私が長年参加しています草の根パソコン通信ネットで、ある「GUEST」の紹介で知った本です。

書  名 失敗の本質 日本軍の組織論的研究
著  者 戸部良一、寺本義也、鎌田伸一、杉之尾孝生、村井友秀、野中郁次郎
発行所 中公文庫
当初1984年5月ダイヤモンド社より刊行

11011402  買ったその日に電車の中で、またたくうちに読み終えました。なんとなくこの著者たちに、もうちょっと書いてくれないかなと不満になったところです。
  著者のうち、野中郁次郎という大学教授は経営学の先生であり、経営管理に関する本はいくつか読んでいたことがありましたので、そうしたことへの応用できる大東亜戦争の敗北の総括なのかななどと予想して読みはじめました。

  第一章の事例研究ですが、これは少々解説不足すぎやしないかなと心配になりました。大東亜戦争にはじめて触れる読者を想定すると、これではなんだかよく分からないのではないでしょうか。それとも、あらかじめもっと違う本を読んでからこれに入ってほしいというのか、それとももっと詳細に知りたいのなら、また以下の本を読んでほしいというのか、何も書いてありません。巻末に掲げてある参考文献ではあまりに一般読者向けだとは思いません。そうですね、私が推薦するとしたら、人物往来社の「日本の戦争(全8巻)」でしょうか。それに児島襄が書いている各歴史ものもいいかもしれません。
  例えば「インパール作戦」の章では、この作戦の実際の情況は少しも書かれておりません。これでは実際にインパール作戦に参加した人たちも、読んで不満だろうし、まったく初めてこれを知ろうという人も不満なことではないのかと思いました。当時のビルマの戦略的位置、かつなんでインドのインパールなのかなどということがさっぱり分かりません。チャンドラ・ボースの自由インド独立軍のことなど、少しは書いていただきたいものです(1行は書いてある)。

  さて問題は第二章、第三章なのです。ほぼ他でも言われてきたことが書かれています。そしてその結論に私はほぼ異議はありません。だがこれまた不満なのです。もう少し書いていただきたいのです。これを経営に応用するとしたら、もっと詳細に事例との兼ね合いで細かく書いていただきたいものです。
  また例を上げると、なんでもいいのですが、よく日本刀の好きな人と話したりしていて(私にはこうした友人が何人かいます)、言われることから思い出してみます。アメリカ軍等は、やはり日本軍の白刃をきらめかせての切り込みが非常に怖かったというのですが、これはどうなのでしょうか。今もこう思っているむきがあるということなのですが、これはこのなかでのガダルカナル作戦の一木清直大佐の言動他(ただし私が補うのです)で見ていきましょう。

    同大佐は、帝国陸軍の伝統的戦法である白兵銃剣による夜襲をもっ
  てすれば、米軍の撃破は容易であると信じていた。
                (「第一章…………ガダルカナル作戦」)

  私が思い出す限りの一木大佐の言動です。

    一発の銃も撃つことなく、白兵による肉弾攻撃、白兵による白兵攻
  撃で川を越えて占領する。

 しかし、あまりの米軍の猛烈な銃火の中、この一木部隊は次々と倒れていきます。一木大佐はあまりのことに茫然自失として、なんらの事後処理も部下に伝えないまま自決してしまいます。
  これを、会社の経営で考えてほしいのです。ある営業あるいは企画制作等の最前線にいる責任者が、突如辞職したりしたらどうなるでしょうか。本来はこの戦いへの会社自体のとりくみかたが間違っているのですから、そのことを彼は指摘すべきなのです。
  この会社自体のとりくみ、すなわち日本陸軍の白兵銃剣による突撃こそが有効などということ自体がおかしいのです。このことは陸軍は充分判っていたはずです。

  西南戦争のおり、政府軍は薩軍の白刃をきらめかせて猿響をもって(猿響とは薩摩示源流の掛け声で、それで大上段で一撃できりこんでくる)が大変に不安でした。事実どこでも薩軍に政府軍は切り立てられている。よくテレビ映画などは、これに対して、政府は東北などの旧氏族からなる抜刀隊なるものを組織(事実これはやりました)して、それが効果あったかのようなことを言っていますが、事実は薩軍の白刃攻撃に勝ったのは、大量の銃火攻撃です。薩軍と同じ薩摩人であった政府軍の西郷従道、大山巌は薩軍の白刃攻撃をよく知っていましたから、それに勝利するためには、それより強い白刃攻撃できる部隊だなどとはいわず、大量の銃弾薬が必要なことを主張し、実行しました。実に田原坂の戦いでは驚くほど大量の弾薬を使用しています。
  このことは陸軍参謀編纂の「日本戦史」に詳細に記されています。また例えば、日露戦争においても、騎兵隊を率いていた秋山好古は、ある戦闘においては馬を捨てて陣地戦をやるなどという臨機応変なことができています。騎兵が馬からおりたら戦力は激減しますが、そのまま馬で露軍の銃火に突撃したとて無駄な場合は、そうした対応ができる軍人がいたのです。
  そうした日本陸軍であるはずなのにどうしてこの一木大佐のような軍人が生まれてしまったのでしょうか。

    帝国陸軍は、西南戦争や日清戦争を通じて、火力の優劣が戦闘のカ
  ギとなる要因であることを知っていた。現場第一戦では、日本軍火砲
  の射程や威力不足について不満が多かった。しかし、いずれも戦争が
  終ると忘れられ、日本軍の軽砲主義は大東亜戦争まで続くことになっ
  た。近代戦の要素を持っていた日露戦争を経験しても、西南戦争に従
  軍した指導者は、過去の薩軍の突撃力がきわめてすぐれていたこと、
  露軍が歩兵の格闘を重視し実際白兵戦闘が強かったこと、旅順戦にお
  ける二〇三高地の最後の勝利は肉弾攻撃であったこと、などに思いを
  はせて、結局は銃剣突撃主義に傾倒していった。
                   (「第三章…………日本軍の環境適応」)

  この説明で納得できるでしょうか。旅順港攻略戦に於ける勝利が何だったのかは陸軍は充分分かっていたはずです。
  私はもうすこしさまざま事例と関連ずけて書いていただきたかった。もしも経営する人たちに応用してほしいと考えるのなら、もうすこし丁寧に説明いただきたいと思ったものです。
  それにしても、日本軍の敗北の本質を生んだ日本軍の資質が、日露戦争から引き続いた流れの中にあるものだというような書き方は読んでいて、感心したところです。それも説明不足なような思いは残りましたが。

  ちょっと上に述べたことだけでは、まだ言い足りないなと思うところがあります。さらに何か書いていきましょう。
  私は随分前にコンサルティングしたときの事例です。

  ある人の紹介で私の事務所に二人の人が相談にきました。ある会社の社長と営業の部長さんです。そこは現在FAXを拡大販売するのである企画を進行中でした。紹介される時に少しはなにか資料的なことを言ってもらっていればいいのですが、何も聞いてはいなく、ただFAXを子どもの学習をするということで大規模に販売したいということだけでした。企業の規模とか、予算とか、どんな会社なのかは何も聞いていませんでした。いわば突如おいでになったようなものでした。
  話を聞くと、この企画は小中学生に勉強を双方向で教えことができるFAXを家庭に入れませんかという営業手法で、もう一部進行していて、あまり販売台数はたいしたことはないのだが、学習教育について担当にしている学生アルバイトと一部の子どもたちとの電話による対話(FAXによるやりとりではなく、電話でのおしゃべり)がかなり活発で、これならもっと可能性があるのではないかと全国展開をしてみようかというような段階であるとのことでした。ただ不安だから、愚痴を話してしまい、それをきいたいわばいい人の紹介で私のところへ来たのです。
  私はまず以下のように話しました。

  1.このFAX販売の手法は過去、私が知っている限り3つの会社が
    試みているが2社は完全撤退。1社はまだやっているが、もうすぐ
    やめると思われる。
  2.貴社のこの企画自体がポリシーも、細かい戦略もなにも感じられ
    ないこと。

  1ではまず有名な大手出版社(当然に相手にはこの社名等々は教えています)がこれを試み、現在はやめたが、それで会員になった子どもたちの事後処理で苦労している段階であることを話しました。ここでも、学習指導の中で、FAXだけでは対応できず、電話による直接指導を補助としてうたいだしました。その担当者である学生アルバイトと子どもたちとの電話による対話は活発になりましたが、それはもう別に授業料を設定することはできず、FAXのみによる学習は無理なことを証明するだけで、FAX機の販売自体には結び付きません。

  またこの出版社がこの事業から撤退したころ、ある編集プロダクションの社長が同じような企画で私のところへ相談に来ました。まずこの社長は、いったいDMによる確率はどのくらいなものかなどということのみ電話で聞いてくるため、私は「そんな問だけでは答えられない」と、少し詳しく聞いていくと、またここも大変な泥沼に入りこみそうなので、直接来てもらって話すことになりました。この企画は当然FAXの販売元が熱心で、この社長の会社にやらせようということなのです。それとこの社長は偶然ある地区の中2、中3の名簿を2千名ばかり手にいれたのでそれとさらに名簿を手に入れてDMをうってみようかと考えていました。私は2千の数ではまず問い合わせすらゼロであろうということをいい、さらに数万の名簿を得たとしてもたいした結果にはならないだろうことを言いました。さらに予定しているDMの案を見ました。私はもう呆れてしまいました。こんなコピーで生徒が集まるわけがないのです。でもなるべく刺激的にいうのは可哀想だから、まず数を限ったDM数でやって、それから判断したらどうかといいました。逆に例えば半端に15人が応募してきたらどうするのだといいました。15台機械が売れて、販売店はいいかもしれないが、貴社はその子どもたちを何年か見ることができるのかと言いました。あとで聞くと、この社長は3千のDMに限定してやったようですが、問い合わせの電話すら1件も無かったようです。

  もうひとつは関西の学習塾ですが、これは来塾している生徒を対象にしてFAXによる指導をやりはじめました。日経流通新聞の記事によると、塾長は成功しつつあると判断し、さらにこのFAX指導のみの入塾生徒を増やしたい、増やせるといっていました。私はここがまず現実に教室運営をしていること、そこに来ている生徒に導入したもので、今後まったく新たにこれで生徒募集しても駄目だろうと思いました。これはそののち私のいうとおりになりました。  次に2はまことに失礼な問であるのですが、私はさまざま聞いていきました。

  (1) まず本当にFAXで学習教育できると考えているのか。
  (2) その学習内容とは、一体「補習」なのか「進学」対象なのか。教
    材はどうするのか。
  (3) FAXを販売する相手としては、誰でもいいのだろうが、この
    FAX学習の対象は一体どの学年なのか。小学1年生も高校生も扱
    うのか。
  (4) いったい学習の教育を指導する部隊はどうするのか。
  (5) 以上のようなことでFAX売った代金と、受講料をとったとして
     も、割りがあうのか。
  (6) いくらの予算でどう収支計画、資金計画など組み立てているのか。

  (1) では、最初問題は郵送して、それをFAXで送ってもらっても、添削したとしても、1色のFAXでは赤ペンは使えず、それで「赤ペン先生進研ゼミ」にすら勝てるのか。そもそも売るFAXはA4版形までの機械だが、いまのテスト問題にはA4版形なぞないのだから有効に使えるのか。
  (2) では、進学対象としたら営業の最前線の二人が、例えば早稲田中学、早稲田実業、早稲田高等学院の違いすら知っていない。またいわゆる男子ご3家の麻布、開成、武蔵の3つの入試問題の違いをいっても感心して聞いているだけである。その他いろいろな学校の問題を例にしても、分かっていない。埼玉公立高校入試では国語に必ず作文があるとかかなり県ごとに違いがあり、また「進学」だけでなく「補習」もやるとなると、いったい教材はいくとおりつくることになるのか。小4~6年としても、進学で3(学年)×4(科目)、補習を別にするとその倍の問題作成が必要になる。問題つくるには、作成する側とそれを校閲する側もいることを伝えた。堂々と「独自の教材問題で」などと広告しているので、作るわけだから、これは大変なことです。
  (3) 小1の親がFAXを購入して、子どもが入会してきたらどうなるのか。そして北海道と沖縄と千葉の子どもというようにアンバランスに入会してきたら、公立高校への受験指導などできるのか。 
  (4) では、こうした指導する部分は当然社内にいなければならないが、どう予定しているのか。かなり強力な指導者がいなければ無理だと思われる。相手はできたら私(私の話に感心したようだ)にやってもらえばなどといいだす始末である。
  (5) では、もうどう考えても、1人あたりの受講生からの収入でコストが見合うわけがないのではということ。
  (6) では、ではこうした企画で、いったいどれほどの予算で、いったい何台の販売何人の受講で損益分岐点がクリアできるのか考えてあるのかということです。なんにも考えていないようです。

  以上のようなことで、広告宣伝を実施したとして、仮に20人くらいが購入応募してきたとしたら、もうそれは丁寧に説得断ればいいが、また仮に全国からバラバラに50人くらいが購入受講してしまったら、それこそ半ば成功などと思いがちで、そのあとのフォローが大変でそれこそ泥沼に足を突っ込んだ状態になってしまう。だからいまのうち、この企画をやめたほうがいいと私はいったわけです。
  相手の社長は感心して聞いていながら、考え考え、重々しく次のようにいいました。

    先生のお話はよく分かりました。たしかにそのとおりだと思うので
  すが、先生みたいな立場には分かりにくいかもしれませんが、会社と
  いう組織はいったん企画を決め、動き出しているからには指揮してい
  る私はこれをやめるわけにいかないのです。これでやりとげるしかな
  いのです。

  これこそ日本軍の各指導者が陥っていった失敗の本質ではないでしょうか。あいまいなポリシーといいかげんな戦略のもとで、少し走りだしたからといって、もう止めることができないのです。それが総指揮官たる社長ができないのです。
  私はさらにたくさん話しました。「いや、会社というものはそうではない。そう思い込んでいるプロデューサー、マネージャーしかいない会社と、もっと柔軟に対応できるあたりまえの会社があるだけだ」と言いました。
  さらには、それでもまだやるというのなら、まずはサンプルケースとしてある地域のみに限定して広告宣伝し、そこでの損益分岐点を設定し、それがクリアできないなら、すみやかに撤退する、もしも私のいうとおりにならなかったら、おおいに私を笑い、全国展開したらいいではないかといいました。

  二人はかなりお礼をいい、かつ暗い顔で帰っていきましたが、私の忠告どおり、限定した地域のみでやったようです。でもやはりうまくいかないで、最前線の部長は、その後長く入院してしまうほどの大打撃を受けたようです。

  こうして私がこの事例を書いているのは、こうした企業の形があの日本軍の敗北の中からもくみとれるのではということです。最初からポリシーも戦略も目的もあいまいなまま始まった数々の作戦、たとえばレイテ作戦だとて最終目標が栗田艦隊には大本営の意図と同じだったとは思えません。だから、レイテ直前で転進して北上してしまう。レイテで米軍をたたくのか、米国艦隊と派手に艦隊戦をしたいのか、あいまいなままです。これが練られていないから、あのような転進になります。学習指導をうりものにして、FAXを売るというのも、あまりに練られていないから、途中で生徒と指導部との電話による会話が盛んになると、なにかそれが意味あるように思い込んでいきます。そしてレイテ作戦ほどまだのめり込んでいない、私に相談した会社も、作戦を中止することができないのです。
  こうした大東亜戦争、三国志、ナポレオン戦略、孫子等々から私はかなり経営に関してもコンサルティングしてきました。だが、それだけではどうにもならないような会社や経営をよく見てきてしまったものだと思います。
  私はこの「失敗の本質」に、もっと各作戦の事例により、より詳しく解説しただきたかったことと、だがそうしたって、いったい各経営者のうちには参考にすらできない資質のところも多々あるのだよと思ったのです。(1994.11.01)