将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:曹丕

2018050102 私が「純と愛」の善行の四字熟語14「捲土重来」で次のように書いていたのですが、

そうですね、私はいつも虞美人のことを歌った項羽の詩も好きです(作者は司馬遷なのでしょうが)。虞美人の詩も好きですよ。

この二人の詩を書きます。これは「項羽の愛した女、虞美人」に私は書いているのですが、以下に詩のみ書きます。

垓下歌   項羽
力拔山兮氣蓋世 力は山を抜き 気世を蓋う
時不利兮騅不逝 時利あらず 騅逝かず
騅不逝兮可如何 騅の逝かざる 奈何すべき
虞兮虞兮汝若何 虞や虞や 若を奈何せん

返歌    虞姫
漢兵已略地 漢兵已に地を略し
四方楚歌聲 四方楚歌の声
大王意氣盡 大王意気尽きぬ
賤妾何樂生 賤妾何ぞ生を楽しまん

これは「項羽『垓下歌』」は司馬遷が作り、「虞姫『返歌』」も誰かが作詩したものでしょう。この時代のずっとあとの三国史の時代にも、あの曹植にしても五言詩しか作っていません。いわば始めて、曹丕が七言の長詩である『燕歌行』を作詞したことを思い出します。

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120901061209010712090109   私は「三曹の詩のこと」で曹操、曹丕、曹植の詩をこのブログ将門Webに書いていたのですが、「なんか少ないな」と思っていました。前のホームページの将門Webには、もっと書いていたはずなのでした。
 それで以下見つけました。以下は「三曹の詩のこと」には書いていませんでした。

曹操(155年〜220年3月15日)
蒿里行
薤露

曹丕
於清河見輓船士新婚與妻別

曹植(192年〜232年11月28日)
薤露行

 なんか情けないなあ。
 また改めてこの三人の詩人については書いてみましょう。
 なおここに掲げた肖像はこの三人のものです。左から、曹操・曹丕・曹植の順です。私はこの三人とも大好きな詩人であり、英雄です。いや曹植は「英雄」とはいえないですね。政治家にはなりませんでした。なれませんでした。

12040810 私がいつも読んでいるのが、この長春有情です。でもここはかなり毎日のUP量が多くて、私では読みきれません。
 ここれで、吉川英治「三国志」を読んでいます。でも進行しているよりも私ははるかに遅れて読んでいるものです。
 今日は、以下を読みまして、もうただただ曹操に感激感動しています。いやもちろん吉川英治にも感激しています。

  吉川英治『三国志』を読む
 http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=TR&action=m&board=2000482&tid=d9bdumadbep&sid=2000482&mid=20022

の中の一部です。

『先生、池の魚は毎度鑑ておいでらしいが、まだ大海の巨鯨は、この部屋で鑑たことがありませんね』
 すると、許子将は、学究らしい薄べッたくて、黒ずんだ唇から、抜けた歯をあらわして、
『豎子、何を云う!お前なんぞは、治世の能臣、乱世の姦雄だ』
 と、初めて答えた。
 聞くと、曹操は、
『乱世の姦雄だと。 結構だ』
 彼は、満足して去った。

 ここは、曹操の曹操たるところが思うままに私の目の前に浮かびます。乱世の奸雄とは実に曹操に最適な言葉です。そしてそういわれて満足している曹操が私は大好きです。
 私は曹操の漢詩はみな好きです。ほとんど暗記暗誦しているといっていいでしょう。もちろん、曹丕も曹植の詩も私は大好きです。

 でもここのサイトでは、私はまだここを読んでいるのですね。まだまだ急いで追いかけないとならないのです。

 私は三国志といえば、今まで、「三国志」「三国志演義」「吉川英治『三国志』」「横山光輝『三国志』」、北方謙三「三国志」、柴田錬三郎「英雄・生きるべきか死すべきか」、伴野朗「呉三国志」を読んでいます。まだほかにもあるかもしれません。

 それと宮城谷昌光「三国志」は、まだ読んでいる最中です。

101208032010/12/08 11:59ニチイの介護サービスの時です。実は6日にもおいでいただいたのですが、私がよくわかっていなかったのです。
 でもこれで30分経ちましたらこのサービスは終わりです。なかなか私もこのサービスがよくわかっていなのです。
 さてでも、私は私が義母の年齢になった頃はどうなるのかなあ。今はこうしてポメラで打ちまして、そしてこれをパソコンでUPします。でも私があと20年経ったら(生きていないかもしれませんが)、どうなっているのかなあ。
 このあとこれをブログにUPします。
 さきほど曹操の『苦寒行』をUPしました。明日は同じく曹操の『短歌行』をUPします。昨日までは、曹植、曹丕の詩をUPしたのですが、でも漢字熟語が出てこないものがあるのです。それが少し大変です。でも曹丕は現在実際に残っている詩は私のブログでほとんどUPしました。曹植はすべてはやっていないです。岩波書店に詩集がありますから、それで見ればいいでしょう。
 曹操もいくつかUPしましたが、今度は『歩出夏門行』をUPしないとならないです。ただ長大な詩で大変なのです。
 でも私は三曹の詩をインターネット上に多く紹介しているほうです。あと曹叡という人の詩も紹介しないとなりません。
 ただポメラだと漢字熟語が出てこないから、あとでパソコンで打つときにすべて(すべてじゃないけれど)打ち直します。それがなんとなく不便だと感じるところです。

 きょうも、12時からの30分でした。でもそれ以上長くやってくれました。ありがたいです。

 曹操の「短歌行」がなんと言っても一番知られているわけですが、曹丕にも同じ題名の詩があります。

  短歌行   曹丕
  仰瞻帷幕  仰いで帷幕を瞻(み)
  俯察几筵  俯して几筵(きえん)を察(み)る
  其物如故  其の物故の如く
  其人不存  其の人存せず
  神靈倏忽  神霊倏忽(しゅくこつ)として
  弃我遐遷  我を弃(す)てて遐遷(かせん)す
  瞻靡恃靡  瞻(み)る靡(な)く恃(たのむ)靡く
  泣涕連連  泣涕(きゅうてい)連連たり
  幼幼遊鹿  幼幼として鹿遊び
  銜草鳴麑  草を銜(ふく)み麑(げい)鳴く
  翩翩飛鳥  翩翩たる飛鳥
  挾子巣棲  子を挟(さしはさん)で巣棲(そうせい)す
  我獨孤煢  我独り孤煢(註1)
  懷此百離  此の百離を懐う
  憂心孔疚  憂心はなはだ疚(や)ましく
  莫我能知  我を能く知るもの莫(な)し
  人亦有言  人も亦言える有り
  憂令人老  憂え人をして老いしむと
  嗟我白髮  嗟(ああ)我が白髮
  生一何蚤  生ずること一(まこと)に何ぞ蚤(はや)き
  長吟永歎  長吟永歎し
  懷我聖考  我が聖考を懐う
  曰仁者壽  仁者寿なりと曰うも
  胡不是保  胡(なん)ぞ是れ保せさる

10120606 (註1)孤煢  こけい。曹丕には何人も兄弟がいたが、いわば仲が悪かったから、このように言ったのではと思う

  頭をあげてたれ幕をみる
  頭をさげては机や敷物を見る
  父のものはそのままで変わりないが
  だけど父はもう存在していない
  父の霊魂はもうたちまち
  私をすてていってしまった
  今はもう父を見ること出来ず頼むことも出来ない
  ただ泣いて涙が絶えない
  ようようとないて遊ぶ鹿は
  草を口に含んで子の為にないている
  ひらひらと飛ぶ鳥は
  樹木の枝に巣を作り雛を抱いて育てている
  それなのに私は孤独だ
  こんなに寂しい訣ればかりを悲しんでいる
  こうしたことを思うといたくつらくなり
  だがこの私の心を誰もしらない
  昔の人がいっている
  「憂いの気持が人を老えさせる」と
  ああ、私の頭がどうして白髪になるのだ
  声を長く詠い
  聖徳をもった我が父を思えば
  「仁者は長く生きる」と「論語」ではいうが
  どうして我が父はこのとおりにならなかったのだろうか

 この詩は建安25年(220年)正月に洛陽で曹操が亡くなったときに、次を継いだ曹丕が作った詩です。曹操は66歳で亡くなりました。曹丕はこのとき34歳でした。「どうして、こんな早く俺を置いていくのだ」という曹丕の父への愛情を感じてしまいます。
 このあと、同じ年の10月に、曹丕は漢の献帝の禅譲により、正式に帝位につき魏の文帝となります。
 おそらく曹丕は、父曹操の死を悲しむあまりもあったでしょうが、父の「短歌行」も念頭にあったはずです。父の詩は万年に残るだろうが、私だって、その父を憶う詩をこそこうして父と同じ題名で作るのだという思いがあったのではないでしょうか。
 曹操が偉大な存在であったからこそ、曹丕も懸命に努力するわけです。だが、どうして俺がまだまだこれからというときに、あなたは私から去っていってしまうのだという曹丕の気持が私に切々と伝わってきます。
 私は曹操の「短歌行」がおそらく漢詩の中では一番好きですが、この曹丕の「短歌行」も父曹操を思う心を深く感じまして、好きになってしまうのです。(1996.11.02)

 あるとき、自分の父が亡くなり、その一周忌の法要のときに、この詩を書いた私の文章を捧げたいという希望が、その娘さんからありました。私は快く了解しました。きっとその葬儀会場では、彼女の父を思う気持が、曹丕の父曹操を思うこの詩を掲げてくれたことで、よく分かったのではないかと私は思ったものです。(2010.12.07)

10120505 曹操の詩と曹植の詩と同じく、やはり曹丕の詩も見てみたいなと思いました。でも、曹植の詩はあちこちで紹介されているし、詩集としても岩波書店「中国詩人選集」の第3巻にありますが、曹操ならびに曹丕の詩は見つけだすのもたいへんです。
  遠征に出た夫を独り待つ妻の気持を歌にしています。

   燕歌行     曹丕
 秋風蕭瑟天氣涼 秋風蕭瑟として天気涼しく
 草木搖落露爲霜 草木揺落して露霜と為る
 群燕辭歸雁南翔 群燕辞し帰り雁南へ翔び
 念君客遊思斷腸 君が客遊を念えば思い断腸
 慊慊思歸戀故郷 慊慊(註1)として帰らんと思い故郷を恋わん
 君何淹留寄他方 君何ぞ淹留(註2)して他方に寄るや
 賎妾煢煢守空房 賎妾煢煢(註3)として空房を守り
 憂來思君不敢忘 憂い来って君を思い敢て忘れず
 不覺涙下霑衣裝 覚えず涙下って衣装を霑(うるお)すを
 援琴鳴絃發清商 琴を援(ひ)き絃を鳴らして清商(註4)を発し
 短歌微吟不能長 短歌微吟すれども長くすること能わず
 明月皎皎照我牀 明月皎皎として我が牀を照らし
 星漢西流夜未央 星漢西に流れて夜未だ央(きわま)らず
 牽牛織女遥相望 牽牛織女遥かに相望む
 爾獨何辜限河梁 爾独り何ぞ辜(つみ)ありてか河梁に限らる

 (註1)慊慊(けんけん) 心の満たされぬこと
 (註2)淹留(えんりゅう) 久しく滞在する
 (註3)煢煢(けいけい) 孤独なこと
 (註4)清商(せいしょう) 特別に澄んだ音

 秋風がわびしく吹き、大気も涼しい季節になった
 草木は葉を落とし、露は霜となった
 燕の群は飛び去り、雁は北からやってきた
 だけどあなただけは旅に出たきりで帰らないので思いは悲しいばかり
 きっとあなたも帰りたいと思っているのだろうに
 どうしていつまでも他国にいるのでしょか
 わたしはひとり家を守っていると
 寂しくてあなたを思い忘られず
 思わず涙がこぼれて衣装を濡らしてしまった
 琴を引き寄せ絃を鳴らして、澄んだ音を出してみたものの
 歌っても小さな声になってしまい、いつまでも歌うことができない
 明月の光がこうこうとわたしのベットを照らし
 天の河も西に傾いたが、まだ夜は明けない
 牽牛と織女は天の河をへだてて向いあつている
 どんな罪があって、あのように河でへだてられているのだろうか

 曹植の詩がほとんど五言詩なのにくらべて、この詩は七言詩です。たぶんもっとも早い七言詩でしょう。

 これは燕の歌とあるように、もともとは燕の国(河北省)の民謡なのでしょうか。そうした地方の歌をこうしてまた自分なりに解釈創作しているわけです。曹丕も父曹操同様数々の遠征をしたわけですが、その遠征に従う将兵には皆このように独りで待っている妻がいることを曹丕は充分に知っていたのだと思います。

 牽牛織女遥相望
 爾獨何辜限河梁

という二句を見るときに、その待っている妻の孤独が深く伝わってくると同時に、このような遠征に対する怨みの思いもきこえてくるように思います。待っている妻にとっては、待っていてももう愛する夫は帰らないことも多々あるのです。曹丕はそうした将兵とその家族の気持を判っていながら、何度も戦いに出かけたものと思います。
  曹丕は政治家であると同時に武人でした。父曹操が残してくれた魏帝国は、中原を支配したといっても、まだ呉も蜀も勢い盛んでした。やがて、漢の献帝からの禅譲(当然蜀漢側からは簒奪になる)により、文帝として中国の帝の地位についたとしても、まだ戦いは続きます。その中で、やはり曹丕は魏をより強大にしたことと、そして父にも似た英雄であり、また偉大な詩人でもあったと思います。
  三曹といっても、こうして曹丕の詩までなど扱われることはまずありません。こうして、この詩を読んで少しは曹丕の存在ならびに気持を判って頂きたく思います。(1995年の11月頃書いたものでした)。

 この詩を三国志の好きなパソコン通信の場で紹介したことがあります。そこにいた若者たちはみな、曹丕のほうが、曹植よりも数段漢詩が上手なのではないかと言ってくれたものです。そのときには、ものすごく嬉しくなった私がいたものです。(2010.12.06)

10120503 秋葉原のヨドバシカメラへ行きました。実にたくさんの人でした。

2010/12/05 07:14これを書いていると、昨日の「周のポメラ」が真っ先に目に入るわけです。これが一番問題です。昨日の曹植の詩集の名前もパソコンでは入れられますが、このポメラではできないのです。愉快じゃないですね。そういえば、曹丕は入れられないのです。
2010/12/05 07:36今日本テレビで京都の錦小路を写していますが、思えば、横浜の六角橋商店街と似ているな。六角橋のほうが路が狭いか。懐かしいな。いや両方とも懐かしいのです。どちらもまた歩きたいな。
2010/12/05 08:19さてきょうはヨドバシカメラへ行くつもりですから、それできちんとやります。

 シャープの電子書籍ガラパゴスを直接手にとって見たかったのでした。

201810220110120406 曹丕といいますと、どうしても陰険な人間と思ってしまうかもしれません。私がこのごろ読みました北方謙三「三国志」でも、どうしても曹丕の描き方は暗く陰湿な人間に描かれていたかと思います。
でも以下の詩を読んでみてください。そんな姿ではない曹丕が浮かんでくるかと思います。

釣竿 曹丕
東河濟越水 東して河済の水を越ゆるとき
遥望大海涯 遥かに望む大海の涯(ほとり)
釣竿何珊珊 釣竿(ちょうかん)何ぞ珊珊
魚尾何從從 魚尾何ぞ従従(註2)たる
行路之好者 行路の好者(註3)
芳餌欲何爲 芳餌(註4)何か為さんと欲する

(註1)珊珊(さんさん) 釣をする人が腰の帯びている玉のなる音。
(註2)從從(しし) 本当は上に竹へんがついている。魚の尾が濡れた。鳥の羽毛に似ているのを形容した。
(註3)好者(こうしゃ) 愛する女性。
(註4)芳餌(こうじ) 魚を釣るよい餌、愛する女性の歓心を買うための良い贈り物。

東に来て黄河や済水(わいすい)を渡ると
遥か彼方には大海のほとりも見える
そこには魚を釣る人がいて、その人の腰におびた玉はいい音でなり
魚の尾は濡れた鳥の羽のようでつややかに美しい
道を行く綺麗で可愛いお嬢さん!
あなたの心を得るのには私は何をあげればいいのだろうか

これは釣竿(ちょうかん)という題名で、釣り人を詩っているのですが、この釣り人を詩に扱うというのは、漢代から常に男女が相手を求めることを象徴しているものでした。だから漢代からたくさんの詩が作られていたようです。いわば、男女の求愛を詩にした歌謡曲といえるでしょうか。そんな誰もが詠う歌を、こうして曹丕はまた自分で詩にしたわけです。
綺麗な音の出る玉を帯びた男性が、鳥の羽のように綺麗な女性に求愛しているわけです。長年にわたり戦場におり、かつ非情な政治の世界を生きた曹丕ですが、こうした当時も今も誰もが持つ愛の感情を素直に詩にしているのです。(2002.10.14)

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10120207 かなり曹植の詩を読んでみて、やはり曹植は中国第一級の詩人だと思いました。もし、杜甫という詩人が現れなかったら、いまでも曹植こそ中国第一の詩人といわれていたのではないでしょうか。その曹植の詩といったら、あまりにも「七歩の詩」の詩が有名なわけですが、この詩はまた別の機会に紹介したいと思います。そもそも、この有名な詩が実際には曹植の詩であるかどうかは判らないといわれているのです。
 ときどきいろいろなところで引用されることの多い、「吁嗟篇」をここでは見てみたいと思います。やはり実にいい詩ですね。曹植の生きた境遇と生涯がそのまま目の前に浮んでくる気がします。

    吁嗟篇(註1)曹植
  吁嗟此轉蓬  吁嗟(註2)此の転蓬(註3)
  居世何獨然  世に居る何んぞ独り然るや
  長去本根逝  長く本根を去りて逝き
  夙夜無休間  夙夜(註4)休間無し
  東西經七陌  東西七陌を経
  南北越九阡 南北九阡(註5)を越ゆ
  卒遇回風起  卒かに回風(註6)の起るに遇い
  吹我入雲間  我を吹きて雲間に入る
  自謂終天路  自ら天路を終えんと謂いしに
  忽然下沈淵  忽然として沈渕に下る
  驚飆接我出  驚飆(註7)我を接えて出だし
  故歸彼中田  故に彼の中田に帰す
  當南而更北  当に南すべくして更に北し
  謂東而反西  東せんと謂うに反って西す
  宕宕當何依  宕宕(註8)として当に何れにか依るべき
  忽亡而復存  忽に亡びて復た存す
  飄搖周八澤  飄揺として八沢(註9)を周り
  連翩歴五山  連翩として五山(註10)を歴たり
  流轉無恆處  流転して恒の処無し
  誰知吾苦艱  誰か吾が苦艱を知らん
  願爲中林草  願わくは中林の草と為り
  秋隨野火燔  秋野火に随いて燔かれなん
  糜滅豈不痛  糜滅(註11)するは豈に痛ましからざらんや
  願與株亥連  願わくは株亥(註12)と連ならん

  (註1)吁嗟篇(くさへん) 流転の歌。
  (註2)吁嗟(ああ) 嘆辞。
  (註3)轉蓬(てんぼう) 枯れて根元から切れ、まるまって風の吹くままにころがるヨモギ。
  (註4)夙夜(しゅくや) 夙は早朝、夜は深夜。
  (註5)七陌九阡 陌・阡はともに田の畦道で、東西を陌といい、南北を阡という。
  (註6)回風(かいふう) つむじ風。
  (註7)驚飆(きょうふう) 突風。
  (註8)宕宕(とうとう) 蕩蕩と同じ。広漠なるさま。
  (註9)八澤(はったく) 昔の中国にあった八つの大きな沢。
  (註10)五山 中国にある五つの代表的な山。
  (註11)糜滅(びめつ) 焼けただれて滅ぶ。
  (註12)株亥(しゅがい) 亥は上にくさかんむりがついている。草の根のこと。

 ああ、風のままにゆくよもぎよ、
 世のなかにあってなぜお前だけがこうなのか。
 はるかにもとの根から離れて、
 朝早くから夜おそくまでただよいつづける。
 東西に七つの道を渡り、
 南北に九つの道をとび越える。
 そのうちつむじ風に巻きこまれ、
 雲間に吹き上げられる。
 これなら天の果てまでいけるぞと思っているうち、
 たちまち深淵の底に突き落とされる。
 ところが突風に救われて、
 なんとまた元の田圃にもどされる。
 南に行くのだと思えば北へ、
 東へ行くのだと思えば西へ吹きとばされ、
 果てしなくひろがり寄るところもない。
 消え去ると思えば、また生きていて、
 ふわふわとただよいて八沢をめぐり、
 ひらひらとひるがえって五山をまわった。
 流れ流れて所を定めない、
 この私の苦しみを誰が知ろうか。
 できるなら林の下草となり、
 秋に野火に焼かれてしまいたい。
 焼けただれるのは苦痛であろうが、
 自分を生んだ株や根と運命を共にするのが私の願いなのだ。

 三国志の世界で劉備や関羽、諸葛孔明の側に思いを入れるたくさんの人たちは、この曹植が兄である曹丕にいじめられるところではまた涙を流すのではないでしょうか。そしてだれもまた、兄であり、後漢から帝位を奪ったとされる(当然魏の歴史では漢の献帝からの禅譲となりますが)曹丕(文帝)を憎み、さらにはその父曹操(曹丕を後継者に決めたのは父である)をも憎むことになるのかもしれません。

 曹植は初平三年(一九二年)、曹操三八歳のときの子どもです。三男でした。この年には長安で董卓が呂布に殺され、父曹操はまだ袁紹の勢力下にありました。やがて曹操は次第に勢力を広げていきます。曹操はこの曹植を寵愛します。ただし、曹植には兄である曹丕がいるわけです。曹操のまわりには、たくさんの人材がきら星の如く存在していました。それらの多くの武将や詩人たちと、曹操も曹丕も曹植もほとんど平等の「友情」というような気持で付き合っていきます。
 やがてこの大帝国になった魏の後継者が曹丕なのか曹植なのかという争いになっていきます。曹丕はなんとしても、曹植を亡きものにしようと圧迫したと「演義」などではいっています。父が亡くなってからはさらに厳しくなっていきます。さらにその曹丕も亡くなりますが、曹植はますます中国全土を「転ぶ蓬」のように移動させられます。そうした自分の転々とした生活を描いたのが、この詩であるわけです。彼はなんとしても政治に参画しようとしたいのですが、最後まで許されません。
 この曹植をいじめぬいた曹丕を陰険な極悪人のように思い描き勝ちですが、私にはまた曹丕もまたこの時代の第一級の政治家であり、偉大な詩人であると思います。彼も弟のことをかばえるだけかばいたかったでしょう。でも曹植が優秀なだけに、彼ら二人の兄弟の側近は争わなければならなかったのでしょう。そして曹丕側が勝利したのです。曹植はまた曹丕を敬愛していたと思います。それが曹操以下の幕僚たちや、詩人たちの持っている雰囲気であると思うのです。それは、この詩の最後の句に表れているように思えます。曹植も、きっと父や兄と同じような政治の世界での苦労にまみれたかったのだと思います。
 だが彼の生涯は、結局はこの詩の「転ぶ蓬」のようにふわふわとたよりなく、流転させられるだけになってしまいました。でもその結果は彼には父や兄のような政治家としての名声は何も残りませんでしたが、実にその詩人でもある曹操や曹丕よりも詩人としての名声こそ今にも伝えられています。私にはそれこそが、父である曹操の考えたことでもあるように思えてきます。ただし、こう考えるのは私だけなのかもしれません。
 それにしても、曹植の流転の生涯を描いた、いい詩だと思います。(これは1995年に書いていた文章です)。

 私はこの詩を私のブログで書こうと思いまして、でもそのときにUPする前にどうしてもいくつもの思いがあり、台所で食器の洗い物をしていたときも、そのあと、ゴミを捨てにマンションの1Fに行ったときも、常に曹植とこの詩を思い浮かべていました。なんだか、どうにも悲しくてたまらなかったものでした。ちょうどHNKの連ドラの「てっぱん」で、お好み焼きを作るシーンが何故か私には、曹植を思う私にはものすごく慰めになったものでした(2010.12.04)。

 曹植で一番有名な詩といったらこの「七歩の詩」だと思います。この詩に見られる事件がおきたのは、建安二五年(延康元年)のことです。「三国志演義」に描かれています。

  七歩詩    曹植
 煮豆持作羹  豆を煮て羹と作(な)し
 漉叔以爲汁  叔(註1)を漉(こ)し以て汁と為す
 其在釜下燃  其(註2)は釜の下に在りて燃え
 豆在釜中泣  豆は釜の中に在りて泣く
 本是同根生  本是同根より生じたるに
 相煎何太急  相煎ること何ぞ太(はなはし)く急なる

 (註1)叔(し)は上にくさかんむりがついている。醗酵させた豆のこと。
 (註2)其(まめがら)は上にくさかんむりがついている。

 豆を煮て、それで豆乳を作り、
 豆を漉して汁を作る、
 豆がらは釜の下で燃え、
 豆は釜の中で泣く。
 もとはといえば同じ根から生まれたのに、
 どうしてそんなにはげしくいりつけるのですか。

10112806 この兄弟はかなり不幸でした。二人は共にかなりな優れた人たちでした。だが、どちらかが曹操のあとを継がねばなりません。そこで二人の近臣たちは暗闘することになります。曹操は曹丕を後継者ときめたにもかかわらず、曹丕には曹植の動向が絶えず気になったことでしょう。
 ほぼその闘いには曹丕側が勝利して、この事件がおこります。羅貫中「三国志演義」では次のようにこの事件を記しています。
 曹丕はある日、曹植に七歩ゆく間に詩を作れ、できなければ死を賜うといいます。題材はそこにあった二匹の牛が争っている水墨画でした。ただし牛とか二匹とかいう文字の利用は許しません。曹植は歩きだし、七歩で見事な詩を作ります。曹丕もその臣下も感心しますが、曹丕はさらに即座に兄弟を題にした詩を、しかも兄弟の二字を使わないでつくれと命じます。できなければ、そのとき曹植の首はありません。この曹丕の言葉の次に、曹植がすぐに詩いだしたのが、この詩でした。
 もとは同じ曹操の子として生まれた兄弟なのに、どうしてそんなに私を激しく責めるのですか───という詩に、兄曹丕も思わず涙ぐみます。
「演義」ではこの詩は最後の二句はありません。最初の4行だけになっています。古来からこの詩は名高かったのですが、一体曹植の詩であるかどうかは確証がありませんでした。ただ私には、やはりこれは曹植が作った詩だと思ってしまいます。本来は仲のいい兄弟であったはずなのに、魏という大帝国を父から受け継いだ二人はどうにも不幸な関係になってしまったのです。曹丕は弟を愛しながら、そして詩人としての才能に嫉妬することもあったでしょうが、どうしても迫害してしまいます。弟は兄を敬愛し、なんとか魏の為に政治の世界に携わりたいのですが、どうしても許されません。「兄よ、私にもあなたの政治を助けさせてください」という植の思いに、曹丕はきっと心の中でこう答えていたに違いありません。

  弟よ、私には少し悔しいことでもあるのだが、お前は多分大変に詩人としての才能に恵まれているのだ。お前が政治の世界に出てきたら、私はお 前を殺さねばならないのだよ。政治は私がやる。おそらく後世にはお前は世界でも第一級の詩人として名高いことだろう。私にはそれが嬉しいのだ。

 二人の兄弟の思いを私はこう考えるのです。兄曹丕にそうした思いを抱かせてくれたのはこの詩ではないのかと私は思っているのです。(私はこれは、2003年の6月頃書いていました)

10090303 昨日は義母のことで、ご面倒をおかけしまして、そしてちゃんと対処いただきありがとうございます。
 パソコン関連の雑誌を読んでいて、もうノートパソコンの時代ではないのかなあ、ということを感じます。私はこうしてポメラで書いています(ただし、あとでパソコンで読み込んでUPします)し、他の機器でもパソコンなしでインターネットにUPできます。
 私の好きな三曹(曹操、曹丕、曹植)の詩で、私は曹植の詩は一番苦手でした(でもいくつも読んできましたし、本も読んできました)が、今朝読んだ本「漢詩で詠む中国歴史物語『漢末−南北朝時代』」で、また私は曹植の詩もまたいいなあ、と改めて思いました。
 写真は9月3日の午後6時20分に長女の家で撮りました。ポコ汰の作ったものです。こういうのを作るのが大好きなのです。(09/06)

8a41bf6e.jpg

 今このポメラで、「曹丕」を入れて、必死にポメラ自体に登録しようといましたが、無理でした。無理なのかな。

2010/02/21 08:04ちょうど8時を回ったところです。
 昨日は長女宅に行きましたが、ポコ汰は3Fでずっと眠っていました。私も3Fへ行きまして、しばし顔を見ていました。
 ポニョにもいっぱいお喋りしましたが、ママが買い物に行ったときに泣き出してしまったのですが、ポニョはなんとなく、私じいじでは動揺するのがすぐに判っているようです。
 あのね、じいじをいじめないでね。
2010/02/21 14:25いつもなぜかこのテレビの前のソファで眠ってしまっている私です。
2010/02/21 17:30「笑点」が始まります。
2010/02/21 17:41このポメラは単語登録が100しかできないので、いつも仕方ないな、面倒だなと思ってきました。でももういっそ100全部やればいいんだ、なんだそんなことだ。それで諸葛亮孔明と曹操と曹植を登録しました。でも曹丕はできないのですね。「丕」が駄目なのです(あとでパソコンで入れますね)。

 とにかく、このポメラは単語登録が貧弱で、それが不満です。

09090302 私は次女ブルータスへの手紙で、ずっと漢詩を紹介しているわけですが、このところ曹丕の詩を紹介し、曹操の詩の紹介も終わり、次は曹植の詩を紹介する番なのです。
 でもこれではたと困っているのが現状なのです。
 私は今まで、ブルータスには以下のように紹介して来ました。

曹丕 燕歌行』『釣竿』『上留田行』『於清河見輓船士新婚與妻別』『善哉行』『寡婦』『於玄武陂作』『芙蓉池』『短歌行』

曹操 『短歌行』『蒿里行』『薤露』『苦寒行』

 ただし曹操に関しては、『歩出夏門行』を紹介したいのですが、この詩があまりに長大なもので、実は私には自分でまだ読み込めていないのです。でもそのうちやっていきます。

 さて、最後の曹植に関しては、過去の手紙では、以下を紹介してあります。

曹植 『吁嗟篇』『七歩詩』

 まずは、私のこのブログで、曹植の詩の紹介からと思っているのですが、曹丕や曹操とは違って私には、この真面目な詩人は苦手になるのでしょうか。
 いやもちろん、私のホームページでもこのブログでももういくつかは紹介していますが、どうしても、もっと親しんでいかないといけないよなあと思っています。
 なんだかいつも曹植の詩には、私自身が、「少し苦手だなあ」という気持を持ってしまうのですね。

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 私の次女ブルータスに手紙を書いていますが、これに私はずっと漢詩を紹介しています。今までは以下のように、手紙を出して来ました。

   http://shomon.livedoor.biz/archives/51567071.html 私の二人の娘への手紙
   http://shomon.livedoor.biz/archives/51593673.html 次女への手紙
   http://shomon.livedoor.biz/archives/51674675.html 次女への手紙 その2

 このあとが次の通りです。

09年06/11 曹丕『於清河見輓船士新婚與妻別』
09年06/18 曹丕『善哉行』
09年07/01 曹丕『寡婦』
09年07/03 曹丕『於玄武陂作』
09年07/18 曹丕『芙蓉池』
09年07/21 曹丕『短歌行』
09年07/25 黒澤忠三郎『絶命詩』、佐野竹之助『出郷作』
09年07/27 曹操『蒿里行』

 このあとは曹操の詩を紹介し、そのあとは曹植の詩を紹介していきます。でもそのあとはどうしようかなあ。今から悩んでいます。

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 少し妻のところへはゆっくり出かけました。前日帰ってすぐに洗濯した寝巻が乾かなかったからでもありました。でも遅くなってもどうしても乾かない。だから、義母の寝巻きを借りていきましたものです。

009/05/03 10:01今王子駅で乗りました。
 妻への手紙で、きょうは曹丕の詩を3つ紹介しました。そうなると、明日は曹植の詩ですね。そうすると何を紹介しようかな。一つはもう決まっていますが、あとはどうしょうかな。
 うーん、私は三曹のことを考えると、いつも同じことを思います。私はこの三曹の詩がどれも好きで、そしていつもその詩を読んで、自分に言っています。私は、曹丕の詩を読んではいつも、「やっぱり、曹丕のほうが弟よりいい詩を書いているんじゃにかなあ」と思います。でもでも曹植の詩を読むとまた「やっぱり曹植は天才だなあ。兄貴の少し悔しい気持も判るなあ」となるのです。
 そして私はまた曹操の詩を読んで声をあげているのです。それを何回私は繰り返していることでしょうか。何度も、同じことを私は繰り返して思い浮かべているのです。
2009/05/03 10:26今つくばエクスプレスに乗りました。
 さきほど、柳田公園を歩きながら、私は曹植の詩を思い浮かべていました。私の脳裏だけでは、「曹植の詩はいいけれど、曹丕のほうがさまざまな工夫があるんだよなあ」と考えていました。でも実際に詩を目の前にすると違う思いになるのですね。
 いえ、ようするに私は曹植の詩は歩きながらでも詩句が浮かんでくるのです。曹植は詩句を思い出すのは少々辛すぎるのです。思えば彼の生涯がそんなに辛い生涯だったのでしょうね。曹植の詩は辛い彼の生涯ばかりが思い浮かんできます。でも曹丕は違うのですね。偉大な政治家でもありましたが、また詩人としても実にさまざまなことを書いています。彼はこう考えていたに違いありません。「俺は詩人としては、弟の足下にも及ばないが、でもでもこうしてさまざまに詩を作ってもみるのだ」と。
 昨日妻への手紙で書きました「燕歌行」も、実にあの時代に曹丕は七言詩を作っているのです。これは唐の時代より、実に500年以上前のことですよ。
 今頭の中だけで反芻する曹植の詩はただただ辛すぎます。
2009/05/03 10:55今は柏キャンバス駅でバスを待っています。まだ時間がかなりあります。
2009/05/03 11:00でももうバスには乗りました。でも出発は5分になります。もうこれでここに来るのは6日目です。だから思えば私の妻への手紙もきょうで5通目になるのです。もうきょうは長女おはぎが来てくれます。長女と会えるのも嬉しいことです。
2009/05/03 13:43今ママとおはぎと9Fのレストランに来ています。昨日は義弟の家族と一緒でしたが、きょうはママと長女です。だから、きょうは義弟と甥にも手紙を書こう。
 ポコ汰とポニョに会いたいなあ、と思ってばかりいます。さて、もう二人の孫の話を聞いていますが、でも保育園のいいお話を聞いています。
 うちの二人の孫は、食べることと眠ることが大好きなのです。そんな二人の話を聞いているじいじの私はもう実に嬉しいことばかりです。
2009/05/03 14:17おはぎから。ちょっといいことを、いいお話を今聞いています。
2009/05/03 19:35馬鹿毛唐もいるんだなあ、とあきれています。毛唐はこんなもんなんですね。
2009/05/03 19:37あ、でも上中里でした。

 帰りは午後5時を過ぎるので、千駄木「浅野」に飲みに行きました。「アラスアラサン」で次女ブルータスへのプレゼントを買いまして、そのあと千駄木根津谷中を歩きました。連休だし、テレビがどの局でも、ここの地域を特集しているせいか、もうたくさんの方が歩かれていました。「浅野」も昼の定食が60人のお客で大変だったようです。

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 きょうも手紙を持って行きます。きょうは、曹丕の詩を紹介しました。以下の3つです。

   短歌行   燕歌行   釣竿

 さてさて、きょうは長女おはぎが来てくれます。おはぎは、私には一見厳しいのですが、でも実は大変に優しい娘です。でもでも、いつも私がだらしないから問題なのです。
 でも私の本心は、こんな娘を持つことができて、ただただ嬉しいばかりです。

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ecbad676.jpg 私の、このブログでの 周の漢詩塾(ブログ篇)でも、周の三曹の詩 でも、私は曹操、曹丕、曹植の詩を扱ってきました。それで、私が手に入れられる詩では、曹操も曹丕もほぼ紹介できたかと思っています。あとは曹植がまだまだいくつもあるのですが、詩が長詩ばかりなので、実に大変なのです。
 いえ、実は曹操の詩でも、『歩出夏門行』をここで紹介できていないのですが、これまたものすごく長詩なのですね。だから大変なのです。
 しかし、その大変というのは、まずどの詩でも漢字がこのインターネット上では表わせないものがいくつもあります。それを他のごく似た字に置き換える(そしてそのことは解説します)ようにしているのですが、それが実に至難のことなのです。
 長詩と言えば、私は文天祥『正氣歌』をインターネット上で紹介解説しようと思い、もう四年以上前に、その詩は書いてあるのですが、これまたインターネット上では表わせない漢字がいくつもありまして、それを置き換える作業が終わりません。
 このことは私の大変な悩みです。
 さきほどから、曹操『歩出夏門行』も書いてはいるのですが、書き下し文を書いて、訳してという段階でまだ時間がかかります。そもそも出てこない漢字はどうしようかと大変なのです。
 なんとか時間がかかっても、やっていかなとなりませんね。
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 曹丕の「芙蓉池」という詩を見てみました。
 実は私には、この詩が難しいのです。漢和辞典を引いていまして、大変に時間がかかりました。いやこれはこの時代が、神仙思想というものがかなりはびこり、曹丕もこんなことまでいうのだと私は驚いていたものです。

   芙蓉池   曹丕
  乗輦夜行游 輦(註1)に乗りて 夜行きて遊び
  逍遥歩西園 逍遥(註2)して 西園を歩む
  雙渠相漑灌 双渠(註3) 相(あい)漑灌(註4)し
  嘉木繞通川 嘉木(註5) 通川を繞(めぐ)る
  卑枝払羽蓋 卑(ひく)き枝は 羽蓋(註6)を払い
  脩条摩蒼天 脩(註7) き条((註8)は 蒼天を摩(こす)る
  驚風扶輪轂 驚風(註9)は 輪轂(註10)を扶(たす)け
  飛鳥翔我前 飛鳥は我が前を翔ける
  丹霞夾名月 丹霞(註11)は 名月を夾み
  華星出雲間 華星(註12)は 雲間より出づ
  上天垂光彩 上天は 光彩を垂れ
  五色一何鮮 五色(註13) 一に何ぞ鮮やかなる
  寿命非松喬 寿命は 松喬(註14)に非ず
  誰能得神仙 誰か能く 神仙たるを得ん
  遨游快心意 遨遊(註15)して 心意を快くし
  保己終百年 己を保ちて 百年を終えん

  (註1) 輦(れん) てぐるま、人の引く車
  (註2) 逍遥(しょうよう) きままに歩く
  (註3)雙渠(そうきょ) 二つの溝
  (註4)漑灌(がいかん) 水の流れ
   (註5) 嘉木(かぼく) よい美しいな木
  (註6)羽蓋(うがい) 羽の蓋
  (註7)脩(なが) 長い
  (註8)条(えだ) 枝 こえだ
  (註9)驚風(きょうふう) はげしい風
  (註10)輪轂(りんこく) 車の輪とこしき。轂は車輪の中心にあって、軸を貫いている部品
  (註11)丹霞(たんか) 赤いもや
  (註12)華星(かせい) 華やかな星
  (註13)五色(ごしき) 青・黄・赤・白・黒
  (註14)松喬(しょうきょう) 赤松子と王子喬という二人の不老不死の仙人
  (註15)遨遊 (ごうゆう) きままに遊ぶ

  車に乗って 夜行って遊んでいる、
  気ままに 西の園を歩いていく。
  二つの溝を ともに水の流れを渡り、
  美しい樹木を見て、川をめぐっている。
  ひくい枝で、羽の蓋を払い、
  長い枝で、蒼天をこすっている。
  激しい風が車をたすけて、
  飛ぶ鳥が 私の前を翔っている。
  丹い霞が、明月を夾んで、
  華かな星は、雲の間から出ている。
  上の空は、美しい光りを垂れ、
  五つの色は、一にこれだけ鮮やかなのだ。
  寿命は松喬の仙人にだけでなく、
  誰も神仙になることができる。
  きままに遊んで、気持を快くして、
  自分でやり抜いて、百年を生きよう。

 いえ、私の解釈はこれでいいのかは自信がありません。
 実は、私は学生時代、学生運動ばかりをやっていたわけではなく、専門は東洋史で、さらに卒論は中国の古代神話をやったものでした。
 でも当然東洋史の教授が私の担当になりますが、私は単なる呆れたほどの過激派です。そしてその先生は、モンゴル時代の東西交流史が専門で、私のやっていることは全然判りません。
 私は、いろいろと読み進みまして、中国の三皇五帝の時代を、どうその後の時代がつかんだのかということを調べていきました。
 漢の時代がいわばすべての、古代中国の歴史が判っていくわけですが、この後漢三国の時代に、私は判らないことなります。私はもちろん、孔子のことは、好きにもなれませんでしたが、黄老の考え方こそが嫌いでした。孔孟もよくないけれど、老子も荘子も良くないよなあ、とばかり思っていました。でもその頃読んだ本は、戦後できた2期国立大学の埼玉大学では、私が始めて読んだ本で(あの頃はそういうことが判るのです)、その後も今に至っても誰も読んでいないだろうという本です。
 でもでも、この三国志の時代は、やはりあのような思想が注目されたいたのですね。この曹丕の詩を読んで、まったく判らないから、時間がかかりましたが、でも曹丕もそうなんだ、という思いで、少しだけ、さみしい気持にもなりました。
 いや、もちろん、私は自分の食事の時間、もちろん酒を飲んでいるわけですが、私は曹丕の思いが少しも判っていなかったことが寂しいです。悔しい思いです。

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 建安の七子の一人である友人の阮元瑜が亡くなったときに作ったという詩です。この寡婦とは、阮元瑜の未亡人のことです。
 前半六句は、自然のさまを詩い、後半八句では未亡人の思いから、彼女の声として詩っています。

    寡婦(註1) 曹丕
  霜露紛兮交下 霜露紛として 交(こもごも)下り、
  木葉落兮淒淒 木葉落ちて 淒淒(註2)たり。
  候鴈叫兮雲中 候鴈 雲中に叫び、
  歸燕翩兮徘徊 帰燕翩(へん)として 徘徊す。
  妾心感兮惆悵 妾(しょう)が心感じて 惆悵(註3)として、
  白日忽兮西頽 白日忽(こつ)として 西に 頽(くづ)る。
  守長夜兮思君 長夜を守りて 君を思い、
  魂一夕兮九乖 魂一夕に 九たび 乖(はな)る。
  悵延佇兮仰視 悵(註4)として 延佇(註5)して 仰(あお)ぎ視れば、
  星月隨兮天廻 星(ほし)月(つき)に従いて 天に廻る。
  徒引領兮入房 徒(いたづ)らに領(りゃう)を引きて(註6) 房に入り、
  竊自憐兮孤栖 竊(ひそ)かに自ら 孤栖(註7)を憐む。
  願從君兮終沒 願くは君に従いて 終(つひ)に沒せん、
  愁何可兮久懷 愁ひは何ぞ 久しく懐(いだ)くべけん。

  (註1)寡婦 未亡人。夫に死別して再婚しないでいる婦人
  (註2)淒淒(せいせい) わびしく悲しいさま。
  (註3)惆悵(ちゅうちょう) なげき悲しむ
  (註4)悵(ちょう) うらむ。なげく。
  (註5)延佇(えんちょ) 長い間たたずむ
  (註6)引領(りょうをひく) 首を長くして待つ。
  (註7)孤栖(こせい) ひとりぼっちで住む

  露が降りる状態から、霜が降りる時が入り乱れて、
  木の葉も散ってしまい、寒々しくわびしい様子である。
  渡り鳥の雁がやってきて、雲の中で鳴いている、
  帰っていく燕は、翻ってまだ行ったり来たりしている。
  わたしの心は感じてしまい、なげき悲しんでいる、
  太陽もたちまち西にしずみかけている。
  秋の夜もすがら、あなたのことを思っている、
  魂は一夜に何度も離れている。
  長くただずむのを嘆いてあおぎ見れば、
  星は月にしたがいて、天をめぐっている。
  いたずらに首を長くして(亡き夫の帰りを)待ち望み、部屋に入り、
  ひそかに自分を哀れみ、一人だけで住んでいるのを悩む。
  願わくは、あなたに従って、死んでしまいたい、
  この愁いが、一体どうして、長い物思いとなってしまっているものだろうか。

 友人の妻が未亡人として、独りで暮らしているのを曹丕は大変に気にかかったのでしょう。そして実は、この詩を曹丕が書いたということは、この未亡人に対する求愛の詩とも思えてきます。
 間違いなく、これはその親友の未亡人に対する求愛の詩です。
「守長夜兮思君」とは、亡き親友を、その妻が思っているだろうという長い夜を通して、実は曹丕自身が、あなたをこそ思っているのだという気持を私は感じました。

 そんな曹丕のことが私は好きです。

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 曹丕の詩です。「上留田」をどう訳してみたらいいのだと悩みまして、平凡社の「憂愁のうた 漢〜六朝」の『貧乏な男のうた』の訳をそのまま使いました。
 やはり、曹丕という英雄は凄いものを持っていますね。おそらく、曹植では、このような詩は作れなかったでしょう。

    留田   曹丕
  居世一何不同 上留田 世に居(あ)る 一に何ぞ同じからざる 上留田
  富人食稲與粱 上留田 富人は稲と粱(おおあわ)を食い 上留田
  貧子食糟與糠 上留田 貧子は糟(かす)と糠(ぬか)を食い 上留田
  貧賤亦何傷 上留田 貧賤なるも亦た何ぞ傷ましきや 上留田
  禄命懸在蒼天 上留田 禄命(註1) 懸りて蒼天に在り 上留田
  今爾歎息将欲誰怨 上留田 今爾(なんじ)歎息し 将に誰をか怨まんとす 上留田

  (註1)禄命(ろくめい) 人の運命。貧富・貴賤などの運命

  世の中 みんな同じじゃないか アアー エイヤサッサ
  金持ちは 稲と粱を食い アアー エイヤサッサ
  貧乏人は 糟と糠を食う アアー エイヤサッサ
  貧乏だとて 貧乏はつらいな アアー エイヤサッサ
  運はもともと 蒼い天がきめるもの アアー エイヤサッサ
  今君は溜息ついた 誰のせいだというんだ アアー エイヤサッサ

 最後の句も、私に言われている気がしました。「今爾歎息将欲誰怨」。そうです、一体誰のせいだというのでしょうか? 自分でやり抜くしかないのです。それを何度も自分に確認されています。
 やはり、曹丕は私に曹植とは違った思いを抱かせてくれます。曹丕は、何もこちらを向いてはいませんが、私はただただこの詩も読んで、また自分の思いを新たにしていきます。

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 もうたった今手紙を出しました。そして切手を購入してきました。それとその前には、義母の薬を購入してきました。
 私がさきほど出しました手紙は、ある女性に出したものです。その方から喪中のはがきをもらいましたので、まったく知らなかった私は、手紙を書いたものです。以下、その一部に書いたことです。

  ***************************
 たった今、私は私のブログに、「曹植『七哀詩』」への私の解説をUPしました。20台前半からよく知っていた詩でしたが、その曹植の兄曹丕を思う気持をなんだか哀しくしか思えなくて、やっとこの歳になって、この詩を読み解くことができた思いです。時間だけが恐ろしい速さで進む感じがしてしまうものですね。
 曹植には『七歩詩』という詩がありまして、これは『三国志演義』にも載っております。
 曹植は、兄曹丕に、「自分も政治の世界に就かさせてくれ!」と言い続けるわけですが、曹丕は、こう心の中で言っていたと私は思っています。
 このことについて、私は私の「将門Web」の中の

   http://shomon.net/kansi/sansou.htm 周の三曹の詩

で、「曹植『七歩詩』」で、以下のように書いています。

「兄よ、私にもあなたの政治を助けさせてください」という植の思いに、曹丕
はきっと心の中でこう答えていたに違いありません。

 弟よ、私には少し悔しいことでもあるのだが、お前は多分大変に詩人と  しての才能に恵まれているのだ。お前が政治の世界に出てきたら、私はお前を殺さねばならないのだよ。政治は私がやる。おそらく後世にはお前は世界でも第一級の詩人として名高いことだろう。私にはそれが嬉しいのだ。

 二人の兄弟の思いを私はこう考えるのです。兄曹丕にそうした思いを抱かせてくれたのはこの詩ではないのかと私は思っているのです。

 A子さま、前にもお薦めしたのですが、ご自分でブログを開設されませんか。ご自分の思うことをそのまま書き、デジカメでご自分の歩かれる処やいろんなものを写されて、それをUPするだけです。それでかなりな世界が拓けてくると思っていますよ。
  **************************

 このA子さまは、もう70歳前後の方です。でも、いつもパソコンをよく使用されています。私としては、できたら、ブログを開設してほしいと思っているのです。

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201802190108169295.jpg 周の雑読備忘録「近藤光男編『中國古典詩叢考』」のこの近藤光男さんの文章を読み直してみて、私が考えたところです。
杜甫のこの五言絶句の詩は、曹操の「短歌行」のように、その前の時代(曹操の時代)だったのなら四言でしか表現されなくても仕方なかったわけです。四言詩なら、これは以下のようになっていたでしょう。

江碧鳥白 江碧にして鳥白く
山青花燃 山青くして花燃ゆ
今春又過 今春又過ぐ
何日歸年 何れの日か帰年

曹操の「短歌行」も曹丕の「短歌行」も四言詩ですが、実にいいです。実にいいのですが、この杜甫の詩が、逾・欲・看・是を加えることによって、たとえば一句目は、「逾」という語によって、この「いよいよ」という語によって、長江を見ている杜甫の詩人の思いが私たちに伝わってきます。四言詩よりも、それを五言にすることは、こうして表現を豊かにしたのですね。もちろん、曹操の四言詩も曹丕の四言詩も、それは素晴らしい内容なのですが、五言絶句のように短く表現することはできませんでした。

      絶句   杜甫
   江碧鳥逾白 江碧にして 鳥逾(いよいよ)白く
   山青花欲然 山青くして 花然(も)えんと欲す
   今春看又過 今春看(みすみす) 又過ぐ
   何日是歸年 何れの日か是れ 帰年ならん

このところが、魏晋南北朝の時代を経て、唐の時代こそが漢詩の絶頂期と言えるのかなあ、と思います。曹植という詩人は、どの詩を読んでも、「この人こそ中国の詩人の最高の人だなあ」という思いを持つのですが、でも杜甫の詩を読んでいくと、杜甫ははるかに、それを上回っていると思わざるをえません。この「逾・欲・又・是」を加えることによる五言絶句でこそ、この長江を見ている詩人の気持が私たちに十分に伝わってきます。
こうして、唐の時代に絶句(五言絶句、七言絶句)が完成して行ったのですね。そしてでも、杜甫がもっとも得意なのは、律詩(五言律詩、七言律詩)です。

ただし、曹丕は、七言でも詩を作っています。曹丕「燕歌行」がそうです。あるときに、この詩を紹介しましたら、曹丕こそが三曹の中で一番すばらしい詩人と言えるのではないのか、と言った意見を聞いたものでした。武人であり、政治家であった曹丕が、こうした詩を作ったというのは、実にすごい驚くべきことですね。

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 周の漢詩入門「曹丕『善哉行』」へのコメント に私はこの三曹のうち曹丕の詩のことも私は大好きであるということを書いていたわけです。
 それで次の詩も読んでいて、私は実に曹丕の笑顔が見えるような思いになるのです。

   http://shomon.net/kansi/sansou2.htm#021014 曹丕「釣竿」

 この詩は以下のように短い五言詩です。

   釣竿      曹丕
  東河濟越水 東して河済の水を越ゆるとき
  遥望大海涯 遥かに望む大海の涯(ほとり)
  釣竿何珊珊 釣竿(ちょうかん)何ぞ珊珊
  魚尾何從從 魚尾何ぞ従従たる
  行路之好者 行路の好者
  芳餌欲何爲 芳餌何か為さんと欲する

  東に来て黄河や済水(わいすい)を渡ると
  遥か彼方には大海のほとりも見える
  そこには魚を釣る人がいて、その人の腰におびた玉はいい音でなり
  魚の尾は濡れた鳥の羽のようでつややかに美しい
  道を行く綺麗で可愛いお嬢さん!
  あなたの心を得るのには私は何をあげればいいのだろうか

 この曹丕の心はいいでしょう。実に優しい笑顔の曹丕の顔が想像できてしまいます。こんなふうに曹丕は路を行く綺麗なお嬢さんをナンパしていたものなのでしょうね。
 でもでも、こうして作詩していても、いつも「俺の詩なんか、弟曹植に比べれば足もとにも及ばない」と思っていただろう曹丕を思ってしまいます。
 以下を読んでみてください。

   http://homepage3.nifty.com/ten-en/01-novel/01-666/00-666.htm 六百六十六

 これを書いてくれた女性(たしか松竹梅というハンドル名の方でした)は、この詩の訳等を私のホームページから引用してしまうことわりを私にメールしてきました。私は快く了解しました。
 でもこの曹丕と司馬懿仲達のエピソードは、この彼女が創作したものですが、よくこういう風に思ってしまうものだなあ、と感心したものでした。

 ───俺の才など、子建(しけん)の才の足元にも及ばん。

という曹丕の思いが、今の私たちにも伝わってくる気がしてしまうのです。だからこそ、曹丕は政治の世界を必死に闘って行ったのだと、私は思っているのです。

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 私の 周の漢詩入門「曹丕『善哉行』」ナミちゃんから次のコメントをもらいました。

1. Posted by なみんと    2007年10月15日 20:36
この詩・・いいですね。
落ち着いてきます。
人生如寄
多憂何為
今我不楽
・・他」に
湯湯川流
中有行舟
・・・大きな川の流れに任せて・・と解釈してよろしいんでしょうか。

 まずありがとう。そして、まずこの曹丕の詩とは関係ないことを書きます。私はきょう、Aと会ってきました。彼の会社のことで、もう前から早く会うべきだったのですが、いろいろと機会が見つけられないで、きょうになってしまいました。でもね、会っても、きょう行ったことの目的の資料を彼が用意できなくて(その場でも用意できなくて)、大変に困りました。でも、そのあと、ずっとしばらく一緒にいて、彼のお母さんの介護に関すること、私の義母の介護のこととか、いろいろとお話しました。彼からは、私が「これは大事なことだなあ」と思うことも聴いて(介護に関することですね)、そこで言われたことを、私は、私の長女とその彼と(ポコちゃんの前で)、お話したのです。妻にも話しました。彼のお母さんも、私のことも、私の父母のこともよく知っているので、今度会いに行って、お話したいなあ、と思いました。
 また彼の奥さまにも会いたいのですが、今回は無理でした。でもきょう私が持って行ったお土産のお菓子を、奥さんも、彼の長女も食べてくれたでしょうから、そのお菓子の楽しさに、私の気持を少しは感じてくれたかなあ、と思っています。
 私が書いている、青木昌彦の「私の履歴書」のことも、彼も日経新聞で読んでいて、私もたくさんのことを思いました。思えば、彼も京都にも長く居たのですね。

 それで曹丕の詩です。いい詩でしょう。「・・・大きな川の流れに任せて・・と解釈してよろしいんでしょうか」と聞かれても、明確に応えられないけれど、「大きな川の流れに任せて」の「大きな川」というのが、黄河なのかどうかということでは、華北の当時のいくつもの河なんじゃないかなあ。ただし、「いくつもの小さい河も」と言っても、私たちの身近である利根川よりも大きな河川なんでしょうね。

 曹操は四言詩が多いのです。短歌行 がそうですね。まだ詩の形は「まだまだこれから〜」という時代です。でも 苦寒行 は五言詩ですね。そして三曹の中で、いつもどこでも詩を紹介公開される曹植は五言詩ばかりです。(ああ、私はこの曹植『吁嗟篇』なんか、どう言ったらいいのか判らないくらい好きな詩です)。
 でも私は、曹丕「燕歌行」のところで、

 曹植の詩がほとんど五言詩なのにくらべて、この詩は七言詩です。たぶんもっとも早い七言詩でしょう。

と書いたのですが、こうして見ますと、曹丕って、やっぱりすごいものを持っているでしょう。自分の思いをそのまま述べるとしても、歌う詩をこうして、形式を新しく作ろうとしているのです。だから私は、この曹丕を、多くの歴史書・物語の「三国志」で描かれている姿ではないのだと思っているのです。曹丕の詩は、この私のホームページ内だけではなく、このブログ内でも以下の

   http://shomon.livedoor.biz/archives/50066808.html  曹丕「於玄武陂作」

を書いています。
 いつも曹丕を詩を読み、「やはりいいなあ」と思いながら、曹植の詩で、「でもこれは天才だなあ…………もし、唐の時代に杜甫が現れなかったならな………」なんて思っていて、でもまた曹丕の詩を読み、またぐずぐずになっています私なのです。
 そして結局はまた曹操の詩を見つけ出して、読み、また納得している私なのです。

 曹丕もまた、そしてその父親の曹操もまた、こうした詩を作りながらも、時代の中で必死に闘って行ったのです。私には、その父と兄に、息子と弟の曹植だけには、自分たちのような政治の世界でだけ活きるのではなく、詩の世界でのみ活きてほしい、という意思をいつも感じてしまうのです。それが父と兄の心だったと私は思うのです。

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2017041109

中村愿『三国志曹操伝』を読んで、この詩を知りました。ただし、この本の中では詩の原文ではなく、この著者の訳しかないものですから、自分で探しました。
いい詩ですね。やはdd628922.jpgり曹丕もいいです。私は彼の詩を読んで、演義で言われている彼の姿とあまりに違う姿が思い浮かぶものですから、いつもその違いに驚いています。
でも私はいつも、私がこうして、詩そのものを読んで、思い浮かべる曹丕こそが本当の姿であろうと思っています。

善哉行 曹丕
上山採薇 山に上り 薇(わらび)を採り
薄暮苦饑 薄暮(はくぼ) 餓えに苦しむ
谿谷多風 谿谷 風多く
霜露沾衣 霜露(せいろ) 衣を霑す
野雉羣ナ 野雉(のち) 羣(むらが)りナき
猿猴相追 猿猴(えんこう) 相追う
還望故郷 還りて 故郷を望むに
鬱何壘壘 鬱(うつ)として何ぞ 壘壘(るいるい)たる
高山有崖 高山に 崖有り
林木有枝 林木に 枝有り
憂來無方 憂い来たり 方無く
人莫之知 人の之(これ)を 知る莫し
人生如寄 人生は 寄るが如し
多憂何為 多く憂えるも 何をか為さん
今我不樂 今我 楽しまずんば
歳月如馳 歳月 馳(は)するが如し
湯湯川流 湯湯(ゆゆ)たる 川流(せんりゅう)
中有行舟 中(うち)に 行く舟有り
隨波轉薄 波に随って 轉薄(てんぱく)して
有似客遊 客遊に 似たる有り
策我良馬 我が良馬に 策(むちう)ち
被我輕裘 我が軽裘(けいきゅう)を被り
載馳載驅 戴(すなわ)ち馳せ 戴ち驅(か)り
聊以忘憂 聊(いささ)か以って 憂いを忘れん

山に上って蕨を採り
日暮れになって腹が減る
谷間に風が多く
霜や露が衣を濡らす
野の雉は群れに鳴き
猿たちは二匹で追いかけ戯れているのに
我が故郷の空を顧みると
ただ樹木の鬱蒼たる山が重なり合っているのみである
高い山には崖があり
林の木には枝があるものを
憂いの訪れ方は定めがなく
誰もそれを予知し得ないだろう
誰の人生も寄る辺がない
いくら憂えたとてどうにもならぬ
されば今のうちに楽しまねば
年月は馳せるが如く過ぎ去ってしまう
流れてやまぬ川の流れの
中に漂う小舟一つ
波の間にただよう姿
自由きままな旅人のようだ
さあ、我が良馬に鞭をあて
軽い外套ひっかけて
この山野を駆け巡り
憂いなどを吹き飛ばそう

いつも曹丕の詩を読みますと、実にいい詩だな、見事だなあ、と思うのですが、詩の作品としては弟の曹植のほうが上だと思ってしまいます。
でもそれはそういうことを前提にして思ってしまっている私がいるだけなのです。個々の作品を読むと、やはりいつも曹丕のほうの作品のほうがいいんじゃないかなあ、といつも思い、そしてまた、曹植の作品を読むと、その詩の前で、感歎の声をあげてしまっています。
やはり曹丕・曹植ともに、大詩人である父曹操の息子たちなのですね。

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 私がこのところ読んでいるのが、以下の本です。

書 名 もう一つの「三國志」
    ───「演義」が語らない異民族との戦い───
著 者 坂口和澄
発行所 本の泉社
定 価 1,714円+税
発行日 2007年8月12日初版第1刷

 もうこれは面白いです。どんなに面白いかというと、私はその面白さを読むのが怖くて、本を開けられないのです。本を読むと、いつか読み終わってしまいます。それがものすごく怖いのです。
 いやいや、私は以下を引用したいだけで、この文を書き始めました。

 曹操には十三人の女性に産ませた男の子が二十五人いた。そのうち六人は生後まもなくか。あるいは十歳未満で亡くなっている。めぼしい子といえばベン皇后が生んだ曹丕・曹彰・曹植、劉夫人が生んだ曹昴、杜夫人は生んだ曹コン、環夫人が生んだ曹沖・曹宇、王昭儀が生んだ曹幹、孫姫が生んだ曹彪あたりであろうか。
 父曹操の文学者としての一流の才能を受けたのは曹丕と曹植、これにやや劣るのが曹コンだった。文学者ではないが、これに十三歳で夭逝した天才児曹沖も加えていい。

 私は前に、この曹操の息子の夢を見たことを書きました。

   http://shomon.net/bun/yume3.htm#050910  曹丕・曹植の兄弟

 でも思えば、この私の夢で見た「曹林」という人物に関しては、この著者は書いていませんね。まあ、仕方ないかなあ。

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07041702 三曹といいますと、私はなんと言っても曹操が好きです。そして詩はやはり読んでいるうちにやはり曹植の作品にひかれていきます。
 でも曹丕のいくつもの作品を読んでいても、曹丕のすぐれた才能をいつも感じています。
 この詩は、新婚夫妻が、別れて暮らすというその場面に曹丕が遭遇し、そのことを書いた作品です。とても曹丕の気持が清らかなのを感じてしまいます。

  於清河見輓船士新婚與妻別 曹丕
   (清河に於て船をひくの士 新たに婚し 妻に別るるを見る)
 與君結新婚 君と新婚を結び
 宿昔當別離 宿昔(しゅくせき) 当に別離すべし
 涼風動秋草 涼風(りょうふう) 秋草を動かし
 蟋蟀鳴相随 蟋蟀(しゅつしつ)鳴いて 相い随う
 冽冽寒蝉吟 冽冽(れつれつ) 寒蝉(註2)吟じ
 蝉吟抱枯枝 蝉(せみ)吟じて 枯枝(こし)を抱く
 枯枝時飛揚 枯枝 時に飛揚(ひよう)す
 身體忽遷移 身体 忽ち遷移(せんい)す
 不悲身遷移 身の遷移するを悲しまず
 但借歳月馳 但だ 歳月の馳(はっ)するを惜しむ
 歳月無窮極 歳月 窮極無し
 會合安可知 会合 安(いずく)んぞ知る可し
 願爲雙黄鵠 願わくは 双黄鵠(註3)と為りて
 比翼戯清池 翼を比(なら)べて 清池に戯れん

 (註1)宿昔(しゅくせき) わずかの時間
 (註2)寒蝉(かんせん) ひぐらしぜみ
 (註3)黄鵠(こうこう) 黄色を帯びた白鳥

 君と結婚したばかりなのに
 わずかの間 離れて暮らさなければならない
 涼しい風が 秋の草たちを揺らし
 こおろぎが雌雄で互いに呼び合っている
 ひぐらしは寒々と鳴き声を上げて
 枯れ枝につかまっているけれど
 枯れ枝が風で 揺れてしまうなら
 その体は たちまちどこかへ飛んでいってしまう
 体が飛ばされるのを 悲しんでいるわけではないが
 こうして 離れたままに年月を重ねていくことが寂しくて仕方ない
 時間は どこまでも流れていく
 それなのに君とはいつ再会できるのかわからないままである
 願うのだが わたしたちもつがいの黄鵠のように
 翼をならべ 清らかな水をたたえた池で一緒に遊んでいたいものだ

 おそらく曹丕は、自分の部下の中に、こうした新婚夫婦を何人も見ていたに違いありません。新婚の夫婦は少しの間でも別れているのはつらいものです。
 そのことを身近なこととしてよく知りながらも、曹丕は戦い続けなければいけないのです。その思いは、以下のようなことであったでしょう。
 曹丕がそれまでの漢帝国を終了させ、父の作った魏を中原の主とした以上は、曹丕は中国の統一をあくまでなさねばならぬのです。
 そんな強力な思いの中、こうした詩を作って、「いや、でも私はやりぬくのだ」と思っていたことでしょう。
 やはり、そんな曹丕もまた偉大な政治家であり、そして偉大な詩人であったと思うのです。

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2017122401987f6434.jpgさしぶりに、曹植の詩を見てみたいなと思いました。
父である曹操には、『薤露』という詩があります。

http://shomon.livedoor.biz/archives/50915860.html 周の三曹の詩「曹操『薤露』」

この父の詩も曹植は、読んでいたと思われますが、この「薤露行(かいろこう)」とは、葬式の時、柩を挽きながらうたう挽歌。人の死を哀しみ悼む歌であるということです。
私は自分の生涯を悼んでいるのであろうかと思いました。
曹植には、こうした詩が多いですね。いや、こうした詩ばかりかといえるのではないかなと思いました。

薤露行 曹植
天地無窮極 天地 窮極(きゅうきょく)無く
陰陽轉相因 陰陽 転じて相い因る
人居一世間 人 一世の間に居ること
忽若風吹塵 忽ち 風の塵を吹くが若し
願得展功勤 願わくは 功勤を展(の)ぶるを得て
輸力於明君 力を明君に輸(いた)さん
懐此王佐才 此の王佐の才(註1)を懐(いだ)き
慷慨獨不羣 慷慨して独り群(ぐん)せず
鱗介尊神龍 鱗介は神龍を尊び
走獣宗麒麟 走獣は麒麟を宗とす
蟲獣猶知徳 虫獣すら 猶お徳を知る
何況於士人 何ぞ況んや 士人に於いてをや
孔氏刪詩書 孔氏 詩書を刪(さん)して
王業粲已分 王業 粲(さん)として已に分(あき)らかなり
騁我逕寸翰 我が逕寸(けいすん)の 翰(かん)を騁(は)せ
流藻垂華芬 流藻(りゅうそう) 華芬(註2)を垂れん

(註1)王佐才 王者を補佐する才能。曹植自身のことを言っているかと思われる。
(註2)垂華芬(かふんをたれん) 花の香りを示すこと。後世に輝かしい名を残すこと。

天と地は永遠に存在し
日月や四季は次々に交代を繰り返す
だが人の送る一生は
まるで風に吹かれる路上の塵のようだ
私の願いは 思う存分の働きをし
持てる力量のすべてを明君に捧げたい
この王佐の才をもつだけで
高ぶる感情を抱えながら ひとり群れることをしなかった
水族は神秘な竜をその長として尊び
走る獣は麒麟をその宗主に仰ぐ
そのように虫や獣でさえ徳ある者を知っている
まして志ある人物なら尚更のことだ
孔子が「詩経」「書経」を著して以来
王者の業績はかがやかしく明かになった
私はここに直径一寸の筆を駆使して
文を後世に伝え、いつまでも華の香りを残したいのだ

なんとしても曹植は、自らの王佐の才能を生かしたいと常に考えてきたかと思います。とくに、そのことは兄である曹丕に伝えたかったのではないでしょうか。
だがその願いはかなわれることはありませんでした。
だから、最後に、「せめて文章を著して、後世に伝えて花の香を残したいものだ」と言っています。
私はいつも曹植に、あなたの詩をいつも読んで、あなたの詩才を感じていますよ、と伝えたいと思っています。

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06070602 私の好きな曹操、曹丕、曹植の詩を紹介しています。
 私は三国志の世界では、なんといいましても、曹操が一番好きなのです。いや、三国志の世界の中だけではなく、中国史の中でも一番好きな英雄と言ってもいいかと思っています。
 その英雄としての曹操も好きなのですが、やはり詩人としての曹操にも強く惹かれます。「槊を横たえて、詩を賦す」曹操の姿をいつも思い浮かべます。
 また曹操の息子である曹丕、曹植の詩にも大変な魅力を感じてきました。おそらく曹植といいましたら、もし唐の時代に杜甫という詩人が現れなかったらいまでも中国一の詩人と言えるのではないでしょうか。また誰もが、ただ陰険な政治家と考えてしまうだろう曹丕の漢詩も、実に優れており、魅力を感じます。それから私はこの兄弟を、三国志演義で描いているように、仲の悪い兄弟とはどうしても思えません。そんな思いを抱いてしまう詩がいくつもあるのです。
 曹操、曹丕、曹植の順に紹介しています。    (2002.11.04)

   http://shomon.net/kansi/sansou.htm  周の三曹の詩

 この3人のうち、曹植に関しては、岩波書店の「中国詩人選集」にその詩集があり、その他でもいくつか紹介されていますから、その詩を読むのは簡単にできるのですが、曹操、曹丕については、その詩を探すのは実に大変です。なにしろ私は現存する詩に関しては、すべて知りたいのです。
 なんとか、あちこちで見つけ出して、ここにUPしていきたいと考えております。

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 私の 三曹の詩 の 曹丕「短歌行」を紹介してくれているブログを見つけました。la piedra preciosa というブログで 素敵すぎる!! というUPです。
 以下のように書いてくれています。
 
すごく素敵なサイトを発見しました。
どうしても曹操らの詩が読みたかった私には嬉しいサイト様。
詩や書き下し文を紹介してはるところは何サイトか見つけたけど、
訳まで載せてくれてるのは初めて!!
数は少ないけど楽しませてもらいました。
それからこの管理人さんの解説も見事!
私の好きな感じの文章を書かれる方だなぁと。
というわけでこのサイト様にちょっと通おうかと思ってます。
勉強になりそうなことがいっぱいありそう!
 
曹操の詩も素敵やったけど私はこの曹丕の「短歌行」という詩が好き。
父・曹操が亡くなったときに詠ったそうです。
 
 曹丕のこの詩が好きになってくれるのは、実に嬉しいです。もちろん、曹操の詩も「素敵」だと言ってくれています。
 たしかに、この三曹の詩はどれもいいですね。もっと私のところで、この三曹の詩を紹介していかないといけないなと思いました。ただ言い訳をしますと、けっこう漢詩を紹介するのは大変なんですね。漢字が出てこないものがあるのです。私のメルマガの 将門Webマガジン で毎号漢詩を紹介するようにしていますが、この漢字のことがとても大変です。
 でもこうして読んでいただける方がいるのは、実に嬉しいです。今後も将門Webマガジンでも毎号漢詩を解説してまいります。それをメルマガ配信後、 周の漢詩塾 のいくつかのページにUPしてまいります。
 どうもありがとう。
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