11053101 よく仕事で渋谷法務局と渋谷税務署へ行きますが、あの建物の東北の隅に「悲母観音像」があります。いつもお花と線香が絶えたことがありません。
 昭和天皇が亡くなった日、あの前を車で通りましたが、いつもよりたくさんのお花と線香の煙が見えました。その前で老年の紳士と婦人がなにか熱心に話されていたものです。
 あの悲母観音像は2・26事件の殉難者をまつる慰霊像です。あの法務局と税務署の場所で2・26の青年将校たちは銃殺されました。陸軍刑務所のあったところです。

書 名 磯部浅一と2・26事件
著 者 山崎国紀
発行所 河出書房新社

 私は過去いつも繰返し、2・26のこと考えてきました。そしていつも悔しい思いに涙してきましたた。昭和天皇が自分の意思を明かに出したのは、あの時と敗戦の時だけといわれています。いや思えばあれほど激しく自分の意思を表明したのは、この2・26の時だけといえるのではないでしょうか。

  朕ガ最モ信頼セル老臣ヲ悉ク倒スハ、真綿ニテ、朕ガ首ヲ締ム
 ルニ等シキ行為ナリ、...朕自ラ近衛師団ヲ率ヒ、此ガ鎮定ニ
 当ラン

とまで激怒したといいます。これはいったい何なのでしょうか。それなら、もっと激怒することがたくさんあったのではないでしょうか。何故このときだけなのでしょうか。私はこのことずっと考えてきました。いろいろな資料あたってきまし。そしていまはその答えが分かったつもりです。
 ただここでは、その問題を話すつもりではなく、それはまた別の機会に譲りたいと思います。ここではあくまで磯部浅一のこと考えていきたいと思います。
 2・26事件では17人の青年将校と2名の民間人(北一輝と西田税)が銃殺されています。もっとも、磯部浅一と村中孝次は軍務を解かれており、15人と4人というべきなのでしょうか。昭和11年7月11日15名銃殺。磯部、村中、北、西田の4名は翌12年8月19日。

 私はいつも思うのです。何故2・26の当日宮城に突っ込まなかったのでしょうか。

  二十六日中に、天皇を掌中に握り、反対する将軍や省部の佐官
 は全員を逮捕、収監し、国家革新への障害を主体的に排除すべき
 であった筈である。

 まったく私も同じ思いです。真に革命を考えていた磯部なら、絶対にやるべきであったと思います。彼らがあこがれていた幕末の志士たちはやったではないですか。大久保も、岩倉も、西郷もやり通したのではないですか。北一輝も「玉を奪え」と念じていたはずです(いや北がこのようにこの事件にかかわったということではありません。北と西田に関しては、磯部のいうとうりデッチアゲです。権力は何にしろ北の思想を殺したかったのでしょう)。それが何故磯部にはできなかったのでしょうか。
 荒俣宏「帝都物語」(つまらない小説と私は言ってしまいます)では、この2・26のところで、中島莞爾(私は2・26の決起将校の中で、一番この人が好きです)が、一隊を率いて宮城を占拠しようと向かうシーンがあります。この姿勢このやり方なんですよ。………この小説では、宮城の前で、突如として巨大な平将門が現れたちはだかります。中島莞爾が、

  本来、天皇の敵である平将門が何故だ

と叫ぶ………………とにかく磯部はやらなかった、できなかったのです。
 結局磯部以下、みんな政治を知らなかったということだと思うのです。経験がなかった。皇道派だろうが、統制派だろうが、年よりの嫌味な軍人たちのほうが2枚も3枚も上手でした。政治を分かっていた。磯部たちにはあまりに政治の修羅場を知らなすぎたのです。
 年は同じくらいでも、幕末の大久保や岩倉のほうが、ずっと政治の場数を踏んでいました。たとえ政治は汚いものであっても、その汚さを経験していないと、現実の局面では勝てないということなのでしょうか。
 でも、その磯部の最後の凄まじさは、獄中日記であるかと思います。私はひょっとすると、もっとこの磯辺の獄中の手記がまだどこかに存在しているのではないかと想像しているのですが、いまのところここまでなのでしょうか。
 
 「天皇陛下 何という御失政で御座りますか 何故奸臣を遠ざけ
 て忠烈無雙の士を御召し下さりませぬか」
 「今の私は怒髪天をつくの怒りにもえております、私は今は 陛
 下をお叱り申上げるところに迄精神が高まりました、だから毎日
 朝から晩迄、陛下を御叱り申しております、天皇陛下 何という
 御失政でありますか 何というザマです 皇祖皇宗に御あやまり
 なされませ」

 ここらが三島由紀夫が「英霊の声」を書いたところであるかと思います。三島は実に昭和天皇のことは嫌いでした。そして三島のあの最後の市谷の事件をもっとも嫌がったのも、昭和天皇であったと思います。もちろん、もうまさか

  朕自ラ……

とは言わなかったわけですが。

 私は今後も2・26に関する書物を読み続けていくかと思う。そして少しづつ分からなかったことを理解していけよう努力していくつもりです。
 それにしてもこの本では、青年将校の中で、ただひとり北一輝「国家改造法案大綱」を一点一角まで実現しようとした革命家磯部浅一のさまざまな面を知ることができました。彼の故郷のこと、妻登美子との熱愛のこと等々です。
 私はいまもまた渋谷の悲母観音の前でときどき、しばらく佇んでいます。(1998.11.01)