将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:日曜名作座

11090108   Saturday, October 16, 2004 12:39 AM
了解しました
 私が思うに情熱は体力に比例するのではないでしょうか。でも先生は少し減ったぐらいでは普通人になった程度に違いありませんよ。
 陳舜臣の草原の覇者の1を読みました。何だか漠然とした書き方です。登場人物の会話でも普通は会話から状況などがわかるように計算して書いてあるもですが、会話も普通の人が話すような、ある質問に対してぴんとはずれな脱線した答えをして、聞いたほうもそれで気にしないというような会話です。説話世界の話のような茫洋とした印象を受けます。この作家はいつでもこうなのでしょうか。以前毎日新聞の連載で天球は翔るという作品を連載していたときはもう少し具体的だったと思うのですが。この作品はわざとこういう味わいにしているのでしょうか。ちょっと2を読むのをためらっています。司馬さんと反対ですね。

   Saturday,October 30, 2004 7:37 AM
Re: 了解しました

私が思うに情熱は体力に比例するのではないでしょうか。でも先生は少し減ったぐらいでは普通人になった程度に違いありませんよ。

 いえ、私はそれほどの人間ではないのですよ。とにかく自分の存在にたいした確信を持てないので、いつも空元気ばかり露出している気がしています。

陳 舜臣の草原の覇者の1を読みました。

 陳舜臣さんは、「琉球の嵐」と彼の書いた三国志しか読んだことはないかと思いました。
 私は彼の作品では、「青玉獅子香炉」に一番思いがあります。以下に書いていますが、
 加藤道子さんのこと

  http://shomon.livedoor.biz/archives/51891760.html

 私が昔府中刑務所にいたときに、このNHKの「日曜名作座」の森繁久弥さんと加藤道子さんの、ラジオドラマはとても懐かしいのですが、府中刑務所に入ったばかりの最初のドラマが

  福永武彦「風のかたみ」

であり(たしか4、5週で次のドラマになります)、次が、この

  陳舜臣「青玉獅子香炉」
http://shomon.livedoor.biz/archives/51915099.html

でした。
 私は最初夜、このドラマで、「福永武彦」という名前を聞いたときに、実に驚愕と言っていいほど、いや身体全体が震えるほど、驚き感激したものでした。福永武彦には、彼の小説には、私はものすごい思い入れがあったのです。それで、このドラマを聞きながら、「朗読劇というのも、すごい迫力のものなんだな」と思ったものでした。
 この「風のかたみ」が終ったときに、次のドラマもまた興味をもって待っていたものです。そしてまた「青玉獅子香炉」は、実にいいドラマでした。森繁久弥さんと加藤道子さんの、朗読される内容もその声も今もありありと思いだされます。青玉獅子香炉というのは、主人公が作る贋作なのですが、これは本物と比較しても、むしろそれを上回るのじゃないかというほどのできばえでした。本物を奪うために、贋作が作らされたのです。だがまた、この贋作も盗まれます。その贋作の贋作が作られるのです。
 最後自分の作って、そして盗まれた贋作をニューヨークの美術館で、主人公が眺めています。もう彼はその贋作を作るために、精力を使い果たした老人でしかありません。そして、その隣には、加藤道子さんの朗読で演ずる、年老いた妻がいます。
 この物語を聞いていて、のちに私は40代になって、ある美術関係の大きな会社の社長が(そこに私はまたごく親しい女性と彼の美術顧問みたいな人と、美術品を売りにいきました)、

 「贋作だから蒐集しない」なんていうのは、全然美術が判ってい
  ない人のことだよ

と言われた意味が、私には充分すぎるほど判っていました。
 思えば、この思い出を詳しく話したこともありませんでしたね。私の彼女になった子にも、喋りませんでした。あの「日曜名作座」での加藤道子さんの声が今も私に聞えてくるだけです。

この作家はいつでもこうなのでしょうか。

 ちょっと私には、判りません。私には、上に書いた思い出がずっと私の心に残っている作家なのです。萩原周二
(第222号 2004.11.15)

11032103 先週の16日の朝、通勤の電車の中で読みながら、この「青玉獅子香炉」の最後では泣いてしまいました。私は、いわばこの物語を今回初めて知りました。今まで思い込んでいた「青玉獅子香炉」の話とは少し違う物語なのだなと、始めて私は判ったのです。
 私がこの物語を知ったのは実に36年前のことでした。
「第69回「青玉獅子香炉」」(私のメルマガに書いたものです)にその思い出を書いています。

 (ここに書いています「青玉獅子香炉」の話は、私の思い出の中
  だけで、原作とは少し違っています。登場人物の二人は夫婦には
  なっていません)

 私は1969年1月18、9日のの東大闘争の安田講堂の闘いで逮捕され、やがて起訴されて、2月後半に府中刑務所に移管されました。ここの拘置所の独房にこの年の8月21日に保釈になるまで勾留されていました。当時私にはとても恋している女性がいました。この彼女が、この府中に接見に来てくれたのは、たしか2月の末だと思いました。3月にも面会に来てくれました。彼女はちょうど3月5日が19歳の誕生日の時でした。
 この3月になって、毎週日曜日の夜聞かせてくれるNHKの「日曜名作座」に、この陳舜臣の「青玉獅子香炉」のラジオドラマがありました。このラジオドラマは、森繁久弥さんと加藤道子さんの二人だけでの朗読のドラマです。二人は、何人もの登場人物の声を替えて、すべてドラマが展開されていきます。刑務所での日曜日は、面会も運動もなく食事もものすごく早く配当されまして、何にもない日です。その日の午後8時半から、このドラマは放送されます。
 そして当時は風邪が流行っているとかいう理由で、午後8時には蒲団に入らないとならないのです。仕方ないから蒲団に入っていて、それで聞く二人の朗読劇は、実に心の中まで染みるような思いがしたものでした。
 この物語は、青玉から獅子香炉を作る李同源と、その獅子香炉を作るのに、李のすぐそばでそれを見守っている素英という李同源の師匠の娘の愛の話でもあります。
 青玉であるただの素材を加工していくのには、師匠の王福生は、いつも若い女性にその玉を抱かせてから始めていたのです。

  古めかしい精神主義だったと思っていた師匠のやり方を彼はよ
  うやく理解できるようになった。それは彼が最初思っていたよう
  な、こけおどしのまじないでなかった。
 (師匠は玉を抱かせたり、そばに坐らせる女に惚れていたのだ)
  好きな女がそばにいると、男の心はたかぶる、最も人間的な感
  情なのだ。それを制作に導入すれば、燃焼しつつある人間のぬく
  みが、しぜん作品のなかに表現されるのだろう。
  女人の膚の精を吸うのは、玉そのものではなく、制作者の心な
  のだ。玉はその心をうつし出すのにすぎない。

 師匠の娘素英は、李同源に自分の乳房に触れさせて、「燃えてちょうだい」「まだ燃えないの?」と問いかけながら、彼の玉を加工させます。このことによって、玉のことがどうにか李同源にも判ってきたのです。

  彼は自分の情感が玉のなかに染み込むことがわかった。物心の
  ついたころから、玉は彼の生活のなかにあった。まだ若いとはい
  え、玉とは深い縁を結んでいたつもりだった。だが、素英の乳房
  にふれてから、彼ははじめて玉器のつくり方を知ったという気が
  したのである。

 これによって、この青玉獅子香炉は完成します。
 この時代は、ちょうど辛亥革命の頃です。そして中国は清朝が滅びまして、日中戦争になり、そしてそれが終わったら国共内戦が続きます。もともと、この青玉獅子香炉は、清朝の乾隆帝の時代の作品を、ある宦官が盗んで米国人に売り、それがばれないように作らされた贋作でした。だが李同源はその贋作を作るために何もかもをかけたのです。
 この李同源の作った贋作を、彼はあくまで大事な憧れをもって見つめていきます。そして激動の歴史の中で、この獅子香炉はあちこちを展転としていきます。彼にこれを作るのに燃えさせてくれた素英も、別な人の妻となります。李同源にはもはや、この青玉獅子香炉しかありませんでした。
 やがて、やっとこの獅子香炉をやっと台湾に逃れさせたと思ったときに、この獅子香炉を入れた箱を開けると、それはまた別の贋作になっています。彼が作った獅子香炉はまた別な人間に売られてしまったのです。そしてそれは米国の東部に運ばれています。

 最後に、年老いた李同源はこの米国に渡ります。とにかく、あの獅子香炉に会いたいのです。そばには、年老いた素英がついています。その最後、獅子香炉に会える寸前に、李同源は倒れます。そしてそのときに、そばにいる素英の乳房に触れます。

 36年前に独房の中で聞いたラジオドラマでは、この二人の長い時間歴史の中の男女の触れ合いをとても重く感じたものでした。加藤道子さんの、声を今もありありと思い出せます。
 そして私は李同源とは違いますが、私もまた遠くまで来てしまったな、そしてあのときの私の恋した女性とは、李同源と同じように結ばれず、これまた遠くまで来てしまったなという思いばかりです。

 この本をある古書店で見つけて、買いました。だがどうしても本を手にとって読み始められませんでした。あの36年前のラジオでの感動と、府中刑務所の接見室で会う、当時の恋した女性の思い出がわき上がってくることがただただ怖かったものでした。でもやっぱり読んでよかった。36年間がそのまま今やっと繋がった感じがしています。(2004.12.20)

10123110 NHKラジオの長寿番組「日曜名作座」で人気の声優、加藤道子(かとう・みちこ)さんが31日、すいぞうがんのため東京都内の病院で死去。84歳。葬儀の日取りは未定。 1941年NHKの東京放送劇団養成所に入り、女性声優の草分けとして活躍した。森繁久弥さんと2人で出演するラジオドラマ「日曜名作座」は、57年から続く人気番組。1日も石森史郎原作の「東洲斎写楽」の放送が予定されている。第1回紅白歌合戦の司会も務めた。(毎日新聞2月1日)

 毎日新聞の訃報欄で、加藤道子さんが亡くなったことを知りました。私は新聞を手にしたまま声をあげましたが、妻は彼女のことを何も知りません。なんだか、何もいえないまま、ただただ彼女の声を思いだしていました。
 私が1969年1月19日に東大安田講堂で逮捕され、東京東調布署に収監され、起訴されたあと、たしか2月の20日頃、府中刑務所に移管になりました。府中刑務所の中の拘置所にい入れられたわけですが、ここでは、府中刑務所の中と同じに管理されていきます。留置場と違うと感じたのは、収容されたのが、独房であること、メシが驚くほど美味いことなどたくさんありますが、一番驚いたのは、房に入ってすぐにラジオの音を聞いたことでした。私がこの府中刑務所で、最初に聞いたラジオの音が、いしだあゆみ「ブルーライトヨコハマ」でした。
 このラジオで聞かせるのは、スポーツは相撲と野球(もう巨人戦ばかり)、音楽番組、そして府中刑務所内の出来事の放送です。その中で、日曜日夜には、たしか午後8時半から30分NHKの「日曜名作座」を聞かせてくれていました。午後9時に消灯となり(消灯といいましても、独房の小さな電灯はずっとついています)、もう眠らないとなりません。とくに冬は、午後8時には蒲団の中に入らなければなりません。8時からは1時間ラジオ放送を聞くだけです。 この「日曜名作座」で朗読(というより声優さんでしたね)をしてくれていたのが、森繁久彌さんと、この加藤道子さんでした。二人は登場人物が何人いようと、二人だけで声を変えてその人物を演じていました。
 たとえば、このことは「宮本武蔵」を例にしていうとすると、おばばと朱美とお通の声をすべて加藤道子さん一人で演じきるということを想像すると判るかと思います。これはすごいことですよ。
 独房の中、蒲団に強制的に寝させられて聞く、この物語は、ものすごく独特なものがありました。とくに、日曜日は、面会接見もないし、運動の時間もないし、風呂(風呂は5日に1回)もないので、朝からまる1日中ずっと独房の中です。そして日曜日は何もかもが早く処理されてしまい。朝食は午前6時半頃で、いつもと同じなのですが、昼食が午前10時半頃、夕食が午後3時頃で(世話焼きの懲役の人たちが、とにかく早く早く仕事を済ませたいのだと想像します)、それから眠るまでの時間が長いのです。
 その日曜日の最後に、この「日曜名作座」があったのです。
 ちょうど、三上治さんも、この「日曜名作座」をよく覚えていたようです。

  ある女優のこと(このサイトは、今はなくて、もう見ることができません)

 たぶん、5週間くらいで、一つの物語をやっていました。私が入ってすぐの3月では、福永武彦「風のかたみ」をやっていました。私はこの福永武彦には、特別の思いがあり、感動感激して聞いていました。あとよく覚えているのは、たしか5月くらいにやっていました、陳舜臣「青玉獅子香炉」です。内容にも感動でしたが、やはり森繁さんと加藤さんの声の交換の運びが良かったものです。実に今になっても、お二人の声をありありと思いだしてしまうのです。
 こうして加藤道子さんが亡くなりましたことを知り、あらためて彼女に、あのときの放送を感謝致しまして、そして彼女の冥福を祈ります。(2004.02.16)

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