11052712  私は女性解放運動家の中では、山川菊栄だけには親しみを感じてきていました。ある人にそのことを言ったら、「そうか、山川菊栄は水戸だからな ・・・」なんていわれました。私がいつも水戸浪士の詩を吟っていることを知っているからです(私は生まれも茨城県です)。山川菊栄には、「覚書幕末の水戸藩」(岩波文庫)という著作もあり、私が山川菊栄で最初に読んでいたのはこちらのほうなのですが、これまた水戸藩の幕末に興味を持つ私には、たいへんに参考になった本です。

書 名   山川菊栄評論集
編 者   鈴木裕子
発行所   岩波書店
1990年10月16日第1刷発行

 この編者の鈴木裕子氏は、「山川菊栄集」(全10巻別巻1)の編集もやっておりますが、この評論集も彼女が全27編を厳選したとのことです。私は市川房枝のように大政翼賛会に参加し、戦争協力していった大部分の女性運動家と違って、この山川菊栄をかなり評価していたのですが、また偶然この鈴木裕子氏のような人がいるのを知り、自分の思うところに心強くなるばかりです。
  山川菊栄は1890年生まれで、日本の最初の社会主義者であり荒畑寒村や大杉栄には先輩になる、山川均の妻となり、1980年に亡くなりました。夫の山川均は、過激で元気な寒村や大杉栄のために、赤旗(せっき)事件に連座し(寒村自伝によれば、彼らが赤旗振って「無政府主義万歳」と叫んで警官ともめたのを、山川たちはとめただけだった)、だがしかし、このことによって大逆事件を逃れれたわけですが、この出獄後ふたりは結ばれます。
 私は、戦前のいわゆる「労農派」といわれる社会主義者たちのほうが、日本共産党になっていった部分よりはずっとこの日本を深くとらえていたと思っていますが、このことは、山川菊栄にもいえるように思っています。
  日本天皇制国家に一番反逆したように思えるかもしれないところの日本共産党の運動は、一見遠いところにいるかのような国家の発想と驚くほど似ていたと思います。やっぱり政治的課題が第一義的問題であり、それを解決すれば、その他の問題、例えば女性解放というようなことも解決されるというような思考があります。だから、国家に抵抗する活動家である男を、女はどうやってでも助けなければならない、というような傾向があります。小林多喜二の小説にはそうしたことがごく当り前にでてきます。このことが駄目なのだということは、いまでも声をあげて指摘しなければならないことだと思います。今も日本共産党に限らず、多くの市民主義者たちは、あいも変わらず政治こそ(しかも国会で多数を取ることがその政治だそうな)が、私たちを救ってくれるような幻影をまき散らしています。

      婦人部テーゼ
    日本労働組合評議会全国婦人部協議会発行  一九二五年十二月
 二五日
    (前略)
    ゆえに女子労働者をして階級意識に目覚めしむる第一歩は、ま
 ず人間としての自己の価値を知らしむることである。そして女子
 労働者の組織を促進する第一歩は運動の先覚者たり中堅たる男子
 労働者をして、女子を劣等扱いし、玩弄物視するところの封建的
 ブルジョア的、反無産階級的態度を捨てしめ、女子を男子と対等
 の人間として尊敬し、階級戦の戦線における、男子と同じ戦友と
 して取扱うことを知らしめるにある。

  こうしたことが、もっと強烈に菊栄のいいたかったことであると思います。そしてここでいうところの女子労働者への視線は、また日本にいる朝鮮人や台湾人労働者にも向けられているものなのです。

       人種的偏見・性的偏見・階級的偏見
                         『雄弁』一九二四年六月六号
    米国上院は排日案を通過した。正義人道の鼓を鳴らしてその非
 を絶叫する声がようやく高まってきた。
    米国の排日は、偏狭なる利己主義、手前勝手の愛国主義のほか、
 いかなる立場から見ても是認せられるべきでない。(中略)
    けれども米国に向って、正義人道、人種平等を主張してやまぬ
 わが日本人は、果たして米国に向って求めつつあるような、正義
 人道、人種平等を実行しているだろうか。
    かつてサンフランシスコの大震災の際に、米国の軍隊と警官と
 は、これを排日と人種的偏見を表現する千載一隅の好機として、
 日本人の大屠殺を試みたことがあるだろうか。昨秋の大震災(関
 東大震災のこと−周)に際して、朝鮮人と労働者とが遭遇したよ
 うな運命に、日本人は米国で遭遇したことがあるだろうか。
    朝鮮人、台湾人、異種族の国民に対して、政治的、社会的、経
 済的に、内地人と平等の待遇が与えられているだろうか。
    さらに、同じ内地人の中においても、婦人と労働者は、国民と
 して当然負担している義務に対して、当然享くべき権利を享けて
 いるだろうか。
  (後略)

  あのキリスト者であった内村鑑三でさえ、あのときの震災では朝鮮人におびえ、木刀を構えていたといいます。そうしたときに、これだけの視線は現在でもまた主張すべき反差別の声なように思います。
  だが日本はしだいに戦争への道を歩みはじめ、彼女の夫山川均などの無産運動は困難をきわめていきます。大部分の婦人運動家が、こうした時代のながれの中で、大政翼賛会に転じていきます。その中で、こうした時代の流れに粘り強く菊栄は抵抗していったといえると思います。満州事変への時評である「満州の銃声」、ナチスの婦人政策を批判した「ナチスと婦人」等々にそれは表われています。
  こうした時代の流れの中で、多くの婦人運動家たちが、怖ろしいくらいに退化していきます。国家に向っているのではなく、大衆国民を国家の意向にそうように積極的に行動していきます。それがさも婦人の解放の道であるかのように思考していくのです。ちょうどこのことは現在にも大いにつながる問題があるように思います。
  現在の不況がまだ今ほど顕在化しなかったころに、この不況が私たち国民が思い上がった贅沢をしたからだ(私は「清貧の思想」なんて、こうだと思っている)というような傾向がありました。消費税のことでも、何故か近所のたくさんの小さなお店が、免税分、簡易課税分によりそれをふところに入れてしまうから、いけないのだ、国家よもっと厳しく徴税しろというようなことをいう傾向があります。けっこうな市民主義者、進歩的といわれる婦人評論家などに多いように私には思われます。これこそまさしく、山川菊栄が、1939年(昭和14)6月25日の東京朝日新聞に載せた文でいっていることで指摘できるでしょう。
  この中で彼女は、当時「女子部隊」とか「督戦部隊」とかいって、婦人のみで「消費調査の突撃隊」などといって、浪費者や遊蕩者を尾行したりする行動を、「一体誰が誰に向って『突撃』するというのか」といって、いましめています。
  まったく今も「進歩的」「市民主義」とかいわれる婦人評論家なども、この突撃隊と同じです。私たちが、私たちのまわりの中小の商店主と面白おかしく、掛け合いで買い物したりする関係を、

 「いや、よく調べればね、あのひとたちは、消費税をふところに
 いれているのよ」

と嘘八百で啓蒙したいわけなのです。

       婦人の団体行動
              『東京朝日新聞』  一九三九年六月二五日
    こういう不用意な表現の中に、消費者の注意を促す謙虚な誠意
 よりも、民衆を蔑視する驕慢な思い上がり、少数の浪費者のみで
 なく、消費者大衆に対する挑戦的な表情を感じたものは、一人や
 二人ではなかった。

  まったくこの山川菊栄がこの時代の婦人団体の行動かつ思想に感じたことをいままた多くの婦人評論家に感じてしまいます。
  しかしそうはいっても、けっして今が絶望なのではなく、こうした山川菊栄をはじめとする多くの女性もきっといることを、力強く信じていきたいと思っています。(1998.11.01)