将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:思想としての全共闘世代

b56d9686.jpg

 周の雑読備忘録「小阪修平『思想としての全共闘世代』」の2に、孤高団塊世代さんが、以下のコメントをくれました。

1. Posted by 孤高団塊世代   2009年10月19日 05:02
滝沢さんは経済学部の1年上に在学されていました。文理3番教室で開催された学部学生大会で、圧倒的多数で彼の執行部を否認したことを、いまでも鮮明に記憶しています。
同氏のことが「思想としての全共闘世代」の115Pに紹介されていますね。

 ええと、私はこの学生大会を知りません。私は拘留されていた1969年のことだからでしょうね。この著書は今探しましたが、たぶん、もう売ってしまっていたのですね。たぶん、この本での紹介といいましても、ただ滝沢さんの名前が出ているだけじゃないかなあ。
 それでこの著書の「思想としての全共闘世代」の著者の小阪修平さんも、この1969年のときに、芝浦工大事件で、かなり熱心に救援活動をしてくれた方です。実にありがたいことでした。
 思えば、日本の新左翼運動とかいうものも、この芝浦工大事件のことも、滝沢さんのことも、もうずっと闇に頬むっていくのでしょうね。
 私はあの頃のことを、少しも忘れていませんが、そもそも新左翼などといっても、「どこが左翼だよ」という思いしかありませんね。
 ただ、こんな前の私のUPにコメントをいただきまして、ただただ驚いてしまいました。
 小坂さんが亡くなりまして、もうあの頃のことがもう遠くへ行ってしまうのかなあ、なんていう思いばかりです。

続きを読む

547ad8a3.jpg

 最初の「はじめに」の最後に次のようにあります。

 もういい加減に書ける範囲のものを書いておかないと、結局は何も伝わらないままで終わることになる。この本では、自分の個人的な経験を出発点としながら、なるべく自分の枠を超えて世代に共有できるもんだいを取り出し、若い世代に全共闘とは何だったのか、そして今意味があるとすればとういうことなのかを伝えたいと思った。書く人が違えばまた違ったものになるだろうが、ぼくの書けるものを書くしかない。

 この思いは私も同じです。やっぱり書いておかなくちゃなあ、と思いながら、ずるずると今に至ってしまった感じがしています。
 まずはこの点で、私はこの新書を読み終わって、「よくちゃんと書いてくれているなあ」という思いがしました。彼は私よりも1歳年上であり、大学入学が1966年でちょうど学年も私よりも1学年上です。
 ただし、彼は東京大学であり、私は二期校の埼玉大学でした。同級生には、東大を落ちたので埼大に来たというのが、何人かいました。けっこう、「うちは国立しか駄目だと親に言われた」というような学友もいたものでした。

 私は大学2年の秋1968年に東大闘争に参加しだしました。11月22日の、東大闘争・日大闘争勝利集会に、日大全共闘の部隊の中に入って参加していたものでした。
 よく年の1月10日夜に私は友人と二人で、東大の安田講堂に入ろうとしました(実は前日にも私は東大構内に来ていました)。当時は、文京区本郷の東大構内は、日本共産党=民青が支配しており(全共闘の部隊は、駒場の東大で日共民青を攻撃していて、安田講堂には実にわずかの守備隊しかいませんでした)、その中でやっと安田講堂にたどりつきましたが、見張りの東大全共闘が、私たちが個人であると、その身分がなんだか判らないので、入れてくれません。
 そこで困っていたら、そこへ中央大学の中大全中闘が50名くらいの部隊でスクラムを組んできました。彼らもノンヘル姿で、全共闘と認められないようにしてばらばらで歩いてきて、東大構内に入ると、スクラムを組んで講堂前まで来ました。
 私と友人は、「あ、そうだ」とばかり、このスクラムに加わりました。中大全中闘なら、中に入れてくれます。それを見ていた先ほどの東大全共闘の見張りの学生も、私たちを見て、「あ、良かったね」という顔で笑っています。
 私たちが安田講堂に入って、その晩夜中に、日共の軍事部隊が安田講堂を襲ってきました。

 私はその日から、ずっと安田講堂に籠もりました。ただし、一度だけ12日か13日に埼大に戻りました。それで下着等を着替えて、今度は王子から都電に乗って東大に来たものでした。そしてそのまま18日の機動隊導入の日を迎えることになったものでした。

 今井(今井澄のこと)は、一日でも機動隊から安田講堂を防衛できたのは予想外であったと先の文章で述懐している。そこで今井は「われわれの闘いは勝利である」と放送したのだと言う。(100ページ「第五章 全共闘運動の展開」)

 私たちも、夜になって18日が終わる頃、「あれっ、この安田講堂って、きょうで落ちてないじゃないか」と気がついて驚いたものでした。

 そして翌19日私は午後4時ごろ逮捕され、東調布署に送られ勾留されました。勾留期限の切れる23日目に、起訴されました。そしてその1週間後に、私は府中刑務所に移管になりました。起訴されたら、巣鴨の東京拘置所に移されると思ってばかりいまして、「北一輝も入っていた巣鴨って、どんなところだろう」と期待していたのですが、府中刑務所と聞いて面くらいました。ただ、同じ留置場にいた、住吉会M一家のヤクザが、「えッ! 初犯で府中行けるなんて格好いいなあ」というのを、聞きまして、「あ、そんなにいいことか」なんて思っていたものでした。

 その後、8月20日に保釈になるまで、ずっとこの府中刑務所での独房暮しが続きました。出所後は、また埼大に戻りましたが、私には頼るべき党派もありませんでしたから、その後も単独で動き回っていました。
 よく月の9月18日東京教育大学と御茶ノ水大学の闘争支援に行きましたが、夜は埼大近くのロビンという喫茶店で、東大闘争の埼大グループの被告団会議がありました。まだ保釈されていない埼大の被告が3名いましたから、この3人への支援をどうするかという会議でした。
 ところが、その喫茶店へ、「早稲田の山本派が埼大のバリケードを襲って来たから、すぐ来てくれ」というKさんの連絡で、私たちは急いで大学へ走りました。

 埼大の校門を入ってすぐバリケードへ入ると、私は「ハッ」と気がつきました。そのバリケードの破壊の凄まじさから、私は怖ろしいことに気がついたのです。「学生運動って、こんな恐怖の世界なのか」。私はすぐに、この埼大のバリケードを襲ってきた部隊が、早稲田の革マルなんかではなく、中核派であるという恐怖です。中核派は、私は好きではありませんが(そもそも私はマルクス主義・共産主義が大嫌いだった)、一応革マルとは違って、スクラムを組める相手のはずです。
 しかし、もうその事実ははっきりしてきます。Tという仲間が拉致されたといいます。なんとしても彼を救い出さなければなりません。

 そしてどうやらいろいろな調査の結果、どうもTは、当時同じ埼玉県でバリケード闘争が続けられている芝浦工大にいるらしいということが判りました。
 それで、Tを救い出すのには、どうしても芝浦工大大宮校舎にいかなければなりません。
 翌朝、私たちはK救出のため、23名で芝浦校舎大宮校舎へ行くことになりました。

 芝浦工大大宮校舎には、埼大中核派の滝沢紀昭さんがいました。そこで起きてしまったのが、私たちが校舎に入ったときに、滝沢さんが2階から飛び降りてしまうという事故でした。そして私たちは、すぐにこの事件で、権力警察からも、新左翼からも犯人として追われることになりました。
 当初は、右翼の犯行なんて報道していたマスコミも、そのうちに「内ゲバ」「内々ゲバ」とこの事件を呼ぶようになりました。

 そして私はこの事件で、12月10日に、浦和裁判所前で逮捕されることになるのですが、そのときまでに、この芝浦工大事件で、関係した私たちが毎日私たちの側の情報を教えてくれるのが、ある電話でした。毎日そこへ電話すると、「きょう埼玉県警はこういう動きをしてきた」というように教えてくれます。
 このときに、その役割をやってくれていたのが、この小阪修平さんでした。私たちは、まだ顔も何も知らない彼の電話の声にどんなに励まされたことでしょうか。
 私たちは警察もマスコミも、そして新左翼もみな敵のような振舞いばかりでしたが、その中で、この電話での小阪さんの声はどんなにありがたかったことだったでしょうか。

 そして彼は、このことを特別党派的は思いや思想的な思いでやってくれたものではありません。ただただ、私たちが感謝すべきことでした。

続きを読む

思想としての全共闘世代
書 名 思想としての全共闘世代
著 者 小阪修平
発行所 ちくま新書
定 価 700円
発行日 2006年8月10日第一刷発行
読了日 2006年10月7日

 まず最初にこの本を読むことになったきっかけを書いてみます。
 私のこのブログ将門で、次の書込みを私は9月23日にしていました。

   NHK:定年帰農を考えるサラリーマンは現実を分かっていない!

 その中で、私は次のように書いていました。

それとですね、一番この中で気になりましたのが、塩津計さんが書かれたこのブログへの次のコメントです。

小阪というアホ左翼が「思想としての全共闘世代」に馬鹿なことを書いている。反体制・反資本主義・反権力を志向する全共闘世代の究極の理想は帰農であり、田舎にいって有機農業にいそしむことなんだそうだ。こういう全共闘世代は20代も何も考えず馬鹿やってだだこねたが日本の政治には何の影響ものこさず害だけなしたが、それから40年たって定年を迎えても、やっぱり馬鹿でヒャクショウに自ら喜んでむしられにいく馬鹿だった。こういうオツムのなかでのみとらえた勝手な権力=都会の大企業、民衆=弱者=ヒャクショウという構図にしがみ付くアホの全共闘世代は丸ごと帰農してもらって滅んで欲しいもんですな。

 私は昭和23年生まれで、大学は1967年入学で、ちょうど三派全学連の時代で、2年生になったときにいわゆる全共闘運動の真っ盛りでした。それで東大闘争の安田講堂で逮捕起訴され、220日後保釈になりましたが、また芝浦工大事件で、逮捕起訴されました。
 それで、ずっと同じ学生運動の仲間とはつき合いが続いていますが、私はこのような「究極の理想は帰農であり、田舎にいって有機農業にいそしむこと」なんてことは、少しも思っていません。もうこういう連中(昔は三派や全共闘の活動家で、今はただのおっさんでそういうことを言っている連中)は馬鹿で阿呆じゃないのか。

 小阪さんは、今度道端で会ったら(彼は予備校の講師しているから、ときどき御茶ノ水の道端で偶然に会うのね。でももう会うこともないかな)、このことを指摘しますよ。でももう判んないのかな。でも彼自身が帰農なんかしないでしょう。でも彼のこの本は買う気もしないけれど、この馬鹿な部分くらい立ち読みしてみようかな。
「アホの全共闘世代は丸ごと帰農してもらって滅んで欲しい」と言われても、私も阿呆な全共闘世代ですが、絶対に帰農なんかしたくないよ。田舎なんか、嫌いです。私は酒飲みなので、車は運転しない(できない)から、車がないと生活できない田舎なんか絶対に嫌です。

 それで、ここに小阪修平さんが、次のコメントをくれていました。

1. Posted by 小阪修平    2006年10月05日 15:13
まったく書いていない内容に反応しシコメントするなんて萩原さんらしくもないですね。

 私は「エッ!」と驚きました。ただし、このコメントに気がついたのが、6日のことでした。「あ、これだと私はとんでもないことを書いちゃったんだな。ちゃんと読んで、彼に謝ろう」と決意しまして、昨日午後行きました、中央区蛎殻町のクライアントへいくときに、水天宮の駅のすぐそばでこの新書を買いました。
 ただし、もちろん私は仕事をしに行ったわけであり、ほんの少ししか読めずに、その後はいろいろとありまして(ようするに夕方になると飲んでいるわけですが)、全部を読み終わりましたのは、きょう7日でした。
 そしてそして、私は小阪修平さんに謝らなければなりません。余丁町散人の隠居小屋のこの記事「NHK:定年帰農を考えるサラリーマンは現実を分かっていない!」の、コメント覧に、塩津計なる人物が書いたコメントは、まったく小坂さんの本には一行も書いてありません。

反体制・反資本主義・反権力を志向する全共闘世代の究極の理想は帰農であり、田舎にいって有機農業にいそしむことなんだそうだ」なんてことは、このちくま新書の小阪さんの本には、一行も書かれていません。
 もうこの塩津計なる人物は、どこを読んで、このことを言い出し、引用までしたのでしょうか。そして、私はどうしてちゃんと小阪さんの本を読んでみて確認しなかったのでしょうか。本当に私に対して腹が立ちます。

 実は私は以前は小阪さんの本は出版されると必ず読んでいたのですが、この本は本屋で表紙を眺めていただけでした。いえ、私には彼の本は難しすぎるのです。だから手にとって開くこともしていませんでした。

 小阪修平さんに謝ります。申し訳ありませんでした。
 できましたら、今後も道で偶然お会いしても、挨拶することは許してください。

   この雑読備忘録の続き

↑このページのトップヘ