将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:徳富蘇峰

11021009 私はこの蘆花が中学生の頃一番好きな作家でした。とくに、この『思出の記』が一番好きでした。
 たしか昭和37年12月に鹿児島市の照国神社の前の古書店で求めたものでした。
 岩波文庫で「蘆花」という名前ではなく、「徳冨健次郎」(私は「冨」「富」を使い分けて書いています)という名前での文庫本でした。同時に漱石の『硝子戸の中』も買ったのを覚えています。その古書店はいつも、「○○円でよろしゅうございます」とかなり値段をまけてくれるおばちゃんがいてくれたものでした。
 私はその前後も蘆花の作品はかなりな量を読みました。そして私は蘆花のファンと言ってもいい感じになっていたものです。
 私はどうしても、蘆花の兄の徳富蘇峰が嫌いでした。彼のいくつもの漢詩も、彼がいくつも書いている文章も嫌いでした。だが、16、7年くらい前に、蘆花公園の蘆花記念館に訪れたときに、私は蘆花と奥さまの愛子さんのことをとても大事にしている兄の蘇峰を感じて、でも最後まで兄を誤解していただろう蘆花も感じました。そのときに、私の蘇峰への思いは、不思儀なくらい氷解していったものでした。今では蘇峰の漢詩も大好きになりました。
  蘆花は、1868(明治元)年12月8日~1927(昭和2)年9月18日の生涯でした。この『思出の記』は、蘆花の自伝的小説です。徳富家は熊本の出身です。この熊本も、西南戦争のときに西郷軍に同調して決起する若者がたくさんいました。そうした若者たちと同じ気持でいたのが蘆花でした。それに大して蘇峰は、それをいさめるというか、それに反対の立場でした。私はそれがもともと蘇峰が嫌いな点でしたが、そのことも私の中では、もうすべてが氷解しました。思えば、あの時期はすべてが仕方なかっただと思うのです。
 蘆花は熊本から同志社に入ります。その軌跡がこの小説でつぶさに読めていたかと思います。
 その後も蘆花の作品はたくさん読みました。でももう読もうという思いもなくなりました。この『思出の記』も、もはや私から遠くに行ってしまった作品です。(2011.02.11)

10112505 私の好きなヨーロッパの英雄にナポレオンがいます。このナポレオンのことを詩いました、七言絶句が徳富蘇峰にあります。これは明治29年蘇峰24歳の作です。

  奈翁(なおう) 徳富蘇峰
 歐南歐北拜旌旗 欧南欧北 旌旗を拝す
 孤島幽囚彼一時 孤島幽囚 彼も一時
 蓋棺百年無定論 棺を蓋(おう)て百年 定論無し
 亂山何處出奇兒 乱山何れの処にか 奇児を出だす

 全欧州に旗を翻したが
 孤島に幽囚のの身となったこともある
 死して百年たっても、今も彼ヘの論は定まっていない
 何れのところに こうした珍しい天才を出したのだろうか

 私は中学生のときから、蘇峰ではなく、徳富蘆花が好きでした。彼の小説をいくつも読みました。なかでも「思出の記」を一番愛読したものでした。私はこの小説を中学2年のときに、2度読み返したほどでした。
 この蘆花の、兄蘇峰への思いは実に複雑です。いや「複雑」というより、やはり蘆花は、兄蘇峰を嫌い抜いていたというところでしょう。その影響で、私も蘇峰が好きになれませんでした。
「自然と人生」の中の最初の小説「灰燼」の印象が強いのです。このことは以下に書いています。

  蘆花公園恒春園

 西南戦争で、西郷軍に参加する弟と、それを否定している兄という中で、私だって、もしその場にいたら、西郷軍にこそ結集して闘ったよと思っている私は、どうしても兄蘇峰のほうが嫌いでした。
 だがだが、やはりこれは蘆花の誤解です。兄蘇峰を誤解したままでした。そしてその蘆花の誤解は、亡くなっても、今も解けていないように思います。でもでも、それは蘆花の誤解であり、今は私は、蘇峰の偉大さに惹かれます。
 その蘇峰が、私の好きなナポレオンのことをこうして詩っています。おそらく、西南戦争での西郷南洲のことを、このナポレオンと比較したこともあるのだろうなと私は思っています。
 それにしても、ナポレオンを思う蘇峰の声をもっと知りたい気持がしています。 (2005.03.28)

10112504 テレビの明治期や戦前のドラマを見ているときに、よく「蘆花公園」の蘆花の住んでいた家が使われるのを見ることがあります。
 何年か前に朝9時に京王線蘆花公園駅で待ち合わせて、仕事がありました。仕事が終ったあと、「蘆花公園」へいきました。蘆花公園の駅からは歩いて15分くらいかかるでしょうか。正式には蘆花公園恒春園といいます。中には蘆花記念館があり、蘆花のたくさんの遺品が展示されています。
 私は中学生のときから徳富蘆花が好きな作家でした。「思出の記」が一番好きな作品といえるでしょうか。
 でもまず徳富蘆花で好きになれないところが2点ありました。

 1.兄が徳冨蘇峰であること。
 2.かなりレフ・トルストイを尊敬していること。

「自然と人生」の最初にある小説「灰燼」の印象が私には、この兄弟なのですね。私は西南戦争に参加する弟の方に当然惹かれるのです。そして、現実の蘇峰もあまり好きになれません。戦前の雑誌「日本人」で書いている内容とか、たくさん書いている漢詩も好きになれませんでした。大逆事件のとき、「謀叛論」を書いた蘆花とは相容れぬ存在だと思ってきました。しかし、その思いがこの「蘆花公園」にきて解消されました。蘆花と蘆花夫人愛子さんのお墓の蘇峰の書いた墓碑を読んだとき、私は涙が出てきました。蘇峰は弟と弟の才能を心から愛していたのだな、そしてその文は自分のことも反省しているように読めました。ああ、あの「灰燼」の兄弟ではなかったのだ、いや蘇峰はそうなりたくないのだと思いました。
 しかし、2番目のトルストイとの問題は、この「蘆花公園」にきてより大きなものとしてふくれあがってきました。この広大な公園(もとは農園だった)を見ても、蘆花へのトルストイの影響ははかりしれないものがあります。蘆花がトルストイと一緒に写っている写真があります。写真を一緒にとるだけにしてくれればよかったのに。
 私の行ったときの蘆花公園は、いろいろな人が絵をかいていたり、ジョキングしていたりで、「ああ、いい公園だな、こんな公園がそばにあったらいいな」という感じです。しかし、それがなにかすべてトルストイの影響のお蔭かと思うと、トルストイの嫌いな私には、なにか違和感を感じてしまいます。
 私はここから帰るとき、「トルストイ、トルストイね、トルストイ」とぶつぶつ叫んでしまいました。蘆花をトルストイから引き離すのはもはや無理でしょうから、私はトルストイ自身にいつか切り込んでいこうと深く決意したものでした。

 以上は2005年の1月くらいに書いていました。でも実は、同じ日に私はこのあと、地下鉄南北線で「ゲーテ記念館」に寄りまして、そこでもいくつものことを考えたものです。そのときのことはまた別に書きます。
 それと今では、私は徳冨蘆花よりも兄の蘇峰のほうが好きだと言えると思います。(2010.11.26)

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 昨年(1992年)の5月に朝9時に京王線蘆花公園駅で待ち合わせて、仕事がありました。仕事が終ったあと、「蘆花公園」へいきました。蘆花公園の駅からは歩いて15分くらいかかるでしょうか。正式には蘆花公園恒春園といいます。中には蘆花記念館があり、蘆花のたくさんの遺品が展示されています。
 私は中学生のときから徳富蘆花が好きな作家でした。「思出の記」が一番好きな作品といえるでしょうか。
 でもまず徳富蘆花で好きになれないところが2点ありました。

 1.兄が徳冨蘇峰であること。
 2.かなりレフ・トルストイを尊敬していること。

「自然と人生」の最初にある小説「灰燼」の印象が私には、この兄弟なのですね。私は西南戦争に参加する弟の方に当然惹かれるのです。そして、現実の蘇峰もあまり好きになれません。戦前の雑誌「日本人」で書いている内容とか、たくさん書いている漢詩も好きになれませんでした。大逆事件のとき、「謀叛論」を書いた蘆花とは相容れぬ存在だと思ってきました。しかし、その思いがこの「蘆花公園」にきて解消されました。蘆花と蘆花夫人愛子さんのお墓の蘇峰の書いた墓碑を読んだとき、私は涙が出てきました。蘇峰は弟と弟の才能を心から愛していたのだな、そしてその文は自分のことも反省しているように読めました。ああ、あの「灰燼」の兄弟ではなかったのだ、いや蘇峰はそうなりたくないのだと思いました。

 しかし、2番目のトルストイとの問題は、この「蘆花公園」にきてより大きなものとしてふくれあがってきました。この広大な公園(もとは農園だった)を見ても、蘆花へのトルストイの影響ははかりしれないものがあります。蘆花がトルストイと一緒に写っている写真があります。写真を一緒にとるだけにしてくれればよかったのに。私のいったときの蘆花公園は、いろいろな人が絵をかいていたり、ジョキングしていたりで、「ああ、いい公園だな、こんな公園がそばにあったらいいな」という感じです。しかし、それがなにかすべてトルストイの影響のお蔭かと思うと、トルストイの嫌いな私には、なにか違和感を感じてしまいます。
 私はここから帰るとき、「トルストイ、トルストイね、トルストイ」とぶつぶつ叫んでしまいました。蘆花をトルストイから引き離すのはもはや無理でしょうから、私はトルストイ自身にいつか切り込んでいこうと思いました。(1993.02.16)

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 本日、世田谷文学館で行われています「世田谷文学館秋の企画展」の

   http://www.setabun.or.jp/miyazawa/  宮沢和史の世界

へ行ってきます。
 妻と次女と三人で行きます。長女も行きたいのですが、お腹の赤ちゃんのことを考えて、今回はお休みです。
 蘆花公園駅で、我孫子から来る次女ブルータスと待ち合わせです。

 蘆花公園といえば、徳富蘆花の恒春園があるのですね。何年か前に宿酔の頭でここへ来まして、ある方とある会社へ行きまして、終わったあと蘆花公園をゆっくり歩いたものでした。私は徳富蘆花が好きなのです。
 ただそのにありました、蘆花亡き後の愛子夫人のことも気づかう、兄徳富蘇峰の碑の文を読んだときに、中学生のときから大嫌いだった蘇峰のことが実に理解できた気持がしました。なんだか、碑の前で、解けるように蘇峰へに嫌悪感が消えて、むしろ好きになったものでした。
 このときのことは、以下に書いています。

   http://shomon.net/bun/reki20.htm#roka  徳富蘆花の恒春園

 あの日は、とにかくひどい宿酔で、私はこの蘆花公園から、西ヶ原の「ゲーテ記念館」に行ったのでした。なにかトルストイへの嫌いな思いから、大好きなゲーテのとこへ行きたかったのです。
 あれは何年前のことだろう。たしか1995年のことかな。
 そしてゲーテ記念館で、長年疑問だったことが氷塊したものでした。あのときの、ゲーテの恋人フリーデリケの頬が少しづつ赤くなったのを覚えています。私の頭の中で、彼女の頬が少しづつ羞しげに赤くなったのです。

 とにかく、きょうは宮沢和史の世界です。

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