将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:尊皇攘夷

13051301 いや私の将門Web内の漢詩をリンクするのに時間がかかっていまいました。

2013/05/13 17:23おはぎの家にきましたが、私は一人です。でも今ポポがばあばと上がってきました。
2013/05/13 20:52もう家に戻って来ています。

2013/05/14 06:10昨日吉田医院で「カッパまつりラッキーカード」を「お孫さんと一緒に」ということで2枚もらいました。でもすぐに渡すと無くしてしまうかもしれないと思いあとで、17日(金)か18日(土)に渡します。まつりは19日(日)なのです。
 ああ、今NHKテレビを見ていて、タブレット端末を見ています。
 あ、また少し別なことですが、私の将門Webからも私の声が聞こえるようにしないといけないなあ。私は今私が詠うものを当然「黒澤忠三郎『絶命詩』」、と思いましたが、私の口から出て13051302きたのは「雲井龍雄『題客舎壁』」なのです。いやいや、もういくつもの詩が出てきました。今その詩をいくつも詳細に思い起こしています。「佐野竹之助『出郷之作』」も思い出していました。このポメラではちゃんと人名や漢詩名を書くのは大変なのですが、
 やっぱり私は、尊皇攘夷からは離れられないなあ。もちろん、私の尊皇攘夷は、薩長ではなく、水戸天狗党のものです。もちろん水戸諸生党は決して許せません。許しません
2013/05/14 07:39上の書いたいくつもの詩(たった4つですが)はポメラでは書くのが大変なのです。パソコンだと楽なのですね。
2013/05/14 08:38いくつもの詩をリンクします。

 私はここに関鉄之介の詩もリ13051303ンクするつもりでした(だから「たった4つ」と書いたのです。事実は「たった3つ」でした)が、なんと私はまだこのブログの将門WebにUPしていないのですね。詩句は思い出せるのですが、ここで書いていないとは、情けないです。

11091015 NHKの大河ドラマ『新撰組』をずっと見てきました。私は実に熱心に見てきました。ときには涙ぐんでいたりして見ています。
 私は歴史上の新撰組というのはあまり好きではありませんでした。なんだかただのテロリスト集団としか思えなかったからです。そして外部へのテロというよりも、内部粛清を執拗に日常的にやっていた集団という印象が強いのです。これまた私の嫌うところでした。
 そして私は、徳川幕府をあくまで守ろうとする姿勢は、私には赦せないものなのです。私はあくまで、尊皇攘夷であり、そして倒幕の姿勢がない勢力は嫌いなのです。ただまた同時に倒幕であっても同時にまた反薩長でもないと、これまた私は気にいりません。
 私はよくいろいろなところで詩吟を詠います。それで、それを聞いている方から、いわれるのが「白虎隊の詩を詠ってほしい」といわれることです。私は「会津は、私にとって敵でしかないので、詠いたくない」といいます。私は聞かれれば応えます。私は今も水戸天狗党が好きなのです。私の身体に流れる血もまたこの天狗党の血だと思っています。この天狗党の一番の敵が、水戸諸生党でした。明治維新のあと、この諸生党は会津にいきまして、会津藩とともに官軍と戦います。だが会津が破れたときに、新撰組の土方は、函館へ逃れますが、この諸生党だけは、何故か水戸に帰ってくるのです。この水戸で、天狗党と諸生党の最後の血戦が開始されます。ただの殺戮戦です。そして天狗党は勝利しますが、ただただ血が流れるばかりでした。これをただ黙殺するのが、当時水戸に蟄居していた、徳川慶喜です。彼が出ていって、何故止めないのだと私は心の底から思うのですね。なんで殺し合いを止めないのだ。お前なら止められるだろう、と。だから私は慶喜はもう大嫌いであり、少しも評価できない人物です。
 そんな私ですから、やはり新撰組は敵でしかないという思いなのですが、このNHKのドラマはよかったです。見ていて、どのシーンにも感激していました。
 新撰組をえがいた作品で、最初の清河八郎の「浪士組」がらえがいたのは、前にはありませんでした。私は知っているのでは、たしか昔漫画週刊誌(ビックコミックオリジナルだったかな)で、バロン吉元が、この「浪士組」の中山道をゆく過程を書いていたことがありました。私が覚えているのはそれくらいです。ただ、私は昔から清河八郎が好きですから、このドラマの描き方では少し不満でした。でも山岡鉄太郎の描き方なんかよかったと思いますね。山岡鉄舟は剣では、一番強いといわれましたが、生涯剣を抜いたことはないそうです。でもそんな鉄太郎が、浪士組の中で、清河八郎や佐々木只三郎の前で、うろうろしている姿はいいものでした。本当にあんな感じだったのでしょうね。
 また藤堂平助もいい描き方でした。彼が江戸で、「私の尊敬する先生は二人いる」というシーンで、私は「一人は伊東甲子太郎か」という思いの中で、やがて至ってしまう油小路の死闘を思いました。「つらいよな、つらいよな」という思いでした。
 そして一番私がよかったのは、芹沢鴨の描き方です。佐藤浩一がよかった。あるときに、私の仕事の関係で、ある社長さんが言われました。

  沖縄の人はいいよね、あの愛ちゃん(ゴルファーで沖縄出身の
  女性)なんか、目がぱっちりしててね。…………………………

 私はその社長の言いたい思いがすぐ判りました。彼は茨城県の生まれで、彼の故郷は芹沢鴨の生まれたところなのです。芹沢鴨は、どこでも乱暴者のような描き方しかされていませんが、実は割りと小心者ではなかったかなんて言われています。そして彼は目が小さかったと言われています。私は、

  いや、HNKの今回のドラマでは、芹沢鴨の描き方はよかった
  ですよ。8月18日の政変の描き方は、史実の通り、芹沢鴨は実
  に格好よかったですよ。

といいました。その社長は、

  そうですか、それはよかった。私の生まれたところのすぐそば
  が芹沢鴨の出身地なんです。

と言って喜んでいました。
 ただ、私は近藤勇はやはりどうしても評価できないですね。あまりにも、どの暗殺の仕方も、惨酷であり卑怯すぎます。
 ただ、とにかく、一年間熱心に見てきた大河ドラマでした。
 このドラマが開始された頃、ある会合の席で、ある方が大声で、こんなことをいいました。

  俺は、もう『新撰組』を見ない。あれは歴史じゃないよ。

 すかさず私はまた大声でいいました。

  え、今までNHKの大河ドラマを歴史だと思ってみていたので
  すか?

 彼は絶句して、そのあと声が出ませんでした。
 こまったものだな、なんでテレビを愉しくみられないのだろうと可哀想なものでした。(2004.12.06)

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