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Tag:岡井隆

12031409 私の吉本隆明鈔集399「現在の俳句と短歌の違い」目森一喜さんからの次のコメントがありました。

1. Posted by 目森一喜   2012年03月14日 21:52
 短歌はいいですね。岡井隆を見ていると切なくなりますが、古代のものから現在の作品まで、良いものには奥底にまで響く調べがあります。
 短歌は、日本語の特性そのものですから、世界的な広がりや普遍性はありません。外国語の十四行詩とはまったく違います。
 歌の中の屈託や含み、さわり、調べは幾重にも抽象して行きますし普遍的ですが、言葉そのものは実体的ですから、外国人に説明はできても隔靴掻痒でしょう。
 俳句は理解できないので、何も言えません。

 まったく目森一喜さんと同じ思いです。「短歌はいいですね。岡井隆を見ていると切なくなります」。本当に私もそうです。短歌は、ものすごくいいと思います。そして岡井隆さんにも、同じ思いです。私はこの人をまったく誤解していました。これほどの人がいることに、ものすごく驚くと同時に、自分の不勉強を反省します。この人の本を手に入れて、読んでみて、私はただただ反省ばかりです。昔は、この人を馬鹿にしていたのですね。 でも私にはもうそんな資格なんかありません。今はただただ岡井隆さんを尊敬するばかりです(もちろん、そう私がなれたのは吉本隆明さんのおかげです)。

短歌は、日本語の特性そのものですから、世界的な広がりや普遍性はありません。」まったくその通りです。ソネット(十四行詩)とは違います。でも上田敏の「海潮音」なんか実にいいです(でも私は岩波文庫のを売っちゃったな)。
 でも今知りました。青空文庫で読めるのですね。以下です。

 http://www.aozora.gr.jp/cards/000235/card2259.html

 おそらく、中国の詩は、漢詩(日本の漢詩も)は西洋語にも訳して、それで十分伝わるのではないかな。でも、短歌は無理です。
 その点俳句は大きく違うように思えます。ただインターネットやテレビで見ていると、俳句の形式のほうが、若者にも外人にも受けがいいように思えるのですね。でも短歌だけは、孤立しているように思えます。
 まあ、なんにしても私はやはり、日本でも漢詩はよく分かる(分かろうという気持になれる)のですが、短歌他も苦手なばかりです。

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 目森窟 MemorixこのUPがありました。
 次を読んでいましたら、

 一葉は同心の娘であり、中島歌子は水戸天狗党の志士の妻で、夫の戦死(あるいは自死)の後、和歌の道に入り歌塾を開くまでに精進した人だった。

 えっ、中島歌子という先生は水戸天狗党の志士の妻だったのか、となんだかものすごくたくさんの思いが甦りました

 塾生には、上流の子弟ばかりで、下町の庶民の子は一葉だけだったという。

 やはり一葉という方は、私にはとっても綺麗な人に思えます(一葉に関しては美貌だったいうようなことは一言も書いてありません。私が思いこんでいるだけです)。
 いや、それは切手や五千円札の彼女の写真を見て思うのです。でもちょうど5千円札があったので、それをスキャンしようとしたら、「銀行券とその偽造防止対策について」という文章が出てきてできないのでした。
 この岡井隆さんの本も読もうと思ったのですが、王子図書館にはないのでした。

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新聞名 図書新聞第2907号
発行所 図書新聞
定 価 240円
発行日 2009年2月28日
読了日 2009年2月21日

評者◆知念襄二(聞き手・小嵐九八郎) 知念襄二氏(元沖闘委委員長)に聞く 60年代・70年代を検証する 全共闘の時代、沖縄は燃えていた

 この1面の見出しを読みまして、嫌になりました。「全共闘の時代」なんていう言い方が私は好きになれないからです。「そんな時代があったのかよ?」という思いがすぐにするのですね。
 でも読んでいるうちに、この知念さんが沖縄で、島成郎さんと沖縄で触れ合っていたことを知りました。私は今でも島さんのことはずっと尊敬している方です。ただし、彼は一貫として、私のことは、酔っぱらいの変な奴だという印象だったようです。

小嵐 元六〇年ブント書記長の島成郎さんとは、沖縄で一緒に精神科のお仕事をなさったんですね。
知念 島さんのことは、ものの本でそういう人がいるらしいということは知ってましたよね。島さんが本土の学会で発言されたり、東大赤レンガ運動の中で話されたりしたことは、聞いてはいましたが、東大にいた頃は直接のおつき合いはなかったんです。沖縄に来てからですね。沖縄に来てから最初の二年間は沖縄県立精和病院に行き、それから八三年五月から、島先生のいる宜野湾の玉木病院で勤務しました。五年半いて、その間、島先生は東京の陽和病院に移られたので、四年間は一緒だったです。
 島先生は、七〇年代の初めから、保健所の嘱託医として久米島の巡回医療(年に三回)をされていたんですが、玉木病院の開設(七二年秋)に加わられ、保健所での勉強会を続けておられました。久米島の診療で多くの私宅監置されている人たちを開放しています。もう一つは、今で言う精神保健にかかわるいろんな人たちを集めて、「沖縄精神医療」という季刊雑誌(七七年発刊)を出していました。定期的な勉強会をやっていて、そこで報告されたものをもとにして雑誌をだしたんです。勉強会の中では、自分たちのこんなちっぽけな経験を雑誌にして出していいもんかと迷う人たちを、実に的確に励まして書かせて、また実践していくんです。あの力はすごい力ですよね。もちろんご自身も精神医療の手本となる仕事をなされるわけです。こんな地味な、控えめな仕事を本にして世間に公にしてなんか言われるだろうと尻込みする人たちを、しっかりと導いていましたね。そういうのを見て、驚きましたよね。
小嵐 僕なんかにとっては、六〇年安保の島さんなんて神様みたいな存在であり続けましたよ。
知念 でも、沖縄の精神保健の関係者は、島さんの若い頃のことなど知らないですよ。もちろん知っている人は知っていますがね。保健所でやっている勉強会が終わると、毎回飲み会です。ジャズピアニストの屋良文雄さんがやっている寓話という店があって、大体そこに行くんです。勉強会には来ないけど飲み会には来るという人もいて、本土から来た人からは昔の運動の話などが出て、島さんもそれに答えていくということがあり、それでみんなも知っていくということでしたね。あの何とも言えない笑い声が印象に残っていますね。島節が聞きたい、島の笑い声が聞きたいということで、みんな集まってきたという感じですね。
小嵐 僕も『蜂起には至らず』の最後で島さんのことを書きました。島さんを知る人はみな悪く言う人はいないですね。「あいつはこんな小さな勇気をこれぐらいに(手を広げて)大きくしてくれる」と言うんですね。みんなこもごもそう言うんですよね。

 でも島さんのことは、この小嵐さんが言われるとおりです。そして私はただただ懐かしく思い出される方です。
 この島さんのこと以外は、どうにもたいして思うところはなかったものでした。

 それと同じく、小嵐九八郎さんの、「短歌界の巨人が出した評論はすごい――岡井隆著『歌集「ともしび」とその背景』『鴎外・茂吉・杢太郎』を読む」が興味が持てました。

岡井隆氏の評論『歌集「ともしび」とその背景』(07年10月刊、本体2381円・短歌新聞社)。サブタイトルが「後期斎藤茂吉の出発」とあるように、茂吉が墺独の留学から帰ってきての人間としての歩み、その思想、歌、周囲の人物、時代と、分析している。

 あ、これで、私もこの岡井隆さんの本を読んでみようと思っています。この小嵐さんの文では次が面白かったです。

狒膿有爐凌佑魎泙畫庵屬をすると、譬喩と一人称廃絶で短歌の革命をなした亡き塚本邦雄をトロツキーとすれば、スターリンみたいな短歌界の巨人である――という話を御本人の前で二十年前に直に話したら「どちらがスターリンかね」と聞き返されたことがある。スターリンほど評判の悪い革命家もいないが、決して甘くはない。革命以前は資金稼ぎで銀行強盗を敢然とやったこともあるし、ある意味では全てのコミュニズムの猊然爐鉢猝ね茘爐鯊慮修靴真擁である。因みに、短歌界のレーニンは斎藤茂吉となる。

 この岡井さんの「どちらがスターリンかね」という問いは面白いですね。岡井さんがあのお顔で真剣に聞かれている様を思いました。斎藤茂吉がレーニンで、塚本邦雄がトロツキーで、岡井隆さんがスターリンね。なるほどな。いや、私はもちろんスターリンが大嫌いですが、岡井隆さんは、好きですし、今では尊敬しています。

 あと大変に印象に残った言葉です。

評者◆秋竜山 あなた、成功してますか?、の巻

での、新田義治『成功本はムチャを言う!?』(青春出版社、本体七〇〇円)に次の言葉です。

〈この世では成功しなければならないのだと言われる。だが私はこう思う、まず生きなければならないのだと。これこそ世の最大の成功なのである。――ジャン・シオノ「真の富」〉

 それから最終ページの

 評者◆谷岡雅樹 職業噺家。住所高座――康宇政監督『小三治』

の次の部分です。

先日「職業“詐欺”」というNHKスペシャルが放送された。振り込め詐欺という犯罪を悪びれずに職業と語る若者たち。世の中が資本家と労働者しか存在せず、どうやって金を分捕るかの考え方なら、株で儲けようが仕組みや詐欺でいただこうが捕まらなければ「お仕事」に替わりはないのだろう。企業は個人の多様な能力を発揮させるといいながら、エネルギーを奪い取る場にしかならず、

 振り込め詐欺とかいうものをとても怒っている私には、違う視点からも少し見えたものです。

文語詩人 宮沢賢治
文語詩人 宮沢賢治
書 名 文語詩人宮沢賢治
著 者 岡井隆
発行所 筑摩書房
一九九〇年四月二五日初版第一刷発行
読了日 2008年10月30日

 図書館で、最初のページをすぐに読みはじめ、また歩きながら読み、そして家に帰って最初の「文語詩の発見 吉本隆明の初期『宮沢賢治論』をめぐって」のみすべて読みました。
 そのあとは、ほとんど28日に池袋から我孫子に行くまでの電車の中で読み、そして今30日の朝食を食べながら最後の章をいくつか読みました。

 最初の、「現代詩手帖」の昭和三十八年六月号にのった吉本隆明、中村稔、鶴見俊輔の対談に関することですが、読んでいて、吉本さんの言われることが痛いほど伝わってきます。いいな、いいな、と私は口の中でいうばかりなのです。
 それにしても、私は宮沢賢治の「雨ニモマケズ」は、初め知った頃よりも、今のほうに近づくにつれてどんどん好きになってくる気がしています。

 賢治の詩をここに書き出してみます。
 これは「<永久で透明な生物の群が…>───日記抄」に著者が、

 わたしは、今でもこの二つの詩を、賢治の書いたものの中でも、もっとも優れた作品だと考えている。

と書いているので、私もここに書いておくものです。

  一〇七四[青ぞらのはてのはて]
                  一九二七・六・一二
青ぞらのはてのはて
水素さへあまりに希薄な気圏の上に
「わたくしは世界一切である
世界は移ろふ青い夢の影である」
などこのやうなことすらも
あまりに重くて考へられぬ
永久で透明な生物の群れ棲む

  一〇七五[わたくしは今日死ぬのであるか]
                       六・一三
わたくしは今日死ぬのであるか
東にうかんだ黒と白との積雲製の冠を
わたくしはとっていゝのであるか

 最後の章ー「文語詩稿」や短歌の評価ということ───あとがきに代えてーも私には大変に熱心に読んだものでした。

 わたしたちが賢治の文語詩をよみながら、多少当惑するとすれば、比較すべき相手がないということだろう。三好達治、萩原朔太郎、佐藤一英、とかぞえて来て、文語定型詩の作者のすくないのにおどろいてしまう。
 短歌、俳句ならば、かならず同時代に、無数といってもいい、歌人は俳人をもっている。比較すべき相手は、無数無量といえる。むしろ多きになやむほどだ。それにヒして、賢治の孤立は、いたましいほどだ。作家が精神において孤立し、孤独なのはこれは作家の常であるから、仕方のないことだ。しかし、よって立ち、従って用いている詩型が孤立しているのは容易ならぬことである。

 ちょうどこの著書を読み終わったきょうは、日経新聞の岡井隆さんの「私の履歴書」の29が掲載されています。
 実にいいときに、この岡井隆さんのことが、私にも少しでも判った思いがしてきたものです。

83d42fb6.jpg 朝4時に義母が「お父さん」と声をかけて、家のドアを開ける声が聞こえました。「お父さんはなんで電話をかけてこないんだろう」と言っています。今妻が懸命に説明しています。
 この時間なのに、日経新聞がこないので、岡井隆の『私の履歴書』を読むことができません。この記録に吉本(吉本隆明)さんの名前がいつ出てくるのかということがいつも私の最大の関心事なのです。
 写真は昨日と同じく、10月20日に、私のクライアントへ持って行きました『狸屋』の和菓子です。綺麗なお菓子ですね。(10/23)

3558c39c.jpg 日経新聞の今月「私の履歴書」の歌人の岡井隆の『文語詩人宮沢賢治』を図書館で借りてきました。すぐに最初の『文語詩の発見 吉本隆明の初期「宮沢賢治論」をめぐって』を電車の中で読んでいました。
 吉本さんが、『「雨ニモマケズ」というのは詩としてよくないですかねえ。(中略)一個の作品としてみたばあい、駄作ですか。ぼくはそうとうによくできた作品だと思うんですよ。たとえば、………………………………』というのは、もう実に頷いてしまいます。
 思えば、この今月の「私の履歴書」で、私は吉本隆明にも宮沢賢治にもまた会えている気がしています。
 写真は昨日10月20日の朝8時少し前のこのマンションの樹です。(10/21)

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 岡井隆さんのことで に書きましたように、この「岡井隆『文語詩人宮沢賢治』」をたった今借りてきました。

書 名 文語詩人宮沢賢治
著 者 岡井隆
発行所 筑摩書房
一九九〇年四月二五日初版第一刷発行

 図書館で、最初のページをすぐに読みはじめ、また今最初の「文語詩の発見 吉本隆明の初期『宮沢賢治論』をめぐって」のみすべて読みました。
 あとは、あとは私はまた電車の中だけで読むことになりますので、読み終わるまでは少し時間がかかります。
 最初の、「現代詩手帖」の昭和三十八年六月号にのった吉本隆明、中村稔、鶴見俊輔の対談に関することですが、読んでいて、吉本さんの言われることが痛いほど伝わってきます。いいな、いいな、と私は口の中でいうばかりなのです。

 それにしても、私は宮沢賢治の「雨ニモマケズ」は、初め知った頃よりも、今のほうに近づくにつれてどんどん好きになってくる気がしています。
 ああ、思えば、たくさん思い浮かべてくることがありますね。書ききれません。

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c1aeda4c.jpg 昨日書きました岡井隆「私の履歴書」についてのことに、すぐに私のブログにコメントをくれた方がいます(私はこのノートに書いていることは、私のブログにUPして、そこから写真含めてプリントしています)。私がどうしても評価するようになってしまった岡井隆という人がやはり、すごい人だと思いますね。「岡井隆という人の高度な詩意識は吉本さんに接近して行くしかなかったのだ」と書いていてくれています。
 もうすぐ、長女が二人の孫を連れてきてくれます。義母もまた優しい顔を見せてくれるでしょう。それがとっても私は嬉しいです。いやもう孫と何をしようかなんて、そのことばかり考えています。それに長女には手紙を書かなくてはいけないのです。さて、もう漢詩の解説は書けないからどうしようかなあ。
 昨日浅草へ行ったという義母の写真を見て、とても嬉しいです。長女も興味深く見てくれるでしょう。
 写真は10月4日の私の次女の義弟の結婚式のときにありましたお花です。(10/18)

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 昨日UPした 岡井隆さんのことで で、目森一喜さんが次のように岡井さんを言っています。

岡井隆は最高の歌人です。現代の短歌の宿命を一身に背負って来た印象があります。

 私は短歌のことは判らぬながら、「なるほどなあ」なんて言っていました。もう『文語詩人宮沢賢治』は王子図書館に注文しました。明日は手に出来るでしょう。
 きょうの「私の履歴書17」です。

 昭和一けたは、上下の世代に挟まれて、どこかアイデンティがくすんでみえた。自己主張しにくい環境で、戦後の世代論の谷間に、立ちすくんでいた。だから戦後二十年ほどたって、この世代が各分野の主役を演ずる段になったとき、自分たちの戦中体験の中途半ぱさに「なみだぐましい」思いを抱いたのではなかったろうか。

 これを読んで、私の目の前に幾多の昭和一けたの人たちが浮かんできました。たしかに、その上の世代の大正世代は、みな兵役の経験がありました。そしておそらくそのあとの昭和10年代は、いわば60年安保世代になり、さらに戦後の22、23、24年世代は、いわゆる三派全共闘世代でした。どうにもすべてが違ってしまっていたでしょうね。
 今やっと、あの世代のことが判ったような思いがしました。

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 わが家のおかあさん2008.10.17目森一喜 さんから以下のコメントがありました。

1. Posted by 目森一喜    2008年10月17日 09:50
 岡井隆氏は、現在、最高の歌人だと思います。彼には『文語詩人宮沢賢治』という著書がありますが、その冒頭に、吉本さんの「雨ニモマケズ」評価の事を書いていて、大いに賛同しています。
 論争はともかく、岡井隆という人の高度な詩意識は吉本さんに接近して行くしかなかったのだと思います。
 実作で言えば、岡井隆は最高の歌人です。現代の短歌の宿命を一身に背負って来た印象があります。

 きょうで、この「私の履歴書」の16番目の連載です。私はすべて切り取っております。今後の展開で、吉本(吉本隆明)さんのことを、どう書いてくれるのかなあ、ということが一番気になっています。
 吉本さんは、宮沢賢治が好きですね。彼のこの宮沢賢治に関する著書も私は好きです。吉本さんは、戦争中に宮沢賢治の故郷を尋ねていることがあるのですね。
 この著書を早速読もうと考えたのですが、もう1990年4月に発行された著書なのですね。そうすると、書店でも簡単に手に入らないから、図書館で探してみようかな。もう今は、なんでもインターネットで検索して、購入したり、購入できないときは、図書館で借りたりしています。
 今年の3月我孫子の自宅の引越で、随分何冊もの本を、下北沢の古書店に販売しました。でも、その売ってしまった本を、また探して手に入れたりしている私です。なんとなく阿呆だよなあ。
 だから、もうなるべく図書館でのみ読むようにしています。そして読むのは電車の中だけにしています。このパソコンの再起動のときとか、昨日お蕎麦屋さんへ行ったのですが、そのときなんかにも読むようにしています。
 岡井隆さんの本も、王子図書館にある本は全部読んで見ようという気持になりました。
 ただ、どうしても電車の中だけだと、そんなに読めないのですね。でも、もう決めたことですから、それを厳守して行きます。

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b61c03c7.jpg 日経新聞の朝刊の最終面に「私の履歴書」のこの10月が歌人の岡井隆さんです。私はまだ22歳の頃「吉本隆明『抒情の論理』」を読んで、吉本さんとこの岡井さんの激しい論争を知りました(この本には吉本さんの言っていることしか書いてありません)。そのときには、この岡井隆を「なんて馬鹿な人がいるものだなあ」という思いでいましたが、その後30数年が経過して、初めてこの岡井さんの著作も読んでみるようになりました。実にいい歌人です。そして今は吉本さんもこの人を評価しているようになりました。もう変わりました。いえ、岡井隆という歌人も凄い人なのですね。
 義母にいつも優しく接することのできる私になるべきですね。あれほどの激しい論争があった吉本さんと岡井さんのことを思うと、私もそれを参考にできるはずなのです。いえ、それにしても、私は短歌も俳句も漢詩のように興味は持てないのですが、でもこのごろは見方が変わってこられたように思っています。
 写真は柳田公園近くにあったお花です。昨日撮りました。(10/17)

376eb719.jpg 日経新聞の朝刊の最終面の「私の履歴書」が、今月は歌人の岡井隆さんです。もう最初から読んでいまして、でも毎日のことだから、一回読んだだけではなく、何度も読まなくちゃという思いで、翌日になると、切り抜いています。
 今は昨日11日の、「教育制度の改変」を切り抜きました。
 いやすべて、いくつもこれについて書きたいことがあります。でも書けていないのが私の現状です。
 この岡井隆さんという歌人は、私は吉本(吉本隆明)さんの『抒情の論理』で知ったかと思います。だから私は23歳くらいで初めて知ったのですね。そのときは、「ああ、こんな馬鹿な人がいるんだなあ」という思いでした。
 でもその後30年以上が過ぎて、改めてこの方の著作を読むようになりました。そして、この方の優れたところをいくつも知りました。そしてそれはまた最初は吉本さんによってです。吉本さんも今は、この方をかなり評価しています。また岡井さんも、随分変わったように私には、思えます。
 やがて、この「私の履歴書」で、吉本さんとの関係を、どう書いてくれるのかが一番の愉しみです。
 それと、この岡井さんの最近の写真も見ました(最初の「短歌作り60余年」に著者の写真があります)。もうただ、「いいお顔しているんだなあ」と思ったばかりです。

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