将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:岸恵子

12052014 この「私の寅さん」のマドンナは岸恵子です。私が横浜で住んでいたところは、港北区篠原町で、東横線の白楽駅から歩いて5分くらいのところでした。そこのすぐそばに、この女優さんが住んでいるというのを聞いていました。だからいつも親しい思いがしていたものでした。ただし、この女優さんのことを知っていたのは私と私の父母などで、高校の友人などはまったく知りませんでしたね。
 この作品が封切りになった1973年12月というと、私は忙しく働いていました。「ああ、あの頃だなあ」なんて思い出しています。もう私も就職していたのでしたね。私は東京の水道橋で働いていたものです。

題名  男はつらいよ 私の寅さん(第12作)
封切 1973年12月26日
監督 山田洋次
音楽  山本直純
配給会社 松竹
キャスト
 車寅次郎  渥美清
  諏訪さくら  倍賞千恵子
  車竜造      松村達雄
  車つね   三崎千恵子
 諏訪博   前田吟
 柳りつ子   岸恵子
 御前様   笠智衆
 たこ社長  太宰久雄
 源公    佐藤蛾次郎
  諏訪満男    中村はやと
  柳文彦      前田武彦
  一条        津川雅彦12052016

 寅さんの小学校時代の親友だったはずのと柳文彦と数十年ぶりに再会します。この文彦の妹に画家のりつ子がいるのです。でも寅さんは最初からこのりつ子とは大喧嘩してしまいます。でもまた寅さんはこの喧嘩したりつ子に恋してしまうのです。
 まただ、これで何人目のマドンナなのでしょうか。
 でもこのマドンナのりつ子にも寅さんは、失恋してしまうのです。

 いつも寅さんがとらやに帰ってくると、けっしてとらやのひとたちは歓迎できません。そもそも寅さんはいつ帰ってくるのは皆目分からないのですから。だから、みんなでゆっくり旅行するなんて考えられないのです。寅さんを旅行の一員にすることもできません。 そもそも寅さんには、どうやって連絡が取れるのでしょうか。寅さんは、健康保険はどうしているのだろう。年金はどうだろう。いくらでも余計なことを私など考えてしまいがちです。
 今回も実に迷惑な寅さんなのです。寅さんは毎回電話するのも、どこかの赤い公衆電話です。今でも携帯電話なんて、寅さんは存在もしらないのかもしれません。

 この作品の中で、柳文彦と寅さんは、酒を飲みながら唄います。

  柱の傷はキリギ〜リ〜ス〜、五月いつか〜のキリギ〜リ〜ス〜

12052015「背くらべ」の替え歌を唄っていたのですが、これは昔小学生のときに、痩せた女の先生をからかった歌なのです。寅さんって、本当に悪い子でしたね。先生がどうしてか、生徒のことを悪く言ってしまうこともあれば、このように先生にも嫌な思い出を残してしまうこともあります。
 この回では、いつも旅先にいて、いつ帰るか分からない寅さんが、逆に旅にみんなが出てしまうところがあります。寅さんは、これで家族の気持が充分に分かったのではないかと思うところです。

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 とくに、「戸塚の思い出」とはいえないのですが、また書きます。

   昭和7年8月11日(木) 岸恵子誕生

 岸恵子さんは、私よりも16歳年上なんだ。私は1964年の7月に横浜に来ました。父母と弟はこの年の春に来ていました。そして大学を卒業した兄はある高校の教員になり、横浜の同じ家に住んでいました。
 その家は、横浜港北区の篠原町というところで、東横線の白楽駅から歩いて5分くらいの社宅でした。
 この篠原町の白楽というところは、実に高級な住宅街というところ(私の家は違いましたが)で、この私の家の上あたりのお屋敷に、岸恵子さんが住んでいるということでした。だから、どこかで遇うこともあるんだと聞いていましたが、私は遇ったことはありませんでした。でも思えばあの頃といえば、岸恵子さんは30代前半なんですね。
 岸恵子さんは、『男はつらいよ』でのマドンナ役も実に懐かしいですが、菅原文太の相手役をやったときも懐かしいな。映画ではなく、テレビドラマだったかなあ。最後のシーンで、花を持った岸恵子が、刑務所を出る文太に会いに行くシーンで終わったと思いました。
 そういえば、実際に文太さんとはお話したこともありますが、実にいい男です。思えば、彼はもともとは、モデルをやっていたのでしたね。でもなんだか、すべてが遠い思い出になりつつあります。

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