10122001 以下の記事を目にしました。私は「え、この人はまだ生きていたんだ」と大層驚いたものでした。

[訃報]奥むめおさん 死去=元主婦連会長、元参院議員 「オシャモジ」デモを定着
          97.07.07  東京本紙夕刊 11頁 社会 写図有 (全768字)
 庶民の暮らしと女性の地位向上を目指し大正、昭和にわたって消費者運動、女性運動をけん引してきた元主婦連合会(主婦連)会長、元参院議員の奥むめお(おく・むめお、本名梅尾=むめお)さんが7日午前0時15分、脳動脈硬化症のため東京都新宿区若葉1の20の自宅で死去した。101歳。葬儀・告別式は10日午前11時半、同区南元町19の2の千日谷会堂で。葬儀委員長は三木睦子さん。喪主は長男杏一(きょういち)氏。
 福井市出身、日本女子大在学中から社会問題に関心を持ち1920(大正9)年に平塚らいてう、市川房枝らとともに新婦人協会結成に参加。23年に月刊誌「職業婦人」(後に「婦人運動」)を創刊、東京の下町に婦人セツルメントを設立し女性の生活向上に取り組んだ。戦後は47年に参院議員(全国区)に当選、計3期務めた。48年に主婦連を創立し、89年まで会長を務めた。
 不良マッチ追放、米価値上げ反対など、徹底して「暮らし」の問題を取り上げ、シャモジを手にしたデモのスタイルが「オシャモジ主婦連」の名を定着させた。
 ◇前参院議員で日本婦人有権者同盟会長の紀平悌子さんの話
 私が市川房枝の秘書時代によくお目にかかったが、常に家庭経済という観点から運動に取り組んでいた。戦後すぐに不良マッチや電気料金値上げ反対など、今でいう消費者運動の先頭に立っていた。市川が婦人運動の母であったとすれば、おばさまって感じがしていた。
 ◇清水鳩子・主婦連会長の話
 日本の消費者運動や婦人運動の草分けで、「泣き寝入りしないで声を出す」という女の呼び掛けに筋を通した人だった。運動の原点は常に暮らしの中にあり、「台所の声を政治に反映させよう」と、赤ん坊を背負いながら、うそつき表示や欠陥商品の追放に声を上げた。婦人参政権の獲得や働く女性のための託児施設作り、生協運動と幅広く社会事業を手掛けた。毎日新聞社

 いわゆる「おしゃもじおばさん」というか、私などは「おしゃもじババァ」と言ってしまいますが、その本家そのものの人ですね。
 さて、私は意地が悪く、例え亡くなったといっても、その人を「水に落ちた犬を打て」(魯迅の言葉)ばかりに攻撃してしまうところがありますが、この際、少し書いておきたいと思いました。どうせ、こんな人のことについて書くことなんか、このあと絶対にないだろうと思うからです。
 この人も市川房枝と同じで、近衛新体制(大政翼賛会)を謳歌礼賛して戦争体制を支え、その後そのことを少しも反省しない人です。私は、私の父のようにたくさんの国民が赤紙1枚で戦場に狩り出された訳ですが、その裏でそうした体制を推進した連中を許すことができないのです。そんなに戦時体制が好きで、戦争こそが女を解放するというのなら、お前らが中国や東南アジアへ銃を持って真っ先にいけばよかったのじゃないか。

 物が不足するから配給制度になったのではない。消費を通じて生産を合
  理化すること依り、資材の公平なる配分と、より高度に戦争目的に副は
  うとするのである。このために協同化が求められる。人の労力も、国家
  の尊い富である。一人の力も有効に国家目的に用いられるべく無駄に費
  消せられるべきではないから協同化が必然的となる。斯くて、金子と物
  と人の三つの面に亘り、私たちは動員せられてゐるのである。
                                           (「働く生活と結婚」)

 これが「婦人セツルメントを設立し女性の生活向上に取り組んだ」ということの行き着いたところです。働く女性が自らの生活向上に取り組もうというのは、正しいことだし、いいことです。だが、なんで戦争目的のためにやらにゃならないの。私の母は、戦前にOLとして働いていました。昭和天皇の御成婚のときに、日本橋のビルの中から、算盤をはじきながら、憲兵の見張りの中、その結婚の行進を見ることができたと言っていました。母は自分の為に働いていました。けっして、戦争の為に働いていたのではありません。

  戦争第一主義! 高度国防国家の建設へ。国力を挙げてこの一点に集
  中しなければならない大事な時に、私たちが心掛けて実行しなければな
  らぬ大小のことが、実に、身近く日常の生活とともにあるのです。
             (「花ある職場へ」『戦争は銃後にも』)

  国家の超非常時に、非常に労働力の不足を告げてゐる今日、個人的な
  理由に依つて、職に就いたり就かなつたりする自由は既に失われたとい
  わねばならない。働かない有閑の婦人の存在はもはや許されない時代で
  あるから。     (「花ある職場へ」『共稼ぎ生活の旗高く』)

 これほど、戦時体制を支えたいのなら、自分で戦場へ行ってくれといいたいのです。たくさんの若者があの戦争で亡くなりました。誰もが、自分の人生を自分の為にこそ使う権利があるはずなのに、アジアの海に野山に倒れてしまいました。そしてアジアのたくさんの地域の方々も亡くなりました。 そして大事なのは、たとえ、こうした過去があったとしても、その自分のやったことを反省してくれればいいのです。市川房枝も同じなのですが、そのことをまったく反省することなく、戦後また同じようなことをそのままやろうとしてきたからこそ、私は許すことができないのです。
 婦人解放という運動をすることはいいのです。だが、その運動が過去犯してしまった過ちを自省することがなければ、そんな運動なんかどうだっていいのです(もちろん、戦前戦後と正しく婦人運動を貫いた人もいるわけだと思いますが)。
 こんな人がいるから、私は「主婦連」という言葉に、侮蔑感を込めてしまうし、「おしゃもじババァ」と呼んで馬鹿にしてしまうのです。(1997.07.13)