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周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:悠遊会

文教大学悠遊会の皆々さま
                2007年6月23日
               私の今の住所と電話番号
               ホームページアドレス等々
 みなさま、おひさしぶりです。
 昨年の東京支部の開催された研修会に、参加を表明していながら、突如連絡もなしに、いけなくなり申し訳ありませんでした。
05364d27.jpg 昨年は実にいろいろなことがあり大変でした。でも今はどうやら落ち着いて来た思いがしています。

 昨年1月に義父の身体の具合が悪くなり、義母も健康がすぐれないために、私と妻は昨年1月7日より、妻の実家の王子の家に住みだしました。ここには、妻の両親のために一昨年の9月より、長女夫妻も同じマンションの4階に住んでいてくれました。そうしないと、私の義父義母のことが心配だったのです。だから、長女夫妻が来たときには、義父が大変に喜んでいてくれました。
 ただ、我孫子の自宅には次女が暮らしており(今も私の自宅は我孫子です)、隣の街の柏駅そばの小学校に勤めておりました。次女は小学校で一昨年は6年生を担当し、昨年4月からもまた6年生を担当していました。次女には、少し可哀想だったのですが、もう次女の親である私たちは王子で生活しているわけで、一人で大変だったと思います。
 しかし、私たちが来ても、大変に残念なことに義父は昨年3月9日に亡くなりました。
 実は、残った義母は、もうかなりな認知症状態が続いていまして(実は私の母ももう89歳ですが、ずっと認知症状態です。今年4月からは入院状態です)、私たち夫婦は、我孫子の自宅と王子の家と、それぞれの職場を行き来する生活になりました。ただ、こうなると、私などは、自分の会社に行くことのみが仕事ではなく、何社かのクライアント(クライアントといいましても、それぞれはほぼ私もその中で役員になっています会社ばかりです)会社にもいくわけで、日によっては、御茶ノ水の事務所には行けない事態も生まれてきました。

 私の事務所は、御茶ノ水のJRの駅前1分で、実に仕事の場としても大切だったのですが、同時にその事務所のあるビル自体の管理組合の問題がありました。
 昔、あるビル管理会社がその親会社の倒産で、その子会社自身も危うくなったときに、その管理会社の扱っているビル(が私の事務所のあるビルでした)の各部屋のオーナーたちが結束して自主管理組合を立ち上げ、それで頑張るというところだったのです。だが、実はこのオーナーたちのうち各弁護士、公認会計士、税理士、司法書士等々が、実にとんでもない人たちで、自分たちでその管理組合を自分たちで好きかってに使い出しました。もうみんなのお金の大幅な金額を流用、私服しだしたのです(本当は、もうこれは犯罪だよねえ。いえ、間違いなく犯罪です)。
 それで、最初は私は、みんな立派な弁護士さんたちだと思っていましたが、やがてひどいことが判明し、私と私よりの年上の女性(女性だけの不動産屋さんでした。私とはその方の会社のホームページを作ることで知り合いました)と、私の事務所を斡旋してくれた小さな不動産屋さんの3人で闘いに入りました。私がもっぱら総会に出て(年上の女性不動産屋さんは、出席しませんでした。弁護士等々男性ばかりの嫌がらせ、女性の彼女に性的なからかいを言うのです。これが弁護士なのですよ。私も彼女の出るのを止めました)、真っ先に発言しだしました。
 私の発言は、まさしく全然意味のないような質問からしだしますが、実はかなりな核心をついています。そして私は声が大きいし(無意味にかん高い)、論理も全然負けるわけがありません。そして最初は、私のことを「馬鹿な人かなあ」と思っていた女性(おばさんたちばかりですが)のオーナーやおじいさんのオーナーたちも私のいうことに耳を傾けるようになりました。そして私は、この件で、ホームページを立ち上げました。そして私はいわば、その事務所ビル内ではいわば孤立していましたが、私は過激な活動家(もと過激派というレッテルが貼られました。別に私は少しも嫌じゃありません。だってその通りだから)と思われていたのか、私に関しては、誰も何もできませんでした。そして私はさらに彼らを追い詰めていきました。
 ほぼこの闘いも、私たちの勝利になり、悪い連中は次第に逃げていきました。
 管理事務組合の外注の管理会社も変更しましたので、だから、私はあのビルを退去することもできました。それで、昨年9月末で、そのビルから、この王子の義母の家の一室を私の事務所としたのです。現在の管理事務組合は、もうみな私のシンパですので、私は彼らと会っても私はただ嬉しいだけです。

 妻と私で交代で、義母を見ています。義母はデイサービスに行っているのですが、送りとお迎えは二人で交代にやらないとなりません。それに今年1月3日の長女のところに長男が誕生しましたので、私はじじにもなりました。この孫のこともよく見ています。もうしょっちゅう孫とは接しています。
 次女は3月25日に結婚式をあげ、今は千葉県君津市の彼の実家のすぐ近く(歩いて3分くらいらしい)に住んでいます(実は1月からは事情があって、彼の実家に次女も住んで、そこから毎日柏まで通っていました)。いいお義母さんといいお義父さんがいて、彼もいい体育の先生です(彼は文教大学の体育専修生でした)。
 次女は今は4年生の担当です。ただ千葉県の君津ですと、通勤もなにもかも車なので、それが少し心配です。まあ、でも次女は元気な女ですから(私はこの次女がときどき怖いですよ。小学生の生徒たちも怖いだろうな。もちろん、本当は優しいいい先生だし、いい私の娘です。怖いと思う私がなにかやましいことをしている親父です)、私はただただ嬉しいばかりです。
 だから、我孫子の自宅は今誰も住んでいません。ただ、私の母も入院中ですから、私も我孫子の病院へもよく行っています。また母の家である実家には、兄夫婦がいるわけですが、ここにもよく行っています。私は義姉と実に気が合うのです。もちろん、兄夫婦の娘夫妻とも、その二人の男の子とも私は実に仲いいですよ。いつも「周ちゃん、周ちゃん」と言われています。
 そして我孫子の自宅の部屋の整理もしています。だから、その整理が終わりましたら、私たちは我孫子を退去するつもりです。今度は東京都民になるわけです。あ、私は「王子の狐の会」も入りましたよ。王子の狐としても頑張るつもりでいます。
 あ、それから長女の彼も今埼玉県の教員をやっています。もともとは、サラリーマンだったのですが、長女の影響からなのか、その会社を辞めまして、教員になる勉強をしだしました。ただし、まだ試験には受かっていませんので、蕨市で代用教員というわけです。
 今年の夏休みは、私たち夫婦と、娘二人の家族とみんなで温泉にいくつもりでいますが、どうなりますかね。長女の子ども、私の初孫がまだ小さいですからね。でも今まで過去は温泉に行ったときは、お風呂にわいわい4人で行きましても、実際にお風呂に入るときには、女組3人と私の男組1人は別れて別に入りますから、私は寂しくて、そのうち部屋に帰って独りで飲んでいたものでした。でも今度からは、男組は4人になりました。それで私はいつも赤ふんをしていますから、孫にも赤ふんをして、元気に男たちで温泉に入ります。
 私はこのことを考えると嬉しくて仕方ないのです。

 あと私がここで述べたいのは、ぜひみなさまに以下をお薦めします。

1.パソコンでインターネットをやってほしい。
2.ウェブサイトを立ち上げてほしい。もちろん、ブログでおおいにいいのです。このことは私はあちこちで言っていまして、どうやら何人もの方がやってくれています。
3.ケータイメールを活用してほしい。ケータイであれば、いつでもどこでもメールできます。電話自体はできないこともあります(当然電車の中じゃできませんね)が、ケータイメールなら、どこでも誰でもできます。私はビシネスも生活もすべてケータイメールを活用しています。
 それで私のケータイメールアドレスは上に書きました。あなたのも教えてほしいです。○○○○というのは、私が55歳から、この携帯をauにしたからです。
4.電話は、スカイプ(インターネット上で電話できるベルギーの無料ソフト)を使ってください。スカイプ同士ですと、アメリカでもヨーロッパでも中国でも東京三河島でも、何時間でも無料でスカイプで電話できます。もう携帯型のスカイプ(私は持っています)もあります。通常の電話にも、携帯電話にも電話できます。ただしこの場合は料金がそれぞれNTT同士・携帯同士よりも5%くらい安いだけです(米国だと、対普通の電話・携帯にも無料です。日本でも昨年12月のみNTTへは、無料でした)。スカイプはチャットも対100人とできますから、これをメールとしてもつかえます。私が教えたある女性社長は現在64歳ですが、これで自分のアメリカロスアンゼルス、ロンドン、オーストラリアにいる、自分の娘・息子たちと、そして孫たちと、話し、そして彼らの映像を見て、自分の映像も見せています。
 中国・台湾・タイなどの人たちとは私はよくスカイプでチャットしています。いえ、もちろん私は外国語がまったくできませんから、日本語(彼らはみな日本語が上手です)で喋り、日本語でチャットしています。私のほうが中国の若者に、「これは李白の詩だよ」と七言絶句を書いたり、「この神農という神様は、あなたの国の神だよ」なんて言っていますよ(チャットでテキストで書いているのです)。
 私のスカイプ名は、○○○○です。私が56歳から始めたからです。ぜひ私あてにスカイプしてきてください。

 以上、ぜひとも皆さまに期待します。私たちがやれば、かならず大勢の私たちの年代もやっていきます。そしてもちろん、私たちの子どもたちもやっていきます。もっとも、私がやるがやるまいが、子どもたちの世代はやらざるをえません。でも私たちがいろいろなことを示せると思うんですね。

 そして私が文教大学に求めたいのは、ぜひ学生生徒たちが、これらのことを大学にいるときに自在に駆使できるように指導してほしいということです。これらはすべて簡単な技術です。これらをただすぐ使えばいいということです。そういう技術が簡単にできるようになるために、ぜひともそうした環境を整えてほしいし、そしてそれらの技術を当たり前に教えてほしいのです。
 そして一番大切なのは、こうした技術で相手に何を伝えるかという内容こそを教えてほしいということです。
 上に書きましたが、スカイプで中国の若者(10代、20代前半が多い)と話していると、杜甫・李白の詩句を並べても知らない(杜甫は知られているほうですが)ことがほとんどなのです。これは実に情けないことだと私は思います。自分の国の大切な文化を知らないのですから。
 パソコンやインターネットがいくら進化しても、そこで語られる文化というのは、過去私たちが作ってきた文化です。これを、現在そして未来の世界でもみなで語り、さらに新しい文化を作っていくのだと思っています。

 最後に、私たちの年代でも必ず必要なパソコンについて書きます。私は6月13日にウィンドウスヴィスタのパソコンを購入しました。ちょうど事務所で使っているデスクトップの買い替えです。マシンの詳細は私のブログに書いてあります。ただ、購入金額は、58,065円でした。ディスプレイは前にも使っていた17インチ液晶を使います(実はある方にもらいました。私はよく人にパソコン関連をあげますし、またもらいます)。あとメモリは別に2GBのものをヨドバシカメラで買いました。とにかくまったく安いからです。HDは、同じくヨドバシで外付を買いました。これなら、他のマシン(私は我孫子の自宅にデスクトップを、そしていつも鞄の中にノートを持っています)にも接続できますし、実はまったく他のマシン(友人とか他の会社の)にも接続できますから、使い勝手がいいのです。1992年くらいのデスクトップが40万円くらいしていたのとくらべると、大変な変貌です。
 パソコンは今ではなくてはならないものです。でもとは言いましても、その費用はできるだけ安価なほうがいいです。私はパソコンの寿命はもはや3年だと思っています。3年半経ったら新しいマシンにしないと、いろいろと困ることになってしまいます。だから、もう本体は安いほうがいいのです。ディスプレイは別に考えるようにしていけば、こちらは12年は軽く持ちます。
 それで、HDは外付ならば、次のマシンでも使えます。かつメモリも同様です。私は今のマシンでは512MB+2GBで使っています。実に快適ですよ。

 ぜひ、こうしてパソコンで、今の時代も次の時代も私たちが先頭になってやり抜きましょう。何かありましたら、上に書いたケータイメールやスカイプで連絡ください。いつでもお手伝いします。             以上

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b57709cc.jpg 私の二人の娘が卒業しました文教大学の父母会のいわばOB・OGの会であります悠遊会の研修会がありました。
 午前11時に、さいたま市中央区のJRさいたま新都心駅に集合しまして、『ジョン・レノン・ミュージアム』を見学しました。
 次に私がそのときに悠遊会の皆さまに印字してお渡ししましたものをUPします。
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