将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:我孫子

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 私の 「光の談話室・・<ルミエール>(*∂-∂*)初めまして♪」ナミちゃんから、次のコメントがありました。

1. Posted by なみんと    2008年10月22日 19:04
周さん〜いつも素敵な和紙でのお手紙ありがとうございます。毎回楽しく読ませて頂いています。。。
祇王寺の切手がとても綺麗ですね。紅葉の風景です。そんなお心使いが嬉しいんですね。
・・そして私の記事のトラックバック!ありがとうございます。もちろん周さん・・お遊びにいらしてね。是非。晩秋から初冬にかけての光が楽しみです。

 コメントをありがとう。そして「祇王寺の切手がとても綺麗ですね」というところで、「祇王寺の切手って、どんなのだったろうか?」というので、改めてブログの記録を見ていました。あ、でも私は祇王寺って、実際に行っていないな。
 実際に初めて(修学旅行で行ったことはありますが)京都へ行ったのは、1974年の秋で、最初は秋の三千院を歩いたものでした。
 ナミちゃんの素敵な談話室に参ります。行くときは前もって連絡します。何かお菓子を持って行きますね。何にするか思案中です。
 私の手紙もいいでしょう。和紙も、シールも切手もいいでしょう。シールはこのごろは「N」の字ですから、その何故Nなのかということを手紙にも添えています。ようするに私の思いはくだらないのですがね。

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 ナミちゃんのブログに、このUPがありました。

かねてよりお約束の談話室<ルミエール>をお披露目させてくださいね。
今日朝・昼・午後・夜と写真を撮ってみました。

  それでは・・・始まり〜〜♪〜です。

 えっ! 驚きました。談話室「ルミエール」という室を自宅に作られたようです。「談話室」というのには、私も行ってお喋りしていいのかなあ?
 なんだか見ているだけでも、なんだか嬉しい思いになります。

東の壁の空間に絵画用の照明をつけてあります。
時々変えたいと思っています。。。

大工さんが長くかかったのはお一人でやってくれた事とベンチ・棚の数々・カウンタ^などが
作りつけですのでかなりの時間にやすりかけなどがありましたし殆ど規格外ですので全くの材木から作るので時間がかかったようです。

 私が手紙を書いている人で、二人の娘の次に多くの手紙を出している友だちが、このナミちゃんです。大学で知り合ったときに、私と同じ我孫子の人だというので、驚いたものでした。思えば、その時からもう時間はものすごく経ちました。でも素敵な女性であることは、今も変わらないことをいくつも感じています。
 私がブログで発信することを勧めましたら、すぐにやってくれたものでした。私にこんな素敵な友だち、後輩の女性ががいることが、私にはとっても嬉しいことです。
 そしてナミちゃんは、とっても綺麗な女性ですよ。

 ナミちゃん、また手紙を書きますね。

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1f36113a.jpg いつもそちらでの義母の写真を見ていて、「あ、元気そうだなあ」とか「あ、何をしているんだろう」なんて思っています。
 写真は8月9日我孫子の兄の家から我孫子駅北口の飲み屋まで歩くときに、路にありましたお花です。とっても綺麗で嬉しいです。この花を見ても、私の孫もとっても喜んでくれるでしょう。そんなことばかり考えています。(08/15)

449028ea.jpg きょう5日は、私の家族(私たち二人と娘二人の彼とポコ汰で7名)で、谷中千駄木根津を歩きます。長女のお腹には2番目の子どもがいるので、こうした近くの街を歩くのです。義母には、このときの写真をいくつも見せるつもりです。
 写真は3日の我孫子駅前のけやきプラザふれあいホール開催されました「けやきウィンドアンサンブル」の「第5回定期演奏会」に行ってきましたが、これには次女が出演しています。その我孫子駅前の広場を撮りました。(05/05)

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『常磐線快速』なのですが破茶さんが、以下のコメントをくれました。

1. Posted by 破茶    2008年03月27日 07:25
こんな楽しいショートムービーと言うものがあるんだって 初めて知りました。天王台で仙人のようなひとが降りて神様だったんですね?可愛い女の子と 怪獣と・・・。絵が?アニメが?良いです。

 あのねえ、真面目に考えてはいけませんよ。この白六郎という漫画家は、私の友人と言ってもね、ことごとく私と言い合いを貫徹してきた人なのですよ。それがどうして、私の住んでいる我孫子に引越てくるのかなあ。彼の漫画は以下で紹介しています。

   http://shomon.net/manga/bookma2.htm#960606 白六郎「あゆみの明日もの語り」

 彼のホームページは以下です。

   http://www.asahi-net.or.jp/~BA5Y-KMHR/ 童話とマンガの部屋

 このホームページを見られると判るのですが、彼には奥さんがいまして、彼女は童話作家です。彼女の作品は、以下に紹介しています。

   http://shomon.net/kyoiku/bookkyo1.htm#kamo 蒲原ユミ子「健太となかまたち」

   http://shomon.net/kyoiku/bookkyo2.htm#kamo2 野紫木洋「野うさぎクックは宝もの」

 それでね、『常磐線快速』なのですが では、私はこの彼女のことを、「まず、この女の子は誰なんだろうかなあ?」と書きましたが、実はこのユミ子さんだと思うのですね。ユミ子さんは、細身の綺麗な女性です。
 ただし、この女性が半端ではなく、お酒を飲んで、全然元気です。
 なんというかなあ、私はこのご夫婦と仲がいいような悪いようなでね。白六郎さんの漫画を読むと、何というかなあ、私とはどうみても意見が違うのですよ。ユミ子さんとは意見思想は合うはずなんだけれど、どうも私のお酒とは合わないんですね。
 あの、それで、白六郎さんのお兄さんが、これまた私とは全然気が合わないはずなのですが、私のここのサイドバーでリンクしています。

   http://www2.odn.ne.jp/monten/ 工房聞天

 今年は子年で、これから毎年1月に彼の土鈴を揃えていこうと考えています。
 いやまだ、このご夫婦と、このお兄さんとも、私との意見思想の違いは大きいのですが、もうこのままおつきあいしていきます。

 白六郎さんがアスキー・ショートムービーコンテストを受賞しました へ

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 周の『独楽吟のススメ』の27破茶さんから次のコメントをいただきました。

1. Posted by 破茶    2008年02月23日 08:11
きのうは サボタージュを決め込んでいたのに 今は約束の名古屋に向かっている私です。明日もきっと約束を守る私でしょう。周さん 土日 元気でお過ごしください。

 あ、まずは良かったですね。私は名古屋といえば、南区若草町、千種区今池、北区大曽根と3カ所住んだことがあります。だから小学校は3つ過ごしたわけです。
 22日夜、元気に飲みました。23日もあちこち動き回り、夜また元気に飲みました。実に愉しく愉快に飲みました。
 本日は、我孫子へ行きまして、大切な用があります。

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雑誌名 週刊アスキー通巻675号
発行所 アスキー
定 価 330円
発行日 平成20年2月26日
読了日 2008年2月12日

 神足裕司さんの「Scene2008」の次のところを読んで、私も電車の中でしゅんとしてしまいました。

「40年前は沢ガニがいたなんて、今のわたしには想像もできません」というところを聞いて、私はプッと吹き出してしまった。
「なにがおかしいのヨ!」
 と中1の娘が怒りを含んだ声で言った。言っただけではない。そのままうつむいて、右目からこぼれる涙を手の甲でぬぐった。
 0.5秒後、私は大変な失敗をしでかしたことに気づいた。

 この娘さんの思い、そしてお父さんの思いもなんだか判りすぎるくらいに、今の私にも判るでのです。
 前に、私の姪のみーねえ(私の兄の長女)の二人の息子の運動会へ行きました。そのあと我孫子の自宅まで歩いて帰る道で、私の長女おはぎが、「ああ、やっぱりここらへんは懐かしいな、我孫子っていいなあ」と言ったのですが、私はその言葉に驚いてしまいました。私にはどうにも好きにはなれない街が我孫子だったのです。「でも娘には、ここが故郷なんだろうなあ」。
 最後の神足さんのことばが目にしみます。

 考えるまでもない。生まれ育った土地だからだ。自分は、ずっと漂流していたことに気づいた。

 私も漂流していた処をいくつも思いだしていました。秋田−札幌−名古屋−鹿児島−横浜、いやいや私にも故郷はまだまだたくさんあるのです。

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 昨日は、長女夫妻と私たちと我孫子の自宅へ行って、かたづけをやりまして、きょうは私一人で行きまして、普通ゴミを出しました。
 もう大きな袋をちょうど19個出しました。もう驚くほどの数ですが、また明日朝行きまして、資源と雑芥を出します。これまた大量です。
 そしてさきほど、長女夫妻が越谷の彼の実家から帰ってきまして、私もいくつかの荷物を運びました。我孫子の自宅のものをです。
 ひさしぶりに、ポコちゃんい会えました。ポコちゃんは、しばらく(と言っても2泊だけれど)あちらの家の子になっていました。
 妻は、きょうは会社へ行って仕事をしていますので、王子の家でも私一人です。思えば、きょうはクリスマスイブなんですね。でもなんだか実にせわしく動き回っています。

 だから、毎週月曜日配信しているメルマガは、配信は、予約配信でできていましたが、そのバックナンバーページはさきほどUPできたばかりです。

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0890cca9.jpg 私の次女ブルータスがこの吹奏楽団に属しています。ブルータスは、ここでオーボエを吹いています。
 ここは、ブルータスが保育園に通っていた頃からの友だちのレイカ(ええと、漢字で書いてもいいんだけれど、まあ、これがハンドル名みたいなものと私が勝手に思っています)ちゃんが、誘ってくれてやりだしました。思えば彼女とは長いつき合いですね。彼女とは我孫子第四小学校も一緒で、白山中学では、ブルータスが生徒会の副会長で、レイカちゃんが会長をやっていました。根戸保育園でのレイカちゃんのこともよく覚えていますよ。

けやきウインドアンサンブル

     レイカちゃんをはじめ、この楽団の皆さんが、ブルータスの結婚披露宴でも素敵な演奏をしてくれたものです。
 だからここに属してから、ブルータスは三線だけではなく、オーボエもやっているのです。
 今まで何度かの演奏会があったわけですが、私はそのたびに、別な用があり、参加できませんでした。でも今度の機会には、参加して演奏を聞き、見ることができるでしょう。
 このブログのサイドバーに、このサイトのバナー(実はバナーではないのですが、仕方ないので、私が勝手に画像を取ってきたもの)を置きました。

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b1a4ae4c.jpg きのうも我孫子へ行きました。それで午後は市谷のクライアントへ行きました。でもきのうは、JRで、京浜東北線の王子駅で事故があり、遅れ、そのあと我孫子から市谷に急いでいるときにも、上野駅でまた事故があり、遅れ、そして総武線の御茶ノ水駅でも原因不明の遅れがありました。なんだか、このところJRはこういうことが多いですね。いつもそのたびにケータイメールで連絡を取っているばかりです。(11/15)
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 田辺聖子珠玉短篇集〈1〉07103102 昨年の10月12日に鎌倉へ行きました。鎌倉駅から由比ヶ浜通りを通って、大仏を見て、長谷寺から江の電で鎌倉へ帰り、少し飲みました。
 そのときに、鎌倉文学館のあと、吉屋信子邸に寄る予定でいたのですが、すっかり忘れていました。実は私はそのときに、吉屋信子ではなく、田辺聖子のことを考えていたのです。彼女の平家物語周辺にあたるかなという小説を思い出して、吉屋信子の小説と比較して、「でもやっぱり田辺聖子がいいなあ」なんて考えるうちに、吉屋信子邸に寄ることをすっかり忘れ果てていたものでした。
 でもそののちも、何冊か田辺聖子は読んできましたが、やはり私は好きな作家です。この本を読んでもそのことを強く感じました。

書 名 田辺聖子珠玉短編集1
著 者 田辺聖子
発行所 角川書店
定 価 1,500円+税
発行日 平成5年
読了日 2007年10月30日
(発行日が詳しく書いていないのは、この図書館の本が、その部分と「解説」の部分がないのです)

 以下の短編が収納されています。

ジョゼと虎と魚たち
雪のめぐりあい
おそすぎますか?
ちさという女
ぼてれん
荷造りはもうすませて
夢のように日は過ぎて
人間ぎらい
うたかた
カクテルのチェリーの味は
金魚のうろこ

 でも昨日、我孫子から用賀、用賀から水天宮前、人形町から秋葉原、王子の電車の中のみで、この本を読み終わりました。この短編集は、他もすべて読むつもりでいます。

 周の雑読備忘録「『田辺聖子珠玉短編集1』」の2 へ

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 周の雑読備忘録「アレン・セイ『おじいさんの旅』」ナミちゃん から次のコメントがありました。

1. Posted by なみんと    2007年10月29日 22:58
周さん☆今晩は。早速読んで下さってありがとうございます。嬉しいです。すぐにでもコメントを書きたかったのですが胸が一杯になってしまって・・。
いくつもの故郷を持ったというのはそれだけ豊かなんだと思います。札幌・秋田・横浜・名古屋・鹿児島<間違っていませんか?順不同で失礼!>とよく生活されてきましたね。その時は少しも好きにならないという気持ち!わかる気がします。でも確かに家族で住んでいたんですよね。<お母様・・よくやられました。きっと必死にお子さん達の為に出来たのでしょうね。>今は・・懐かしさを感じられる事は幸せだと思います。心のポケットを沢山もっている周さんは沢山の故郷をもっているのですね。「おじいさんの旅」の絵本をこんなに感慨を持って味わえるのは周さんのお陰です。ありがとうございます。

 私はこの絵本のことをナミちゃんのブログで知ったときに、詩吟の宗家の荒國誠先生のことを思いだし、また実際に手にとって読んでみて、自分のいくつもの故郷を思いだしたものです。私たち3兄弟は、転校ばかりしていました。
 兄は小学校へ入ったのは、茨城県佐貫(今現在は藤代市になっています)、そのあと東京巣鴨、そのあと秋田市で、小学校から中学へ入学し、そのあと札幌、名古屋と中学校が3つでした。名古屋の南区の中学に入ったのが中学3年の2月ですよ。ただし、兄はそののち名古屋の高校を経て東京の大学に入ったので、寮に入り、鹿児島には住んでいません。
 私は小学校を札幌で入学し、そのあと2年生の3学期に名古屋南区へ引越して、そのあと、名古屋千種区、北区の引越して、小学校は3つ在籍しまして、6年生の7月に鹿児島に引越して、中学高校と進みまして、中学3年の2月に家族は横浜に引越になりまして、私は高校は下宿していまして、すぐに横浜の高校に転校しました。
 弟は、小学校が名古屋3つと鹿児島で、中学が鹿児島と横浜で、高校は横浜だけでしたが、最後は我孫子から横浜まで通学していました。

 どの街も、私は思い出すと、私自身が本当に心の底から嫌っていたところばかりです。どの街も、私が嫌いなことがいくらでも思い浮かんできます。でもやっぱりそうなわけなのですが、でもでも今になると、どの街にも何故か懐かしさがこみ上げてくるのです。札幌も名古屋も鹿児島も私には大嫌いな街でした。でも今はみな懐かしい。
 横浜は私にはまったく汚れた街としか思えませんでした。みなが話す横浜弁が、もう私には理解できなく、「えっ、この人たちは日本語が喋られないのか」としか思えずに、そして横浜を流れる川も海も、実に汚く嫌な臭いに満ちていました(これは大昔の話。今は横浜の街の川も海も綺麗ですよ)。
 でも今は横浜に行くと、いつも涙が流れそうな懐かしい思いを抱きます。たしか今から5年くらい前に、中華街の中(元町のすぐ近くでした)のあるアメリカンスクールで、我孫子の隣の家のアメリカ人と我孫子人の混血の3兄弟と会ったのですが、彼らは、「あ、くにちゃんとさよちゃんのパパだ」と言って懐かしがってくれて、そのときに、私の中ではあんなに嫌いだった横浜の中華街や元町が、とても優しい街に変化してしまいました。

 でもそのあとも、私は我孫子から浦和に住み、東大闘争で逮捕起訴され、府中刑務所に勾留され、保釈ののちまた別件で逮捕起訴勾留され、そのあと我孫子に戻りました。でももう70年なので、ほぼ日々闘争ばかりで、我孫子にいることが少なかったです。
 浦和は全部で3つ住んでいます。沖縄でも働き住んでいましたし、一時千葉県船橋市にも住んでいました。東京の早稲田に住んでいるときに、結婚して、すぐに王子に住んで、それから我孫子に住んで(家は3カ所替わりました)、ここで二人の娘は、小学校中学校を卒業し、高校はそれぞれ別な学校でしたが、大学は同じ大学に進みました。

 私はきょうは、朝8時には、我孫子の自宅へ行きまして、資源を出しまして、そのあと10時45分に世田谷へ行きます。そしてそのあと人形町へいきます。我孫子は私たちには、今も自宅であり、二人の娘もここからお嫁に行きました。
 我孫子は二人の娘には、懐かしい思いのする故郷なのです。私にもやっと今になって、そんな思いも生まれてきました。
 私には、この我孫子も故郷であるし、そして今いる東京北区王子もまた私の故郷であると言えるかと思っています。

 絵本「おじいさんの旅」のことで思い出しました へ

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 今朝も我孫子へ行きましたナミちゃんが以下のコメントをくれました。

1. Posted by なみんと    2007年10月09日 21:24
朝早く自宅を出て一仕事して午前中にはもう王子に戻っているとは・・スゴイですね。午前中をうまく使えるとリズムがついて午後もうまくいきそうですね。話はガラッと変わりますが先日根津に行った時に足を伸ばして「浅野」を探してみました。
千駄木の駅のすぐそばですね。赤札堂や千駄木クラブ<以前息子と入ったことがあります>もありました。有名なたいやきのお店!周さんしっていますか。

 思えば、前日の月曜日にも夫婦で行っているんだよね。それで今朝は妻が会社へ行く前に行きました。それで来週の火曜日の朝にも行きます。とにかく、たくさんの資源とゴミを出さないとならないのです。我孫子市は実に細かいから大変ですね。もう東京に慣れてしまうと、こうしたことの勝手が判らなくなります。
 昨日はね、午後もけっこう大変でした。もう忙しいばかりの思いでした。明日も、義母を送ったらまた急いで出ないとなりません。

「有名なたいやきのお店」ってどこかなあ。千駄木駅のすぐ近くなら知っているけれど……。私はまだ甘いものが食べられないからね。でもいつもあちこちで買って、どこかへ届けていますよ。
 でもこのところ、夜もこの王子の家にいることばかりなので(妻と交代なのですが、妻が夕方用のあることもあるんです)、なかなか外に出られません。
 きょうは、義母がデイサービスのお休みで、私の当番なので、ずっと王子の家にいます。でも長女とポコちゃんが昼に来たら、少し出かけます。銀行である会社の支払いをする必要があるのです。まだまだコンビニで、銀行を使うすべての用ができませんね。今度来年度から、コンビニで法人税等の税金を支払えるようになるといいますが、早くしてほしいです。この王子は駅前に不思儀なくらい銀行の店舗があるからいいのですが、他のところの街や駅前は、もう銀行を探すのが大変な手間です。なるべくインターネットですべてできるようにしたいのですが、40代以上の人はなかなか大変だよねえ。「インターネットで入出金、振込する」という決断ができないものねえ。

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 朝6時20分に王子の家を出て、我孫子の自宅へ向かいました。7時40分くらいに自宅につきました。
 きょうは、資源と雑介ゴミを出す日です。あいにく雨が降っています。でも必死に何度も往復してたくさんのものを出しました。雑誌や本と、服・ボロが実にたくさんあります。そのほかもたくさんあります。ビンや缶は、また来週の火曜日です。でもわからないことは、妻にケータイで聞いて、どうやらやりとげました。でもかなり時間がかかりました。
 それで10時頃退室します。

 いくつかのものを抱えて、11時半頃王子の家に帰ってきました。それらのものを降ろして、今度はまた出かけます。きょうは日本橋を自転車で走るのかと思いましたが、雨が降っているのを見て、「あ、この雨の中は嫌だなあ」と思い、まず銀行のたくさんある王子駅前で、3つの銀行を回ります。それでお金を降ろして、蛎殻町に向かいます。
 この事務所には、午後1時10分に着きます。それで今は、電話受けをやっています。

 大事な電話が入ってきます。ここは芸能プロダクションですからね。でも私では処理できません。明日は、一日中王子の家にいないとなりません。義母のデイサービスのお休みの日です。朝ある電気メーカーが電話してくる約束です。

 そうだ、きょうは義母のお迎えですから、ここを4時には出ないとまずいのです。なんだか、身一つで、たくさんのことがありますね。

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09e23f26.jpg 昨日は、妻と二人で我孫子へ行きました。私が早く行きまして、いくつものゴミを出しました。きょは、私一人でもっと早く行きまして、資源を大量に出します。それから帰ってきて、また出かけます。きょうも日本橋を自転車で走ります。(10/09)
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 欧風菓子「メヌエット」 我孫子店ナミちゃんから、次の二つのコメントをいただいていました。

1. Posted by なみんと    2007年08月10日 13:28
メヌエットの斜め前のお店は和菓子屋さんです。
多分もう開店したとおもいます。先日メヌエットにいった時に「あっつ!福一だ。」北口店もできるのですね。周さんはこのお店☆ご存知ですか。天王台店と本店の湖北台店があり三つ目ですね。お菓子は創作和菓子<生菓子>や半生菓子や干菓子などがあります。我孫子や手賀沼・・文学にちなんで名前のつけられた半生があります。このお店の若旦那さんは創作和菓子の部門でテレビチャンピョンに出た事があります。さぁて♪北口店はどんなお店になるか楽しみですね。
2. Posted by なみんと    2007年08月10日 23:35
今日!福一の北口店に行ってみました。というのも天王台店でお菓子を買おうとおもって行きましたところ「北口に移転」との貼り紙。そうだったのですね。三つめではなくて天王台店の場所が移ったわけです。テレビチャンピョンに出た主人がいましたよ。ちょっとお土産に!という時利用します。
我孫子らしさへのこだわりがあって「おつかいもの」に手頃です。

 最初のコメントは、私が

それから、一つ前の 周の雑読備忘録「中川李枝子『ぐりとぐら』」へのコメント の写真は、このメヌエットの斜め前です。ここにもお菓子店ができるらしいので、

と書いたことに、対応して教えてくれたのでした。

 だから、私はまったく、この福一さんを知らなかったわけです。それで私は11日に母の見舞のあとここへ行きました。このお店の写真が、ここに掲げたもので、以下はその11日に購入した生菓子です。

07081117 この日は、13日に次女の自宅へ行くので、そのときのお土産も買いたかったのですが、この店のお菓子では日持ちしませんし、斜め前のメヌエットのババロア他も保ちませんので、メヌエットで他のお菓子を買いました。

 でもこうして、美味しいお菓子店が我孫子駅北口に2軒できて嬉しいです。私はまだどちらも食べることができませんが、もうすぐ口にできるようになるでしょう。

 その福一のホームページは以下です。

   http://www.nerikiri.com/  我孫子の和菓子福一

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 めばえ幼稚園のことで思い出しました へコメント の続きナミちゃんが以下のコメントをくれました。

1. Posted by なみんと    2007年08月01日 19:49
楽しく読ませていただきました。周さん三兄弟のお子様達はみんなお嬢さんですね。さぞま皆さまが集まると華やかでしょうね。周さんのご兄弟は役割分担がうまくできてますね。まともなのは・・・弟だけです・・(笑)という下りがありましたが周さんは大きな役割を果たされているとおもいます。法事なんかで「道元」までいっちゃうのはさすが!ですね。思わず笑っちゃいます。実家も曹洞宗です。めばえのそばのお寺です。やはりこのところ父の法事がありましたがみんな・・周さんと同じことを思ってひたすら耐えています(^.^)三兄弟のやりとりは
・・御次男の声が聞こえてきそうですよ。

 そうですね。従姉妹が5人で、しかも兄と弟の嫁が三姉妹の1番目と2番目で、あちらの末の妹は双子の娘がいまして、みな女の子ばかりです。そしてこれはまたみな仲がいいのです。それで弟の二番目の姪は、まだ未婚ですが、それ以外がみな結婚して(うちの次女ブルータスは今年3月25日でしたが)、それがまたお正月には、彼を連れて集まってきます。これが実に愉しいですよ。
 我孫子の母の家か、兄の長女のみーねえの家に集まりますが、これがまた面白いのです。母の家だと、全員が入れる部屋がないので、子ども組(つまり私たち3兄弟およびその妻)と、孫組(5人および、その彼たちおよびみーねえの子ども二人)に別れるのですが、私はそんなの無視して、もう孫組に入ります。もう最初に酒持って一番奧に座ってしまうと、もう目茶苦茶です。姪の彼たちは、実にいい人たちで、とくにみーねえの彼は秋田の人で、いいお酒を持ってきて、いつも「周ちゃんはいるかなあ」と期待してくれているので、私はもう嬉しくなって、ただお酒を飲みます。
 でもそのうち飲んでもう記憶がなくなって、訳がわからなくなります。このときの萩原家は、もう大勢がみなばらばらな話を盛んにしていて、私の娘たちには、たいそう面白いらしいのです。
 これが、今度は、私の二人の娘たちも結婚して、その子どもが大勢できて、お正月はじじばばのもとに集まるようになるでしょう。そうすると、またじじの私が酒飲んで、わけの判らないことを言い出しているでしょう。もうそれが今から待ち遠しいです。

 私の父のお墓のある曹洞宗のお寺は、また違うところですが、これまた古いお寺です。思えば、私は禅宗なら、臨済のほうがなんだかよく理解できますね。栄西と道元というと、若いときには、道元のほうが優れた哲学者に思えていたものですが、私も年をとってくると、栄西のほうが数段優れた宗教人に思えます。
 そうねえ、日本の禅宗には、もう一つあって、黄檗宗ですが、これがまた少し違っててね、とにかく禅宗の、そのお坊さんと話していても、少しも面白くないですが、まあ仕方ないよなあ。
 でもそういえば、今はお坊さんによっては、けっこう勉強している人もいて、私は禅宗の方で、「歎異鈔」の言葉で挨拶されたことがあって、驚いたものでした。

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07080101 まっくまっくを見て、やっぱり驚いて、そして実になんだか爽やかな感じで、嬉しくなりました。ちょっと可愛いすぎ? にその説明があります。
 いいですね。今は夏でどうしても暑いから(当たり前のことですが)、こんなデザインがとても素敵です。

 それでね、欧風菓子「メヌエット」に写真を載せましたが、この「果莉桃」他を持っていきますね。ただし、持っていったら、その場で食べないとだめです。あなたの自宅に持って帰る時間の余裕はないはずです。普通のケーキなら大丈夫なんだけれど、あまり長く時間がかかるところには駄目なんだと思うんです。
 でも、私の長女が妻がいうのにも、美味しいよ。こんなケーキ屋さんがある我孫子って、いいところでしょう。もう私も我孫子が好きになりつつなってます。

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 ナミちゃんとんアンドじゅん中国から帰国! に書いてくれています。

周さんのブログで書いてあった「めばえ幼稚園」は私が通った幼稚園であり
娘が通った幼稚園でもあるのですが・・・

 私が書いた札幌の「めばえ幼稚園」は、昭和28年の暮から翌年3月に卒園するまで7カ月通いました。なんだか、とても懐かしいです。園長先生が、フィンランド人の女性でした。旦那様もご一緒においでになったと思いますね。この園長先生の顔は今でもよく思い出すことができます。転園してきた私をやさしく面倒を見てくれていました。弟はここで始めて幼稚園に入園したのですね。
 ここで卒園するときに、新訳聖書をもらいました。この聖書には、札幌のいくつもの落ち葉(いちょうが多いのですが)が挟んであります。それを、名古屋・鹿児島・横浜…………………と持って歩きました。でも新約聖書は少しも面白くありませんでした。でも10年くらい前に文語訳の「舊新約聖書」を手に入れて読んできましたが、これは実にいいです。せっかくのあれだけの聖書を、口語で読むと、なんてつまらないのでしょうか。
 でもこの「めばえ幼稚園」はいくつものことが思い浮かびます。
 私は小学校に行っても、日曜学校には通いました。だから小学2年の3学期の最初までは通っていたのですね。でもいつも、私はここで聞かされる神の話、聖書の話には、うんざりしていたものです。その聖書の内容に、心の底からひかれるような思いを抱けるようになったのは、実にそれから50年以上たたないと判らなかったのです。
 今は、佛典もよく読むのですが、とくに禅宗の関係は読んでもさっぱり判りません。禅家語録なんか、ただ「判らない」というのにつきます。
 その点聖書は、読んでいていいです。そうですね、「歎異鈔」を読んでいるのもいいのですが、それと同じ思いがしています。ただし、「歎異抄」は短いのですが、「聖書」は実に莫大な長さがあります。

周さんもインディアン祭り知っているんですね。
夏休み前はあそこはほとんどインディアン一色ですね。
こどももまだ小さく私もまだ若く大切な思い出です。

 私の姪が我孫子のめばえ幼稚園に行っていたときに、私が始めて手賀沼のインディアン祭りに行ったのは、たしか私が王子に住んでいたときだったと思います。手賀沼公園に行きまして、待っているうちに、私は眠ってしまいました。ところが、私の身近の物音に気がついて、目を開けると、私の目の前は、小さなインディアンがたくさんいました。そしてそのインディアンがどんどんと増えていきます。私は驚きました。
 私の姪のみーねえも来ました。でも彼女は、顔にインディアンの化粧を描いていませんでした。彼女にあとで聞くと、顔にペンキを塗るのが(いやペンキだったかは判らないけれど)嫌だったそうです。
 でももうたくさんの小さなインディアンたちで、それは実に愉しいお祭りでした。

 思い出せば、私の二人の娘が保育園の夕涼み会や運動会のときにも、いつもみーねえもきてくれていました。私もみーねえの二人の子どものいろんなイベントには行くようにしています。いつも二人のみーねえの子どもは、「あ、あのおじちゃん、また来ている」(本当はおじちゃんではなく、大おじちゃんだけど)という目で私を見ています。この二人の学校見学も行く気なのですが、いつも別の用と重なっています。
 今度は、私の孫のさまざまなイベントですね。

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 我孫子の美味しいレストランナミちゃんから、次のコメントをもらいました。

1. Posted by なみんと    2007年07月29日 01:39
周さんは家族でよくコビアンに行っていたのですね。アルバイトは大学二年生の夏休みにしていました。チーフにもくちゃんという人がいてすごくいい人でした。すぐにメニューを覚えてしまったのでもくちゃんが褒めてくれたのを思い出します。マスターは彫りの深い顔立ちでちょっとイタリア人のような雰囲気です。下の娘がめばえ(私もめばえです。)でしたので母の会の帰りに友人達と寄るともくちゃんがちっとも変わってなくてお互いに懐かしがったものでした。それももう十数年前ですね。美味しいけど頼んだものがなかなか出てこないのは有名みたいですね。コビアン二号店はもくちゃんがまかされているみたいです。

 どうもありがとう。私も家族もさらに、私の親族たちもみんなコビアンが好きなのですが、「美味しいけど頼んだものがなかなか出てこない」ということは、もう大昔から言っています。もうその原因は判っているんじゃないかと思えるんですけれどね。
 例えば、昔からレジがあるのに、そのレジで電卓で打って計算していることがずっとありましたが、それは見ていて、嫌になったものでした。
 でも、今はもうそんなことは思い出したくありません。娘たちが小さいときも、何度も行っていたものでした。それにお酒もいいものを置いていました。でも思い出すと、私はいつも結局毎回同じものを注文し、妻も、二人の娘も同じものを注文していました。みんな、それぞれ好みは違うんですね。愉しい面白い思い出です。
 でもきょうも、我孫子へ行ったのですが、やっぱり私も好きになってしまう街になりつつあります。私は、もう好きにはなれない街として、私の心の中では終わるはずだったのですが、そうもいかないようですね。
 あ、それとめばえ幼稚園は、私も姪の運動会やインディアン祭りとかを見に行ったことがあって、それに私が札幌で通っていた幼稚園が、めばえ幼稚園という同じ名前で、なんだか私がものすごく親しみを感じていたのです。

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 16日(月)に我孫子の自宅へ行きまして、妻が家で整理している中、私は母の入院先の病院へ行きました。そうしたら、次女ブルータスの赤ちゃんのときからの友人のナミちゃんのおばあちゃんと病院の前で会いました。
 そこから私はエスパに行きます。ダンボールをもらってくる必要があったのです。自転車で走ります。
 6号線を越えて、エスパに着きました。私はあびこ市民ホールのほうから中に入りました。ここで、少しの時間パソコンを借りて、250GBのHDで書きたいことがあったのです。
 ただ、その直前に、その入る廊下で、私は自宅のお隣のKご夫婦と会いました。もうこうして顔を会わせるのは何ヶ月ぶりでしょうか。このKさんは、私より2歳下(奥さまはもっとお若いです)で、御徒町である会社の社長をやられています。
 私たちは、しばし立ち話をします。私たちは、私たちの住むマンションで、管理組合で私が理事長のとき、そのあとKさんが理事長で、私が理事を務め強力に協力しあって、変革に頑張ったものでした。またKさんは、私たちの神田会にも所属してくれていました。
 そしてKさんは、実にフルマラソンを走られる方です。もういつもランニングパンツ姿で走られていると、私のような酔いどれは、自分が情けなくなります。そしてやはり、彼は精悍な顔をしています。
 でも私も彼ご夫婦には、元気に見えたものなのでしょう。私の顔を見て、ものすごく喜んでくれます。そして、私に「酒を止めちゃいけないですよ」と強力にいいます。彼も私と同じくお酒が大好きで、今も熱心に飲み続けているということです。もちろん、私は量は減ったけれど、毎日元気に飲み続けていることをいいました。それにもちろん、私の長女に孫が生まれたこと(もちろん写真を見せます)、次女ブルータスが結婚したこと(もちろん写真を見せます)も伝えました。
 それにさらに私は身につけているくつものものを見せて、さらに250GBのHDを出して、これからそこでやることを言いました。
 でも思えば、彼とも飲んで話し続けたいものです。でもその場ではできません。

 そして、そのあとダンボールを4つ手に入れて、自転車で自宅まで帰ります。そして、義母のお迎えということで、王子に帰ります。妻は、自分の会社へ行く用がありまして、柏で別れます。

 以上16日の報告でした。

 16日に我孫子の自宅へ行きました へ

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 けっこう雨に濡れましたナミちゃんからコメントをもらいました。

1. Posted by なみんと    2007年07月15日 01:09
すごい雨の中大変でしたね。お母様が手を握り返してくれたとのこと・・嬉しいですね。周さんのお母様を想う気持ちは十分伝わっているのですね、とても明るくて元気なお母様のお写真・・周さんが小学校一年生の時でしたかしら・・クリスマスの時の貴重なお写真を拝見させていただきました。若くてとても利発そうで三人の男の子のお母さんのたくましさを感じさせてくれます。周さんに似てますね。

 いえ、私だけでなく、弟はもっと行っていますよ。10日くらい前には、眠ってばかりいる母の顔や身体を懸命に触って、「ばあちゃん、ほら起きろよ」と言っていたようです。弟は、昭和25年に秋田で生まれましたから、一番小さいので、母からけっこう可愛がられたんじゃないかな。
 でも私の兄は全然見舞にいきません。もうしょうがない兄です。……でもでも、兄にもいろいろなことがあったのだと思っています。
 ただ一番母の面倒を見てくれているのは、義姉です。もうこれは頭の下がる思いです。

 ただし、私が一番迷惑をかけたでしょうからね。府中刑務所に面会に来るのは大変だったでしょうね。いや、もう私はそれだけじゃないですから。
 あ、一番の迷惑は、父かなあ。秋田犬ばかりしこたま飼いましたからね。いや、小鳥も莫大に飼いましたからね。いや、もう骨董は、どうしようもないほど買いましたね。いや、もう万年青はとんでもない数でした。あ、カメラにもこったし、あ、ゴルフ道具もなんだかあったし、あ、絵も好きだったし、あ、こけしもいっぱい集めていたし、あ、そういえば、あまり知らなかったけれど、切手を莫大に集めていたなあ。どっかの部屋に莫大にありますよ。
 それなのに、母は実によくやってくれました。
 5人の孫も一番母が面倒を見てくれたんではないかなあ。きのう、我孫子の自宅へ行きまして、ある部屋に溢れているぬいぐるみを少し目にしました。あんなにたくさんのぬいぐるみをみんな母が買ってくれていたのです。孫が5人いるわけですから、順番に買ってくるわけですが、あるときに、ブルータスが、母が買ってきた大きな熊のぬいぐるみを、持ってきてしまったことがあります。自分の背丈より大きなぬいぐるみです。
 私がその日夜10時頃帰ると、ブルータスの蒲団の横に、また毛布をかぶって寝ている巨大なものがいます。私が最初は実に驚きました。でもすぐに大きな熊のぬいぐるみだと判りましたが、「あれどうしたんだ」というと、ブルータスが、まだ母がいいともいわないのに、勝手に抱えて家まで持ってきてしまったということでした。あ、そういえば、この熊に勝手に「どんちゃん」という名前をすぐにつけていました。
 でもこのどんちゃんも、きょうはほかのぬいぐるみと一緒になって重なっていました。あれは本当にどうするのかなあ。

 でもねえ、母は面白い女だったかもしれないね。もうたくさんのエピソードを聞いていますよ。父も勝手な男だったから。
 またたくさんのことを思い出しています。

 でも雨の中、けっこうたいへんだったのですが、自転車で走り、そしてまたけっこう歩き、そしてタクシーでも走りまして、私にはなんだか我孫子という街が少しだけ好きになった思いがしました。

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 朝10時すぎに、自宅にあるピアノを取りにきてくれる業者さんが来ますもので、我孫子まで帰りました。ピアノは、たいして大きくないと思っていましたが、やはり大きいです。でもマンションのエレベーターが大きくてよかった。前にエレベーターが何人のりか聞かれて困ったのですが、電話でエレベーター会社に聞いたら9人のりだったので助かりました。
 そうしてピアノが出たあと、すぐに生花が届きました。それがここに掲げた写真です。今は王子の玄関に置いてあります。
 そのあと、まだ小降りの雨の中、母の家に行きました。義姉とお喋りします。義姉とは、先週にエスパで孫のれいちゃんと一緒のところで会いました。そんな孫のことをお喋りします。私は孫のポコちゃんの写真と、次女の結婚式のときの着物姿の写真を見せます。
 そこで昼飯をごちそうになります。
 それから、自転車で母の病院まで出かけます。雨が激しくなってきました。でも雨は降ろうが、なんだろうが私は自転車で出かけます。あ、この自転車、空気が抜けているなあ。

 病院で母の手を握ります。母は手を握り返してきます。でもやっぱりまだ眠っているようです。私の出した手紙が4通封が切られていません。
 あ、でも病院を出るときに、私のビニール傘が大きく壊れていることに気がつきました。傘なんて、どこでも簡単に手に入りません。まずは、とにかく病院の前でケータイブログをUPしました。
 でも仕方ないから、雨の中、自転車で走りました。濡れましたが、とにかく自宅まで帰りました。

 さて、それで我孫子のエスパに行きます。雨の中歩くのですが、途中に出来たセブンイレブンにも寄りたかったのです。こうしたコンビニがあると、我孫子も格段に便利になります。私はここでジャパンネット銀行が使えるのが便利なのです。
 私はエスパの後のあびこプラザで、パソコンを使いたかったのです。私のいつも持っている250GBのHDを使ってみたかったのです。パソコンのUSBにつなぐと、私のWZは起動できますが、FEPが起動しません。そうすると、そこにあるパソコンのFEPを使うことになります。これでは駄目です。でもどうしたらいいか判りません。
 あと、私のHDのものはすべて使えます。いえ、いろいろと試すところがないのです。王子の図書館は、そこでノートパソコンは使えるように電源が提供されているのですが、パソコンがないから、私のHDは使えません。いえ、自分のノートが使えるのは当たり前じゃないの。

 それで、そこを出ようとしたら、偶然カモさんと会いました。え、驚きます。でもそのときに、私は自分が贈ってもらった生花を手にしていないことに気がつきます。
 それでとにかく、ひさしぶりだから「飲もうか」といいますが、急なことで、彼は都合が悪そうです。それででも、私は急遽自宅までタクシーで急ぎます。そしてタクシーに待ってもらって、また我孫子駅のほうへ急ぎます。
 私は我孫子北口にある「盛」という飲み屋に行きたかったのです。マスターと話したいことがありました。
 それで、とにかく飲んで、電車に乗って帰りました。
 ああ、それから、この画像の生花を贈ってくれたプレジールさんには、すぐに電話したのですが、お留守で、彼女のケータイにも電話しましたが、これも留守で、きょうお礼の手紙を書きます。

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 あ、書くのを忘れていました。ナミちゃんのブログの同じ土曜日7日の 眠くて眠くて〜〜〜 に次のようにあります。

昨年飛騨・高山に長女のさっさと行った時に手に入れた
紅春慶のぐい飲みを自分と夫に買って」以来それで飲む
日本酒の味?に目覚めてしまった。

実に三十年ぶりかな。

今は面白そうな地酒を探したりするがなかなかおもろいんだな。

 私もあちこち行ったときに、ぐい呑みを手に入れます。でも気に入ったのは、いつか壊れてしまうのです。たぶん使いすぎるからでしょうね。昨年秋、鎌倉小町通りで買ってきたぐい呑みも、もうお酒がもるようになって、もう棄ててしまいました。
 やっぱり、お酒を入れる器よりも私は、お酒そのものがいいなあ。

 それでナミちゃん、なんといっても、我孫子には「春日や」さんがあるではないですか。私があの店に始めて行ったのは、まだ娘も小さいときです。自転車に乗せて、私があの店に入ると、腕を組んで、ずっとお酒をみています。ときどき、「感動!」と声を出すのですが、次女が、いつも「パパ、これも『カンドウ?』」と聞いてくるようになったものです。
 まず、とにかくお酒がいいです。もう実に感動なのです。でも実は、それだけではありません。芋焼酎もいいのですが、そして例えばウォトカもいいです。ストロヴァイアンも普通に置いてあり、アメリカのウォトカも置いてあります。
 だが、なんと言っても地下1Fのワイン蔵がいいのです。でも実は、あのワイン蔵には、哀しいこともありまして…………(あのお店は昔から有名ではなく、決して昔は日本酒もワインも売れていたわけじゃないのね)。
 私が始めて、あの春日やのご主人に声をかけてもらったのは、1992年の5月3日のことでした。私はそのあとお酒をかかえて、利根川のある土手へ飲みに行ったものでした。

 あのお店で、使っているパソコンを見ると、キーボードがまっくろになるほど使われています。それがあのご主人の、仕事に対する気持なんですよ。お酒を愛しているご主人でした。でももう亡くなられましたね。
 ただ、あのご主人は実にいい、面白い方でしたが、実際にあのお酒を好きで飲まれにくる方は、私はいつも疑問を抱いていたものです。いや、私は若い方で、日本酒を好きだという方々に、どうしても疑問を抱いてしまう方が多いのです。
 でもそんな内容は、ここではやめておきましょう。私は春日やさんが開催される銘酒会の会合には2度参加しました。でももう参加する気がなくなりましたね。
 そういえば、東京各地で開催される銘酒会にも、何度も参加したものですが、それもなくなりました。
 ああ、お酒については、いろいろなことがあります。なかなか書けない内容がどうしても多いですね。

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 今は我孫子の自宅ですまだ来ないなあ のUPは、昨日7日我孫子の自宅から書いたものです。あのあと、すぐにある業者の方が来てくれて、私は母の病院へ行きました。母は眠っていて気がつかなかったのですが、前よりも元気になったように思いました。
 それがなんだかとても嬉しかったです。それでまだ午前中です。

 病院のそばに我孫子根戸小学校があって、ここでいつも私の姪のみーねえの長男のゆうやがサッカーをやっているのですが(いつも私はのぞきに学校の校庭に入っていきます。ゆうやはいつもしらんぷりしている)、きょうは試合だそうで、どこかへでかけています。
 それで、我孫子のエスパへ行きました。それでまず3階の我孫子市役所のセンターへいきます。そこでパソコンを使おうと思いました。でもインターネットにはつながっていません。
 それでもいいのですが、パソコンの前に座って、でも私はいつも持っているBUFFALO『HD-PL250U2』を、自宅に置いてきていました。これにすべてのファイルが入っているので、どこのパソコンにつないでも、自在に使えるのです。あ、でも私はたまたま我孫子の自宅へ置いてきてしまっていました。まあ、鞄を置いてきて、それでもたくさんのものを持っているからです。

 仕方がない、エスパに入ります。
 でも店内がかなり改装されて、店も替わっています。でも私は、「あ、そうだみーねえのうちへ行こう、何かお土産を買っていこう」と思って、れいちゃんのケータイに電話します。
 でもでないから、留守録します。そして、みーねえに電話すると、れいちゃんとそのばあの私の義姉のまっちゃんが、このエスパのなんとかという(名前聞いたけど、私はそういう名前が覚えられない)店にいるそうです。
 それですぐに、まっちゃんが私を見つけてきました。
 私もその店に入ります。れいちゃんは、私の顔みて笑いますが、手にしているゲーム機でずっとゲームをやっています。ちゅうど時間は12時くらいです。町子ばあは、先日私が送りましたブルータスの結婚式のスナップ写真をみな持っていました。
 それからしばらくして、食事にいこうということになり、1階の讃岐うどんの店に行きました。れいちゃんは、まだゲームをやっています。れいちゃんは、このあと柏に行って、テニススクールに行くそうで、町子ばあはラケットを持っています。

 さて、それで妻が自宅へ着ていますので、ケータイすると、エスパからダンボールを持ってきてくれということで、これを4つもらって、さてこれを自転車で運ぶのが面倒です。でもとにかく、それを持って、我孫子北口がいろいろ変化した(もう街がかなり変化改造されているのです)のを見て、自宅へ帰ります。
 自宅で、ピアノの処分をケータイメールしたり、それから他のケータイ電話もしたりして(いやいろんなケータイの用があるのよ。みんなケータイメールにしてくれないかなあ。電話は出られないよ)、やっと帰ることになります。
 あ、家を出たところで、マンションの管理組合の理事長と会って、今度の総会のことを言われました。ああ、総会には出席するかなあ。
 それで妻は、柏で買い物があるので、別れて私は王子へ急ぎます。私はダンボール一つとパソコンのディスプレイとその他いくつも持っています。
 かくして、王子に帰りまして、またいくつかケータイメールをして、義母をお迎えします。

 それで妻が帰ってきて、長女の部屋に行きましたら、孫のポコちゃんを連れて帰ってきました。もう私は大喜びです。

 でもとにかく、たくさんのことがあって、大変に忙しい土曜日でした。

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 以下、私がたった今書きました母宛ての手紙です。実際の手紙とは違って、ここでは名前等はハンドル名にしてあります。

   萩原たか子 様

               2007年6月12日

                周のURLメール
                今の王子の住所電話等

 前略
 またもひさしぶりの手紙になります。
 もうきょうなんか、けっこう暑いです。おはぎは同じマンションですが、あそこのほうが涼しいです。ここの部屋はどうしても暑いです。もう古い部屋で、そのままだから。しかたないよねえ。夏だもの。
 うちの家族は、鹿児島にも住んだわけですが、はやり名古屋のほうが暑かったですね。ただ、このことは住んでみないと判らないでしょうね。今はもっと暑いんだろうなあ。言われることだけど、年々暑くなる年を感じています。このままいくとどうなっちゃうのかな。
 思い出せば、私が一夏過ごしたした府中刑務所も暑かったです。狭い独房なので、ただただ暑いだけでした。ただ中にいると、まったく外の世界のことが判らないので、ときどき面会に来られるかたの話はどうしても私には判らないことが多々あったものでした。
 ただ、私は保釈になってから、こうした拘置所なりに面会に行くときには、そうしたことを判った上でお話しするようにしていましたからね。私が中にいるときは全然無理解な人とは会っても、一応わざわざ面会に来てくれたからという感謝の気持は失わないようにしましたが、独房に長期勾留されているということがまったく判っていないとしか思えないという人もときどきいたものでした。まあ、でもこれは仕方ないことです。
 でも、こうして自分の母親にひさしぶりに手紙を書くようになって、昔を思い出しているのですが、いろんなことを振り返るようになりました。
 私は秋田というところは2カ所住み、名古屋は3カ所だが、鹿児島は1カ所だとばかり思っていましたが、私は原良町に下宿もしていたんだねえ。だから鹿児島は2カ所に住んだことになるんだ。
 浦和は2カ所だとばかり思っていたら、あそこは3つのところに住んでいるんだ。
 我孫子も勝手に3カ所だとばかり思い込んでいたけれど、我孫子の実家にも住んでいたのだから、4カ所なんだねえ。
 私がまったく記憶ないのが、東京の巣鴨に住んでいたということだけなんだけど、あそこはどこにいたのかなあ。私の孫のポコちゃんが巣鴨で生まれたから、あのとき、何度も、「自分の住んでいたのはどこらへんだったのかなあ?」という気持でいっぱいでした。できたら、いつかそこ場所を知って歩いて見たいものです。たぶん、何かを思い出すんじゃないかなあ。       早々

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 きのう夕方妻に言われて、王子駅前の東武ストアへ買い物に行きました。自転車で王子の駅前を走りながら、私は自分の住んでみたいくつもの故郷を思い出していました。そのときになにかがつかめたような思いになりました。

 私はこのところ、何度も我孫子の自宅に帰り、そこから自転車に乗って母の入院しているつくしの病院へ行きます。いつも、病院までいく途中のいくつかの森では、春なのでしょうね、いつも鶯の啼く声が聞こえます。いや、病院に行くときばかりではなく、私が北柏から自宅へ帰る際にも、このところはいつも鶯の声が聞こえます。
 この鶯の声は、私の我孫子の家でいつも聞いていたものでした。私は父は、春になると庭に来る鶯を何羽も捕まえて、雌はすべて逃がし、雄だけを檻に入れて、テープで鶯の啼く声を聞かせて(ただし、いい声で啼く鶯の声)、それを覚えさせて、その声を楽しんで、また5月中旬になる頃、「また来年おいで!」と庭から空に放つのでした。
 私の娘二人が小学生の頃、「おじいちゃん、きょうも鶯を捕まえたよ」というので、「そんな馬鹿なことはない、野性の鳥が簡単に捕まるものか」と言っていたのですが、娘たちと、本当のことかと確かめに、日曜日の朝から行きましたら、父の家の庭の池の石垣の上で、簡単にとらえられる鶯をこの目で見たものでした。
 父は名古屋に住んでいたときから、野鳥を飼い始め、とくにめじろとうぐいすはよく家で飼っていました(あ、今は飼ってはいけません)。その他の鳥の何種類も何羽もいました。
 ところが、この我孫子では、もう鳥屋に行って買うのではなく、自分でこうして捕らえるようになりました。しかも実に簡単にです。そしてまたそのうちに自然に空に還します。
 いや、実をいえば、我孫子という街は野鳥の宝庫です。だから私の父の家の庭には、もうたくさんの鳥が来ていました。ただし、私は鳥なんかにまったく関心がありませんから、全然気がつきもしませんでしたが、父はいろいろな思いを抱いていたものでしょう。

 今は父はもういませんから、私たちは誰も何も判りません。ただ、こうして母の入院している病院に行くときに、鶯の啼く声をきき、さらにその病院までのあらゆるところで、いくつもの野鳥におめにかかります。やはり、この我孫子というのは野鳥の宝庫です。今も驚くほど多くの野鳥をあちこちで私の走るすぐそばにいるのを感じています。

 ただし、こうして野鳥を目の前にしても、その声を聴いたとしても、しょせんは私です。少しもたいした感動はありません。いつも、「さすが親父が選んだ街なんだねえ」と、思っているだけです。

 だが、私は昨日も王子の街を自転車で走っていて、いくつものコンビニを目の前に入れながら、どうしても、こうした王子のような街のほうが好きになるのです。それで昨日自転車の上で、私が過去住んだ街をいくつも思い出しながら比較していました。
 私は記憶ある子どものときから、いわゆる田園のある田舎というようなところには住んだことがありません。みな大都市の住宅地か、大都市の都心部です。もの心ついてから住んだところを比較してみます。

1.大都市の住宅地 秋田市で2つ住んだところ、札幌市南区(あの頃は区ではなかったけれど)、名古屋市南区若草町、鹿児島市原良町、横浜市港北区篠原町、浦和市2カ所 船橋市湊町 我孫子市台田の4カ所

2.大都市の都心部 名古屋市千種区今池 名古屋市北区大曽根 鹿児島市東千石町、東京都電早稲田駅近く 東京北区王子

3.どうみても上二つと違うところ 府中刑務所 沖縄県久志村

 ええと、3はいわば私の中で例外のところでしたが、1と2が私が住んだ一番の故郷です。そして私は、昨日自転車の上で感じていたのは、「俺はもう、2の都会の都心でないと嫌だなあ」ということなのです。鶯の声が聞こえるのはいいけれど、そんなことよりも、もう私は都会の都心がいいです。
 このことを、もういつも如実に感じています。

 いや、このことをまたいくつも書いていくべきだなあ、と思っています。私は都会の都心で、コンビニがそばにあれば、そこが一番住みやすいです。そのことを今大きく感じています。

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bce99969.JPG母の見舞いに行きましたが、起きてはくれませんでした。でも今日はまた秋葉原へ寄ります。

  秋葉原はすごい人の数でした。

  それから写真は、きょう我孫子の自宅へ行ったときに、玄関で迎えてくれたシーサーたちです。これを見ると、いつも嬉しくなります。

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 私の周のプロフィールをごらんになると判るのですが、私は生まれたのは茨城県ですが、その後東京、秋田、札幌、名古屋、鹿児島、横浜と引越してきました。その後は、浦和、沖縄、船橋、早稲田、王子、我孫子とあちこち住んできました。
 それで、そのそれぞれの土地にはたくさんの思い出があり、そして思い入れがあります。みな私の故郷になるのでしょうか。私の思いの中で好きなところといいますと、秋田と沖縄だけです。あとはどこも好きではありません。
 そんな私の思い出の中の故郷をここに書いていきたいと思っています。思えば、もともとの生まれ故郷である茨城には、嫌悪の気持と、そしてどうしても好きになりたい気持がいつも半ばしています。
 もっともっと書いていかなければならないと深く思っています。(2002.12.16)

   http://shomon.net/garakuta/hurusato.htm  周の故郷

 それで我孫子でも3カ所住むところを替えました。あ、我孫子の父の家を含めると4カ所住んでいるんだ。
 思い出せば、秋田は2カ所、名古屋は3カ所、浦和は2カ所住んでいるんですね。そして今は、我孫子が自分の住所ではあるのですが、もう王子に一年以上生活しています。この王子も私の故郷と言えるのですね。
 おそらく、この王子にずっと住むことになると思いますが、でも私の今までの生涯を思うと、どうなるのかは、なんとも言いきれませんね。(2007.03.29)

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2018010102我孫de3c0724.JPG子へ帰って、母に会いに行くのですが、みーねいの二人の子どもに会えるのも楽しみです。

2番目の写真は、王子です。

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87c1f011.jpg それで、この喪中葉書は12月始めに出したのですが、今のところ5枚ばかり転居先不明で戻ってきました。転居の知らせのありましたところは新住所に送ってありますが、もう今戻ってきたのは、今の私ではお手上げです。どうすることできません。
 それで、ここを読まれてお気付きの方はメールなりで教えてください。メールはここのサイドバーの一番下のほうから私あてに送られるようになっています。「メール送信フォーム」が置いてあります。ホームページの将門Webもこれが置いてあります。
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d7617121.jpg 私のこのブログ将門のサイドバーに、私と妻の喪中の葉書を掲載しました。私も将門WebのTOPページにも置いてあります。ここをクリックすると、その葉書をスキャンした画像を見ることができます。そしてこの画像は 周の年賀状 のページに置いてあります。
 毎年年賀状の画像は、元旦から将門WebのTOPページに置いてきましたが、今回は義父が亡くなりました喪中ですので、きょうから置きます。
 なお、私は我孫子の自宅からこの葉書を出しましたが、もう今年の1月9日から、住んでいるのは東京都北区王子です。我孫子は次女ブルータスが住んでいます。
 事務所の年賀状もどうしようかと考えているところです。なんだか「おめでとうございます」とは言えない思いなのですね。
 以下にもこの葉書の画像を置きます。

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 ブログ将門のサイドバーで、このコーナーを作りました。
 私の将門Webには、

   http://shomon.net/links/  リンクス

というページで、いくつものサイトを紹介しているのですが(ブログのサイトばかり、紹介しているページもあります)、もう今までのホームページよりもみなブログばかりに来てくれるよなあ、というところで、今考え込んでしまっています。
 とにかく、今は私の毎日住んでおります東京都北区王子の私がいくつ訪れていますサイトを、まずは、私のブログ将門のサイドバーでリンクしていきます。そして、その一つ一つについても、今後紹介していきます。
 残念なのは、私はよく利用しているお店でも、ホームページがないところがいくつもあるのです。ちょっと前には、ホームページはあったらしいのですが、今は止めてしまったというのを何軒かでお聞きしました。「全然更新できないので」という理由をお聞きしたものです。
 おそらく、私が何度もお会いしてきた、私よりはるかに若い方々のホームページ作成のコンサルタントの方々では、こうした老舗ともいうべきお店のホームページを展開するのは無理なのだと想像できます。
 もちろん、ホームページを作成することは頼まれたとしても、それを運営維持することは、それぞれのお店自身がおやりになることでしょうから、それらホームページを作成した方々の問題ではありません。でもなんとかならなかったのかなあ、と思うのです。

 以下が、私がリンクした王子関係のサイトです。私が私のサイト内でリンクして、ときどき訪れたいと思ったホームページです。ホームページの名称のアイウエオ順です。

 http://www.kitanet.ne.jp/~asuka26/ 飛鳥山温泉
 http://www.netcity.kita.tokyo.jp/kitsune/ 王子・狐の行列
 http://www3.kitanet.ne.jp/~ojiginza/ 王子銀座商店街ホームページ
 http://ojiseikatsu.cocolog-nifty.com/blog/ 王子生活
 http://www.kitashoren.jp/ 北区商店街連合会ホームページ
 http://www.papermuseum.jp/ 紙の博物館
 http://www.sogetsu.co.jp/ 黒松
 http://s-rail.co.jp/ 埼玉高速鉄道
 http://www.netcity.kita.tokyo.jp/sa-kaso/ さくらSA*KASO祭り
 http://www.sugamo123.com/ 巣鴨の散歩道
 http://www.seig.ac.jp/ 聖学院
 http://www.central.co.jp/wellness/higashijujo/ セントラルウェルネスクラブ東十条|セントラルスポーツ
 http://www.a-tts.com/ 豊島中央通り商店街振興組合
 http://www2u.biglobe.ne.jp/~touan/ 栃尾豆庵
 http://www.city.kita.tokyo.jp/ 東京都北区公式ホームページ
 http://www.kitanet.ne.jp/~kitalib/ 東京都北区立図書館
 http://www.fat1.co.jp/infomation/kitaku/goethe/geothe.html 東京ゲーテ記念館
 http://www.nanasha.jp/ 七社神社
 http://ojichurch.exblog.jp/ 日本キリスト教団王子教会
 http://www.kitanet.ne.jp/~petanco/ petancoさんのホームページ
 http://www.kitabunka.or.jp/ 北とぴあ(財団法人北区文化振興財団)
 http://www.d3.dion.ne.jp/~daiou/ 街の映画館

 それで、北区王子に関連したホームページをお持ちの方で、私のサイトでリンクして構わないという方は、このページにコメントをください。連絡ください。また、「こんなページがあるよ」という連絡も待っています。
 今後、この一つ一つのサイトを私のブログで紹介していきます。

 私の自宅のある千葉県我孫子市関連のホームページを紹介しました次のページ

   http://shomon.net/links/links10.htm  リンクス(東葛地区のHP)

は、中途半端なままになっています。まだホームページが過渡期の時代だったかなと思っています。まだブログがなかった時代でした。また、このページも復活させていきます。
 自分で生活しているところをより深く知り、親しく語り動けるには、こうしてインターネット上で知ることが一番早く正確だと思います。ぜひ、インターネット上の私たちの情報をより更新していきましょう。

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 私が今います王子を、自分の住み処として暮らしていこうと考えましたのは、今年の8月の末です。それまではなんといいましても、やがて母の住む家のすぐそば、我孫子に帰ると考えていましたが、もう義母の介護で、ずっとここの王子で暮らすなか、もう王子に住んでしまうおかと考えました。
 この王子の同じマンションには、長女おはぎ夫妻も住んでいます(二人は、昨年9月ここに住んでくれました。義父のためにです)。そして、来年3月には、次女もお嫁に行きます。
 我孫子の母は、兄嫁が見ていてくれますから、私たちは、この王子で暮らします。
 もうそういう風に決意しますと、王子を見る目がまた自分の故郷を見る気持になってきました。
 そんなときに、今朝、このサイトに出会いました。

   http://ojiseikatsu.cocolog-nifty.com/blog/  王子生活

 このブログを造られているのは、王子に住む若いご夫婦の、奥さまのようです。読んでおりまして、私が知っているお店がいくつも出てきまして、実に嬉しくなりました。

 王子は、思えば東京でも大変に古い町、由緒ある町だと思います。私の自宅のある我孫子も古い町ですが、この王子も好きになれる町です。その好きになれる町王子には、いくつも好きになれるところ、好きになれるお店、好きになれる人がいます。
 そんなところをいくつも紹介してくれているこのサイトが私が大変に気に入りました。

 それと昨日書かれています 西ヶ原一里塚 ですが、実に懐かしい思いになりました。いつもタクシーでここを通る頃は、もう酔っていますので、目に入っても判りませんが、私は大学6年であった1972年、このそばの農業技術研究所(今はもうありません。筑波に移転したんじゃないかな)でアルバイトしていました。3カ月くらいやったかな。週に5日働いて、週の1度(たしか、木曜日だったな、この日は大事な授業がありました。でも大学へ行っても、その授業は少しもでないで、大学の真ん中で延々と酒を飲んでいました。あの頃学生運動をやっていた後輩たちも迷惑だったろうな)行っていました。
 このアルバイトにときどき、私の当時の彼女が差入れを持ってきてくれて、それをもって古河庭園で食事していたものでした。懐かしいな。今度古河庭園にも行ってみよう。

 そんなたくさんのことを思い出させてくれたサイトです。
 このサイトは、私のブログ将門のサイドバーでリンクしています。

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 私の 由比ヶ浜大通りで買った下駄まっくまっく のプラムさんからコメントをいただきました。

1. Posted by プラム    2006年10月27日 13:46
周さんが、下駄が無いって騒いでいたので、気にして靴屋さんの前を通ると覗き込んで見るとあります、ありますよ。
人形町駅すぐ側の草履さんには、どっしりした高そうな下駄が並んでいますよ。
春日部でも見かけたよぉ〜。
でも、今回買った下駄は鎌倉でのものだから、履くたびに鎌倉を思い出しませんか。
あ、鎌倉を下駄で歩くのもいいかもしれませんよ。

 ア、そうか、人形町ならあるんだ。ちゃんと見ておけばいいことですね。今住む王子も、私の自宅の我孫子も、下駄を売っている店は思いつきません。
 私が最初に鎌倉に行きましたのは1970年の8月だったと覚えています。私は大学4年生でした。その後大学5年、6年と何度か鎌倉を歩いています。そのときはすべて下駄を履いていましたよ。
 私は京都の街も、沖縄の街もすべて下駄を履いて歩いていました。鹿児島に行ったときに、私の中学時代の友人たちが、「あ、今も下駄履いて、歩いているんだ」と驚いていたものです。あれは1974年の5月のことでしたね。

 これからあちこちを下駄で歩くつもりでしたが、例えば、今住んでいる王子のマンションなんか、下駄で歩くと、廊下での音が気になるのですね。

 それとやはり、着物で歩くことだよなあ。私は大学5、6年の頃は結構着物姿で歩いていたのですが、もうそういうこともなくなってしまいましたね。第一、今はノートパソコンをいつも背負って歩いているじゃないですか。あれを着物ではどうするかというのが問題です。いえ、実は創作着物を作っている方に相談したことがあるのですがね。
 彼女考え込んでいたなあ。
 私はね、着物でも似合うリュックサックを作ってほしいのですね。

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 私は自宅はずっと我孫子に住んでいます。今の我孫子のマンションは母の家から歩いて5分ですし、いつも学校から帰ってくる二人の娘にはとてもいい環境でした。二人はまず私の父母の家に帰って、私の父母や義姉、姪と会ってから、自分の家に帰るのです。それをいわば生まれたときからやっていました。
 そして1992年に今のマンションに暮らし始めました。広さが100平米を少し欠けるくらいの、日当たりのいい素敵なマンションです。
 最初このマンションに入ったときに、二人の娘がとても喜んでくれたのを昨日のように覚えています。
 でも今は、その我孫子のマンションに次女ブルータスを置いて、私たち夫婦は東京王子の義母の居るマンションに住んでいます。義母を介護することが必要だからです。
 私の長女夫妻は、昨年9月から、義父母と同じマンションに部屋を借りて住んでくれます。そのことで、義父がとても喜んで話していたと、あとで親戚の方から聞きました。義父は美術が大変に好きで、私の長女とは小さいときから二人で美術のことでは話があったのです。
 でもその義父が今年3月9日に亡くなりまして、もう私たち夫婦も、もう臨時的ではなく、この王子で義母と一緒に生活しなければならないと決意するようになりました。
 ただし、私がこの決意が固まりましたのは、やっと7月の末でした。
 それで9月末に私の御茶ノ水の事務所も完全に引き払いまして、王子のマンションの一部屋を私の事務所にしました。
 それで、来年3月末には、次女も結婚して、彼の街に引越します(彼のお母さんがまた優しい綺麗なお母さんです)から、私たち夫婦も我孫子を引き払って、すべて王子に引越します。
 私の母のことが心配ですが、私の義姉が実によくやってくれます。私の弟も義妹もよくやってくれます。私の姪のみーねえもときどき母に会いに来てくれます。
 もちろん、私も妻も娘二人も、これからもときどき母に会いに行きます。大事な私たちの母であり、祖母ですから。

 でもやはり王子のこの家は便利です。コンビニがすぐ近くにありますから(たった今朝5時代に私は近くのセブンイレブンに「週刊アスキー」を買いに行きました)、いろいろと便利です。コンビニって、今は銀行を兼ねているではないですか。インターネット上で銀行機能は使えると言っても、現金化するのには店舗がなければできません。だから、こうしてコンビニがすぐ近くにあるのは、実にいいのです。
 また郵便局がすぐそばにあるのもいいです。王子郵便局ですから、書留が24時間使えます。もちろん土日もです。
 それと図書館がすぐそばにあるのもいいですね。今はインターネットで、どの図書館の本も取り寄せられますが、実際に手にできるのは、その図書館に行かなければなりません。それがすぐ歩いていける距離にあるのはいいです。

 あとは、この王子の多くの方々と知り合いになることですね。

 それと、この私と私の事務所の引越をみなに知らせないといけないのですね。ただし私と妻が正式に引越するのは、次女がお嫁に行ってからです。とにかく通知の葉書を作ります。
 でも私は名刺もやっと先週の金曜日作ったところでした。まあ、これからですね。

 とにかく、今後私周は、王子の人になりました。私は昔パソコン通信を始めるときに、ハンドル名を「我孫子の周ちゃん」と考えていたのですが、誰も「周さん」としか呼んでくれず、もうそれで「周」が定着しました。
 今度は、「王子の周ちゃん」なんですが、まあ今まで通り、単に「周(しゅう)」でいいですよ。
 ここでも新しくたくさん友だちを作りましょう。よろしくね。

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98168ae2.JPGきょうは、妻が我孫子に帰りまして、私が夕食を作るのですが、驚くことに私は食事が作れないのです。駄目だなあ。いや、冷蔵庫内にタラがあると思いこんでいたら、「メロ」ということで、私は判らないよ。困りました。もうすぐ妻が帰ってきますが、まあ食べるものは、いくつかありますから、でもなんだか恥ずかしいな。

  酒だけは飲んでいますが。写真は昨日飲んだ酒です。美味しい酒だったなあ。

  いや、もちろん、基本的な食事は作れるのですが、ちゃんと私が食事の用意をするという感じになれないのですね。これは今後、真剣に食事作りもしていきます。

8f060dea.JPG今日で、この御茶ノ水の事務所にでるのも最後です。10月からは、王子に移ります。今度からは、職住同じです。

   写真は24日に我孫子の自宅で撮りました。ミッキーマウスだね。

478461c9.JPG どうしても、少なくなってしまいます。今は我孫子に住んでいるわけではないので、どこへいくのも近いから、つい電車の中で、このブログを打っているわけにいきません。それが少し残念です。

 といいましても、私のブログ将門のカテゴリの中では、この「周のケータイブログ」が一番多いアップ数です。

  写真は17日に撮りましたテレビの画像です。

bdfc88a2.jpg もう義母をこうして介護しだして「8カ月が過ぎるんだなあ」と思いました。なんだか時間が経つのが驚くほど速いです。ほぼ王子にいますね。我孫子の自宅には、ほぼ帰っていません。だから私にメールくれる方はいいのですが、文書を送られる方のは、もうさっぱり判りません。でも仕方ないよなあ。もう義母をこうして看ていられることがとても大事なのです。
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 前のUPに、

 それにしても、もうかたづけるのは大変だなあ。今妻だけが一人で頑張っています。娘は二人で何かを見つけて喜んでいます。

と書きましたが、すぐに娘たちを見ると、二人は寝転がっていました。妻だけがちゃんとやっています。私もけっこうやっています。
 これはつまり、私は母の血が流れているのですが、娘には思えば私の父の血なのですね。

 私の一家は、日本中を引越して歩いていたわけですが(我孫子の家に落ち着くまで10回引越しています。私が20歳のときまででです)、いつも引越のときに、父は、

   さあ、やるぞう!

と大声で気合いを入れるのですが、そのうちに、どこかへ(3、4時間でずらかります)いなくなっていました。母は最初から最後まで頑張っていました(あ、今また長女おはぎが、ブルータスのことを「あ、寝ている」と声を出しています)。それでお手伝いの方とすべてをやりきっていたのが、母でしたが、それと同じように、私の妻も今頑張っています。その私の母の血を受け継いでいる私も頑張ります。
 私の父の血が、二人の娘です。あ、ブルータスがホントに寝ているよ。

 でも面白いな。明日、温泉で、長女の彼にいっぱい話しましょう。愉しい家族です。

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06081001 なんだか、どうしても疲れてしまう。そういえば、こうしたときにケータイがかかることがあるが、まず出られない。私の家族や友人はほぼケータイメールなのだが、ときどき音声だけでかけてくる人がいる。もう出られないよ。
 なんだか、私は義母には気難しい男なのかな。いえ、なるべく、そういう私ではなく演技できているつもりなのだが、どうしても同じことを何十回と話すと、少々うんざりしている。これは私が至らない人間だからなのだが、もっと改めないといけないなあ。
 義母を送ると、なんだか酒が飲みたくなります(そして数度飲んだことがあります)。
 あ、義姉に会いたくなりました。義姉は、インターネットもできないし、第一にケータイメールもできないけれど、どうやって気持を晴らしているのかなあ。
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 きょうは私の担当(妻とは一週間交代で水曜日義母と一緒にいます)でした。ところが今までとは違ってかなりきょうの義母は同じことを執拗に聞いてきます。さすがに、私も疲かれてしまいました。応えるのもつい強い言葉になってしまいました。これはよくないなあ。一日一緒にいることがきょうが今まで一番大変だった思いです。(8/9)

わが家のおかあさん2006.08.09周の心
 もうきょうは、何度も同じことを言葉として私は喋っている。もう、何度繰り返していることだろうか。だから少し強い言葉になってしまった。私も義父が亡くなったことを喋るのはつらいのです。でも何度も同じことを喋らないとなりません。しかし喋ったあと、すぐに同じ話を話さないとなりません。夏が暑いのは辛くない。だけど、この繰り返しは実に大変です。
 私の義姉が、私の母に懸命に同じ話を繰り返ししているのを見てきました。私は義姉のやることに、ただただ頭が下がるばかりです。だから、我孫子に帰ったときには、必ず寄るようにしています。そして母と話をします。

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06080105 義母が花を見ている写真がいいですね。私のブログで、かなりこの王子でも私の自宅の我孫子でも、ご近所にある花の写真を掲載しています。私のように花なんか何も知らない人間でも、いつも見ていて嬉しい気持になります。きのうは長女夫妻と一緒に夕食の時間を過ごして愉しかったと思いますよ。私の娘のお腹には男の子がいます。もう私は嬉しいだけです。おかあさん、ひ孫だよ。(8/1)
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060712001 ちょっとしつこいかなとと思いますが、続けます。どうしてもプラウドシティ梅島 自治会 さんの トラックバックで 足立区〜格差社会〜 に納得できないものを感じるからです。
 繰り返しますが、私は以下のように書きました。

 それに、この雑誌は「あなたの『街』の格差」という特集で、「格差社会」という題名であるわけではありません。

 私も「週刊東洋経済」さんも、「足立区には格差社会を感じる」てなことを言っているわけではありません。この雑誌の特集も「あなたの『街』の格差」ということです。

 私はこのブログでいつもあちこち私が歩く路の写真をUPしています。私の歩く街がとても綺麗になっていることを感じています。
 私が今住む街北区王子も、実に街路が綺麗です。ただし今朝駅まで歩いたときに、駅前周辺が煙草の吸い殻が落ちていたのがとても残念です。それから昨日朝王子駅まで歩いたときに別な路を歩きましたが、あるレンタルビデオ屋さんの前が、ゴミがいくつも散らかっていたことがとても嫌でした。
 みな住んでいる人が綺麗にかたずけているのです。
 私の自宅のある我孫子の街のことでも、次のように書きました。

「自分の行動に責任をもてない人間はかっこ悪い」
 我孫子の私たちの自宅のすぐそばで、いつも自分の会社の周りを掃除している姿を私はよく見ていました。うちのすぐそばの染谷観光の社長さんとその社員の方々がいつも毎朝、自分の会社の周囲を掃除されています。

「新スポット、表参道ヒルズを探検」
 私の我孫子の家から、朝通勤するときに、道をいつも掃除しています染谷観光の社長とその社員の方々をいつも思い浮かべています。街を綺麗にすることが大事ですね。
 私は汚れた街が嫌いです。タバコの吸い殻が散乱している街が大嫌いです。

 本当にこうして私のいま住む王子でも、自宅のある我孫子でも、毎日路を掃除してくれている方がいます。
 私は前に、朝自宅のマンションから、ずっと路を掃除したことがあります。どこまでこのゴミが続くのかと思ったものです。でもそのときはもう絶望しました。どこまでもどこまでもゴミだらけの路が続いているのです。
 でも今は、実に綺麗になりました。綺麗になってきています(まだまだ不完全なんですが)。でも仕事で、東京のあちこちの街を歩くと、実に綺麗になっている街、住民の方が懸命に綺麗にしている街もあれば、実に嫌になるくらい汚れた街、煙草の吸い殻が散乱している街があります。

 こうしたことをものすごく感じています。そしてやはり綺麗な街、住んでいる方が懸命に綺麗にしようとしている街には私は実に親しみと嬉しさを感じています。汚れた街の風景には、もういいようにない嫌悪を感じています。

 嫌な格差社会が存在しているわけではありません。いやまだ存在しているとしても、私たちは、そうした格差社会をなくそうと努力していきます。だが、こうした平気で路を汚す街と、みなで路を綺麗にしようとする努力している街の格差は厳然として存在しています。

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 私が毎日読んでいます まっくまっくこのUP がありました。

自分の子には、とにかく小さい頃から隣近所の人には、挨拶をきちんとこちらからするようにしつこい程言ってきたつもりだ。

時々周りの人から、うちの子達に会うとよく挨拶してくれる事聞くとなんかホッとするのだ。

 私の自宅のある我孫子のマンションでは、みなご近所の方とかなり親しくて、いつも挨拶をしています。だからうちの娘たちも、普通に挨拶ができます。
 でも、私が今住んでいます王子のマンションでは、私が結婚して、ここに住んだときには、住民同士の挨拶というのは皆無でした。私はわけが判りませんでしたが、「都会のマンション生活というのは、こういうものなのかな」と思い込んでいたものです。でもどうしてもこれは嫌なことでしたから、我孫子に住んでからは、自分の娘にもちゃんと普通に挨拶できることを教えてきたものでした。
 だからというわけではないでしょうが、我孫子の自宅のマンションでは、みな住民の方の挨拶が聞かれます。

 ところが、この頃住んでいます王子のマンションなのですが、私がとまどってしまうことがあります。あれほど、誰も挨拶を交わさなかった記憶のあるマンションなのですが、今はどこでも挨拶されるのです。エレベーターに乗っても、1階の出入口でもみな挨拶してくれます。とくに、子どもたちがちゃんと挨拶してくれます。私は「え、ここは違っていたのに」という思いで、半秒くらい遅れて挨拶を返しています。そして今では、反省して私のほうから声を出そうと必死です。

 でもこれは気持いいことです。嬉しいことです。

もう何年も前から朝会うおばちゃんに、こちらから挨拶してもうんともつんとも返ってこなく不機嫌な顔をしているので、もういい加減あたしも気分が悪くなるのでその人の顔を見ず知らん振りしている。世の中にはこういう気分を悪くする人が多々いるので係わらない方がいい時もあると思うのだよ。

 こういう人って、ときどき人生の中で出会いますね。最初はとまどうのですが、やがては、「この人はこういう人なんだな」ということで、もうその人のことは、もう「かかわらない」という気持になります。実はこのことは、その人にとって大変に人生を損しているように思うのですが、その人はもう変わらないのでしょうね。
 いつも読んでいて、愉しい思いをありがとう。

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