将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:小林秀雄

13012614 今朝の日経新聞の36面の記事下の広告面に芸術新潮の2月特別号の小林秀雄があります。そこに

  美しい「花」がある、「花」の美しさというようなものはない。

という言葉があります。

『当麻(たえま)』という作品の中に書いてあります。花そのものに美しさがあるのではなく、ある花を見て、「美しい花だ」と思う自分がいるということなのでしょうか。
 これは同じく小林秀雄の『ロダンの言葉』に

  美しい自然がある。自然の美しさといふ様なものはない。

と同じだと思うのです。
 思い出せば、私が最初に『無常といふこと』を読んだときには、何も分かっていなかったのだな。またこの本を読み直そうと思ったのですが、どうしたらいいのかな。もうあの角川文庫はこの部屋にはないと思うのですね。

12100918Re.今日は10月8日です」だけでは書ききれませんでした。

今日は10月8日です。 投稿者:nelu(かわふくG)  投稿日:2012年10月 8日(月)14時20分41秒

 将門Webの一番下見たら、「livedoorblog  Premium」ってありまして

 そうです。私はこのブログを「livedoorblog  Premium」でやっています。最初は、ブログをやり始めるときに、ほかのブログサービス3つと比較しまして(実際に私のブログも4つとも作成しました)、それでlivedoorblogに決めて、それでさらにPremiumにしたものです。いつも8カ月くらいのペースで申し込みしています。いつも近くのコンビニから申し込んでいます。

 刑務所に入ったことはないけど、留置所は二回入りました。

 私は最初に府中刑務所に拘留されました。1969年の1月19日に東大安田講堂で逮捕され、やがて起訴され、8月20日に保釈されました。2回目は、同じ年の12月10日に浦和地裁前で逮捕され、翌年3月か4月に保釈されました。そして裁判は長く続きました。

 私は、西尾幹二さんはけっこう読んできました。好きな評論家ですね。
 それと、小林秀雄は好きです。岩波文庫の『無常といふ事』は最初は中学2年のときに読みまして、その後何度も読んでいます。短い岩波文庫ですが、次の6編があります。
「当麻」「無常といふ事」「平家物語」「徒然草」「西行」「実朝」です。
 私は「一言放談抄」が入っていると、今の今まで思っていたのですが、そうではないのですね。ドストエフスキーについて書かれたのも、いくつか読んできました。ドストエフスキーについては、もうこの人には到底かなわないなとしか思いません。
 ただ最後に書かれた『本居宣長』は私は少しも感心しません。読んでものすごくがっかりした思いがありま12100919す。「本居宣長は、源氏ですよ。はいさようなら」と折口信夫に言われたことが、やっぱり分からなかったのではと思うのですね。
 私は今も、「源氏は退屈だ」と吉本(吉本隆明)さんが言われることにすごく感心しますが(そして「吉本隆明『源氏物語論』」は好きです)、源氏を貶す人間は理解できないのです。

12030309 2012年3月3日のポメラの2への目森一喜さんからのコメントに次のように書いたことで、

 後水尾上皇の活躍が、でもでも分かりにくくさせたように思いますね。昔修学院離宮を歩いたときにも、絶えずこの天皇上皇のことが思い出されていたものでした。

 この天皇上皇は、私にはどうしても苦手な人ですね。あの広大な修学院離宮もどうしても好きになれません。
 そもそも私は、後水尾天皇(ごみずのおてんのう)というふうに、読みを入れないと、まともに読めないのですね。いや私はこの読みを入れたいがために、この文を書いたように思えます。
 隆慶一郎『花と火の帝』の作品も読みましたが、どうしても理解しにくいのです。この作品は隆慶一郎が亡くなったことにより未完ですが、あのまま書いていくのも大変だったでしょうね。隆慶一郎は小林秀雄を尊敬し、彼が生きている間は、作品を決して書かなかったのですが、なんとなくもっと書いてほしかった思いがします。
 私は彼の作品は、ほとんど読みましたが、もし、もっと早くから書いていたら、あれだけでは終わらなかったろうと悔やまれてならないのです。
 もう終わってしまったことです。仕方がないのですね。

 1970年11月25日三島由紀夫が、市谷で自刃したことに関して、吉本(吉本隆明)さんは、

  三島が<日本的なもの>、<優雅なもの>、<美的なもの>とかん
  がえていたものは、<古代朝鮮的なもの>にしかすぎない。また、
  三島が<サムライ的なもの>とかんがえていた理念は、わい小化
  された<古代中国的なもの>にしかすぎない。この思想的錯誤は
  哀れを誘う。かれの視野のどこにも<日本的なもの>などは存在
  しなかった。それなのに<日本的なもの>とおもいこんでいたの
  は哀れではないのか?
                     (試行1971年2月「情況への発言」)

といっています。そしてこの「日本的なもの」とは、本居宣長がつくりだした概念であるといいます。
「本居宣長」というタイトルにひきよせらて、この新書を読んでみました。れのです。

  本居宣長は(1730−1801)はたえず再生する。多くの
 変動と転換を経てきた近代の日本にあって、文化史上、思想史上
 の人物で、宣長ほど、その都度、高い評価をあたえられながら生
 き続けてきた人物は、親鸞などの仏教者を除いたらほかには見当
 らない。ことに戦争をはさんだ前と後の時期に、なお変わらない
 評価の高さを保ってきたことは、考えてみれば不思議なことでな
 のだ。宣長は近代日本のそれぞれの時代に、ある評価の高さをもっ
 てたえず再生するのである。

  私が再生というのは、直接に宣長その人をふたたび当代に甦ら
 せることだけをいうのではなく、「日本とは何であるか」を求め
 るような、日本人のする「自己(日本)」への言及、日本の自己
 同一性(アイデンティティー)を求めるような発言を近代のおけ
 る宣長の言説の再生だと見る、

11050704 著者は日本文化論宣長神話の解体ということで、宣長の「畢生の大業」である「古事記伝」の解体をしていきます。
 中国の史書に範をとった「日本書紀」ではなく、「古事記」にこそ「皇大御国=すめらおおみくに」の本当の姿があるという。「漢意=からごころ」でない日本があるという。だが漢意でない「やまとごころ」とはいったい何であるのでしょうか。
 それに対する宣長の答えは、「絶えず漢意を否定すること」と主張しているとしてしか思えないのです。これがこの著者の「古事記伝」解体なのでしょう。まったくそのとうりなのだと思います。
 だけどなぜ宣長はそう考えたのでしょうか。そしてまたたとえば、そんな宣長にどうして小林秀雄があこがれてしまったのでしょうか。

 ドストエフスキーやランボーに関する小林秀雄の文章を読んでいると、よくこれだけ読み込めるものだと感動してしまいます。それがこと宣長のことになると、どうしてああまで万歳してしまうのか。そこに三島由紀夫と同じ哀しさがあるような気がするのです。
 この本を読みおわっても、「なんだこれだけなのか」という不満が残りました。「本居宣長『古事記伝』解体」というような書名だったら、わざわざ買わなかったのに。「本居宣長」とあるのなら、宣長の源氏もやってほしかった。
 小林秀雄がはじめて折口信夫に会ったとき、「小林さん、本居さんはね、やはり源氏ですよ。ではさようなら」といわれたといいます。私にはこれが重要なのですよ。漢意を拒絶する本居宣長に肯定したり否定したりしてつきあって、いったいそれが何になるのだ。
「物のあわれ」に核心をおいた宣長の源氏こそ、絶えず再生する宣長の存在といえるのではないのか。
 平安時代、貴族の男たちは毎日漢文で日記をつけていました。そして婦女子が読む物語など、頭から馬鹿にしていたはずです。これは近代にいたるまでそうであると思われます。だが当の婦女子たちは、ちょうど少し前に現代の男の子たちがたちが、毎週「ドラゴンボール」を見たいがために「少年ジャンプ」買うように、あの時代の少女たちも、紫式部の物語を待ったことでしょう。そんな少女たちと、彼女たちの読む「物語」をきっとその時代の大人たちは愚かだと感じていたことでしょう(今と同じですね)。
 それを、それらの物語をはじめてまともに評価したのが、本居宣長ではないでしょうか。そこに私はいまも生きている、いまも再生する宣長を感じることができるのです。これが折口信夫がいいたかったことであると思います。宣長の怪しげな漢意を排するやまとごころなどにのっかって、自刃したりすることが、宣長を正当に評価していることではないのだ。
 またこの著者は宣長について書いてくれるのかな、などと思いますが、こんどはよく立ち読みしてから買いましょう。(1998.11.01)

11040405 私が隆慶一郎の作品で最初に読んだのは、『吉原御免状』でした。そしてそのあとは『かくれさと苦界行』を読んでいきました。ただどうしてもこの作家の作品には馴染める思いにはなりませんでした。
 思えば、どうしても私は小林秀雄を好きなことは間違いないことだったのです。やはりどうしてもアルチュール・ランボー『地獄の季節』(岩波文庫)の訳者の小林秀雄は忘れることができません。
 でもそんな小林秀雄に囚われているとしか思えない著者の作品には嫌になったものでした。この二つの作品で、主人公松永誠一郎に執拗に襲いかかるのは闇の柳生軍団ですが、これこそが小林秀雄なのです。だが、小林秀雄は実際にはそれほどの人物ではなかったように、その柳生のあとと言っていいだろうときに書いたのが、この作品なのです。
 その最初の二つの作品の主役の松永誠一郎とされたのは、実は誠一郎は後水尾(ごみずのお)天皇の落胤と言われているのです。
 この天皇は、大坂夏の陣が終わったあと、徳川幕府の最大の敵になりました。この帝のことを書いたのがこの作品です。ただし、この作品も作者の死で未完で終わりました。

 私が27歳のときに、京都の修学院離宮へ行きました。この後水尾上皇が作られた大きな庭園です。私はいつもこの離宮の中を後から、「もっと早く歩くように」と園の係に執拗に言われ続けました。その係の方の声とこの作品をいつも思い出しています。
 思えば、この天皇に関しても、少し書いていこうかなあ。

  私がこの本を手にしたのは、中学2年の3学期のことでした。私が読んだのは角川文庫でしたね。
 以下の6篇がありました。「当麻(たえま)」「徒然草」「無常ということ」「西行」「実朝」「平家物語」。みな短編ばかりです。この文庫本を再読したのは、もう50歳を過ぎていたものでした。
11032406 小林秀雄は、1902(明治35)年4月11日〜1983(昭和58)年3月1日の生涯でした。私は一昨日(2010.10.18)八重洲ブックセンターに行きまして、吉本(吉本隆明)さんの本を探す中、この小林秀雄の写真を表紙にしてある本を見ていたものでした。その写真の顔はなかなか私には昔から親しめないものでしたが、もう今ではもういつも思い浮かべる顔になっていました。
 私が五十代になって再読したときに、この『無常といふこと』に『一言放談抄』のことも書いてあるのだな、ということに気がついたものでした。この本『一言放談抄』は、私が当時必死になって読んでいた書物でしたね。私は吉本隆明さんの講演でこの書物を知ったものでした。
 小林秀雄の晩年に書いた『本居宣長』は私には少しも親しめない本でした。いや親しめないというより、少しも内容に感心しませんでした。でもこの『無常といふこと』という短編はいつ読んでも感心している書籍です。(2010.10.20)

10101708「ニュースさとう」で吉本(吉本隆明)さんの「書き言葉」と「話し言葉」ということを書きました(メインに書いたニュースは別のことです)。このことを学校でも教えてくれないかなあ。日本人はどちらかというと「書き言葉」を他の民族よりは優先しているように思えます。だってケータイでも、会話よりもメールをよく使うでしょう。このことは大きなことです。米国人や中国人では考えられないでしょう。
「読書さとう」はこれから書きます。小林秀雄にしようかな。フロイトの『夢判断』にしようかな。二人の顔を思い出しています。
 写真は、10月17日の午後6時05分に長女の家で撮りました。ポポもポニョもこの人形を触っています。この人形と会話することもあるのかなあ。(10/20)

10072103 熱中症が心配ですね。義母は朝そちらに出かけるときに、恐ろしいほどたくさん服を着ようとするので、それを抑えるのが一苦労です。
 小さな子も、熱中症が心配です。地面の照り返しが怖いのですね。保育園に行っている二人の孫のことをいつも心配しています。もう一人のポポのことも大事に思っていますよ。
「読書さとう」で「隆慶一郎『影武者徳川家康』」を書きました。彼は小林秀雄の存命中は小説が書けなかったのです(小林秀雄を尊敬していたのです)。このことは私は残念でなりません。彼はわずかに5年間しか作品を書く時間がなかったのです。それでもあれだけの作品を書きました。
 写真は22日の午後3時半に撮りました。私のそばの家の玄関の紫陽花です。(07/23)

09091003 きょうの日経新聞の2面の記事下広告は、新潮社の「隆慶一郎全集」(全19巻)でした。それで、私も「ああ、読んでいないのは、これで読んでみようかな」と思ったものです。
 でも、全巻は以下のようです。

1巻 吉原御免状
2巻 影武者徳川家康(一)
3巻 影武者徳川家康(二)
4巻 影武者徳川家康(三)
5巻 影武者徳川家康(四)
6巻 鬼丸斬人剣
7巻 かくれさと苦界行
8巻 風の呪術陣
9巻 捨て道子・松平忠輝(上)
10巻 捨て道子・松平忠輝(中)
11巻 捨て道子・松平忠輝(下)
12巻 見知らぬ海へ
13巻 死ぬことと見つけたり(上)
14巻 死ぬことと見つけたり(下)
15巻 一夢庵風流記(上)
16巻 一夢庵風流記(下)
17巻 花と火の帝(上)
18巻 花と火の帝(下)
19巻 柳生非情剣

 え、作品はこれだけでしたっけ。たしか最後に読んだのは、鎌倉へ行った電車の中で、「見知らぬ海へ」を読んでいました。北鎌倉で、この作品の内容について考えていたものです。
 その前に「死ぬことと見つけたり」を読んでいました。なんとなく、私は「えっ、『葉隠』の解釈は違うんじゃないかなな。おれは違うな」なんて読んでいました。その前には、「花と火の帝」を読んでいまして、はるかな昔行きました、京都の「修学院離宮」(これは後水尾上皇が作られたと言われています。この天皇が徳川家康亡き後、豊臣家滅亡のあと、秀忠に対して戦われた方です)を思い出していたものです。
 でも私は一番読み応えのあったのは、「影武者徳川家康」です。
 それで、この方の小説は必ず、いつも柳生一族が敵として、非情に主人公に襲いかかります。柳生は非情ですが、そして主人公は強いのです。いつも柳生を打ち破ります。
 私はあまりに、この非情な柳生一族が嫌でたまらなく、「なんであんなに柳生が非情に強いんだ」と、目森さんに聞いたものでした。そうしたら、彼は教えてくれたのです。

   この柳生というのは、隆慶一郎の尊敬する小林秀雄なのだ

 うーん、それで私は理解できたのです。登場人物はいつも柳生に勝利しますが、でもでもそれでも次々と襲いかかります。結局は歴史の通り、本当はいつも柳生が勝利していたのです。
 隆慶一郎は、尊敬する小林秀雄の存命中は、小説を書きませんでした。なんとなくそれが悔しいです。隆慶一郎の作品は、私は好きなものなのですが、でもでも少々不満です。それは、やっぱり、この小林秀雄のことがあるからなあ、なんて思っています。
 結局は、もうすべて読んでいたので、読む気がなくなりました。みな新潮文庫で読んだから、もうすべて古書店に売り払ったものでした。

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私の好きな日本人
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書 名 私の好きな日本人
著 者 石原慎太郎
発 行 幻灯社
定 価 1,600円+税
発行日 2008年11月20日第1刷発行
読了日 2009年1月26日

 私は、

 http://shomon.net/seikei/gai.htm 石原慎太郎の増税案に反対する!

というページを持っていますように、この石原慎太郎という人がどうにも好きではありませんでした。私はもう昔から、日本共産党が実に大嫌いですが、この慎太郎も同じような存在にしか思えていませんでした。
 でもだんだんと、ちょっとこの人は私が思い込んでいるような人ではないのかもしれないな、と思うところもずっと私には思えてきたものです。
 それで前々から、彼の本も(小説等々ではなく)読んでみようと思っていましたが、なかなかその機会がありませんでした。
 でも今回この本を読みました。普段は電車の中でしか本は読まないのでしたが、この本はパソコンの前で読み耽けり、そして26日夜中12時5分前に読み終わっていました。
 今後も彼の書いている本は、他にも読んでいこうと思いました。

 私には、上のように簡単に増税を言い出すようなことは、政治家として実に阿呆であり、嫌になるのですが、この本を読んでいて、「こんな人なら、あんな阿呆なことをいわなければいいのになあ」と思ったものです。
 本にあった、「著者略歴」と「目次」は以下の通りです。

<著者略歴>
石原慎太郎
1932年神戸市生まれ。一橋大学卒業。55年、在学中に執筆した「太陽の季節」により第1回文學界新人賞を受賞。翌年同作品で芥川賞を受賞。著書に『化石の森』(芸術選奨文部大臣賞受賞)、『光より速きわれら』『刀鋼』『生還』(平林たい子賞受賞)、ミリオンセラーとなった『弟』、また『法華経を生きる』『聖餐』『老いてこそ人生』『子供あっての親───息子たちと私───』
『オンリー・イエスタディ』など多数。

 以下はこの本の目次です。

目次
日本武尊―自己犠牲に徹した建国の英雄
織田信長―歴史を変えた本能的合理主義者
大久保利通―新生日本を創り上げた理の人
広瀬武夫―軍神
岡本太郎―自由と奔放の魅力
賀屋興宣―巨きなリアリスト
横山隆一―小さな巨人
五島昇―本物のダンディ
小林秀雄―無類な自由人間
奥野肇―感性における真の師
人生の原点

 どこも興味があったものでしたが、私にはとくに「賀屋興宣―巨きなリアリスト」が一番読みたいと思ったところでした。そしてこの人は名前は知っているけれど、どんな人だったのかということは、今回始めて私は教えてもらったものでした。
 思えば、小林秀雄とは、同じ横須賀線なんだなあ、なんて深く思ったものでした。
 ただ最後に書かれている奥野肇さんという筆者の高校のときの担任の先生の印象が私には強かったです。こういういい出会いを持たれている(いや、もちろん、その他の岡本太郎、横山隆一、五島昇という方々とのお付き合いも私には羨ましく、そしていいお付き合いだなあ、と思わせてくれました。

 とにかく、私には読んで実にいい本でした。私は石原慎太郎さんを、今始めて知った気がしています。

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 私の 吉本隆明鈔集「これまでいろんなことを偉そうに言ってきたけど、自分がやっていることは全部嘘で、全部ダメじゃないかと思いました」へ以下のコメントがありました。

1. Posted by 目森一喜    2008年11月18日 01:20
 もうずっと、今は自信のある事なんて言える時代ではないと思って来ました。重要なのは、自信のある事を言う事ではなく、間違ってもいいから、その都度、思う事、信じる事を言っていく事だと思って来ました。
 もう、みんなおっかなびっくりだから、後戻りして、ロクでもない言説ばかりが横行しています。
 吉本さんは、自信があろうとなかろうと、言うべき事はずっと言ってきて、偉いなと感じて来ました。
 ご自身で、自信を持ちきれない、ダメかもしれないと思いながらも、前に出ています。それは凄い事です。
 この原因は、マルクスがダメで、嘘だったようだという事です。吉本さんは、マルクスを、前よりはいいと思わなくなり、その事を言っているのではないかと、勝手に思います。

重要なのは、自信のある事を言う事ではなく、間違ってもいいから、その都度、思う事、信じる事を言っていく事だ」ということに深く頷きます。私なんか、羞しいことばかりですが、でも自分が思うことを、ここで述べるようにしてきました。いえ、ここだけじゃなくて、毎日書いている手紙にも、なんかのことを話すようにしています。
 そうですね。吉本さんは、前ほどマルクスのことをいわなくなりましたね。私なんか、マルクスの言うことをよく読み込もうとは思うのですが、どうしてもマルクスその人があまり好きにはなれないのですね。そばでいたら、面倒な人だと思うのですね。私には、どうしても合わない人だと思うのですね。でも懸命に理解しようとはしてきたつもりです。マルクス主義は駄目でも、マルクスその人そのものはいいのじゃないか、と思うようにはしてきたつもりなのでうが、やはりどうしてもマルクスという人も好きになれないのです。
 このことは、私のはどうしても大きなことなんですね。私はどうしても吉本さんは、その人そのものが好きなのですね。
自信を持ちきれない、ダメかもしれないと思いながらも、前に出る」というのは、大切な姿勢だと思いますね。おそらく、戦後すぐに、吉本さんは、高村光太郎に、小林秀雄に、何かを喋って欲しかったのだと思います。
 その意味で、今の日本がどんなに混迷していようが、一人の吉本隆明を持っていることは、私には大変に幸せなことなのです。

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