将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:将門Web

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 どうしてもここの将門Webは、「まれ」を見た私の思いしか書いていないのですが、「周の掲示板」はいくつも書いてUPしています。
 今後も同様にやっていきましょう。

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 今日はばあばが吉田医院へ行く日です。

2014/09/20 03:03昨日は結局吉田医院へは行かないで、電話のみですましました。今日ばあばが治療で行く日ですので、それでもらってきてもらうのです。
2014/09/20 07:55今はテレビの前に来ました。ここで「花子とアン」を見るのです。


 ばあばは吉田医院で、帝京大学病院あての「紹介状」をもらって来てくれました。
 けっこう「花子とアン」のことをインターネットでも見て、いろいろと考えました。そして将門Webに書きました。またこのあとUPしましょう。

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3月3日にこの将門WebをUPしませんでした。

2014/03/04 02:27昨日は初めてこの将門Webを一つもUPしなかったですね。もちろん、このポメラには書いているわけですが、でもそれをネット上にはUPしていませんでした。それでそれには気がついていたわけですが、夜に「こんなこともあっていいかな」という思いの中にいたわのです。
 昨日も私の孫たちは実ににぎやかでした。おはぎの家へ行ったわけです。
 ポポが缶コツプの中身をテーブルの上に大きくこぼしてしまい、あわてて私が手拭いでそれを拭きまして、その手拭いは洗濯機に入れました。今日それを取って来ます(もう乾いているでしょうから)。しかし、こうしていろんなことが起きるものですね。
 昨日は「はんこ奉行」からじゅに宛にいくつものシールが来ました。前日には、ポコ汰・ポニョ・ポポのが来ていました。私じいじはみなそろってから、渡したかったのです。サービスのピンセットがついていましたが、それは3つもおはぎの家にはあげないで、一つだけミツ君に渡してきました。全部渡すと心配です(少し危険かもしれないから)。今日はじゅにの分をクロネコ宅急便でブルータス家に送ります。
 これはいろんな大きさ、いろんなデザインのシールです。私はそのうちの一番小さいものを、私のIS01に貼りました。だからIS01を開けると、四人のひらがなの名前のシールが読めるのです。
2014/03/04 03:26それとシールの比較的大きいものを私の財布内に貼りました(おはぎの家の3人のものは今日おはぎの家で貼らしてもらいます)。IS01にも貼っています。
 まだじゅにのシールは送っていないので、しみじみ何度も見てしまいます。財布内に貼るのも今はじゅにだけですが、もうものすごく嬉しくなっています。これは今日宅急便でブルータス家に送ります。喜んでもらえるはずです。14030104

 今日おはぎの家へ行ったら、ポコ汰・ポニョ・ポポにみんなに1枚もらいます。「こうしてじいじは財布内に貼るから」というんです。
2014/03/04 04:11ああ、今日鎌倉へ行ってこようかなあ。
 今は目の前に「林田槇之助『漢詩をたのしむ』」(講談社現代新書)が置いてあります。義父が買って読んでいたのだと思います。
 私はほぼ漢詩はよく知っているわけだと思っていたのですが、なんとこれは半分くらいは知らない詩なので、驚いたものなのです。
 これをまた読んで一つひとつの漢詩を解説していきたいな。私は「朱熹『酔祝融峰下』」はずいぶん前に書いたものです。この本は私の頭(私が眠る時)のすくそばに置いてあります。14030105
2014/03/04 05:35やはり今自分の部屋に行ってきたのですが、寒いですね。2014/03/04 07:50もういっぱいのことをやっています。そうですね。台所の洗い物が少し時間をとられました。
2014/03/04 08:15なんだか悔しいな。
 ウィンドウズを8.1にしたら、どうにも使いがってが悪いです。
2014/03/04 12:04こうして今は横須賀線の中です。今日はいい天気だけど、明日は悪いようです。それでこうしてあわてて出てきたものなのです。
2014/03/04 12:45今は大船で4分停車していました。
2014/03/04 16:13今は上中里のホームの待合室です。まだ孫の保育園に行くのは早すぎるのです。ばあばにケータイメールしたら、すぐに「今は北千住です」という返信がありました。
 ああ、私は鎌倉行きまして鶴ヶ丘八幡宮の銀杏の樹に実朝様に挨拶していきたものなのです。私は実朝様が好きなのです。三人の孫にお土産を買ってきました。もちろん、じゅにへのものが一番先に手に入れたものです。今日宅急便で送ります。明日には名前のシールと一緒に手にしてくれるでしょう。三人にはもうすぐ会います。あ、最初はポニョとポポです。家に帰って、ポコ汰が学校から帰ってきます。
 次の電車でばあばが来てくれます。それで孫に会えるのです。


どうしても実朝様に会いたくなるのです。いえ、私はあの大銀杏の元へ行って実朝様と少しの会話をするのです。14030307
 ここの最後の写真が私の孫たち四人に贈りましたシールの一部です。


13080509 今は、この将門WebがなかなかUPできません。困り果てています。ここのサイドバーへはけっこういくつものサイトをリンクしているのですが、ここ将門WebにUPするのにはけっこう時間がかかっています。
 明日になりましたら、新しいパソコンが来ますので、それに入れ替えてやってみましょう。

13052601 昨日のブルータスの家に行ったときのこのポメラとそのときの画像をUPするのがけっこう大変でした。

2013/05/26 06:30今フジテレビで「はやく起きた朝は……」を見に来ました。この番組はもう20年もやっているんだ。最初は「おそく起きた昼は……」でしたね。
 やたらに単語登録しています。
 思えば昨日のこの「周のポメラ」をUPするのがけっこう大変でした。もうすでにこのポメラで書いているから文章はもう終わっているのですが、デジカメで撮りました画像をUPするのが大変でした。数が多いだけでなく、撮影の直後気にいらない画像はすぐに削除していますが、それでも昨日のはけっこうな数だったのです。
 だから、実に大変でした。
 もうこの将門WebにUPすることを意識していますから、どうしても人の場合は顔を写さないクセがついてしまいました。孫のじゅにを撮るときには、たとえ顔を撮っても、その画像はUPしなければいいのですから、撮るべきなのですが、どうしてもやれないクセがついてしまいました。私は阿呆ですね。

 このクセは実は大変なことなのです。まあ、娘や孫を撮る場合はばあばに任せればいいかなあ。

13033106 このポメラで書き込んで将門WebにUPします。

2013/04/02 06:30「もうこんな時間なんだ」と思ったものです。
2013/04/02 07:37またこのポメラを書いてながらテレビの前にいます。
 昨日は、夜9時近くにブルータスとおはぎにケータイメールしました。
2013/04/02 07:51さあ、この時間は必ず眠くなります。なんかそういう私に不満です。
 私の四人の孫を思います。やっぱりまたケータイメールしようかなあ。でもおはぎもブルータスも驚いちゃうかな。今仕事中だものな。ミツ君とナオキ君にも出すのも考えちゃいます。早く孫がケータイを持つ時期にならないかなあ。

 あ、娘たちはおはぎが長女で、ブルータスが次女です。ミツ君がおはぎの夫で、ナオキ君がブルータスの夫です。

13030605  今は三匹の家に来たのですが、三匹はいません。ミツ君がいてくれました。寂しいな。
  明日は秋葉原ヨドバシカメラへ行くつもりです。
  やはり三匹がいないと寂しいな。 今はポコ汰の入る小学校の学童保育の説明会だそうです。三匹に会えると思ってきたもので、寂しいです。
  でも私のブログの将門Webも今は情けないことになってしまっているので、困ったものです。
 ライブドアに質問のメールは出したのですが、私が家をでるまでは(午後1時14分〜5時30分)、返事は来なかったです。 大変に困っています。

13021017 昨日の私の義母の一周忌に「萩原周二よりの個人的情報発信2013.02.10」と称する文書を書いたのですが、今まででも同じような文書を配布してもまず読まれなかったもので、プリントする気にならず、こうして今私のブログの将門Webにて、公開します。

萩原周二よりの個人的情報発信 2013.02.10

1.私は故松本八郎・玲子の長女加壽子の夫であります周二です。私たち二人は長らく千葉県我孫子市(周二の両親の家のすぐそば)に住んでおりましたが、松本八郎が亡くなったあと、東京都北区豊島(京浜東北線王子駅から徒歩8分ほど)に、玲子と一緒に住んでおりました。

2.私たちには、娘が二人です。それぞれ以下のように結婚しています。
 長女おはぎは、北区上中里に自宅を建てて住んでいます。家族は以下の5人です。子どもは、長男・長女・次男の3人で、近くの保育園に通っています。
 私たち二人もたびたびこの保育園にも自宅へも行っています。

13021018      ミツ君
    おはぎ
    ポコ汰(6歳)
    ポニョ(4歳)
    ポポ(2歳)

 ミツ君は埼玉県川口市の小学校の教員で、おはぎは東京都荒川区の小学校教員です。
 次女ブルータスは、現在長女が一人です。

      ナオキ君
    ブルータス
    じゅに(2歳)

 ナオキ君は千葉県君津市の小学校の教員で、ブルータスは木更津市の小学校教員です。現在この三人の家を直樹両親の家の隣に作っているところで3月には完成する予定です。彩も毎日保育園へ行っているのです。

3.この文書は、明日11日か12日に私のインターネット上の私のブログ

   http://shomon.livedoor.biz/  将門Web

に、この文章をUPします。なおその際に、私以外の固有名詞は別な名称(何かまったく関連関係ない文字)にいたします。
13021019 ただインターネット上のブログですと、ちゃんとリンクも有効ですから、それでも見てください。この紙の上で読むよりははるかにいいです。これは、私がいつも書いておりますいくつもの手紙でも実に感じていることです。
 ですから、あとでインターネット上でこの私の書いたものをご覧ください。はるかにちゃんとリンク先へ一瞬でいけることがいいことと実感できると思います。
4.私はこの将門Webのブログには今日は今まで、パソコンから5つUPしております。私はケータイでUPすることも多々あります。私のブログで一番多いのはスマートフォンIS01でUPしたジャンル「周のIS01ブログ」というものです。
 ケータイでのUPと言いましても、スマートフォンですから量は少しは多いですよ。だから今日も新幹線の中で書いてきたものです。ただ私は普通にパソコンで書くほうがいいです、楽ですし、今のところはパソコンのほうが自在に内容も量も書けます。ああ、ケータイでも「周のケータイブログ」というのをUPしていますよ。
 もちろん私は漢詩(もちろん中国だけではなく日本の漢詩も。いや日本の漢詩のほうが多いかな。いえ、ベトナム、韓国朝鮮の作品も書いています)の解説を書いているジャンルもありますし、短歌や俳句、詩についても書いています。どうしても私は日本の詩歌の韻文よりは、漢詩についての方が書きやすいです。事実量はそちらがはるかに多いです。
 この頃は、「新約聖書『マルコ傳』」を文語で書いています。その前には、「新約聖書『マタイ傳』」と「唯円『歎異抄』」をすべて書きました。まあ、これは自分が理解するためにやっているのですね。

130210205.それにブログだけでなくケータイメールでもおおいに交換しています。もう娘二人だけでなく、妻や弟や女性たちはケータイメールのほうが、普通のメールよりもいいみたいですね。
 やがては孫たちや姪の子どもたちとも交換するようになるでしょう。いえ、今のところは、孫にはその母親父親に私が一方的に出しているだけです。そのうちにいつか、じいじのこともこの「ケータイメールで、何でこんなに書いてくるのだ」と少しは興味を持ってくれるかなあなんて期待しています。

6.私はこのインターネット上の将門WebにUPしている量は、ただただ量だけは、世界の米国にも中国にも私より上の人はいません。ただUPする数はタレントの中川翔子さん(私のブログのサイドバーでリンクしています)などのほうが上です。ただし、私は量だけですよ。質はダメに決まっています。 ただとにかくこうして日々書いていけることは嬉しいことです。私は月に、200くらいのUPをしています。
 それとここに私は読んだ本の感想文を「周の雑読」と称してUPしています。もう数は2,000に迫っています。とにかく、これを3,000書いていくはずです。やがては5,000を越えるつもりでいます。
 本を読むことはいいのですが、その読んだ思いを書くことが大事だと考えているのです。私はそれを書かない限り、本を読んだことにはならないと思っているのです。ただし、これは私の思いです。
 私は「司馬遷『史記』」の黄帝から始まる五帝から、夏(か)を終えて、今は殷のことを書いている途中(ちょっと殷のことを書く途中で止まっています)です。まだ書いて行きますが、周の西周の時代を少し書いたら終わりです。いまは思うことがありまして、書けていないのですね。
 いやそれ以降は、またいろいろと他の本でも書くことがあって『史記』だけと限らないのです。『史記』以外の本でも書いて行きます。とにかく、これは、今月中には書き終えます。

130210217.私が毎日書いておりました『吉本隆明鈔集』は私が過去書いたものは終わりました。もちろん、これからも書いていくつもりですが、まずはひとくぎりといたします。今は700を超える量をUPしております。
 私には吉本(吉本隆明)さんが亡くなられて、なんだかものすごく寂しいと同時に、もう俺も終わりにすべきかななんて思いましたが、それでは吉本隆明さんの言われていることと違うし、間違っている、もっと寂しくとも生きて行こうと思っています。
  吉本隆明さんが私のことを「律儀な人」と言われていまして、そんなこともないのだがなあ、と思いながらでも嬉しいです。その吉本隆明さんに言われたことを私も忘れないで、今後も生きて行きます。

8.この日本では、多分1万年から2万年くらい前から、私たちの祖先はこの日本語だろうと言われるもので話してきました。でも私たちと同じであろう書き言葉を使ってきたのは、たかだかまだ1,100年くらいしか経っていないのです。ちょうど紫式部や清少納言や更級日記の少女(この実際にこれらの書籍を書いた女性たちは名前が分かっていないのです)の書いたものは実に面白いです(いや私は『源氏物語』はその面白さがまだわかっていませんと言えるのですが)。
 誠に残念なことに、それらの女性陣より、はるかに時代のあとの悪左府藤原頼長の日記は、漢文で書かれており、私にははるかに遅れていた(内容はまた別なのだが、いや内容もものすごく面白くない)ものに見えます。
 だから私はこの時代の何人もの女性たち(わずかにかな書きで書いた男性もいますが)の思いを今も受け継いで書いていくつもりです。

130210229.上のように、読んだ書籍のことだけでなく「周の映画演劇館」と称して見た映画演劇に関したことも多く書いています。前には、いつも見た任侠映画のことを書くことが多かったのですが、今はこのごろ直前に封切になった映画も書いています。今日本映画はいいですね。最高だと思いますね。
 今私は64歳で老人ということで、映画は実に安価に見られるのです。そして必ず私はプログラムを買うのですが、数ヶ月前に「降旗康男『あなたへ』」はこのプログラムがすべて売れきれで困りました。
 もちろん、私のブログには、私の文章だけでなく、映画のいくつかのシーンの画像も入れていますよ。つい近頃は以下を書きました。画像もいくつも入れています。

  内田百里痢廈痢廚函峇屐
  弁天小僧菊之助の浜松屋でのセリフ
  白波五人男の口上
  犬童一心『のぼうの城』
  阪本順治『北のカナリアたち』

10.その他私のブログ将門Webでは「ニュース将門」「ニュースIT」ということで、いくつものことを書いています。つい近頃は次(以下は題名だけです)を書きました。

  中国の大気汚染が日本にも大きく影響
  岡倉天心のことで
    中国ハッカー集団
  「鬼の役割」という文を読んで
  アルジェリア人質事件で

 いや私はこの毎日のニュースでは、パソコン病や飲み屋についても、そのほかについても書いていますよ。

11.日経新聞の連載小説である「浅田次郎『黒書院の六兵衛』」も新聞読んですぐに書いています。明治維新という大きな転換点を、今までの歴史や文学では書きえていなかったと私は思え、この小説は私は漱石・鴎外や太宰治の小説を凌駕する作品だと思っています。
 私のサイトではこれがけっこう読まれています(いえ、毎日のアクセス解析で分かるのですよ)。

1302102312.またNHKの連続ドラマ『純と愛』についても毎日書いております。これは実にいいドラマです。毎朝見ていて、いくつものシーンで私はいつも涙しています。毎日といいましても、放送のない日曜日も書いていますよ。
 この番組は嫌いな方も多いようですね。それを私は私へのコメント・トラックバックでも感じています。

13.私の孫、ポコ汰、ポニョ、ポポ、じゅには私の将門Webのサイドバーに今日現在次のようにあります。

ポコ汰はいくつになったの? ポコ汰は1月3日生まれ
6歳1ヶ月7日♪
★7歳の誕生日まで327日★

ポニョはいくつになったの? ポニョは8月2日生まれ
4歳6ヶ月8日♪
★5歳の誕生日まで173日★

ポポはいくつになったの? 
ポポは2歳8ヶ月28日♪
★3歳の誕生日まで90日★

じゅにはいくつになったの?
じゅには2歳2ヶ月22日♪
★3歳の誕生日まで282日★

 私は上の三人へは、できるだけあまり行かないようにして、一週間に2回〜3回くらい行っています。いつもじいじはお菓子をもって行きます。でもいつも、「じいじは食べないの?そんなに甘くないよ」なんていわれています。
 じゅにの家は、千葉県君津市なので、遠いのですが、できるだけ行くようにしています。昨年12月にも保育園のクリスマス会へは参加しました。嬉しい楽しいクリスマス会でした。今度ナオキ君の実家の隣に家を新築するので(3月末に完成します)、その家にも行きたいと思っています。

14.娘おはぎ(ハンドル名おはぎ)にも、ブルータス(ハンドル名ブルータス)にも、手紙も書き、ケータイメールも出しています。その二人の彼にもケータイメールを出しています。こうしてケータイメールでやり取りできるのは嬉しいです。やがて孫たちとおおいにやり取りが続くことでしょう。

1302102415.できるだけ、手紙でやりとりをしたいと思います。それにぜひインターネットで、私の将門Webを訪れてコメントください。私がやれるのですから、誰でもインターネット上でサイトを持てるはずです。それにツイッターもフェイスブックも私はやっています。ぜひやりまして、たくさんの思いを共通にしていきましょう。 以上

13012310 米国グーグルが売上高が最高ということです。

http://www.nikkei.com/paper/article/?b=20130123&ng=DGKDZO50902290T20C13A1EB2000
グーグル、売上高最高に 米IT、復調も勢いに差
10〜12月 広告、スマホで堅調
グーグルはスマホ向け広告などが業績拡大をけん引(米カリフォルニア州マウンテンビュー市の本社)
 米IT(情報技術)大手の業績の回復ぶりに差が出ている。インターネット検索最大手のグーグルが22日発表した2012年10〜12月期決算は2四半期ぶりの増収増益。スマートフォン(スマホ)向けなどのネット広告が伸びた。一方、IBMはソフト事業の強化などで2四半期ぶりに増益となったが、売上高は1%減と3四半期連続の減収。世界景気が不透明なため、企業がIT投資に慎重なことを反映している。(日経新聞1月23日夕刊)

 そうなのかという思いですね。私はたしか自分の将門Web(これは現在の将門Webというブログとは違います)を開設したときから、このグーグル検索に注目してきました。他の検索がいちいち面倒だったのですが、グーグル検索は随分納得できたものです。いや納得といいましても、私には検索の仕方はさっぱり分かりませんでしたが、それでも自分のブログが検索されることには、実に嬉しい思いでした。
 少なくとも私にはヤフーよりは、充分にグーグルを評価したものです。その頃多くの友人等にこのことを述べたものでしたが、理解されないことが多かったものです。
 でも、このグーグルの次にこの世界を制覇していくことは何か、どうなるのかなんて思っています。

13011417 以下は昨日2013年1月14日に梅津正喜さんのお通夜で私萩原周二の持っていきました文書です。私の知っている友人に配りました。A42枚の用紙に両面印刷しました。本日の本葬でも配ります。
 なお葬儀会場は、北区セレモニーホールです。

 萩原周二よりの個人的情報発信     2013.01.14

1.昨年の7月20日の「日の丸土建」の同窓会では、楽しい時間を過ごせたわけですが、またこうして現実にみなさんとお会いできるのが、梅津正喜さんのお葬式では、なんだか私は気持がしおれてしまうわけですが、とにかく私はこうして、私の思うことを発信させていただきます。
 なお、これは明日15日か16日に私のインターネット上のブログ

   http://shomon.livedoor.biz/  将門Web

にも、この文章をUPします。なおその際に、梅津正喜さんと私以外の固有名詞は、別な名称(何かまったく関係ない文字)にいたします。
 ただインターネット上のブログですと、ちゃんとリンクも有効ですから、それでも見てください。紙の上で読むよりははるかにいいです。これは、私がいつも書いておりますいくつもの手紙でも実に感じていることです。
 ですから、あとでインターネット上でこの私の書いたものをご覧ください。はるかにちゃんとリンク先へ一瞬でいけることがいいことが実感できると思います。

2.梅津さんとは、私は日の丸土建と神田会でのお付き合いでした。彼が法政大学で運動をしていた頃は、私はほとんど知りません。
 ただ、私はその後は自宅は千葉県我孫子市で、事務所は御茶ノ水でしたから神田会(1年に7回ほど飲み会をやっていました)でお会いするだけでした。それで私が今のように東京北区に自宅も事務所も構えるようになったときには、彼はもう身体の具合が悪いということしか聞いていませんでした。

3.私はこの将門Webのブログには今日は今まで、6つUPしております。私はケータイでUPすることも多々あります。私のブログで一番多いのはスマートフォンIS01でUPしたジャンル周のIS01ブログというものです。
 ケータイでのUPと言いましても、スマートフォンですから量は少しは多いですよ。ただ私は普通にパソコンで書くほうがいいです、楽ですし、今のところはパソコンのほうが自在に内容も量も書けます。13011418
 もちろん私は漢詩(もちろん中国だけではなく日本の漢詩も。いや日本の漢詩のほうが多いかな。いえ、ベトナム、韓国朝鮮の作品も書いています)の解説を書いているジャンルもありますし、短歌や俳句、詩についても書いています。どうしても私は日本の韻文よりは、漢詩についての方が書きやすいです。事実量はそちらが多いです。
 この頃は、「唯円『歎異抄』」と「新約聖書『マタイ傳』」を原文で書いております。まあ第一には、自分が理解するためにやっているのですね。

4.それにブログだけでなくケータイメールでもおおいに交換しています。もう娘二人だけでなく、妻や弟や女性たちはケータイメールのほうが、普通のメールよりもいいみたいですね。
 やがては孫たちや姪の子どもたちとも交換するようになるでしょう。いえ、今のところは、孫にはその母親父親に私が一方的に出しているだけです。そのうちにいつか、じいじのこともこの「ケータイメールで、何でこんなに書いてくるのだ」と少しは興味を持ってくれるかなあなんて期待しています。

5.私はこのインターネット上の将門WebにUPしている量は、ただただ量だけは、世界の米国にも中国にも誰にも負けていません。ただUPする数はタレントの中川翔子さん(私のブログのサイドバーでリンクしています)などのほうが上です。ただし、私は量だけですよ。質はダメに決まっています。
 ただとにかくこうして日々書いていけることは嬉しいことです。私は月に、200くらいのUPをしています。
 それとここに私は読んだ本の感想文を「周の雑読」と称してUPしています。もう数は2,000に迫っています。とにかく、これを3,000書いていくはずです。やがては5,000を越えるつもりでいます。
 本を読むことはいいのですが、その読んだ思いを書くことが大事だと考えているのです。私はそれを書かない限り、本を読んだことにはならないと思っているのです。ただし、これは私の思いです。
 私は「司馬遷『史記』」の黄帝から始まる五帝から、夏を終えて、今は殷のことを書いている途中(ちょっと殷のことを書く途中で止まっています)です。まだ書いて行きますが、周の西周の時代を少し書いたら終わりです。
 いやそれ以降は、またいろいろと他の本でも書くことがあって『史記』だけと限らないのです。『史記』以外の本でも書いて行きます。とにかく、これは、今月中には書き終えます。

6.私が毎日書いておりました『吉本隆明鈔集』は私が過去書いたものは終わりました。もちろん、これからも書いていくつもりですが、まずはひとくぎりといたします。
 私には吉本(吉本隆明)さんが亡くなられて、なんだかものすごく寂しいと同時に、もう俺も終わりにすべきかななんて思いましたが、それでは吉本隆明さんの言われていることと違うし、間違っている、もっと寂しくとも生きて行こうと思っています。
  吉本隆明さんが私のことを「律儀な人」と言われていまして、そんなこともないのだがなあ、と思いながらでも嬉しいです。その吉本隆明さんに言われたことを私も忘れないで、今後も生きて行きます。

7.この日本では、多分1万年(いや2万年かもしれません)くらい前から、私たちの祖先はこの日本語だろうと言われるもので話してきました。でも私たちと同じであろう書き言葉を使ってきたのは、たかだかまだ1,100年くらいしか経っていないのです。ちょうど紫式部や清少納言や更級日記の少女(この実際にこれらの書籍を書いた女性たちは名前が分かっていないのです)の書いたものは実に面白いです(いや私は『源氏物語』はその面白さがまだわかっていませんと言えるのですが)。
 誠に残念なことに、それらの女性陣より、はるかに時代のあとの悪左府藤原頼長の日記は、漢文で書かれており、私にははるかに遅れていた(内容はまた別なのだが、いや内容もものすごく面白くない)ものに見えます。
 だから私はこの時代の何人もの女性たち(わずかにかな書きで書いた男性もいますが)の思いを今も受け継いで書いていくつもりです。13011419

8.上の本のことだけでなく周の映画演劇館と称して見た映画のことも多く書いています。前には、いつも見た任侠映画のことを書くことが多かったのですが、今は直前に封切になった映画も書いています。今日本映画はいいですね。最高だと思いますね。
 今私は64歳で老人ということで、映画は実に安価に見られるのです。そして必ず私はプログラムを買うのですが、今回「降旗康男『あなたへ』」はこのプログラムがすべて売れきれで困りました。
 もちろん、私のブログには、私の文章だけでなく、映画のいくつかのシーンの画像も入れていますよ。つい近頃は以下を書きました。画像もいくつも入れています。

  阪本順治『北のカナリアたち』
  降旗康男『あなたへ』
  犬童一心『のぼうの城』

9.その他私のブログ将門Webでは周のニュースということで、いくつものことを書いています。つい近頃は次を書きました。

  米長邦雄さんが亡くなりました
  私のIS01はスマートフォンなのかなあ
  livedoorだと歌詞が掲載可能なのだ
  サンゴが無くなっているといいます

 いや私はこの毎日のニュースでは、健康についても、飲み屋についても、そのほかについても書いていますよ。

10.日経新聞の連載小説である浅田次郎『黒書院の六兵衛』も新聞読んですぐに書いています。明治維新という大きな転換点を、今までの歴史や文学では書きえていなかったと私は思え、この小説は私は夏目漱石の小説を凌駕する作品だと思っています。
 私のサイトではこれがけっこう読まれています(いえ、アクセス解析で分かるのですよ)。

11.またNHKの連続ドラマ『純と愛』についても毎日書いております。これは実にいいドラマです。毎朝見ていて、いくつものシーンで私はいつも涙しています。毎日といいましても、放送のない日曜日も書いていますよ。
 この番組は嫌いな方も多いようで、それを私は私へのコメント・トラックバックでも感じています。

12.私の孫、ポコ汰、ポニョ、ポポ、じゅには私の将門Webのサイドバーに今日現在次のようにあります。

ポコ汰はいくつになったの?
ポコ汰は1月3日生まれ
6歳と11日♪
★7歳の誕生日まで354日★

ポニョはいくつになったの?
ポニョは8月2日生まれ
4歳5ヶ月12日♪
★5歳の誕生日まで200日★

ポポはいくつになったの? ポポは2歳8ヶ月3日♪
★3歳の誕生日まで117日★

じゅにはいくつになったの? じゅには2歳1ヶ月26日♪
★3歳の誕生日まで309日★

 私は上の三人へは、できるだけあまり行かないようにして、一週間に2回〜3回くらい行っています。いつもじいじはお菓子をもって行きます。でもいつも、「じいじは食べないの。そんなに甘くないよ」なんていわれています。
 じゅにの家は、千葉県君津市なので、遠いのですが、できるだけ行くようにしています。昨年12月にも保13011420育園のクリスマス会へは参加しました。嬉しい楽しいクリスマス会でした。

13.娘おはぎにもブルータスにも、手紙も書き、ケータイメールも出しています。その二人の彼ともケータイメールを出していますよ。

14.できるだけ、手紙でやりとりをしたいと思います。それにぜひインターネットで、私の将門Webを訪れてコメントください。私がやれるのですから、誰でもインターネット上でサイトを持てるはずです。以上

12082908  長春有情さんでさらに思いました。
 私の将門Webはインターネット上のブログなのですが、もう何人もの方が私を普通にインターネットもパソコンもできるということで、扱ってくれています。
 ところが私の大学時代の方もその上の60年安保世代も、実に私には「ダメだなあ」としか思えない方々ばかりなのです。いやこれはこうした学生活動家に限らず、私の高校時代の方々でも驚くほどの無知ぶりをさらしています。もうあきれ返るばかりですよ。
 これはこうした活動家関係の人ばかりでなく、それ以外の方々でも驚くばかりです。平気で、「インターネットなんか禁止すべきだ」なんていう人がいるんです。
 またメールにたくさんのスパムメールが来るので、それが私がみんな出していると思っている方、また海外の方でも、自分のメールへのスパムメールが誰々がやっていると思い込んでいる方がいます。
 もう私はそういう方のメールアドレスは廃止して、もう私には二度と分からないですが、それでもそういう阿呆な無知な方は大勢いますよ。
 もうその方の小さな子どもさんがあきれているばかりです。
 私は長年横浜の高校のクラス会をやってきましたが、ある方の「私にメールを送らないで」という電話で非常に驚いたもので、もう私は彼女のアドレスは廃棄し、それだけではなく、もうこのクラス会のことは一切やっていません。
12082909 私の友人でも非常に困っていて(米国に住む奥さんが怒っている。もうその子どもたちもその自分の馬鹿母親にはあきれていますが)、でも私はもうどう言ったらいいのか困っています。
 パソコンやインターネットが普通にできるということが何かひどいことができると思い込む馬鹿で無知な人がごく少数ですけれど、いるのですよ。
 あきれることですが、これは実に悲しい事実なのです。

12082411 私のこのブログは、URlが

   http://shomon.livedoor.biz/

です。2年半前には、shomon.net(これでしょうもんウェブと呼んでいたのでした)というドメインももっていました(いやまだあるのかな。前にドメイン料を何年か分を支払ったものです)。
 でももう「ドメインを持つ」という意味を感じなくなって、そしてこのlivedoorが好きになりまして、ここで有料サービスにしたものです。またもうすぐ有料の支払いの時期になります。
 それで「将門Web」を読めない人がいるのを知りました。歴史上の平将門(たいらのまさかど)は実在の歴史上の人物ですが、私は昔から、この人が大好きでした。この人のことを書いた書物(最初の軍記物と言われています)は、将門記(しょうもんき)と呼ばれておます。だからこの「しょうもんウェブ」を私のホームページ名にしたものなのです。
 2005年1月21日より、ブログを開設し、しばらくは、そちらは「ブログ将門(元将門Web)」としていましたが、今はこれ自体を「将門Web」としまして、元のホームページの将門Webは廃止しました。
 そして開設者は、私萩原周二(はぎはらしゅうじ)です。そして私は自分のことを「周(しゅう)」とハンドル名で呼んでおります。他の方も私のことを、そのように呼んでくれています。

 子母澤寛『親子鷹』では読まなかったなあ、と思われる話になるこの新聞小説です。

2012/07/20 05:03もう将門WebはいくつかUPしました。
「周の掲示板」のことでUPしましたが、IPアドレスの管理はもういっぱいのアドレスで、また整理しなくちゃあなと思っています。
1207200112072002「浅田次郎『黒書院の六兵衛』」はいつも日経新聞が入ってきて、真っ先に手に取り読んでいます。
 ここにあげた絵が海舟なのだが、この絵は私もよく想像できる海舟の姿顔で、「子母澤寛『親子鷹』」等々で海舟の親父のことはよく覚えているのですが、最後にある彼の曾祖父のことはいわば始めて聞く話です。ふーんそうなんだ(まだ話は始まったばかりですが)と思ったものなのです。
2012/07/20 05:45今王子教会の「週報」と「みちばた」をいくつか読みました。いつも「聖書(文語訳)」のマタイ伝は繰り返し読んでいます。ただ口語訳もいいものなのですね。この頃それをやっと感じられる12071905ようになりました。前には少しも分からなかったのでしたね。齢をとるということは無駄ではないんだなあ、と感じさせてくれます。

「聖書(文語訳)」だけではなく、口語訳も読もうと思っているこのごろの私です。しかし、道元に関する本はまだ読む気持になれないですね。

12060502吉本隆明鈔集は過去の将門Webに書いていたものは終わりました」へNORIさんから、以下のコメントがありました。

1. Posted by NORI   2012年06月05日 19:59
はじめまして。むかしの将門Web様時代から吉本隆明さんの記事を中心に「鈔集」も拝読させて頂いておりました。長い間有難うございました。区切りとして御礼申し上げたく、突然に失礼とは存じましたが投稿させて頂きました。

 わざわざありがとうございます。私の「隆明鈔」も、これで全部で700を超える量なのです。過去の将門Webに載せていたものも全部書き出そうとしたときに、こんなに膨大なものだとは、私自身もちゃんと把握できていなかったのでした。
 もちろん、今後も書いていくつもりですが(まだ私が書きたいもの、書くべきだと思っているものがあるのです)、なかなか実際に書けないものなのですね。
 ただし、また少しづつ書いていく気ではおります。この吉本隆明という方をこの日本が持てたということは、この私たちが目にすることができ、実際にその声を聞くことができたのは、実に仕合せなことだったと私は考えております。
 しかし、私などよりももっと吉本隆明さんに関しては、詳しく関心のある方がいると思うのですが、こうしてインターネット上にパソコンで書くというのが苦手なのでしょうね。とても残念です。
 今後も書いていくつもりです。

12060202 私が、過去の私の将門Webに書いていた「吉本隆明鈔集」は終わりました。
 最初の「吉本隆明鈔集1」を書いたのが、2010.10.24のことでした。もちろん、それ以前には、ここで書いていましたから、私の「吉本隆明鈔集」は、現在700を超える量になっています。
 今後はまた書いていくことになりますが、今までのように、毎日UPするわけにはいかないと思います。

12060103 身体の運動性がにぶくなってくるとともに、精神現象が身体に対して内向してくる。それまで、自己の身体に関心をもつのは怪我か病気のときだけだったのに、内向の度合いが、だんだんと増してゆく。そして、内向の程度が精神の半分以上になったとき、老齢の自意識が始まるのだという気がする。この自意識がどれだけ続くのか、外の人間社会の関係に戻るのかは、個人的にちがってくるだろう。わたし自身を振り返ってみると、飽きもせず現在も続いている。まるで少年がはじめてのことにぶつかったような調子で、まだ <考えること> が存在している。そして、決してこの精神状態をあなどったり軽んじたりする気にはなれない。しかし、青春期から成人期の前半くらいの活動の盛んな人からみたら、ばかげたことに精力をさいていると思うに違いない。わたし自身もそうだったし、もっと悪たれていえば、無関心に近かったと言うべきかもしれない。それでいいのだ。
『老いの超え方』2006.5.30「あとがき」朝日新聞社

 私もこの1年くらい前(これは2005年くらいの時です)から、気持が内向していると思います。内向で自己の人体の具合の悪さを気にするようになった。こんなことはかって私には無かった経験なのです。不思儀に思うと同時に、こうして吉本さんの言葉を読むと、私もまた誰もがたどってきた道を歩いていることを確認すると同時に、「でも同じようにすましてはいかないぞ」とばかり思っているところです。

12053109 ご老人というのは、普遍的にみんなそうではないかと思いますが、三時間から五時間が一眠りで、それ以上は目が覚めてしまいます。目が覚めてしまうとどうするかということが問題です。僕はうまくいく場合は、起きてしまったときに、暑かったら着替えをしたり、ズボン下を脱いだりして、二度寝をします。それからだいたい朝一〇時頃に目が覚めると、起きてしまってお風呂にでも入るというふうになります。それがなかなか口通りに行かなくて、三度寝になって、起きたらもう昼の一時半になって、あわてるということもあります。
『老いの超え方』2006.5.30朝日新聞社「第一部身体 第三章生活」

 私はもちろん、まだ老人とはいえない年齢(現在2012.06.01は一昨日が私の64歳の誕生日でした)であるわけですが、でも読んでいて、いつも頷いてしまいます。今私は昔のように4時間の睡眠ですむというわけではないですが、年をとったから、まさしく5時間が一眠りという感じです。よく朝5時代に起きています。そして6時すぎて、風呂へ入って、そのあとすぐ外へ散歩に行きます。そしていつも、その前後、こうして文章を書いています。まだ二度寝というのはしませんが、やがてそうなるのでしょうね。

12052906 充実させるには黙っているに限るとか、僕らだったら商売柄、それは書くに限るということですね。しゃべるのではなく書いているときの充実感というのがあって、書きながらしかものは考えられないものだと、そういうふうにしてしまっていますから。僕らは、もちろんしゃべるよりも書くのがいいし、言葉があるよりないほうが価値が、体の中充満するような感じになります。
 これは学者さんと違うところで、学者さんは頭で考えて、頭で進めていきますが、僕らは書かなくては思い起こせないということもありますし、書くから解決が出てきたということもあります。そういうのはちゃんと文章の中に入っていなかったら学者さんの文章になってしまいます。だから、僕らは手で書き、手で感じるというふうになっているんですね。
『老いの超え方』2006.5.30朝日新聞社「第一部身体」

 これは実にいいことを吉本さんが言われているなと感激しました。やはり私も、こうしてメルマガを書いたりブログを書いたりしている中でいつも考えているようになっています。こうして手で文章を書いているときにこそ、新しい考えが浮かんでいるのです。

12052804 これは、漱石の小説みたいな、特に『ぼっちゃん』に出てくる、坊っちゃんをかばってくれる老女がいます。お手伝いさんというか、ばあやさんですね。そういうのがいます。それが漱石の年取ったときの理想の人だったんでしょうね。そういうふうに書かれているから。若いときに、兄に将棋の駒をぶつけたら血が出た。それでおやじに言いつけられて、おやじから勘当を言い渡されたときに、その老女は、「私が代わりに謝るから許してやってください。この坊っちゃんは、素直で正直でとてもいい人柄です」と言って、かばってくれた。坊っちゃんが松山に行くときには、「坊っちゃん、偉くなったら私をまた雇ってくださいね」と親戚の家に身を寄せます。でも坊っちゃんはちっとも偉くならないで、先生を辞めて鉄道職員か何かになります。「ばあや、帰ったよ」と尋ねていくと喜んで、坊っちゃんも「じゃあ一緒に暮らそう」と。そういう人がいいですね。文句なしですね。
『老いの超え方』2006.5.30朝日新聞社「第一部身体」

 このことは、実は私にはよく理解できないことでした。「坊っちゃん」は少しも面白い小説ではなく、ばあやさんのことも理解できませんでした。なんだか、少し暗くて、私が溶け込めない小説にしか思えませんでした。でも今になって、すべてが判ってきたような気持になりました。漱石には、あのばあやが理想だったのでしょうね。そして吉本さんにも同じなのです。それが私は今になって、やっと理解できた気がしています。年を取るということは、無駄なことではないのですね。

12052802 老人になると医者がいうように運動性は鈍くなるし足腰は痛くなる。それは確かにそうです。だけどそれは通り一遍の理解の仕方ですね。それに精神を加えるとそれらの状態が極端に出てくることを実感するんです。要するに老人とは何かというと、人間じゃない、「超人間」だと理解するんです。動物と比べると人間は反省する。動物は反射的に動く。人間はそうではない。
 確かに感覚器官や運動器官は鈍くなります。でも、その鈍くなったことを別な意味で言うと、何かしようと思ったということと実際にするということとの分離が大きくなってきているという特徴なんですよ。だから、老人というのは「超人間」と言ったほうがいいのです。
『老いの超え方』2006.5.30朝日新聞社

 たった今義母の介護に拘わっている私には、なんだかとても頷いていることですし、そしてまたこのことを判りきっていけないところが私の側の問題です。思えば私たちは、この「超人間」の言動にかなり振り回されてしまうものなのです。でもやらなくちゃいけないんだ。さまざまなことは私たちこそが引き受ければいいんだ、と私は決意を新たにしています。(これは今2013.05.29のことではありません。義母は今年2013年の2月10日に亡くなりました。)

12052607「お前から専門のことを除いたら何が残るんだ?」といったら、「人間力が残るさ」ということです。つまり人間の理想の可能性というものをかんがえる力や実現する力といったものは残る。そのほうがただ「専門にしていることは残るよ」というよりはいい。ぼくはそういうかんがえをこの頃はいいますね。
『還りのことば』2006.5.1雲母書房「記<空隙>より出る言葉」

 これはやはり私には実に心強い言葉です。自分のやっている専門のことよりも、この人間力こそが残る、いや残るような人間力をこそ切磋琢磨しなければならないんだよな、と考えています。

12052603 たとえば極端なことをいうと、法律的な違反をしようとしまいと、そんなことは自由である。だけど違反したことが社会的な意味合いでほかに影響を与えてしまうのであったら、その個人 <自己としての自己> というのは利己的な自己ということになってしまう。こうなったとき、はじめて倫理的な部分が問われる。そういうことというのは、はっきりしておかないといけないですね。
 はっきりさせるにはどうすればいいんだというと、はじめから自分のなかではその分離が自覚されていて、それが行為なり思想なりとして出てくるというふうになれば、社会的に何かを問われるような、そういう過剰さや過小さというのは出てこない。
 だから「分離というのは人間力なんだ」という自覚をはじめに持っているかぎりは、出てくる自己は個人主義的であろうと、その個人主義が社会的に何かを問われることになろうと、そういうことに対して混同が起こることはない。
『還りのことば』2006.5.1雲母書房「記<空隙>より出る言葉」

 いや、何度読みましても、私が理解できえているのかというのははなはだ自信のないことです。今の私は何度も読み返して、現実の世界に当てはめて何度も自分に問い返していかないとならないでしょう。

12052501 <自己としての自己> あるいは <個人としての個人> (個人主義といってもいいんですけれど)というものは、たとえば政治家になろうと、実業家になろうと、学者になろうと、それはもう誰からもまったく制約されない、自由であるというふうになります。徹底的にそうかんがえたほうがいい。それをはじめから倫理的にいろんな制約をつくるようなかんがえ方をしたはだめであって、それはもうそれでいいんだとかんがえたほうがいいですね。政治家なり学者なり実業家になって、社会的な意味において <自己> というものを問うたときに、それが過剰だったり過小だったりということでもってほかに累を及ぼしてしまうというのだったら、そのときはじめて <個人としての個人> は批判、否定の対象となる。だけど <個人としての個人> というのを純粋にとり出した場合には、それはもう何になろうと何をしようと自由であるということです。
『還りのことば』2006.5.1雲母書房「記<空隙>より出る言葉」

 このことは、そういうふうに考えるように生きてきたつもりですが、もっと徹底して自分でそう考えていこうと思いました。ただ、これは吉本さんには、前々から吉本さんの核に存在する考え方のように思えます。徹底して自分は自由であると考え尽くすことが大事だなと私は思っています。

12052404 このかんがえを最後のところまで突きつめていくと、存在あるいは存在根拠というのが問われてしまう。その問われた場合には、つまり自分と外とのかかわり、他者との関係とか時代との関係といったあらゆる関係がぜんぶどこかに集約されて、集約されていながらその区別はきちっとついているという状態が、ぼくらが現在望み得る人間力としての最後の問題なんだとおもいます。だけど「終え前できているか?」といわれればとんでもない話で、しばしば逸脱している。
 そのことは自覚したうえで、でもそこまで集約できれば、それは現在であるかぎりは最後の問題がそこに集約されてしまう。そしてそれは一種の存在することの問題に帰着してしまう。そこまでうまくいけばいいわけだけど、いけないないのが今の状態なんです。かんがえだけでも、あるいは精神だけでもそこまでいきたいといっても、いまとってもいける根拠がない。
『還りのことば』2006.5.1雲母書房「記<空隙>より出る言葉」

 この最後の問題が、「存在倫理」だという。だが今の私には、とても判断理解できていないことである。吉本さんは、「なかなか難しいことになっている」と言われているが、私には、まず理解することから難しいことです。ただ、「こんなことなのかな」という思いだけはあるのです。だが、やはり自分の言葉では説明できないことにいらだってしまうのです。

12052310 ぼくは親鸞以外でいうとフーコーが好きなんです。やはりとても似ているところがあって、違う発想がありますね。ぼくなんかは、 <自己としての自己> なんていうわけのわからない言葉を使うけれど、フーコーは <自己への配慮> ということをいっています。
(『主体の解釈学』筑摩書房、『性の歴史  自己への配慮』新潮社
 その「配慮」という言葉は、哲学語としてはないんです。自己的でもないし、社会的でもない。ふたつの自己がはっきり分離されているという意味合いに通ずる形で <自己への配慮> という言葉を使っている。
『還りのことば』2006.5.1雲母書房「記<空隙>より出る言葉」

 フーコーの本は読んでも私には、いつも判りにくいだけでした。ただ、いつも吉本さんの言われることから、フーコーを理解しようとしてきています。そして今どうしてもうまく理解できていない自分を感じてしまっています。いや、ようするに私が明確に説明できないと私は大変に不満なのです。

12052012 結局、根本的にこの <自己としての自己> と <社会的自己> との分別あるいは分離というものを自覚していくしかない。それはいわば人間力を意識するということになるとおもいます。それができると、その精神性が外に現れたときには社会化して、 <自己としての自己> あるいは <個人的な自己> と混同することはあり得ない。外と内を混同することはありえない。あくまでふたつの自己の分離を自分のなかで自覚しないといけないわけです。その自覚というのは、ぼくの言葉でいうと人間力ということ自体の問題だというふうになってしまうんですね。
『還りのことば』2006.5.1雲母書房「記<空隙>より出る言葉」

 私が自覚できているはずだと思い込んでいる「人間力」ですが、でもよくよく考えると、このことができ得ているのかということを、絶えず自分に問うていかなければならないなと気がつきました。

12052101 一般的に文化というのは、食べることと笑うことが肝心で、そればっかりやっているようになってきたら、だんだんどんづまりまできたのかなというふうにおもいますし、実際、状況としてはどんづまりです。だけどどんづまりで何が残ったかというと、本能的にいちばん肝心だとおもうことだけが残っているというふうに、あからさまになってきちゃったかなという感じですね。
『還りのことば』2006.5.1雲母書房「記<空隙>より出る言葉」

 今の私は、ほぼ毎日酒を飲んでいた生活からは抜け出した感じです。そして、今は実にいろいろなものを食べるようになりました。そうすると、いろいろと新しいことに出会っている感じがしています。これは実に長い間私が知らなかったことに毎日触れられているのです。実に驚いているばかりです。

12051905 いまテレビでいちばん多いのは食いものの話ですね。芸にもなっていない若い芸能人が出てきて、何か食っては「うめぇ」とかいっている。そうじゃなければ、お笑い番組です。もちろんそれは人間の非常に大切な要素だから結構なことなんだけれど、「これだけかぁ?」というふうになってくると、どうでしょうかね。
 これも別な視点に裏返せば、とうとうどん底まできたよなってしまいますね。人間が生きる上でいちばん肝心なことしかテレビでやらないんです。肝心なことは何かといったら、お笑いと食べることになりますね。
 でもまず美味いか不味いかなんていうのはほんとうに食ってみなければわからないし、人によっても違うわけです。お笑いだって同じことで、誰でもちょっとしたことについて笑えるときもあるし、相当深刻でも笑えることもあります。逆に笑いというものの幅というか、時代の層が厚くなってきているということもありますね。
『還りのことば』2006.5.1雲母書房「記<空隙>より出る言葉」

 たしかにテレビを見ていると、このお笑い芸人が食いものに関係したことをやるということが実に多いように思います。そしてその食いものについての表現の方が大変に多くなったように感じています。これは、なんだか、「なんだかこれだけなのか」と思うところと、それでも、「じゃ、俺はこれに類したことを、どう表現できるのかな」ということをいつも考えています。

12051810 だけどぼくらの場合は批評の要素としてふたつのことがあります。
 ひとつは、作品はいずれにしろその作者のところに収斂するから、作者がどのような思想を持っているか、どのように思想を持っているかということ。どういう思想を持っているからこういう表現になるんだというふうな読み方です。
 もうひとつは、あの人たちは頭でかんがえる学問だから頭でかんがえるのでしょうが、ぼくらは文芸批評という「手」でかんがえる。これはもう全然違うんですよ。どこでどう違っちゃうかというと、だんだん年をとってくるとわかるんです。
『還りのことば』2006.5.1雲母書房「環相の視座から」

 私もずっと「手」でかんがえるというやり方をして来た気がしています。そしてそのことが私には一番いいことを私自身にもたらしてくれていた思いがします。それは昔から手紙をよく書いていたことでしたし、そしてパソコンを使い始めてからはより私の思いを書いてきた思いがしています。この手で書くということが、実に私にはいろいろなことを与えてくれてきたと思っています。私もこのことは、よく年をとれたといえるのかな。

12051802 ぼくは学問というのは本気でやったことがないんです。文学でも、自分の文学批評はやるけど、文学を研究することはやったことはないんですね。必要だから調べたりはするけれど、それ以上に関心を持つことはない。文芸批評であれば、その作品に批評をつければいい。もちろん批評の方法というのはあるでしょうが、そのほうが目的であって、文学の作品や作者を土台に自分の学問を深めていこうというかんがえは、あまりぼくにはありませんね。
(『還りのことば』2006.5.1雲母書房「環相の視座から」

 これは吉本さんのやる大事な方法なんだなと思いました。そしてこのことは、次に吉本さんが述べられていることにつながります。頭で考える学問をやるのではなく、手を動かして、手で考えるということです。

12051713 わたしは現在、老齢だといっていい。神社やお寺の境内の樹木には「ボールなげ」の禁止や、お寺の墓地で「遊ぶべからず」の札がぶら下がっていたりする。これでは時代を追って神仏が始源の精神活動の根元だったことを振り返る認識を持つはずがない。わたしは信仰がないから形態的僧俗にことさら関心をもっていない。けれど人間の精神活動の始源としての宗教への考察は持続している。それにもかかわらず、宗教家自体は衰弱を加えるばかりのように思える。現在の状況では、宗教家が宗教を解体できる言葉で考え、現在にこだわる思想が精神活動の人類的な始源に対する考察を深めてゆくことで、接点を明確にするよりほかに方法がないと思える。
(『還りのことば』2006.5.1雲母書房「まえがき」

 私も今たしかに老齢です。ただそれでも私もやはり「現在にこだわっています。そしてこの「こだわり」はまだまだ続いていきます。このこだわりをなくすときは、もう私が世界に関心がなくなっているときでしょう。

12051712 宗教というのは人間(人類)の精神的活動の始源になったものだ。これは様々な形をとって現在(二〇〇六年)にまで至っているが、大別すればその変遷は二つにわかれるといえよう。ひとつは外形を著しく変化させて倫理道徳になったり、さらに法律になったり、民族国家やその下の日常的な生活社会になったりして現在に至っている。もうひとつの精神活動は外形は宗教の形をとりながら、キリスト教、仏教、イスラム教、ヒンズー教、儒教や神道など、地域種族のちがいによって、さまざまな宗教を生み出している。
『還りのことば』2006.5.1雲母書房「まえがき」

 これほど明確によく言いきってくれているものです。概念としては判っているつもりでしたが、こうして言葉で書かれるとはっきりしてきた思いが私にはしています。宗教の中で、いろいろな形があることよりも、宗教が、倫理道徳になったり、法律になった元なのだということが今の私にははっきりしてきている思いがします。

12051507 思春期は性的な事柄が完全に生活のなかに入ってくる時期だ。幼少年少女期を「遊び」の時期とすれば、「性」が生活の全体を占めている時期ともいえる。「性」への関心の一部を割いて、高校から大学への歩を進める。または義務教育を終えて、一般社会での賃労働に従う部分もあるといえる。学校教育でいえば高校生から大学生に移行する時期、そのあたりを「思春期」と呼べば、そこでは完全に「性」が日常生活の体験のすべてに入ってくる。
「家族のゆくえ」2006.3.1光文社『第三章 性の情操が入ってくる───【前思春期・思春期】

 自分のことを思い出しても、このことはまったく頷いてしまいます。私の青春も、学生運動ばかりにあけくれていたように私自身も思い出いがちですが、同時にというか、それ以上に大きく私の中を占めていたのは、性とそしてその相手との愛の問題です。思えば、私の思春期とでもいうのは、19歳から25歳くらいのときだったと思いますが、闘っていた学生運動よりも、この性と愛のことが一番私の心を占めていたように思い出されま
す。

12051418 本居宣長は、神話は神話としてそのまま受け止めるべきだと、『古事記伝』のなかで述べている。折口信夫は神話について宣長とまったくちがった考え方をとっている。神話は諸国を流離する自分たちの境遇に似せてつくったものだと類推して創造したと見做している。神話の英雄も流浪するのだと、ひとつのクッションをおいた解釈をとっているとおもえる。景行の次子の倭建命も流浪する。神話の初代天皇とされる神武天皇も九州の高千穂地方から大和地方までの遠征の旅を、途中で滞在しながら、長い年月をかけて歩いてきたことになっている。これは諸国の民謡を唐突に「撃ちてしやまん」と結びつけていることからも推測できると、わたしは考えている。
 そういうところの勘は鋭い人だった。
「家族のゆくえ」2006.3.1光文社『第三章 性の情操が入ってくる───【前思春期・思春期】

 この吉本さんの言葉で、また「あそうなんだ」と折口信夫さんに関して判った気持になってくる。そして、こうしたところが、折口さんがまた戦後批判されてしまったところでもあるのだろう。でも、これはやはり折口さんの鋭く優れたところだなと私は深くうなずいています。

12051304 倭建命の物語は神話か事実の話かわからない。ただ日本の神話のなかでは唯一人間らしい匂いがするものだ。登場する人間の性格形成としても、いちばん具体性をもっている。戦前・戦中の日本浪漫派がもっとも力を入れたところだった。
 折口信夫は自己劇化としてこれを自らの宿命とみなしたのではないか。これがわたしの推測である。
「家族のゆくえ」2006.3.1光文社『第三章 性の情操が入ってくる───【前思春期・思春期】

12051401 なんだか、私はこの吉本さんの言葉で、始めて倭建命の物語が判った気がしています。そして折口信夫という人は、それが自らの身体で判ろうとしたのでしょうね。折口さんに私がたどり着けるのはいつのことになるのでしょうか。

1205121212051213 桑原武夫は俳句を作者名なしに並べてみせ、しらべれば芭蕉の句とありふれた俳人の句とを区別できないではないか。これは俳句などが第二芸術である所以だという論議を展開した。桑原武夫の意中にはたとえばバルザックの長編小説やドストエフスキーの作品があったのではないかとおもう。小林英夫は作者名も出さずに俳句を並べてみせれば芭蕉の俳句も常識的な俳人の作品もさして区別もできないというが、それは芸術の価値を内容の複雑さや形式的な大きさと勘ちがいしているのだ、芭蕉の詩魂は並の俳人に負けやしないと、バルザックやドストエフスキーの魂のリアリティにも負けないのだという考え方を述べた。私には優劣の論議の仕方が不充分だと思えるので要約すれば、作品の意味内容と作品の芸術的な価値とは別概念で、混同して論議はできないということに帰着すると思える。
2006.1.31思潮社『詩学叙説』あとがき

 昔桑原武夫が述べたときに、「何を言い出すのかな」と思ったのですが、その言っていることには反論することも思いもよりませんでした。でもこ吉本さんの言われることで、あのときの私の不明さが今充分理解できた思いがします。

2017010908

1205110312051104 勝海舟は現在知られているかぎりで、和歌・漢詩・俳句・長歌・歌曲(琵琶歌)などをのこしている。「おれは一体文学が大嫌いだ。詩でも、歌でも、発句でも、皆でたらめだ、何一つ修業した事はない」とうそぶいているように、海舟の和歌・漢詩・俳句・長歌などのうちとるべきものは皆無にちかいといっていい。ただ、青年時代に訳詩「思ひやつれし君」ひとつをのこしている。
「新体詩まで」2006.1.31思潮社『詩学叙説』

 これを読んで、すぐに伝えたい人がいます。彼は勝海舟の漢文の碑の書き下しとその意味をきかれたのですが、そしてそれをやって提出したのですが、100%はよく判らなかったそうです。でもそれがいわば正解ですね。でも、そのことの訳が判らない人ばかりなように思います。

12051013 日本の近代詩が七・五調の音数律を捨て去って韻律を内在化したとき、その内在化に見合った直喩や暗喩の喩法を成り立たせた。そして同時に言語の音律からも解放された。これが多分、近代以後、詩が音数律を失ったいちばん重要な代償だったと思える。もちろん七・五の音数律を失うべき理由を手にしたあとでも、蒲原有明や薄田泣菫やそれ以前でいえば山田美妙のように四・七調や五・三調その他音数のヴァリエーションは、さまざまな形で試みられたが、さほど意味をもたないままに、失われてゆくほかなかった。
「詩学叙説」2006.1.31思潮社『詩学叙説』

12051014 なんだか、これまた「なるほどそういうことだったのか」と私は頷いています。それはどうしても不得意な思いを抱きながら作っていた中学時代の私の詩の形を今になって、その意味が判ったような気持になっている思いなのだ。価値はないけれど、意味はあったのかもしれない。だけど、それは私が詩が変わったことには気がついてはいなかったこと示していたのだ。

1205091112050912 近代の詩が西欧近代を文明開化として受け入れようとしたとき、詩人たちは七・五調の長歌の伝統的な形式を基にして新しい内容の叙事・叙情詩を作ろうと試みた。このことは、伝統の古典秩序のなかに西欧の近代秩序の分離された諸相をはめ込むことで、当然、異和を引き起こした。西欧近代の精神秩序を重んじて表現すれば、七・五音律の秩序は乱れることになるし、七・五調の形式秩序を固執しようとすれば、西欧近代の精神秩序は、形式の枠組みから制約されることになる。たとえば北村透谷の「蓬莱曲」のような長編譚詩は前者の例であり、藤村の『若菜集』の詩篇は後者の例にあたるといってよい。
「詩学叙説」2006.1.31思潮社『詩学叙説』

 こんなことを指摘しているのは、やっぱり吉本さんしかいないのではないか。今、この日本近代の詩人たちが抱えてしまった問題を考えてしまいます。この違和感の中で、各詩人たちは実に呻吟していたのだろうなと今やっとそのことに気がついた思いが私はしています。

1205080312050804 文芸のうえで西欧近代の特徴は何か。要素的に考えれば単純に言うことができる。言語表記のうえの人物、その情念などは、たとえ一人称で記されていても記している作者その人とは別と考えるべきこと。そして作中人物のあいだの関わり方は、外からも内からも描写して物語化することができること。その舞台となる場は、物語とは別の次元にある地の文で行われていること。そして作品の全体を見渡せば、かならず作者の人間像を浮び上がらせることができるが、登場する人物の像と、作者の人間像がどんなに似ているように思われるときも、短絡して結びつけることができないこと。これくらいの条件が揃っていれば、西欧近代の文芸の条件を具えていると考えていい。近代初期に詩人たちが、七・五調のなかでこれらの条件を分離した像で盛り込むことは困難をきわめたといっていい。
「詩学叙説」2006.1.31思潮社『詩学叙説』

 確かに日本の短歌と俳句の流れの中で、新しく詩を創造していくときに、このことは驚愕といってもいいほど困難なことであったろうと思います。それでも詩を書いていかなければならなかったところを、私たちはよく見ていかないとならないと感じています。それは、今の私たちの抱える詩の問題にもつながるのではないかと思うのです。

1205070112050702 日本語はアクセントの強弱や高低はあまり意味をもたず、訛音(なまり)と区別できない。別の根拠からいえば、アクセントの強弱や高低は一義的に決定できないほど、平板なためだといっても、同じことだ。「うミ(海)」と「ウみ(膿)」は一応アクセントの別が設けられるが、逆になっても、文脈の上から区別できさえすれば、許される。地域的な訛りの違いでもありうるからだ。また「水」を「みズ」と言っても、異なった語彙としてかんがえられるほどのアクセントのきびしさはない。またアクセントの強弱や高低によって「水」と「見ず」が混同されることもない。こういう視点からみれば同音異語の多さは、日本語の特色とさえいえよう。
「詩学叙説」2006.1.31思潮社『詩学叙説』

 私は外国語との比較が明確にできないから、はっきりとは判らないわけですが、中国語やフランス語を思い浮かべると、「そうなんだろうな」なんていう想像がしてくる。このことは私たちの使う日本語の大きな特徴なのだろう。だから私たちは外国語を学ぶときに、大変な思い、気恥ずかしさと言っていいようなことを感じることでもあるのだ。

1205060112050602 七・五調と呼ばれている音数律は、『記紀歌謡』や『万葉集』時代からの韻律の決定論だといえよう。面倒な考察をぬきにしていえば、決定論だという根拠は二つだとおもう。ひとつは日本語の音声の長さとして、自然な呼吸に最適なこと、もうひとつは、どこ語彙も必ず母音で終わるが、この最終の母音は除くことも加えることも自在なこと、この偶奇二つの音が同じことによっている。たとえば卵は「タマゴ」と仮名書きできるが、「タマゴ」の「ゴ」は「ゴ」で止めても「ゴォ」「ゴゥ」でも同じ音韻とみなしてよい。これは呼吸の自然さと併せて奇数の五・七としても偶数の四・六や四・八あるいは六・八としてもおなじことになる。この音数の両義性を理由にして、詩歌の音数は奇数の言い方で七・五調を定型とみなす根拠が生じている。もちろん偶数呼びで四・六調とか六・八調といってもよいわけだ。この音数律の定型と音数の自在さは、いつも不変だと見做してよい。
「詩学叙説」2006.1.31思潮社『詩学叙説』

 今も七・五調は、今の私も知らずに使っていると言えます。ただ、ここに書かれている内容は、私にはまだ理解できていません。ひょっとしたら、私は、記紀歌謡からはじまる日本の詩歌をまったく理解できていなかったのじゃなかろうか、と大変に不安な気持をかかえているところです。

1205050112050502 戦争中のぼくは、社会の中での自分の役割と、個人的な内面を、ごっちゃにしていました。だから戦争に負けて、社会ががらっと変わったとき、個人としての自分までが、立っている足もとの地面が揺らいで、この先どう生きていっていいかわからないような状態になってしまったのでしょう。「社会的な個人」と「個人としての個人」を自然に分けるのは難しいことですから、あくまでも理念として分離する修練をしたほうがいいと思います。
 自分の中で「これは社会的な個人の問題だから、役割は果たしておこう」「これは個人としての個人の問題だから、社会からどうこう言われたくない」と、はっきり区別する。そうすると、不必要に傷ついたり、自分が分裂して悩んだりということが少なくなると思います。
 どちらかに偏るのではなく、なるべく両方のことを考えながら、しかもはっきりわけておくことが大切です。
「13歳は二度あるか」2005.9.30大和書房「第2章社会と関わる、自分を生きる」

 このことは大事だなと思いました。これをごっちゃにした言い方によく出会うことがあるものです。だが問題は自分自身がごっちゃにしていないかを絶えずわきまえておくことだと思っています。

12050403 自分にはどうにもならないところで、世の中が180度変わってしまう。そういう経験をすると、大きな衝撃を受けると同時に、生きていること自体が虚しくなってしまいます。
 玉音放送を聞いたときのぼくは、まさにその衝撃と虚しさの中に突然、ほうり込まれた状態だったのです。
 そのとき以来、ぼくは今までこうつねにこう思ってきました。今世の中がどうなっているか、どんな方向に動いているのかを、いつも自分なりにつかんでおくべきだ。そうでないと、自分の意志とは関係ないところで社会に大変動が起こったとき、とんでもないことになってしまうぞ、と。
 大切なのは、今の時代のすがたを自分で判断することです。
「13歳は二度あるか」2005.9.30大和書房「第1章新聞を読む、時代をつかむ」

 この吉本さんの言われることに、ものすごく同意してしまいます。私が覚えているのは、中学生のときにケネディ大統領の指導のもと、キューバに反カストロ軍が侵攻したときの思い出です。あのころから必死になって新聞を読んでいたものでした。新聞で事実を確かめ、自分の頭で判断しようという姿勢はそのときから私にはあった気がしています。

12050204 皆さんの友達づき合いの中でも、「ここだけの話だけど、特別に教えてやるよ」などと言って、誰かの噂話をする人がきっといることでしょう。でも、そういう話は無視するか、または「本当なのかな?」と気になった場合は、直接、その当事者に尋ねればいいのです。本人に聞くのがいちばんいい方法です。
「13歳は二度あるか」2005.9.30大和書房「第1章新聞を読む、時代をつかむ」

 これもまた充分に納得してしまいます。というよりも、これもまた私がずっとやってきた方法でした。「特別に教えてあげる」などというたぐいの話を、まず私は信用したことがありません。ずっとそういう姿勢で私はやってきたものです。

12050109 いわゆる「消息通」とか「情報通」とかいう人がいます。特別なコネがあったり、情報通をもっていたりして、普通の人の知らない裏事情に通じていると自称している人のことです。
 こうした人が「ここだけの話だけど」「自分だけが知っている情報なんだけど」と言っている情報を、ぼくは信用していません。
 ぼくのところにも、新聞記者などからそうした情報がもたらされることがありまが、たいてい間違っています。
 見方が偏っていたり、小さな一部分は正しくても、それにとらわれて、全体としてみると歪んでいたり、ずれていたりするのです。
 他の人が知らない限定的な情報を手に入れようとするよりも、新聞や雑誌に載っているような、あらゆる人に公開されている情報を総合し、取捨選択して、社会のすがたを把握する能力を養うことがずっと大切です。
「13歳は二度あるか」2005.9.30大和書房「第1章新聞を読む、時代をつかむ」

 これを読みまして、もうほとんど納得しています。私も若いときから、まったくこれと同じでした。「情報通」とかいう方の話をそのまま信用して聞いたことはありません。むしろ、新聞にしろ、何にしろ、多くの人に公開されている情報のほうが大事だといつも思ってきました。

12050113 偶然「日本映画専門チャンネル」で山口瞳を思い出していました。

2012/05/02 07:47もう私のブログ「将門Web」にはこの「周のブログ」はUPしました。
2012/05/02 08:14相変わらず「梅ちゃん先生」を見て、また涙になってしまします。
2012/05/02 10:30今テレビをつけたら、「日本映画専門チャンエル」で、「江分利満氏の優雅の生活」をやっていました。私はいつもこの原作は私のすぐそばに今も置いてあります。「優雅の生活」も「華麗な生活」も何度も読んでいます。高校2年のときに読んでいたのかなあ。
 山口瞳は全作品(ほととんど)を読んでいますが、でも「男性自身」のみが、すべては読んでいません。8割くらいは読んでいるのではないかなあ。
2012/05/02 10:48こうして今はテレビを見ている私なのです。 

 いつも山口瞳を思い出しました。彼の好きな目白の飲み屋も行ったものです。彼のいう目白の店の「キリキリシャンとしたおかみさん」の表現を読みたいと思い、今本を探したのですが、「華麗な生活」はあるけれど、「華麗な生活」はどこに行ったのかなあ。横浜の白楽の古書店で、高校2年のときに買いました。

12043005 たしかに「制度としての実朝」という役割をずいぶん意識的にも無意識的にも実朝はさせられたし、担っていったと思いますね。特に、そういう言葉を確か使ったと思いますが、宗教的といいますか、「祭主としての実朝」といいますか、とにかく源氏の氏神が関東の近いところに二カ所あってそこにお参りするというのは実朝の役割として欠かさずやっていく。そういう役目も制度のなかの役割だったと思いますね。征夷大将軍は名ばかりでそれらしいことはあまりしていないのですが、祀り事みたいなことはいつでも欠かさず、年中行事のようにやっていたということはあると思います。それと同じで「制度としての教師」というのは、今の学校という秩序と先生が演ずる役割ということの秩序みたいなものとその両方を負わされていて、そういう役割の時にはもう学童の方を向かなくてても反対向いていたっていいんだよ、という感じがしますし、それはしょうがないのだということですね。今の学校制度の中では、子供とは遊ぶとき付き合う以外ないよ、「制度としての教師」を外すならそれ以外ないよという感じがします。
「子供はぜーんぶわかってる」2005.08.25批評社

 実朝のことをいわれて、こう言われるときに、私は逆に実朝のことも、そして今の教師のことも少しは判った気がしています。実朝は、「制度としての実朝」という役割を果たしたが、やがて殺されてしまった。教師は今どうなんだろうか。今は子どもと遊ぶしかないということに、私はものすごく納得もしてしまう気がするのです。

12042906 そうしますと人間の総量というのは年齢にふさわしくだいたいが同じなのではないかと思います。アバウトで言えば人間としては変わりがないのです。知識を増やせば知識を増やした分だけ他のことについての見解や体験とか考え方とかはあまり豊富でないということになります。この学校は世間からあまりよく言われていないけれども、学生はすごくいろんなことについてちゃんとした考えをもっているじゃないか、見解を披露しているじゃないかとわかったんです。それでこれはちょっと違うぞ、社会的にというか世間的にというか一般社会のいう学校の優劣や人間の優劣は、総合的に見ると、───僕は勝手に「人間力」という言葉を勝手に作っいるのですが───、「人間力」においてはまず何の隔たりも変わりもないと思いました。
「子供はぜーんぶわかってる」2005.08.25批評社

 これはもうすごく納得します。私もこういうことに気がついていたような思いがあります。もちろん吉本さんが言われて、私はその大事さにはじめて目が醒めるように気がつくわけなのですが。でも、このことはもっと多くの人が判ってほしいな。ただし、また一番理解できないことでもあるでしょうね。

 この人間力というのは根本的に何なのか。一言でいうと、自己についての自覚ということになります。
 つまり思考することと実行することの間にはあるひとつの空隙、分離があって、その分離のなかに人間だけが言葉を見出したりするわけです。ある何かを行うことがいいことか悪いことかというのは、かんがえではよくわかっているんだけれど、実際にそれを行うことの間には完全に分離がある。この分離が非常に重要なことで、その場合にはかんがえる自己であるところの <自己としての自己> と、何かを行うところの自己である <社会的自己> との分離ということになります。
『還りのことば』2006.5.1雲母書房「記<空隙>より出る言葉」」

 この分離した二つの自己を自覚しないとならないわけですが、私がそれをできているのかというのをいつも考えます。これが自覚できることが、私の人間力なのだから、絶えず私はそのことを自覚しているつもりです。

12042901 世界はどのような形態になるのか。私自身の段階づけでは「アフリカ的段階」と言っているが、アフリカ的段階のところが、意識的に主として農業を行う農業国としてとどまる。そうでない先進国は、どういう体制をとっていようと、混合体制のままハイテク産業のほうに収斂して、自然産業がだんだん減少していく。これは避けられない。だから、私は贈与関係で均衡を保っていって、農業主体のところにはハイテク産業のところからハイテク装置を無償で贈与し、逆に農産物を食糧分だけ輸入するというかたちに収まるのではないかと、漠然と予測している。
「時代病」2005年7月31日ウェイツの「あとがき」

 このことは、吉本さんは前にも言われていて、それが実に私には分かりにくいことでした。でも今は何故か納得してしまうのです。その私の納得の内容を私がもっと展開できなければならないと考えているのが、今私の段階なのです。

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