将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:明治天皇

1304080113040802  今日は明治天皇の心の内が推測されています。こんなことは始めてのことですね。と私は思うのです。
 もう的矢六兵衛が座りこんでから、10ケ月が過ぎているのです。

 十月(とつき)といえば、やや子も産まれるのである。さなる長きにわたって夜も昼も横たわることなくじっと座り続けておるなど、阿闇梨の荒行も及ぶまい。

 このときに明治天皇は、この六兵衛を自分の目で見て見たいと思ったのです。そして宮城の中を走ることになるのです。近習のものはどんなに驚かれたことでしょうか。

  かくして稲光とともにあちこち走り回られたあげく、聖上(みかど)はついに表御殿黒書院へと至った。

 とにかく明治天皇にとってもこの黒書院の六兵衛はものすごく興味のわくことだったでしょう。だがその当人の六兵衛はどうなのでしょうか。もう徳川家は江戸城の主ではなく、天皇がそれに替わったということに六兵衛はどう反応するのでしょうか。13040616

1304070613040707  今日は始めて明治天皇がこの作品に登場します。まだ17歳の天皇です。

 願望を口に出しえてはならぬ。
 それが亡き先帝より授けられた、厳なる誡めであった。

 先帝というと孝明天皇です。この天皇の死については、毒殺説もあり(岩倉具視がやったといいますが)、今も確定していませんが、どうなのでしょうか。明治新政府には面倒な天皇だったことは確かだと思います。
 だが今はそれを詮索はしていられません。

 ・・・・・・、物事の是非を口にするときも「是」はかまわぬが「非」はならぬ。たとえば、「おいしい」というて困る人はないが、「まずい」などというものなら罰が下る。

 この新帝がこの江戸城の主になったのです。最後にこうあります。

 聖上の堪忍にも限りがあった。

 さてさて、どう展開されるのでしょうか。そして的矢六兵衛は今までのようにいられるのでしょうか。
 私は近代以降の作品で天皇を実際に描いたのは、「隆敬一郎『花と火の帝』」の後水尾天皇・上皇しか知13040613らないのですが、27歳のときにこの上皇の造営された修学院離宮を歩いているときに、しきりに私の後から「もっと早く歩け」と言っていた係官の声をを思い出します。

06122101 私の 夢の中の日常「ケータイとウィルコム」目森窟 Memorix の目森さんからトラックバックをもらいました。

 一方、勝元も、ともに維新を戦った大村と袂を分かち、敵対する所まで隔たってしまっている。
 明治天皇は、勝元に共感しつつ、大村一派に周囲を固められている。幾重にも入り組んだ距離のドラマを体現しているのが明治天皇である。
 自らの立場を自嘲気味に口にする場面があるが、その含みは、孝明天皇の暗殺だと思う。

「うーん、そうか」と唸っていました。私は「孝明天皇の暗殺」のことは少しも考えていませんでした。
 おそらく昭和天皇の2・26事件への際断は、この自分のひいおじいさんの孝明天皇のことがあるかと思っています。昭和天皇には、自分がぐずぐずしていたら、孝明天皇のようになってしまうかもしれないという思いがあったのではないか、そしてすぐに自分は秩父宮に替えられてしまうのではないかという思いがあったのではないでしょうか。
 もちろん、2・26の将校たちには、そこまでの思いはありません。でも思えば、皇道派よりも統制派のほうがそこまでやりきる雅量をもっていたかもしれないな。
「ラストサムライ」の中で、明治天皇のそばにいたのが、大村(間違いなく大久保がモデルでしょう)だとすると、あの映画の中の明治天皇も実に複雑な思いだったでしょうね。

 それにしても、目森さんが書いてくれて嬉しかったです。あの映画に関して、「あんまり面白くない」とか「よく日本の歴史を誤解している」なんていう意見を聴いていたものでしたが、私は見ていて、実に「なるほどなあ」なんて感心していたのです。そしてトム・クルーズ(ええと俳優名ではなく、その登場人物名で考えるべきなのですが、私はそれはよく判らなかった)は、カスター将軍がやったスー族の大虐殺を知っているのですから、彼は「この日本ではそんなことをさせないぞ」という思いがあったのだと思います。

 明治維新から、まだ150年が過ぎていないわけですが、どういうふうにいいつくろっていくのかな。
 やっぱり私には日本の歴史は判らないことだらけです。

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