10121110 先日綱淵謙錠が亡くなりました。私には好きな作家とは言えなかったのですが、でも書いたものはいくつか読んできましたので、やはり悲しい思いです。
 いま思うと、私は彼の書いている内容が好きになれないのではなく、なんだか謙錠の生真面目ともあるいは面倒とも思える姿勢が、苦手だったのかななんて思ってきました。
 例えば、こういう人っているでしょう。酒を飲んでいてもなんだか少し自分より先輩で、それでそばへ行って飲むと、いい人なんだけどけっこう生真面目でものすごく知識があって、「こりゃ、俺みたいな馬鹿ではお相手できないな」なんて、ひきさがざるをえないような人って。私は謙錠って、そんな人に思えるんですね。
 彼は幕末ものをけっこう書いていて、そして樺太生まれだったので、カラフトの問題なんかも書いています。でも、その書き方が決してのめり込んでいない書き方なのですね。書かれている人物にも、ものごとにも少しも惚れきって書いているというような姿勢が感じられません。
 私は「戊辰落日」の印象が一番強いのです。松平容保と会津藩の幕末の動きを、それこそ淡々と描いています。どうみても、徳川慶喜の容保へのひどいしうちや薩長側のやったことへ憤るわけでもなく、会津藩へ肩入れするわけでもありません。
 西郷頼母一族が従容と自決していくことを淡々と語りながら、またこの会津戦争を弁当をもって見物している周りの百姓の姿もそのまま描きます。会津藩が結局は官軍に開城降伏するわけですが、それは軍事的に負けた(ようするにチャンチャンバラバラに負けた)というよりは、長期の篭城戦にともなう自分達の出した糞尿の臭いに耐えられなかったのではというくだりは、実に考え込んでしまいます。これがまた「軍事」の一面でもあるわけなのでしょう。
 おそらくは、樺太生まれであった謙錠には、この自分の故郷のことが一番気になっていたのではないのかな。戦後そのことに一切ほうかむりしたままの日本のことが、なんだか会津藩をあのようなところまで結局は追い込んでしまった徳川慶喜や薩長に見えていたのではないのかな。
 とはいえ、私はそれほど知っている作家とはいえません。また機会をみて、彼の作品は全編読んでいきたいと考えています。
 さようなら、また作品でお目にかかります。合掌。(1996.04.21)