将門Web

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Tag:己という存在

12091808 藤田典さんの「ダダさんの掲示板」で、このUPがありました。まだ書き足りませんでした。

己という存在が 投稿者:管理人  投稿日:2012年 9月18日(火)08時57分54秒
  確かに生きてきた一つの証を残す意味も含めて、自分が自らと正面切って向き合いながら、あれやこれやと考えてきた事柄について記録し、それを一人でも多くの人に読んでもらいたいと言う思いで始めたホームページ、早いもので、もう十年以上の歳月が流れました。何時まで続けられるだろうか?続けられなくなるまで、書けば良い。そう考えています。

 私は最初はNIFTY-Serveに書き込んだものです。1992年だったかな。それで同時くらいに、近所の柏市民ネットというパソコン通信の会員になったものです。その頃は、みな電話回線でつないでいたものです。だから、私はとにかく、自分のパソコンで書いてUPするときだけ電話をつなぐというやり方を徹底しました。だから私は書いている量に比しては、電話代はかからなかったものでした。
 その後1997年からインターネット接続になり、同じ地域内は(私はその当時は千葉県我孫子市でした)通信料は無料でした。ここで私は自分のホームページを立ち上げたものです。御茶ノ水に事務所もありましたから、自宅と両方でやっていました。
 そのあと、今の時代になりました。だから私ももう10年以上やっているのですね。なんとなく、今では年月がちゃんと数えられなくなった気がしています。

12091802 藤田典さんの「ダダさんの掲示板」で、このUPがありました。

己という存在が 投稿者:管理人  投稿日:2012年 9月18日(火)08時57分54秒
  坂本龍馬は、不確かな記憶によれば、小学校の5年生になった頃、学校の図書室にあった「日本の偉人」というシリーズ物の一冊で知りました。子供心に「何となく、恰好ええなぁ」と感じたものです。剣道の達人、北辰一刀流の使い手、そんな言い回しが文章の中にあったのでしょう。大人になってから、司馬遼太郎の作品を知り、龍馬を巡る人間模様も知りました。歴史に「若しも」は禁物ですが、龍馬とさな女が添い遂げて子孫を残したら、どんな家族になっただろう、と想像してみるのも歴史好きの楽しみの一つかも知れません。

 私も、「司馬遼太郎『竜馬がゆく』」を読みましたのは、高校生のときでした。
 その後『燃えよ剣』『功名が辻』『国盗り物語』『北斗の人』『殉死』『坂の上の雲』『城塞』『花神』『播磨灘物語』『翔ぶが如く』『空海の風景』『胡蝶の夢』『項羽と劉邦』『韃靼疾風録』等長編は読みました。
12091803 短編でも『酔って候』『人斬り以蔵』等は読みました。多分もっと読んでいます。ほぼ兄の本で読んできました。
 あともっと短編は読んでほぼすべて読んだかと思っています。ただし、『街道をゆく』は全部を読んではいません。
 そうですね。その中では、『竜馬がゆく』は好きな作品です。ただ『翔ぶが如く』『項羽と劉邦』などは好きになれません。『殉死』は私の嫌いな作品といえるかと思います。 また一つひとつの作品にもいつか述べることがあるだろうと思っています。

 この『竜馬がゆく』は私も、「これが坂本龍馬なのだろう」と思い込んでしまった作品です。乙女姉さんも、こんな人なのでしょうね。私は乙女さんが結婚して結局別れてしまったことを思います。相手はお医者様で、子どももいたのですね。
 ただ土佐というとこころは、ものすごく離婚が多かったようです。今よりも多かったようです。しかも女性から離縁することも多いのです(ただし、乙女姉さんは違いますが)。
 その彼が千葉さな子と一緒になっていたらどうなのでしょうか。さな子は亡くなるまで龍馬と婚約したと言い続けたそうです。そして彼女は独身を貫くのですが、つい近頃は、違うことも分かってきたようです。つまり彼女にはほかにも好きな男性がいたようです。
 千葉道場の辺りをまた歩いて、そんなことも想像したいです(前に私が歩いたときには、この新しい男性の存在は知られていませんでした)。
12091804 思い出せば、私は吉川英治のあとに、大量に読みました時代作家です。私はけっこう司馬遼太郎は読んでいる人が多いので、話すと、「私が遼太郎が好きではないのだ」と思われるかたがいるようですが、そんなことはないのです。
 ともあれ、また読んで行くことはないでしょう。とくに、毎朝日経新聞で「浅田次郎『黒書院の六兵衛』」を読んでいますと、「もう司馬遼は読まないだろうな」なんて思いになります。

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