将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:新的矢六兵衛

1303290613032907  今日のこの小説を読んで、情けないことに、私は涙にくれました。いや涙にならぬほうがどうかしています。

 初めて対面した折も同様であった。ただの口下手ではあるまい。何か信条のようなものがなければ、ああまで寡黙に徹することはできまいて。
 かそけき行灯の向こう前で、六兵衛は威儀を正し深々と頭を垂れて言うた。「ちちははになってくだされよ」、と。

 この新的矢六兵衛がこれだけ口を開いたのは、これが始めてのことです。
 そして、この六兵衛もその妻も手の甲がいわば苦労してきたことが一目で分かるのです。私は幾人もの手の甲を思い浮かべました。これがしつこいくらいに思い出していました。

 とたんにまた、「ああ」と声が出てしもうた。人の労苦は手の甲に顕れるものだ。

 だが、もう江戸幕府は終りです。それをこの御隠居がいうと、

「さればこそ」
 重い一言でござった。

13032901 このあとを想像するのですが、この新的矢六兵衛の思いは想像できません。
 それと、私はこの著者の浅田次郎ですが、私は『蒼穹の昴』を読んでから、もうこの著者を読むのが嫌になっていました。
 でもその思いは、この作品でもう吹っ切れました。また私はこの著者の大ファンです。今日のこの挿絵の紅葉は、以下なのです。

 まるで雪の飛ばされた枯れ紅葉が四枚、船宿の灯の下に並んでいるように思えた。

 もう私はこの的矢六兵衛夫婦のファンになりました。

1303280113032802  昨日私が書きましたように「無紋の黒羽織を着た大柄の侍」はやはり新的矢六兵衛でした。

 その端正な姿をひとめ見たとたん、ああ、と思うた。ああ、これが的矢六兵衛じゃと。

 実は、この御隠居夫妻には子が出来ていたのです。それが同じ六兵衛という名前でした。

 その子の名前が六兵衛と申したのです。さよう、的矢六兵衛はつごう三人いることになる。

 だがこの子は九つで亡くなってしまったのです。その子がこの挿絵の子です。この御隠居が涙を流してしまうのはよく分かります。

 ・・・・・・。柳原土手の船宿であの侍に出会うたとき、それがしも家内も息を呑んだのでござるよ。
 六兵衛じゃ。六兵衛が生き返った。・・・・・・。

 もう読んでいて、この御隠居夫妻の気持がよく分かります。これでもう別段問題なくいく13032703はずでした。それなのに、幕府の崩壊、そして明治時代の開始なのです。

1303270113032702  この挿絵の女性が新的矢六兵衛(まだこのときは六兵衛にはなってはいません)のご内儀(家内)になるのです。でも

「姓名の儀はご容赦下さいませ」

というのは、よく理解できるのですが、でも私もこの御隠居と同じで聞きたくなります。無理と知っても真っ先に聞きたくなります。
 それと、この作品が単行本になるときですが、この挿絵も入れてくれないかなあ。今までは本と挿絵は別なものらしく、使われたことがありません。だからいわば、私のこの将門Webのものは貴重です。私は了解を得てやっているわけではないですから、困ったものですね(誰にいうのか?)。

 ・・・・・・。小座敷に据えられた行灯の向こう側に、無紋の黒羽織を着た大柄の侍が座っていた。13032511

 これが新的矢六兵衛になるのです。でも私は「無紋の羽織」なんて現実には見たこともないのですが、いよいよ姿を現すのです。

1303050913030510  この作戦は私には「正解だ!」だと思えるのですが、どうなのでしょうか。

「六兵衛殿も、これでお手上げでしょう」
 早くも酒が回ったのか、木村が広い額を真赤に染めて両手をあげた。

 その通りになることを私は願っています。今の六兵衛にあの子どもたちのところに帰ってほしいのです。その六兵衛はこの作戦には敗北でしょう。私には実にいい作戦だと思えます。しづゑさんはすごいなと思うところしきりです。13030403

 ・・・・・・、この奇策は思いのほか効いているようであった。今までのような余裕がないのである。

 もう私は六兵衛にこれで降りてほしいと強く思います。それは六兵衛には敗北ではないはずです。江戸幕府は終わったのです。江戸は東京になったのです。
 もうこれで終わって欲しい。いやこの小説がこれで終わってももう私は構わないのです。

1302260113022602  福地源一郎は驚くべきことをいうのです。私も「これが真実なのかなあ」と思ってしまいました。

 一番の怪しきことは、このダンマリだよ。みてくれや所作は真似できても、言葉となればそうもゆくまい。たどたどしい日本語を使うわけにはゆかぬゆえ、寡黙さを装うているのだ。

 えっと驚きました。でも読んでいくうちに、これが正解なのかなあ、と思ってしまいます。

 ミスター・マトヤ。ホワイト・ドンチュー・レイ・オフ。招待ばれたのだから、もうたいがいにしたらどうだね。膝を崩して、僕とゆっくりお国言葉で語り合おうではないかー。13022503

 うーん、実に驚いてしまいますが、「まともに口をきいたのは妻御と倅ばかりで、当の本人はほとんど物を言うてはいないではないか。」ということにも納得します。
 ただ、徳川宗家に実に礼をつくす(誰が見ていないところでもちゃんとしている)ところなんか、やはりこの新的矢六兵衛は徳川直参の御旗本に思えるのです。
 今後の展開を興味深く読んでまいります。

1302040613020407  昨日でこの新的矢六兵衛が初めて口を開いたのです。でも私が期待していたようには、簡単には語ってくれません。

・・・・・・
 するとお侍は、然りと肯きはった。そのお顔を見て、よし、博奕打ったろ思いましてん。

「博奕」か。そういう思いで、この淀屋辰平も思い込むのです。

 金貸しいうもんは、五分五分の勝負にはでまへん。九分一(くぶいち)の勝ちやと思てもおっかなびっくりや。たとえ五分五分でも博奕を打つのが、淀屋辰平だす。

 うん、そうなんだなあ、と思ったものです。ただやはり明治維新という事態はま13020305ったく予想もできなかったでしょう。
 でもこうした事態はこの私たちの生きている世界ではいっぱいありますね。ただこの日本では、まずほとんど出現しないことでした。
 それを私は今大きく思い出しています。

1302030113020302  やっと最後に、この新的矢六兵衛の目的が知れました。それでこの作品になるわけなのですね。
 この新的矢六兵衛(まだ六兵衛にはなっているわけではありませんが)は、どうしてか金は持っているのです。この理由もいつか明かされるのでしょうね。私は期待します。

 振り分けの旅行李が一対、たいそう重たい。蓋を開けて仰天や。二分銀の百両包みが、豆腐でも詰めたように並んでおりましてん。

 この侍はどうしてこれだけの金を持っているのでしょうか。それは私の大きな関心ですが。最後に以下のようになります。

 ・・・、そこで初めてお侍が口を利いた。
「旗本株を買いたい」

 この新的矢六兵衛が口を開いたのはこの作品では初めてのことです。どういう理由かは分からないのですが、こうして旗本になりたいという侍(今現在は侍と言っていいのかはわからないのですが)がい13020107たのです。
 だけど、こうした新的矢六兵衛の思いも、すべて打ち壊してしまったのが、今回の明治維新なのでしょうね。
 だんだんと真相が分かってきまして、ますます面白いです。

1302020113020202  この新的矢六兵衛のことが知りたいという思いばかりです。淀屋辰平には、この侍には記憶がありません。

 江戸詰の御家来が、何か急なご用向きでお国元へ戻られる。さもなくば逆に、急な江戸詰を仰せ付けられた。そないなところやけれど、どうにもそのお侍の顔には覚えがない。

 そしてさらに話を続けるのに、福地源一郎をこの挿絵のような茶室へ案内します。
 私も随分前にたしか20年くらい前に、ある会社の役員の自宅で、こうした茶室に案内されたことがあります。あ、思い出せば、そのさらに20年くらい前にもあります。どちらもその家、そのビルの中で驚くほどの異質な空間だったものです。
 だがこの新的矢六兵衛は何も語らないのです。

 背中が寒うなりましたな。お客やのうて、意趣返しか何かやと思た。顔に憶えはなくても、世間の恨みつらみは山ほど買うて13013115ます。

 ただ、思い出せば、その過去にも私も茶室での普通の振る舞いは知っていましたから、よかった思いでしたね。そうねえ、私も大昔にある茶道教室に通ったことがあるのです。

1301100113011002 この挿絵のような美しい女房が新的矢六兵衛にはいるのです。

 やがて衣ずれの音がして、女中を従えた奥方が玄関先に姿を現した。まず目を奪われたのは、納戸色の綸子(りんず)に青海波の裾模様をあしらったお召物である。

「納戸色の綸子に青海波の裾模様」なんてすぐ想像しました。納戸色といえば、ブルーの色であり(こういっちゃいけないのだろうが)、青海波で少し目立たせている(この模様は下にUPしました)のでしょうね。昔『源平盛衰記』で平家追悼に出かける(最初は木曽義仲との戦争ですが)源氏軍の中で弁慶が青海波を身に着けていたなあ、なんて思い出していました。

 美しい女房である。しかも殿方の目を引く美貌というより、おなごが見惚れる類である。肌は陶(すえ)の白さであった。

03011001 私には「陶の白さ」というのが分からない。私はすぐに陶晴賢を思い出したものです。かたくななほど白い肌だということかなあ。だから白い肌で落ち着いた納戸色を来て、でも少し派手(とはいえないが)なのは青海波の裾模様をまとっているということなのです。
 さて、しづゑにはなんとしても、この美しい女房の夫の六兵衛のことを語ってほしいものです。それとも語らないかなあ。いや語るよなあ。

1212110112121102  この今日の津田玄蕃の話でも、「この新的矢六兵衛って、一体何者なのだ」と思ってしまいます。

 金上げ侍と知れても、六兵衛が軽侮されなかったのは、・・・・・・。

 この新的矢六兵衛は撃剣にも強いのです。「流儀は筋目のよい直心影流と見た」と玄蕃はいうのです。元の六兵衛が道場に通ったことなどないだろうということとは大変な違いなのです。

 面を外したあとで腹立ちまぎれに、「相手が上役でもあるまいに、手かげんなどなされるな」と言うたことがある。そのときもやはり六兵衛は、汗をふきふきただひとこと、「いや」と言うただそれだけであった。

 うーん、やはりこの新的矢六兵衛は一体何者なのX12121006でしょうか。そしてでも明治維新というのは、それをすべて消し去ったのですね。でも明治維新は暴力革命ではありませんでした。それでも大きなことだったんだなあ、とつくづく思ったものでした。

1212070112120702 これでまたいくつものことが分かりました。

 やれ、おぬしが首をかしげるのもごもっともでござるの。

 しかし、二人の子供はどうしたのかと気になりますが、これは私が一番気になっていたことですが、これは少しは安心しました。だが当の新的矢六兵衛はどう思っているのか。この挿絵が、その新六兵衛の姿です。

 ・・・。梯子(ていし)段から振り返れば、六兵衛は格子窓から入る夕陽の縞(しま)の中に、やや俯いて座り続けていた。

 このシーンは印象的です。この時の新六兵衛はいかばかりの思いなのだろうと想像してしまうのです。
12121001 すべては、淀屋辰平が悪辣だ、いやもともとは的矢六兵衛が悪いとも思いますが、幕府がいけない、いや武士そのものがいけないなんて思いました。
 昨日テレビNHKで頼朝の肖像画を頼朝像としてやっていました。もうあの像は、源頼朝像ではなく、足利直義像だというのは今では常識だと思っていたのですが、なんでそんな常識を敢えて破るのかなあ。

12120608 私の浅田次郎「黒書院の六兵衛」(195)へT.Nさんから、以下のコメントがありました。

1. Posted by T.N   2012年12月06日 12:48
はじめまして。日経の愛読者で、勿論連載小説は毎回読んでいるんですが、何とも摩訶不思議な浅田ワールドに引き込まれているようなものです。出来事としては些細なこと、それもほとんど創作話であろうに、かくも本当らしく、さも天下大事の重要事であるかのように延々と話を進めていく筆致は流石というか、呆れるほどです。そう思いながら次はどうなるか気になりますね。それからこれを映画にでもするとしたら、六兵衛役は若き日の高倉健さんしか思い当たらない。今の俳優では無理だろうなあ・・

 うーん、そうすると前の六兵衛役は田中邦衛さんかなあ。納得もするのですが、健さんねえ。
 健さんが、新的矢六兵衛ねえ。でも健さんがワイロなんか出せるのでしょうか。秋山伊左衛門は新的矢六兵衛からワイロを受け、その金で妾を囲っているのですよ。健さんができるかなあ。
 私は健さんの映画はすべて見ています。好きになれないのは、「内田吐夢『宮本武蔵』」の佐々木小次郎役くらいかなあ。
 それで、映画の的矢六兵衛役を私も考えてみます。でもはっきりいいますと、私はこの新的矢六兵衛はどうしても好きにはなれないのです。
12120609 江戸幕府が終わった、旗本も実態はひどいみじめなものだったいうのは誰が演技に向いているのかなあ。
 私もまた今後考えて行きます。
 でもこの浅田次郎の小説は実にいいですね。

1211300612113007 権現様の鎧櫃から鎧兜を取り出すのです。それは津田玄蕃と新的矢六兵衛の二人きりで行います。

  その夜、儀式の支度は拙者と六兵衛の二人きりで終えた。

 そして玄蕃は、不思儀な思いで新六兵衛を見ることになります。いやそう思うのは私だけかなあ。いや誰も思うのではないかなあ。

 ああ、そういえば儀式の支度をおえて人々が立ち去ったあと、六兵衛はしばらく御書院の下段の間に座っておったの。

12112909 これはすごい絵です。その様を想像してしまいます。しかし、やっぱり玄蕃だけではなく、私も同じに思います。「いったい誰がこやつに物を教えた」。不思儀ですよね。いやもっと私にはいくつも疑問があるのです。
 またそれは私がおいおい書いていくでしょう。

1211290512112906  この権現様の鎧櫃を玄関からさらにあげなくてはいけないのですが、誰も担ごうとしないのです。そこで津田玄蕃が自分が申し出て、その相方に新的矢六兵衛が出てくるのです。

 ところが、いざ鎧櫃が御玄関に上がると、進んでこれを担ごうとするものがない。誰も彼も万一の粗相を怖れて、手を触れようとしないのだ。

 こんなことは私もいつも体験してきていますね。津田玄蕃が前を担ぎ、申し出により六兵衛がその後で担ぐことになります。「やめおけ」という声もかかりますが、誰も自分ではやろうとしないのです。

 しかし、あれこれ言うわりには誰も進み出ぬ。

 この光景が実に目に浮かびます。「あれこれ言うわりには」、どこでも同じなのです。でもでも、六兵衛は違うのです。でも背の高い六兵衛では釣り合いがとれないはずなのですが、

 ・・・、拙者の身丈に合わせて中腰で歩んでいるではないか。12112806

 うーん、これだけを普通にやる、できる新的矢六兵衛なのですね。それが今ではこうした事態になってしまったのです。
 どうか、津田玄蕃の説得を六兵衛が素直に聞いてほしいものです。

1211270112112702  さて今日は新的矢六兵衛の挙動が語られます。津田玄蕃のいう話なのです。目の前の六兵衛はもとの六兵衛と同じ御書院番士として、そのまま演じているのです。

「的矢六兵衛殿じゃ」
 ハテ、何を言うておるのかと思うた。前の並びにも、あの貧相な的矢六兵衛の背中はない。

 その新的矢六兵衛の脇差の小柄にも的矢家の家紋が象嵌されているのです。
12112605 でも私の家も家紋はありますね。でもこのままではどうなるのかなあ。私のここのサイドバーに花個紋女将ブログがリンクしてありますが、もうこういう時代になったかなと思うのですね。私は自分の家の家紋は少しも気に入りません。

「もし、小さ刀をおまちがえではござらぬか」
 と拙者は尋ねた。
「いや」
 侍はひとこと、きっぱりと否んだ。

 この小説で新的矢六兵衛が声を出したのは、初め12112606てだと思います。この回の「いや」が2回です。
 しかし玄蕃のこのときの思いは、読むものみんなが同じでしょう。間違いだと思っても、その目の前の侍は「いや」としか答えないのです。
 さてさらに明日を待ちます。

12111808 この字は、「蕃」だ、「津田玄蕃」なのです。です。
 でも私が漢和辞典で引けないのがいけないなあ。虫眼鏡で見て、「漢字林」でひいて分かりました。
 私はちゃんと「漢字林」を詳細に読んでみましょう。

1211180412111805 いやまず困りました。この小説はけっこう漢字名前が面倒で、でも私も必死に書いてきました。でもこの津田玄ばの「ば」の字がでないのです。「くさかんむり」は分かるのですが、その先が私には特定できないのです。
 いつもいつも大変な思いで書いています。この小説の内容よりも、まず私はそれに大変に苦労しています。それでそれが書けません。常に漢和辞典はすぐそばにあります。私のは大修館書店の「漢字林」です。
 どうにも的矢六兵衛のことがかたずかないうちに、時間は先に進みます。この六兵衛のことでは、加倉井隼人のみが苦労しているのでしょうか。いやもう時代12111705は、的矢六兵衛のことなんかどうでもいいのです。もう先へ先へと進むだけなのです。この江戸城でも同じなのでしょう。でもなんとかならないものかと、この私も思います。

 的矢六兵衛と同じ御書院八番組の番士を名乗る侍が、ひょっこり現れたのは数日後のことであった。

 もう私もこの侍で何とかなるのかと期待してしまいます。読んでいくと、なんとなく頼りなげな感じが今までとは違うのじゃないかなあ。
 この侍はどこか遠くの任地から帰参したようです。どうにかならないかなあ。

 長旅に疲れた顔が、じっと隼人を見据えている。12111706

 これでこの隼人の苦労を終わらせてほしいです。もう勝安房も西郷も、みな現実の人間たちは、それぞれ進むのです。でもこの小説の中の人物たちにもなんとか終わらせてほしいのです。

1211170112111702 この加倉井隼人を先頭にする三人の姿は見えるような思いになります。

 数珠つなぎの三人は畳敷の大廊下を、百足(むかで)のごとく足並を揃えて歩んだ。

 でも六兵衛が次に進むのは、大廊下の御詰席なのです。

12111703「お頭。やはり名古屋は、江戸の西備えではないのか。権現様の御台慮を奉じて大天守を上げ、金の鯱鉾を掲げたのではないか」
 言うや言わずのうちに、小源太は二の腕を四角い顔を当てて泣き出した。

 うーん、私はあの金の鯱鉾が名古屋城の天守に掲げられるときに、名古屋で現物を見たように記憶しています。小学5年生だったかな。今では、その記憶もあいまいですが。
12111627 でもこの小源太のいうことと、実際の名古屋人の有様(とくに昭和期以降は)は違うように思いますね。

 その夜から、的矢六兵衛は大廊下殿席に座った。

 そうか、これからどうなるのかな。

1211160612111607  やはりこの小説は面白いです。以下の加倉井隼人の思いがいいです。よく分かるのです。

 何をかくも怖れる、と隼人はすり足で歩みながら考えた。

 そのあとの隼人の思いが、この小説の新的矢六兵衛を適確に表わしています。

12111508 今さら六兵衛が刃傷沙汰に及ぼうはずはなく、子供でもあるまいに物怪に怯えているわけでもなかった。名ばかりの武士に成り果てたおのれ自身が怖いのだ。本多や粟谷は徳川の旗本であり、自分は御三家の陪臣であり、たとえ武士たる者の中身がなくとも、その肩書だけで人を服(まつろ)わせることができた。だがこれから先は、そうした権威が失われるやもしれぬ。ひたすらそれが怖ろしい。
 おそらく御城内に残る侍たちはみな、同じ恐怖を抱いている。・・・・・・。

 うーん、この恐怖にはものすごくうなずきます。
 だが、六兵衛はどこに行ったのでしょうか。
12111601 でも隼人には、あてがあるようです。そしてそのあては、大廊下の御詰席であるようです。「帝鑑の間の次はそこにちがいないと隼人は読んだ」とあります。それが当たっているのでしょうか。
 それはまた明日になります。

1211150112111502 さて六兵衛はどこへ行ったのでしょうか。隼人がいいます。

「騒ぎ立ててはなるまいぞ。朝命が達せられたからには、すでに天朝様の御城じゃ。よろしいな、御両人」

 ただこのときの本多左衛門と粟谷清十郎はこの挿絵のように、実に情けない姿です。でももう隼人も同じ姿と言えてしまうのです。

 ・・・。侍の数珠つなぎとは、はたに見せられぬ図である。何やらおのれの人生までもが情けないもののように思えてきた。
 他人事ではあるまい。長き泰平のうちにおのれもまた尚武の気風を忘れて、臆病に生きてきたにちがいなかった。その証拠に、板戸に映るおのが影も同じへっぴり腰ではないか。

 江戸時代が終わったはずです。だから決起したとか12111414いう彰義隊とやらも一日で終わりました。もう武士なんていうのは、随分前に気概も何もなかったのです。でも今も、自分の身分が武士だったことをいう馬鹿な人がいますよ。今平成の世にですよ。本当の大馬鹿です。

1211110112111102  帝鑑の間に西郷さんが行くのです。そこには当然新的矢六兵衛がそのまま座っているのです。福地源次郎もなんとか早く西郷さんがこの場を去ることばかり考えています。でもやはり西郷さんの目は六兵衛に据えられます。

「オマンサー、ダイヤッドガ」

 でも当然(当然と私も言ってしまいます)、六兵衛は無言です。12111006

 たしかに大器量だと隼人は思うた。相手がわけありと察すれば腹を立てずに忖度しようとする。たいそうな侍ぶりはひとかどの御旗本でござろう。拙者は薩摩の西郷と申す、お名乗り下されよ、と。

 やっぱり六兵衛には答えてほしいです。そして少しは自分の今の存在のわけを語ってほしいのです。

1211100112111002  昨日は、私は「これで私も怖くなりました。六兵衛のことを言うのかな」なんて言っていました。そうじゃないです。まだ帝鑑の間には西郷さんは行っていないのです。怖い、これは怖いです。あの新的矢六兵衛が西郷さんに何かしようとしたら、大変です。あ、だから脇差も加倉井隼人がみな取り上げているのだ。
 でも西郷さんに何か言うだけで怖いことです。でもでも、私はそういうことにはならないのじゃないかな、と思いました。。私は西郷さんも好きですし、加倉井隼人も福地源次郎も、そして何故かこの「黒書院の六兵衛」である的矢六兵衛も今では好きになってしまったのです。
 そして、うまくつつがなく終わるのじゃないか。ずるい言い12110906方ですが、事実歴史はうまく行ったのですから。うまく終わったのですから。

 通訳を聞き終える間もなく、襖が開かれた。

 また明日も待ち遠しいです。でも私の希望通りうまく行ってほしいです。

1211050612110507  新的矢六兵衛から預かった脇差を預ける御腰物部屋に隼人は行きます。そこには刀が収めてあるのです。そこで六兵衛の刀と脇差は一対になります。

 大小を並べてみれば、いよいよみごとな拵(こしら)えである。黒蝋色(くろろいろ)の漆は若く、傷みもない。だとするとこれはやはり、株を買うて俄か旗本となったあの六兵衛が、新調したものだと見るべきであろう。

 それで刀を直接見て確かめます。

「何と鑑(み)る」
 隼人が訊ぬれば、目利きの老役はにべもなく答えた。
「肥前の忠吉。それもこの鉄色(かねいろ)から察するに、後代ではござるまい。いやはや、畏れ入った」12110414

 思えば、江戸時代というのは、実際の武器としても刀というよりも、美術品といったように刀を見られるようになったのでしょうね。
 もう武器としての刀の時代は、もうはるかな昔に終わっていたのです。

1211020112110202  加倉井隼人が新的矢六兵衛に直接面談します。六兵衛が腰のさしている脇差を預かろうということなのです。六兵衛はどうするのでしょうか。

 隼人の脇差は一寸五寸八分の定寸である。腰に差したままでは鞘尻が畳に当たるゆえ、座る際にはむろんかたわらに置く。しかし六兵衛は小脇差の柄を下腹に抱えるように差していた。

12110106 この脇差を預かろうというのです。もう実に怖い瞬間です。さてどうするのでしょうか。いや六兵衛はどうするのでしょうか。
 もう勅使が来るのが明後日なのです。その前に、この六兵衛の脇差を預からないとならないのです。六兵衛は素直に従うのでしょうか。

1211010112110102 熟々慮(つらつらおもんばか)ったあげく、加倉井隼人はついに決心した。
 西郷の真意に思い至ったのである。・・・・・・。

 この隼人の決心は、官軍側すべてだったろろうし、旧幕府側もそうだったのでしょう。そうなると彰義隊なんて何だったのかな。わからずやだったとしか思えません(いやもちろん、私には違う思いもあります)。
 でも今も帝鑑の間に座り続ける新的矢六兵衛の思いは何なのでしょうか。
12103107 この隼人は官軍とは言っても、尾張藩の男なのです。この隼人の今の心情がつづられていきます。
 もう天皇が入城されるのも、迫っているのです。でも六兵衛はそのまま座り続けなのです。

1210240112102402 この伊左衛門の話を聞いていると、「そうか、今までの話は分かったが、この新的矢六兵衛をどうするのだ」という気持です。それは誰も同じじゃないかな。やはり、この伊左衛門にやってもらうしかないのです。
 それはこの加倉井隼人と福地源一郎と私は同じ気持になるのです。いや読んでいる人はみな同じではないでしょうか。二人はこの「自分にはできない」という伊左衛門をひきづり出そうとします。

 やや、待て待て。わしが登城して説得にあたるなど、話がおかしいぞ。たしかに上意下達は武家の本分ではござるがの、今さらわしがやめよというてやまる六兵衛でもあるまい。12102305

 でもそうしたら、どうしたらいいのです。もちろん、伊左衛門には責任があるとはいえないでしょう。でも誰かがやらないと、解決しないのです。

 こら、無礼者。乱暴はよせ。わかった、わかったから手を放せ。おぬしらに力ずくで連れてこられたとあっては恥の上塗りじゃ。
 ようし、上意下達じゃな。しからば誰に言われたでもなく、上司のわしが説得にあたろうぞ。ーーやれやれ、とんだことになってしもうたの。

 誰かがやらないと、ならないのです。剣は強いのでしょうから、銃で殺すことも12102307できるのでしょうが、天皇がこのあと住むのであろう千代田城ではまずい事態なのです。だから、もう伊左衛門にやってもらうしかないのです。
 このことを私も思うのです。
 でもこの挿絵の女性はなんだろう。

20181126010312102107 12102106これで新的矢六兵衛が現れます。だが彼は自分が的矢六兵衛であるとしか答えません。

しばらく睨み据えたあとで、わしはとうとう辛抱たまらずに言うた。
「おぬしは誰じゃ」
居ずまいよくかしこまり、男はわしの胸のあたりに目を留めたまま唇だけで答えた。
「的矢六兵衛にござる」
「他(はた)をないがしろにするのもたいがいにせよ。今一度訊ぬる。おぬしは誰じゃ」
「的矢六兵衛にござる」
地の底から湧いて出るような、低い声であった。ほかには一言も、ウンもスンもないのじゃ。12102102

これでこのままですと、私たちにもこの新的矢六兵衛も解明できません。最後に餅が出てきて、それが好きな伊左衛門は新的矢六兵衛を質せないのでしょうか。
でも明日には少しは何かがわかるのではないかと私は期待しています。

私はこの「黒書院の六兵衛」を読みながら、しきりに12102103夏目漱石を思い出しています。もう随分前からそうなのです。
漱石は偉大な作家であり、私には数々の作品にとても魅力を感じています。その魅力をこの浅田次郎にも深く感じてしまうのです。

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1210200112102002  的矢六兵衛の自宅を訪れた伊左衛門は六兵衛と会うわけですが、これは新的矢六兵衛であるわけですが、まだ伊左衛門にはそれが確証できません。六兵衛の御隠居夫婦は前の通りなのですから。

 夫婦の顔には、何ひとつ翳りがなかった。ともに温厚な人柄であるが、まったく変事を嗅ぎ取ることはできなかった。
 そこでわしは、おのれの頭がどうかなってしもうたかと怖くなった。・・・・・・

 この伊左衛門はしばし待つことになります。新的矢六兵衛を待つのです。

 いつに変わらぬ的矢六兵衛が現れたなら、来世の理由を何と言うべきかと心を悩ませた。

12101903 さて、それで新的矢六兵衛が出てくるのでしょう。どういうことなのでしょうか。原因理由はわかっているのですが、まずは事実を知りたいのです。
 こんな幕府の実態だったとすれば、もう時代は変わってしまうのは当然なのです。

1210170112101702  秋山伊左衛門の話が今日も続くのです。だんだんと新的矢六兵衛が明らかになるようです。

 さればなおさらのこと、この一夜のうちにあやつの正体を暴いておかねばならぬ。ふしぎをひすぎのまま曳きずって、ふたたび勤番につくなどごめんじゃわい。
 金上げ侍。
 ふむ。的矢家の噂は耳に入っておったゆえ、それは考えぬでもなかったの。じゃがしかし、よもやまさかと思うていた。

 うーん、前にも書きましたが、江戸幕府が終わったのは当然ですね。鳥羽伏12101606見の戦いでも幕府軍が大軍でも勝てなかったのは、薩長の方の銃のほうが新式で勝っていたということだと思っていましたが、それだけではないのですね。幕府軍の内情はこんなことだったのだ。「士農工商」と言っても、その最下位の商人の銭の力にはどうにもならなかったのです。

1210161112101612  秋山伊左衛門の話が続きます。正月「三が日の祝儀もおえたゆえ、・・・」と伊左衛門が城を去るときに、

 ・・・馬の前には槍を立て、袴の股立ちを取った若等、鋏箱持ち、草履取りを従えた立派な伴揃えじゃ。ハテ、いったいどなたのお帰りか、見知った御方なら新年のご挨拶をせねばと思うて馬を急(せ)かせれば、鋏箱なる御家紋には紛うかたなく丸に矢筈ではないか。

 これは六兵衛ではないかと、伊左衛門は馬を急かせて追い抜きます。そのときに確認したいのです。

 ・・・。若党はいつもの者で、撥鬢(ばちびん)の槍持ち奴(やっこ)にも見覚えがあった。つまり家来も奉公人も従前のまま、的矢六兵衛だけが入れ替わったことになる。ぞっと鳥肌だった。

 このときの伊左衛門の気持は実によく分かります。こんなことがあっていいのでしょうか。でも伊左衛門はこれを認めてしまうのです。それは明日の話なのでしょうが。
 でもこうする事態にも、明治維新が迫っているのです。こんな新的矢六兵衛が12101505もっと大勢いたのなら、あの事態は、あの江戸幕府は滅びなかったのかもしれません。でもそんな事態はなかったのです。新的矢六兵衛はいなかったわけなのでしょう。
 だから新的矢六兵衛は、小説の中で座り続けるだけなのです。

1210130212101303 秋山伊左衛門の話の話で、的矢六兵衛の旧と新が入れ替わった日のことを桜内藤七が話すのです。それでさらに秋山伊左衛門の話が続くのです。

 武士の心得は一所懸命、おのが持場はおのれが力で守り通さねばならず、みだりに言挙げいたしは援兵を請うも同じ、と教えられておった。

  とはいえ、この事態にはどうするのでしょうか。

 ともかく桜内藤七の証言により、、的矢六兵衛が十二月二十九日の追儺の晩に入れ替わり、見知らぬ六兵衛が知らん顔で翌三十日に登城したらしい、ということはわかった。12101209

 ただ、この新六兵衛は、実に「堂々と勤めを果たしておった」のです。これは秋山伊左衛門も桜内藤七も驚くことなのですが、でも公には語らないのです。
 なるほどな、こういう事態が起きてしまっていたのですね。

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