将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:戦場にかける橋

15102312
 このポメラはリビングでしか打たないようにしています。だからいつもテレビを見ながら書いているわけです。

2015/11/09 18:31今はリビングでテレビを見ています。

2015/11/10 06:06こうしてテレビを見ています。今は雨が降っています。晴れる時間があるのかなあ。
2015/11/10 09:45またリビングでポメラに向かっています。15102313
2015/11/11 05:25また朝リビングに来ました。アウサウンスーチーさんがミャンマーでの総選挙に勝利して嬉しいです。私の父・母の笑顔が私には見えます(思えば父の時代から時間だけは莫大にかかったのですね)。父はチャンドラ・ボースが好きだったのです。父は泰緬鉄道を建設したのです。父は「戦場にかける橋」を実際に作ったのです。
 今テレビを聴くのに少々手間取りました。チラシを読んで見て、日経産業新聞を見終わった時でした。
2015/11/11 05:46今日経新聞を読み終わりました。その前に日経MJはもう読み終わっています。
2015/11/11 06:036時を過ぎました。テレビは有音にします。
15102314
 いくつものことを思います。

12092007 私が「2012年9月21日のポメラ」で次のように書いたことです。

 私は「戦場にかける橋」の早川雪洲が大好きです。ただし、あの映画の終わり方はよくないよなあ、といつも思ってきました。ああいう終わり方にしなければならなかった、ならないのでしょうか。私の父も大変に評価し(父は実際に、あの橋を建設した日本軍に従事していました)、でもあの描き方には、私と同じ思いをもっていたようです。

12092104  このことは私がピエール・ブール『猿の惑星』に次のように書いたことに関連しているのです。

不愉快な日本人を描くのに、小説『クワイ河の橋』を出版しましたが、それを映画(これが『戦場にかける橋』)にしたものは、は早川雪舟の描き方など、実にいい映画と言って良く(ただし、内容は事実とは違っています。私の父はあの泰緬鉄道の建設に従事しており、そのことを実に誇りにしていました。映画で流れる『クワイ河マーチ』も作者は日本人だとその方の名前をあげて言っていました)、実はこの作家はそれが不愉快だったのです。まあ、私はあの映画の内容にも異議がありますが。
 この映画のいい評判に苦虫をつぶす思いだったピエール・ブールが不快な日本人を描いたのが『猿の惑星』です。だがまた映画は評判がよく、不快な猿たちの映画は、その読篇も出来てしまいました。

  この「戦場にかける橋」で描かれた泰緬(たいめん)鉄道は、映画の中では最後壊されてしまうのですが、あれは事実ではなく、今でも現地の方々に便利に12092105使われているとのことでした。それは「泰緬鉄道」という本を私が読んだからです。この本は父が大事にしていた本でしたが、もう私の今いるこの部屋にあるはずなのですが、今は実際にはどこにあるか分からないのです。
 もう現実にはどうしようもない私なのですね。

12092004 こうして、ポメラで書いてUPします。

2012/09/21 04:42あ、そうだ。「孫三匹が可愛く大変でした」を書いたのですが、私はそこに義弟のすだちを持って行ったことを言うのを忘れていました。でもでも、すだちは三匹は食べないでしょうが、美味しく食べるだろうサツマイモを持って行くのを忘れていました。あ、3缶のジュースも途中で買って行きましたよ。
12092102120921032012/09/21 04:52「黒書院の六兵衛」を真っ先に読みました。
 また私の予想ははずれました。六兵衛のことが語られます。

 的矢六兵衛は相も変わらず、武者隠しの中にかしこまっていた。面白くもおかしくもない顔を外に向け、御庭にそぼ降る雨を見つめている。

 なるほどなあ。この回は六兵衛の女房が託された風呂敷を源一郎が六兵衛に渡しに行くのです。挿絵は、平然と座っている六兵衛の前に頭を傾げている勝海舟がいますが、これはこの回にはありません。
120921012012/09/21 05:09その上の「大場俊雄『房総からハリウッドへ 20世紀初頭のスター俳優・早川雪洲の足跡追い40年』」はいい内容です。

雪洲はまだ海外の情報も乏しかった時代、「石にかじりついても成功する」という不退転の決意を持って太平洋を渡った。明治の男らしい気骨の人だったといえる。

 この早川雪洲の「筆者がハリウッドの書店で入手した早川雪洲の写真」を私は勝手に、ここに載せました。もしまずい、著作権でまずいというならご指摘ください。そのときに考え対処します。

 私は「戦場にかける橋」の早川雪洲が大好きです。ただし、あの映画の終わり方はよくないよなあ、といつも思ってきました。ああいう終わり方にしなければならなかった、ならないのでしょうか。私の父も大変に評価し(父は実際に、あ12092005の橋を建設した日本軍に従事していました)、でもあの描き方には、私と同じ思いをもっていたようです。

 やっぱりポメラだけじゃ不満ですね。パソコンとインターネットがあってのみ、インターネットに常時つながったパソコンがありがたいのです。

11020807 このフランス人の作家は、1912年2月20日~1994年1月30日の生涯でした。
  第二次世界大戦が勃発したときに、インドシナのフランス軍に加わり、ナチスがフランスを占領すると、シンガポールで自由フランス軍に加わります。だが彼はヴィシー政府軍に逮捕され、サイゴンの日本軍の収容所に入れられます。
 このときの体験が彼には大変に大きかったと思います。このときの嫌な黄色い猿に捕まった不愉快な記憶を描いたのがこの小説なのです。だから、あの映画は誰もみな見たと思いますが、あの猿たちはこの著者を収容所に隔離していた不愉快な黄色い猿=日本人なのです。
 最初は、この不愉快な日本人を描くのに、小説『クワイ河の橋』を出版しましたが、それを映画(これが『戦場にかける橋』)にしたものは、は早川雪舟の描き方など、実にいい映画と言って良く(ただし、内容は事実とは違っています。私の父はあの泰緬鉄道の建設に従事しており、そのことを実に誇りにしていました。映画で流れる『クワイ河マーチ』も作者は日本人だとその方の名前をあげて言っていました)、実はこの作家はそれが不愉快だったのです。まあ、私はあの映画の内容にも異議がありますが。
 この映画のいい評判に苦虫をつぶす思いだったピエール・ブールが不快な日本人を描いたのが『猿の惑星』です。だがまた映画は評判がよく、不快な猿たちの映画は、その読篇も出来てしまいました。
  だからこの『猿の惑星』の原作は、最初だけはこのフランス人のフランス語の小説ですが、『続』からは、4作とも英語の別な作家の作品になっています。読んでみますと、最初の第1作の猿たちとは大きく印象が違うのを感じるものです。すなわち、もう不愉快な日本人のことではなく、『猿の惑星』の猿たちのこと、そして人間のことが描いてあるのです。
 ただし、やはり私には、この作家の『猿の惑星』の印象が強いです。(2011.02.09)

↑このページのトップヘ