午後4時すぐにおはぎは出かけました。私は、右腕でポコ汰を抱きながら、左手でケータイメールを、ミツ君と私の妻、その他の人と交換します。
 妻が4時30分に帰ってきて、すぐにおはぎの行った病院に行きまして、55分に二人で戻ってきます。でも医者ではどうにもならないようです。私の妻は、義母を迎えるために、7Fの家に戻ります。
 妻がまた戻ってきたときに、もう長女が病院に行くというので、私がタクシー会社に電話しますが、車が近くにないといいます。もう私は119番に連絡します。そのすぐあとミツ君が帰ってきてくれて、救急車に乗るのは、私ではなく、ミツ君になりました。それで、救急隊員との会話で、救急病院ではなく、おはぎがポコ汰を産んだ駒込の医院に行くことにしました。
 おはぎのお腹には、2番目の子どもがいますから、そういうふうに救急の方が判断してくれたのです。産院も電話すると、すぐに来てくれということでした。
 思えば、私がタクシーを手配して、予定していた医院まで行くよりも、救急隊員の方の判断は的確です。
 かくして、長女おはぎとミツ君は救急車ででかけ、私と妻とポコ汰は、7階の家に来ました。ポコ汰は私が抱くよりも妻であるばあが抱いているほうが安心のようです。
 そしてそのうちに、蒲団で眠ってしまいました。なにしろ、きょうはお昼寝は一睡もしていないのです。でも私の妻が離れると、しばらくして泣いて起き出してしまいます。また私の妻ばあが添い寝して寝かしつけます。
 ミツ君からは電話があり、今点滴中だといいます。
 そして心配していましたら、8時30分頃、おはぎとミツ君が帰ってきました。そしてすぐに、おはぎは、ポコ汰の隣に眠ります(でも私がさっき行ったら、ポコ汰は蒲団から出て眠っていたな。でも隣にママがいると安心するのですね。ぐっすり眠り込んでいます)。今も二人とも眠っています。もちろん、おはぎの身体は大丈夫です。
 明日は朝早くから、ミツ君のお母さん、ポコ汰のもう一人のばあばが来てくれます。
 これで、私はまったく仕事は手に着かなかったです。でもこういうときは仕方ないですね。でも仕事の関係の資料も郵送で次々と届きますし、ケータイメールでも連絡がきましたから、そちらの処理は大丈夫です。

 でも思いました。こうして家族がすぐ近くに住んでいることは大事ですね。私の次女ブルータスも、あちらのお父さん・お母さんの家のすぐそばに住んでいます。このことが大事なことです(あ、今3人は自分の家に帰りました。忘れ物があったので、私は届けました。こんなに近いところに住んでいるのがいいですね)。
 思い出せば、私の母は、自分の夫が昭和22年にスマトラ島から帰ってきて、よく23年5月に私が生まれましたら、すぐに東京巣鴨に引越まして、また翌年に秋田に引越して昭和25年4月に弟が生まれました。思えば、遠い秋田で不安だったことでしょうね。でも秋田に、母の実家の母親(私の祖母)が来てくれていたことを、私も覚えています。あのときは私は4歳くらいだったのですね。
 でもそのあと、札幌へ引越まして、さらに名古屋に引越するというときに、母の実家茨城県佐貫に寄ったわけですが、でもそのときには、オオカミのような大型の秋田犬を3頭連れていたのです(そのうちの2頭をここに置いていきます)。
 そしてその名古屋でも3ヶ所引越するうちに、今度は鹿児島に引越するというのですから驚いたことでしょうね。
 そんなことを、このごろしきりに思い出しています。

 それにしてもきょうは長い日でした。もうこれから、たくさんのことをやり抜きます。

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