将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:持統天皇

 この天皇を思い浮かべると、真っ先に百人一首の歌が思い出されます。

    春すぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天のかぐ山

11061810  たぶん、私が百人一首で最初に覚えた歌だったかと思います。そしてすぐに、この天皇が実に血に染まっていた人だったかを思うのです。
 大化元年(645)〜大宝2年(703)の生涯でした。天智天皇の娘であり、天武天皇の后であり、自分の子草壁王子を天皇にたてようとしましたが、それが亡くなってしまい、孫の軽王子(のちの文武天皇)がまだ幼いので、自らが天皇になりました。日本で41代の天皇とされています。
 古代日本の最大の争乱だったと思われる壬申の乱を制して、天武天皇は日本を支配するわけですが、この乱のときには、夫よりもむしろこの持統のほうが実質的には指揮していたのではないかと思えます。
 とにかく壬申の乱に勝利して、天武天皇が即位して、古代日本は落ち着きます。思えば、この頃から奈良時代というものになるのですね。
 しかし、天皇家は、この天武天皇の系列から、やがてはまた天智天皇の血筋になるのです。それが50代の桓武天皇でした。この天皇のときに平安京が始まります。
 私には、夫をかなり愛していたろうお后だったのでしょうが、最後は自分の父親も偉大だったと思っている持統天皇をいつも考えてしまうのです。(2011.06.23)

 6月14日(土)は、次女ブルータスの小学校の授業参観の日でした。とても大きな学校でした。妻と私は初めてなもので、校庭のほうの門から入ったのですが、あとで「それは遠回り」と言われました。
 以下のように大きな校庭です。030614kasiwa

  ちょうど午前9時15分くらいに学校に到着しました。私たちはてっきり受付があるのだと思っていました。「教師の親だと言ったらけげんな顔されるかな」なんて危惧していたのですが、受付なんかありませんでした。あまりに大勢が来校するので、そんなことできないそうです。私たちは、長女と次女が3月まで勤務していた東京都文京区の学校を思い浮かべていたもので、拍子抜けしました。いや、文京区の学校が小さすぎるのです。
 次女は3年生の担任です。「ここは1年生だ、こちらは高学年だ」と探して3年生の校舎にいきます。全部で5クラスで、次女のクラスは32名の生徒数です。まだ15人くらいの親しかいませんでした。授業は国語でした。谷川俊太郎の詩やっています。クイズ形式でやっていまして、お父さん・お母さんにも答えてもらっています。「あ、俺も」と手をあげそうになりましたが、気がついてやめました。娘の迷惑です。
 でも谷川俊太郎ってすごいですね。こうして小学生の授業で使われているのです。私は吉本さんの言葉を思い浮かべていました。

  谷川俊太郎の詩の特徴(これはまだUPしていません)

 2時間目は算数です。内容は「(3けた)×(1けた)のくりあがりの筆算」です。私は「3年生って、こんな簡単な算数やっているんだ」という思いで、私も紙に書いてやりだしました。

      461
    ×   3
    ─────

「なんだ、簡単、カンタン」と私は答えを書きます。正解です。「当たり前だよ!」
 次です。

      876
    ×   7
    ─────

「これまたカンタン、カンタン…………、あれッ?」。なんと私はできないないのです。最初の私の答えは、「5732」、次が「6332」、そしてどうやら正解で「6132」。先生であるブルータスの声が聞こえます。「計算は下の桁から掛けるんだよ」。私は驚きました。「え、下から掛けるの? そんなの習っていないよ…………………いや、習ったのかな」
 ブルータスが言います。

  手で描いているだけじゃなくて、心の中でも称えましょう。は
  い、「7掛ける6は42 7掛ける7は49で 4足す9は13
   7掛ける8は56 で 6足す4足す1は11 1足す5は6 
  答え6132」

「うぬ、俺はこんなの知らないよ。忘れたよ。でもこの通りにやるべきだな」。
 かくして私はその後の計算はすべて正解です。
 でも私は「こうしてやるから、日本人は計算に強いと言われるのかな」なんて思っていました。ちょうど会田雄次「アーロン収容所」で、イギリス兵が木材の運搬をするのに、どのイギリス兵も筆算してもみな間違えてばかりいるのに、捕虜の日本兵はすかさず正確にやるので、驚いていたという話を思い出しました。「うーん、こういう先生が教えてくれていたからだろうな」

  会田雄次「アーロン収容所」

 さて、まだ授業参観は続きます。どんどん親が増えてきました。(2003.06.23)

 さて前回書きました「(3けた)×(1けた)の筆算」ですが。先日の神田会で、このメルマガを読んだ方から、

先生であるブルータスの声が聞こえます。 「計算は下の桁から掛けるんだよ」。私は驚きました。「え、下から掛けるの? そんなの習っていないよ…………………いや、習ったのかな」

というところに関して、「それは習ったよ」という声がありました。他の方からも同じ声があがりました。知らなかったのは、私ぐらいかな。羞しいです。

 それで算数の時間が終わるところで、少し長い休憩時間です。そこでクラス全員で、「百人一首」のゲームをやりだしました。先生のブルータスが読み手です。
 私は前にブルータスから「百人一首をやろうと思うんだけれど、どうかな?」と相談されていました。私は驚きました。私が小倉百人一首に接したのは、小学6年生くらいで、友人と遊んだと言えるのは中学生になってからです。私は藤原定家が、実朝に言いました言葉を思い出しながら、「百人一首なんて、3年生には無理だよ」と言いました。なんとなく、「藤原定家って、難しいことばかりいいやがって」なんてことを心の中で思っていました。
 でも他のクラスでもやっていて、みな興味を持っているのだそうです。そして全部の札で遊ぶのではなく、限られた札で、まさにゲームとして遊ぶのだそうです。
 目の前で、そのゲームが開始されます。二人で対戦します。子どもたちは嬉々としてカルタ取りをやっています。
 私は短歌はあまり好きではないのですが、娘の詠む歌はどれも不思儀に覚えているものでした。

  春すぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天のかぐ山

なんて詠まれると、私は「持統天皇って、血だらけな感じなんだよな」なんて余計なことを思い浮かべます。天智と天武天皇やそして大津皇子を思い浮かべます。そのほかの札の歌もいろいろな思いを抱いたものでした。でも子どもたちは元気に勝負をしていきます。「子どもって、すぐに覚えちゃうんだな」。

 3時間目は、「生活科」の授業です。図書館へいきまして、いろいろなことを調べます。それぞれテーマを決めて、図書で調べます。父母もみなぞろぞろついていきます。私も子どもたちの本を手にとって見ているうちに、歴史の本で「フランス革命とナポレオン」という本を読み出しました。私はナポレオンが好きなので、読み出すととまりません。すべて読み終えてしまいました。
 さて、それで、そろそろ私は自分の事務所へ出なければなりません。ちょうど、この本を読み終わった頃、私は出発することにしました。
 でも愉しい授業参観でした。今度は運動会にまた参加します。

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