将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:徳川家康

1211280212112803  この挿絵が権現様(徳川家康)が関ケ原でも大坂の陣でも着用になったものだといいます。これを御黒書院上段の床の間にこれを据えるのだそうです。

 ・・・、鏡餅をお供えして上様はじめ大名緒役人が拝キするという尚武の儀式にござる。

 こんな儀式があったのですね。これが「勝川の御具足」といわれるものなのです。

12112607 勝川の御具足は祝儀前夜の丑の刻に紅葉山の御宝蔵から運ばれてくる。御玄関から先は御書院番士の務めであった。

 ここでこの津田玄蕃も六兵衛も何か役割をするのかなあ。

11042423 家康の生涯は、1543年(天文11)1月31日〜1616年(元和2)5月22日でした。彼は75歳まで生きていましたから、この頃としては長命なほうです。ただし、何度も亡くなっていて、その後は影武者だったという説があります(私は「隆慶一郎『影武者徳川家康』」が好きな作品です。他にもこの影武者説をとなえた人がいます)。
 信長の死後、「小牧・長久手の戦い」では、軍事戦では家康の方が勝利し、その後も臣従を拒み続ける家康に対して、秀吉は実の妹を家康の正室として送り届けます。当時家康には、正室がいなかったためです(家康の愛した女、築山殿)。
 その妹朝日姫は、尾張で百姓に嫁いでい暮らしいましたが、突然にこんなことになってしまいました。ただ、彼女は1543年(天文12)〜1590年(天正)2月18日の生涯でしたが、母親の大政所よりも先に亡くなっています。
 思えば、偉い弟のために苦労ばかりさせられ、嫁いだ先の家康も自分を愛してもくれないで、実に大変な生涯でしたね。(2011.04.27)

11042406 徳川家康は1543年1月31日(天文11年)〜1616年5月22日(元和2年)の生涯でした。家康の正室は、瀬名姫で、1542年〜1579年の生涯です。築山御前と呼ばれていました。今川家の人質であった家康(当時は松平元康)と結ばれます。彼女は今川義元の妹が母でした。
 永録3年(1560)5月19日の桶狭間の戦いで今川義元が敗死することにより、家康は独立でき岡崎に帰還しますが、築山殿は城に入ることはできませんでした。城の外れで幽閉同様の生活だったと言われます。
 ただこの築山殿との子どもが信康でした。この名前の「信」は織田信長の名前でしょう。この信康は信長の娘徳姫と結ばれます。だが、この二人には女の子は二人できますが、男子ができません。そして信長の命により、信康は切腹させられ、築山殿は殺害されることになります。
 家康はのちのちまで、この信康を失ったことを悔やんでいます。だがこの自分の正室だった築山殿のことはどうだったのでしょうか。どうしても自分よりも1歳上のどうしても気の合わない奥さんだったのでしょうか。(2011.04.26)

2018082701  詩吟をやる人がはじめて接する詩としたら、この詩だと思います。これはどこの流派でも同じだろうと思います。

富士山 石川丈山
仙客來遊雲外嶺 仙客来り遊ぶ雲外の嶺
神龍棲老洞中淵 神龍棲み老ゆ洞中の淵
雪如丸素煙如柄 雪は丸素の如く煙は柄の如し
白扇倒懸東海天 白扇倒(さかしま)に懸る東海の天

作者の石川丈山は徳川家康に仕えた武士ですが、大坂の役で軍令を犯したということで退けられ、京都に隠栖し、文学の世界にのみ生きました。京都の叡山の麓一乗寺村に詩仙堂を建てました。しかし、実は幕府のために朝廷を見張っていた役割をしていたのが本当の姿だったとも言われています。
さてこの詩は必ず詩吟の世界では詠われるわけですが、内容はさしていい詩とも思えません。龍が棲むという、洞中など、富士山のどこに見られるでしょうか。また白扇をひっくりかえしたとて、とうてい富士山の姿には似ていません。煙が雲のこととして、なんでそれが扇の柄なのでしょうか。あまりに作りすぎた詩のように思います。実際の富士山とは似ても似つかない山を思い浮かべてしまいます。それは中国の絵の中にあるような山のように思います。

初めてこの京都の詩仙堂に行ったとき、あまりにつまらない庭でがっかりしました(つまらないというのは、庭そのものはかなりなものなのかもしれませんが、私はあんな庭が好きになれないのです)。それでも私はまた何人かの詩吟をやるおばあちゃん方のグループが、この詩を吟じているかななんて期待もしていたのですが、いたのは若いディスカバージャパン風の女の子だらけでがっかりしました。もっとも私も、そんな風な若者のアベック同士でしたが。

ちょうどそのころ(一九七一、二年頃、二年間とも)、武道館でこの詩を四〇人位で合吟したことがあります。笹川良一が詩吟の世界を牛耳っていますから(彼の奥さんが笹川鎮江という詩吟歌手です)、毎年大きな大会が開かれます。しっかり詰入の学生服着て、懸命に吟いました。武道館はいっぱいの人だったものです。
思えば私はあの頃は、ある日はヘルメットかぶってデモに行き、ある日はまたこうして武道館で学生服着て詩吟やっていたんだなと思い出しました。いや、ヘルメット姿でアジテーションやって最後に詩吟やったこともありますけれどね。(以上も、私の52歳のある日に書きました)。

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