将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:折口信夫

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私はここのサイドバーに本居宣長の像がないことが不満でした。でも言い訳を言うと、私にはそんな資格はないとしか言えないのです。
 でも小林秀雄『本居宣長』の最初を思い出し、小林秀雄が折口信夫から「小林さん、本居さんはね、やはり源氏ですよ、では、さよなら」と告げらたことを思い出し、やっていこうと思いました。
小林秀雄・折口信夫の偉大さを思い、そして「紫式部『源氏物語』」を思い、はるかに本居宣長を思うものです。
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12101003 今日は柏へ行きます。

2012/10/10 06:32今日は柏へ行って来ます。健康検査に行くのです。途中ではIS01でUPしていくでしょう。柏まで行くのはひさしぶりです。北柏でもいいのです。
どうやって、どう行くのかは決めていません。
 日経の春秋にあります。

 ウイルスを使って他人のパソコンに侵入し、そのパソコンを遠隔操作してあちこちに脅迫文書を送りつけるーーそんな手口とみられる犯罪があった。

2012/10/10 07:53上に書いたような犯罪があるのですね。
 このポメラを持って行こうかな。電車の中でもIS01より、このポメラのほうが書きやすいのですね。
 そうだ、私の義母が亡くなっていますので、喪中葉書を手に入れないとならないですね。
 もう「純と愛」を見ています。なんだか涙になりました。悲しいな、悔しいなという思いです。この二人はいいなあ。「魔法の国」か、私もがんばろう、やり抜こう!
121010042012/10/10 10:179時10分くらいに家を出たのですが、今松戸駅を出たところです。IS01では両手親指打鍵ですから、どうしても遅いです。仕方ないのかなあ。でもこのポメラではUPできないからな。でもIS01では画像もUPしたはずなのですが、できていませんでした。困ったものです。でもそれを確認するのにも時間がかかりました。
2012/10/10 12:55今は帰りです。もうすぐ田端です。
2012/10/10 16:30私の「Re.今日は10月8日ですの2」に書いたことですが、

「本居宣長は、源氏ですよ。はいさようなら」と折口信夫に言われたことが

とありますが、正確に書きます。折口信夫さんは小林秀雄に

「本居(本居宣長のこと)さんはね、やはり(古事記ではなく)源氏ですよ」12101005

と言ったのでした。
 私のブログに私が書いていました。

 なんとなく、仕方のない私です。

12080505 ダダさんの掲示板で以下のようにありまして、

日本の神話は 投稿者:管理人  投稿日:2012年 8月 5日(日)18時38分53秒 2
「天津神」という概念は、国全体を掌握した権力者一族の祖先という大前提の上に成り立つものですが、実は、国津神と呼ばれる神々の一族と元々は「同族」であり、双方の神々は、かなり近しい関係にあったのです。
オオクニヌシについても、神話では「国を譲らされた側」の代表者となっていますが、実態は異なるものであると考えています。詳しい事は、サイト内の各ページに記述してありますので、そちらを参考にしてください。

さらにサイトを見まして、

 以下を読みました。

八百萬(やおよろず)の神様連合から追放されたスサノオが辿り着いたのは何処か?

また、スサノオのというより、その子孫とされるオオクニヌシとの関連付けが相当強く意識されていたとも思われます。

神様界では乱暴者で嫌われ者として扱われていたスサノオが、一旦、人間の住む出雲国に降り立つと、その性格は一変します。

このとき、日本の神様として初めて歌った歌が有名な次の一首なのです。

    八雲たつ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を

12080506 この歌は、折口信夫が日本の最古の歌だと書いていますね。私が「折口信夫全集」で最初に読んだのも、この歌の載っているものでした。私が高校2年生のときでしたね。
 思えば、だから大学で学生運動に邁進しながらも、私は羽仁五郎が戦後早くに折口信夫を貶したりしたことが許せなかったものでした。
 そのときに、「折口さんは、これらの歌が我々の祖先が歌っていたということが自然に分かるのだろうな」と思って、ただただ尊敬していたものでした。

 また私も書くこともあるだろうなと思っています。

12031603  吉本(吉本隆明)さんが亡くなったことが、日経新聞夕刊に大きく出ています。
  そこで山折哲雄さんが、次のように言っています。

…、吉本さんの言葉は独創的なために翻訳されにくく、同じく翻訳が少なかった柳田国男や折口信夫に通じるところがある。

  私は吉本さんの言葉が独特に感じられたからこそ、私の「吉本隆明鈔集」を始めたものなのです。
 それが、現在毎日UPしているのが400を越え、さらにもう昔にUPしたものを含めると、すべてで709になります。 そして、今後も書いて行きますから、全部で1、000を越える気持でいます。
 まだまだやって行かないとならないのですね。

11090810   Wednesday, January 05, 2005 6:35 PM
Re: お願いがあります
萩原周二様
 あけましておめでとうございます。旧年中はSCAPAランドマークプラザ店のHPやメールマガジンを多くの方々にご紹介いただき、また、12月にはお買い上げを賜り、本当にありがとうございました。どうぞ本年度も宜しくお願い申し上げます。
 そして、お返事が大変遅くなりまして申し訳ございません。セールがようやく落ち着いてまいりまして、通常業務にも手を伸ばすことができるようになりましたので、遅れ馳せながらメールをさせていただきます。
 お便り紹介コーナーの件、了解いたしました。私も配信を楽しみにしております。ただ、私達のことをとても美人だと錯覚される読者の方がいらっしゃるのではないか?ということだけを私達は心配しております…。

 そしてこれはウーロンの個人的な話なのですが、今年の『初読み』本は、吉本隆明さんと糸井重里さんの『悪人正機』にしました。たいへんに面白く、そして“目から鱗”のお話が多く、読後感はとてもスッキリと楽になった気が致しました。『西行論』もそうでしたが、もしHPを通して周さまとお知り合いになっていなければ、読んでいなかったかもしれません。ショップのこととは別に、御礼申し上げます。(今後、『源実朝』『源氏物語論』を読みたいと思っています。でも、『悪人正機』を読んで、折口信夫さんの本も少し読みたくなってきました。どういう順番で読むか思案中です。)
 それでは、これから寒さが厳しくなってくるかと思いますが、どうぞお身体ご自愛くださいませ。
SCAPAランドマークプラザ店・ウーロン

   Thursday, January 06, 2005 9:37 PM
Re: お願いがあります
 私のほうこそ、今年もよろしくお願いします。

お返事が大変遅くなりまして申し訳ございません。

 いえ、ホームページで、お忙しい様子は少しは判っているつもりです。忙しいとこころに、面倒な用件で申し訳ありません。

お便り紹介コーナーの件、了解いたしました。私も配信を楽しみにしております。

 ありがとうございます。嬉しいです。

ただ、私達のことをとても美人だと錯覚される読者の方がいらっしゃるのではないか?ということだけを私達は心配しております…。

 SCAPAのスタツフの方が、実に綺麗な方なことは私がこの目と耳で確認しています。私は自信をもって言い切れます。

そしてこれはウーロンの個人的な話なのですが、今年の『初読み』本は、吉本隆明さんと糸井重里さんの『悪人正機』にしました。たいへんに面白く、そして“目から鱗”のお話が多く、読後感はとてもスッキリと楽になった気が致しました。

 いや、これは嬉しいです。吉本さんの言われる内容は、実に私もすべていいのですが、糸井さんもいいですね。糸井さんは、私と同じ世代で、法政大学の私たちと同じ活動家(要するに三派全学連のね)だったものですから、親しみがあるのです。

今後、『源実朝』『源氏物語論』を読みたいと思っています。

 二つともいいですよ。「源実朝」を読みますと、過去、実朝の歌を「万葉調」の歌なんてかたずけていた、日本の数々の文芸人が「判ってないよな」と思いますよ。ただ、このことは私は以下に書いています。

  源実朝「短歌」

 この本の中での、実朝の歌をどの歌集から「本歌どり」しているかという資料は実にすごいですよ。吉本さんは、この本を1971年に出版されているんですよ。この作業は、もしこのときにパソコンがあれば、実に早くより簡単にできたでしょうが、吉本さんは手でやっているのです。この本が出版されたときに、桶谷秀昭さん(私も尊敬する評論家です)が、ただただ驚いた発言をされていました。「もうこの吉本さんには、俺は勝てない」と思ったんじゃないかな。ただ、残念なことに、彼はこのあと、吉本さんのことを何も述べなくなりました。私は「これじゃ駄目だよな」としか思いません。
 このことは以下を参考にしてください。

  第40回桶谷秀昭『昭和精神史 戦後篇』

 また「源氏物語論」ですが、これまたぜひ読んでみてください。私も普通の人と同じで「源氏」をちゃんと読むのには、原文で読むべきだと思っていました。でもでも、違うのですよ。そんなことやれば、それだけで一生かかってしまいます。そしてやっぱり、吉本さんのいうとおり、與謝野晶子訳がいいですね。早く読んで内容を知って、源氏の面白さをこそ、早く知ることなんです。 私は学生運動で、府中刑務所の独房に入っていたときに、谷崎潤一郎「新々訳源氏物語」を差入れしてもらって、全部読んだのです。これは母に入れてもらいました。私は谷崎潤一郎が中学生のときから好きで(中2のときに、ほぼ彼の小説は読みました)、それで「源氏なら谷崎さんだ」と思い込んでいたところがありました。だから、読んだのはいいのですが、実は刑務所の中で、私はさっぱり源氏は理解できなかったことにしかなりませんでした。 以下にこのことを少し書いています。

  島尾敏雄「死の棘」

 また以下も読んでみてください。

  與謝野晶子訳「源氏物語」

 以上の内容は、また折口信夫さんのことにもなります。

でも、『悪人正機』を読んで、折口信夫さんの本も少し読みたくなってきました

 小林秀雄が折口信夫さんに、

  本居(本居宣長のこと)さんはね、やはり(古事記ではなく)
  源氏ですよ

と言われた意味が、私には結局吉本さんを読むことによって判ってきました。小林秀雄さんは、偉大な人ではありましたが、結局は本居宣長が理解できなかったのだなと思います。折口信夫さんは、すごいですよ。
 私は、折口信夫さんを読みました最初は、高校一年生のときで、折口信夫全集(中央公論社)の「第二十巻神道宗教篇」でした。もうこれは大変に面白かったものです。次にこの全集で、「口訳万葉集」を読みました。ただただ驚きました。これは折口さんが3カ月で、全万葉集を現代語訳したものですが、もうただ驚くばかりとしかいえないものです。折口さんが、お弟子さんを前に、口で喋り、それを記したものですが、もう「驚く」という言葉しかいえません。思えば、この本を思うときに、私はドストエフスキーの数々の膨大な小説を思いだします。いえ、それは単に、口述筆記という類似点だけなのですが。

どういう順番で読むか思案中です。)

 できたら、吉本さんの「源氏物語論」、「源実朝」の順で読まれて、そして膨大なる「折口信夫全集」は、またどれからかゆっくり読まれる(全部読まなくていいと思いますよ、だってもう一人膨大なる柳田国男さんがいます)といいんではないかと思いますよ。萩原周二
(第232号 2005.01.24)

11082718   Thursday, September 09, 2004 1:09 AM
はい、了解しました。

すごく綺麗で優秀な姉でしたから、「いつか白い馬に乗った王子さまが、お姉ちゃんを迎えにきて連れていく」ものだと真剣に思っていたよ

 フェミニスト運動をやっている人がこのような王子様幻想が女性のさまざまな不幸の大きな原因の一つだと書いていました。この妹はこのような幻想を持たずに育ったのなら幸福になったのではないでしょうか。

 中国では昔にさかのぼるほど記録が多いという話はなるほどなー、と思いました。それにしても日本の記録の少なさは悲しいですね。せめて卑弥呼のいた場所ぐらいはっきりわかればいいに。

 じつは香乱記は読んでます。あれは毎日新聞の連載だったんです。前半は始皇帝の時代の話で男装の美少女などの小説的仕掛けもあって楽しく読めました。後半は楚漢戦争の時代ですが、新聞連載ではだんだん何が何だかわからなくなってしまいました。私は男装の美少女が大好きです。だからジハードという小説も好きです。木蘭の話も好きです。当然ベルバラも大好きです。

   Thursday, September 09, 2004 5:42 PM
Re: はい、了解しました。

フェミニスト運動をやっている人がこのような王子様幻想が女性のさまざまな不幸の大きな原因の一つだと書いていました。この妹はこのような幻想を持たずに育ったのなら幸福になったのではないでしょうか。

 うーん、なんと言ったらいいのかな。まあ、私がとんでもない存在でしたからね。

中国では昔にさかのぼるほど記録が多いという話はなるほどなー、と思いました。それにしても日本の記録の少なさは悲しいですね。

 これはまず、中国が文字を持っていた国だということがありますね。日本には残念ながら文字がなかったのです。ただ、その替わりに、日本のたくさんの民俗の中にたくさんのものが残されているのだと思うのですね。柳田国男という人は、日本各地の、民俗の中に私たちの祖先のたくさんのものを見ることができたのだろうと思うのですね。また折口信夫は、万葉集の中にも、古事記のなかにも、さらに昔のたくさんのものを見つけられていた人だろうと思うのです。私は少しはこの二人の見ていたものを、少しは私も見られるようになれないかなと思っております。

せめて卑弥呼のいた場所ぐらいはっきりわかればいいのに。

 ええとですね、私はこう思っています、大胆に言い切っちゃいますが、卑弥呼という存在はいなかったのだと思いますよ。あれは中国がでっちあげた存在ですよ、。
 三国志の歴史の中で、魏は漢から政権を簒奪します。そして晋が魏から政権を簒奪して、呉を滅ぼして中国を統一します。この晋の司馬氏は、どうしても自分を中国の正統な後継者と言いたかったのだと思います。このときに、東国の島国の摩訶不思議な、女王卑弥呼が誕生したのですよ。遠方の東国の国からも、卑弥呼という女王が、晋に貢ぎ物を差し出し、晋に服従したがっているというようなことが大事だったのです。そのために、卑弥呼と邪馬台国が作られたのです。
 もっと言えば、この日本には、あのような巫女としての女性とその弟が王をつとめる小さな国はたくさんあったことだろうと思います。天照大神と須佐之男命も、姉と弟で、この日本を治めようとしていました。いや、日本では、姉妹と兄弟との関係(これもまた対幻想なのですが)が、やがて日本という国家の成立に至ったものだと思います。
 だから、実は卑弥呼は、日本中にいたのです。九州にも大和にも、私の故郷の茨城にも東北にもいたのです。ただ、「卑彌呼」という漢字を当てられた女王は、あくまで、陳寿の書いた「三国志」の「魏史倭人伝」の中で作られた人物なのです。と私は言い切ります。
 そもそも、「卑弥呼」の「卑」、「邪馬台国」の「邪」などという字をなぜあてるのでしょうか。いえ、その前の「奴国」も同様です。また漢の光武帝から貰ったという金印は

  漢委奴国王

と書いてありますが、本来は委ではなく、「倭」であるはずです。東方の島国の人間は、しっぽでもはえている野蛮人だろうということで、「人」をはずしてあるのですよ。
 私たちだけではなく、日本の過去の知識人たちも、この中国のいう「卑弥呼」とは誰だろうと考えてきました。間違いなく聖徳太子は、この中国の書物に書かれている「卑弥呼」を、中国が勝手に作った人物だと看破していたでしょう。 その当時の若き日の蘇我蝦夷と中臣御食子(この息子が藤原鎌足)が二人で話していた姿が見えるような思いになります。

  この卑弥呼って一体誰のことかな?
  神功皇后のことかな?
  いや、太子は何も言われないけれど、みんなもう判っているんだろうね。

 聖徳太子には、卑弥呼の話のくだらなさが判っていたのですよ。おそらく、このことは、江戸時代の新井白石も、水戸光国も判っていたと思いますよ。

じつは香乱記は読んでます。あれは毎日新聞の連載だったんです。

 私も毎日新聞なんです。もう子どものときからそうなんです。朝日も読売も読んでも面白くないのです。「香乱記」はまた文庫本になったらちゃんと読み返します。

「男装の麗人」というと、私は真っ先に川島芳子を思い浮かべます。なんだか彼女のことは可哀想でなりません。木蘭の話は、これまた可哀想な思いになります。ベルバラは読んだことがないので、よく判らないのですが、あの時代のパリでは、男装は大変だったでしょうね。この日本の江戸時代なら、トイレは完備されていましたが、あの時代のパリでは、トイレがないのですよ。ベルサイユ宮殿にもトイレはありません。だから女性は長いスカートをはいていたのです。まあ、こんな話はいつもどうでもいいときにやっています。娘たちに話すと面白がっていますがね。ヨーロッパの都市って、実に不潔窮まりなかったのですよ。江戸時代には、厠は別にありましたが、ロンドンやパリでは、それが存在せず、窓から投げ捨てていたといいます。汚いことが平気な民族なんですね。

 本日は、どうも何ごとにもやる気がなかったのですが、あなたへのメールをこうして書いていまして気力が回復しました。またいろいろなことをやらなくちゃね。萩原周二
(第217号 2004.10.11)

11021709 私がこれを『折口信夫全集』で読みましたのは、高校2年のときでした。
 私は折口信夫が好きでしたが、『万葉集』に関しては、それほど得意ではありませんでした。その当時も私は『古今集』のほうがはるかに好きだったものです。
 でもこれを読みまして、驚いたものです。折口信夫は実にわずかな期間に万葉集を口語訳しているのです。おそらく折口信夫という人は万葉時代の人の使う言葉がそのまま判っていたのではないでしょうか。そのまま判っていたというのは、万葉人の使うことばが、折口信夫にも自然に口から出てきてしまうのです。
 そして万葉集が絶対的なものではないのです。万葉のみを讃え、古今・新古今を貶していた幾人もの人たちが思い出されてきます。私はその人たちがどうにも嫌いでした。そうですね、本居宣長は明治期の人のように万葉集をむやみに礼賛はしているような人ではありませんでした。そのことが私はこの人が好きなところなのです。
 万葉集は、もっと実に私たちには親しく感じられるもののはずなのです。(2011.02.17)

10110918  吉本隆明鈔集19「ぼくは秩序の敵であるとおなじにきみたちの敵だ」へ、竹内正則さんから以下のコメントを頂きました。

1. Posted by 竹内正則   2010年11月11日 03:28
高校生だった私は、共同幻想論を呼んで衝撃を受けたのですが、

「気やすい隣人」という幻想によりかかる人間の哀しみ、
「秩序の敵であるとおなじにきみたちの敵だ」に存在する自己嫌悪的孤独感、
自分は、ひとり、であるという事実に震える夜です。

 竹内正則さんは、以下のサイトをやられています。

 http://blog.goo.ne.jp/yanagida_park
    東京北区の柳田公園にある不思議な遊具
 http://ryodan.com/books/
    旅団ブックス ryodan books オンライン古本店
 http://ameblo.jp/kmb-blog/
    くしゃまんべ店長・竹内のブログ

 ときどき拝見していますよ。
 そうですね。私なんかは、『共同幻想論』は大学生で読んだわけですね。中学高校のときに、柳田国男、折口信夫はもう知っていたわけで、でも吉本(吉本隆明)さんを知ってからは、この二人はまた違う大きな存在になったものでした。そうねえ、それとマルクスも違う目で見るようになったものです。今でも、その格闘は続いていますね。

10101203 it's a floatingworld! blog に このUPがありました。

『日本の伝説』柳田国男・著

 私は蜘蛛業読書さとうに、「柳田国男『日本の昔話』」を書いています。私は、このあとに『日本の伝説』を書くつもりでいました(私がこの「読書さとう」にはたくさん書いていますので、なかなかこの本に至らないのです)。私が中学2年の6月に続いて読んだ本です。まだ角川文庫の帯が白ではなく、昔の紺色の帯だったものでした。
 私が中学生のときは、この二つだけで、高校2年のときに、「柳田国男全集」に触れだしたものでした(『海上の道』は高2で読んだものです)。でも高校では、もう一人の折口信夫という人にもつかまりまして、もはや実に大変なことになってしまいました。
 そして大学へ行くと、革命運動を熱心にのめりこんでしまい、大変なことになって、また柳田国男、折口信夫に熱心に読もうというのは、25歳を越えてしまいました。あ、もちろん、吉本(吉本隆明)さんを読みだして、それこそその引力のほうが強いものだったのですが。
 でもまた読み続けて行こうと決意するものです。
 いやいくつものことを忘れてはならないですね。

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 3面の「『遠野物語』に現れる相異なる柳田国男像――民俗学と経世済民の学のはざまで」を読んで、私にとって実に親しい思いのする柳田国男が、「これでは私には少し遠い人に思えてしまうな」という思いでした。

新聞名 図書新聞第2891号
発行所 図書新聞
定 価 240円
発行日 平成20年10月25日
読了日 2008年10月18日

 ここでは2冊の本の紹介があります。

 「鶴見太郎『柳田国男入門』」 角川学芸出版
 『藤井隆至「柳田国男――『産業組合』と『遠野物語』のあいだ」日本経済評論社

 鶴見太郎の本は次のように言われています。

 この『遠野物語』ほど素材として扱いにくく、特異な位置を占める書はないという。なぜなら、「物語」と銘打たれているからであり、柳田が書いた農政学の論考はもとより、後に書き継がれた民俗学の著書と同じ目線で論じることが難しいからだ。
 柳田が佐々木喜善のことばを「感じたるまま」に書いたこの物語は、『柳田国男入門』が指摘するとおり、遠野郷に昔から伝承されてきたものであり、すでに『遠野物語』として書かれる前から「“原・遠野物語”ともいうべき民譚」が伝承されていた。柳田はそれを、虚飾ない文体で書いた。
 それは、「近代の道徳という暗黙のうちに設けられた尺度」から離れることによって、つまり対象をいたずらに分析するのではなく、「感じたるまま」に記述することによって生まれた物語だった。「ザシキワラシ」や「オシラサマ」などの怪異な現象に目を奪われてばかりいてはならない。実はそれらの多くは、ここにしるされた遠野の地勢や地名の由来、家の間取りなど、日常生活に関する記述のはざまに配置されることによって、はじめて鮮やかさと奥行きの深さを増すからである。
 つまり、近代の分析的な方法によって内面をえぐることなく、「感じたるまま」を書くことによって、かえって深い人間観察を可能にするものだった。柳田は「怪奇譚」を聞き書きしたのではない。それは遠野郷という「大海」のような日常を書くなかから、ふいに表れてくるものだった。近代の道徳意識というフィルターをとおして怪奇譚をつかみ出すのではない。柳田によって書かれた物語が、近代の道徳意識では説明できない、怪異なものの潜む遠野郷の日常
生活だったのである。

 藤井隆至は、次のようだということです。

 柳田の『遠野物語』が農政学、とりわけ協同組合論の人間的基礎を追究する過程で生まれた「人間研究の書」であったと述べる。つまり、『産業組合』と『遠野物語』を同じ目線で論じ、柳田が協同組合の思想家であり、日本人における自助と協同の精神を研究するため、その基礎となる人間学を深化させる過程で生まれたのが『遠野物語』だったという指摘だ。
 それは、「若いときの柳田は協同組合の研究をしていたけれども、途中で方向転換して民俗学を開拓する方向に向かったと整理する」ような、従来の捉え方とは異なる「深化説」である。実際、そのことは折口信夫も悟っていた。つまり、柳田の学問を「ふおくろあ」として理解しながら、その理解では把握できない学問すなわち経世済民の学が、「ふおくろあ」の地盤になっていることを見てとったのである。
 それゆえ、『遠野物語』を怪異譚と規定するのは正確でないという。柳田はこの物語を書いたあと、『時代ト農政』を刊行するが、そこでは協同組合の人間的基礎が重要であると繰り返し主張していた。その意味でも『遠野物語』と『時代ト農政』は連続する関係にあり、前者が示した人間学的な基礎の上に、後者の農政学が展開されていったのである。
 自助と協同を説く柳田の経世済民の学は、『遠野物語』人間学を基礎にしていた。それでは、銘打たれた「物語」とは何か――。この問いに対して、『柳田国男』はこう答える。すなわち、柳田は佐々木喜善の話を聞き書きしたが、「感じたるまま」に書き写した聞き書きしたというにはかなり特異であり、そこには著者・柳田の存在があった。彼は人間生活を「スケッチ」する方法で物語を書いたが、それは「霊」を感じつつ生きる人間を「スケッチ」することだった。
 人間生活を観察するためのそうした方法論を、柳田は西欧文学の研究を通して得た。『柳田国男』によれば、『遠野物語』を読むときに、柳田が法律の専門家であったこと、そしてこの物語が人間生活誌として書かれていることを念頭に置く必要があるという。それを踏まえて『遠野物語』を読めば、「怪奇譚を多く収録した人間生活誌」であることが分かると。その怪奇譚は、遠野郷の人びとの日常から生まれたものだが、柳田は、怪奇譚を生み出した人間の根源にまでさかのぼり、「前代」の人びとの畏怖や不安といった宗教意識を解明したのである。
 それによれば人間は、人知を超えた自然の力を畏怖し、日々の天候に不安を抱きながら、生活を営んできたが、そこに怪奇譚が生まれた。『遠野物語』は、そんな人間の精神を「スケッチ」した物語である。そうしてたどり着いた人間学的基礎の上に、柳田は自助と協同という、人と人との結合原理を確立することをめざしたのである。

 いや、こうして書いてみますと、私の理解が少しは深まる思いがしました。あとは本を手にして見ることですね。
 高校時代、部厚い「柳田国男全集」のいくつかを手にしていたことを思い出します。それと「折口信夫全集」も読んだものでしたね。私には、折口信夫さんのほうが読みやすかった思いがあります。あのとき、「口訳万葉集」や神道に関する本を読んでしまっていたことは良かったなと、今になって思い出しているものです。

 その他、他のページでは親しく思う本を見つけることはできませんでした。

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 大正時代の自意識のことを言うと、多少進歩して明治維新とは違うわけですが、柳田国男という民俗学者と折口信夫という国文学者と、この二人はわりあいに自意識家じゃないでしょうか。
 いわゆる国文学者というのは、それこそナショナリストという、ただそれだけですね。ナショナリストと思っていないナショナリストで、ほかのことはどうでもいいぐらい、そこにのめり込んでいる。だけど折口さんという人は、この人の知識、教養、考察力の基になっているのは何かよくわからないけど、日本における古典的な法、特に刑罰、犯罪法がどこから発生してどうなってくるかというところからやり出して、そういう研究をちゃんと論文化して持っています。古典文学もありますが、そういうことをやっているのはあの人だけですよ。普通に考えているのとは大違いで、そういうことをやっています。
 柳田国男は語学もできるし、外国のこともよく知っていて、国際的な人だけど、やっぱり大正時代の自意識家なんですよ。
(「よせやぃ。」『自意識について───第三回座談会』)

 思えば私は中学生の頃から、柳田国男と折口信夫は少しずつ読んできていました。高校生のときによく読んだ思いがあります。ただ、やはりよく読めるようになってきたのは、吉本さんを知ってからかなあ、という気がしています。これからも読んでいかなくてはならないお二人です。

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