将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:平井玄

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新聞名 図書新聞第2936号
発行所 図書新聞
定 価 240円
発行日 2009年10月10日
読了日 2009年10月3日

 一面の見出しをみて、「これは読みたくないな」と思ったものでしたが、でもちゃんと読んでみて、私の偏見がいけないだけだということに気が付きました。

評者◆杉村昌昭・平井玄 ドゥルーズとガタリの生成変化――六八年から八〇年代までの闘争を回顧で終わらせないためにドゥルーズとガタリ
交差的評伝フランソワ・ドス著/杉村昌昭訳 河出書房新社 

 思い起こせば、私が70年代前半にこの二人の人物を知った頃は、私なんか実によく判っていなかったのですね。そもそも私は「ドゥルーズ=ガタリ」を一人の人物と思い込んでいたものでした。もちろんすぐにちゃんと知りましたが、でもでも私は駄目なものでしたね。
 私はこのごろ、この日本とアメリカは、ごく普通の世界になっており、人もまったく当たり前に生きている。でもヨーロッパはどうしようもないな。とくにフランス人は、もう駄目じゃないか。イギリスもドイツもよくないけれど、でも書いている小説文章を読むと、少しはまともだが、フランスはどうしようもない、もうまったく腐敗が進んでいる。実はそれは私の好きな吉本(吉本隆明)さんのことを少しも判ろうとしないフランス人が許せないのです。フランスは第2次大戦で敗北して、負けた国として総括すればよかったのに、あの戦争に勝利したと錯覚(事実は勝利した側でしたが)したときに、あの腐敗がもたらされたと思うのです。
 でもでも、この新聞でお二人の対談を読んで、私の印象は違ってきました。

平井玄「……ぼくは、一九八四年に初めてガタリが日本に来たとき、山谷の日雇い労働者街に彼を案内しました。その時のガタリがどんな心理状態にあったのか、本書を読んで初めて知りましたね。……一方でガタリは、山谷の路上で寝転んでいる労働者たちに対して平気で路上に座りこんで話をするような人でした。いわゆる「フランス的知識人」といわれるような人たちとは違う人間であることが、言葉はわからなくても身ぶりだけで伝わった。いつどこでも何らかの「接合」をもたらす、まさに「活動家」なんだなと強く感じました」

 いや、フランス人にも真っ当な人がいたんだという思いですね。早速この本を読まなくてはならないなあ、という思いになりました。次も印象深いです。

杉村昌昭「思想というのはまさに機械状に、動的編成の中で出てくるわけです。D=Gの思想も、単に二人が手紙のやりとりをしながらできあがっていったのではなく、例えばアフリカのことに触れるんだったら、ガタリの友人のアフリカ研究者にドゥルーズが会いにいくとか、そうした交友関係の中である意味で集団的に書かれた著作なんだというイメージが浮かび上ってきます。D=Gが単発的に交叉したのではなく、力動的な思想運動の中から出てきた。ですから、D=Gというと二人だけのようですが、その背後には自覚的にせよ無自覚的にせよ膨大な協力者がいたのです。六〇年代から九〇年代までのD=Gの時代の、大きくいえばフランスの左派の動きの中から、D=Gの思想は出てきたのです」

 私はただただ自分が反省しないといけないと思うばかりです。
 次は読んでみて、とても爽やかな気持になれました。

評者◆杉本真維子 どうってことない、という純粋

 歩きながら、自分のなかに、うれしいような気持ちが留まっていると気づいた。でも、どうってことない、とちょっとむりに思い直し、次の用事へと向かった。
 すると、平静なこころの下からむくむくと、照れくさい気持ちが湧いてきた。そのとき、私はどんな顔をしていただろう。もしかしたら、この数年でもっとも、初々しい顔をしていたかもしれない。

 でも今では、こんな気持になれる瞬間というのはないですね。少し哀しいことなのですが。

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新聞名 図書新聞第2928号
発行所 図書新聞
定 価 240円
発行日 2009年8月1日
読了日 2009年7月25日

 次を読みまして、ただただ昔を思い出していました。

評者◆平井玄 追悼・平岡正明 笑い続けた男 好漢平岡正明、暁に死す!

 2面の訃報を読みますと、まだ68歳だったのですね。なんだ、まだそんな若いお年だったのですね。私とは7歳しか離れていないんだ。

 平岡正明は「笑い続けた男」である。1960年の第一次安保闘争このかたの半世紀、彼の言葉から笑い声が絶えたことはなかったと思う。捩じれたインテリのシニカルな薄笑いではない。人を嘲る「嗤い」でもない。自分自身もろとも中空高く笑い飛ばし、舞い降りてきた時にはクリナメンさながら、ありえない光景に降り立つ――といった笑いだった。70年代の辛い時期には、ほんの一瞬だけその声が掠れて聞こえたことも確かにあったが、そんな時でも「笑うこと」、その跳躍力を思い出させてくれたのは間違いなく彼の文章である。ベルクソンを訳した林達夫や『大夫才蔵伝』の鶴見俊輔、そしてアルレッキーノを論じた山口昌男といった「笑い」について考察した思想家たちはいたが、生涯かけて飽きもせず実践した酔狂極まりない者は、平岡正明ただ一人である。

 もうただただ、何もかもがあちらへ行ってしまうさまを目の前にしています。私だっていつになるか判らないのですね。
 もういくつものことを思い出しました。

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