書 名 夏子の酒
著 者 尾瀬あきら
発行所 講談社
全12巻第1巻1988年12月17日第1刷発行

11051302 仕事で徹夜が続いたりして、その仕事が一段落して、何か酒が飲みたいなと思ったときに、どうしても私は飲みたい酒が「日本酒」でしかないないことを、身体から感じてしまいます。
 私はビールもワインもウォッカも焼酎も泡盛も飲みますが、やっぱり疲れたときなどは身体が日本酒を欲しているのです。このどうしても飲みたくなってしまう日本酒なのですが、実際にはどの日本酒でもいいというわけではありません。むしろ酒屋に並んでいる酒ではその味に満足できないものが多いと思います。ごく少数のいい美味しい酒と、大部分のまずい酒があります。そんな美味しい酒を作る酒造を舞台にした漫画があります。
  テレビでも放映された漫画です。

  昭和五十五年(新潟県三島郡久須美酒造)専務久須美記廸氏は、
 杜氏の会合で「昔、亀の尾という名米があった。その米で醸した
 吟醸酒は最高のものだった」という老杜氏の話を聞き、ほうぼう
 を探しまわった末に、長岡の農業試験場で亀の尾を発見したので
 した。
  わずか十本の稲穂を譲り分けてもらい、二年越しの栽培ののち、
 八十俵の収穫を得てそれをもとに『亀の翁』という素晴らしい吟
 醸酒を生みました。
 「酒造りは米作り、米作りは土づくり、土づくりは人づくりから」
 と語る同専務の志を端的に物語るこのエピソードを、なんとか漫
 画で表現できないものだろうかと考えたのがこの「夏子の酒」と
 いう作品の発端です。      (第2巻「巻末に添えて」)

 私は2度読んでみました。なんだか作中の夏子の酒造りに関する熱意と、それを支えているたくさんの人たちの愛に何度も涙が溢れてしまいました。ここまで酒造りに情熱をもつ蔵元があれば、それは間違いなく旨いだろうなと思います。
 この漫画の中に名前だけ出てくる埼玉の神亀酒造の専務さんとはお会いして一緒に飲んだことがありますが、確かに本物の酒造りに情熱をかけている方でした。現実の世界にも、この夏子のような酒造りに命をかけている人がいることは実感できます。

 もう過去の幻だった龍錦という米を必死に栽培して、それから酒を造っていくのですが、その米作りの過程からさまざまなエピソードで話が展開されます。ここで豪田という有機農業を一人でやっている男が登場してきます。この男のやり方を夏子は学んでいき、やがて村全体も同調していきます。私は絵でみる限りは、この豪田という人物は好きなのですが、言っているセリフはどうにも嫌になってきます。

  作物を売って利益を得ようとするなら  それはもう農業ではな
 い (おれたち百姓は儲けちゃいけないのかという問に) いか
 ん!  農作物は飢えの時も飽食の時も分かちあうものでなければ
 ならない まして国や企業の利益追及の手段であってはならない
 !! 農業に金と物の論理を持ち込んではならない!
  生命の倫理に立ち自然に感謝し 質素に生きること………!!
  それが百姓の条件だ

 私がそばにいたなら冗談ではないよというところです。日本の農業をあくまで守ることこそが大事で、そのためには農民はいまのままの姿でいるべきだと言われているようです。ちょうど井上ひさしの言っていることを思い出しました。井上もそんなに日本の田園風景と農業が大事だというのなら、自分で農業に従事してみればいいのだ。農民の一人一人が、都市へでていこうとしたり、あるいは農村の生活を変えようとしたり、自分の好きなようになっていきたいと考えるのはいいことなのです。どうして農民にだけ、つまらない倫理を強制しようというのでしょうか。有機農業が好きならただ黙ってやっていればいいのです。
 この漫画には少しそこのところが感じられるところが「ちょっと危険だな」なんて感じました。いくら世にいわゆるにせものの酒が横行しているといっても、大部分の大衆はそれを飲んできたのです。ただあまりのまずさに、日本酒そのものが誤解されたり、日本酒離れがおきてしまいました。だからこうして夏子のような努力はいいことなのです。

 ただ、いったい夏子はこの「夏子の酒康龍」をどのような価格で販売するのでしょうか。いくらいい酒といっても、私はそれがあまりの値段だったときには、いくら非難されてももっと安い三倍増醸酒を飲んでいくでしょう。本物の酒を追及してきた雑誌「酒」に、その広告面には「酒」が非難してやまない本物ではない酒の大手メーカーがのっていたことを思い出します。 それにしても、この漫画の最後に、やっと夏子が求めた「夏子の酒」が出来るところは感動的です。私もとにかく、こうした酒がのみたくなりました。

  感心される酒よりも感動する酒がつくりたい

という言葉がこの中で出てくるのですが、これはまったくこのとおりです。有機農業も、本物の酒も、どうにも感心させることばかりを考えていて、押し付けがましいのです。私は酒を造るあるいは酒を飲む思想がどうあれ、ただ口にしたときに、無性に感動してしまう、そうした酒に出会いたいものなのです。こうした言葉があることが、この漫画が私に最後まで読ませてくれた本当のところだと思っています。 (1994.11.01)