将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:怒る回数を減らすには?

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 SHIROのポメラ日記このUPがありました。

「『怒る回数を減らせ』って言ったって、子どもはいろいろ悪いことするし、そんなの無理だ」と考える大人の方もいることでしょう。
 そんなあなたのために、怒る回数を減らす、あるいは親子のコミュニケーションを変える、心理的なテクニックを一つ紹介しましょう。「私」ゲームと言います。

 私は二人の娘はそんなに怒らなかったかなあ。でも次女はとてもきかない子だったから、怒ったような気がしますね。だって、よその子どもに噛みついたりするのですから。一番の被害者はお姉ちゃんでした。
 私の妻は怒らなかったですね。そのことを今になってものすごく感心しています。

 このあとに書いてある、母と子の関係、その言い方やり方に、ものすごく頷いてしまいます。

 こうなってしまうと、親子の対話も何もないですね。不幸なコミュニケーションになってしまいます。

 こうなるのがすごく判ります。だから、この場合は大人である親が先にまともになるべきなのですね。

「こんなに遅く帰ってきて、あなた今何時だと思ってるの! あなたそれでいいと思ってるの!」
 このセリフで気がつくのは、主語が「あなた」であることです。主語が相手(子ども)なのです。
 相手を主語にして物を言うと、相手を責める言葉になりがちです。攻撃になってしまうのです。
 そこで、主語を「あなた」から「私」にしてみます。

「こんなに遅く帰ってきて、私心配しちゃったわよ」
「私」を主語にすることで、相手への攻撃ではなく、素直な自分の気持ちの表現になっています。気持ちと行動がちゃんと一致しています。
 これなら子どもの方も、「ああ、そんなに心配してたんだ」とお母さんの気持ちをそのまま受け取れますから、
 「ごめんなさい」
と素直に謝る事ができます。

 これで、「なるほどなあ」と感心してしまいました。

   そしてそのあとの「パット・パルマー」の絵本は、図書館に予約しました。でも、「ネズミと怪獣とわたし―やってみよう!アサーティブトレーニング」はないのですね。他のはありましたから、みな読んでみます。

 また、これまで何度も挙げている吉田賢治郎さんのブログ「けんじろうとコラボろう!」では、以下の実践が紹介されています。

  お父さんの「独り言ブログ」〜怒らない子育ての実践

 ある一家のお父さんが、家族だけが見られるブログ上で、奥さんや子どもに対して自分が思っていることをいろいろ書きこんでいます。これはまさしく「私」ゲームと通じていると思います。子どもを怒って攻撃するのではなく、自分の気持ちをそのまま表現して伝えているからです。きっといい家族になれることでしょう。

 この吉田賢治郎さんのブログはいつも拝見しています。いいお父さんですね。そしていい奥さまと子どもたちです。そしてそのことをそのまま書いてくれていますいいブログです。

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09022506 SHIROのポメラ日記このUPがありました。

 いつも私は斎藤さんのブログのUPについて、何か書いてきました。いや、私も「教育」ということには拘わりたいと思ってきたものなのですね。
 大学は埼玉大学の教育学部で、専攻は中学課程の社会科でした。専門は東洋史でした。でも私が入学したのは1967(昭和47)年で、激しい学生運動の時でした。だから当然私は活動に身を投じました。ただし、私はマルクス主義はまったく認める気持はありませんでしたから、その私の主張をしつこく述べていました。
 でもとにかく、東大闘争の69年1月の安田講堂で逮捕起訴され、8月21日に保釈なりましたが、すぐに9月19日の芝浦工大殺人事件ということで、12月10日再び逮捕起訴されました(ただし、この事件の真相は殺人でもなんでもありません)。
 だから、そのせいで、私は卒業後(6年かかって卒業しました)、どこかへ就職するのにも、この経歴が影響しました。
 でも、ちゃんと警察等の情報を調べない企業は、私をやとって、また強烈な労働組合を作られ大変だったようです。
 でも、もうずっとどこにも就職もできない形をずっと続けてきました。でも別に、だから面白くない、とか不満だということはありません。いろいろな職に就きましたからね。
 ただ、教育には関わってみたいという思いは、ずっとありました。
 思えば、その私の思いが二人の娘が教師になることにつながったのかな、と思っています。私はいつも二人の娘の勤めた学校へは行っています(いや、他の姪の子どもたちのところも行っていますが)。
 この斎藤さんが書かれている内容は実によく読んで、そしてたくさんのことを感じています。

 私がいる情報センターでは、子ども向けのイベントでパソコンを使った工作物を良くやります。
 例えば、電車の型紙にパソコン上で色を塗って、プリンターで紙に印刷し、はさみで切ってのりで貼ると、自分のオリジナルの電車ができ上がり。無料でやることもあって、家族連れに人気があります。
 ところが、子どもがパソコンの前に座って喜んで色を塗り始めると、隣に座っているお母さんが突っ込みます。

 「なんで窓に赤塗るの? おかしいじゃないの」
 「なんで髪の毛が青いの? 違う色にしなさいよ」

 しぶしぶ子どもは、お母さんの言うとおりに色を塗ります。私がそれを印刷して「はい」と手渡しても、その子はもうやる気を失っています。結局「やだ、お母さんやって」と工作の途中で放り投げてしまい、「自分でやりなさいよ」とお母さんが文句を言ってケンカになったりします。
 私はそんな様子を見ていて、「何で親の価値観を子どもに押しつけるのかな」と思います。

 私も、「窓を赤く塗る」のも好きだし、「髪の髪を青く」描いてしまう子も好きになれます。そういうことを、「君はそういう風に見えるんだね」てか、「そういう色をつけたいのね」と言えないのでしょうか。私も長女が小学校の図工の先生ですから、私は最初に授業参観に行ったときに、とっても面白い授業が展開されていました。私はそのときは、妹のブルータスと一緒に行ったのでしたが、私は決して自分の身分を子どもたちには明かしません。でもブルータスが妹だと判って、子どもたちはみな大騒動になったものでした。
 思えば、そういうことが懐かしいです。妹も最初は文京区の小学校で、臨時採用で、ある子のことをみていたのですが、私はいつも運動会や音楽会に出かけるのが大変でした。いや下手をすると、私は見ているときに、私の目に涙が溢れてしまうのです。それはまずいでしょう。
 私はいつも自宅でも会社でも、電車の仲でもパソコンを使ってきました。もう50台くらい使ってきたのかなあ。これがいいことだったと思いますよ。

 そもそも、芸術は自由なものです。絵を描く時も、そこに無い色を塗ったっていいし、そこに無いものを描いたっていいのです。例えば名画と言われる風景画でも、実際の景色と見比べると全く違っていたりします。現実そのままでいいのなら絵など描かずに記録写真を撮ればいいのであって、自分の描きたいもの、表現したいものを織り込むからこそ「その人の絵」なのです。
 子どもが「この色を塗りたい」と思うなら、怒ったりしないでその通り塗らせてあげればいいじゃないですか。

 たった今、私の長女おはぎのmixiを読みました。ポコ汰が描いた線画がそこにあげてあります。「え」という題名のUPです。おはぎは、次のように言っています。

「魚」らしい。まだ目を描いたり口を描いたりはしないけど、やっぱり子どもの描く線はいいな。どんどん「何か」を描けるようになってほしいけど、「何か」を描けるようになったら「何か」しか描けなくなるんだな・・・、と思うと淋しい。今の彼の内から出る形や色を大切に見ていきたいな。

 そこに大学時代の友人のくぼっちが次のようなコメントを書いてくれています。

本当に大人には勝てない。
あの自由な線。
思いがけない形。
いいよね。ほんとに。。

 このくぼっちも、とってもいい娘です。なんだか、思えば、もう何年も会っていませんね。

 私のポコ汰は、もういっぱいお喋りします。でも実は、私は彼が何を喋っているかよく判りません。言語がポコ汰語なんですね。
 私の長女は、小学校の図工の教員です。だからいっぱり子どもたちの作品をみています。私なんか、長女の小学校へ行って、作品展を見ると、ただただ感激していますよ。

 そこで親が自分の価値観を押しつけて変えさせてしまったら、結果として「いい作品」ができたとしても、それはもう子どもの作品ではありません。親の作品です。
 情報センターでなぜ工作イベントをやるかと言えば、「子ども達に、パソコンを使えばこんなことができるのだと知って欲しい」「自分の手で作品を作ることを楽しんで欲しい」といった願いがあるからです。できた作品の善し悪しは結果に過ぎません。
 どうも、その「結果」ばかりを追い求める親が多いように思います。学校の夏休みの工作などで採点・評価されることに慣れてしまって、「無条件の肯定」の目を持てなくなっているのでしょうか。
 工作した「物」ではなく、工作をする「体験」が子どもにとっては大事なのです。親の方が結果ばかりを追い求めて、大切なものを失っている気がしてなりません。

 まったくその通りです。大切なものは、子どもたちが自分の中からわき上がってくるもので、それを表現することなんです。

 もう一つ、時々ある家族の風景ですが、泣いてしまった子どもに対して、

 「そんなに泣いていて恥ずかしいでしょ。みんな見てるよ」

と怒るお母さんがいます。
 そんな姿を見て、私はつい突っ込みたくなってしまいます。
 「いやいや、『恥ずかしい』と思っているのはお母さんですから。子どもじゃないですから」
 どうも見ていると、「自分が感じることは、子どもも同じように感じるはずだ」と思いこんでいるお母さんがいるようですね。
 親と子どもは全く別の人間です。自分の気持ちは自分のものであって、子どものものでは無いのです。そこはちゃんと区別しないといけません。
 そして、「みんなが見ているから」と子どもを叱っていると、子どもは「じゃあ、見られていなければ/自分だとバレなければ何をしてもいいんだ」と学習してしまいます。学校裏サイトなどの掲示板で、匿名の書き込みでネットいじめをしてしまう原因の一つがここにあります。
 見られていても、いなくても、正しい事は正しいし、いけないことはいけないのです。それを子どもにちゃんと伝えないといけません。

 私もよく泣きます。テレビをみていてもよく泣いていますね。これは私はもう大学生のころから同じです。私は子どものときには泣かなかったものでしたね。

 子どもに怒る前に、一歩立ち止まって、「本当に怒るべき事か?」と考えてみてください。
 「本当に怒らなければいけないこと」と「自分の価値観に過ぎないこと」とを区別しましょう。
 例えば、人を傷つけたり、人の物を盗んだりするのは、本当にいけない事ですからちゃんと怒らないといけません。
 しかし、「どんな色を塗るか」や「服装」「物の使い方」などは、人の好みや価値観、文化などによっていくらでも変わるものです。絶対的な善悪ではないのです。
 親が自分の中でちゃんと区別していけば、不必要に怒る回数は減っていくでしょう。

 このことを、私も誰にも大きく言っていきたいです。

 今度ポコ汰と会ったら、また私にもいっぱいに何かを描いてもらいます。じいじに会うと、やはりポコ汰は嬉しいようです。それを知って、まずます嬉しくなっている私です。

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 SHIROのポメラ日記このUPがありました。

 私は情報センターで、子ども向けのセミナー(「上田萬画大学」「サマースクール」など)の企画・運営を担当しています。
 私のこれまでの経験ですが、子ども達は

 「今、何をしなければいけないのか」
 「いつまでにしなければいけないのか」

の2点がはっきりしていないと、セミナーの途中で確実にダレます。やる気を無くし、こちらの言うことを聞かなくなります。
 それを防ぐために、私はセミナーのテキストに必ずスケジュール表を入れます。そして最初に「今回のスケジュールはこうなっています」と全体の流れを説明します。

 これはいいことを教えてもらいました。でもこれは子どもではない、大人にも必要ですね。ただ子どもには、より必要だと感じました。
 今は子どもたちとは接することがない私ですから(私は昔進学教室を長くやっていまして、また松戸自主夜間中学校でも長く教えていました。いやねえ、私はその他にもいろいろなことをやってきたのですね)、少し寂しい思いですね。これからは、子どもというと孫に接するしかないのかなあ。いや、孫だけではなく、多くの他の子どもたちにも接するつもりでおります。

 子ども達は学校生活で「時間割り」に慣れていますから、家庭でもぜひ応用しましょう。

 ああ、なるほどなあ、と思いました。

 (余談ですが、子育て中のお母さんが子どもに一番言う言葉は「早く」だそうです)

というのは、よく判ります。ただ私の妻はそんなことはなかったかと思います。私はどうなのかなあ。私はそんなことはないつもりなのですが、自分ではよく判らないですね。

 そのあとに書いてあることも私は感心して読んでいました。これは大切で大事なことを教えていただきました。
 これは、私はまた自分の子ども、自分の孫ともちゃんとやって行きたいと思っています。こうして、実際に計画を手で書いていくことがいいのですね。思えば、それはケータイでもパソコンで書いてもいいのでしょう(だろうと思います)。
 私はこのブログで、「わが家のお母さん」ということを書いていますが、あれは私が実際に義母をみてくれるところへの「連絡帳」に書いていることです。私はそこに、私の撮った画像も載せているのです。もうそれが手書きで書いたら、私は大変なことですよ。
 私は二人の娘が保育園に行っていたときには、この「連絡帳」には、ほとんど書きませんでした。もう手で書くのがとても嫌だったのです。
 今度4月から、私の二人の孫も保育園へ行きます。そこには、私じいじがいっぱい書いていくようにします。パソコンとデジカメを使えばいくらでもできますよ。

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 SHIROのポメラ日記このUPがありました。

 前回の記事で「受容(無条件の肯定)」という話を書きましたが、実際は私達大人は子どもに対して「〜しちゃダメ」と怒ることが多いです。
 もちろんちゃんと怒るべき時は怒らないといけないのですが、怒る必要の無い場面も結構あるように、私は思います。
 どうやったら怒る回数を減らせるのか? ちょっと考えてみましょう。

 私も娘たちのことを決して怒らないようにしてきました、と言いたいところですが、でも間違いなく私では無理だったと思いますね。それに比べて、私の妻は子どもたちのことを決して怒りませんでした。考えてみれば、「怒るべき時」というのは、子どもたちのときには、見出せない感じだったのですね。だから今私は孫のときは、そうした妻の姿勢を習うようにしているつもりです。

たくさんの子ども達を引率する先生を見ていると、「早く集まれ!」「騒ぐな!」などと怒ったり怒鳴ったりしていることが多いです。こちらから見ていて、「そんなに怒る必要無いのにな」と思うことがあります。

 これはよく判ります。でも怒ったり、怒鳴ったりすることも必要に思えてしまうことが多いのでしょうね。私は進学教室で、実にたくさんの子どもたちと接しました。私がトップでしたから、私が出ていったときには、子どもたちをちゃんとさせないとまずいのでした。

 つまり、怒らなきゃいけなくなるのは、大人側の準備が足りないのです。子どものせいではなく、事前にそうした資料を準備していない大人のせいなのです。
 逆に、大人がちゃんと事前準備をしていれば、子どもを怒る回数はかなり減らせます。

 そうですね。「かなり減らせる」はずですね。でもね、思い出すと、男性でも女性でも子どもに何故かなめられちゃう先生もいるのです。たぶん、教員には向いていないのだと思いますよ。私の二人の娘は小学校の教員ですが、その授業を見学に行くと、実によくやっています。次女ブルータスなんか、優しい先生だけど、何かのときには恐い強い先生にもなる、ということを生徒たちはよく判っていると思いますよ。

 でも次の自閉症児のことは、私も初めて知ったことでした。

「自閉症」と言うと、漢字の字面から「自分の殻に閉じこもっている精神状態」と考えられがちなのですが、それは全く間違いで、先天的な脳機能障害で起こる病気です。

 自閉症の子どもとはいくつも触れ合う機会がありました。でも私はよく判っていなかったのでしたね。

 例えば教室で先生の話を聞く時、私たちの目には、話す先生以外にも、教室の黒板、天井の蛍光灯、前に座っている人の頭、窓の外の景色など、様々な物が見えています。しかし私たちの脳は無意識の内に高度な処理をして、「今一番注意を向けるべきなのは、話している先生だ」と選別して、他の不要な情報を捨てています。
 ところが自閉症の人は、脳の中でそれらの情報の受信や選別がうまくできないようで、何に注目していいかわからずに混乱してパニックになったりします。
 最近の研究で、自閉症はこのような先天的な脳機能障害で起こる病気だとようやくわかってきました。親の子育てや、テレビやゲームのせいで自閉症になるわけではありません。たまにそのように書いてある本がありますが、全くの間違いです。

自閉症はこのような先天的な脳機能障害で起こる病気だ」ということは、私はまったく知らなかったことでした。

 話が長くなりましたが、そんな自閉症の子どもとうまくコミュニケーションを取るには、「話し言葉」より「書き言葉」が有効です。
 「光とともに…」でも、幸子さんは壁の時計の下に「8時」を指した時計の絵と、保育園へかぶっていく帽子の絵を貼り、その絵を指さして「8時です。保育園へ行きます」と光くんに伝えます。口で言うだけでは伝わらないのですが、絵と時計を目で見比べることで、光くんにも「保育園へ行く時間になったのだ」とわかります。
 最近は自閉症の人などに向けた、絵と音声を組み合わせてコミュニケーションを補助する「VOCA」(音声出力型コミュニケーションエイド)と呼ばれる機器が出てきています。例えばこちら。
 そして、携帯電話をVOCAとして使うサービスもあります。携帯のカメラで写真を撮って、それに関連した文字を入力して、画面に写真を表示しつつ音声で読み上げるものです。
 病気や障害を持つ人にとっては、携帯も有用なツールになります。

 これは実に私には大切で、いいことをお聞きできました。「書き言葉」が有効と言われても、私のようにまともに字がかけない人間には、でもケータイを使えるのならいいですね。このことは私は初めて知ったことですが、実に嬉しいことです。

 まとめると、子どもに何か指示を伝えるには、口で言う「話し言葉」よりも、絵・文字・図・表などの「書き言葉」をできるだけ使いましょう。紙でもホワイトボードでも構いません。
 準備するのは大変かもしれませんが、その分子どもへ怒る回数を減らせます。スケジュール表や図をせっせと作る方が、子どもへガミガミ怒るよりも、親もストレスにならないでしょう。

 私が松戸自主夜間中学校というところで、約7年間パソコンの授業をしていました。不登校児が何人も来ていましたが、自閉症の子どもたちも何人かいました。もう学校へは、他の子どもたちにいじめで行けなくなってしまっているのです。
 その子たちにもパソコンの授業というのは良かったのだなあ、と思いました。パソコンは文字だけではなく、絵や写真をすぐに見ることができます。もちろん、文字も表も見ることができます。
「じっとそこへ座って黒板を見る」というようなことが苦手な生徒たちです。でも、みなパソコンの画面は、誰も興味深く見つめていてくれたものです。思えば、あのときに、斎藤さんのこのような報告を私が読んでいられたら、もっといろいろなことがやれていたはずだったのですね。

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