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周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:星落秋風五丈原

12090101 私の「土井晩翠『星落秋風五丈原』」に、松岡博さんから以下のコメントがありました。

1. Posted by 松岡 博   2012年08月31日 20:53
「星落秋風五丈原」がこんなに長い詩だとは知りませんでした。土井晩翠の天才的文才に驚きました。
ところで、歌の解釈で質問があるのですが、お考えをお聞かせください。
1.五丈原の戦いはウキペディアによると,
「蜀軍と魏軍の対陣は百日余りに及んだが、234年8月、諸葛亮は病死し蜀軍は撤退した」とあります。晩翠は「秋風」と歌に有り、秋に戦いがあったように書いてありますが、この食い違いはなんでしょうか。土井が情を込めるため夏を秋に変えたのでしょうか
2.出だしの歌の「零露の文は繁くして」の「文は繁くして」は露が作る葉の上の模様が複雑な図柄を描いている、ということでしょうか。
3.「草枯れ馬は肥ゆれども」は何を言っているのでしょうか。時は秋だということをこのように歌っているのでしょうか。

恐れ入りますが、ご返事をお待ちしております。
松岡博 
mhiroshi62@yahoo.co.jp

 私が高校2年か3年の文学史の授業で(授業は「現代国語」だったかな。でも教えた教員は古典の先生でした)、明治以降の詩歌に関しては、北村透谷と島崎藤村と正岡子規しか扱わなかったことに、私は強烈に文句をつけました。それは「土井晩翠がいるではないか」ということです。思い出しても、私はしつこく言い続けたものです。
12090102 私は晩翠の「天地有情」は中2のときに、新潮文庫で読んでいました。またそのときに、この『星落秋風五丈原(せいらくしゅうふうごじょうげん)』も読んだと思うのですが、よく覚えていません。
 高校一年の9月に「吉川英治『三国志』」を読みまして、孔明の魅力は分かりました。ただこの小説から私は曹操の魅力に取り付かれたもので、かつ彼の詩は実に素晴らしく覚えたものです。
 私は曹操『短歌行』は実に好きになりまして、大学一年のときの夏休み、大学の秩父山寮へ行ったときに、この詩を暗誦しながら山道を歩いていたことを思い出します。
 ただ孔明『梁甫吟』は、私はそれほど好きだとはいえない思いなのですね。

 さて、お尋ねの件です。
『晩翠は「秋風」と歌に有り、秋に戦いがあったように書いてありますが』ですが、この戦いが終わった(孔明の死で蜀軍が退却します)のが8月秋のことです。まさしく、孔明が、「星が落ち」たのは秋なのです。これは五丈原の戦いを詠っているのではなく、孔明が亡くなったときの詩(うた)なのです。
「零露の文は繁くして」とは、草の葉からこぼれ零(お)ちる露のしずくの輝きは文(あや)模様を織り成すように重なるこの仲秋8月の季節ですなのです。
「草枯れ馬は肥ゆれども」は、この季節は天高くもう草は枯れて馬肥ゆる秋なのですが、どうしてか蜀軍は孔明の病で元気があるようには見えないのです。
 以上ご質問には答えた気持で私はいます。
 どうか、またこの「星落秋風五丈原」を読んでみてください。諸葛亮孔明の存在、土居晩翠の気持がよく分かってくると思うのですね。

12090103 私は三国志の世界(これは「陳寿『三国志』」も『三国志演義』も)は、諸葛亮孔明が作ったものだと思います。それが今も漫画にも映画にもなっているのだと思います。だがだが、それでも曹操をはじめとする三曹の数々の詩は輝きを失ってはいません。むしろ私にはもっと輝いているのです。

12081008 私の「周の漢詩の話6『「星落秋風五丈原」の読み方』」に、以下のコメントがありました。

1. Posted by さぬき   2012年08月11日 11:40
 最新ページは存じませんが、仙台では
「更けて」を(たけて)と、歌っていたように記憶しております。
老婆心まで。

 ちょっと、これで「老婆心まで」と書いてありますので、漢和辞典を二冊調べましたが、読みで、「更」を「ふ」ではなく、「た」と読む読みは書いてありません。「仙台では」とありますが、その「仙台では」とは何のことでしょうか。宮城県仙台市ということでしょうか。
 私はこの詩を読んで暗誦しましたのは、中学2年のときです。鹿児島の山形(やまかたと読みます)屋というデパートの前にあった「センバ」という大きな古書店で購入しました。
「たけて」ですから、書くとすれば「長けて」でしょうか。
 これで簡単に推測すれば、例えば、与謝野鉄幹の「人を恋うる歌」の

  妻をめとらば 才たけて

でしょうか。これは「長(た)けて」で、才能のある妻を恋するということです。
 ですから、さぬきさんが昔唄われていたというのは、記憶違いか、「仙台では」とかいう人たちが間違えていただけです。

11083001  今IS01でツイッターをやりました。
  あ、このとき読んだツイッターの私あての返信のことをあとで書きます。
   いや私は情けないのですね。ローマ字がこのIS01ではうまくまだ書けないのです。困りましたね。
   私は前には必ずなにか本を持っていました。だが、今は本は文庫本も持っていません。
  でもガラパゴスで、日経新聞を読みます。でも読み終わったら(私は新聞を読むのは早いのです)、仕方ないので(この「周のIS01ブログ」もやったとして)私は心の中で長文の詩等を読み上げます。

「土井晩翠『星落秋風五丈原』」「文天祥『正気歌』」「諸葛亮『出師表』」です。これは全文を読み上げますと、莫大な時間が経過します。

20161120042016112003

11072506   Friday, December 27, 2002 6:09 PM
「『星落秋風五丈原』の読み方を教えてください」

 初めまして、Tと申します。兵庫県の小学校4年生担任をしています。

 国語の授業の最初5分程度を暗唱テストに当てています。
子どもたちは、少ない子で10個、多い子で32個の詩文を合格しています。子どもたちの希望で、今、暗唱詩文集第2弾を作っています。

 そこで、『星落秋風五丈原』を選びました。しかし、私の教養がないため、読み方が分かりません。インターネットでたくさん調べたのですが、分かりませんでした。
 そこで、お願いがあります。読み仮名があっているか、見て頂きたいのです。(★)は、読み方が分からないものです。

『星落秋風五丈原』(★)

土井(つちい)晩翠(ばんすい)

祁山(きざん)悲秋(ひしゅう)の風(かぜ)更(ふ)けて
陣雲暗(じんうんくら)し五(ご)丈原(じょうはら)
零露(れいろ)の文(ぶん)は繁(しげ)くして
草(くさ)枯(か)れ馬(うま)は肥(こ)ゆれども
蜀軍(しょくぐん)の旗光(はたびかり)無(な)く
鼓角(つづみかど)の音(おと)も今(いま)しづか
丞相(じょうしょう)病(やまい)あつかりき

清渭(★)の流(なが)れ水(みず)やせて
むせぶ非情(ひじょう)の秋(あき)の聲(★)
夜(よ)は關山(かかやま)の風(かぜ)泣(な)いて
暗(あん)に迷(まよ)ふかかりがねは
令(れい)風霜(ふうそう)の威(い)もすごく
守(まも)る諸營(しょえい)の垣(かき)の外(そと)
丞相(じょうそう)病(やまい)あつかりき

           T   メールアドレス
   ここにURLが書いてあるのですが、そこにはいけません。

   Sunday, December 29, 2002 1:19 PM
「Re:『星落秋風五丈原』の読み方を教えてください」

 ちゃんとメールします。最初私の港区のクライアントでTさんのメールを読みましたときは、「星落秋風五丈原」が全文でてくるのかと思い込んでいました。それで、「時間がないけれど、少し書こう」と思いましたら、2連だけのご質問だったのですね。

国語の授業の最初5分程度を暗唱テストに当てています。
子どもたちは、少ない子で10個、多い子で32個の詩文を合格しています。子どもたちの希望で、今、暗唱詩文集第2弾を作っています。

 これはものすごくいいですね。できたら、「平家物語」の最初なんかもやってほしいな。
 それで、最初はまずT先生に正確に読んで生徒たちに聞かせてほしいものです。日本の古典というのは、まず第一に読んで聞かせるものなのです。だから「音(おん)」で綺麗に聞こえないといけないと思うのです。その綺麗な日本の古典の音(おん)は、必ず彼らの心の中に染みていくと思います。
 この「星落秋風五丈原」もそうですね。小学生でも、この美しい日本語の音(おん)をたくさん覚えてほしいと思うんです。そして、このときの五丈原の戦いを教えてあげてください。地図を書いて教えてあげてほしいな。
 この詩は七五調で書かれています。だから、そういう音(おん)の詩として声に出して読んでいただきたいのです。

『星落秋風五丈原』(→ほしおつしゅうふうごじょうげん))

陣雲暗(じんうんくら)し五(ご)丈原(じょう はら→げん)
零露(れいろ)の文(ぶん→あや)は繁(しげ)くして

蜀軍(しょくぐん)の旗光(はた びかり→ひかり)無(な)く

 七五調ですから

 蜀軍の旗 光無く

と読むわけです。

鼓角(つづみかど→こかく)の音(おと)も今(いま)しづか
丞相(じょうしょう→じょうしょう)病(やまい)あつかりき

清渭(→せいい)の流(なが)れ水(みず)やせて
むせぶ非情(ひじょう)の秋(あき)の聲(→こえ)
夜(よ→私は「よる」と読んでしまいます。字余りですが)は關山(かかやま→かんざん)の風(かぜ)泣(な)いて
暗(あん→やみ)に迷(まよ)ふか かりがねは

守(まも)る諸營(しょえい→「しょえい」でいいのでしょうが、私は「とりで」と読んでしまいます)の垣(かき→私は「かきね」と読みます。字余りですが)の外(そと)
丞相(じょうそう→じょうしょう)病(やまい)あつかりき

 でもやはりいい詩ですね。諸葛孔明は、この詩だけで、彼の人となりが目の前に浮んでくる感じがします。

 T先生は、きっと素敵な授業を展開されているのでしょうね。私の娘二人も小学校の教員です。私はずうずうしく娘の学校へ行ってしまうのですが、今の子どもたちの素晴らしいところには感激してしまいます。私なんか思えば、音楽も苦手で、美術なんか、もっと苦手でした。それから、こうした詩を読むのも少しも好きでありませんでした。それは本来は私自身がいけなかったのでしょうが、もう少し先生方も楽しく教えてくれればよかったのにな(もっとも人数が多かったから、その当時の先生は大変だったでしょうね。私が小学校1年の札幌でのクラスは70名の生徒でひしめいていました)。日本のたくさんの詩が、音(おん)として美しい調べをもっていることが判ったのなら、もっと早くから好きになれたはずなのです。
 そんなことを思いました。萩原周二

 このあとも何度かメール交換しました。それで、私も「これはちゃんとふりがなをつけないといけないな」と思ったものですから、この詩を改めて、書き足しました。ぜひこの詩を声に出して読んでみてください。

   土井晩翠「星落秋風五丈原」
(第125号 2003.01.06)

10112210 以下は漢詩ではなく、土井晩翠の詩についてのことです。私は

   土井晩翠「星落秋風五丈原」

を最初に書いた時点では、私自身がこの詩をすべて暗誦し、かつよくあちこちで暗唱していたものですから、あまりこの詩に読みかなをふるというような意識がありませんでした。だが、次のメールをいただいたときに、「そうではないんだな」と思ったものでした。

『星落秋風五丈原』の読み方を教えてください」
   Sent: Friday, December 27, 2002 6:09 PM

 初めまして、Tと申します。兵庫県の小学校4年生担任をしています。

 国語の授業の最初5分程度を暗唱テストに当てています。子どもたちは、少ない子で10個、多い子で32個の詩文を合格しています。子どもたちの希望で、今、暗唱詩文集第2弾を作っています。

 そこで、『星落秋風五丈原』を選びました。しかし、私の教養がないため、読み方が分かりません。インターネットでたくさん調べたのですが、分かりませんでした。
 そこで、お願いがあります。読み仮名があっているか、見て頂きたいのです。(★)は、読み方が分からないものです。

『星落秋風五丈原』(★)

土井(つちい)晩翠(ばんすい)

祁山(きざん)悲秋(ひしゅう)の風(かぜ)更(ふ)けて
陣雲暗(じんうんくら)し五(ご)丈原(じょうはら)
零露(れいろ)の文(ぶん)は繁(しげ)くして
草(くさ)枯(か)れ馬(うま)は肥(こ)ゆれども
蜀軍(しょくぐん)の旗光(はたびかり)無(な)く
鼓角(つづみかど)の音(おと)も今(いま)しづか
丞相(じょうしょう)病(やまい)あつかりき

清渭(★)の流(なが)れ水(みず)やせて
むせぶ非情(ひじょう)の秋(あき)の聲(★)
夜(よ)は關山(かかやま)の風(かぜ)泣(な)いて
暗(あん)に迷(まよ)ふかかりがねは
令(れい)風霜(ふうそう)の威(い)もすごく
守(まも)る諸營(しょえい)の垣(かき)の外(そと)
丞相(じょうそう)病(やまい)あつかりき

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
           T  
gttaqua@yahoo.co.jp
http://www.geocities.co.jp/NeverLand-Mirai/6533/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


「Re:『星落秋風五丈原』の読み方を教えてください」
            Sunday, December 29, 2002 1:19 PM

 ちゃんとメールします。最初私の港区のクライアントでTさんのメールを読みましたときは、「星落秋風五丈原」が全文でてくるのかと思い込んでいました。それで、「時間がないけれど、少し書こう」と思いましたら、2連だけのご質問だったのですね。

国語の授業の最初5分程度を暗唱テストに当てています。
子どもたちは、少ない子で10個、多い子で32個の詩文を合格しています。子どもたちの希望で、今、暗唱詩文集第2弾を作っています。

 これはものすごくいいですね。できたら、「平家物語」の最初なんかもやってほしいな。
 それで、最初はまずT先生に正確に読んで生徒たちに聞かせてほしいものです。日本の古典というのは、まず第一に読んで聞かせるものなのです。だから「音(おん)」で綺麗に聞こえないといけないと思うのです。その綺麗な日本の古典の音(おん)は、必ず彼らの心の中に染みていくと思います。
 この「星落秋風五丈原」もそうですね。小学生でも、この美しい日本語の音(おん)をたくさん覚えてほしいと思うんです。そして、このときの五丈原の戦いを教えてあげてください。地図を書いて教えてあげてほしいな。
 この詩は七五調で書かれています。だから、そういう音(おん)の詩として声に出して読んでいただきたいのです。

『星落秋風五丈原』(→ほしおつしゅうふうごじょうげん)(或いは→せいらくしゅうふうごじょうげん)

陣雲暗(じんうんくら)し五(ご)丈原(じょう はら→げん)
零露(れいろ)の文(ぶん→ふみ)は繁(しげ)くして

蜀軍(しょくぐん)の旗光(はた びかり→ひかり)無(な)く

 七五調ですから

 蜀軍の旗 光無く

と読むわけです。

鼓角(つづみかど→こかく)の音(おと)も今(いま)しづか
丞相(じょうしょう→じょうしょう)病(やまい)あつかりき

清渭(→せいい)の流(なが)れ水(みず)やせて
むせぶ非情(ひじょう)の秋(あき)の聲(→こえ)
夜(よ→私は「よる」と読んでしまいます。字余りですが)は關山(かかやま→かんざん)の風(かぜ)泣(な)いて
暗(あん→やみ)に迷(まよ)ふかかりがねは

守(まも)る諸營(しょえい→「しょえい」でいいのでしょうが、私は「とりで」と読んでしまいます)の垣(かき→私は「かきね」と読みます。字余りですが)の外(そと)
丞相(じょうそう→じょうしょう)病(やまい)あつかりき

 でもやはりいい詩ですね。諸葛孔明は、この詩だけで、彼の人となりが目の前に浮んでくる感じがします。

 T先生は、きっと素敵な授業を展開されているのでしょうね。私の娘二人も小学校の教員です。私はずうずうしく娘の学校へ行ってしまうのですが、今の子どもたちの素晴らしいところには感激してしまいます。私なんか思えば、音楽も苦手で、美術なんか、もっと苦手でした。それから、こうした詩を読むのも少しも好きでありませんでした。それは本来は私自身がいけなかったのでしょうが、もう少し先生方も楽しく教えてくれればよかったのにな(もっとも人数が多かったから、その当時の先生は大変だったでしょうね。私が小学校1年の札幌でのクラスは70名の生徒でひしめいていました)。日本のたくさんの詩が、音(おん)として美しい調べをもっていることが判ったのなら、もっと早くから好きになれたはずなのです。
 そんなことを思いました。萩原周二


「申し訳ありません」
         Sent: Saturday, January 11, 2003 12:57 PM

 今になって訂正します。申し訳ないです。

零露(れいろ)の文(ぶん→あや→ふみ)は繁(しげ)くして

「あや」でも間違いではないのでしょうが、やっぱり音で読んでいくと「ふみ」ですね。 ごめんなさい。

と前に書いたところですが、ずっと気になっていまして、この部分だけずっと音に出して、暗唱していましたが、やはり「あや」でなければいかないのだと気がつきました。
 これは「ふみ」だと文書とか手紙となってしまいます。「したたり落ちる露の模様は………」という意味ですから、「文」はいわば「文様」ですから、「ふみ」や「ぶん」ではなく「あや」と、作者も詠んだのだと思います。
 たいへん、今になりまして申し訳ありません。できましたら、次の版のときに訂正いただけますか。
 申し訳ありませんでした。頓首 萩原周二


 以上のメールは他にもいくつかやりとりしたのですが、これで「周の詩歌の館」のUP分にも誰でも声に出して詠めるように、ふりがなをつけることにしました。(2003.01.13)

2016112704

10111105 この詩を私は高校3年のときに暗記暗誦したものでした。それを以下ここに書きます。いえ、この詩は私のブログに書いておきたいのです。長い詩ですが、私のホームページを今年5月最初に廃止したもので、とにかく私のブログにUPしておきたいのです。(2010.11.11)

私は三国志の世界では、曹操が好きであり、また詩人としても曹操、曹丕、曹植が好きです。ただ諸葛孔明は、その「誠」とでもいうべき姿勢には、心を打たれる惹かれるものを感じます。その孔明の心情を一番表しているのではと私が思うのがこの詩です。

星落秋風五丈原(「せいらくしゅうふうごじょうげん」或いは「ほしおつしゅうふうごじょうげん」)
                  土井晩翠(どいばんすい或いはつちいばんすい)
     
  祁山(きざん)悲秋の 風更(ふ)けて
陣雲暗し 五丈原(ごじょうげん)、
零露(れいろ)の文(あや)は 繁(しげ)くして
草枯れ馬は 肥ゆれども
蜀軍の旗 光無く
鼓角(こかく)の音も 今しづか。

丞相(じょうしょう)病 あつかりき。

清渭(せいい)の流れ 水やせて
むせぶ非情の 秋の聲(こえ)、
夜(よ)は關山(かんざん)の 風泣いて
暗(やみ)に迷ふか かりがねは
令風霜の 威もすごく
守る諸營(とりで)の 垣の外。

丞相病あつかりき。

帳中(ちょうちゅう)眠(ねむり) かすかにて
短檠(たんけい)光 薄ければ
こゝにも見ゆる 秋の色、
銀甲(ぎんこう)堅く よろへども
見よや待衞(じえい)の 面(おも)かげに
無限の愁(うれい) 溢(あふ)るゝを。

丞相病 あつかりき。

風塵遠し 三尺の
劍(つるぎ)は光 曇らねど
秋に傷めば 松柏(しょうはく)の
色もおのづと うつろふを、
漢騎十萬 今さらに
見るや故郷の 夢いかに。

丞相病 あつかりき。

夢寐(むび)に忘れぬ 君王(くんのう)の
いまわの御(み)こと 畏(かしこ)みて
心を焦(こ)がし 身をつくす
暴露のつとめ 幾とせか、
今落葉(らくよう)の 雨の音
大樹(たいき)ひとたび 倒れなば
漢室の運 はたいかに。

丞相病 あつかりき。

四海の波瀾 收まらで
民は苦み 天は泣き
いつかは見なん 太平の
心のどけき 春の夢、
群雄立ちて ことごとく
中原(ちゅうげん)鹿(しか)を 爭ふも
たれか王者の 師を學ぶ。

丞相病 あつかりき。

末は黄河の 水濁る
三代の源(げん) 遠くして
伊周(いしゅう)の跡は 今いづこ、
道は衰へ 文(ふみ)弊れ
管仲(かんちゅう)去りて 九百年
樂毅(がっき)滅びて 四百年
誰か王者の 治(ち)を思ふ。

丞相病 あつかりき。

      二
嗚呼南陽の 舊草廬(きゅうそうろ)
二十餘年の いにしえの
  夢はたいかに 安かりし、
  光を包み 香をかくし
  隴畝(ろうほ)に民と 交われば
  王佐の才に 富める身も
  たゞ一曲の 梁父吟(りょうほぎん)。

閑雲(かんうん)野鶴(やかく) 空(そら)濶(ひろ)く
風に嘯(うそぶ)く 身はひとり、
月を湖上に 碎(くだ)きては
ゆくへ波間の 舟ひと葉、
ゆふべ暮鐘(ぼしょう)に 誘はれて
訪ふは山寺(さんじ)の 松の影。

江山(こうざん)さむる あけぼのゝ
雪に驢(ろ)を驅(か)る 道の上
寒梅痩せて 春早み、
幽林(ゆうりん)風を 穿(うが)つとき
伴(とも)は野鳥の 暮の歌、
紫雲たなびく 洞(ほら)の中
誰そや棊局(ききょく)の 友の身は。

其(その)隆中(りゅうちゅう)の 別天地
空のあなたを 眺(なが)むれば
大盜(たいとう)競(き)ほひ はびこりて
あらびて榮華 さながらに
風の枯葉(こよう)を 掃(はら)ふごと
治亂(ちらん)興亡(こうぼう) おもほへば
世は一局の 棊(き)なりけり。

其(その)世を治め 世を救ふ
經綸(けいりん)胸に 溢るれど
榮利を俗に 求めねば
岡も臥龍(がりょう)の 名を負ひつ、
亂れし世にも 花は咲き
花また散りて 春秋(しゅんじゅう)の
遷(うつ)りはこゝに 二十七。

高眠遂に 永からず
信義四海に 溢れたる
君が三たびの 音づれを
背(そむ)きはてめや 知己の恩、
羽扇(うせん)綸巾(かんきん) 風輕(かろ)き
姿は替へで 立ちいづる
草廬あしたの ぬしやたれ。

古琴(こきん)の友よ さらばいざ、
曉(あけぼの)たむる 西窓(せいそう)の
殘月の影よ さらばいざ、
白鶴(はっかく)歸れ 嶺の松、
蒼猿(そうえん)眠れ 谷の橋、
岡も替へよや 臥龍の名、
草廬あしたの ぬしもなし。

成算(せいさん)胸に 藏(おさま)りて
乾坤こゝに 一局棊(いっきょくき)
たゞ掌上(しょうじょう)に 指(さ)すがごと、
三分の計(けい) はや成れば
見よ九天の 雲は垂れ
四海の水は 皆立(たち)て
蛟龍飛びぬ 淵の外。


英才雲と 群がれる
世も千仭(せんじん)の 鳳(ほう)高く
翔(か)くる雲井の 伴(とも)やたそ、
東(ひがし)新野(しんや)の 夏の草
南(みなみ)瀘水(ろすい)の 秋の波
戎馬(じゅうば)關山(かんざん) いくとせか
風塵暗き ただなかに
たてしいさをの 數いかに。

江陵去りて 行先は
武昌夏口の 秋の陣、
一葉(いちよう)輕く 棹(さお)さして
三寸の舌 呉に説けば
見よ大江の 風狂ひ
焔(ほのお)亂れて 姦雄の
雄圖(ゆうと)碎けぬ 波あらく。

劔閣(けんかく)天に そび入りて
あらしは叫び 雲は散り
金鼓(きんこ)震(ふる)ひて 十萬の
雄師は圍(かこ)む 成都城
漢中尋(つい)で 陷(おちい)りて
三分の基(もと) はや固し。

定軍山の 霧は晴れ
汚陽(べんよう)の渡り 月は澄み
赤符(せきふ)再び 世に出(い)でゝ
興(おこ)るべかりし 漢の運
天か股肱の 命(めい)盡きて
襄陽遂に 守りなく
玉泉山(ぎょくせんざん)の 夕まぐれ
恨みは長し 雲の色。

中原北に 眺むれば
冕旒(べんりゅう)塵に 汚されて
炎精(えんせい)あはれ 色も無し、
さらば漢家の 一宗派(いちそうは)
わが君王を いただきて
踏ませまつらむ 九五(きゅうご)の位(い)、
天の暦數 こゝにつぐ
時建安の 二十六
景星(けいせい)照りて 錦江(きんこう)の
流に泛(うか)ぶ 花の影。

花とこしへの 春ならじ、
夏の火峯(かほう)の 雲落ちて
御林(ぎょりん)の陣を 焚(や)き掃ふ
四十餘營(しじゅうよえい)の あといづこ、
雲雨(うんう)荒臺(こうだい) 夢ならず、
巫山(ふざん)のかたへ 秋寒く
名も白帝の 城のうち
龍駕(りょうが)駐(とどま)る いつまでか。

その三峽の 道遠き
永安宮(えいあんきゅう)の 夜の雨、
泣いて聞きけむ 龍榻(りょうとう)に
君がいまわの みことのり。
忍べば遠き いにしえの
三顧の知遇 またこゝに
重ねて篤き 君の恩、
諸王に父と 拜(はい)されし
思(おもい)やいかに 其(その)宵(よい)の。

邊塞(へんさい)遠く 雲分けて
瘴烟(しょうえん)蠻雨(ばんう) ものすごき
不毛の郷(きょう)に 攻め入れば
暗し瀘水(ろすい)の 夜半(よわ)の月、
妙算世にも 比(たぐい)なき
智仁を兼ぬる ほこさきに
南蠻いくたび 驚きて
君を崇(あが)めし 「神なり」と。

      四
南方すでに 定まりて
兵は精(くわ)しく 糧(かて)は足る
君王の志 うけつぎて
姦(かん)を攘(はら)はん 時は今、
江漢(こうかん)常武(じょうぶ) いにしへの
ためしを今に こゝに見る
建興五年 あけの空、
日は暖かに 大旗(おおはた)の
龍蛇(りょうだ)も動く 春の雲、
馬は嘶(いなな)き 人勇む
三軍の師を 隨へて
中原北に うち上る。

六たび祁山の 嶺の上、
風雲動き 旗かへり
天地もどよむ 漢の軍、
偏師節度を 誤れる
街亭の敗(はい) 何かある、
鯨鯢(げいげい)吼(ほ)えて 波怒り
あらし狂うて 草伏せば
王師十萬 秋高く
武都(ぶと)陰平(いんぺい)を 平げて
立てり渭南の 岸の上。

拒(ふせ)ぐはたそや 敵の軍、
かれ中原の 一奇才
韜略(とうりゃく)深く 密ながら、
君に向はん すべぞなき、
納めも受けむ 贈られし
素衣巾幗(そいきんかく)の あなどりも、
陣を堅うし 手を束(つか)ね
魏軍守りて 打ち出でず。

鴻業果(はた)し 收むべき
その時天は 貸さずして
出師(すいし)なかばに 君病みぬ、
三顧の遠い むかしより
夢寐に忘れぬ 君の恩
答て盡す まごゝろを
示すか吐ける 紅血(くれない)は、
建興の十三 秋なかば
丞相病 篤かりき。


魏軍の營(えい)も 音絶て
夜(よ)は靜かなり 五丈原、
たゝずと思ふ 今のまも
丹心(たんしん)國を 忘られず、
病(やまい)を扶(たす)け 身を起し
臥帳(がちょう)掲(かか)げて 立ちいづる
夜半の大空 雲もなし。

刀斗(ちょうと)聲無く 露落ちて (註)刀は正式には「ちょう」の字
旌旗(せいき)は寒し 風清し、
三軍ひとしく 聲呑みて
つゝしみ迎ふ 大軍師、
羽扇綸巾(うせんかんきん) 膚(はだ)寒み
おもわやつれし 病める身を
知るや情(なさけ)の 小夜(さよ)あらし。

諸壘あまねく 經(へ)廻(めぐ)りて
輪車(りんしゃ)靜かに きしり行く、
星斗(せいと)は開く 天の陣
山河はつらぬ 地の營所(えいしょ)、
つるぎは光り 影冴えて
結ぶに似たり 夜半の霜。

嗚呼陣頭に あらわれて
敵とまた見ん 時やいつ、
祁山の嶺(みね)に 長驅(ちょうく)して
心は勇む 風の前、
王師たゞちに 北をさし
馬に河洛に 飲まさむと
願ひしそれも あだなりや、
胸裏(きょうり)百萬 兵はあり
帳下三千 將足るも
彼れはた時を いかにせん。


成敗遂に 天の命
事あらかじめ 圖(はか)られず、
舊都(きゅうと)再び 駕(が)を迎へ
麟臺(りんだい)永く 名を傳ふ
春(はる)玉樓(ぎょくろう)の 花の色、
いさをし成りて 南陽に
琴書(きんしょ)をまたも 友とせむ
望みは遂に 空(むな)しきか。

君恩(くんおん)酬(むく)ふ 身の一死
今更我を 惜しまねど
行末いかに 漢の運、
過ぎしを忍び 後(のち)計る
無限の思(おもい) 無限の情(じょう)、
南(みなみ)成都(せいと)の 空いづこ
玉壘(ぎょくるい)今は 秋更けて、
錦江の水 痩せぬべく
鐵馬(てつば)あらしに 嘶きて、
劔關の雲 睡(ねぶ)るべく。

明主の知遇 身に受けて
三顧の恩に ゆくりなく
立ちも出でけむ 舊草廬
嗚呼鳳(ほう)遂に 衰へて
今に楚狂(そきょう)の 歌もあれ、
人生意氣に 感じては
成否をたれか あげつらふ。

成否をたれか あげつらふ
一死盡くしゝ 身の誠、
仰げば銀河 影冴えて
無數の星斗 光濃し、
照すやいなや 英雄の
苦心孤忠の 胸ひとつ、
其(その)壯烈に 感じては
鬼神も哭かむ 秋の風。


鬼神も哭かむ 秋の風、
行(ゆき)て渭水の 岸の上
夫の殘柳(ざんりゅう)の 恨(うらみ)訪(と)へ、
劫初(ごうしょ)このかた 絶えまなき
無限のあらし 吹(ふき)過ぎて
野は一叢(いっそう)の 露深く
世は北邱(ほくぼう)の 墓高く。

蘭(らん)は碎けぬ 露のもと、
桂(かつら)は折れぬ 霜の前、
霞(かすみ)に包む 花の色
蜂蝶(ほうちょう)睡(ねむ)る 草の蔭、
色もにほひも 消(きえ)去りて
有情(うじょう)も同じ 世々の秋。

群雄次第に 凋落し、
雄圖(ゆうと)は鴻(こう)の 去るに似て
山河幾とせ 秋の色、
榮華盛衰 ことごとく
むなしき空に消行けば
世は一場(いちじょう)の 春の夢。

撃たるゝものも 撃つものも
今更こゝに 見かえれば
共に夕(ゆうべ)の 嶺の雲
風に亂れて 散るがごと、
蠻觸(ばんしょく)二邦(にほう) 角(つの)の上
蝸牛の譬 おもほへば
世ゝの姿は これなりき

金棺灰を 葬りて
魚水の契り 君王も
今(いま)泉臺(せんだい)の 夜の客
中原北を 眺むれば、
銅雀臺(どうじゃくだい)の 春の月
今は雲間の よその影
   大江(たいこう)の南 建業の
   花の盛も いつまでか。

五虎の將軍 今いづこ。
神機(しんき)きほひし 江南の
かれも英才 いまいづこ、
北の渭水の 岸守る
仲達(ちゅうたつ)かれも いつまでか、
聞けば魏軍の 夜半の陣
一曲遠し 悲茄(ひか)の聲。

更に碧(みどり)の 空の上
靜かにてらす 星の色
かすけき光 眺むれば
神祕は深し 無象(むしょう)の世、
あはれ無限の 大うみに
溶くるうたかた 其(その)はては
いかなる岸に 泛(うか)ぶらむ、
千仭暗し わだつみの
底の白玉 誰か得む、
幽渺(ゆうびょう)境(さかい) 窮(きわ)みなし
鬼神のあとを 誰か見む。

嗚呼五丈原 秋の夜半
あらしは叫び 露は泣き
銀漢(ぎんかん)清く 星高く
神祕の色に つゝまれて
天地微かに 光るとき
無量の思 齎(もた)らして
「無限の淵」に 立てる見よ、
功名いづれ 夢のあと
消えざるものは たゞ誠、
心を盡し 身を致し
成否を天に 委(ゆだ)ねては
魂遠く 離れゆく。

高き尊き たぐいなき
「悲運」を君よ 天に謝せ、
青史の照らし 見るところ
管仲樂毅 たそや彼、
伊呂の伯仲 眺むれば
「萬古の霄(そら)の 一羽毛」
千仭翔(かく)る 鳳(ほう)の影、
草廬にありて 龍と臥し
四海に出でゝ 龍と飛ぶ
千載の末 今も尚
名はかんばしき 諸葛亮。

私は昔からこの詩を何度も何度も読んできました。一時は全文暗誦できたものです。やはり私には、この詩こそ諸葛亮孔明のことを一番よく表しているように思えます。

司馬懿仲達と何度も闘った五丈原で孔明は、大きな流れ星が落ちると同時に亡くなりました。仲達という当時最大の軍略家は、とうとう最後まで孔明が中原に進出するという悲願を防ぎとおしました。仲達は第二次ポエニ戦争におけるハンニバルに対する大スキピオといえるのでしょうか。ただしスキピオはザマでハンニバルに直接勝利しますが、仲達は孔明に勝利はしないのです。負けなかっただけなのです。しかし、魏と蜀の関係では、魏は負けなければ、もはや中原を支配しているのですから、それだけで蜀には勝利していることになるのです。
それにしても、この詩を読んでいると、誠に一途な孔明を感じてしまいます。ひたすら劉備玄徳の恩に酬いたいがために、なんとしても中原にうって出たい孔明の気持、中原を制覇して、漢室を再興することこそ、玄徳への恩をかえすことであり、またそれが、中国の大衆を苦しみから救うことだと考えていたのでしょう。それに対して、仲達の存在はもはやそんな考え自体もう時代遅れだよといっているようにも思えます。
また土井晩翠もまたこの孔明にかなりな愛を感じているのがそのまま伝わってきます。それに、この詩の語句はまた三上卓「青年日本の歌(昭和維新の歌)」でもいくつか使われていますね。私もどうしても自然に口から出てくるような詩句がいくつもあります。(ある方の指摘により作詞作曲者名を間違えていましたことに気がつき訂正しました。ありがとうございます)
そしてこの詩が収められている「天地有情」ですが、やはりこれ全体がいいですね。やはりこうして孔明の真心を天は知っていて、孔明の蜀に勝利をもたらす訳ではありませんが、孔明が亡くなる時に、星を五丈原に降らすわけです。天は黙って見ているのです。

高校時代の文学史の授業で、明治の詩人としては、北村透谷や島崎藤村のみ扱われて、土井晩翠をさほど評価しない内容だったのに、私は強烈に文句をつけたことがあります。とにかく私には中学生の時から好きで音読していた詩人でした。
  私の持っている「天地有情」の収められている詩集は、新潮文庫の「土井晩翠詩集」で、中2のときに鹿児島のある古本屋で買ったものでした。編者と解説がなんと保田與重郎です。

  私は晩翠詩の初めての讀者に對しては、語句の詮議を第二として、まずその作をよみ、これが音調を味ふことをすゝめる。由來和漢の文藝は、一應字を讀みうれば情おのづとうつるものである。晩翠詩中に於て、まことに難解と考へられる字句は極めて僅少である。そこで歌はれてゐる事實は日本人としての教養に缺くことの出來ない東西古今の文物史蹟である。これを知識として知ることは、文明の國民の單なる義務である。(保田與重郎「土井晩翠詩集」解説

この古本屋に、土井晩翠訳のホメロス「イーリアス」が置いてありました。それを見あげて、高価なので買えないことを悔しがっていたものでした。

私がときどき行くゴールデン街の飲み屋(「ひしょう」でした)で、2軒目としていきますから、夜の12時ころになりますが、そこで1年に1度くらい会う(私がこんな夜遅く行くからなかなか会えないのです。1軒目としていけばもっと会えるのでしょうが)、元国立大学の先生がいます。もう65歳くらいでしょうか。その方が私の顔を見ると、必ず「あ、彼が来ちゃった、俺帰れなくなっちゃうよ」などといいながら、私に向かって

土井晩翠「星落秋風五丈原」!!

と叫びます。私は立ち上がって、この詩を暗唱しだします。しかし、もう私はちょうど1連くらいしか暗唱できないのです。彼は絶えず、「あ、一行抜かした」だの「それ読み方が違う」だのうるさいのです。私が「もうここまでくらいしか覚えていませんよ」というと、今度は

諸葛亮孔明「出師の表」!!

ということで、私はまた

先帝業を創めてより未だ半ばならずして、中道にして崩徂す。今天下三分して益州疲弊す。此れ誠に危急存亡の秋なり。然れども待衛の臣内に懈らず、忠志の士身を外に忘るるは、蓋し先帝の殊遇を追うて、これを陛下に報いんと欲するなり。誠に宜しく聖聴を開張して、……………………。

と暗誦しだします。
しかし、実にこれがいつものことですが、実に大変なのですね。もう長年の酒のせいかだんだんと記憶力がおちてきて、もうどれも正確に暗誦できなくなってきているのです。(この先生は、もう亡くなりました。もう随分の時間が経ちました。2005.08.14)

でもこうして、土井晩翠の詩や「出師表」を通して孔明を思ってくれる人がいるのは実に嬉しいことです。「演義三国志」での孔明はなぜかすべてを判りきっている大軍師のようで、あんまり好きにはなれないのですが、孔明の本当の姿というのは、この詩で土井晩翠がいう

消えざるものはたゞ誠、

ということにあるように思います。「誠」一筋の人だったよ、と思うのです。(2005.08.14)

またこれを読んで、暗記暗誦できるようにしていきます。(2010.11.11)

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07100802 曹操の息子 に書いた本です。このところ我孫子への行き帰りとクライアントへの行き帰りの電車の中で読んでいます。でもけっこう中身がたくさんつまっている感じで、まだ読み終わりません。

 日本人が読める「三國志」としては、以下の本を私は読んできました。私が読みました順です。

 吉川英治「三国志」
 柴田連三郎「英雄ここにあり」
 陳寿「三國志」(裴松之の註を含む)
 羅貫中「三國志演義」
 横山光輝マンガ「三国志」
 北方謙三「三国志」
 伴野朗「呉・三国志 長江燃ゆ」

 もちろん、あと短いものはいくつも読んでいます。

   土井晩翠「星落秋風五丈原」は一時は全文暗記暗誦できたものでした。あと「世説新語」、「三国志平話」はまだ読んでいません。手に入れるのが大変だから、図書館でと思っています。
 それと宮城谷昌光さんの「三国志」が「文藝春秋」で連載中です。私はこれが世界で最大の「三国志」になるだろうと思っています。

 ところで、この坂口和澄さんのこの本ですが、大変に読み応えがあります。
「西南夷の章」の「南征の目的はどこにあったか───諸葛亮」というところは、実に頷きました。孔明の南征は、「一体あんなことが何になったのかなあ?」という思いもあったのですが、実に納得できました。

 それにしても、もう少しでこの本は読み終わります。でも電車に乗らないと、読んでいる場がないですね。
 それと、この坂口和澄さんの他の本も見つけ出して読んでみたいと思っています。

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詩歌三国志
書 名 詩歌三国志
著 者 松浦友久
発行所 新潮選書
定 価 1,200円+税
発行日 1998年10月30日発行
読了日 2007年5月13日

 私が5月12日に我孫子の自宅へ行きまして、13日の夕方王子に戻るときに、この本を電車の中で読んできました。ひさしぶりに読んだものでした。
 私は、土井晩翠「星落秋風五丈原」について初めて読んだのは、新潮文庫の「土井晩翠詩集」が初めてのことでした。そして高校1年のときにすべて暗記暗誦したものでした。
 思い出せば、私は吉川英治「三国志」を初めて読んだのは、高校2年生のときでした。私はあの小説を読んで、やはりなんといいましても曹操のことが一番好きになれました。諸葛亮孔明については、さほど好きな人物とは私には思えなかったものでした。孔明が活躍しだすと、なんとなく面白く感じられないのです。私はやはり、「槊を横たえて、詩を賦す」曹操が第一番目に好きでした。だが、孔明のことも大変に好きでもいられたのは、この晩翠のこの詩があったからだと思っています。

 http://shomon.net/kansi/siika2.htm#tutii 土井晩翠「星落秋風五丈原」

 ただ、今私のこのサイトを見て、残念なところがあります。それは「五」の2連目なのですが、私は以下のように書いてあります。

  刀斗(ちょうと)聲無く 露落ちて
  旌旗(せいき)は寒し 風清し、
  三軍ひとしく 聲呑みて
  つゝしみ迎ふ 大軍師、
  羽扇綸巾(うせんかんきん) 膚(はだ)寒み
  おもわやつれし 病める身を
  知るや情(なさけ)の 小夜(さよ)あらし。

 この最初の「刀斗(ちょうと)」の最初の字ですが、これは「刀」ではありません。この「ちょう斗」というのは、一斗を容れる斗(ます)形の銅鑼のことです。当時の軍隊で、昼は鍋として炊事に使い、夜は銅鑼として、警備上に撃ち鳴らすものです。この「ちょう」という字がどうしても出てこないのです。
 以下では、正確に書いていますが、作字していますね。

   http://uraaozora.jpn.org/podoi2.html  星落秋風五丈原

 私では作字できないのです。
 でも、最後の「終章───諸葛孔明像と”詠史の時空”」をちょうど日暮里駅についたとき読んでいまして、やっぱり私は涙が出てきました。

  草廬にありて 龍と臥し
  四海に出でゝ 龍と飛ぶ
  千載の末 今も尚
  名はかんばしき 諸葛亮。

 この孔明の存在があってこそ、曹操という存在も生き生きとしてくるのです。

 曹操が、第七十八回、すなわち全体の約三分の二の時点で長逝することをもって、かれの役割が終わったと見るのは当たらない。文帝(曹丕)・明帝(曹叡)との対決にせよ、司馬懿との対決にせよ、孔明はまさに、曹操が産み出した”魏国”という機構・体制と対決しているのであり、その意味で孔明はまさに、五丈原での戦役に至るまで、一貫して”曹操”と対決しているのだといってよい。敵役としての曹操の姦智と権力が絶大であればあるほど、それを打ち砕く孔明の知謀と赤誠は輝きを増し、小説『三国演義』の主人公としての役割は不動のものとなる。したがって、五丈原で孔明が死んだとき、その”陰画”としての曹操も、はじめてその役割を終えて本当に死ぬのである。孔明の知謀と赤誠なくしては小説『三国演義』は成り立たないが、曹操の姦智と権力なくしては孔明の存在は際立ち得ない。『三国演義』における孔明と曹操の役割の相補性は、どれほど強調しても、し過ぎにはならないであろう。この二人にくらべれば、劉備も孫権も、関羽や張飛や趙雲も、あるいは周瑜や司馬懿や陸遜も、小説『三国演義』における役割は遥かに小さい。(「終章───諸葛孔明像と”詠史の時空”」)

 いや、曹操があってこそ、孔明の存在が大きく生きてくるのだと思うのです。
 それにしても、この「星落秋風五丈原」は何度詠んでみてもいいです。もう全文を暗誦はできなくなりましたが、やはりいくつもの詩句が私の口から出てきます。
 これからもまた何度も、この詩を暗誦していくでしょう。

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