将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:日経新聞

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「周の孫たち」はよく読みました。だけど全部は読めませんでした。

2016/04/30 05:07もうこれで書いて行きましょう。今朝は0時5分に目覚めました。そして将門Webの「周の孫たち」を読み続けていまして、そのうちリビングに来て、しまいました。
 今は起きて日経新聞を読みました。
2016/04/30 06:37もうこうして6時30分を越えました。
2016/04/30 06:59血圧を計りました。
 06:54
  最高血圧154
  最低血圧 79
  呼吸   61
 こうして毎朝計っていきます。
2016/04/30 07:14野球賭博の話は実に嫌なことです。16042416
2016/04/30 07:56もうすぐ「とと姉ちゃん」です。


 思えば、私は賭博と煙草は嫌いなのだなあ。

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 12時から愛接骨院なので、それの10分前に家を出ます。

2015/06/03 05:39こうしてもうリビングです。「日経産業新聞」と「日経MJ」と「日経新聞」は読みました。いつもこの順で読みます。ああ、最初は「日経新聞」の折込広告を読みます。ほかの2紙はまず折込チラシはありませんが、つい1ケ月前くらいに「日経産業新聞」にチラシが入っていたことがあります。あるお墓に関する広告チラシでした。豊島区巣鴨のお墓のチラシでした。私はそれで自分のお墓はここにしようかななんて思ったものです。自分のお墓はどこかに決めないとならないのです。巣鴨なら大昔私が住んだことのある(私はまったく記憶はありませんが)ところだから、いいかなという思いです。
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2015/06/03 06:56こうしてまたこれを開きました。
2015/06/03 10:36今日は12時に愛接骨院なのです。それまではこうしてこれで書いて行きます。
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 折込チラシで感じることは今はみな印刷判形がA版(多くはA3両面、ごく少数でA4、A全もあります)なのです。B判はまずありません。たまにあると、つくづくそれを見つめてしまいます。

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 このポメラで「日経新聞の44面に………あとで将門WebでUPしましょう」と書いているのに、やっていません。駄目だなあ。

2014/12/04 06:47今日は6時05分まで眠ってしまいました。
 日経新聞の44面に「中島貞夫『菅原文太さんを悼む』」がありました。ものすごくいいです。あとで将門WebでUPしましょう。
2014/12/04 07:02またこれを将門WebにUPするときにいくつものことをやります。

2014/12/05 00:20もう起きてしまいました。
 結局テレビをつけて聴いています。画面も見ています。
2014/12/05 00:41今日は金曜日なのですね。
2014/12/05 01:58これでUPしてしまいましょう。
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 もう金槐和歌集のことはUPしたのですが、そこで天智天皇・天武天皇・持統天皇のことを思い出していました。もちろん、額田王のことも思い出していましたよ。
 結局源実朝もこうしたことを思い浮かべていたのだろうな。

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 XDR-63TVは実に使います。

2014/08/22 19:21リビングでテレビを見ています。
 どうしてもテレビに見入ってしまいます。
 ただ今テレビは消しました。ばあばが帰ってきたら、三人の孫のことを聴きます。みんな元気なのかなあ。

2014/08/23 03:45またリビングにいます。今フジテレビを聴き始めました。いやあちこち見て聴いて決めました。
 昨日帰ってきたばあばから三人の孫のことを聴きました。もう三人はとっても面白いようです。ああ、会いたくてたまらないです。おはぎが私を心配することも聴きました。
 25日(月)にはなんとしても夕方いくつもりです。そのときに王子北口のコージーコーナー王子店のお菓子(ケーキではなくて)を持って行くつもりなのですが、それを懸命に考えています。14081701
2014/08/23 05:52少し眠りました。
2014/08/23 06:08今日経新聞を読みました。
 今はテレビの音を出しました。


 こうしてテレビを聴いていることが多いですね。だから電池を替えることがしばしばです。

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 今このポメラを書いて、また将門WebにUPするために自分の部屋へ来ました。

2014/02/18 17:25今おはぎの家です。17時10分頃写真を撮っていたら「じいじ」とポコ汰が声をかけてきました。それで一緒に家に帰ってきました。

2014/02/19 02:55今私は褌を締め直しました。実際に自分の赤ふんを締めなおしたのです。大昔すごい美女がこの言葉を言ったのでしたが、私はそのときに自分自身の赤ふんを思いました。
 昨日の夕方の3人の孫を思います。ミツ君が帰ってきて、ポニョと医院へ行ったのでしたが、ポポが「自分も行く」と実に大変でした。「ポポはどこも悪くないのでしょう」と言いきかせるのが大変だったのです。
 前に聴いたのですが、ポコ汰とポニョとポポに300円を持たせて駅近くのセブンイレブンへ行かせるときのことを聴きました。3人はしっかり手をつないで行ったそうです。三人だけで買物をするのは初めてのことだったのです。
 思えば、こうしてだんだん大きくなるのでですね。おはぎもブルータスもそうでした。みーねえもそうでした。いや私こそが同じことがあったものでした。
 そうそう。昨日ポコ汰と帰ったときに、「何年か前に、『ポコ汰ちゃん………』と声をかけてきたおばちゃん、ここらへんに住んでいたけれど、どうしたかな?」と言いましたが、ポコ汰は近頃は見かけないということでした。何もかもが遠くへ行ってしまうのですね。14021207
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 そういえば、上に書いた美女がこのおはぎの家に来ます。この人についてもポコ汰と話したものでしたね。
2014/02/19 04:13今日経新聞を読みました。日経新聞そのものには私はいいたいことがありますが、まあでもいいや。思うことを全部書いていたらもうたまらないですね。
 この文を書いた最初から、私の頭には「〜志を果たして、いつの日にか、帰らん〜」という「故郷(ふるさと)」の歌が浮かんでいました。私には故郷がありません。
 いや、私には、故郷といえるのは札幌かなあ。名古屋かなあ、名古屋南区若草町、千種区今池、北区大曽根。鹿児島市東千石町、原良町。横浜港北区篠原町。浦和市(ここは3カ所住みました。それぞれみんなよく覚えています。鹿児島の原良町住んでいたときに、私は今もよく思いだし反省することがあります。高校から下宿先へ帰るときに、路の真ん中で寝ていた犬を足でトンと道を踏んで起こしたことです。その犬の迷惑そうな顔を思い出します。それをいつも思いだし、「あの犬に悪かったなあ」と思い出していたのでしたが、いやいやそうじゃない。路の真ん中で寝そべっていたのです。あの当時でも車でも自転車でも迷惑です。起こして「駄目だよ」と教えるべきなのです。今やっとそれに気がつきました。私はいわば、いいことをしたのです。
 その他、生まれたのは茨城県佐貫で、千葉県我孫子にも長く住みました(全部でここ我孫子は4ケ所住んでします)。東京は全部で3ケ所です(ああ、府中刑務所入れると4ケ所ですが)。
 思えば私がこの「故郷(ふるさと)」と思われるところは、みな嫌いです。
 それでも今でも私が好きなのは、秋田市と沖縄です。今も(昨日も)おはぎの家に行く路で秋田を思い出していました(秋田も2ケ所住んだのですね)。沖縄はすべてが何と言ったらいいのか分からないくらい私の好きなところです。14021210
 あ、この王子も好きですよ。柳田公園なんか、いつ歩いても好きなところです。
2014/02/19 05:43思えばこの王子も私にはいいところ、いい町ですね。


 ときどきいくつもの故郷(ふるさと)を思い出しています。いくつもの町を思い出すのです。

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 朝日経新聞を読みまして、NHKテレビを見ながら、これを書いています。

2013/12/12 05:40これを書くときにいつも前日に書いたものを見てしまうわけですが、昨日11日は少しも書いていないのですね。ものすごく反省します。
 毎日それほどUPしていない感じがして、ものすごく反省です。やることがたくさん出てくるのですね。
2013/12/12 05:51今度の日曜日15日には兄莞爾の49日です。湖北の正泉寺へ行きまして、義姉たちと会い、お寺に挨拶して萩原家の墓をお参りして参ります。そのあと柏そごうで食事会をします。そうした連絡はみなケータイメールでやっています。インターネットメールもものすごく使いますが、ケータイメールはもう欠かせません。私はIS01も常時持参していて、外ではこれで書いているわけですが、すべてケータイメールはいったん私のケータイを通します。もうパソコンはノートパソコンは持って歩きませんので、外ではすべてIS01とケータイばかりです。
 IS01はスマートフォンなわけですが、外ではこれで書くのと、ケータイメール(いったんケータイに送りまして、それから送ります)をよく出しています。13121007

 昨日はあとで見ますと、義姉や弟、妻や私の次女とのケータイメールのやりとりがものすごい数(今度の15日に関するやりとりです)です。もう前の手紙やインターネットメールや携帯メールには戻れないですね。


 私の将門Webでは「IS01ブログ」が一番多いアクセス数なのですが、実態はこのポメラのほうが書いています。

13100607 この6日はじゅにの運動会へ行きました。

2013/10/05 12:07なんだか日経新聞の、けんと植木、勇太と安兵衛のいうことに涙が出てきました。次郎長はやはり偉かったのだなあと思いました。
2013/10/05 19:07今ばあばが帰って来ました。明日行くブルータスの家に持っていくお土産を買って来てくれました。私もじゅにへのもって行くものがあります。13100608
 それをじゅにが身に付けてもらうことを今から予想しています。喜んでくれるはずです。

2013/10/06 06:45今日はブルータスとじゅにのところへ行きます。じゅにの運動会です。いつもの「はやく起きた朝は…」は一瞬見たものです。
13100609 またバスの中ではIS01を打って行きます。ケータイメールも出して、このポメラも打つでしょうね。
 また忙しくIS01を打って行くことでしょう。
2013/10/06 10:08今はじゅにの運動会会場です。もう大勢の人が来ています。
 私が両脇のベルトにつけているデューロカーゴは常時つけているから、よくないようです。眠るときは寝返りを打てないから、それがいけないようです。そうなのか。夜眠るときははずします。それが大事なようです。13100610
 今は運動会の開始です。
2013/10/06 10:25今は最初の体操です。あ、駄目だ。私はすぐ涙を流しそうになるのです。ここで泣いちゃいけないよなあ。
 今開会式が終わりました。
 もう競技が開始しています。
2013/10/06 10:37いい運動会です。じゅにも懸命に走りました(バキーを先生が押してくれていました)。
 みんな一生懸命に走っています。
2013/10/06 10:52いいなあ。また次の競技です。13100611
 いいなあ。みんなこの中に潜っているのです。
2013/10/06 11:01こんどはパン食い競争です。じゅにもブルータスママと頑張りました。
 こうして子どもの運動会ですと、私は札幌の幼稚園での運動会を思い出します。あれは昭和28年のことだったかなあ? 懐かしく思い出す思い出なのです。
2013/10/06 11:15今は記念写真を撮っています。
2013/10/06 15:54今は帰りのバスです。じゅにとブルータスママとナオキ君が市役所前のバス停まで送ってくれました。
 じゅには朝10時からの運動会で、その後昼すぎまで頑張っていい子でいました。午後1時30分頃には家へ帰ってまた楽しく過ごしました。
 でもさすが、ナオキ君パパの腕の中では眠ってしまいました。
2013/10/06 16:10少し前に、私が急に鼻が出てきまして、当然鼻をかみました。こんなことはかってなかったです。
 今東京湾の上で渋滞です。海ほたるまで時間がかかるようです。仕方ないなあ。13100612
2013/10/06 16:36けっこう渋滞です。まだ東京都に着きません。あ、東京都です。夕陽がまぶしいです。
2013/10/06 16:42東京駅着いたらもう暗いかな。

 今日はおはぎの三人の孫に会いに行きます。あそうだ。昨日帰ってきて、王子のイトーヨカードーへ行きましたら、偶然おはぎに会えました。もう今日7日は上中里の三人のところへ行きます。ああ、おはぎ家族は昨日は国技館の高見盛の断髪式に行っていたのでした。

13071601 以下にも書きましたが、同じ事態が今日起こりました。

日経新聞を受け取ってきました
また新聞が違うものが入っています
2012年9月7日のポメラ

 もう電話してもどうにもならないことを過去知っていますので、私は歩いて、新聞とチラシを以下にそのまま届けました。

  日本経済新聞販売店王子専売所 - 北区-新聞社:マピオン電話帳

  しかしこれは、朝4時頃入れられて、その後30分後に再び入れられたのです。どういうことなのでしょうか。
 私は長年自宅では毎日新聞をとってきていました。事務所では、日経産業新聞、日経流通新聞、日本経済新聞を購読していました。だが、こんな繰り返される事態は始めてのことです。そして、また繰り返されているのです。

13063002 こうしていつもこのポメラで書いています。

2013/06/29 06:29日経新聞を見て、記事下の広告で「南川高志『新・ローマ帝国衰亡史』」を見ます。

 帝国を滅ぼしたとされる「ゲルマン民族」は実は実在しなかった? これまでの定説を問い直す、二一世紀の衰亡史。

とありましたので、これは読みたくなりました。図書館に予約しても莫大な時間がかかるでしょうから。買おうかなあ。
2013/06/29 07:50またテレビの前に来ました。また「あまちゃん」を見にきたのです。
2013/06/29 12:21今もりあ歯科医院へ行きまして(ばあばも行ってくれました)、それで帰ってきました。そして守谷院長に私の手紙をお渡ししました(受付の方に渡したのです)。私は話し言葉よりも書き言葉のほうが好きなのです。13063003
2013/06/29 19:14上の南川高志さんの本は北区図書館で予約しました。順番が何位だかは、今はまだ分かりません。後で分かるでしょう。

 今見ましたら、予約順位は2位でした。これなら本を読んでも捨ててしまうことはありません。昨年の11月30日に予約した「高野史緒『カラマーゾフの妹』」はまだ26位の順位です。いつになったら読めるのかなあ。

1305080113050802  こうして今はこの小説を読むために、日経新聞が来ることが待ち遠しいです。昨日は朝刊は休刊日だったのですね。
  この小説はインターネット上では読めないのです。この将門Webのサイドバーで、日本経済新聞Web版のバナーが置いてあるのですが、そこから入ってもこの連載小説は読めないものなのです。だから、こうして紙の新聞で読むばかりです。

「ほう、皇族方がかよわれる女学校か。そいつァすげいや。さすがは東大出の秀才の娘さんだ」
 芝栄が大仰に感心すれば、清太郎と麟助もうなずく。三人とも酔眼だ。

 この挿絵で植木がどの人物なのかなあ、としばし考えました。やはり背中を見せている人物かなあ。

 末廣の茶の間で、男四人が酒盛りをしていた。植木をかこんで、隣家の芝栄と、はるの亭主の入谷清太郎、息子の麟助である。

13050611 そうか、もうけんの妹のはるには息子もいるんだ。この挿絵で少し顔が見えているのがその息子でしょうか。

 はるはけんと五つちがいの姉で、末廣開業の年に入谷清太郎と結婚した。

 そのあとにこの清太郎の説明が詳しくあります。なるほどなあ。けっこうみないくつものことがあったのですね。思えば、これは私の家族でも誰もいくつもの歴史を抱えているのです。ただ、それを忘れてしまう、忘れるように生きてきただけなのです。

13032510 やはり新聞はインターネットで読んでも、ガラパゴスでも私は駄目なのですね。どうしても紙の新聞を手に取りませんと、なじめない感じなのです。

2013/03/26 06:04日経新聞が来ないので、いらいらして待っています。その間、長谷川慶太郎さんの本を読んでいますが、でもこれだけ時間が経過すると非常にそのいらいらが高じてきます。どうしたのかなあ。
 こんな時間になるのは始めてのことじゃないかなあ。
2013/03/26 07:33上に書いていたことですが、もう届いていました。ドアの外側にありました。私はいつも販売員の足音から判断していたので、それが間違いでした。
2013/03/26 09:37今日経新聞王子販売所に電話をしました。折り返し電話をくれて11時すぎに担当者から電話をくれるということです。もう電話ではなく、メールを使ってくれないかなあ。もう面倒でたまりません。
2013/03/26 19:10もうけっこう将門Webのサイドバーにいくつものサイトをリンクしました。
 あとでその一つひとつを私のブログで解説しないとならないですね。いろいろと書きたいこと、書くべきことがあるのです。

 昨日やっと電話で話しました。そのときも「メールを使ってくれないかな」と言いました。メールでやっていれば、こんな面倒なことはありません。

13031811 朝はいつもこのポメラを書くことを考えています。

2013/03/21 05:34さて、まだ日経新聞がこないので、いらいらしてしまいます。いやなんといいましても「黒書院の六兵衛」がどうするのか、どうなるのかというのが最大の関心事であるのです。六兵衛の妻、二人の子どもも大変に気になります。いや、六兵衛の下の臣たちも気になるものです。こんな新聞小説があったものかなあ。おそらく漱石の『吾が輩は猫である』以来ひさしぶりのことじゃないかなあ。
2013/03/21 12:49もうこの時間帯なのですね。いつも私はそう言って焦っています。そんなに焦ることはないのですね。

 このポメラを書くことをこそ焦るべきだなあ。

13031706 どうしてもこのポメラを将門WebにUPしようかな、と思うときにしかUPできないものですね。当たり前か。

2013/03/19 06:05今はリビングにいます。
 朝に日経新聞が入ったのを感じて(4時半から5時の間)、すぐに取りに行きました。それにA3の「北区社会福祉協議会に車いすを贈る会」のチラシが入っていました。それには、ここでいつも部屋のことで(冷房装置を入れたり)お世話になっています「ムトウデンキ」他のところが書いてありました。私のごく親しい友人も名前が書いてあり、嬉しくなると同時に、「俺はなにしているんだ」という思いですが、でも知りようがなかったのだよな。
 今日彼に手紙を書いてみます。
2013/03/19 07:42なんとかこれでちゃんと書いて行こうと考えています。
 どうしてもIS01の電源を替えたり、いくつものことがあります。なんかいつもここで電源を替えていますね。デジカメの電源を入れ替えることもあります。
2013/03/19 13:32これをちゃんと書くことを必死にやらないといけないなあ、ということをすごく思います。

 あ、友人に手紙書くんだ。それを今思い出していました。

1303040613030407  的矢六兵衛も鰻の蒲焼を食べるのだろうなと思って日経新聞を開きます。「ああ、伊豆栄の鰻だ」と思い鰻の蒲焼を思い出します。私がこの池之端の伊豆栄で鰻を食べたのは35年前のことだと思い出しました。

 鰻。夏の盛りには誰もが食いとうてたまらぬ鰻の蒲焼。それもそこいらの店からの出前などではない。上野池之端の「伊豆栄」を買い切って、職人もろとも御城内に運びこんだのである。

 このれには、加倉井隼人(実は妻しづゑの提案)の案なのですが、勝安房も大村益次郎も大賛成なのです。

「おおい、向こう岸の衆。煽ぎなされ、煽ぎなされ」
 大村が庭越しに命ずると、向こう廊下の官兵どもが扇子や手拭を打ち振って煽り立てた。煙は開け放たれた溜間に吸いこまれていく。

 今度は、六兵衛にも、これはきくのではない13030401かなあ。でも思い出せば、私の2年下の活動家でも鰻を食べないものがいたものな。嫌いなそうでした。
 そんなことはないよう。今度こそ、この隼人たちの作戦が見事成功することを祈ります。

13021307 日経新聞の9日の「NIKKEIプラス1」に、「ああ懐かしいな」という写真がありました。『散策が楽しい「竹林の小径」』という写真です。ここに真っ先にあげた画像です。
 それで、すぐにこの記事を探したのですが、ありません。私はそのあと王子駅から三ノ宮へ行ってしまいました。もちろん、新幹線の中でもIS01でこの記事を探しましたがいつまでも出てきてくれません。
 私はばあばに、この新聞のこの写真を指差して、「覚えている?」と聞きましたら、ちゃんと覚えているとのことでした。
 私は2013年02月10日2013年2月9日のポメラに以下のように書いています。

日経新聞の「NIKKEIプラス1」の修善寺温泉の竹林の写真を載せたかったのですが、インターネットにはまだありませんでした。またあとで見てみます。あったらUPしてみます。

13021113 でも記事はUPされないままでした。私は新幹線でもそのあと黄老でもIS01で日経を見たものですが、出てきませんでした。それで「仕方ない。修善寺のほかの写真で竹林を探そう」ということで、見つけましたのが、この写真です。だからこの写真は日経新聞とは関係がないです。
 そして先ほど日経新聞のサイトを見ましたら、この記事がありました。随分時間がかかるのですね。13021310

静岡・修善寺温泉 イズシカ丼 春ただよう、伊豆の古湯
 古刹・修禅寺を中心にした修善寺温泉(伊豆市)は、街の真ん中を桂川の清流が流れる。岡本綺堂作「修禅寺物語」の舞台としても知られる。

 岡本綺堂の「修禅寺物語」も中学2年の時に読みました。そうですね、そんなに私は源頼家が好きにはなれないし(源氏の貴族のおぼっちゃんとしか思えない)、でも三代将軍の源実朝は好きです。鎌倉行ったときには、いつも実朝の歌を思い出しています。ただ前に家族4人で修善寺に行ったときに、私の娘おはぎとブルータスがこの頼家のお墓に登って祈ってくれたことは嬉しかったです。
13021308 そうですね。私は大昔に温泉新聞の記者だったときに、この修善寺に集金に来たものでした。この温泉の旅館ホテルをのきなみ歩いたも13021309のでした。いやその他にも来たことがありましたね。ある温泉ホテル(いえ、そのホテルの女将さんの言ったことも、よく覚えています)へ行ったものでした。

 また修善寺も行って歩いてみたいな。

13012003 アルジェリアのニュースを私も「ニュース将門」で書こうと思ったのですが、新聞とインターネットで少しづつ違うので、迷ってしまいました。

2013/01/21 06:34日経新聞で『「人質23人死亡』発表」というニュースで、私は「あ々あ」と声をあげてしまいました。またあとでこれを「ニュース将門」でも書いてみます。とにかく、嫌な悲しいニュースです。
2013/01/21 07:50この「周のポメラ」をブログにUPしていないので、愕然としています。あとで、「純と愛」を書いたあとでやります。

 インターネットでは少しづつ内容が違いますので、私も少々困ってしまいます。

13011309 さきほどばあばが日経新聞で、「舞歌曲音」の文字で熟語を考えるというのをやっていて、「分からない」と言っていたので、私は「じゃインターネットで調べよう」とそのメモを見て思いましたが、私の部屋に入って、「え、これはインターネットで調べることもないな。音曲歌舞だ」と気がつき、そして正確には「歌舞音曲」だと思い、天保の改革を思い出しました。
 インターネットで見ますと、以下のようにあります。

大辞林 第三版の解説
かぶおんぎょく【歌舞音曲】
歌と踊りと音楽。華美な遊芸を総称していう語。

 ついでに、検索で次も読みました。

水野忠邦は天保十ニ年(1841)「天保の改革」に乗り出し、寄席演芸も大きく制限され、江戸に125軒あった寄席が15軒に制限されてしまった。また、扇歌(都々逸坊扇歌どどいつぼうせんかのこと)などの歌舞音曲は禁止となり・・・

 もう私は水野忠邦なんてそんな昔の人だとは思っていなかったのですが、私も64歳で今年は65歳になります。もう天保の頃なんて随分昔のことなのですね。

13010708 新聞を毎日手にとります。これは昔からですね。

2013/01/07 05:50今日経新聞の一面を見ています。「スマホ向け動画、TVに」ってあるけれど、これ読んでも分からないよ。あとでパソコンでインターネットで見ましょう。パソコンで見た方が分かりやすいのですね。
2013/01/07 07:40今日は七草かゆの日だ。昔、母が作ってくれたものですね。前に食べたのはいつだっけなあ。

「七草かゆ」なんて、私は母を思い出します。

13010117 そうかと今気がつきました。毎朝の『浅田次郎「黒書院の六兵衛」』を待っていて、「あれ、今日はこないのか」と気がついた私です。
 日経新聞は、いつもそれほど面白いとは感じられないのですが、これはいつも待ち遠しいです。
 思い出せば、私がこんなに新聞の連載小説を読んだのは、昔温泉新聞(この新聞は旬刊でした)で、『あなたに似た街』という連載小説を読んだとき以来です。
 この街とは、松戸市の新松戸駅前に広がる街のことでした。

12113005 こうしてこれをUPします。いくらでも書くことがあります。

2012/12/27 06:08今日の日経新聞の最終35面の「文化往来」を今書こうと思ったのですが、「あ、これはインターネットから引用して書こう」と思ったもので、またあとで書きます。
 昨日は君津市のブルータスとじゅにのところへ行ったわけですが、前に行っていたときのようにISDNで書けていません。前には、「周のISDN」をいくつも書いていたわけですが、今はISDNが何故か日本語入力ができなくなっているのです。どうしてかなあ。ISDNでなら、昨日も行きも帰りもいくつもUPできていたはずなのですが、駄目なのですね。
 そもそもいいわけをしますと、私はこういう機械がまっうたく駄目なのです。そもそもパソコンも本当は向いているとはいえません。私はせいぜい本を読んでいることがひたすら好きなのです。
 それなのに、ひたすらパソコンを使い続けてきました。パソコンの自作は13台作りました。今自作をしなくなったのは、今では自作するよりも新品を買ったほうが遙かに安価だからです。12113006
2012/12/27 07:56またテレビの前です。昨日「純と愛」を書きませんでしたので、今日あとで昨日の分も書きます。

 もういくつもやらなくちゃあな。

X12121301 いやあ、寒いのを感じています。

2012/12/13 06:13今日も寒いですね。冬だし、もう歳もこの年齢だから仕方ないのかなあ。
 このポメラを開けて始めて、昨日の夕食の前にも書いていたのだなあ。
2012/12/13 06:32今チラシを見ました。丁寧に見て読むようにしているのですが、なんとなく私はちゃんと見ていませんね。もうあまりそのチラシの内容に興味をもてないのです。
 興味を持ったチラシは、日経新聞の王子豊島の販売店の「販売店だより」なのですが、それはまたあとで書きます。
2012/12/13 07:30もういくつも寒いことを感じています。でも夕方には三匹に会いに行きます。

 三匹のことを思い、じゅにのことも考えて行きます。でも先日はポポがじゅにのことを言い出したのですね。

12113003  日経新聞は「黒書院の六兵衛」を読みたくて、すぐ手にとります。

2012/11/30 06:43もうこんな時間です。どうしても遅くなりますね。自分に言い聞かせます。「日立と三菱重工の電力事業の」ということが大事ですね。
 今日は三匹のところへは行きます。昨日行くつもりでいたのですが、もうやることがあって無理でした。
2012/11/30 07:39またこれを書いて行くよりもやるべきことがあるなあ。
 いやいくつもやることが出てきますね。
 でもまた「純と愛」の始まる時間になります。早いですね。でも時間が早く達ってしまうと思ってしまうのは仕方ないよね。
2012/11/30 12:50いろいろと「純と愛」をまた見ています。そして私はまた涙ぐんでいます。
 やっぱり桐野富士子さんはいいことをいいますね。

  さて、明日からはここのメインに画像はサンタクロース(でないときもありますが、要するにクリスマスです)をここと周の掲示板にあげていきます。

12112608 今日の日経新聞の春秋で、最後のほうに「無礼傲慢身勝手無精に勇気礼節謙遜努力」と書いてあるのですが、私は「これ私のポメラで書けるかな?」と思いました。もちろんパソコンでは、一回で書けました。
 ああ、同じだ。ポメラでも一回で書けました。「なーんだ」というところですね。

2017022017 今日の日経新聞の19面の「本の小径」にこれがありました。

http://www.nikkei.com/paper/article/?ng=DGKDZO48776370U2A121C1MZA000
妻から見た『死の棘』 島尾文学の謎に迫る

私も以下を書いています。

2010年12月20日
島尾敏雄「死の棘」

私はその作家のほとんどの作品を読んだという方は大勢いますが、すべて(日記・書簡等含めて)読んだのは、太宰治とチェーホフと吉本隆明、そしてこの島尾敏雄です。
私はその他、「島尾ミホ『海辺の生と死』」、「島尾伸三『月の家族』」も書いています。
この新聞の記事はすぐに目に入り、すぐに読んでみました。

島尾敏雄の『死の棘』は、夫婦愛の深淵を見つめた壮絶な人間記録として、「私小説の極北」と評される戦後文学の傑作だ。

この「私小説の極北」と言われるのがよく分かります。私はそれまで倉橋由美子の大ファンとも言っても良かったのですが、彼女はこの「島尾敏雄『死の棘』」を貶しているのを知り、それ以降は一切読まないようになりました。

文芸誌「新潮」11月号から連載がスタートした梯(かけはし)久美子「島尾ミホ伝 『死の棘』の謎」は、この長編小説をめぐる夫婦の事実関係に、鋭く切り込んだノンフィクション。

だが、これには実に驚くべきことが書いてあります。

11月号の連載1回目で梯はミホが島尾の死後19年たっても、夫の遺骨を抱いて寝ていることを、ミホとの電話の会話から明らかにしている。ミホは骨壺(こつつぼ)に寝間着をかけて添い寝し、亡き夫に語りかけていたという。

エッと驚いてしまいます。私はいつも列車で4人が座れる座席に座ると、島尾家族がまだ小さい島尾マヤ・伸三さんで乗っていて、それに詰めて座らせてくれないかという他の客にミホさんが鋭く拒絶するシーンを思い出します。
そんなミホさんの晩年の姿がそうだったのですね。ミホさんは、加計呂麻12112504島に来た島尾隊長にいつも話しかけていたのでしょう。

島尾は、現地の人にも人情深く、山道を行く老女の荷物を背負ってあげたりする異色の軍人だった。ミホが育った集落では「島尾隊長の歌」を、子どもたちまでが口ずさんでいることを、梯は明らかにする。

12112505 もういっぱいこの夫婦を思い、あの戦争を思い出します。あんな戦争は憎いだけですが、でもでもあの戦争があって、この二人は夫婦になれたのです。吉本(吉本隆明)さんがいつもこの島尾敏雄を追いかけていたことを思います。
ぜひ私も読んでみます。

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12111311 いやいくつものことを思い出すものです。

2012/11/14 04:3111月10日に朝4時に豊島郵便局(本局)に手紙を出しに行きました。すぐそばの郵便局のポストだと収拾されるのが10時35分なのです。
 今日経新聞が来ました。
2012/11/14 05:23もう今日の「黒書院の六兵衛」に関する私の思いは、私のブログにUPしました。いつもこの新聞の挿絵と、この「黒書院の六兵衛」という題字を画像としてUPしています。
 今日の「春秋」で書いてあることで、私は嬉しくなりました。

 2つの国の国歌を作詞・作曲した人がいる。1913年にアジア人として初めてノーベル賞を受賞シタ「タゴールだ。インドとバングラデッシュ。いずれの国も、タゴールが生前に作っていた歌を独立後に国歌とした。とものタゴールの母語、ベンガル語で書かれている。

 そうなのですね。私は嬉しくなりました。

 戦前の日本の軍国主義を批判したタゴールも、笑顔でみているかもしれない。12111312

 私は間違いなく、笑顔になっているタゴールの顔を思い浮かべます。そしてチャンドラボースとともにインドへ行こうとした私の父を思い出します。

 もう私の父が亡くなってものすごい時間が流れたのですね。

12110501 日経新聞はあちこち読んだり、見たりしています。

2012/11/05 06:12このテレビの前に来て、初めて日経新聞を読む感じです(もう「黒書院の六兵衛」はブログにUPしました。このときに「ブルータス」という語ほかも登録します)。
2012/11/05 06:28日経の40面の「文化往来」に

 ・・・。
 このうち姉に宛てた書簡は、妻・おりょうとの霧島への新婚旅行の模様を報告したもの。

 これを読みたくて、見たくて、インターネット検索しましたが、まだ見ていません(食事もあるし)。いや手紙が多くて探しきらないのです。あとで見つけて、私のブログで書きます。
 私は司馬遼太郎はそれほど好きにはなれないのですが、彼の作品はけっこう読んできました。
 でもこれは坂本龍馬の手紙を見たいものです。インターネットにはあるでしょうから、見てみます。この龍馬の書いた図が見たいのです。
 ありましたから、あとで載せます。

 それでこの図はコピーして写真として、私のパソコン内に(と言いましてもいつもハードディスク内にです。それでこれは別れていますから、正確には「パソコン内に」ではないのです)収納しています。私はHDD12110502はよく持って歩くのです。これでノートでも読めます。
 それでここに載せるのではなく、また別に載せることにします。要するにまた別にブログで書きます。

12100707 こうして新聞はいくらでも読むところがあります。

2012/10/08 05:56やっぱり日経新聞は読んでしまいます。一面の「春秋」ですいが、以下のようにありました。

 童謡の「どんぐりころころ」に、幻の3番の歌詞があるのをご存じだろうか。・・・・・・。それで終わりでは子供にとって悲しすぎると考えたのだろう。別な音楽家がハッピーエンドの歌詞をつけ足した。

12100801 あ、これは私のブログで書きましょう。私の「周の歌の話」で「どんぐりころころ」の歌の続きに書きます。その最後にこうあります。

 これで物語はエンドレスに続く。

 この春秋にこうあります。

 机の中に小さい秋がある。

 私のすぐそばに、小さな小石があります。前に、このブログでも「拾った柳田公園に返しにいこう」といっていましたが、それをやっていませんでした。そのうちに公園は改装工事になり、できて見ますと、もう小石を捨てるところなんかあ12100815りません。いやどこか草のかげにでもすてればいいのかなあ。「机の中に小さい秋がある」。いや私の場合は、机のそばに小さな小石があるのです。「小さな小石」なんて、変でしょう。でもついそう言ってしまうのです。

 この小石はどうしようかな。今もそばにあります。

12092403 日曜洋画劇場って、昔は見たものですね。でももう見なくなって私は20年を越えているでしょう。

2012/09/24 05:53日経新聞の最終面の「文化往来」ですが、『「日曜洋画劇場」縮小にのぞく洋画離れ』をうなずいて読んでいました。今はいくつもの洋画が、「あれ、このシーンはあの邦画のシーンの写しじゃないか?」と思うものがいくつもあります。
 昔は「洋画しか見ない」という阿呆な人がいたものでしたが、もういなくなったのかなあ。
1209240612092407「黒書院の六兵衛」を読みました。六兵衛はやはり風呂に入ります。

「久方ぶりの風呂はよほど気持ちよいとみえて、かれこれ小半刻も長湯を使うております。・・・」

 この宏装な御殿に勤仕する千人の人々の中に、的矢六兵衛の味方はひとりもいない。

 この私ですら、この企てがうまくいけばいいなあ、と思うものです。
2012/09/24 06:30この頃、このブログは日経新聞の記事内容しか書いていませんね。これは反省すべきですね。
2012/09/24 09:51今はリビングへ来ました。8時からの「梅ちゃん先生」を見ていませんでした。
12092404 10時から(実際には9時57分くらいから始まる)の「加山雄三『若大将のゆうゆう散歩』」を見たいと思いました。護国寺も椿山荘あたりもけっこう歩いたものです。王子から都電で行けるところなのです。

 また都電で行きまして、歩いてみるかなあ。

 新聞は最終面の連載小説を真っ先に読みます。

12091306120913072012/09/13 05:49日経新聞で真っ先に「黒書院の六兵衛」を読みます。

 年も押し詰まった師走二十九日といえば、御屋敷も正月の支度は万端に調(ととの)っておりやす。

 暮れの追灘(ついな)式というのが、「鬼は外、福は内」と殿様と奥様が呼ばわるのですね。これは今は節分でやる呼びかけだなあ。
「パルコ争奪戦」が、昨日は「2」で今日は「3」なのですが、なんか書く気になれないのです。熱心に読む気にもなれないのです。
2012/09/13 06:17新聞の「駐リビア米大使死亡」という見出しのニュースに、ものすごく嫌なものを感じます。日米戦争でもこんなことはありませんでした。昔大学一年のときに、日共民青の反米のスローガンに私はものすごく反発し、言ったことがあります。反帝国主義というのは間違いではありません。でも反米というのは明らかに間違いです。
12091302 そういえば、一昨日私の部屋のブラインドを変える為に私の部屋に入った職人さんが、私の部屋にある大量の缶ビールに驚いたのですが、私は「好きな一升瓶だと、下手をすると際限がないから」というと、「一号瓶で飲むようにすればいい」というのですが、ねえ、ワンカップで酒を飲めませんよ。やっぱり一升瓶ですよ。でもそれじゃ際限がないからなあ。
2012/09/13 09:58リビングへ来ました。加山雄三さんが門前仲町を歩いています。私がここを歩いたんはいつだったかなあ。たしか26歳くらいのときに歩いています。
120913032012/09/13 12:34今日はなんだか身体の具合が悪くなった感じで、上の加山雄三さんのことを書いたあと少し横になりました。

 今日は少し身体が良くなかった思いでした。

*「暮れの追灘(ついな)式」というのが、「追灘」の二つ目の字が人偏なのですが、漢和辞典でも探せましたが、どうやってここに出したらいいのでしょうか。

12090615 また以下のこととは違って、私のブログへ書きます。以下の北区王子販売所のことです。

2012/09/07 06:22今日経新聞が何故か東京新聞になっていますので、驚きました。これは配達員が間違えたなと思いましたので、販売店に電話しました。でもその販売店がどこだかも分かりません。インターネットで調べて、でも「日経新聞北区豊島販売所」なんてありません。豊島区のが出てきてしまいます。
「北区王子販売所」で調べてようやく分かりました(マピオン電話帳で)。電話して(この電話も簡単ではありませんでした)、ようやく手にできました。
  あとでこのことを私のブログでも、改めて書きます。
2012/09/07 07:07もう食事を終えました。
1209070612090707「黒書院の六兵衛」を読みました。今回で随分真相がつかめた思いです。

 ・・・、実の妹の奥様だけが、いつものキリッとしたお顔で兄様をお送りした。
「どうぞ、ご随意になされませ」
 奥様は御玄関の式台にかしこまって、頭も下げずにおっしゃいました。
「そうさせていただく。ご縁も金輪際じゃ」

 これでこの小説の大きなことがつかめた気がします。でもたぶん、まだまだあるのでしょうね。
2012/09/07 07:43でも日経の最終面40頁を見ていたら、連載小説の下の広告が「オリックス銀行」のでした。そうかあとでインターネットで見てみましょう。
120906172012/09/07 07:54さて、もうすぐ「梅ちゃん先生」だと思っています。
 今日は夕方おはぎの孫を迎えに行きます。
2012/09/07 08:00「梅ちゃん先生」を見始めました。

 しかし、ここに書いた電話のことは実にやっかいです。

12090403 いつも日経新聞を手にして読むことから、私の一日が始まる感じがします。

2012/09/05 06:02日経新聞で、真っ先に最終面を読むわけですが、一面の春秋も読みました。最初にこうあります。

 「僕」という一人称は幕末の動乱期に志士たちが使い初め、世に広まったという。

 ああ、そうなのかと思いました。私は23歳くらいまで、「僕」は使いましたが、そのあとは「私(わたし)」を使っています。だが吉本(吉本隆明)さんを読みはじめ(圧倒的に読むようになりましたのは27歳くらいからです)、吉本さんが「僕」という言葉をけっこう頻繁に使われることを知り、焦ったことを覚えています。なんか「俺は間違えたかな」と思ったのですね。
1209050612090507 今日の「黒書院の六兵衛」も真っ先に読みました。なんか読んでいて、的矢六兵衛(これはもともとの六兵衛)の話に切なくなります。

 お子様、ですかい。
 その話はちょいと切ねえなあ。年端(としは)もいかねえ若様とお姫様が、今ごろどうしていなさるかと思いやすとね。

 でも私は真相が知りたいです。
12090508 この連載小説の下の広告に次のようにあります。

  私のスマホが通帳に?

え、前からそうじゃなかったかなあ、と思いましたが、今回初めてできることなのかなあ。

 このスマホのことはまた調べてみましょう。

12083106 いつも日経新聞が入ってくる音で私はいつも嬉しくなっています。今日は4時10分でした。

2012/08/31 05:56今日は4時少しすぎに、日経新聞が入ってきました。
 真っ先に「黒書院の六兵衛」を読みます。これを読んで知りました。でもここに記しておくと、いいのですね。

 これも御家人なら「旦那様」だが、御旗本は「御殿様でござんす。

1208310712083108 なるほどなあ。それで、ここの的矢六兵衛、その奥様ももとの六兵衛の奥さんです。

 奥様がそんな口やかましい人でござんしたから

という奥様で、

 お体が小さいうえに猫背で、ずいぶんと貧相な侍に見えていたんです。

というのが的矢六兵衛なのです。この六兵衛はもともとの的矢六兵衛なのです。
 なるほどなあ。少しづつ事態が見えてきた思いがします。
2012/08/31 06:14「君原健二『私の履歴書』」を読みました。「ボストン完走、次の目標 75歳でも達成へ今も走る」が今日の見だしです。1996年の第100回大会に、二人の息子さん、長男健、次男嘉朗さんが走っています。

 私がマラソンで途中棄権したことのないのを、息子たちは知っている。「それなのに僕たちが棄権するわけにはおかない」と2人で話し合っていたのだという。見事に私の代役を努めてくれた。

12083109 今日で、この君原さんの『私の履歴書』は終わりです。今日は「まだまだ通過点」という見出しもあります。この言葉を読んで、「そうだ、私だって、まだまだ通過点なんだ」と思ったものです。

 そうだ、私もまだまだ通過点なのです。これからもやりぬかなくちゃあ。

12082605 とにかくこれをUPしましょう。

2012/08/26 06:28まだ日経新聞の今日の最終40面のことを書いている途中だったのですが、あれでUPしていまいました。
「はやく起きた朝は」を見始めました。この三人の女性は大好です。
 でもいつも思うのですが、この番組で葉書を読み上げるのだけど、今はメールじゃないのかなあ。今時葉書なんか書いてくるのかなあ。私は今でも手紙は封書でけっこう出していますが、葉書はまず出しません。いや葉書ではプリントするのが実に面倒なこともあります。それでも私は出してきましたよ。封書だとA4で簡単にプリントできるのでいいのですね。
 このお母さん森尾由美さんは可愛いな。娘さんはお母さんが作ってくれたものをちゃんと食べるべきです。
120826062012/08/26 17:40もうこの時間です。時間が経過するのは早いですね。
 このポメラはいつもこのリビングで書いているわけですが、ここへ来ると、どうしても台所の洗い物の片づけをしたりしますので、どうしてもこれで書いているのは中途半端になります。仕方ないのですね。

 いつも何か中途半端な思いが続いています。

12072314  日経新聞の「黒書院の六兵衞」で読めない漢字があり、それを漢和辞典で調べるのに苦労しました。
  思えば漢和辞典というのは、手放せませんね。国語辞典他はいらないです。私は「西洋人名辞典」(岩波書店)、「東洋人名辞典」(今見つからないので出版社が分かりません)をよく使いましたが、今はほぼ使いません。
  みなインターネットで間に合うし、インターネットのほうが正確で新しいです。 とにかく、今後もインターネットを活用していきます。

12072313 けっこうこの小説を読んでいて、苦労しています。この回は「宥め続ける」をどう読むのか漢和辞典で苦労して探しました。「なだめ続ける」なのですね。

2012/07/25 05:11今5時にこの日経新聞が入ってきました。私は「紫式部『源氏物語』のことでの3」を書いている途中でしたが、もうリビングへ来て、この「黒書院の六兵衛」の小説を読みました。

 頑固一徹。狷介固陋。
 しかし理由も目的も不明なのだから、そうした言葉もそぐわぬ。

 宥め続けるおのれも、相当に狷介固陋である。

1207250112072502 まだ六兵衛はこの小説の中で一言も発していません。今後話すのかなあ。話すのだろうな。できたら、幕府への思いなんか聞きたくありません。自分の買い上げただろう侍の資格のことを聞きたいものです。

 しかし、こうして漢和辞典だけは手放せません。パソコンがインターネットがいくら発達しても、こうして私はいつも漢和辞典には世話になっているでしょう。私のところには二種類の漢和辞典があります。

12071908 私はこの販売所に東京新聞を買いに行ったことがあります。東京新聞に吉本(吉本隆明)さんの言葉が載ったときです。
 それを今探したかったのですが、今は時間がありません。またの機会です。12071909
 いつも家に玄関に入れてくれる音を聞いています。
 いつもこの販売店のどなたが入れてくれているのかなあ、なんて思っているものです。

 もう50年なんだと暗澹たる思いです。私はいったい何をしているのでしょう。

2012/07/21 05:285時20分には日経新聞が入ってきました。もうチラシがいくつもあり、「都議会だより」もあるので、ザッと見るだけでも大変です。
1207210612072107 やはり最初に「黒書院の六兵衛」です。
 海舟の曾祖父の話が続くのだと思いましたが、わずかでした。そしてそれでいいです。
 だがそのあとが興味深いです。福地源一郎が現れるのです。そして意外なことを報せます。最後の海舟の言葉が以下です。

「あわてるな、諸君。浮き足だってはならぬぞ。消えたのではなく、動いたのだ。落ち着いて探せ」

 この通りです。六兵衛も必死なのです。大金を投入して買ったはずの武家の株ですが、それが今は大変なことになっているのです。上野のお山の騒動も、六兵衛にはそれどころではないのです。面白いです。興味深いです。
 こんな小説はなかった。明治維新をこのように書くのは、いや明治維新に限らず他のいくつもの小説でもなかったと思うのです。
 その上の「柳田民俗学震災後を問う 没後50年、現代性を再考」の最初を読んで、

 日本の民俗学の創始者、柳田国男(1875〜1962)が亡くなって、この8月8日で50年。

とあります。ああ、もうそんなのだなあ。私は柳田国男をちゃんと読んでいるのか。折口信夫はどうなのだと自分に問うだけです。

 3月に亡くなった評論家の吉本隆明が、柳田民俗学を自らの理論構築のよりどころにしていたことはよく知られている。12072101

 もっと読んでいかなくちゃ、そしてもっと書いていかなくちゃあ、と思うばかりです。

 私は吉本(吉本隆明)さんだけでも読み込んでいかないとと深く思います。

12071407 毎朝この日経が入りますと、ものすごくいいです。

2012/07/16 05:12やはり朝に日経新聞が入ると、この「黒書院の六兵衛」を読みます。
 最初私にはここで勝安房のいうことがすぐ理解できないで、2回目に読んで「だがねえ、加倉井さん」で始まる話がよく分かりました。私が前に書いていた子母澤寛では勝海舟の物語でも、こうしたこと、こうしたことを語る海舟の姿は見せてくれていません。これはこの浅田次郎の優れたところです。
 最初に、

 勝安房守の言うところは理に適っていると思う。

とあり、最後に

 ・・・、すなわち「与力千両」の御株相場に対して、年に八分の配当と「御与力様」の名誉が付いてくる。これはうまい話かもしれね、と思うた。

 うーん、すごいです。浅田次郎の慧眼に感激です。
 そうですね。江戸時代というのは、最初の武士たちは分かっていませんでしたが、最後の頃の薩長の武士たちもよく分かっていなかったように思うな。
1207160212071601 この挿絵の勝安房の説明がよく分かる気がします。そうか子母澤寛の小説なんかちゃんと時代をとらえてはいないのだよなあ。
 だが、私が柏市の布施弁財天へ行く道の数寄屋風の家でみました、西南の役のあとだろうとき(西郷従道と狩りに来ています)の、海舟の書なんか、もうまったくいい加減な海舟がいます。そうしたところをもう一度見直していくべきだよなあ。
 急に思い出しました。誰の小説だが忘れましたが(陳舜臣だったかなあ)、ある琵琶湖上の小舟の中で豊臣秀吉(その頃は羽柴だったか)が、この小舟を使って他人に貸し出してそれをもっと大きくやるとどうなるかという算盤勘定をしていて、それをみている武士が、「これが武士なのか」と驚いているシーンです。
 おそらく海舟も同じだった、そしていい加減なところもいっぱいあったのでしょうね。
12071603 この浅田次郎の小説の上にある「酒井キミ子『農村の日々色とりどり 戦前から富山の農作業や暮らし、450枚の絵に』」も実に読ませてくれる文です。

 浅田次郎の作品はいいです。感激しています。

 昨日の私のいい加減さを大きく思います。駄目な私ですが、また繰り返すことがいけないのです。

2012/07/14 06:22日経新聞が入ったのが6時で、こんなに遅いのは私には初めてのこと(私が記憶のある限り)ですね。
1207140112071402 朝は、新聞の最終面の「浅田次郎『黒書院の六兵衛』」を真っ先に読みます(「ネット赤ちょうちん」にそのことを一部書いています)が、そのあとはこの面を見て(「文化往来」には「谷川俊太郎、韓国詩人と詩の役割巡り対話」があります)、そのあと一面の「春秋」を見ます。そのあとはチラシをよく見ます、読みます。
 これは今日ではなく、昨日折り込まれたものでしょうが、ヨドバシカメラのチラシが面白いです。
 真っ先に目にしたのがカメラの広告です。一眼レフでは常時持っているわけにはいかないですから(重いし、大きいし)、やはりコンパクトデジカメがいいですね)、やはり見るところは限られます。やはりSDカード(もちろんマイクロSDカード)が気になります。
2012/07/14 06:54いや新聞もみな見ました。
「東京いきいき通信」Vol.12ですが、私は見てもよく分からないな。よく読み込めば分かるのかなあ。
 でもそのチラシに書いてある電話に聞いても明確に答えられないことがある(これはある大手の不動産建築メーカーです。上の「東京いきいき通信」ではありません)からなあ。
120713092012/07/14 07:07昨日おはぎの家へ行きまして、ポポの扱いを反省します。まず真っ先に手を洗わして、口をうがいさせるべきでした。これは私のもう亡くなりました母が執拗に私たちにやらせていたことです。
 私はポポに要求されると、従ってしまうのですね。ちゃんと、うがいして手を洗うことを真っ先に必ずやっていきます。

 昨日のポポへの私の対応を大きく反省します。そしてもう繰り返しません。

12070603 こうしてこのポメラで書くのはいいです。楽です。

2012/07/07 05:25さっきから、日経新聞の来るのを待っているのですが、なかなか来ないのです。困ったな。
2012/07/07 05:47やっと新聞が届きました。5時39分に届きました。
 まずは「黒書院の六兵衛」を読みます。しかし、おおよそ見当はつきましたが、活字で明確に読むのは今が初めてのことがあります。これは若侍がいいます。

「許しがたい話じゃ。天下の御旗本が借金の抵当(かた)に御家の株を売るとは。笑いごとではあるまいぞ」

 これは今明解に知ったことなのです。私が今明確に知ったことなのです。また明日もこの朝刊を待ちます。
 その上の「交遊抄」ですが、「大女優」ということで、岩下志麻さんのことが書いてあります。書いているのは、秦建曰子さん(もっとも真ん中の字は曰ではなく、日かもしれません)が、やたらに「ぼくは」と使います。

 またぼくは岩下さんが好きになった。

とありますから、やはりこれは女性なのかな。やたらに、「ぼくは」というのが、女性の特徴だった時代があります(古い話だ)。
12070706 あ、これは「はたたけひこ」という男性(1968年1月8日生まれ)でした(インターネットで調べました)。
 一面の「春秋」を読むと、来年夏に万世橋がオープンするといいます。場所もよく分かりますが、あれが中央線ということは、神田駅、御茶ノ水駅とはどうなるのだろうか。
2012/07/07 06:51もうこんな時間なんだなあ。

 駅ができると言っても、どうなるのだろう。また広瀬武夫の像を置いてくれないかなあ

1207060612070607 やはりこの日経新聞は面白いのかなあ。

2012/07/06 05:48また今朝も、この日経新聞が来るとすぐに手に取り、この「黒書院の六兵衛」を読みました。この的矢六兵衛の成り代わりが、馬に乗って江戸城に登城します。これは恐ろしい話というよりも、堂々とやっているのですから、少し滑稽な話です。

「おのおのがた、今し見たるはまぼろしでござる」
 身分は同心でも長老にございますゆえ、笑うならここでここで笑っておいたほうがよいと思うたのです。

 やはり私には今もこの小説の内容その事態が、その理由(わけ)が分かりません。
 この小説の上に、園まりの「喪友記」という記事に「伊藤エミさんを悼む あこがれの先輩」があります。

 私の代表曲「逢いたくて逢いたくて」のメロディーはピーナッツの「手編みの靴下」がもとになっている。お二人から曲を受け継いだつもりで歌い続けてきた。

 あのときの頃をよく思い出します。あの頃もたくさんのことがあったものでした。
 3面の「テーマパーク勢い鮮明 夏のツアー予約、大幅増」「レジャー消費力強く 国内外の旅行者数も最高」という記事が興味深いです。

 テーマパークの集客力が回復している。東京ディズニーランドTDRやユニバーサル・スタジオ・ジャパンUSJの入場者数は足元や夏休みの見通しが好調。

12070513 明後日8日の「平清盛」は平治の乱の実際ですね。私が小学校4年(名古屋の内山小学校にいました)のときに、源義朝が亡くなりました知多半島内海へ行きました。このときのバスガイドさんが、義朝(よしとも)を頼朝(よりとも)と何度も平気で間違えて発言していて、私は小学4年生ながら、もう嫌になったものです。義朝が「せめて小太刀さえあれば」とか言ったといいうのは、よくよく思い出します。

 思い出せば、私は名古屋に3年半もいたのでした。小学校は3つ通っています。

12070101 また新しい月になりましたから、新しいファイルを起こしました。

2012/07/01 04:58今このファイル(2012年7月)を作成しました。
120701022012/07/01 05:41上に書きましたが、この新規ファイルを正確に作るのは、パソコンに接続してパソコンからやります。そうしないと、私にはできないのです。
 この日経新聞が入ってきて、私は真っ先に「黒書院の六兵衛」を読みます。まだ今日でも、この的矢六兵衛は分からないのです。そして、この物語は明治維新の新しい面を見せてくれるのではなくて、この的矢六兵衛というものすごく風変わりな男の話なのではないかなあ。明治維新における尾張藩の風変わりな存在の仕方から、実は江戸時代初期からの尾張藩のそうした姿を見せてくれるのかなあ、と思ったのですが、実はそうではなく、この的矢六兵衛について描くのが、この物語ではないのかなあ。
 だから、やはりこれは歴史小説ではないのですね。そんなことを思いまして、今までの浅田次郎の作品を思い返していました。うーん浅田次郎は今までと同じように、この作品で私たちを驚かせてくれるのかなあ。そして、この作品がその最大のものになるのではないかなあ。
 最初、江戸へ進軍進行するのが、「ピーヒャララッタッタ」の官軍なのですが(この時点ではこの歌はまだないのですが)、それが尾張藩ということで、少し驚き、「でもそうなんだなあ」ということで、納得もしたのですが、問題は、そんなことにはないのですね。この的矢六兵衛という人物の実に不可解なことが、この物語の面白さであり、この物語の核心です。
12062310 でもこの人物は今も読めません。一体何を考えているのか。何をやりたいのか。時は、ちょうど彰義隊戦争が開始される寸前の上野なのです(今は江戸城の中ですが)。また明日も待ち遠しいです。

 とにかく、こうして読めて嬉しいです。でもまたテレビを見に行かなくては。

12062801 日経新聞の「黒書院の六兵衛」が一番気になります。

2012/06/28 04:574時40分に、日経新聞が入ってきて、それでそれを持っ12062802てリビングに来て、「黒書院の六兵衛」を読みました。
 これは、今日も孫右衛門の話が続きます。今日はおふじという孫右衛門の使う下女が出て来まして、その話が明日になるのです。話は的矢六兵衛のことです。
 このポメラはもう私はいっぱい単語登録しています。
 昨年11月23日の上中里の平塚神社での私の長女一家とあちらのおじいちゃん、おばあちゃんと、私と妻(こちらのじじばばです)の写っている写真を見ています。この日は、ポコ汰、ポニョの七五三の日でした。だから二人の写っている写真がいいです。越谷じいじに抱き上げられているポポがいいです。見ていて、私はただただ嬉しくなっています。
 まあ、余計なのは私が写っていることくらいかなあ。
 でもこうして写真はいいですね。

 こうして新聞の小説をデジカメで撮ることも日課のようになりました。

1206252412062525 いつも「黒書院の六兵衛」を面白く興味深く読んでいます。

2012/06/26 04:59やはりこの新聞が入ると、この「黒書院の六兵衛」ばかりが気になります。

 さよう。的矢六兵衛にちがいございませぬ。しかるに、その人物は的矢六兵衛ではござらぬ。

 もう明日のこの日経新聞も待ち遠しいです。やっぱり浅田次郎ですね。私は再び大ファンになりました。
2012/06/26 05:23新聞を読み、チラシを見ました。私はよくチラシを見ます。書いてある内容には興味がありますが、そのチラシのデザインにも印刷内容にも興味があります。「あ、これはオフ輪印刷だ」「これはA3断ち切りで両面4色だ」なんて見ているのです。ときには5色印刷があったり(まず珍しいですが)、アート・コート紙ではなく、ザラ紙で2色印刷(今日の東武のは2色です。ただザラ紙ではないです)なんてこともあります。
12062513 面白いですね。
 今は新聞の折込広告のみを扱うサービスもあるのですね(ただし、地域、自治体により、ない場合もあります)。もっと見つめていく必要があるのでしょう。

 もうすぐ6時になるのですね。

12062403 そうですね。このポメラは単三電池だし、IS01は充電池がありますが、ガラパゴスは電源に入れて貯めるだけなのです。

2012/06/25 04:42どうしても何を書いたらいいのか分かりかねますので、とにかく自分の部屋を離れ、リビングでこのポメラを打つことにしました。
 一昨日ここに来たポポに(その前午前中には私が行っていました)もらいました、バンドエイドを今手にとって見ていました。ヒーローもののバンドエイドです。一昨日夕方は、ママと来てくれました。このバンドエイドを両腕とおでこに貼っていたのです。何も傷もつけていないのだから、医療的にはまったく意味がないのですが、でもでもなんかかっこいいと思えちゃうのでしょう。こういう商品がどんどんと増えて行きますね。12062501
2012/06/25 05:00日経新聞が来たのが分かり、それを取りに行きまして、最初に「黒書院の六兵衛」を読みました。うーん、なんだか経過が分かりましたが、この六兵衛の真意はまだ皆目分かりませんね。
2012/06/25 05:16もう一通りは日経を読みました。またあとでガラパゴスで読むことも、パソコンで読むこともあります。私のそばにはいつもガラパゴスがあります。パソコンで見るときは、たいがい何かを私の将門Web上にUPするときですね。
12062502 今ガラパゴスを自分の部屋から、このリビングへもってきました。どうしても充電するために今電源も持ってきました。IS01は充電地がありますから、それを常時取り替えています。だがガラパゴスにはないのですね。そもそも充電地がないのです。ここは少々不満なところです。まあ、仕方ないかなあ。
2012/06/25 05:38今日の夕方おはぎの家へさくらんぼを持って行きます。3人の孫は喜んでくれるでしょう。その喜ぶ顔が今から楽しみです。
 私もくだものではなく、好きな食べ物を持っているべきだなあ。果物ではりんごは食べるのですが、あとはみんな嫌いだものなあ。

 私の好きな食べ物は何か、なんてずっと考えています。

12053106 またこれでUPします。

2012/05/31 06:19日経新聞を読むのに時間がとられました。ただ、けっこうインターネットで私のブログでレスポンスはやりましたから、あとはまたいくつものことを書いて行きます。
 昨日どうしても眠くて、10時40分からちょうど1時間眠りました。そのときに、ずっと夢を見ていました。「男はつらいよ 夕焼け小焼け」のことをずっと夢に見ていたものです。それで、その映画評も書くべきなのですが、なかなかやっていられません。
2012/05/31 08:06なんか眠くなってしまいました。ダメな私です。もっとがんばらないといけないなあ。
「梅ちゃん先生」はいいです。私は涙が出てしまいます。

 こうしてたくさんこのポメラで書いて行きます。

12042206 笑美さんが「笑美さんからのFacebookでのメッセージ」に以下のコメントをくれていました。今頃になってレスします。

1. Posted by 笑美   2012年04月21日 05:28
こんにちわ、私もfacebookの魅力については、まだよくわかりませんが、流れてくる情報は楽しく見ています。記事をアップするときは、あまり長くはコメントしない方が多い点など、ブログとはやはり違いますね。私の場合、自分の想いはブログの方が表現しやすい、ただ、文章を書くのに気を使ったり、写真をUPするのに時間がかかるので、手軽にUP出来ない不便さがあります。
facebookは簡単にUP出来るし皆さんの近況が一度に見れて、その点は良いとは思いますね。
私のような田舎にいる人たちにとって、一つの情報源としては手軽でよいかも。
なんて、忙しくてどちらもあまりUPは出来ないのですが、今のところそんなかんじです。

 うんそうですね。今日(2012.04.24)の日経新聞夕刊では、

12042406  フェイスブック、利用者9億人 1年で2億2000万人増

という見出しが大きく出ています。

 フェイスブックを通して利用者が書き込んだコメントや、書き込みを他の利用者に薦める「いいね(like)」の件数は1日平均で32億件に上る。文字数や閲覧件数といった「情報の量」だけでなく、「情報の質」を定量化するフェイスブックの訴求力を巡って、焦点を絞り込んだ広告や様々なアプリケーション販売が進みそうだ。

ということなのですね。ただ私はもう60代の年寄りなのかなあ。もうちゃんとついていけるか不安です。
 でもなんとか毎日こうして書いてまいります。フェイスブックも見続けていきます。

  ここの上の画像は、笑美さんのサイトからいただきました福寿草の画像です。いつも勝手に使わせてもらっています。ありがとう。

 昨日の日経新聞の32面の蜷川幸雄の「私の履歴書」を読みました。涙こそでませんでしたが、どうしても「むなしいな、悲しいな」と思いました。

 1972年が明けると、連合赤軍のリンチ殺人が社会に衝撃を与える。

12042311 ほんとうにその通りでしたね。いわゆる新左翼(と言っていいのかなあ)には、銃で武装したはずの赤軍派は何故か頼もしい思いがしたのです。理論的な内容などないに決まっていましたが、数々の国家の暴力に打ちのめされていた私たちには、何かがあるように思えたのです。
 でもでも、連合赤軍の事件はものすごい衝撃でした。
 なにかあるはずのものが、まったく何もないどころかひどいもので、私たちは打ちのめされたと思うのです。

「櫻の樹の下には屍體(したい)が埋(うづ)まつてゐる!」という梶井基次郎の言葉に、連合赤軍の屍(しかばね)をこえていく思いを重ねた。

 でもそんなことはありえず、そして誰もがそのまま今につながっているのです。私は就職するのには、ものすごい数(102社受けて101社目に受かったのは私の30歳のときでした)の会社を歩きました。履歴書は印刷しました(ただし、これが印刷物だと見抜ける人は100人に一人くらいなものでした)。

 この蜷川さんのを読みまして、はるかな昔を思い出していました。

12042301 NHKの「梅ちゃん先生」をいつもはらはらしながら見ています。

2012/04/23 06:28本日の日経新聞を開きますと、一面の「春秋」に原節子さんのことが書いてあります。私はこの方の大ファンで来ました。
 私は鎌倉(とくに北鎌倉)に若いときからよく行きますが(よく行くと言ってもたいしたことはありませんが)、いつも「ひょっとしたら、原節子に会えるかなあ」と思っているのです。もちろん、あり得ないことであるのは十分に分かっているわけですが。私は高峰秀子と並んで、大昔から大ファンであるわけです。
2012/04/23 07:41昨日の日経新聞の最終面を読んでいて、3つ書きたい思いがあったのですが、まだ一つしかUPしていません。みな「周の文学哲学歴史話」でUPするものです。
2012/04/23 07:55今IS01の時間を再設定しました。もう今が11時33分くらいになっていたのです。何故かなあ。そういえば、私の部屋の時計も何故かそれくらい進んでいました。こんなことは始めてのことです。
2012/04/23 07:59もう「梅ちゃん先生」が始まります。梅ちゃんが受かればいいと思っていたのですが、合格発表の場に梅ちゃんの番号がないのですね。何故か私は怒っています。
 でも受かっていたんだ、私は長女おはぎの教員試験の合格発表を都庁まで見に行ったことを思い出します。私も娘の合格の番号を見つけられなくて、「あ、だめだったのか」という思いで、妻と本人に電話しました。「もうこれでどこかへ就職するんだなあ」と言いましたが、でもでも数時間後、おはぎから「私受かっているよ」というケータイが来ました。もう私の大きなミスだったのです。もう私の大きな恥でした。

 このことは、私のドジなこと(2000.10.07)で書いています。もう私は恥ずかしいですね。

  なんで私は、こうして涙を流してしまうのだろう。高倉健さんの記事がありました。

5月13日…来たる「母の日」に寄せて、ある母親の話をご紹介します。

 母の日とは、今年は5月13日(5月の第2週の日曜日)です。インターネットで検索しましたら次のようにありました。wikipediaです。

母の日(ははのひ)は、日頃の母の苦労を労り、母への感謝を表す日。日本やアメリカでは5月の第2日曜日に祝うが、その起源は世界中で様々であり日付も異なる。例えばスペインでは5月第1日曜日、北欧スウェーデンでは5月の最後の日曜日に当たる。

12042207 この健さんの記事を読んで私はまたひたすら涙を流していたものです。
 でもできたら、この記事すべてを読んでいただきたいと思いました。私では、それを明確には紹介できないのです。
 もう全部がいいのですが、健さんが、自分のお母さんのことを書いているところを一部抜き出します。

ブラシの部分がすり減って、柄だけになってしまった歯ブラシを最後まで使っていた母。 子どもたちがつけっぱなしにしてしまう家中の電気を「もったいない!」と、消して回っていた母。
 「辛抱ばい」
 私はこの一言に支えられ、南極、北極、灼熱(しゃくねつ)の砂漠から厳寒の冬山を駆け抜けてきました。
 不条理ばかりのこの業界で、道を踏み外さなかったのも間違いなく「おふくろを悲しませたくない」の一心。母は、私にとっての規範であり、法律でした。

 もう読んでいて、涙が流れると同時に、私は自分の母も先月亡くなりました義母も思い出していました。二人とも同じでした。私は母たちが二人とも、いつも電気を消してしまうことが不満でした。でもでも、今は私がそれと同じ気持になり、同じことをやっています。私にも、「私にとっての規範であり、法律でした」。

 最後の健さんの言葉

1989年の東宝映画「あ・うん」の撮影中、母は91歳で逝きました。

 おかあさん…。

で、私はまた大量に涙になりました。

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