将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:明治維新

1302050813020509  この的矢六兵衛がどう入れ替わったのか、でも簡単に知ることはできないですね。しかし、この淀屋辰平もこのことは大変に大きなことだったのです。

 本心を申し上げておきますとな、淀屋の暖簾がかかったこの大一番を、どなたかに話しとうてうずうずしてりましてん。

 そうなのだろうなと肯きます。大変な出来事です。こうして小説でしか書かれないのですから。もし、こうしたことが頻繁にあって書かれていたら、歴史の中でもうすでに私たちは知っていたでしょう。

 的矢六兵衛は譜代の御書院番士、むろん御目見以上に御旗本だす。御徒衆なんぞとはまるで格がちがいまっせ。13020411

 その六兵衛もただ座り続けることになってしまった今回の江戸城開城、明治維新なのです。どんなに、この六兵衛にはショックだったことでしょうか。それがよくよく理解できる思いです。

1212110112121102  この今日の津田玄蕃の話でも、「この新的矢六兵衛って、一体何者なのだ」と思ってしまいます。

 金上げ侍と知れても、六兵衛が軽侮されなかったのは、・・・・・・。

 この新的矢六兵衛は撃剣にも強いのです。「流儀は筋目のよい直心影流と見た」と玄蕃はいうのです。元の六兵衛が道場に通ったことなどないだろうということとは大変な違いなのです。

 面を外したあとで腹立ちまぎれに、「相手が上役でもあるまいに、手かげんなどなされるな」と言うたことがある。そのときもやはり六兵衛は、汗をふきふきただひとこと、「いや」と言うただそれだけであった。

 うーん、やはりこの新的矢六兵衛は一体何者なのX12121006でしょうか。そしてでも明治維新というのは、それをすべて消し去ったのですね。でも明治維新は暴力革命ではありませんでした。それでも大きなことだったんだなあ、とつくづく思ったものでした。

12091902 この新聞が来ると、この小説を真っ先に読みます。

2012/09/19 05:34今少し前に、この新聞を手に取りました。
「黒書院の六兵衛」を読みました。奴の予想も私の予想もはずれていたようです。御隠居はこういいます。

1209190712091908「親は子に苦労をさせねばなぬ。しかし、子が親には苦労はかけてはならぬそうじゃ。わしはその理を理と思うて、厄介になることとした。老い先短い身じゃが、何かと役にも立とう。ご先祖様をお護りもできよう。これより本願寺に参って、御仏様に的矢家の保たれる果報の御礼をいたす」

 うん、これは実にいいこと、いい言葉です。奴はいいます。

「・・・。・・・、いっていその立派な理をどなたがおっしゃったんで」

 これでまた驚きます。

「的矢六兵衛がさよう申した」

 これは、この奴だけでなく、この御隠居自身も、この私も(私は少し予想がで12091903きる気がしますが)驚くのです。
 でもでも、みんな明治維新はぶち壊すのですね。

 さて食事も忘れてしまいました。

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