将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:文教大学

12081327 私の長女おはぎは、文教大学へ入るときに、美術科へ推薦入学を目指しました。そのときに、面接試験で、口頭で「好きな画家は誰か?」という問いがありました。
 私の娘は、「山下清だ」と答えて、説明しだしました。
 多分、試験官は面食らったと思います。
 この推薦入学で合格したその日に、私の父、おはぎの祖父は亡くなりました。
 これは「昨日8月13日に父母の墓参りに行きました」を書いていて、「親父が好きでした山下清の版画です」で、このことを強く思い出したものです。

 写真は、ポニョが描いたものです。昨日の16時52分におはぎの家で撮りました。

12032801 6月25日午前5時台に「将門Webマガジン第45号」を発刊しました。324部の配信です。
 前日に「文教大学父母と教職員の会千葉支部総会」があり、かつその前日は寝ていなかったので、帰宅して午後10時に眠りまして、25日午前1時に起きまして、それからやりだしました。でも私はいつもすぐにとりかからないでインターネットをあちこち見てたりするので、時間がかかります。でもどうやら、この号も発刊できました。(06月26日 05時55分)

12031812 28日午前6時台に発刊しました。303部の配信です。
 私は前日文教大学の「1日大学」へ行きまして、少々疲れてしまい(少し飲んだからかなあ)、午後9時30分にベッドへ入ってしまいました。28日の午前1時30分に目が醒めまして、このマガジンを書き出しました。ところが、次女のブルータスもずっと起きていまして、その日の授業の教材を作っていました。
 我が家は、パソコンが4台、プリンタが3台ありまして、LANになっているわけですが、それをあちこち使うのに、ブルータスは走り回っています。なんでも工作の授業だということで、立体のカードをいくつも作って(実に可愛いカードです)、それの説明の文書を作っています。たくさんの絵を入れた文書です。それで、4時までかかってやっていました。
 子どもたちが(小学校4年生だそうです)可愛くて仕方ないようです。いいなあ私も行きたいななんて思いです。(05月29日 05時50分)

12031701 本日は私の娘の大学の1日大学です。1日いろいろなことをやります。(05月27日 08時32分)

2017050515 本日と明日、「文教大学父母と教職員の会関東ブロック合同役員研修会」ということで、長野県の清里にある文教大学の寮に行ってまいります。4日には「将門Webマガジン第16号」も出さなくちゃいけないし、仕事で午前中から打合せがありますから、ちょっと大変です。マガジンも仕事も、けっこう大量に文書を12020605打たなくちゃいけないのですが、研修会の合間にやろうかな。でも研修会の1つのテーマでは司会をやらなくちゃいけないしなあ。
なんだか毎日、びっしりと何かが入っていまして、落ち着いていられません。それに12月は忘年会の連続ですね。(12月02日 05時35分)
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9c64cd44.jpg  今川口です。これを開くのに少し時間がかかりました。王子で止まっていて、かつケータイメールを2通出したからです。
  でも思うですねが、文教大学なんかには「父母会」があるのですが、「祖父母会」というのを作ってくれないかなあ。そうしたら、もう私は孫のどこへでも出ていきますよ。
  あ、これはいいことを思い付いたと感じました。祖父母会ですね。その祖父母会でも私は多いに詩吟をやって、インターネット上でも露出しますよ。

 先程UPしました「周の家族・教育の話」でも私はじゅにのことと、じゅにに思いを寄せてくれるたくさんの人に私の感謝の思いを書いてみました。いいですねえ。
  だから、またいくつも思うのです。 さて、これでまずUPしましょう。

11032914 昨日は千葉市で、「文教大学父母と教職員の会千葉支部」の研修会でした。実に60人以上の方の参加があり、なんだか熱い会になりました。学生さんも数人来てくれました。それで、現役の学生さん2人にも講演していただいたのですが、それがとてもよかった内容でした。質問の時間も設けたのですが、もっといろいろなことを質問したかったものでした。
 その講演者のひとりの女性に、私は「ブルータスの父です」といったのですが、判らないようなので、「あなたと同じ専攻科の○○君を知っているでしょう。彼の彼女が私の娘で、私があの娘のおとっつぁんです」といいいますと、すぐに判ったようです。
 でもいい会でした。私は嬉しくて、乃木希典「金州城」を詠ってしまいました。いえいえ、私は嬉しくても悲しくても、詩吟だけは必ずやるようにしています。ある先生に、「乃木希典をやるのが多いのじゃない?」と聞かれました。「ええ、乃木さんなら、みんな知っているでしょうし、かつ『乃木は戦争は無能だった』と言いたい人が必ず出てくるはずですから、それならおおいに論争できますものですから」と応えました。私は乃木さんが好きなんですね。

11031304  23日に大宮ソニックシティーで開催されました、

  文教大学父母と教職員の会埼玉支部
        「親と子のための進路問題研究会」

へ行ってきました。私の友人の和尚さん(ハンドル名です)が「わが社が必要とする人材」という講演をするために行ったのです。
 この講演の前に大学4年生4名による「就職内定者の体験発表」がありました。それを聞いていまして、誰もが思うことでしょうが、以下のような感想を持ちました。

  今は年々就職状況というのはきびしくなっているんだな。
   でも、そんな厳しい状況なのに、この子たちはなんてちゃんと
  やってきたんだろう。
  こんなすごいいい子たちなら、もしここに企業の人事担当がい
  たら、「うちに来てほしい」とおもうだろうな。

等々ということです。
 ただ、以下のようにも思いました。聞いていますと、喋っている方たちも聞いている学生たちも、「とにかくどこかへ就職したい」という思いのみだけに感じられるのです(これは仕方ないのですが)。でも雇うほうからすると、

  就職できたので終わりじゃないんだ、それからが始まりじゃな
  いか。

 まさしく学生を自分の会社に入れるのは、実際に会社のために元気に働いてくれる人材が必要だからなのです。ここの認識をもっと持っていてほしいなと思うのです。
 そのこととつながるのですが、できたら友人や先輩やもっとさまざまな人に話を聞いてほしいなと思いました。誰にとっても、その企業やその職種がその人に合っているか否かは簡単に判らないものです。それを少しでも理解できることにちかずけるように、さまざまに調べてほしいと思うのですね。(2002.11.25)

11031119 昨日6月30日は、「文教大学父母と教職員の会千葉支部」の総会でした。総会のほか講演会と懇親会も実施しました。父母だけではなく、現役の学生さんも多数参加してくれて、愉しいひとときをすごせました。前日は「プロジェクト猪」の総会で、私はちょうど3日酔いという感じだったのですが、司会を委されまして、どうやらつつがなく愉しく終えることができました。懇親会のときに全員の方に自己紹介と挨拶をお願いしたのですが、お父さんもお母さんも学生さん自身も、実にしっかりしたいいお話をしていただいて、実に嬉しかったものです。「いい大学だよな」という思いでしたね。

11030715 25日に文教大学父母と教職員の会の代議員会があり、26日は、同じくこの会の一日大学でした。湘南校舎と越谷校舎へ行きました。たくさんの方と知り合いになれまして、また大学の先生方ともたくさんお話しました。いい大学ですね。26日には、大学でいろいろとやっていましたら、次女から電話がかかってきて、終わって一緒に帰宅することになりました。次女は大学近くの彼氏のところへ来ていたのです。その彼氏の担当の教授の方とも、次女や長女の先生がたともお話しました。
 そういえば、6月1日に次女の小学校の運動会へ行ってきます。でも先生の父母だということはばれないようにしていきます。でも判っちゃうかな。目立つことをしなければいいのですね。
 なんとなく先週は飲む機会がたくさんありまして(自分でそうした機会を作っているところもあるんですが)、もうあちこちで飲みました。帰宅しなかった日も2日ありますね。25日には、藤沢で飲んでいたわけなのですが、東海道線で帰宅しようとしたのですが、何故か気がつくと、小田原でした。それでもうとにかく事務所までは帰りました。それで朝帰宅して、風呂入って、必要なものをまた鞄に入れて、すぐ北越谷の文教大へ向かいました。大学に入るなり、昨日一緒に飲んでおりました秋山先生が、「随分早いですね」と声をかけてくれました。
 いや、何、二日酔いだと、なんだか何事も急いてしまうのですよ。酔っぱらいの性です。

10122908 私の次女のブルータスは姉のおはぎと一緒の文教大学に入学しました。彼女が行きたかった大学ですから、合格したときには、家族親族姻族そして友人たち私のクライアント等々、みんな喜んでくれました。この次女の大学入試については、いろいろなことを思いました。「論文」に関する指導をけっこうしましたから、それで思うことがたくさんあります。またそれは時間を見て書いていきます。

 それで、ブルータスは新しい大学生活で緊張して疲れたのか、風邪をひいてしまいました。もともと丈夫な子なので(と親まで思い込んでいた)、「風邪くらい」と彼女は動きまわっていました。これがいけませんでした。23日(木)に我孫子のある病院に行ったら(20日からいくつかの病院には行っていたのですが)、突如入院ということになり、柏駅前の岡田病院に入りました。私は妻からの電話で、それこそ驚きましたが、簡単に直るのだろう(どうせたかが風邪だし)と思い、私はその日は神田会の例会もあって、平気でいました。
 だが次の24日(金)に、事態は急変しました。24日朝の検査があって、その結果が午後3時過ぎに判るということで、妻と二人待っていましたら、突如「慈恵医大に転院する」ということになりました。なんだか、風邪どころではなく、慈恵ではないと処置できないというのです。
 それから救急車で慈恵まで転院です。ちょうど、妻の会社の福島さんという、いつも私の娘たちを可愛がってくれている女性が、来てくれたのですが、彼女が来て見たのは、救急車に載せられるブルータスでした。彼女はそれこそ死ぬほど驚いたようです。そして私も妻も説明している暇はなく、かつ説明できる内容が判らないのです。
 そして慈恵医大で、それこそ待って待って、「どうやら危機は脱しました」という先生の報告がありました。私は仕事の連絡(突如の訪問のキャンセルやその他いろいろ)を電話しながら、いらいらしながら待っていました。
 急性肝炎なのです。そして絶対安静ということで、1カ月の入院となってしまいました。私は25日(土)は出社して、そしてまた突如の急用があり、面会にはいけませんでしたが、妻とおはぎがいうことでは、どうやら本人は少し元気になったようです。ただどうして肝炎になったかは判りません。ただ「たかが風邪」なんて思ってはいけないのだということでしょう。
 しかし、今回のことでいろいろなことを思いました。娘たちのことをよく見てくれる病院を確実に確保しておくこと。そしてそれは、こうした病院だけではなく、また鍼灸等々の先生にのも見ておいてもらおうと思っています。とにかく私が電話で話して、それで内容が判るような関係の先生方を持たないと、不安です。

 でもでも、ブルータスの寝顔を見ながら、いろいろなことを思いました。小さいときのブルータスをいつも思い出していました。そしていつもブルータスは私のことをこそ、心配していたことなどです。ブルータスは私が飲んでばかりいるので、とくにこの花見の季節などには、

  パパは、手に桜の枝を握って「綺麗だな」と一言いって、どっかで
  死んでるんじゃないか

といつも心配なようです。
 まあ、まあ、酒は止められないだろうけれど、昨日はお酒のお誘いを断って帰ってきました。

10122108 私の長女のおはぎはこの4月から大学へ入学しました。埼玉県北越谷にある文教大学です。この大学を選んだことについて述べてみたいと思います。
 昨年の夏休みに、おはぎは柏市民ネットの仲間の職場である新さんの「朋生園」へボランティアで通いました。いろいろと感じることがあったらしく、ここでのことをパソコンで書いていたりしました。こうした福祉の仕事につくための大学を選ぼうかと考えてみたようです。それと、おはぎは絵を書くことが好きですから、そうした道も考えていました。
 彼女がやりたいのは「油絵」です。それでちょうど昨年9月1日に我孫子市民プラザで開催した「フェスティバル」(将門ネットフェスティバルという名称でやりました)でおはぎのいくつも絵の展示を行ったころから、やっぱりあくまで油絵をやりたいと決意したようです。あのフェスティバルのときに、実際に長く油絵を描いてきた方と話したことも大きかったのではないかと思います。
 それで9月から、大学進学のために予備校に通うことにしました。目白にある「すいどーばた美術学園」という美術専門の予備校へ、学校が終わってから週6日通うことになりました。
 進学する先としては、「武蔵野美術大学」「多摩美術大学」「女子美術大学」を考えました。
 おはぎは実に絵を描くのが好きで、やりだすと何時間でも何日でもやっています。高校の先生も、おはぎだけは例外ということで、「あなたが気がすむまでやりなさい」とまで言われていたようです。だが実際の入試ではそれでは通りません。時間が限定された中で提示されたテーマを描きあげなければなりません。だから、こうして予備校に通ったわけです。
 でもこの予備校へ行って、すぐにおはぎはなんだか美術系の大学へ行っていいものかと疑問がわいてきました。なにしろ、同じ予備校生には武蔵美や多摩美を目指して、何浪もしている人もいるわけです。そうした人と話をしてみると、おはぎにとっては、なんだかどうしても理解できないような方々が多いようなのです。おはぎが興味を持って話してみたい福祉のこと、たとえば朋生園でのボランティアで考えたことなどに、まったく興味を持たない人が多いようです。おはぎは、「もうあんなところへ行きたくない、あんな人ばかりがいるだろう大学へ行きたくない」と思いだし、すぐにそう言い出しました。予備校に行き出して,まだ1週間もたっていないのです。
 私にはいいづらいのか、妻と夜遅くまでマンションの外で話し込んでいました。妻もなにしろ、予備校の授業料を半年分払ってしまったあとですから、それは困りました。
 それで、まずとにかく予備校では絵の実技の勉強にはなるわけだから、入試はさておき、通うこと、そしてまずは大学を見学に行こうということになりました。
 まず妻と二人で、神奈川県の「女子美大」を見に行きました。昨年の9月中旬のことです。だが大学はまだ夏休みで、大学の中へは入れませんでした。守衛の方が気の毒がって、いろいろ説明はしてくれたのですが、おはぎはがっかりしたようです。おはぎにとって、夏休みだろうが日曜日だろうが、もし美術が好きならば、絵を描いている学生の姿が大学のキャンバスに見られると思い込んでいたのです。
 その1週間後、今度は私とおはぎで北越谷の文教大学へ行ってみました。リクルートの大学案内で、「ここなら教育学部の美術専修コースがあるから、いいんじゃないか?」と私が見つけたものです。
 この文教大学も9月末までは夏休みでした。でも守衛さんは、中をどこでも見てください、と言ってくれました。そして大学はけっこうにぎやかです。演劇のサークルがある教室で公演をやっています(これは見たかったのだけれど、公演時間がちょうど合わなかった)。ピアノやオルガンのある部屋では、何人もの学生が練習しています。いくつものサークル部屋にも学生がいます。そしておはぎが一番興味のあった美術関係の部屋には、今すぐそこで描いていたのではという絵がそのままおいてありました。
 とても娘は気に入ったようでした。私もなんだかとても気に入りました。学生さんは、みんななんだか「ださくて」「もさい」感じなのですが、私はそれも気に入りました。大学だから、学生運動関係の立て看くらいあるかと思いましたが、それは一つもありません。それは私にとって、残念なような、「まあ、今なら当然だよな」というところなのか、なんだか仕方ないな、そしてこれでいいのさというところでした。
 それで、親子でここへ進学しようよということになりました。10月に文教大学での説明会があり、おはぎは高校の体育祭で参加できなかったのですが、私が行きました。美術の先生との面談も受け、公開授業も受けました。私も手をあげて質問したりしました。「いい大学だな」という印象です。
 おはぎは、高校の推薦入学を目指すことにしました。学校が推薦してくれると、11月初旬の試験で合否が決まります。試験科目は、「作文」と「実技」と「面接」です。
「実技」は予備校でそのまま習っていきました。「作文」はもう仕方ないから、いくつかの参考書を私が買ってきました。駿台予備校の先生方の「論文」の参考書を見ると、私のよく知っている友人たちが並んでいます。その中で一番易しそうなものを選びました。「面接」の参考書は、私の妻が「これが一番売れているようだし、いいなあ、と思って、よくよく著者を見たら、書いているのが安保(あぼう)君だったのよ」といいます。
 それは私が昔進学教室をやっていたときに、アルバイトで使っていた安保博史という学生が、今は大学の先生になって、執筆している参考書でした。たしかに実にいい参考書です。そして昔私が彼と喋っていた偏差値に対する考え方が、そのまま書いてあります。私は嬉しくなってしまいました。この本はおはぎにとっても、とてもいい参考書だったようです。安保君にすぐ電話したら、彼はほかにもいくつか彼の書いた参考書を送ってくれました。
 試験は11月初旬にあり、発表は12月8日で、ちょうど私の父の1周忌の日でした。どうやらうまく合格できました。おはぎとしては、自信があったらしく、もし不合格だったら、「どうしてなんだ」と大学に掛け合ってみるという気だったようです。面接のことや実技でいろいろと面白いことがあったようです。
 それからもうおはぎは我孫子のエスパでアルバイトをしだしました。「もう小遣いはいらない」というのですね。
 大学へ行き出してからは、それこそ忙しくやっています。どうも遊びのサークルばかりだからというので、みんなで絵を描くサークルを作ろうと、今は毎日朝早く大学へ行って、何人かの仲間と絵を描いています。そしてそして帰宅するのが遅いのです。普通の日は週に3日は、午後6時から8時までエスパでアルバイトして、日曜日は朝10時から午後8時までアルバイトです。そして、アルバイトが終わってからも何かやっていることが多いのです。きょうも、大学からあわててエスパに帰ってきて6時からバイトで、そのあとはまた出かけます。だから朝6時半に家を出て、それからもうきょうは帰ってきません。妻とはエスパのアルバイトの職場で顔を合わせたりするようです。なんだか、一時期の私みたいなんて言われているようです。
 大学生活を聞くと、実に楽しいらしいのです。けっこうその友だちからも電話がかかってきますから、私も知り合いになってしまいました(私はすぐに電話で話しかけるのだ)。高校時代の友人からも中学の友人たちともよく会っているようです。
 面白い話を聞きました。入学式の次の日に、オリエンテーョンのあと、同じ専修生の先輩たちとの懇談になりました。そのときに、おはぎは本当に頭に来たらしいのです。先輩たちの説明が、もうそれこそ怖ろしいくらいに宗教じみていて、なんだかその話に感激した新入生の中には泣き出した子もいるのです。おはぎは、そういう雰囲気が大嫌いですから、「もう明日、この大学を辞めよう」と決意したらしいのです。「パパやママが何を言おうと、もうこんな大学は辞めてやる」とまで思ったらしいのです。でもでも、これは実は先輩たちのやったお芝居でした。おはぎたちも、あとで考えると、入学式のときに22名のクラスだったのに、次の日それが24名になっていて、なんだか変だなあと思っていたのですが、なんせ訳が判りませんから、そして2日目ですから、同級生を全部把握なんかできていません。当然当然感激して泣き出した子は、先輩が化けてやった芝居です。そのあとの懇親会は実に楽しい会だったようです(おはぎはバイトで全部参加できなかった)。やっぱり美術をやる子たちは面白い子が多いようです。
 今月の24日には、大学の父母会があります。1日大学でいろいろなことをやるようです。ぜひ参加しようと予定しています。

10121109 17日(土)に私は千葉市で「文教大学父母と教職員の会千葉支部」の役員会が午後12時からありました。私は少し二日酔いでしたが、お茶の水の事務所を10時45分頃出ればちょうどいいと思っていました。私が気になっていたのは、電車の中で読む本のことだけでした。行きはいいけれど、千葉から自宅へ帰宅するときの本を用意していないことでした。「まあ、千葉か船橋で買えばいいや」ということで、その本屋を少し思い浮かべました。
 あとは電車に乗ると、いつものことですが、本を読むことに必死です。あとはときどき電車の外の景色を眺めます。駅や、駅の前に新しいビルやホテルとか何かが出来ていないか見るようにしているのです。ただ、ぼんやりと「でもきょうの役員会はどっちのホテルだろう?」なんて思っていました。千葉モノレールの「千葉みなと」駅そばの「ホテルプラザ」か「県庁前」駅そばの「プラザ菜の花」のどちらかなのですが、本を読むことに夢中な私は、「どうせ千葉駅に降りる頃、思い出すだろう」ということで、そのまま本を読んでいきます。そして読んでいた本が、本日の「今週の雑読」で紹介している以下の本でした。

書名  社長が起した「情報革命」
著者  小山昇
発行所 ビジネス社

 そしてやがては千葉駅に到着です。役員会の連絡は1週間前に電話で自宅で受けまして、その場で、目の前のカレンダーに書き込みました。でも私は前日は事務所泊でした。
 でも、普通はモノレール駅で乗車券を買う頃思い出すものです。たしかに思い出しました。だが、これが私の記憶違いでした。私は違うホテルの方へ行ってしまいました。「ちゃんと時間通り来たな」なんて思っていたのですが、ホテルは結婚式のお客さまばかりです。「あ、いけねえ」と思い、また走りだしました。約25分遅れて到達しました。しかし、これは非常によくないことです。他の役員の方には大変に迷惑なことです。とても羞しいことです。
 私はこの25分間を、「どうしてこうしたしくじりをしてしまったのか? これからこうしたしくじりを起さないようにするのには、どうするのか」ということを考えていました。
 私は手帳を持っていません。ウェイブ上で自分のスケジュールを管理しています。そしてこれはパソコンで入力し、iモードでも入力もできるし、確認もできます。約束の1時間前にiモードにメールが来るようにもしています。すっかり忘れていても、このメールで携帯のマナーモードで「あ、そうだった」と気がつくこともあります。
 だが、一番の落とし穴は、今回のように電話で受けて、それをカレンダーに書いてしまったように、どこかに書いてしまうと、それで私の気持の中で終わってしまって、パソコンのキーボードで打つのを忘れてしまうことです。そしてこれはまた起しそうです。
 そこで、私はこうした「しくじり行為」を起さないように、自分のスケジュール管理の方法をずっと考えました。今週その方法を確立します。まだ内容を喋られる段階ではありません。
 でも、誰でもこうした「しくじり行為」を犯してしまうわけですが、問題はまた同じしくじりをやってしまうことです。このことこそが、一番耻かしいことだと思っております。(2001.02.19)

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 オルゴールのことを書いていて、急に清里のオルゴール館のことを思い出しました。私はあそこに2度行きましたね。
 それでインターネットで検索してみました。

  http://www.moeginomura.co.jp/hall.html オルゴールの美術館

 ここは、清里に娘二人の文教大学の寮があるので、父母会で行きまして、そのときにここへ行ったものでした。
 でもインターネットで検索すると、「オルゴール館」というキーワードで調べると、日本中のあちこちにあるんですね。
 なんだか、あの清里のオルゴール館の、大きなオルゴールの調べの音を思い出していました。

 私もオルゴール の3 へ

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 以下、私が今書き終えた母宛ての手紙です。明日ポストに入れます。実際の手紙とは違って、ここでは名前等はハンドル名にしてあります。

   萩原たか子 様

               2007年7月2日

                周のURLメール
                今の王子の住所電話等
 前略
 ちょうどおはぎは、文教大学で美術専修生でした。だから今は小学校の図工の先生なのです。だから、おはぎの勤めた文京区の学校も、今の荒川区の学校も、私は二つとも行きましたが、どちらもいつもおはぎが、たくさんの生徒たちの美術の力を引き出しているなあ、と実に感心しています。
 できたら、私の小学校・中学校のときにも、あんな風に教えていてくれたら、もっとこの世界が違うように見られたいたろうなあ、と思っています。
 それで、その大学の同級生たちも(女の子が圧倒的に多い)、ほぼみな教員になっていて、それぞれみな結婚をして、そしてみな子どもが出来ています。けっこうそれが多いのですね。
 私たちの世代の子どもたちだから、また数が多いのでしょうが、それにしても、こうして元気な同級生がたくさんいて、そしてまた皆同じ職業について、みんなで連絡取り合っていて、その子どもたちも会っているという傾向は、とっても素敵です。
 その子たちが、おはぎのところに来たときは、なるべく会うようにしているですが、実にいい子たちで、愉しいですよ。思えば、私はおはぎの大学にもたびたび行きましたから、みんな私のことをよく知っているのです。
 ブルータスは、結婚して今は彼の実家のほうの小学4年生の担任をしています。ブルータスは、おはぎのような、図画工作というような科目の先生ではなく、クラスの担任をしています(おはぎは、担任にはなりません)。
 これがまた、実に元気な先生ですよ。ブルータスの実際の授業を何回か見学しましたが、実に私にはいい授業でした。いや、私は見学しているのではなく、私も生徒の一人として一緒に学んでいるつもりなのです。
 ブルータスは、実に熱い先生です。柏の学校では6年生を続けてやったのです。6年生は教えたくないというような先生もいるらしいのです(6年生の担任になるのは、実に大変なことのようです)が、ブルータスは違うんです。
 また今度の学校へも、授業参観に行きます。声を出さなければ、私のことはなんだか判らないのですよ。「あれ、誰か生徒のおじいさんかなあ?」と思われるくらいじゃないかなあ。
 あ、おはぎの学校も行きたいな。いや、私はみーねえの二人の息子の学校へも行きたいのよ。運動会は行ったけど、授業参観にも行きたいんですね。
 考えてみれば、いろいろと忙しいことになってきそうですね。   早々

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文教大学悠遊会の皆々さま
                2007年6月23日
               私の今の住所と電話番号
               ホームページアドレス等々
 みなさま、おひさしぶりです。
 昨年の東京支部の開催された研修会に、参加を表明していながら、突如連絡もなしに、いけなくなり申し訳ありませんでした。
05364d27.jpg 昨年は実にいろいろなことがあり大変でした。でも今はどうやら落ち着いて来た思いがしています。

 昨年1月に義父の身体の具合が悪くなり、義母も健康がすぐれないために、私と妻は昨年1月7日より、妻の実家の王子の家に住みだしました。ここには、妻の両親のために一昨年の9月より、長女夫妻も同じマンションの4階に住んでいてくれました。そうしないと、私の義父義母のことが心配だったのです。だから、長女夫妻が来たときには、義父が大変に喜んでいてくれました。
 ただ、我孫子の自宅には次女が暮らしており(今も私の自宅は我孫子です)、隣の街の柏駅そばの小学校に勤めておりました。次女は小学校で一昨年は6年生を担当し、昨年4月からもまた6年生を担当していました。次女には、少し可哀想だったのですが、もう次女の親である私たちは王子で生活しているわけで、一人で大変だったと思います。
 しかし、私たちが来ても、大変に残念なことに義父は昨年3月9日に亡くなりました。
 実は、残った義母は、もうかなりな認知症状態が続いていまして(実は私の母ももう89歳ですが、ずっと認知症状態です。今年4月からは入院状態です)、私たち夫婦は、我孫子の自宅と王子の家と、それぞれの職場を行き来する生活になりました。ただ、こうなると、私などは、自分の会社に行くことのみが仕事ではなく、何社かのクライアント(クライアントといいましても、それぞれはほぼ私もその中で役員になっています会社ばかりです)会社にもいくわけで、日によっては、御茶ノ水の事務所には行けない事態も生まれてきました。

 私の事務所は、御茶ノ水のJRの駅前1分で、実に仕事の場としても大切だったのですが、同時にその事務所のあるビル自体の管理組合の問題がありました。
 昔、あるビル管理会社がその親会社の倒産で、その子会社自身も危うくなったときに、その管理会社の扱っているビル(が私の事務所のあるビルでした)の各部屋のオーナーたちが結束して自主管理組合を立ち上げ、それで頑張るというところだったのです。だが、実はこのオーナーたちのうち各弁護士、公認会計士、税理士、司法書士等々が、実にとんでもない人たちで、自分たちでその管理組合を自分たちで好きかってに使い出しました。もうみんなのお金の大幅な金額を流用、私服しだしたのです(本当は、もうこれは犯罪だよねえ。いえ、間違いなく犯罪です)。
 それで、最初は私は、みんな立派な弁護士さんたちだと思っていましたが、やがてひどいことが判明し、私と私よりの年上の女性(女性だけの不動産屋さんでした。私とはその方の会社のホームページを作ることで知り合いました)と、私の事務所を斡旋してくれた小さな不動産屋さんの3人で闘いに入りました。私がもっぱら総会に出て(年上の女性不動産屋さんは、出席しませんでした。弁護士等々男性ばかりの嫌がらせ、女性の彼女に性的なからかいを言うのです。これが弁護士なのですよ。私も彼女の出るのを止めました)、真っ先に発言しだしました。
 私の発言は、まさしく全然意味のないような質問からしだしますが、実はかなりな核心をついています。そして私は声が大きいし(無意味にかん高い)、論理も全然負けるわけがありません。そして最初は、私のことを「馬鹿な人かなあ」と思っていた女性(おばさんたちばかりですが)のオーナーやおじいさんのオーナーたちも私のいうことに耳を傾けるようになりました。そして私は、この件で、ホームページを立ち上げました。そして私はいわば、その事務所ビル内ではいわば孤立していましたが、私は過激な活動家(もと過激派というレッテルが貼られました。別に私は少しも嫌じゃありません。だってその通りだから)と思われていたのか、私に関しては、誰も何もできませんでした。そして私はさらに彼らを追い詰めていきました。
 ほぼこの闘いも、私たちの勝利になり、悪い連中は次第に逃げていきました。
 管理事務組合の外注の管理会社も変更しましたので、だから、私はあのビルを退去することもできました。それで、昨年9月末で、そのビルから、この王子の義母の家の一室を私の事務所としたのです。現在の管理事務組合は、もうみな私のシンパですので、私は彼らと会っても私はただ嬉しいだけです。

 妻と私で交代で、義母を見ています。義母はデイサービスに行っているのですが、送りとお迎えは二人で交代にやらないとなりません。それに今年1月3日の長女のところに長男が誕生しましたので、私はじじにもなりました。この孫のこともよく見ています。もうしょっちゅう孫とは接しています。
 次女は3月25日に結婚式をあげ、今は千葉県君津市の彼の実家のすぐ近く(歩いて3分くらいらしい)に住んでいます(実は1月からは事情があって、彼の実家に次女も住んで、そこから毎日柏まで通っていました)。いいお義母さんといいお義父さんがいて、彼もいい体育の先生です(彼は文教大学の体育専修生でした)。
 次女は今は4年生の担当です。ただ千葉県の君津ですと、通勤もなにもかも車なので、それが少し心配です。まあ、でも次女は元気な女ですから(私はこの次女がときどき怖いですよ。小学生の生徒たちも怖いだろうな。もちろん、本当は優しいいい先生だし、いい私の娘です。怖いと思う私がなにかやましいことをしている親父です)、私はただただ嬉しいばかりです。
 だから、我孫子の自宅は今誰も住んでいません。ただ、私の母も入院中ですから、私も我孫子の病院へもよく行っています。また母の家である実家には、兄夫婦がいるわけですが、ここにもよく行っています。私は義姉と実に気が合うのです。もちろん、兄夫婦の娘夫妻とも、その二人の男の子とも私は実に仲いいですよ。いつも「周ちゃん、周ちゃん」と言われています。
 そして我孫子の自宅の部屋の整理もしています。だから、その整理が終わりましたら、私たちは我孫子を退去するつもりです。今度は東京都民になるわけです。あ、私は「王子の狐の会」も入りましたよ。王子の狐としても頑張るつもりでいます。
 あ、それから長女の彼も今埼玉県の教員をやっています。もともとは、サラリーマンだったのですが、長女の影響からなのか、その会社を辞めまして、教員になる勉強をしだしました。ただし、まだ試験には受かっていませんので、蕨市で代用教員というわけです。
 今年の夏休みは、私たち夫婦と、娘二人の家族とみんなで温泉にいくつもりでいますが、どうなりますかね。長女の子ども、私の初孫がまだ小さいですからね。でも今まで過去は温泉に行ったときは、お風呂にわいわい4人で行きましても、実際にお風呂に入るときには、女組3人と私の男組1人は別れて別に入りますから、私は寂しくて、そのうち部屋に帰って独りで飲んでいたものでした。でも今度からは、男組は4人になりました。それで私はいつも赤ふんをしていますから、孫にも赤ふんをして、元気に男たちで温泉に入ります。
 私はこのことを考えると嬉しくて仕方ないのです。

 あと私がここで述べたいのは、ぜひみなさまに以下をお薦めします。

1.パソコンでインターネットをやってほしい。
2.ウェブサイトを立ち上げてほしい。もちろん、ブログでおおいにいいのです。このことは私はあちこちで言っていまして、どうやら何人もの方がやってくれています。
3.ケータイメールを活用してほしい。ケータイであれば、いつでもどこでもメールできます。電話自体はできないこともあります(当然電車の中じゃできませんね)が、ケータイメールなら、どこでも誰でもできます。私はビシネスも生活もすべてケータイメールを活用しています。
 それで私のケータイメールアドレスは上に書きました。あなたのも教えてほしいです。○○○○というのは、私が55歳から、この携帯をauにしたからです。
4.電話は、スカイプ(インターネット上で電話できるベルギーの無料ソフト)を使ってください。スカイプ同士ですと、アメリカでもヨーロッパでも中国でも東京三河島でも、何時間でも無料でスカイプで電話できます。もう携帯型のスカイプ(私は持っています)もあります。通常の電話にも、携帯電話にも電話できます。ただしこの場合は料金がそれぞれNTT同士・携帯同士よりも5%くらい安いだけです(米国だと、対普通の電話・携帯にも無料です。日本でも昨年12月のみNTTへは、無料でした)。スカイプはチャットも対100人とできますから、これをメールとしてもつかえます。私が教えたある女性社長は現在64歳ですが、これで自分のアメリカロスアンゼルス、ロンドン、オーストラリアにいる、自分の娘・息子たちと、そして孫たちと、話し、そして彼らの映像を見て、自分の映像も見せています。
 中国・台湾・タイなどの人たちとは私はよくスカイプでチャットしています。いえ、もちろん私は外国語がまったくできませんから、日本語(彼らはみな日本語が上手です)で喋り、日本語でチャットしています。私のほうが中国の若者に、「これは李白の詩だよ」と七言絶句を書いたり、「この神農という神様は、あなたの国の神だよ」なんて言っていますよ(チャットでテキストで書いているのです)。
 私のスカイプ名は、○○○○です。私が56歳から始めたからです。ぜひ私あてにスカイプしてきてください。

 以上、ぜひとも皆さまに期待します。私たちがやれば、かならず大勢の私たちの年代もやっていきます。そしてもちろん、私たちの子どもたちもやっていきます。もっとも、私がやるがやるまいが、子どもたちの世代はやらざるをえません。でも私たちがいろいろなことを示せると思うんですね。

 そして私が文教大学に求めたいのは、ぜひ学生生徒たちが、これらのことを大学にいるときに自在に駆使できるように指導してほしいということです。これらはすべて簡単な技術です。これらをただすぐ使えばいいということです。そういう技術が簡単にできるようになるために、ぜひともそうした環境を整えてほしいし、そしてそれらの技術を当たり前に教えてほしいのです。
 そして一番大切なのは、こうした技術で相手に何を伝えるかという内容こそを教えてほしいということです。
 上に書きましたが、スカイプで中国の若者(10代、20代前半が多い)と話していると、杜甫・李白の詩句を並べても知らない(杜甫は知られているほうですが)ことがほとんどなのです。これは実に情けないことだと私は思います。自分の国の大切な文化を知らないのですから。
 パソコンやインターネットがいくら進化しても、そこで語られる文化というのは、過去私たちが作ってきた文化です。これを、現在そして未来の世界でもみなで語り、さらに新しい文化を作っていくのだと思っています。

 最後に、私たちの年代でも必ず必要なパソコンについて書きます。私は6月13日にウィンドウスヴィスタのパソコンを購入しました。ちょうど事務所で使っているデスクトップの買い替えです。マシンの詳細は私のブログに書いてあります。ただ、購入金額は、58,065円でした。ディスプレイは前にも使っていた17インチ液晶を使います(実はある方にもらいました。私はよく人にパソコン関連をあげますし、またもらいます)。あとメモリは別に2GBのものをヨドバシカメラで買いました。とにかくまったく安いからです。HDは、同じくヨドバシで外付を買いました。これなら、他のマシン(私は我孫子の自宅にデスクトップを、そしていつも鞄の中にノートを持っています)にも接続できますし、実はまったく他のマシン(友人とか他の会社の)にも接続できますから、使い勝手がいいのです。1992年くらいのデスクトップが40万円くらいしていたのとくらべると、大変な変貌です。
 パソコンは今ではなくてはならないものです。でもとは言いましても、その費用はできるだけ安価なほうがいいです。私はパソコンの寿命はもはや3年だと思っています。3年半経ったら新しいマシンにしないと、いろいろと困ることになってしまいます。だから、もう本体は安いほうがいいのです。ディスプレイは別に考えるようにしていけば、こちらは12年は軽く持ちます。
 それで、HDは外付ならば、次のマシンでも使えます。かつメモリも同様です。私は今のマシンでは512MB+2GBで使っています。実に快適ですよ。

 ぜひ、こうしてパソコンで、今の時代も次の時代も私たちが先頭になってやり抜きましょう。何かありましたら、上に書いたケータイメールやスカイプで連絡ください。いつでもお手伝いします。             以上

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b57709cc.jpg 私の二人の娘が卒業しました文教大学の父母会のいわばOB・OGの会であります悠遊会の研修会がありました。
 午前11時に、さいたま市中央区のJRさいたま新都心駅に集合しまして、『ジョン・レノン・ミュージアム』を見学しました。
 次に私がそのときに悠遊会の皆さまに印字してお渡ししましたものをUPします。
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5bbdf519.jpg「負けず嫌い」「そしてユーモア」のある子どもでした。
 小学校からはじめたオーボエは、27才になった今でも続けています。
 高校3年、すいせん入学でおっこったあと、滝のように涙を流し、次の日から猛勉強!! 文教大学に合格しました。
 大学卒業後は1年間東京で講師として働き、2年目には千葉県柏市立第三小学校で、はれて先生となりました。
 少しハラハラと心配なのですが、道ばたにポイスてをする男子高生をとっつかまえて注意するなど、私生活でも先生ぶりを発揮しています(でも気をつけてね)。
 妹と私は年子ということもあり、2人で色々なことをしてきました。ほぼ私が負けるケンカも星の数程したし、学生時代には2人で旅行にも行きました。はじめて親元をはなれて暮らしたのもさよちゃんと2人暮しです。
 今は私も同じ職業ということもあり、子どもの話、授業の話など熱く語り合います。

d217e2f6.JPG今文教大学を見ました。電車は速いですね。でも長女はビールを飲むのは絶対に許しません。私は泣いています。写真はお弁当を食べるブルータス。

 写真は、御弁当をみなで食べたときに撮りました。

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