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周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:島尾敏雄

12082213 藤田典さんの「ダダさんの掲示板」で、昨日は以下のように書いてくれています。

夢というものは 投稿者:管理人  投稿日:2012年 8月23日(木)07時41分18秒
「浅い睡眠」の時にみるもので、疲れたりして「ぐっすりと深い睡眠」をしている時には、見ないものだそうです。
そうすると、周さんは、最近は「深い睡眠」の中で、ぐっすり寝ているのかも知れませんね。
楽しい夢は、いつでも見たいものです。
夢の続きが見られる、何か、良い方策が無いものか、そんな事を考えたこともあります。

 いや私は夢を『「浅い睡眠」の時にみるもの』というふうには思っていないのですね。だから私は「夢の中の日常」を書いていたのでした。
 そうそう私が昔この夢のことを言ったら、ある人が「それは島尾敏雄が書いているのではないか」と言いましたので、私はすかさず「島尾さんが書いていたのは、『夢の中での日常』です。私は『夢の中の日常』です」と言ったものです。いえ、今もそんなことを言ってくる人がいますからね。
12082303 私にとって、常に夢をみていたいものなのです。そしてその夢の記録を書き続けたいものなのです。
 私は島尾敏雄は全作品を読んでいる数少ない作家です。大部分の作品を読んでいる作家は、何人もいますが、日記や書簡まで読んでいる作家は、私にはこの島尾敏雄のほかは、吉本(吉本隆明)さんと太宰治とチェーホフなのです。

11070716 わたしは、多少は、島尾敏雄と私的な会話を交わした経験がある。たとえばカメラというのは、たしかにうつしたのに、なにもうつっていないことがあるねえというとき、かれの感受性の特異さが、すぐにつたわってくる。それはフィルムを送りすぎたせいだとか、露出過度か過少のせいだとか、あえていう必要はない。かれの時間体験が、知らぬうちに、ひとつの空白を、とびこしていることがある。たれにもある経験だが、かれがそれに独特の意味をあたえているにすぎない。また、他人が、眼の前でみるみるうちに未知の人間との関係をつけてゆく、手さばきをみていると、恐怖のようなものを感じるというとき、かれの独特な対人的なものおじの仕方と、感受性の世界を想い浮べれば足りる。だが、そうしう特異さの言表がないばあい、かれを理解したという手ごたえを、わたしはもったことがない。入口も出口も、みつけることができない。
「島尾文学の源流」1973.10「国文学解釈と教材の研究」学燈社 「吉本隆明全著作集9『島尾敏雄』「第吃日常」1975.12に収録 「島尾敏雄」1990.11筑摩叢書に収録

 島尾敏雄から戦争と病妻をさしひいてみる。そうすると何がのこるのか。さらに難解なものがそこにあることにきずく。なんにしても彼は宿命のように文学に到達したのだ。いま島尾敏雄は吉本さんの解釈にどう答えるのだろうか。彼の生まれながらの特異な感受性があの戦争もミホさんも呼び込んでしまったのだろうか。

2017022016私は11052415島尾敏雄は、全作品を読んでおり、しかも私のすぐそばには、「勉誠出版『島尾敏雄事典』」が置いてあります。

なんか羞ですね。
それで私のブログには、以下を書いています。奥様ミホさんと長男の伸三さんの作品を読んだ私の思いも書いています。

http://shomon.livedoor.biz/archives/51888307.html
島尾敏雄『死の棘』

http://shomon.livedoor.biz/archives/51904358.html
島尾敏雄『贋学生』

http://shomon.livedoor.biz/archives/51888312.html
島尾ミホ『海辺の生と死』

http://shomon.livedoor.biz/archives/51888320.html
島尾伸三『月の家族』

私が全作品を読んでいるのは、太宰治と島尾敏雄とチェーホフだけですから(ほとんど作品を読んでいる作家は他にもいますが、日記等々もすべて読んでいますのはこの三人です)、もっと書かないといけませんね。
そして私に島尾敏雄を教えてくれたのは、吉本(吉本隆明)さんです。

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 羞ずかしいのですが、これは前に書いていました。急遽削除しました。

   http://shomon.livedoor.biz/archives/51888307.html 
               島尾敏雄『死の棘』

11052414 なんかひどいな。自分が信用できません。

11052413 島尾敏雄は私の好きな作家の一人です。たくさん好きな作品があるのですが、まずは「死の棘」について紹介します。私が昔、私のクライアントの結婚した女性にこの小説を贈って、そのことを説明するのに送った手紙で、この小説を私はあらわします。また、「死の棘」だけを読まれると、私の書いてあることは、「こんなことまで書いていないじゃないか」となってしまうと思います。私は島尾敏雄は大好きな作家なもので、すべての作品を読み、とくに「病妻記」はつらい思いのまま読 み耽けったものです。後年その一部が「死の棘」となったときに、また読み返しました。やはり、あの戦争というものがなければ、この夫婦にはこの「死の棘」 は訪れなかったと思っています。
 それからその次に、島尾ミホ夫人が書きました本も紹介します(これはもう紹介してあります)。これを読むとさらに、あの戦争で結びあった夫婦の姿がもっとはっきり見えてくるのではと思います。

11052008  島尾敏雄は、1917年4月18日〜1986年11月12日の生涯でした。その奥様のミホさんは以下で書きましたが、

 http://shomon.livedoor.biz/archives/51888312.html
           島尾ミホ『海辺の生と死』

 ミホさんの生涯は、1919年10月24日〜2007年3月25日でした。このミホさんが亡くなりましたときに、私は愕然となったことを、よく覚えています。娘のマヤさんも2002年に亡くなっており、そのときにも私は驚いていました。
 私は以下で

                     島尾敏雄『死の棘』

この二人の出会いと、そして戦後の二人の軌跡を少し書いています。何度も何度も思い浮かべているこの二人の生涯です。
 私がその作家のすべての作品を読んだのは、太宰治と島尾敏雄のみです。そしていつも奄美加計呂麻島で出会った二人のことを思い出しています。もう天国で仲良くしているだろうなと想像している私です。
 それと私の大好きな吉本隆明さんが、実に好きな作家です。隆明さんの島尾敏雄さんとの付き合いをいつもいつも反芻するように思い出しています。

11042703島尾敏雄 筑摩叢書344
  1990.11.30 筑摩書房 1,960円(本体1,903円)
  機〆邁範
    島尾敏雄
      <原像>
      <戦争>
      <家族>
      <日常>
  供―馼勝作品論・肖像・その他のエッセイ
    『夢の中での日常』と『書かれざる一章』
    恥について
    『日を繋けて』
    『琉球弧の視点から』
    <関係>としてみえる文学
    島尾敏雄―遠近法
    聖と俗―焼くや藻塩の
    『死の棘』の場合
    島尾敏雄の光と翳
    挫折の宿命を芸術に
    悲しい不朽
    島尾敏雄の世界
  掘‖价
    島尾文学の鍵  島尾敏雄・吉本隆明
    傍系について  島尾敏雄・吉本隆明
    鬼伝承  島尾敏雄・吉本隆明
    平和の中の主戦場  島尾敏雄・吉本隆明
  年譜
  あとがき
  初出一覧

2017021303
11020808 私は島尾敏雄の著作はすべて読みました。読んだつもりです。
「島尾敏雄作品集全5巻」(晶文社)、「島尾敏雄非小説集成全6巻」(冬樹社)をすべて読んあと、その中の『病妻記』といわれる一群の作品(『病妻記』から何篇か除いている)が『死の棘』という作品になっていったものでした。
 その島尾敏雄の作品では、この『贋学生』も私の好きな小説です。木乃伊之吉という人物が主人公(たぶん著者がモデルなのでしょう)に対して、何を意図しているのかどうしても想像がつきません。実は最後の最後に、この人物が主人公と同じ大学には正式に在学はしていないことが判るのです。
 いや、私には、この人物の考えていることだけでなく、顔つきも想像もできないのです。ただただ、不可思儀だけの人物です。
 その島尾敏雄さんが亡くなられ、その奥様も亡くなられて、そして娘のマヤさんも亡くなられて、なんだか私には島尾敏雄が遠くに行ってしまったような気持ばかりになります。
 島尾敏雄のただただ不思儀な作品です。この贋学生は私が今何かを言ったとしても、ただニヤリと笑うだけなのだろうな。いや少し違う顔をしてくれるかなあ。(2011.02.09)

10121904「死の棘」の島尾敏雄の奥さん、あの中の激しく夫を責める、映画では松阪慶子のやったミホ夫人の書いたエッセイです。

 島尾敏雄夫妻は、「病妻記」(この一部が「死の棘」)のとおり、精神病院にはいったあと、ミホ夫人の故郷である奄美大島へ帰ります。夫人の病の治療のためでしょう。そこで島尾敏雄は鹿児島県立図書館名瀬分室の館長として長く勤めます。そのころ、書かれたのが、このエッセイです。

 ミホ夫人にとっての島尾隊長は、いったいどんな存在なのでしょうか。

  沖縄の攻防戦の激しさが伝わる頃になると敵機の爆撃も日を追っても
 の凄く、奄美群島の集落は磯辺に立つ二、三軒までも次々に爆破され、
 傷つき死んでいく人もありました。しかし島尾部隊のある呑之浦と押角
 の集落の人々は「島尾隊長が守ってくれるから大丈夫」という信仰に近
 い確信をもち、高射砲で海や山に墜落する敵機はすべて島尾部隊が撃墜したのだと思い、島尾隊長が自分たちの守護神である証のように見詰め
 ていました。そして不思議なことに呑之浦と押角の集落はずっと無傷で
 あったのです。このことは島尾隊長への信頼を益々深め、焼け墜ちた敵
 機の操縦士の亡骸は懇ろに集落の墓地に納め立派な墓標を建てて葬った
 島尾隊長の武夫の道に人々は感激し、「アンチュウクサ、ニンギントゥ
 シ、ウマレカハンヌ、チュウダロヤー(あの人こそ、人間としての、立
 派な生まれの極まりの、人でありましょう)」と称え、「あれをみよ島
 尾隊長は人情深くて豪傑で……あなたのためならよろこんでみんなの命
 を捧げます」という歌がはやり、片言の幼児にまで口ずさまされ、幼児
 たちは軍服を着ている人には誰にでも「島尾隊長」と呼びかけ、島尾隊
 長とは軍人の代名詞と思っているいるようでした。
                      (「特攻隊長のころ」)

 この島尾隊長が昭和20年8月13日夜特殊潜航艇震洋で、特攻出撃となる。ミホさんはなんとしても最後に島尾隊長に会いたいと出かけて行く。

  足音はすぐ側で止まりました。
  ふり仰ぐと、飛行帽、飛行服、白いマフラー、半長靴の搭乗姿で背の
  高い隊長さまがにこにこ立っていらっしゃいました。
 「隊長さま!」と思い、涙がどっと溢れました。噴きあがってくる感情
  をぐっと抑えると、咽の奥から鳴咽がこみあげてきて、私は隊長さまの
  半長靴の上に頬を押し当てて涙をこぼして泣きました。
 「大坪が何を言ったか知らないが、演習をしているんだよ、心配しなく
  てもいい。さあ、立ちなさい」
 (中略)
 放したくない、放したくない
 御国の為でも、天皇陛下の御為でも 
 この人を失いたくない
 今はもうなんにもわからない
 この人を死なせるのはいや
 わたしはいや、いやいやいやいやいや
 隊長さま! 死なないでください
 死なないでください
 嗚呼! 戦争はいや
 戦争はいや
  私のこころは乱れ狂い泣き叫んでいますのに、それを言葉にだす術も
  なく、ただ唇をかみしめ涙を溢れさせながら隊長さまのお顔をみつめる
  ばかりでした。
 (中略)
  隊長さまはあの澄んだ声を名残りに私の前から永久に消えていってお
  しまいになりました。二十七歳のその生涯を今宵南溟の果てに散らして、
  私が声を限りに呼んでももう再びあの姿をみることも、あの声を聞くこ
  ともできなくなってしまいました。        (「その夜」)

 実際に島尾敏雄は生き残ったわけですが、ミホさんにとってもう二度と島尾隊長は帰ってこなかったわけです。

  あれから二十数年の年月が過ぎていきましたが、呑之浦の入江には今
  もなお特攻隊基地の跡が朽ち残り、島の人々はいまだに島尾隊長の思い
  出を語る会を持ち「島尾隊長の歌」を歌って当時を偲んでいます。そし
  て私の夢の中にもしばしば島尾隊長が現れてきて、私の夫を悩ませてい
  るようです。              (「特攻隊長のころ」)

 私の友人が、この加計呂麻島へ旅行したときに、たまたま「私は島尾敏雄を研究している」と口を滑らせたら、夜になって部落中の人が、「わざわざ東京から島尾隊長のことを調べに来てくれた」というので集まってくれたそうです。今でも島の人たちにとって、島尾敏雄はあの戦争のときの島尾隊長のままの姿で生き続けているわけでしょう。

  ……私の心をそのころにあとがえらせ、今でも岬を越えた入江の奥に
  島尾隊長が戎衣を纏ってとどまっているような気持ちになってきて、無
  性にその人に逢いたくなってしまいました。しかしそれは虚しい願望で
  しかありません。敗戦と同時に彼は何処かへ立ち去って行ってしまった
  のですから。
  瞼をとじるとこんなにも鮮やかに若々しいその容姿が思い起こされま
  すのに、現実にはもう決して見ることはできないのでしょうか。
  私は夫のなかに島尾隊長の面影を求めてじっとその顔や姿をみつめま
  すが、私の願いは適えられず、そのことを夫に言いますと、夫は不機嫌
  になって、……               (「篋底の手紙」)

 島尾敏雄が繰返しこの敗戦のことを小説に書いているのが分かる気がします。戦争と時代のきまぐれで、島尾敏雄は生き残り、普通の人間になっていく。島尾敏雄の小説で東京の小岩にすんでいた頃の、島尾の浮気のところなんか、普通の作家の夫婦だったら、まあよくあることで済んでしまうことだったのかもしれません。でもこのミホ夫人の心にはいつまでもあの日の島尾隊長の姿があったのだと思います。そしてあの「死の棘」の世界になります。
 島尾敏雄は亡くなったあと、ミホ夫人はどうしていたのでしょうか。写真でみるとほんとうに綺麗な方ですね。島尾敏雄が実際に亡くなってしまったあと、ミホ夫人の夢に現れるたのは、やはり島尾隊長なのでしょうか。それとも夫の島尾敏雄なのでしょうか。
 いつか奄美加計呂麻島へ行ってみたいと思うまま、時間ばかりがたってしまいました。(1998.10.01)

10121903 島尾敏雄は私の好きな作家の一人です。たくさん好きな作品があるのですが、まずは「死の棘」について紹介します。私が昔、私のクライアントの結婚した女性にこの小説を贈って、そのことを説明するのに送った手紙で、この小説を私はあらわします。また、「死の棘」だけを読まれると、私の書いてあることは、「こんなことまで書いていないじゃないか」となってしまうと思います。私は島尾敏雄は大好きな作家なもので、すべての作品を読み、とくに「病妻記」はつらい思いのまま読 み耽けったものです。後年その一部が「死の棘」となったときに、また読み返しました。やはり、あの戦争というものがなければ、この夫婦にはこの「死の棘」 は訪れなかったと思っています。
 それからその次に、島尾ミホ夫人が書きました本も紹介します。これを読むとさらに、あの戦争で結びあった夫婦の姿がもっとはっきり見えてくるのではと思います。

書名  死の棘
著者  島尾敏雄
発行所 新潮文庫
1981年1月25日発行(昭和52年9月新潮社より刊行された)

 私が島尾敏雄を知ったのはちょうど沖縄が日本に返還されたころのことです。親しい友人に「沖縄問題なんかのつまんない本読むんなら、島尾敏雄の本読んだほうがいいぞ」と教えられ、当時住んでいたところの浦和図書館へいって読み初め、たちどころにその世界に没頭して、ある限りの全作品を読みました。

 島尾敏雄の作品には、3つの世界があります。戦争と病妻ものと異常体験(ちょっと表現がよくないな。さりげない日常体験と言うべきかな)です。そして今回紹介するのは、そのうちの病妻ものです。
 わたしが前にある女性に送った手紙の一部を引用してその紹介としたいと思います。ちょうど1990年の8月15日に書いたものです。私には、この文書が一番「死の棘」を紹介できる文なのです。


 随分前になってしまいましたが、島尾敏雄「死の棘」いかがでしたでしょうか。多分「なんでこんな本を…」と思われたのではないでしょうか。私は私の友人や後輩で私の大好きな人で家庭を新しくもつ人にはこの小説を贈ることにしているのです。

  思えば文学を読むことが私たちを感動させるのは一体何なのでしょうか。いや逆にいま私たちを感動させる文学とはどういうものなのでしょうか。たんに文学ではなく芸術の存在の問題として考えられるかと思います。
  私たちが昔読んだ小説を現在また読みなおしたときに、何を感じるかが問題なのです。いまヘルマン・ヘッセの「車輪の下」を中学生のときと同じ気持ちで読むことはできないと思います。いま「デミアン」を読んで、デミアンを不思議な少年だなどと興味深く考えることはできないと思います。ロマン・ロラン「ジャン・クリストフ」なんか、もう馬鹿馬鹿しくて読めないのではないでしょうか。前に塾の先生をやっていたときにある中学3年生の「狭き門」の感想文を読んだことがあります。主人公のアリサがとても清らかで立派な女性であり、それにたいそう感動したの内容でした。なんと私の中学生の頃と同じことを感じているのだろうと思ったものです。あの頃の私はアリサがカミーユ・コローの「娘の像」の姿をした清純で美しく聡明な女性に見えたものです。いまなら単純になんでこの女はジェロームの愛を受け入れないのだろう、なんて馬鹿な女なんだろうとしか思わないのですが。そしてそこではじめてアンドレ・ジイドの皮肉さが分ってくるわけなのですが。
  私が魯迅の「吶喊」を初めて読んだのが中学3年、そのときは「たしかに面白いかもしれないが、これがスタンダール『赤と黒』やドストエフスキー『罪と罰』などと並ぶ世界文学といえるのだろうか」などと思ったものです。この感じは高校生になって読みなおしてもほとんど同じでした。それが大学でちょうど全共闘運動が後退期になったころ、魯迅の存在が大きく感じられるようになってきたのです。「阿Q正伝」の阿Qの存在が、「狂人日記」のひとつひとつの言葉が、私たちの心に迫ってくるのです。「」という短い小説のひとこまひとこまの場面―赤い饅頭が、墓の前の2人の母親の姿、…―が私の心に淋しく悲しく迫ってくるのです。そして魯迅の存在は大きく力強い存在なのです。それを私はやっとあの時期になって分ったわけです。

  このようなことは誰もが体験することだとは思いますが、このようなことはどうしておきてくるのでしょうか。これは何故私たちは古典を読むのか、読み続けられる古典とそうでない古典はどうしてでてくるのかという問題であると思います。私たちは「和泉式部日記」は読んでも悪左府頼長の日記など読みはしないのです。
  私たちが古典のなかで感動することは、一体何なのでしょうか。私は古典が今も読み続けられるのには2つの要素があると考えます。
  まずその古典のとらえている問題が現代の私たちの抱える問題と同じであること。そしてその古典がその時代を的確にとらえていること。この2つのことをクリアしているとき私たちはその古典を読み続けられるのです。その古典を読んで良かったと感じることが出来るのです。
 こうして考えると、例えば現代作家ではもう将来読まれないだろうと確実に予想できるのは現在の大江健三郎、遠藤周作などであるわけです。もちろん過去のかれらの作品には先ほどの2つの要素を満たした優れたものがありますが、いまは恥ずかしいくらい駄目だと思います。

  そして「死の棘」なのですが、この作品は見事にその2つの要素を満たしていると思うのです。夫婦の愛、男女の愛の一つの形であり、そして背景にはあの戦争の巨大な影があります。戦争のおかげで南の島で知り合った男女が、また戦争の勝手さの中で生きることになり結ばれ、それが戦後の生活のなかであの病妻物に表現されている世界となる、そのすさまじさ。ミホ夫人が精神病院の中で夫に向かって「島尾隊長に会いたい」と叫ぶ(これは「死の棘」の場面にはなかったかもしれません)その姿を考えるとき、深く深くこの時代を考えざるを得ないのです。
 島尾敏雄はミホ夫人と一緒に精神病院に入ります。そしてやがて彼女の病を治すため、彼女の故郷の奄美大島(2人が戦争の時あったのは加計呂麻島という奄美大島のすぐ西の島です)へ住むようになります。私はあの60年安保があり、私たちの活躍した全共闘の時代にも、ただ病妻と向き合っていた島尾敏雄の存在におおいに敬意を感じると同時に戦争そしてこの日本の戦後を何度も思い巡らせているわけです。
  そういえば島尾隊長が特殊潜航艇震洋で出撃し、トエ(ミホ夫人のこと)が島尾隊長の船が出て行ったらそのまま海にはいっていってしまおうと懐剣をにぎりしめていながら、島尾隊長は出撃せずそのまま朝日が昇ってしまったのはちょうど45年前のきょうの朝(8月15日)のことですね。

  これで私が新婚さんにこの「死の棘」を贈っていることがいくらかでもわかっていただけたでしょうか。私の勝手なおしつけでもあるのですが。

 でも古典を読むということでは、このごろ与謝野晶子の訳の「源氏物語」を読んでいるのですが、やっとこの年になって源氏が少し分かってきた気がします。私は源氏は昔府中刑務所(の拘置所)にいたときに、谷崎潤一郎「新々訳源氏物語」で読んだのですが、はっきりいってさっぱりわからなかった。私は谷崎潤一郎が好きなこととかれの訳が一番正確でいいだろうと思っていたのです。与謝野晶子なんて話にならないと思っていた。それがいまになってどうも違うぞと分かってきたのです。そしてそのほか小林秀雄が折口信夫に

 本居(本居宣長のこと)さんはね、やはり(古事記ではなく)源氏ですよ

といわれた意味が少しわかりかけた気がします。本居宣長、折口信夫の重さと、谷崎潤一郎の限界が、小林秀雄が結局折口信夫の言葉を誤解したままだったことなどが与謝野晶子のおかげで分かってきました。そしてこの与謝野晶子「源氏物語」を読むことにより、マルクス「資本論」ももう一度あの嫌味な向坂逸郎の訳ではなく読んでみようという気になりました。やはり年をとると無駄なことばかりではなく、いろいろ見えてくることもあるのだな思っております。

 それで考えてみるともうちょっと「死の棘」のこと付け足したいと思います。

 島尾敏雄とミホ夫人が出会ったのは、前にも書いたとおり奄美大島に寄り添うように西する加計呂麻島です。島尾敏雄は特殊潜航艇震洋をひきいる隊長で、ミホさんは、(ちょっと表現は悪いかもしれませんが)土人の酋長の娘みたいな存在でした。島の人たちは最初どんな鬼のような隊長がくるのかと思っていたら、優しい神様のような隊長で随分驚いたようです。そして島の人たちもみなやがてこの隊長以下の人達が海に出撃して2度と帰らない存在であることを知っていました。
 それで8月13日に出撃命令がきます。ところがそのまま次の命令がこない。ミホ夫人は艇がでていったら、自分も海にはいってしまおうと島尾隊長の短剣をにぎりしめて待ちます。ところが朝日が上がり15日になり、終戦。どういったらいいんでしょうか、ちょうどドストエフスキーが処刑寸前に皇帝によって赦免されたのと同じような体験といえるのでしょうか。ただ島尾敏雄の場合はミホ夫人がいたのです。
 そして結婚。やがて東京で生活するようになります。ところがそこで島尾はあの優しい神のような島尾隊長ではなく、ただの男になります。そこらへんも「病妻記」(この「病妻記」の一部分が「死の棘」なのです)にくわしく書いてありますが、この過程でミホ夫人の精神は次第に病んでいきます。
 あれだけの劇的な体験のなかで結ばれた夫婦もあのような形で崩壊していきます。ただそのあとの島尾敏雄のとった行動は立派だと思います。普通なら離婚して終だったかもしれません。でも島尾敏雄は一緒に病院に入るのです。

 私はだからこそとくに恋愛で結ばれた御夫婦にはこの小説を薦めるのです。いま映画で「死の棘」をやっています。岸辺一徳と松阪慶子なのですが、まだ私はみていないながら松阪慶子の演技には(勿論必死に演技していることはわかりますが)もっと注文つけると思います。ミホ夫人なのですよあなたは、と。  まあ島尾文学をかんがえるときりがないのですが、そんなところなのです。

 以上なのです。つけくわえることはありません。(1998.10.01)

10110611 私の前のホームページはインターネット上からなくなりました。でもその中の記録がいくつもあるので、私のこのブログでも採録していこうと思っています。
 以下がその最初のページにあった文章です。

              はじめに
 私周は、長年睡眠時間は平均4時間ですましてきました。平均ですから6時間だったり、2時間だったりいろいろです。(これは私が25歳くらいのときから、今年4月までのことです。判ったことですが、要するに私が高血圧だったということです。57歳になった私は高血圧を抑える薬のせいで、1日7時間は眠る身体になりました)
 私はベッドに入って寝ると、次のような段階があります。

  1.目はつぶっているが、眠れていない。
  2.半覚醒状態で、さまざまなものを感じる。
  3.夢を見ている。夢はいつもオールカラーである。
  4.完全に眠っているらしい。

 2段階目の状態はけっこう辛いものです。私のまわりにいろいろな存在を感じるのです。ときにはそれがかなりな恐怖の状態にもなります。音が聞こえたり、存在が見えるような気持になったり、あきらかな何者かの存在の息を感じたりします。もちろんそれは、私の妻や子どもたちではありません。これは自分の家でなくても感じてしまいます。ちょうどかな縛りにあったような状態にもなります。
 でもとにかく眠らないとならないわけですが、その時には、いつも「眠るんなら夢を見なきゃ損だ」と思ってきました。そんな決意のせいかどうかは判らないのですが、3段階目の夢もそれこそたくさん見ます。そしてうまくいくときには、次の日にまた前の日の夢の続きを見ています。それと、どうしてか私がまたまったく同じこの日本なのだが、違う生き方をしている夢をずっとみているような記憶がかなりあります。そこの世界でもなんだか私はまた必死に毎日動きまわっ ているようです。(このことは、私は本当に私自身がこの宇宙では何人もいて、それどれ別な生活をしているのだというふうに思っています)
 そんな毎日たくさん見ています夢のほんの一部をここで披露していきます。本当は、もっと毎日詳細に書いていけばいいのでしょうが、なかなかそうもいきません。(夢を見たあと、すぐに内容を書けばいいのですが、そうしないとすぐに内容を忘れます)
 この私の見た夢を書いたのが、この部屋です。
 この「夢の中の日常」とは島尾敏雄さんの「夢の中での日常」を真似ました。私は夢の中でも、なんだか必死に懸命にいろいろなことをやっているのですが、なんだかそれが夢の中でも、私には「日常」になっているのです。
                            (2005.09.03)
 この頃、この私が夢を見た記録をより書くようになってきました。私のブログでは、

 http://shomon.livedoor.biz/archives/cat_714069.html 夢の中の日常

として書くようにしています。
 毎日見る夢をできるだけ記録したいのですが、なかなか出来ていません。目が醒めるともうすぐに忘れ果ててしまいますからね。
 でもできるだけ早く記録しようとすると、いくつものことに気がつき、いくつものことを思い出してゆけます。
 今後も毎日夢を見ていきことでしょう。できるだけ、その夢のことを少しでも記録していくつもりでいます。(2007.04.01)

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 新聞を読むのもいいことですね。島尾敏雄をちゃんと読んでいる新聞記者がいるんだ。

2010/05/08 07:43少し前に「宮沢賢治『よだかの星』」を書きました。よだかの思いについて涙が浮かんだものです。
2010/05/08 07:52日経新聞の一面の記事下の「春秋」で次のようにあります。

 奄美大島に長く住んだ作家、島尾敏雄が作った言葉である。

 これが「ヤポネシア」という言葉です。島尾敏雄は戦争のときに奄美大島の南に寄り添うようにある加計呂間島にいました。特殊潜行挺「震洋」で特攻するためです。このときに、島尾隊長が会うのがミホさんでした。でもミホさんも数年前に亡くなられたのでしたね。娘さんも亡くなりましたね。

 島尾ミホさんのことを思い出します。娘さんはマヤさんでしたね。吉本(吉本隆明)さんの吉本ばななさんとハルノ宵子さんも思い出します。

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 あ、今思いました。島尾敏雄さんが、奥さまのミホさんと初めて出会う昭和19年の姿、とくに昭和20年8月14日、15日の二人の加計呂麻島での姿が、アフリカ的段階の男女の姿と言えるのではないかなあ。
 だから、そのアフリカ的段階から、急に東京に出て、資本主義世界に置かれたときに、ミホ夫人の精神がおかしくなってしまったのです。

 私の 周の書評(島尾敏雄篇) に、この二人の加計呂麻島での出会いのことが書いてあります。ぜひ読んでみてください。そして島尾敏雄さんの作品をぜひ読んでみてください。

  「アフリカ的段階について」 へ

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 私が日々生きているということ の この 死の棘 を拝見しました。
 私は1975年に島尾敏雄の全作品を読みました。その中で読んだ「病妻記」が、後年いくつかの作品を除いて、「死の棘」になったことを知りました。
 戦争が終わって、ミホにとって神のような存在であった島尾隊長は、どこにでもいる男になってしまいます。その過程で、ミホ夫人は次第に精神を病んでいきます。
 私はこのことを、以下に書いています。

http://shomon.livedoor.biz/shomon/books/simao1.htm#simao
 島尾敏雄「死の棘」

 これはほぼ、私がある女性に送りました手紙に書いた内容です。

 島尾敏雄さんは、私の尊敬崇拝します吉本隆明さんと深い付き合いがありますので、私ももともと、彼の全作品を読んだものでしたが、でもこの病妻物は、読むのが非常に辛かったものでした。

幼心にあれだけの体験をした
伸一はどう育っただろう?
(今はカメラマンとして 成功している)
 (マヤは つい先日 亡くなりました)

 マヤさんが亡くなられたのですか。知りませんでした。伸三さんの「月の家族」も読みましたよ。
 ミホさんが昭和20年8月13日に、島尾隊長の顔を見て、心の中で叫ぶ言葉が以下です。

   放したくない、放したくない
   御国の為でも、天皇陛下の御為でも 
   この人を失いたくない
   今はもうなんにもわからない
   この人を死なせるのはいや
   わたしはいや、いやいやいやいやいや
   隊長さま! 死なないでください
   死なないでください
   嗚呼! 戦争はいや
   戦争はいや

 いつも何度でも私はこの言葉を思い出しています。

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7b643936.jpg よく義母は、自分の父親と母親の消息を聴いてきます。もう10分おきに聴いてくることもあります。毎回繰り返しています。
 写真は、12月6日撮りました。飲みました店にありました奄美の黒糖酒です。私は奄美はこのお酒と島尾敏雄で大好きなところなのです。(12/10)

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 私はさきほどまで、自分が新任の小学校の教員になった最初の日の夕方の出来事の夢を見ていました。私は毎日夢を必ず見ています。それをできるだけ記録しておきたいのですが、ほぼ書かないで忘れ果ててしまいます。書いたものは「夢の中の日常」としてブログに書いておきます。もちろん、「夢の中での日常」の島尾敏雄の真似です。(5/19)

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 私周は、長年睡眠時間は平均4時間ですましてきました。平均ですから6時間だったり、2時間だったりいろいろです。(これは私が25歳くらいのときから、今年4月までのことです。判ったことですが、要するに私が高血圧だったということです。57歳になった私は高血圧を抑える薬のせいで、1日7時間は眠る身体になりました)
 私はベッドに入って寝ると、次のような段階があります。

  1.目はつぶっているが、眠れていない。
  2.半覚醒状態で、さまざまなものを感じる。
  3.夢を見ている。夢はいつもオールカラーである。
  4.完全に眠っているらしい。

 2段階目の状態はけっこう辛いものです。私のまわりにいろいろな存在を感じるのです。ときにはそれがかなりな恐怖の状態にもなります。音が聞こえたり、存在が見えるような気持になったり、あきらかな何者かの存在の息を感じたりします。もちろんそれは、私の妻や子どもたちではありません。これは自分の家でなくても感じてしまいます。ちょうどかな縛りにあったような状態にもなります。
 でもとにかく眠らないとならないわけですが、その時には、いつも「眠るんなら夢を見なきゃ損だ」と思ってきました。そんな決意のせいかどうかは判らないのですが、3段階目の夢もそれこそたくさん見ます。そしてうまくいくときには、次の日にまた前の日の夢の続きを見ています。それと、どうしてか私がまたまったく同じこの日本なのだが、違う生き方をしている夢をずっとみているような記憶がかなりあります。そこの世界でもなんだか私はまた必死に毎日動きまわっ ているようです。
(このことは、私は本当に私自身がこの宇宙では何人もいて、それどれ別な生活をしているのだというふうに思っています)
 そんな毎日たくさん見ています夢のほんの一部をここで披露していきます。本当は、もっと毎日詳細に書いていけばいいのでしょうが、なかなかそうもいきません。
(夢を見たあと、すぐに内容を書けばいいのですが、そうしないとすぐに内容を忘れます)
 この私の見た夢を書いたのが、この部屋です。
 この「夢の中の日常」とは島尾敏雄さんの「夢の中での日常」を真似ました。
私は夢の中でも、なんだか必死に懸命にいろいろなことをやっているのですが、なんだかそれが夢の中でも、私には「日常」になっているのです。(2005.09.03)

   http://shomon.net/bun/yume.htm  夢の中の日常

 この頃、この私が夢を見た記録をより書くようになってきました。私のブログでは、

   http://shomon.livedoor.biz/archives/cat_714069.html  夢の中の日常

として書くようにしています。
 毎日見る夢をできるだけ記録したいのですが、なかなか出来ていません。目が醒めるともうすぐに忘れ果ててしまいますからね。
 でもできるだけ早く記録しようとすると、いくつものことに気がつき、いくつものことを思い出してゆけます。
 今後も毎日夢を見ていきことでしょう。できるだけ、その夢のことを少しでも記録していくつもりでいます。

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 書評を書いていて、だんだんと一人の作家の作品批評が多くなってきましたときに、その作家単独のページを作ることになりました。いや、まだそれほどたくさんのことを書いているとは言えないわけですが、今後もその作家についての書評を増やしていきます。現在は、飯嶋和一、さくらももこ、塩野七生、島田荘司、長谷川慶太郎、藤沢周平、吉本隆明、魯迅、島尾敏雄の各ページがあります。
 今後このページに置きたい作家としましては、山口瞳、ゲーテ、ドストエフスキーがあります。(2003.11.11)

   http://shomon.net/hon/chosha.htm  周の書評(作家別篇)

 その後作家としては、誰一人の部屋も増やしていません。以下の作家については、

   http://shomon.net/hon/kazuiti.htm  周の書評(飯嶋和一篇)

出版されている著作はすべて読んでおりますが、まだ1冊の書評しか書いていません。ちょっと我ながら情けないよなあ、ということころです。
 今後、なんとしても私のホームページ内の各書評のページを充実させてまいります。

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 ただ、ぼくの知人には、でもこの人はそうはならなかったんだなぁという人がたった一人だけいます。島尾敏雄さんです。あの人は、前線基地でいつ特攻にでなければいけないかわからないという場面にいながら、撃ち落とされた飛行機から落下傘で降りて開かずに死んでしまったアメリカ人兵士の遺体を見捨てずに、身分証明を見つけて、ついでに墓を立てたという人です。驚くべき冷静さといいますか、そんな場面にいてよくそれだけのことができたと、これは俺には真似できないよと思います。こっちは鬼畜米英でいっぱいだったわけだし、それでいて、じゃ特攻隊に志願するのかというとその勇気はなかったわけだから、情けない、かなわない、及ばないよという思いがありますね。そこまで冷静になれたらたいしたもんだと思うけど、おれにはそれはないというしかない。(『生涯現役』2006.11.20洋泉社第ニ章「老いのことば」)

 ここの「そういうこと」とは、一見正常で健康的な人たちが、「ある局面に立ち至れば、死ぬの殺すのなんてことを平然とやってしまう」ということを言っています。これは私たちでもよくありがちなことである。吉本さんも同じだという。だが、この島尾敏雄は違っていたのだ。これを読んで、吉本さんが何故島尾敏雄にこだわっているのかが、また別な面で判ったように思えている。

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書 名 月の家族
発行所 晶文社
著 者 島尾伸三
定 価 2,100円+税
発行日 1997年5月10日第1刷発行
読了日 2006年11月24日

 きのう世田谷文学館「宮沢和史の世界」へ行くときと、きょうの我孫子自宅行きと、川口のクライアント行きで、すべて読みました。
 島尾敏雄さんのご長男の著作を読むのは、始めてなのですが、もうあちこちで涙が溢れそうになるほど、私が感激する場面、感心している文章ばかりです。
 ただもちろん、電車の中ですからその涙を抑えるのが辛かったです。伸三さんの両親の、私が知っているはずの島尾敏雄、島尾ミホ夫人の、ちょっと違う面が見られるのです。
 でも涙が出るばかりではなく、笑うのにこらえきれなくなり、電車の中では読むのを止めた場面もあります。それをたった今読んでみて、また笑ってしまいます。

 この作文を読んで、七十八歳になる私の母は、きっと怒るんだろうーナー。
「どうして伸三はこんなこと書くのだろう。親に恥かかせて」「恨みでもあるのっ!?」って。
 おかあさん、ウンコの話題ぐらいで怒らないで下さい。もっと破廉恥なことをしてきた私です。それに比べるなら、三つのウンコなんて、赤ちゃんの可愛いウンチみたいなものなのです。
(「三つのウンコ」)

 ミホ夫人のことを思い浮かべます。

 あの「出発は遂に訪れず」等で、えがかれた美しい島の娘のミホさんと、「病妻記」(これがのちに「死の棘」になります)で、激しく島尾敏雄を責めるミホさんをまた私は思い浮かべていました。

   http://shomon.net/books/simao1.htm#simao  島尾敏雄「死の棘」
   http://shomon.net/books/simao1.htm#simaomiho  島尾ミホ「海辺の生と死」

 その私の知っているお二人の姿とは違うのですが、でも違うと言っても、「あ、やっぱり」ということで、私はどうしても判っているはず、知っているはずののお二人なのです。
 そのお二人の子どもの視線からの書いてある文は、涙を流したり、本を伏せたりするほど笑っても、やはり読んでいてはげしくひきつけられ、夢中になって読んできました。
 それと、この伸三さんのえがいている世界は、「よく前にも誰かが書かれていたような世界だが、こんな姿があったんだ」と、私の知らない日本のように思いましたが、だんだん読んでいくうちに「あれ、まてよ」と気がついてきました。
 たしかに、東京小岩あたりのことはあまりなく、もっぱら島尾敏雄がミホさんの治療のために、奄美に住んでからのことが多くて、奄美では、いわば私の住んできた、札幌や名古屋、鹿児島という都市の生活とは大きく違うのですが、彼も私の同じ昭和23年生まれです。「あ、こんなことあったな、こんな変な人がいたな」といくつも類似する事象を見つけていました。
 私も、「そんな私の前にあった懐かしい風景を書いてみよう」なんて思ったものです。
 あ、伸三さんの写真も、そして奥さまの登久子さんの写真も見てみたいなと強く思いました。

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06110201 私が島尾敏雄という作家を知ったのはちょうど沖縄が日本に返還されたころのことでした。東大闘争のとき同じ屋上で一緒に闘った友人に「沖縄問題なんかのつまんない本読むんなら、島尾敏雄の本読んだほうがいいぞ」と教えられたものでした。当時住んでいたところの浦和市北浦和の浦和市民図書館(現在はさいたま市図書館北浦和図書館)へいって読み初め、たちどころに島尾敏雄の世界に没頭して、小説もエッセイもある限りの全作品を読みました。また吉本(吉本隆明)さんの島尾敏雄論も、二人の対談も興味深く読みました。文芸雑誌でも島尾敏雄に関するものはすべて読んできました。
 島尾敏雄の作品には、3つの世界があります。戦争と病妻ものと彼の特異な資質からくる異常体験というようなもの(ちょっと表現がよくないのですが、どう表現したらいいのか判りません)です。どれも時間をかけて読んできたつもりです。「吉本隆明鈔集」の

 http://shomon.net/ryumei/yo9.htm#73simao 島尾敏雄の感受性の特異性

に、私は以下のように書きました。

 島尾敏雄から戦争と病妻をさしひいてみる。そうすると何がのこるのか。さらに難解なものがそこにあることにきずく。なんにしても彼は宿命のように文学に到達したのだ。いま島尾敏雄は吉本さんの解釈にどう答えるのだろうか。彼の生まれながらの特異な感受性があの戦争もミホさんも呼び込んでしまったのだろうか。

 やはり、私は「この通りだよな」と思わざるを得ないのです。やはりもっと書いていかないとならない作家です。
 ただ、まだ「死の棘」の書評しか書いてありません。次に書こうと思っている作品は決っているんですが、まずは、もう一度読み直してからと思っているのですが絶版で手に入れられないのです。
 また奥さまの島尾ミホさんの作品も紹介してあります。彼女との出会いがなかったら(これは戦争がなかったらと言ってもいいのだが)、島尾敏雄の文学は生まれていなかったわけなのでしょう。
 二人の出会った加計呂麻島へ行ってみたいと、思うだけで、もう30年が過ぎてしまいました。(2003.07.21)

   http://shomon.net/books/simao.htm  周の書評(島尾敏雄篇)

 私はある作家が好きになると、ほぼその作品をほとんど読んでいまいます。ただすべてに近いくらい読んでいきますと、その作家の作品をすべて好きだとは言えないようなことも起きてきます。これは誰に対しても同じ思いに至るものです。
 ただし、そうならない作家といいますと、私には吉本隆明とこの島尾敏雄なのです。

 それから、私はこの島尾敏雄さんの息子さんである島尾伸三さんの写真も好きですよ。

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 私は今年の1月から、東京北区の王子に妻の実家に住むようになりました。義父の身体の具合が悪く入院して、義母の介護をしなければならなくなったからです。
 だが、義父は3月9日に亡くなりまして、義母の介護も、もう臨時的なこととはいえなくなりました。もう来年の3月には、次女も結婚しますので、そうしましたら、長く住みました我孫子ですが、引き払おうかと決意しています。
 そうなるのなら、本格的にこの王子の住民になろうと、すぐ近くの図書館の利用カードを手にしました。今思えば、もっと早くやるべきでしたが、私は職場事務所は御茶ノ水であり、自宅は我孫子だという意識が強くあったのですね。
 もうそうではなく、ここ王子の住民になろうと決意しました。我孫子には、私の大事な母がいますが、その母のことは義姉にまかせます。もちろん、私もときどき母に会いに行きます。
 でも、この王子にも大切な義母がいます。だから私はここの住民になるのです。それで一昨日(10月21日)自転車を買いまして、その前日この図書館のカードを手に入れました。

 http://www.kitanet.ne.jp/~kitalib/  東京都北区図書館ホームページ

 今の図書館というのは、こうして自在にインターネットが使えていいですね。これなら、図書館の本をいわば自分の蔵書のように考えていけます。
 私は昔北浦和にありました浦和図書館で、かなりな本を読みました。思えば、中里介山「大菩薩峠」、アレキサンドル・ディマ「ダルタニアン物語」、それに島尾敏雄はすべての作品をここで読みました。
 我孫子図書館もよく利用しました。山口瞳の作品は、「男性自身」含めてほぼすべて読みました。だが、我孫子図書館は私の印象では、あまり本が増えないので、そのうちに、この図書館までいく途中の古書店で、早川文庫のSF等々をたくさん買いまして読むようになったものでした。

 私はこのごろ、読む本を探すのが大変なので、まずは明治書院の漢文大系をすべて手に入れて読もうかなんて思っていました。莫大な量があり、お金がかかりすぎますが、簡単に読めないから、自宅でゆっくりという気持でしたが、もうそばのこの図書館ですべて間に合います。
 それと今は、こうしてインターネットが使えるのが実に便利です。
 どうしても、自分の本にはしたくないが、どうしてもある部分を探して読みたい著者がいます。でもあちこち探してもありません(たくさんある文庫本には載っていないのだ)。神保町のある本屋ではあるのですが、その著者の全集のある部分だけを読みたいから、その1巻だけ欲しい、しかもそれがどこにあるか判らないので、探したいなんていえません。大きい本屋の上のほうの棚にあるし。
 でもこうしてインターネットで探せれば、東京中の図書館の本を探して、借りることができます。これができれば、実に私は助かることがあるのです。
 このサイトは、私のブログ将門のサイドバーでリンクしています。

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