将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:将門神社

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 周の掲示板大竹さんから以下の書き込みがありました。

神田神社 投稿者:大竹尚行  投稿日:2010年 1月 9日(土)01時17分23秒  
周さん、こんばんは。
神田神社に行かれたんですね。じつは僕は料理を作る仕事をしておりまして、法学部を中退して上京し、神田明神のすぐ近くにある料理屋で働いていたことがあります。友人もいない孤独な東京生活で、仕事の休憩中によく散歩しに訪れたことを懐かしく思い出しました。
あの近く、神田○○町と呼ばれる地域は、僕にとってはもっとも東京らしい東京でした。大手町の首塚や浅草の日輪寺を訪れたりもしました。
ささいな経緯から成田にいたこともありますが、やはり新勝寺に行くことはありませんでした。

それから娘の写真は、もしかしたらご心配下さっているのかもしれませんが、ぜひどうぞこのまま掲載していて下さい。リンクの件もありがとうございます。リンクも娘の画像の件も、僕はとても光栄に思っていますので。

吉本さんの娘さん達の著作や作品にもご理解があるとは思いませんでした。これはますます読み込んで行かねばと、意欲だけはますます沸いてきました。しかし、こうも時間が取れないと、好きな読書もままならず歯軋りする毎日です。
娘は今日8日に誕生日を迎えましたが、とうとう日付が変ってからの帰宅となり、明日の朝は、つれあいの小言も覚悟せねばならないでしょう…

あらためまして、今年もどうぞよろしくお願いいたします。 

 丁寧にわざわざありがとう。神田明神は私は毎年行っています。いつごろから行きだしたのかなあ。たぶん30歳くらいからですね。だからもう30年をすぎています。妻と娘二人とずっと一緒に初詣してきたものです。
 でも娘二人もそれぞれ家庭を持ちましたから、まずは初詣は別に行くようですが、こうしてまた私と行ってくれます。そして今は孫も一緒なのですね。
 私は将門様を尊敬崇拝しているから、ここにいくのですが、ここが私には一番好きな神社なのですね。将門神社というところはいくつもあるのですが、我孫子の日秀(ひびり)の将門神社は何度か行きましたが、私には何故かこの神社では、将門様が恐ろしく感じられるところなのです。
 数年前にこの日秀の将門神社に独りで行ったのですが、何故かものすごい風で唸り声のようなものでした。そこで私は、将門様の「我孫子を去れ」という叫びを聞いたのです。だから私は今東京都北区王子に住んでいるのです。
 成田は大昔68年の2月から何度か三里塚闘争に行きましたものです。でもやはりその後も私は新勝寺には行きません。数年前にも成田にパソコンの指導で行きましたが、やはり成田新勝寺は藤原秀郷を祀っているために、私は行きません。まず足がそこへ歩くことがないのです。
 私はもちろん吉本(吉本隆明)さんの本はすべて読んでいるし、すべて本は持っています。私が死ぬときには、「棺桶に入れろ」と言っていますが、どうしてくれるかなあ。だけど私は娘さんのハルノ宵子さんのファンでもあるし、吉本ばななさんのファンでもあります。ただ彼女たちの本は持っていないです。我孫子から引越しのときに、すべて古書店に売りました。
 私は本は年に300冊読破していますが、家ではまず読まないです。電車の中で読むだけですね。ただし、その読んだ感想をブログに書くときだけ、パソコンの前で本を広げていますね。
 私は大学を出たあと、いくつもの会社に就職しましたが、「神田」とつくところは、神田紺屋町、神田須田町、神田錦町、神田駿河台と働いたものですね。思えば、一体何社に勤めたのかな。

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「遅ればせながら5月3日手賀沼ウォーキングの写真です」KumiesBlog「女性と仕事」さんから、次のコメントがありました。

1. Posted by kawamoto    2009年05月17日 08:33
先日は1周20キロ歩くことが目標で、周辺を見て歩く余裕がありませんでした。
次回からは7、8キロ程度にしてもっと楽しもうと思います。

 あの手賀沼の周囲すべてを歩くというと大変なことです。でもどこにも水鳥がいて、実にいいところでしょう。あの手賀沼は地下の水路で利根川にもつながっているのです。でも歩いていくと、河童がいるというのが本当に思えてきませんか。
 我孫子市がもう少し整備してくれれば、もっとたくさんのものを見ることができると思いますよ。将門神社なんて、ただそのままあるだけですからね。将門の井戸もただあるだけです。実は湖の反対側の湘南にも別の将門神社があるのですね。

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 Kumie'sBlog女性と仕事このUP がありました。

 手賀沼の最寄駅は我孫子駅と思い込んでいましたが、誘ってくれた友人は北柏駅から歩き始めました。確かに、駅から沼までの距離は北柏の方が近いようです。サイトを見ると、自然と歴史の道、文人が愛した湖畔を巡る、手賀沼復活の試みを訪ねるほか、いくつものコースがあります。

 私は我孫子には、随分長く住んでいました。私の二人の娘は、保育園、小学校、中学校とこの我孫子で育ったものです。そして我孫子といえば、この手賀沼とは随分親しんできたものです。ここに掲げられた写真もよく思い出せます。手賀沼は、もう水鳥がものすごい数がいるでしょう。大きな水鳥もいるんですよ。
 それと手賀沼は歩くと、けっこうな距離があるでしょう。北柏からだと我孫子駅を下ったあたりから、天王台、さらには湖北のそばまで歩けます。距離がありすぎるかもしれません。湖北のほうまで歩くと、将門神社があります(ただし、歩いて行きましても、この神社にたどりつくのは大変ですよ)。この神社へ行くと、いつも将門様が語りかけてくれます。神田明神の将門様とは違って、少し荒々しい神様ですね。

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「将門さんは産みの親☆」 へのコメントおだんごぱん☆★絵本の名前だよ♪ のナミちゃんから、また次のコメントをいただきました。ありがとう。

1. Posted by なみんと    2007年07月06日 14:48
将門神社まで小さなお嬢さんを連れてよくいかれましたね。結構ありますよね。それに蝮?をみて喜んでいたとはなんてたくましいんでしょう。「喜んでいた」ちっちゃな女の子二人の姿を想像して楽しくなりました。

 あれはいつのことだったでしょうね。まだ二人とも小さかったときのことです。蝦蟇(がま)を見て喜んでいたというのは、実は私は何故か昔から、ああゆう両生類とか爬虫類が嫌いなのです。でも妻はまったく平気で、彼女の会社の旅行で大きなヘビを首に巻いたりしている写真があったりして、私はただただ驚きです。その血なのかなあ。
 思い出せば、二人はよくみみずも平気で手でつかまえてきて、父の家の池の鯉にあげていました。しかも大量にです。もう私は、怖くて気味が悪くて仕方なかったものです。
 二人はけっこうたくましい女の子でした。まだ小学生低学年の頃、雪の中家族で歩いているときに、二人の持っている笠が強い風にあおられて、おちょこになっちゃったときに、私は二人が泣き出してしまうのではないかと心配だったのですが、下の娘が、「あ、あねえちゃんの笠、おちょこになっている」とゲラゲラ笑いだして、上の娘も大声で笑い出して、もう私はどんなに嬉しくなってことでしょうか。冷たい雪と風の中で、我孫子駅まで歩いているときでした。
 あんな点が、二人を元気な小学校の先生にしてくれたのでしょう。私はときどき心配になるくらいです。下の娘はずっと担任をやっているわけですが、運動会のときなんか、もう熱く燃えまして、その練習なんか、生徒さんたちは大変だと思いますよ。生徒さんたちは、運動に苦手な子もいるでしょうから、でもその子たちにだけでなく、男の子でみんなのリーダーになるような子たちへこそ、娘の指導は実に厳しいです。
 でもだから、慕われてくれているのでしょうね。

 実は、この我孫子市湖北の将門神社へ行った日は、実は前日土曜日から、ゴールデン街で飲んで、その後三番街で飲んで、最後ある店に入りました。朝の5時頃だと思います。
 そこで、私より年上のどうみても、「ある筋の方」かなあ、という方が二人いました。この人たちが、何故か私に話しかけてきます。私もいいように話していたら、私のいうことに突如怒って、上着を脱いだら、刺青が出てきたものでした。でもそのうち店のママが私に怒って、「出ていけ」となりまして、私は店を出るときに、ママを振り返り、「ありがとう」と言って行ったものでした。
 でもでも、実はたしか3年くらい前に、埼大のむつめ祭の帰り、朝11時くらいに歩いて帰るときに、北与野駅の近くで、また私はある朝からやっている飲み屋に入りました。そこでビールを飲んでいたら、私から少し離れたカウンターで飲みつぶれている男がいました。もうおじいさんですが、彼はまた起きて酒を要求するのですが、もう店員たちが相手にしません。でもこの男が、もうずっと前に、この朝に新宿の三番街のすぐそばで私に上着を脱いで刺青で恫喝した男でした。私は「え、なんだひさしぶりだなあ。ああ、新宿とここはつながっているかなあ」とと思いましたが、声はかけません。彼は、ずっと酒を要求しているが、店員は誰も彼のそばによりません。
 私はビールのあと、食事をして、その彼に「もう歳をとったねえ、もう帰りなよ」と声をかけて、我孫子まで帰りました。
 ヤクザさんも、歳とって(あの前のときから15年が過ぎています)も怖い雰囲気で、店の人に相手にされないと、もうどうしようもないねえ。

 でもいろんな思い出が甦ります。

 あ、きょうは我孫子の自宅へ行くのです。もういかなくちゃな。

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「将門さんは産みの親☆」おだんごぱん☆★絵本の名前だよ♪ のナミちゃんから、次のコメントをいただきました。

1. Posted by なみんと    2007年07月05日 06:39
おはようございます。将門神社は私も数回訪ねた事があります。確かに暗いですね。
わかりました(^・^)これから「周さん」と呼びます。教えていただき有り難うございます。

 私はあの将門神社に、二人の娘がまだ小さいときに連れていったことがあります。私は朝まで新宿のゴールデン街から三番街で飲んでいた日曜日の朝、我孫子に帰ってきて、二人と出かけたものでした。
 成田街道から、将門神社に至る道で、大きな蝦蟇がいて、二人が見て喜んでいたのをよく覚えています。そのときに、始めて日秀の将門神社に行ったわけですが、そのそばの将門の井戸含めて大変に暗い印象ばかりでした。そのあと、手賀沼を見て(といっても、もう沼はありませんね)、「ああ、あの対岸のほうから、将門さまが馬でこちらに渡ってきたのだ」と思ったものです。
 たぶん、もう二人の娘は忘れているだろうな。

 私の「周」というハンドル名は、もちろん名前の「周二」からとったものですが、好きな魯迅の名前も周なので、大変に好きな名前なのです。

 私が毎年2日に必ず参拝する(ほかのときもよく行っていますが)神田明神も、本来の主祭の神は平将門様です。ここにも私は実によく行きます。行って、いつも将門様の声を聞いています。

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 ナミちゃんのブログ将門さんは産みの親☆ というUPがありました。

 ブログをやるように薦めてくれた将門さんに感謝〜〜で〜す。

 感謝 なんて嬉しいです。でも、将門 というのは、私のウェブサイトで使っている将門Webでも使っているもので、平将門様の名前です。
 そうですね、あなたの自宅の近くの(近いと思うんだけれど)、日秀の将門神社で祭られている平将門様です。一昨年の2005年9月24日に、我孫子の湖北の日秀(ひびり)に行きまして、この将門神社へいきました。
 このときに、いくつかこの将門神社での写真を撮りまして、このブログに載せました。このブログの名称変更 の2 からいくつも写真を載せました。
 その翌日の9月25日の 将門神社について には次のように書いています。

まだ午後4時台なのですが、そしていい天気だったのですが、この神社の中は何故か大変に暗いのです。樹木が茂っているからです。そしてかなり風の強い日だったのですが、この神社に入ると、さらに風が強くなりました。ちょうど風が「うなりをあげる」というのは、こういう状態のことなんだなと思ったものです。そして何度か本殿の前で手を合わせたのですが、3度目に手を合わせたときに、ものすごく風が唸り声をあげまして、私はまさしく将門様の声を聞いた思いがしました。その声を聞きながら、私は将門様に答えていました。
 一つは、この私のブログの名称を変更して、「ブログ将門」にすることです。そしてもっと答えたことがありますが、それは内緒です。

 このとき、私の耳に聞こえた将門様の声は、私に対して、「我孫子から去れ」ということでした。そして結局、私は自宅のある我孫子から去るようになりました。ただし、まだ時間がかかっているわけですが。でももうそのとき以来、私は我孫子には自分の居るべきところではないと考えるようになりました。

 私には、将門様は、私の尊敬崇拝する神なのです。だから、私のことは、ハンドル名として使ってきた「周」でいいです。もうどこでも「周さん」と呼ばれていますよ。

 でも、

ちょっと前の私だったらブログ???
 とうてい・・無理(*^^)vと思っていました。

初めてみるとな・なんと
 書くのが苦でない自分がいました。

まだまだわからない事ばかりだけど
 色々教えてくださいね。

 これは良かったです。大変に私は嬉しいです。いくらでも私を利用してください。判らないことは、聞いてみてください。私も判らなかったら、誰かに聞いて、判るようにしますよ。

将門さんは大学の先輩です。
私は大学時代将門さんと将門さんの周りにいる梁山泊的ワールド
に新鮮さを感じていたんです。
結構その世界にのめり込んでいましたね、

 ええと私は昭和23年生まれで、埼玉大学へ入ったのが昭和42年(1967)で、ちょうど三派全学連の時代でした。だから、そのまっただ中で、文字通り闘っていました。ただし、私はマルクス主義に与したことは一度もありません。いつも、反帝反共をとなえていました。
 ただ、激しく闘いまして、1969年1月東大安田講堂で、逮捕起訴され、保釈で出たと思いましたら、今度は芝浦工大殺人事件ということで、また逮捕起訴されました。
 だから、普通の就職とかはまったく考えられなかったのよ。別にだから、どうということはありませんでしたが。
 でも今になると、なんでもすべてがもう遠い思い出の中だけになりましたね。
 ただ今でも、その頃の友人とのつき合いは続いていますし(ただし、昔の三派全共闘の人たちは実に保守的な人が多くてね、かなりがっかりしています。パソコンもインターネットもまともにできない、やらない人が多いんだよなあ)、いろいろな昔の思い出は、私はみな詳細まで詳しく覚えていますよ。

 まあ、昔からどこでも詩吟ばかりやっていましたからね。今もそれは変わりありません。

 あ、私はまた鎌倉を歩きたいと思っています。それに横浜も歩きたい。お台場も歩きたいのですね。鎌倉は、学生のときも歩きました。いろいろな思い出があります。
 また今年も歩きます。あ、あと私は今年に、大原幽学記念館(千葉県旭市にあります)にも行きたいな。

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