将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:平清盛

201707030512102811うこのポメラで書くのは大変です。三皇五帝を書くのも大変なのです。

2012/10/28 06:31「はやく起きた朝は」でハロウィンのことを話していました。昨日の三匹のことを思い出しました。ポコ汰は鬼太郎、ポニョは猫娘、ポポは目玉おやじでした。
私も遙かな昔、昭和30年(だったと思うのです。29年ではなかったと思うんだなあ)の札幌での出来事を思い出していました。
けっこう寒くなりましたね。
2012/10/28 07:31今日もまた「がっちりマンデー」を見始めました。今日はまた三匹の孫の会いに行くつもりです。
2012/10/28 12:16どうしてもポコ汰に電話してしまいました。昨日もっといたかったな。それでポポも電話でばあばと喋っていました。
2012/10/28 17:32「笑点」を見にきました。
2012/10/28 18:24「司馬遷『史記』」の「本紀」の最初を読み返しました。黄帝は少しは書いてあるが、二代目顓頊(センギョク)、三代目帝嚳(テイコク)、・・・もうポメラでは面倒です。あとでパソコンで書きます。
121028122012/10/28 19:52もうすぐ「平清盛」を見ます。今日はたしか鹿ケ谷ですね。

五帝の名前を書こうとしましたが、大変ですね。このあとインターネット上で現すのも大変なんだろう(できないのだろう)な。

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12071611 テレビで藤木直人を見て、西行を思い出し、文覚と袈裟御前を思い出しました。

2012/07/17 12:33今「笑っていいとも」に藤木直人が出ています。彼はNHKの「平清盛」で西行役でした。私はいくつも思うことがありました。あのときには、そばに法然もいるし、文覚(遠藤盛遠)もいるのですね。文覚が袈裟御前に恋して、結局殺してしまう(袈裟はわざと自分の首を切らせた)ことや、やがて伊豆蛭ケ島の流人頼朝のところへ行って、わけのわからないしゃれこうべ(髑髏)を見せて、父親義朝とものものだということを言いまして平氏追討を言いいます。(さらには平家滅亡のあとは、平家の子孫に、頼朝の源氏追討を勧めたといいます)。
 まあ、文覚は少しむちゃくちゃな人だったのだろうな。清盛もやがては頼朝も気にいらなかったのだろうな。西行のことも嫌いなのですね。

 文覚が西行を嫌いだったのはなんだか分かるな。私は西行のことを「好きだ、評価する」といながら心の中は違う感じです。私しゃ、あんな秀才ではないのよ。それと、自分の子どもをけり倒してはいけません。

12062207  今はおはぎの家にいます。ばあばが8時代に着いて、じいじは11時50分頃つきました。
 ポコ汰とポニョは、パパと越谷じいじばあばの家へ行っているのです。
  ポポが眠るかなあ、と思っていましたが、もう眠らないでいっぱいのことをやっています。 今やっとポポがママとお昼寝にいきました。
 私今は「平清盛」をまた見ています。今週の日曜日に見ていましたものでした。

12051406 この日はいくつものことがあったものです。

2012/05/13 06:31今フジテレビで、「はやく起きた朝は」を見ています。いつもこの「はやく」は漢字を使うのかどうかと考えてしまいますが、使わないのね(今偶然に画面にでていました)。でもいつも見ているのに、忘れてしまう私はどういう人間なのだろう。
 しかし、私はこの毎朝こうして書いていてもだめなのですね。私は毎日起床時間と就寝時間を書いているのですが、このごろそれを私のブログに記さないで、いけないなあ。もう数ケ月記録がたまっています。
 それと今朝起きたときに、記したら、今日が14日になってしまうのです。なんか、一日に二回書いてしまっている日があるのです。
 しかしこれでは私は頼りになりませんね。あとでまた詳細に調べます。
 昨日は私は11時に西ヶ原の「北区防災センター」へ行きまして、それが12時20分くらいに終わると、「平塚亭」で和菓子を6つ買って、上中里のおはぎの家へ行ったのです。5月11日が満2歳の誕生日で、でも昨日をポポの誕生日にして、
お祝いにも行ったのです。それで妻も行っていたのですが、妻は午後鍼治療があって、私はいったん家に帰りました。
 そして午後5時すぎに、また行きました。もうポポももう嬉しそうでした。
 やっぱり何度もいいますが、孫はもう可愛いですね。何度も同じことをいいます。私はいいすぎです。
 今「ボクらの時代」を見終わりました。
2012/05/13 07:32今は「がっちりマンデー」を見始めました。でもいつもたくさん単語登録していますね。どんどんこうしていくつもの言葉を登録できるのは嬉しいです。
2012/05/13 07:59面白いですね。こうして、テレビを見続けているのも、実に面白いです。
2012/05/13 17:40私の3人の孫がここに来てくれて(みんなで「島忠家具センター」へ行ったのです)、実ににぎやかなのですが、でもじいじの私が一番おろおろしています。
2012/05/13 17:59ここに昔の私の家族や私の兄弟や友人の家族の写真があります。そうすると、私含めて実に若いですね。だから私は今はじいじというよりもじじいなんだなあ。つくづく嫌になってしまいます。
 まあ、でももう私もじいじなのだからしょうがないです。
 今日「島忠家具センター」でいくつかカーネーションを、ポコ汰、ポニョ、ポポが買いました。みんなママのおはぎにプレゼントして、私の妻のばあばにはおはぎがくれました。
2012/05/13 19:59今は食事を終えました。「平清盛」を見にきました。私にとって、平将門様を尊敬崇拝する私にはやはり平貞盛の子孫伊勢平家は敵でしかありません。どうしても許すことはできません。
 でも清盛には昔から魅力は感じていました。「吉川英治『新平家物語』」で一番目の主人公のこの人物は良かったものです。やはり、三番目の主人公源義経は少しも魅力を感じたことはありません。

 主張の強い三人の孫、おろおろするじいじの私なのです。

201704030711041605  平清盛は、1118年(元永元)〜1181年(治承5)3月20日の生涯でした。亡くなったのは64歳でしたから、当時としては長命だったものでした。私は「吉川英治『新平家物語』」で、この清盛がよく泣くことが好きだったことが書いてあります。
この小説は主人公が平清盛、木曽義仲、源義経の3人です。実に私の好きな作品です。
その清盛は、義経の母親である常磐御前を見染めてしまうのです。
常磐御前は1138(保延4年)の生まれで、亡くなった年は判っていません。源義朝の愛妾でした。二人の間には、今若、乙若、牛若の3人の子がいます。最後の牛若が源義経です。だが、平治の乱で義朝は平清盛に敗れます。関東の強力な武士団を率いていた義朝のほうが勝って当然なはずなのですが、はっきり言って義朝には、運も能力もなかったのだと思います。
ただ、源義朝が敗れるときに、この常磐御前も幼い3人の男の子を連れて清盛の愛妾になります。彼女の助命の願いがかなったのか、この3人は助けられます。でも同時に頼朝の命も助かりますから、のちの鎌倉幕府を作った源頼朝のように、悪辣ではなかったのがこの清盛だったと思いますね。
常磐御前と清盛の間には、女の子ができます。この子は廊御方といい、清盛の八女でした。のちに壇ノ浦の戦いで、源氏の捕虜になります。その後は不明です。
そもそも、常磐御前のその後も判っていないのです。(2011.04.17)
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俊寛 (日本の物語絵本)
俊寛 (日本の物語絵本)
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書 名 俊寛
文   松谷みよ子
絵   司修 
発行所 ポプラ社
定 価 1,200円+税
発行日 2006年6月第1刷
読了日 2010年8月21日

 私が小6のときに、鹿児島に引っ越したときに一番最初に関心を持ったのが、この俊寛のことで、住んだ町にあった俊寛の碑を見ていたものでした。
 この絵本の最後に西本鶏介さんが次のように書いています。

 鹿児島県鹿児島郡三島村の硫黄島には俊寛堂があり、足摺の足形のついた岩も、港の中に残っているそうです。なお大島郡の喜界が島だという説もあります。

  私は鬼界が島は、喜界が島だとばかり思い込んでいましたが、今こういうことも知った思いです。
 この俊寛の話は、「悲劇の極致」と書いてありますが、その通りですね。私は平清盛は実に好きな人物なのですが、でもこの俊寛の物語では、彼にこそ、この話の原因があるのだということが忘れられません。

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