書 名 大地の子
著 者 山崎豊子
発行所 文芸春秋社

 最初に上巻を友人から貸してもらいました。たいへん忙しい時期だったのですが、電車の中等々で次の日に読み終りました。すぐに中、下巻を貸してもらい、またすぐ読み終りました。なんだかすぐに最後まで読まないといけないような小説だったのです。それにしても、私は借りて読めばいいのだから楽だけど、貸してくれる方はその度に飲んだりしなくちゃならないから、大変かな。
11052719 それでその友人が「これは泣くぞ」といったのですが、まったくその通りでした。これは電車の中で読むのは恥ずかしいですね。自宅でもテレビを見ているふりしながら、随分涙流しました。悲しくて、悔しくてたまらないのですよ。
 昔ある人が本多勝一の中国のこと書いた本(題名はうろ覚え)を薦めてくれたことあります。旧日本軍がやったことを詳細克明に現地で調査取材している本でした。薦めてくれたのは、スポーツのライターで、過去日本がいかにひどいことを中国にしたのかというのをこれで知ったということと、これを書いている本多勝一のようなジャーナリストに自分もなりたいのだ、というのが彼女の理由でした。でも私はこの本を読んでいくうちにだんだん腹がたってきたのですね。

  君はこの本多勝一のような死んだ目を持ってはならない。本多
  勝一は過去の日本の「南京大虐殺」を考古学でやるように発掘取
  材している。だが現実に目の前でおこっている、文化大革命に目
  を向けようとはしなかった

と彼女への手紙で書きました。この男は、実に目の前で起きている旧日本軍がやったことと同じかそれ以上ひどい事態に目を向けることなく、よくまあ過去のこと掘り出していたものだと思います。これでジャーナリストなのですか。
 文化大革命とは、本当に恐ろしい馬鹿なことをやったものですね。でもまた同じことおきるかもしれない。1989年4月の天安門事件はついこのあいだですものね。著者があとがきで

  一九八四年から取材を始めたが、取材の壁は高く険しく、やむ
  なく撤退の決意をした時、胡耀邦総書紀との会見が実現した。取
  材の経緯をお話しすると、「それはわが国の官僚主義の欠点だ、
  必ず改めさせるから十年がかりでも書くべきだ、中国を美しく書
  かなくて結構、中国の欠点も暗い影も書いてよろしい、それが真
  実であるならば、真実の中日友好になる」と励まされ、取材強力
  の約束をされた。

ということで、この小説はできあがる。だが、そのあと天安門事件はおきたのだ。しかも弾圧した張本人は、文革で一番批判されたトウ小平である。

芙蓉鎮」という映画もこの文革の時代を描いている。だがあの中で二人の男女が何年も何年も街の道路の掃除をやらされているが、あのシーンはすべて夜である。実にあの二人は、昼間強制労働させられたあと、夜にはああして道路の掃除をやらされていたのだ。だがあの映画ではそこらへんのところがあいまいにしている。まだまだ文革の真実の姿は描けないのでしょうか。

 この小説は、日本の残留孤児が敗戦時、戦後苦労して養父母から育てられ、「小日本鬼子」ということで、文革で迫害される様が克明に描かれています。なんて日本はひどいことしてしまったんだ、マルクス・レーニン主義なんてのはなんてひどいんだ、毛沢東はなんて駄目なのだ、そしてなんてこの主人公以下のたくさんのひとたちはこれほどまでに、苦しめられるのだと怒りと悔しさと悲しみでいっぱいになります。
 私が知っているかぎり、文革のひどさをこれほど描いた作品は初めてです。強制労働の場をみると、ソルジェニーツィンの数々の小説を思い出します。結局中国もソ連も同じなんだ。ヒトラーはひどかったけれど、スターリンはもっとひどかった。そして、中国共産党っていったいなんなのだ。
 ちょっとこの小説と関係ないけれど、PKOで日本の自衛隊がカンボジアへいくことなんかないのだ。ポルポトのやったことの責任は中国共産党にとらせろ。彼らがひとつひとつ地雷を取り除けばいいのだ。おまえらが教えたんじゃないのか。技術的に日本にしかできないというのなら、「資金」をだせ。そして「日本軍国主義の復活」なんていうんじゃねえ。おまえらにそんなこという資格あるのか。…………もちろん、中国の民衆には日本帝国主義を非難する資格はありますよ。だけど、自国の人民をあれほどの地獄におくりこんだ中国共産党など、日本軍国主義とやらとどう違うというのだ。
 中国のひとは現在日本にたくさんきているから、よく接することあります。中国の古典は日本の古典でもあるから、よく話しますが、非常に楽しいですね。筆談はできるわけだし、古典ならいろいろ話せますね。でもどうも現代のことはうまく話せない。話してくれないのですね。
 この小説も、多分日本人が書いたから、山崎豊子が書いたから、最後が非常に感動的です。私に本を貸してくれた友人も「最後が感動的だよ」と内容は話さず言ってくれました。でもあの結末で本当なのでしょうか。もっと悲惨なことがたくさんの現実なのではないでしょうか。もちろん私はあの最後でいいし、そうであってほしいのですが。
 でもけっこうたくさんの人が読んでいる小説のようですね。中・下巻を借りたとき、神保町の「ランチョン」だったのですが、テーブルの上の「大地の子」みて、あの店のママ(みたいな女性)が

  この本お読みなんですか。いい小説ですね。もう私はこの本い
  ろいろなひとに貸して、いまも誰かのところ回ってますよ

と話しかけてきました。あの年代のひとにはたまらないでしょうね。きっとみんな残留孤児をテレビでみて涙流していたのだろうな。
 それから、上巻の収容所のなかで、主人公が初恋の恋人に日本人であることを告白して彼女から非難されたこと思いだしたその夜隣の大学教授が突然死ぬところでは、思わずボロボロと涙をこぼしてしまいました。それが、6月26日の昼、川崎法務局のとなりのレストランで食事中だったのですが、まえの2人の若い役人のかたは、この中年のオッサンはどこかおかしいのではと思われことでしょうね。訳が分からなかったでしょうが、私はあのとき日本のやってきたことと、文化大革命のひどさ不当さに、怒りと悔しさと、主人公への悲しさでいっぱいだったのです。(1992.07.12)