書  名 出社に及ばず
著  者 渡辺一雄
発  行 廣済堂文庫
1978年6月日経新聞社より発行

11051508 著者はデパート大丸の社員でした。昭和55年に退職しています。この著者にとってこの大丸での社員としての体験をさまざまな形で作品にしているようです。どの作品も会社という世界で、いかに多くの社員たちが毎日呻吟しているのかが伝わってきます。この著書はまだ大丸に勤務していた時代に書いたものです。
 私はちょっとした規模の会社にサラリーマンとして勤務したのは、2度あります。1社は入社して約6か月で組合を作って激しく闘いだしましたので、あまり「社員生活」をすごしたとはいえないのですが、もう一つは約3年在籍しましたから、それこそいろいろな社員としての存在の不条理を知ることができたように思います。
 どんなことがあっても会社のために邁進する社員がいいのだというような言い方がありました。だから、社長にたいしてもなんでもはっきりいうことが必要だということでした。率直に社長に対してものをいうことは歓迎され、社長もそれを待っている、ということでした。私はそのとおりに振舞いました。私のそうした行動を社長以下も大いに評価してくれているようでした。ただ、その最初のころ、私に忠告してくれ年上の社員がいました。

  社長にずけずけいってしまうことが、評価されるようにいって
 いるが、会社なんてそれは建前で、本音はあの社長も自分におべっ
 かつかう社員が一番いいんだよ。気をつけないと駄目だよ。

 この言葉は何年後かにいやというほど、私には判ってくることになりました。

 この作品では主人公は京都支店の副支配人をやっているのですが、ある日支配人に呼び出され、長期休暇届を出すようにいわれます。それは会社のある失敗作を、彼の責任ということでかたづけたいからなのです。元気な主人公もかなり「会社のため」という言葉でかなり悩みます。実際に身体を悪くして入院することになりますが、そうなると彼の側近であった社員もひとりも見舞にも来ないという事態になります。もう彼は会社には無用の社員になってしまったのです。
 その病院の中で、彼は自分のデパートに対してもともともっていた夢を思い出します。その夢の実現のために懸命に働いてきたのに、会社は自分に何をしてくるのだろうか。そこで、もはや会社のためになんか考えるのをやめ、ひたすら会社に復讐しようという気になり、詳細にその計画を練っていきます。このところが、この作品が後半にたってさらにもりあがっていくように思えるところです。この復讐劇は見事成功します。成功して、彼は前支配人を追い出し、自らその地位を確保します。成功したといっても、彼のこの復讐劇の中で、自殺する社員も出てきます。そして、また彼を脅かす彼の側近が出てくる形を残して、この作品は終ります。もう彼は会社のためではなく、自分のことしか考えずやっていく気なのですが、実際にこうして復讐劇が成功し、自分が支配人になってみると、やっぱりその地位を守ろうと、今までと同じ会社人として振舞うしかないのかもしれません。そしてやがてまた彼も側近の野心家に追いはらわれるのかもしれません。
 たいへんに後半はドラマチックなのですが、私はこの展開とは違って、もう一つの展開の形もあるのではないのかと思うのです。彼が復讐などを考えず、ただ「会社のため」にそのまま、退社し、会社の誠意を信じながら、結局会社に裏切られ、ぼろぼろになっていくというような展開です。もちろん、その形は、彼の昔の上司にそのような人がいたという形で、すでに提示されているのですが、そうした形で終ってしまうのが、多くのサラリーマンの姿であるような思いがするのです。
 もちろん私はそうした惨めな主人公ではなく、方法はさておき、こうして闘いに勝利(勝利といえるのか)していくほうの主人公の姿を見ているほうが、少しは思いが晴れるのは間違いありません。(1994.05.12)