将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:新田義貞

2017072808   私はこれを新田(にった)と読んでいました。新田義貞のためです。実際に新田(にった)さんにもお会いしています(この方は鹿児島市の人でした)。星砂の竹富島でもこの新田さん(上に書いた新田さんとは違います)のところへ泊っています。今では新田荘として有名なようです。
   思えば徳川政権も新田義貞の関係の子孫だといわれ、徳川家康は「源氏」(新田義貞一族は源氏ですから)だと言われていました。
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  でもここ王子に住んでみて、歩いていけるところに新田(しんでん)というところがあったときに驚いたものです。
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 私は千代田線下車の根津ではよく歩き、飲んできました。このただし、この「根津の甚八」では過去数えるくらいしか飲んでいません。この店の周りの店でも飲んできました。 このお店をインターネットで検索しまして、出てきた画像をこうして載せます。
 それと俳優の根津甚八さんも載せます。彼はNHKテレビの大河ドラマ「太平記」で新田義貞を演じました。
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 私は過去に何度も鎌倉江ノ電の極楽寺で降りて、成就院へ行ってきました。そこの門を入るあたりで、そこから見下ろせる由比ヶ浜を見て、そこを駆け抜けた(ただし新田義貞はここの浜で黄金(こがね)作りの太刀を海に投げ入れます。このおかげで海は引いて、馬が走れるようになり(と言われています)、馬に乗った新田軍が駆け抜けるのです)新田義貞を思っています。
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 これで鎌倉幕府は亡びます。だが同時に六波羅探題を落とした足利高氏もいたのです。結局足利高氏は後醍醐天皇に名前をもらい尊氏となり、義貞は勾当内侍(こうとうのないし)をもらいます。

   http://shomon.livedoor.biz/archives/51922442.html
     新田義貞の愛した女、勾当内侍

 新田義貞の鎌倉攻めは実に大変な戦いでした。幕府側は最後800名近くが自害したといわれます。15111608
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 私はいつもこの時の鎌倉幕府側、新田義貞、足利尊氏、勾当内侍を思い、いつも悲しい気持になってしまいます。
 そしてこの根津駅下車の「根津の甚八」を思い出すばかりなのです。



X12120412 昨日大きな地震があって、けっこうこのマンションも揺れました。

2012/12/08 06:00昨日大きな地震がありましたね。けっこう長く揺れましたよ。
 でも前にはケータイに地震に関する情報が入ってきたのですが(前に新宿法務局から新宿都税事務所まで歩いている時にあったと思います。10年くらい前かなあ)、今は入ってきません。
 あ、前にはケータイに「地震情報」というメニューがあったように思い出しました。今はないです。あとでインターネットで調べてみましょう(今はリビングなのでパソコンのそばではないのです)。
 さきほど、私の「浅田次郎『黒書院の六兵衛』」を書きましたが、そこで源頼朝像のことを書きました(今はあの像は足利直義像と言われます)。足利尊氏像も今では、高師直像と言われています。
 もうこのポメラはこうした人物名を書くのには大変な苦労です。もう嫌になってしまいます。

 このポメラでは、「ただよし」とか「もろなお」と入れてもまともに変換されないのですね。ここには、その高師直像を置きます。私はこの人物が好きなのですね。京都二条河原の落書とはこの人物を詠っていま12120805す。いや、私は真面目で戦の下手な直義もその子直冬(実は尊氏の子どもでした)も、そして尊氏が一番好きです。いやどう見ても、戦の下手としか思えない新田義貞も好きですね。新田義貞はいつも鎌倉で思い出しています。

 「地震情報サイト」をサイドバーに置きました。

12052814 今ポコ汰から背中を少し蹴られました。
 でも今はその足の暖かさを感じています。ずっとその足と私の背中がふれ合うことを感じています。いいなあ。

  思えば今は、ここの画像にはあじさいを使っているわけですが、これでまたいくつかあじさいを使っていけますね。あじさいという花は、少しさびしいというか、少しわびしさも感じるのですが、そんなことはありませんね。
  このあじさいは、鎌倉の長谷寺の南側の紫陽花の集まっているところから、海を見たところです。
 ここの海を見ていると、私はいつもこの浜を駆け抜けた新田義貞を思い出すのですね。
 いつもいつも新田義貞を思いだしているのです。あのときは彼は格好いいよねえ。

11041709  新田義貞は1301年(正安3)〜1338年(建武5)8月17日の生涯でした。その義貞が建武の新政権で後醍醐天皇から恩賞として与えられたのが、この勾当内侍(こうとうのないし)でした。
 義貞の建武の新政権での栄光は実に短いものでした。だからこの女性との生活も短いものでした。やがて、すぐに足利尊氏が都を征服すると、義貞は北陸を転戦し、やがて破れ戦死することになります。
 勾当内侍は、その義貞の戦死を知り、義貞の菩提を弔って余生を過ごしたとされます。また、琵琶湖に入水したという伝説もあります。
 私は2010年の6月4日に鎌倉の成就院の門から、稲村ヶ崎を見ました。このときも繰り返して寄せる波は義貞が北条氏の鎌倉を攻略したときと同じだったのでしょうね。そのときを思ったものです。(2011.04.18)

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 今年5月の私の睡眠時間です。
 なんだか、毎日見る夢のことを書いていませんね。たった今直前は、足利尊氏と足利直義のことと、新田義貞の夢を見ていました。なんだか悲しい夢だったなあ。

   睡眠時間      仮眠

31 00:25〜04:45
30 02:20〜07:13
29 23:30〜03:05
28 00:40〜07:30
27 23:55〜05:40
26 23:30〜05:00
25 03:50〜06:20
24 00:10〜07:20
23 23:50〜04:25
22 02:15〜06:35
21 02:20〜06:20
20 00:20〜06:10
19 23:50〜06:05
18 23:40〜06:25
17 01:30〜07:50
16 23:50〜05:40
15 02:20〜07:20
14 23:50〜06:20
13 23:25〜05:40
12 23:30〜04:40
11 23:30〜04:00   04:50〜08:00
10 23:05〜05:05
09 22:35〜05:30
08 02:10〜06:40
07 03:00〜06:50   10:40〜11:50
06 00:30〜04:35
05 01:35〜05:55
04 05:10〜08:00
03 00:00〜05:10
02 02:00〜06:30
01 00:10〜05:20

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鎌倉武士物語
書 名 鎌倉武士物語
著 者 今野信雄
発行所 河出書房新社
定 価 1,900円
発行日 1991年5月30日初版発行
読了日 2007年1月28日

07012803 昨年の春と秋に鎌倉には行きました。今年もまた行くつもりですが、そんなことでまた鎌倉を少しは知ろうと、手にとりました。でも面白いです。またたくうちに読み終わりました。やはり鎌倉は、関東八平氏、源頼朝、実朝とそして鎌倉執権の北条氏のたくさんの歴史の都ですね。鎌倉を歩いているときの、私の中に湧いてくるたくさんの思いがまた再び甦りました。たくさんの人物が思い浮かびました。そして鎌倉幕府の最後、新田義貞の鎌倉攻めもまたいくつものことを思いました。
 もっともっと鎌倉を歩いてみます。そして鎌倉は、「鎌倉武士」だけの街ではないのですね。いつも鎌倉を歩いていて、そのことを考えています。

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