将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:教育実習

12011506 私の長女おはぎが、東京都の教員試験に合格しました。
 私は当初は娘が教員になるなんて、あんまりすすめる気はありませんでした。だが、娘のプールの指導員での働きぶりを見ていますと、そこの子どもたちへの接し方から、「これは教員に向いているのかな」なんて思えるようにもなってきました。
 今ちょうどおはぎは、きょうで終わります教育実習での中学のクラス全員の似顔絵を一人一人に描いています。小学校へ行ったときにも、懸命に描いていましたが、子どもたちは喜んでくれるでしょう。
 おはぎは東京都の教員試験を受験しました。おはぎは美術の教員を目指します。東京都は、美術と音楽に関しては、共に専科ということで、小中学ともに、その教員は、その科目のみを教えることになります。他の県では、私たちの時代と同じで、小学校では、一人の先生が全科目教えます。それで東京都を受験したのですが、1次試験に合格しまして、2次試験が8月に2日間ありました。この2次で、

  フレックスタイム制度のメリットデメリットを述べよ

という討論をさせられ、模擬授業をやらされ、面接を受け、そして美術の実技があります。私はその内容を聞いていまして、「なかなかいいところ行ったみたいだけれど、まあ倍率が倍率だから受からないだろうな」と思っていました。
 この結果発表が10月3日でした。都庁に掲示するのと、インターネットで都庁のホームページで公表するということでした。それが午前10時ということだったので、パソコンを見ていましたが、10時すぎても、何も出てきません。変だなと思って、よくよく見ると、10時からの発表は都庁で張り出されるのだけで、インターネットは4日(実際には3日にも掲示されたが)からということのようです。
 それで、妻に電話して、その旨を告げて、私は都庁に行くことにしました。
 西新宿の都庁へ行くのは、始めてだったのですが、とにかく急いで行きました。貼り出されてある都庁第二庁舎1階へ行きますと、何人もの受験者および関係者と思われる人がたくさんいます。泣いている子もいまして、「お、大変だな」という思いです。
 いくつもの柱に、受験番号のみが張り出されています。たくさん人が群れているのが「小学校」の部のようです。おはぎは、「小中美術専科」です。最初見たのが「補欠合格者」の面でした。

  あ、ないなあ。やっぱり駄目か。

ということで、今度は「採用登録者」のほうです。でもやっぱりありません。何度見直してもおはぎの番号はありません。

  仕方ない、これでもう教員はあきらめて、別な仕事探すんだな。

という思いで、すぐ妻に電話しました。
 でもたいへんに、がっかりした思いもありまして、とにかく「もう仕方ないよなあ」。
 それで私は仕事に戻りまして、それからクライアントへ行ったりしまして、もう娘の受験のことは忘れるようにしました。でも忘れられない。そんなところでした。
 だがだが、ちょうど私は午後6時代の頃なのですが、お茶の水の丸善で、本を買うためにレジに並んでいたところ、携帯がなりました。出ると、

  パパ、ワタシ受かっているよ、インターネットで番号が出てい
  る

というのです。私はすぐ「折り返し電話するよ」ということで、すぐ電話しなおしました。すぐ店を出て、携帯で自宅へ掛け直します。妻が出まして、説明してくれます。娘が実習から帰宅しまして、落ちたことを伝えますと、さすがに少し落ち込みます。二人で、そういうふうにがっかりしていましたところに、おはぎの友だちから電話がかかってきました。「ワタシは落ちたけれど、おはぎは受かったんじゃないの、インターネットであなたの番号があるよ」というのです。
 もう私は焦りまして、とにかく急いで帰宅して、すぐインターネットで確認します。たしかにおはぎの番号があるのです。
 私はどうにも理解できないのです。これはきっと都庁のミスだなと思いました。私は4日の翌朝都庁に確認にいくことにしました。デジカメで撮って、インターネットを印刷したものと比較して出して、都庁のどこだか知らないけれど、抗議することにしました。私には、そのときの見栄を切っている私が想像できました。「一体、何というミスを都庁はするのだ」という思いですね。
 でもでも、ミスをしたのは、私なのです。朝9時に到着して、昨日と同じところを見ますと、ちゃんとおはぎの番号が載っています。「あれ、きのうはどうして無かったのだろう?」
 ようするに、私がドジなのですね。嫌になってしまいます。何人もの人に、この誤報を伝えてしまっていました。申し訳ありません。
 こんな阿呆な私で、これが親なのですが、おはぎは少しはまともです。ごめんなさい。(10月07日 07時03分)

11122710 私の長女おはぎが、きょうで教育実習が終わりです。だから、生徒一人ひとりに渡すものを書いていました。一人ひとりの似顔絵を描いて、そして細かく何かを書いていました。
 私も自分の教育実習のときのことを思い出しました。
 そんな思い出をおはぎのホームページの掲示板に書いておきました。今では、懐かしくて、つらいような哀しいような思い出になっております。(06月17日 7時21分)

明日から教育実習です Н (1996.06.02)

 さて今週でНさんの教育実習も終りですね。どうだったのでしょうか。
 私は埼玉大学の教育学部でしたから、教育実習は5週間ありました。私が大学5年のときの5月に埼大付属中で務めました。
11061204 私は2年生のB組(たしかクラスが1学年4クラスあった)に配属され、授業は全部で25回やったと思います。私が一番多くやりました。3年生の授業ももちました。また他の人たちの授業もそれこそ一番多く見学に行きました。そして私のやる授業は一番見学者が多かったのです。指導案を提出してやる授業は大学の担当教授どころか、付属中の校長、そして私の彼女や友人たちまで大勢が見学にきました。校長としては、私のような学生活動家が何かとんでもないことをやられてしまうのではないかと心配だったのでしょう。
 私は自分の1年下の後輩たちと一緒にやったわけですが、仲よくいろいろやれて随分友人ができました。社会科専攻の後輩たちや、その他の教科の後輩も、ほとんど学生活動家ではないですから、このとき初めて話せた人が多かったのです。私はそのうちの一人の後輩と自分の弁当を2つ作って、いつも付属中まで自転車で行っていました。私は教員になる気はなく、また運動での裁判で公民権停止中ですし、まだもう一つ裁判を抱えている身で、教員になる資格も無かったのです。でもだからこそ、この教育実習は懸命にやりたかったものでした。
 思い出せば出すほど、この教育実習でもいろいろなことがありました。いくつも思い出してくるエピソードがあります。この担当したクラスでは、その年のクリスマス会に私と技術科(この彼とも気が合いましたね)の二人を呼んでくれたものでした。そして約2年後、彼らのうち私が一番気の合った生徒が、ある生徒の歌の演奏会のイベントを大規模にやったのですが、私を呼んでくれ、詩吟を詠わせてくれたものでした。
 また思い出したら、いろいろなことを書いていきたいなと思っています。

92-10-13 11:28:15 TR通信・22
TR通信・22   憲法と先生
それにこの間の学活の時間「人間は憲法にさからわなければ何をやってもいい」って「てめーそれでも人間かよ」って思いました.

 こんなこと本当に教えているのだろうか。

33歳で国立大出てるのに

というのを読んで、ひょっとして自分の後輩かななんて心配してしまう。しかし私も自分と同じ大学を出た連中全員の責任を感じることもないだろうな。
11032001 私は6年かかって大学卒業したのですが、卒論の発表会というのがあったんです。実はそれでおどろいたんですね。「え、こんな奴が先生になるのかよ」というのが、何人もいるのです。たいがいの人は私が知っている連中で、けっこう真面目に教員になること考えていました。いろいろ相談されたこともあります。教育実習やって、あんなになりたかった教員をやめる決意をした後輩もいました。しかし、私がほとんどつき合いのない連中に、「あれはなんだろう」という感じのが何人かいました。私は専攻の先生方とは問題学生でしたから、親しいもので、「先生、あんな学生じゃ大変だったでしょう」というと、勿論飲んでいる席ですが、「そりゃもう、本当に嫌になるよ、あんなのが教員になるなんて、こどもが可哀想だね」と誰もが同じようなこといいました。私はうなずくだけです。
 はっきりいうと、大学での勉強も何もせず、人としての礼儀すらわきまえていない学生が何人かいるのです。できたらあの人たちは教員にはなって欲しくないなあと心から思いました。私はそのころ過激派くずれで、下駄はいて(ときどきこれで殴りかかる)酒ばかり飲んでいて、公民権停止中で、問題児だったでしょうが、礼儀だけはわきまえていたと思います。礼儀すらわきまえない連中に、子どもに礼を教える資格はありません。
 だから私と同じ大学の後輩といっても、駄目なのもたくさんいるのです。まあ私は自分の後輩たちとは、今の現役までつきあいがありますから、またいろいろなこと書くことがでてくると思います。

「夏休み  プータローの影響うけないように」って……

 当り前のことだが、教員は、大人は、子どもたちの言葉を真似てほしくないと思う。子どもの使う「むかつく」だの「シカトする」だの、というスケバン言葉、少年院言葉を使って欲しくない。なにか勘違いしているとしてしか思えない。私は寿司屋行ったって、寿司屋の符牒はつかわないよ。昔池田弥三郎が、ある店で、「お勘定お願いします」といったら、折口信夫が怒ったんだって。「なんで客が自分から『お勘定』なんていうんだ」と。まつたくそうですよ。私は飲み屋でも必ず「おいくらですか」としかいいません。まして教員は重大です。
 私は子どもたちの友達がきた時も、「おはぎんちのおとうさんは友達みたいね」といわれ、なれなれしくしても、言葉使いだけは私の前では普通に喋るようにうるさい雰囲気を持てるようにしています。この人の前だけでも、スケバン言葉はやめようという姿勢を守らせるのは大事なのです。

11020604 次女のブルータスは先週土曜日で、教育実習が終わりました。もう子どもたちには会えないわけで、少し寂しそうです。子どもたちからのお別れの文集があって、写真があって、花篭があって、それはそれは、みんないい子たちですね。まさしく珠玉のような子どもたちです。
 こんな子どもたちを大事にしたいな。魯迅の言葉を思い出します。「子どもを救え」(「狂人日記」)。

11020501 このところ、雨の日が続きましたね。でもきょうはどうやら晴れそうです。やはり天気は晴れたほうがいいな。
 私の次女ブルータスが教育実習で、夜懸命に教材を作っています。それがきょうは(きょうの朝近くまでやっていた)、可愛いカードをたくさん作っていまして(立体のカード)、さらにそれの説明の絵の入った文書をパソコンで作っていました。子どもたちが可愛くて仕方ないようです。

11011905 長女おはぎは6月に小学校で1カ月、つい先日に2週間の中学校での教育実習を終えました。なんだか懸命にやっていました。
 先週の土曜日、午後4時頃、「荷物が多いから○○まで迎えに来て」(我孫子の白山中学校での教育実習でした)というので、行くと、たくさんの花といろいろなものを持っていました。担当したクラスの生徒が「お別れ会」をやってくれて、一人一人がお花を手渡しでくれたといいます。
 そのクラスでの「お別れ会」の会場に入るときに、綺麗に飾りつけられている教室に入った途端、おはぎは号泣してしまったと言っていました。まあ、たしかに嬉しいでしょうね。
 もう今でもけっこう前の小学生からは手紙も電話も入りますし、中学生のほうからも電話がよく入ります。関係ない私が長々と話していたりします(だって、うちの子は二人とも自宅にいないことが多いのだから)。
 昨日は、朝とてつもなく早くから中学3年生に誘われてつりに行っていまして、そのあとは、また別な女の生徒さんたちと昼の食事をしていまして、そのあとまた東京に出かけていました。自分の高校へ挨拶に行ったようです。
 私はいつも、「お前、忙しいのなら、替わりに行ってやるよ」と言いまして、とくに「酒の部」を替わってあげようとするのですが、なかなか果たせません。
 でもいいなあ。みんないい子どもたちの感じで、私は羨ましいです。

11011710 私の長女おはぎが、東京都の教員試験に合格しました。
 私は当初は娘が教員になるなんて、あんまりすすめる気はありませんでした。だが、娘のプールの指導員での働きぶりを見ていますと、そこの子どもたちへの接し方から、「これは教員に向いているのかな」なんて思えるようにもなってきました。
 今ちょうどおはぎは、きょうで終わります教育実習での中学のクラス全員の似顔絵を一人一人に描いています。小学校へ行ったときにも、懸命に描いていましたが、子どもたちは喜んでくれるでしょう。
 おはぎは東京都の教員試験を受験しました。おはぎは美術の教員を目指します。東京都は、美術と音楽に関しては、共に専科ということで、小中学ともに、その教員は、その科目のみを教えることになります。他の県では、私たちの時代と同じで、小学校では、一人の先生が全科目教えます。それで東京都を受験したのですが、1次試験に合格しまして、2次試験が8月に2日間ありました。この2次で、

  フレックスタイム制度のメリットデメリットを述べよ

という討論をさせられ、模擬授業をやらされ、面接を受け、そして美術の実技があります。私はその内容を聞いていまして、「なかなかいいところ行ったみたいだけれど、まあ倍率が倍率だから受からないだろうな」と思っていました。
 この結果発表が10月3日でした。都庁に掲示するのと、インターネットで都庁のホームページで公表するということでした。それが午前10時ということだったので、パソコンを見ていましたが、10時すぎても、何も出てきません。変だなと思って、よくよく見ると、10時からの発表は都庁で張り出されるのだけで、インターネットは4日(実際には3日にも掲示されたが)からということのようです。
 それで、妻に電話して、その旨を告げて、私は都庁に行くことにしました。 西新宿の都庁へ行くのは、始めてだったのですが、とにかく急いで行きました。貼り出されてある都庁第二庁舎1階へ行きますと、何人もの受験者および関係者と思われる人がたくさんいます。泣いている子もいまして、「お、大変だな」という思いです。
 いくつもの柱に、受験番号のみが張り出されています。たくさん人が群れているのが「小学校」の部のようです。おはぎは、「小中美術専科」です。最初見たのが「補欠合格者」の面でした。

  あ、ないなあ。やっぱり駄目か。

ということで、今度は「採用登録者」のほうです。でもやっぱりありません。何度見直してもおはぎの番号はありません。

  仕方ない、これでもう教員はあきらめて、別な仕事探すんだな。

という思いで、すぐ妻に電話しました。
 でもたいへんに、がっかりした思いもありまして、とにかく「もう仕方ないよなあ」。

 それで私は仕事に戻りまして、それからクライアントへ行ったりしまして、もう娘の受験のことは忘れるようにしました。でも忘れられない。そんなところでした。
 だがだが、ちょうど私は午後6時代の頃なのですが、お茶の水の丸善で、本を買うためにレジに並んでいたところ、携帯がなりました。出ると、

  パパ、ワタシ受かっているよ、インターネットで番号が出ている

というのです。私はすぐ「折り返し電話するよ」ということで、すぐ電話しなおしました。すぐ店を出て、携帯で自宅へ掛け直します。妻が出まして、説明してくれます。
  娘が実習から帰宅しまして、落ちたことを伝えますと、さすがに少し落ち込みます。二人で、そういうふうにがっかりしていましたところに、おはぎの友だちから電話がかかってきました。「ワタシは落ちたけれど、おはぎは受かったんじゃないの、インターネットであなたの番号があるよ」というのです。
 もう私は焦りまして、とにかく急いで帰宅して、すぐインターネットで確認します。たしかにおはぎの番号があるのです。
 私はどうにも理解できないのです。これはきっと都庁のミスだなと思いました。私は4日の翌朝都庁に確認にいくことにしました。デジカメで撮って、インターネットを印刷したものと比較して出して、都庁のどこだか知らないけれど、抗議することにしました。私には、そのときの見栄を切っている私が想像できました。「一体、何というミスを都庁はするのだ」という思いですね。
 でもでも、ミスをしたのは、私なのです。朝9時に到着して、昨日と同じところを見ますと、ちゃんとおはぎの番号が載っています。「あれ、きのうはどうして無かったのだろう?」
 ようするに、私がドジなのですね。嫌になってしまいます。何人もの人に、この誤報を伝えてしまっていました。申し訳ありません。
 こんな阿呆な私で、これが親なのですが、おはぎは少しはまともです。ごめんなさい。

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