将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:曹植

120901061209010712090109   私は「三曹の詩のこと」で曹操、曹丕、曹植の詩をこのブログ将門Webに書いていたのですが、「なんか少ないな」と思っていました。前のホームページの将門Webには、もっと書いていたはずなのでした。
 それで以下見つけました。以下は「三曹の詩のこと」には書いていませんでした。

曹操(155年〜220年3月15日)
蒿里行
薤露

曹丕
於清河見輓船士新婚與妻別

曹植(192年〜232年11月28日)
薤露行

 なんか情けないなあ。
 また改めてこの三人の詩人については書いてみましょう。
 なおここに掲げた肖像はこの三人のものです。左から、曹操・曹丕・曹植の順です。私はこの三人とも大好きな詩人であり、英雄です。いや曹植は「英雄」とはいえないですね。政治家にはなりませんでした。なれませんでした。

12040810 私がいつも読んでいるのが、この長春有情です。でもここはかなり毎日のUP量が多くて、私では読みきれません。
 ここれで、吉川英治「三国志」を読んでいます。でも進行しているよりも私ははるかに遅れて読んでいるものです。
 今日は、以下を読みまして、もうただただ曹操に感激感動しています。いやもちろん吉川英治にも感激しています。

  吉川英治『三国志』を読む
 http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=TR&action=m&board=2000482&tid=d9bdumadbep&sid=2000482&mid=20022

の中の一部です。

『先生、池の魚は毎度鑑ておいでらしいが、まだ大海の巨鯨は、この部屋で鑑たことがありませんね』
 すると、許子将は、学究らしい薄べッたくて、黒ずんだ唇から、抜けた歯をあらわして、
『豎子、何を云う!お前なんぞは、治世の能臣、乱世の姦雄だ』
 と、初めて答えた。
 聞くと、曹操は、
『乱世の姦雄だと。 結構だ』
 彼は、満足して去った。

 ここは、曹操の曹操たるところが思うままに私の目の前に浮かびます。乱世の奸雄とは実に曹操に最適な言葉です。そしてそういわれて満足している曹操が私は大好きです。
 私は曹操の漢詩はみな好きです。ほとんど暗記暗誦しているといっていいでしょう。もちろん、曹丕も曹植の詩も私は大好きです。

 でもここのサイトでは、私はまだここを読んでいるのですね。まだまだ急いで追いかけないとならないのです。

 私は三国志といえば、今まで、「三国志」「三国志演義」「吉川英治『三国志』」「横山光輝『三国志』」、北方謙三「三国志」、柴田錬三郎「英雄・生きるべきか死すべきか」、伴野朗「呉三国志」を読んでいます。まだほかにもあるかもしれません。

 それと宮城谷昌光「三国志」は、まだ読んでいる最中です。

10120503 秋葉原のヨドバシカメラへ行きました。実にたくさんの人でした。

2010/12/05 07:14これを書いていると、昨日の「周のポメラ」が真っ先に目に入るわけです。これが一番問題です。昨日の曹植の詩集の名前もパソコンでは入れられますが、このポメラではできないのです。愉快じゃないですね。そういえば、曹丕は入れられないのです。
2010/12/05 07:36今日本テレビで京都の錦小路を写していますが、思えば、横浜の六角橋商店街と似ているな。六角橋のほうが路が狭いか。懐かしいな。いや両方とも懐かしいのです。どちらもまた歩きたいな。
2010/12/05 08:19さてきょうはヨドバシカメラへ行くつもりですから、それできちんとやります。

 シャープの電子書籍ガラパゴスを直接手にとって見たかったのでした。

10120207 かなり曹植の詩を読んでみて、やはり曹植は中国第一級の詩人だと思いました。もし、杜甫という詩人が現れなかったら、いまでも曹植こそ中国第一の詩人といわれていたのではないでしょうか。その曹植の詩といったら、あまりにも「七歩の詩」の詩が有名なわけですが、この詩はまた別の機会に紹介したいと思います。そもそも、この有名な詩が実際には曹植の詩であるかどうかは判らないといわれているのです。
 ときどきいろいろなところで引用されることの多い、「吁嗟篇」をここでは見てみたいと思います。やはり実にいい詩ですね。曹植の生きた境遇と生涯がそのまま目の前に浮んでくる気がします。

    吁嗟篇(註1)曹植
  吁嗟此轉蓬  吁嗟(註2)此の転蓬(註3)
  居世何獨然  世に居る何んぞ独り然るや
  長去本根逝  長く本根を去りて逝き
  夙夜無休間  夙夜(註4)休間無し
  東西經七陌  東西七陌を経
  南北越九阡 南北九阡(註5)を越ゆ
  卒遇回風起  卒かに回風(註6)の起るに遇い
  吹我入雲間  我を吹きて雲間に入る
  自謂終天路  自ら天路を終えんと謂いしに
  忽然下沈淵  忽然として沈渕に下る
  驚飆接我出  驚飆(註7)我を接えて出だし
  故歸彼中田  故に彼の中田に帰す
  當南而更北  当に南すべくして更に北し
  謂東而反西  東せんと謂うに反って西す
  宕宕當何依  宕宕(註8)として当に何れにか依るべき
  忽亡而復存  忽に亡びて復た存す
  飄搖周八澤  飄揺として八沢(註9)を周り
  連翩歴五山  連翩として五山(註10)を歴たり
  流轉無恆處  流転して恒の処無し
  誰知吾苦艱  誰か吾が苦艱を知らん
  願爲中林草  願わくは中林の草と為り
  秋隨野火燔  秋野火に随いて燔かれなん
  糜滅豈不痛  糜滅(註11)するは豈に痛ましからざらんや
  願與株亥連  願わくは株亥(註12)と連ならん

  (註1)吁嗟篇(くさへん) 流転の歌。
  (註2)吁嗟(ああ) 嘆辞。
  (註3)轉蓬(てんぼう) 枯れて根元から切れ、まるまって風の吹くままにころがるヨモギ。
  (註4)夙夜(しゅくや) 夙は早朝、夜は深夜。
  (註5)七陌九阡 陌・阡はともに田の畦道で、東西を陌といい、南北を阡という。
  (註6)回風(かいふう) つむじ風。
  (註7)驚飆(きょうふう) 突風。
  (註8)宕宕(とうとう) 蕩蕩と同じ。広漠なるさま。
  (註9)八澤(はったく) 昔の中国にあった八つの大きな沢。
  (註10)五山 中国にある五つの代表的な山。
  (註11)糜滅(びめつ) 焼けただれて滅ぶ。
  (註12)株亥(しゅがい) 亥は上にくさかんむりがついている。草の根のこと。

 ああ、風のままにゆくよもぎよ、
 世のなかにあってなぜお前だけがこうなのか。
 はるかにもとの根から離れて、
 朝早くから夜おそくまでただよいつづける。
 東西に七つの道を渡り、
 南北に九つの道をとび越える。
 そのうちつむじ風に巻きこまれ、
 雲間に吹き上げられる。
 これなら天の果てまでいけるぞと思っているうち、
 たちまち深淵の底に突き落とされる。
 ところが突風に救われて、
 なんとまた元の田圃にもどされる。
 南に行くのだと思えば北へ、
 東へ行くのだと思えば西へ吹きとばされ、
 果てしなくひろがり寄るところもない。
 消え去ると思えば、また生きていて、
 ふわふわとただよいて八沢をめぐり、
 ひらひらとひるがえって五山をまわった。
 流れ流れて所を定めない、
 この私の苦しみを誰が知ろうか。
 できるなら林の下草となり、
 秋に野火に焼かれてしまいたい。
 焼けただれるのは苦痛であろうが、
 自分を生んだ株や根と運命を共にするのが私の願いなのだ。

 三国志の世界で劉備や関羽、諸葛孔明の側に思いを入れるたくさんの人たちは、この曹植が兄である曹丕にいじめられるところではまた涙を流すのではないでしょうか。そしてだれもまた、兄であり、後漢から帝位を奪ったとされる(当然魏の歴史では漢の献帝からの禅譲となりますが)曹丕(文帝)を憎み、さらにはその父曹操(曹丕を後継者に決めたのは父である)をも憎むことになるのかもしれません。

 曹植は初平三年(一九二年)、曹操三八歳のときの子どもです。三男でした。この年には長安で董卓が呂布に殺され、父曹操はまだ袁紹の勢力下にありました。やがて曹操は次第に勢力を広げていきます。曹操はこの曹植を寵愛します。ただし、曹植には兄である曹丕がいるわけです。曹操のまわりには、たくさんの人材がきら星の如く存在していました。それらの多くの武将や詩人たちと、曹操も曹丕も曹植もほとんど平等の「友情」というような気持で付き合っていきます。
 やがてこの大帝国になった魏の後継者が曹丕なのか曹植なのかという争いになっていきます。曹丕はなんとしても、曹植を亡きものにしようと圧迫したと「演義」などではいっています。父が亡くなってからはさらに厳しくなっていきます。さらにその曹丕も亡くなりますが、曹植はますます中国全土を「転ぶ蓬」のように移動させられます。そうした自分の転々とした生活を描いたのが、この詩であるわけです。彼はなんとしても政治に参画しようとしたいのですが、最後まで許されません。
 この曹植をいじめぬいた曹丕を陰険な極悪人のように思い描き勝ちですが、私にはまた曹丕もまたこの時代の第一級の政治家であり、偉大な詩人であると思います。彼も弟のことをかばえるだけかばいたかったでしょう。でも曹植が優秀なだけに、彼ら二人の兄弟の側近は争わなければならなかったのでしょう。そして曹丕側が勝利したのです。曹植はまた曹丕を敬愛していたと思います。それが曹操以下の幕僚たちや、詩人たちの持っている雰囲気であると思うのです。それは、この詩の最後の句に表れているように思えます。曹植も、きっと父や兄と同じような政治の世界での苦労にまみれたかったのだと思います。
 だが彼の生涯は、結局はこの詩の「転ぶ蓬」のようにふわふわとたよりなく、流転させられるだけになってしまいました。でもその結果は彼には父や兄のような政治家としての名声は何も残りませんでしたが、実にその詩人でもある曹操や曹丕よりも詩人としての名声こそ今にも伝えられています。私にはそれこそが、父である曹操の考えたことでもあるように思えてきます。ただし、こう考えるのは私だけなのかもしれません。
 それにしても、曹植の流転の生涯を描いた、いい詩だと思います。(これは1995年に書いていた文章です)。

 私はこの詩を私のブログで書こうと思いまして、でもそのときにUPする前にどうしてもいくつもの思いがあり、台所で食器の洗い物をしていたときも、そのあと、ゴミを捨てにマンションの1Fに行ったときも、常に曹植とこの詩を思い浮かべていました。なんだか、どうにも悲しくてたまらなかったものでした。ちょうどHNKの連ドラの「てっぱん」で、お好み焼きを作るシーンが何故か私には、曹植を思う私にはものすごく慰めになったものでした(2010.12.04)。

20170724012017072402 曹植の詩は彼の生涯に似て、哀しい詩ばかりなのですが、これもまた曹植29歳のときの自分の境遇を詩った悲しい作品です。

野田黄雀行 曹植
高樹多悲風 高樹 悲風多く
海水揚其波 海水 其の波を揚ぐ
利劒不在掌 利剣 掌(て)に在らずんば
結友何須多 友と結ぶに何ぞ多きを須(もち)いん
不見籬間雀 見ずや籬間(註1)の雀
見鷂自投羅 鷂(たか)を見て自ら羅(あみ)に投ず
羅家得雀喜 羅(あみ)する家(ひと)は雀を得て喜び
少年見悲雀 少年は雀を見て悲しむ
抜剣払羅網 剣を抜きて羅網をはらい
黄雀得飛飛 黄雀 飛び飛ぶを得たり
飛飛摩蒼天 飛び飛びて蒼天に摩(ま)し
來下謝少年 来り下りて少年に謝す

(註1)籬間(りかん) 籬は柴や竹であんだ垣根。

高い樹には 悲しい風が吹きつけ
海の水は その波を荒らげている
鋭い剣を手にもたにあのだから
多くの友を持つ必要はないだろう
ごらん、あの垣根の間の雀を
鷹を見て自分から、カスミ網の中に飛び込んだ
網をかけた人は 雀を捕らえて喜んでいるが
少年は雀を見て 悲しむのだ
剣を抜いて 網をきりひらいた
黄色の雀は また飛ぶことができた
飛び飛んで 青空にとどかんばかり
また下りてきて 少年に感謝している

10112913 兄である曹丕が魏の文帝として帝位についた頃、曹植の側近のものは、次々と兄により誅されていきます。だが、曹植はそれを目の前にしながら、何をすることもできません。それが最初の2句に表れています。高い樹である自分のところには悲しい風ばかりが吹き、海は暗く波がさわいでいます。
この詩の中の少年は、網に囚われた雀を助けることができますが、曹植は、自分の側近や友人を救うことができないのです。彼もまた剣を抜いて、友のところへ駆けつけたかったことでしょうが、こうして詩を作ることしかできなかったのです。
その哀しい思いが伝わってくる曹植の代表作の一つです。(2003.05.13)

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 曹植で一番有名な詩といったらこの「七歩の詩」だと思います。この詩に見られる事件がおきたのは、建安二五年(延康元年)のことです。「三国志演義」に描かれています。

  七歩詩    曹植
 煮豆持作羹  豆を煮て羹と作(な)し
 漉叔以爲汁  叔(註1)を漉(こ)し以て汁と為す
 其在釜下燃  其(註2)は釜の下に在りて燃え
 豆在釜中泣  豆は釜の中に在りて泣く
 本是同根生  本是同根より生じたるに
 相煎何太急  相煎ること何ぞ太(はなはし)く急なる

 (註1)叔(し)は上にくさかんむりがついている。醗酵させた豆のこと。
 (註2)其(まめがら)は上にくさかんむりがついている。

 豆を煮て、それで豆乳を作り、
 豆を漉して汁を作る、
 豆がらは釜の下で燃え、
 豆は釜の中で泣く。
 もとはといえば同じ根から生まれたのに、
 どうしてそんなにはげしくいりつけるのですか。

10112806 この兄弟はかなり不幸でした。二人は共にかなりな優れた人たちでした。だが、どちらかが曹操のあとを継がねばなりません。そこで二人の近臣たちは暗闘することになります。曹操は曹丕を後継者ときめたにもかかわらず、曹丕には曹植の動向が絶えず気になったことでしょう。
 ほぼその闘いには曹丕側が勝利して、この事件がおこります。羅貫中「三国志演義」では次のようにこの事件を記しています。
 曹丕はある日、曹植に七歩ゆく間に詩を作れ、できなければ死を賜うといいます。題材はそこにあった二匹の牛が争っている水墨画でした。ただし牛とか二匹とかいう文字の利用は許しません。曹植は歩きだし、七歩で見事な詩を作ります。曹丕もその臣下も感心しますが、曹丕はさらに即座に兄弟を題にした詩を、しかも兄弟の二字を使わないでつくれと命じます。できなければ、そのとき曹植の首はありません。この曹丕の言葉の次に、曹植がすぐに詩いだしたのが、この詩でした。
 もとは同じ曹操の子として生まれた兄弟なのに、どうしてそんなに私を激しく責めるのですか───という詩に、兄曹丕も思わず涙ぐみます。
「演義」ではこの詩は最後の二句はありません。最初の4行だけになっています。古来からこの詩は名高かったのですが、一体曹植の詩であるかどうかは確証がありませんでした。ただ私には、やはりこれは曹植が作った詩だと思ってしまいます。本来は仲のいい兄弟であったはずなのに、魏という大帝国を父から受け継いだ二人はどうにも不幸な関係になってしまったのです。曹丕は弟を愛しながら、そして詩人としての才能に嫉妬することもあったでしょうが、どうしても迫害してしまいます。弟は兄を敬愛し、なんとか魏の為に政治の世界に携わりたいのですが、どうしても許されません。「兄よ、私にもあなたの政治を助けさせてください」という植の思いに、曹丕はきっと心の中でこう答えていたに違いありません。

  弟よ、私には少し悔しいことでもあるのだが、お前は多分大変に詩人としての才能に恵まれているのだ。お前が政治の世界に出てきたら、私はお 前を殺さねばならないのだよ。政治は私がやる。おそらく後世にはお前は世界でも第一級の詩人として名高いことだろう。私にはそれが嬉しいのだ。

 二人の兄弟の思いを私はこう考えるのです。兄曹丕にそうした思いを抱かせてくれたのはこの詩ではないのかと私は思っているのです。(私はこれは、2003年の6月頃書いていました)

10090303 昨日は義母のことで、ご面倒をおかけしまして、そしてちゃんと対処いただきありがとうございます。
 パソコン関連の雑誌を読んでいて、もうノートパソコンの時代ではないのかなあ、ということを感じます。私はこうしてポメラで書いています(ただし、あとでパソコンで読み込んでUPします)し、他の機器でもパソコンなしでインターネットにUPできます。
 私の好きな三曹(曹操、曹丕、曹植)の詩で、私は曹植の詩は一番苦手でした(でもいくつも読んできましたし、本も読んできました)が、今朝読んだ本「漢詩で詠む中国歴史物語『漢末−南北朝時代』」で、また私は曹植の詩もまたいいなあ、と改めて思いました。
 写真は9月3日の午後6時20分に長女の家で撮りました。ポコ汰の作ったものです。こういうのを作るのが大好きなのです。(09/06)

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 私の次女ブルータスに手紙を書いていますが、これに私はずっと漢詩を紹介しています。今までは以下のように、手紙を出して来ました。

   http://shomon.livedoor.biz/archives/51567071.html 私の二人の娘への手紙
   http://shomon.livedoor.biz/archives/51593673.html 次女への手紙
   http://shomon.livedoor.biz/archives/51674675.html 次女への手紙 その2

 このあとが次の通りです。

09年06/11 曹丕『於清河見輓船士新婚與妻別』
09年06/18 曹丕『善哉行』
09年07/01 曹丕『寡婦』
09年07/03 曹丕『於玄武陂作』
09年07/18 曹丕『芙蓉池』
09年07/21 曹丕『短歌行』
09年07/25 黒澤忠三郎『絶命詩』、佐野竹之助『出郷作』
09年07/27 曹操『蒿里行』

 このあとは曹操の詩を紹介し、そのあとは曹植の詩を紹介していきます。でもそのあとはどうしようかなあ。今から悩んでいます。

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 少し妻のところへはゆっくり出かけました。前日帰ってすぐに洗濯した寝巻が乾かなかったからでもありました。でも遅くなってもどうしても乾かない。だから、義母の寝巻きを借りていきましたものです。

009/05/03 10:01今王子駅で乗りました。
 妻への手紙で、きょうは曹丕の詩を3つ紹介しました。そうなると、明日は曹植の詩ですね。そうすると何を紹介しようかな。一つはもう決まっていますが、あとはどうしょうかな。
 うーん、私は三曹のことを考えると、いつも同じことを思います。私はこの三曹の詩がどれも好きで、そしていつもその詩を読んで、自分に言っています。私は、曹丕の詩を読んではいつも、「やっぱり、曹丕のほうが弟よりいい詩を書いているんじゃにかなあ」と思います。でもでも曹植の詩を読むとまた「やっぱり曹植は天才だなあ。兄貴の少し悔しい気持も判るなあ」となるのです。
 そして私はまた曹操の詩を読んで声をあげているのです。それを何回私は繰り返していることでしょうか。何度も、同じことを私は繰り返して思い浮かべているのです。
2009/05/03 10:26今つくばエクスプレスに乗りました。
 さきほど、柳田公園を歩きながら、私は曹植の詩を思い浮かべていました。私の脳裏だけでは、「曹植の詩はいいけれど、曹丕のほうがさまざまな工夫があるんだよなあ」と考えていました。でも実際に詩を目の前にすると違う思いになるのですね。
 いえ、ようするに私は曹植の詩は歩きながらでも詩句が浮かんでくるのです。曹植は詩句を思い出すのは少々辛すぎるのです。思えば彼の生涯がそんなに辛い生涯だったのでしょうね。曹植の詩は辛い彼の生涯ばかりが思い浮かんできます。でも曹丕は違うのですね。偉大な政治家でもありましたが、また詩人としても実にさまざまなことを書いています。彼はこう考えていたに違いありません。「俺は詩人としては、弟の足下にも及ばないが、でもでもこうしてさまざまに詩を作ってもみるのだ」と。
 昨日妻への手紙で書きました「燕歌行」も、実にあの時代に曹丕は七言詩を作っているのです。これは唐の時代より、実に500年以上前のことですよ。
 今頭の中だけで反芻する曹植の詩はただただ辛すぎます。
2009/05/03 10:55今は柏キャンバス駅でバスを待っています。まだ時間がかなりあります。
2009/05/03 11:00でももうバスには乗りました。でも出発は5分になります。もうこれでここに来るのは6日目です。だから思えば私の妻への手紙もきょうで5通目になるのです。もうきょうは長女おはぎが来てくれます。長女と会えるのも嬉しいことです。
2009/05/03 13:43今ママとおはぎと9Fのレストランに来ています。昨日は義弟の家族と一緒でしたが、きょうはママと長女です。だから、きょうは義弟と甥にも手紙を書こう。
 ポコ汰とポニョに会いたいなあ、と思ってばかりいます。さて、もう二人の孫の話を聞いていますが、でも保育園のいいお話を聞いています。
 うちの二人の孫は、食べることと眠ることが大好きなのです。そんな二人の話を聞いているじいじの私はもう実に嬉しいことばかりです。
2009/05/03 14:17おはぎから。ちょっといいことを、いいお話を今聞いています。
2009/05/03 19:35馬鹿毛唐もいるんだなあ、とあきれています。毛唐はこんなもんなんですね。
2009/05/03 19:37あ、でも上中里でした。

 帰りは午後5時を過ぎるので、千駄木「浅野」に飲みに行きました。「アラスアラサン」で次女ブルータスへのプレゼントを買いまして、そのあと千駄木根津谷中を歩きました。連休だし、テレビがどの局でも、ここの地域を特集しているせいか、もうたくさんの方が歩かれていました。「浅野」も昼の定食が60人のお客で大変だったようです。

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ecbad676.jpg 私の、このブログでの 周の漢詩塾(ブログ篇)でも、周の三曹の詩 でも、私は曹操、曹丕、曹植の詩を扱ってきました。それで、私が手に入れられる詩では、曹操も曹丕もほぼ紹介できたかと思っています。あとは曹植がまだまだいくつもあるのですが、詩が長詩ばかりなので、実に大変なのです。
 いえ、実は曹操の詩でも、『歩出夏門行』をここで紹介できていないのですが、これまたものすごく長詩なのですね。だから大変なのです。
 しかし、その大変というのは、まずどの詩でも漢字がこのインターネット上では表わせないものがいくつもあります。それを他のごく似た字に置き換える(そしてそのことは解説します)ようにしているのですが、それが実に至難のことなのです。
 長詩と言えば、私は文天祥『正氣歌』をインターネット上で紹介解説しようと思い、もう四年以上前に、その詩は書いてあるのですが、これまたインターネット上では表わせない漢字がいくつもありまして、それを置き換える作業が終わりません。
 このことは私の大変な悩みです。
 さきほどから、曹操『歩出夏門行』も書いてはいるのですが、書き下し文を書いて、訳してという段階でまだ時間がかかります。そもそも出てこない漢字はどうしようかと大変なのです。
 なんとか時間がかかっても、やっていかなとなりませんね。
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 もうたった今手紙を出しました。そして切手を購入してきました。それとその前には、義母の薬を購入してきました。
 私がさきほど出しました手紙は、ある女性に出したものです。その方から喪中のはがきをもらいましたので、まったく知らなかった私は、手紙を書いたものです。以下、その一部に書いたことです。

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 たった今、私は私のブログに、「曹植『七哀詩』」への私の解説をUPしました。20台前半からよく知っていた詩でしたが、その曹植の兄曹丕を思う気持をなんだか哀しくしか思えなくて、やっとこの歳になって、この詩を読み解くことができた思いです。時間だけが恐ろしい速さで進む感じがしてしまうものですね。
 曹植には『七歩詩』という詩がありまして、これは『三国志演義』にも載っております。
 曹植は、兄曹丕に、「自分も政治の世界に就かさせてくれ!」と言い続けるわけですが、曹丕は、こう心の中で言っていたと私は思っています。
 このことについて、私は私の「将門Web」の中の

   http://shomon.net/kansi/sansou.htm 周の三曹の詩

で、「曹植『七歩詩』」で、以下のように書いています。

「兄よ、私にもあなたの政治を助けさせてください」という植の思いに、曹丕
はきっと心の中でこう答えていたに違いありません。

 弟よ、私には少し悔しいことでもあるのだが、お前は多分大変に詩人と  しての才能に恵まれているのだ。お前が政治の世界に出てきたら、私はお前を殺さねばならないのだよ。政治は私がやる。おそらく後世にはお前は世界でも第一級の詩人として名高いことだろう。私にはそれが嬉しいのだ。

 二人の兄弟の思いを私はこう考えるのです。兄曹丕にそうした思いを抱かせてくれたのはこの詩ではないのかと私は思っているのです。

 A子さま、前にもお薦めしたのですが、ご自分でブログを開設されませんか。ご自分の思うことをそのまま書き、デジカメでご自分の歩かれる処やいろんなものを写されて、それをUPするだけです。それでかなりな世界が拓けてくると思っていますよ。
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 このA子さまは、もう70歳前後の方です。でも、いつもパソコンをよく使用されています。私としては、できたら、ブログを開設してほしいと思っているのです。

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 曹植の「七哀詩」を紹介します。私はこの詩は昔から知っていました。でも哀しくて、いつも詳しく読むことができませんでした。
 思えば、この中の「賤妾」とは曹植のことでしょうが、「君」とはやはり兄曹丕のことなのかなあ。そうなのでしょうね。でも哀しい兄弟です。旅だった男性を慕い、思いを馳せる妻の心、曹植はこれほどに兄を思っていたのでしょう。
 でも私は曹丕も弟の心は十分に判っていたのだと、いつも思ってきたのです。

   七哀詩  曹植
  明月照高樓 明月 高楼を照し、
  流光正徘徊 流光 正に徘徊す。
  上有愁思婦 上に 愁思の婦有り、
  悲歎有餘哀 悲歎して 余哀(註1)有り。
  借問歎者誰 借問す 歎(たん)ずる者は誰ぞと、
  言是客子妻 言う是れ 客子(註2)の妻と。
  君行踰十年 君行きて 十年を 踰(こ)え、
  孤妾常獨棲 孤妾(註3) 常に独り棲(す)む。
  君若耋塵 君は 清路の塵の若く、
  妾若濁水泥 妾は 濁水の泥の若し。
  浮沈各異勢 浮沈(註4) 各ゝ(おのおの)勢を異にし、
  會合何時諧 会合 何れの時にか諧(註5)わん。
  願爲西南風 願わくは 西南の風と為りて、
  長逝入君懷 長逝(ちょうせい)して 君が懐(ふところ)に入らん。
  君懷良不開 君が懐 良(註6)に 開かずんば、
  賤妾當何依 賤妾(註7) 当に 何(いづ)くにか依るべき。

  (註1)餘哀(よあい) なぐさめきれない悲しさ
  (註2)客子(かくし) 旅だった者。旅人。
  (註3)孤妾(こしょう) ひとりぼっちのわたし
  (註4)浮沈(ふちん) 浮き沈み。盛衰。人生の栄えることと衰えること。
  (註5)諧(かな) かなう。なごむ。やわらぐ。
  (註6)良(まこと) まことに。本当に。
  (註7)賤妾(せんしょう) わたくしめ。妻の自称。

  明るい月が高どのを照らして、
  移り行く月光はちょうど、ためらうが如く行き悩み(過ぎゆく年月にわたしは、ちょうど行きつ戻りつしている)。
  上には、夫を偲んでつらい思いをしている婦人がいる、
  悲しみ歎くのは、なぐさめきれないものがある。
  試みに問うてみるいい、歎いている者は誰なのだ、
  言うのは、旅だった男性の妻である。
  あなたが旅だってから、十年を越えた、
  ひとりぼっちのわたしは、いつもひとりで過ごしている。
  あなたは、きれいな道の塵のように行ってしまったが、
  わたしは、濁った水の泥のように沈んでしまった。
  人生の盛衰は、おのおの勢を別なものとしているが、
  出会いは、いつになったらかなうことになるのか。
  できたら、西南の風となって、
  遠くあなたのふところにまで行きたい。
  あなたのふところが、まことに開かれないのならば、
  わたしめは、一体何に頼っていけばよいのか。

 なんだか、どうしても曹植の兄曹丕を思う心に哀しくなります。どうしても私は曹植の気持に涙が溢れてしまうのです。
 ただし、兄曹丕は、弟のことも気にしていますが、彼が一番心に思っていたのは、魏という国のこと、中国を思っていたのです。そのことで、兄曹丕はいつも曹植に「許せ!」という気持だったろうと私は思うのですね。

 今私は小さなこの詩の載っている小雑誌を手にして、テレビを見ながら食事をしていました。思えば、なんで私はこの「曹植『七哀詩』」を詠むのを避けてきたのかなあ。この兄弟の思いに私の心を致すのを、ただ避けてきたとしか思えません。
 そして私はこの兄弟を思うと、その父であった曹操を思い浮かべます。曹操のいくつもの詩を思い出しています。

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 周の漢詩入門「曹丕『善哉行』」へのコメント に私はこの三曹のうち曹丕の詩のことも私は大好きであるということを書いていたわけです。
 それで次の詩も読んでいて、私は実に曹丕の笑顔が見えるような思いになるのです。

   http://shomon.net/kansi/sansou2.htm#021014 曹丕「釣竿」

 この詩は以下のように短い五言詩です。

   釣竿      曹丕
  東河濟越水 東して河済の水を越ゆるとき
  遥望大海涯 遥かに望む大海の涯(ほとり)
  釣竿何珊珊 釣竿(ちょうかん)何ぞ珊珊
  魚尾何從從 魚尾何ぞ従従たる
  行路之好者 行路の好者
  芳餌欲何爲 芳餌何か為さんと欲する

  東に来て黄河や済水(わいすい)を渡ると
  遥か彼方には大海のほとりも見える
  そこには魚を釣る人がいて、その人の腰におびた玉はいい音でなり
  魚の尾は濡れた鳥の羽のようでつややかに美しい
  道を行く綺麗で可愛いお嬢さん!
  あなたの心を得るのには私は何をあげればいいのだろうか

 この曹丕の心はいいでしょう。実に優しい笑顔の曹丕の顔が想像できてしまいます。こんなふうに曹丕は路を行く綺麗なお嬢さんをナンパしていたものなのでしょうね。
 でもでも、こうして作詩していても、いつも「俺の詩なんか、弟曹植に比べれば足もとにも及ばない」と思っていただろう曹丕を思ってしまいます。
 以下を読んでみてください。

   http://homepage3.nifty.com/ten-en/01-novel/01-666/00-666.htm 六百六十六

 これを書いてくれた女性(たしか松竹梅というハンドル名の方でした)は、この詩の訳等を私のホームページから引用してしまうことわりを私にメールしてきました。私は快く了解しました。
 でもこの曹丕と司馬懿仲達のエピソードは、この彼女が創作したものですが、よくこういう風に思ってしまうものだなあ、と感心したものでした。

 ───俺の才など、子建(しけん)の才の足元にも及ばん。

という曹丕の思いが、今の私たちにも伝わってくる気がしてしまうのです。だからこそ、曹丕は政治の世界を必死に闘って行ったのだと、私は思っているのです。

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 私の 周の漢詩入門「曹丕『善哉行』」ナミちゃんから次のコメントをもらいました。

1. Posted by なみんと    2007年10月15日 20:36
この詩・・いいですね。
落ち着いてきます。
人生如寄
多憂何為
今我不楽
・・他」に
湯湯川流
中有行舟
・・・大きな川の流れに任せて・・と解釈してよろしいんでしょうか。

 まずありがとう。そして、まずこの曹丕の詩とは関係ないことを書きます。私はきょう、Aと会ってきました。彼の会社のことで、もう前から早く会うべきだったのですが、いろいろと機会が見つけられないで、きょうになってしまいました。でもね、会っても、きょう行ったことの目的の資料を彼が用意できなくて(その場でも用意できなくて)、大変に困りました。でも、そのあと、ずっとしばらく一緒にいて、彼のお母さんの介護に関すること、私の義母の介護のこととか、いろいろとお話しました。彼からは、私が「これは大事なことだなあ」と思うことも聴いて(介護に関することですね)、そこで言われたことを、私は、私の長女とその彼と(ポコちゃんの前で)、お話したのです。妻にも話しました。彼のお母さんも、私のことも、私の父母のこともよく知っているので、今度会いに行って、お話したいなあ、と思いました。
 また彼の奥さまにも会いたいのですが、今回は無理でした。でもきょう私が持って行ったお土産のお菓子を、奥さんも、彼の長女も食べてくれたでしょうから、そのお菓子の楽しさに、私の気持を少しは感じてくれたかなあ、と思っています。
 私が書いている、青木昌彦の「私の履歴書」のことも、彼も日経新聞で読んでいて、私もたくさんのことを思いました。思えば、彼も京都にも長く居たのですね。

 それで曹丕の詩です。いい詩でしょう。「・・・大きな川の流れに任せて・・と解釈してよろしいんでしょうか」と聞かれても、明確に応えられないけれど、「大きな川の流れに任せて」の「大きな川」というのが、黄河なのかどうかということでは、華北の当時のいくつもの河なんじゃないかなあ。ただし、「いくつもの小さい河も」と言っても、私たちの身近である利根川よりも大きな河川なんでしょうね。

 曹操は四言詩が多いのです。短歌行 がそうですね。まだ詩の形は「まだまだこれから〜」という時代です。でも 苦寒行 は五言詩ですね。そして三曹の中で、いつもどこでも詩を紹介公開される曹植は五言詩ばかりです。(ああ、私はこの曹植『吁嗟篇』なんか、どう言ったらいいのか判らないくらい好きな詩です)。
 でも私は、曹丕「燕歌行」のところで、

 曹植の詩がほとんど五言詩なのにくらべて、この詩は七言詩です。たぶんもっとも早い七言詩でしょう。

と書いたのですが、こうして見ますと、曹丕って、やっぱりすごいものを持っているでしょう。自分の思いをそのまま述べるとしても、歌う詩をこうして、形式を新しく作ろうとしているのです。だから私は、この曹丕を、多くの歴史書・物語の「三国志」で描かれている姿ではないのだと思っているのです。曹丕の詩は、この私のホームページ内だけではなく、このブログ内でも以下の

   http://shomon.livedoor.biz/archives/50066808.html  曹丕「於玄武陂作」

を書いています。
 いつも曹丕を詩を読み、「やはりいいなあ」と思いながら、曹植の詩で、「でもこれは天才だなあ…………もし、唐の時代に杜甫が現れなかったならな………」なんて思っていて、でもまた曹丕の詩を読み、またぐずぐずになっています私なのです。
 そして結局はまた曹操の詩を見つけ出して、読み、また納得している私なのです。

 曹丕もまた、そしてその父親の曹操もまた、こうした詩を作りながらも、時代の中で必死に闘って行ったのです。私には、その父と兄に、息子と弟の曹植だけには、自分たちのような政治の世界でだけ活きるのではなく、詩の世界でのみ活きてほしい、という意思をいつも感じてしまうのです。それが父と兄の心だったと私は思うのです。

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2017041109

中村愿『三国志曹操伝』を読んで、この詩を知りました。ただし、この本の中では詩の原文ではなく、この著者の訳しかないものですから、自分で探しました。
いい詩ですね。やはdd628922.jpgり曹丕もいいです。私は彼の詩を読んで、演義で言われている彼の姿とあまりに違う姿が思い浮かぶものですから、いつもその違いに驚いています。
でも私はいつも、私がこうして、詩そのものを読んで、思い浮かべる曹丕こそが本当の姿であろうと思っています。

善哉行 曹丕
上山採薇 山に上り 薇(わらび)を採り
薄暮苦饑 薄暮(はくぼ) 餓えに苦しむ
谿谷多風 谿谷 風多く
霜露沾衣 霜露(せいろ) 衣を霑す
野雉羣ナ 野雉(のち) 羣(むらが)りナき
猿猴相追 猿猴(えんこう) 相追う
還望故郷 還りて 故郷を望むに
鬱何壘壘 鬱(うつ)として何ぞ 壘壘(るいるい)たる
高山有崖 高山に 崖有り
林木有枝 林木に 枝有り
憂來無方 憂い来たり 方無く
人莫之知 人の之(これ)を 知る莫し
人生如寄 人生は 寄るが如し
多憂何為 多く憂えるも 何をか為さん
今我不樂 今我 楽しまずんば
歳月如馳 歳月 馳(は)するが如し
湯湯川流 湯湯(ゆゆ)たる 川流(せんりゅう)
中有行舟 中(うち)に 行く舟有り
隨波轉薄 波に随って 轉薄(てんぱく)して
有似客遊 客遊に 似たる有り
策我良馬 我が良馬に 策(むちう)ち
被我輕裘 我が軽裘(けいきゅう)を被り
載馳載驅 戴(すなわ)ち馳せ 戴ち驅(か)り
聊以忘憂 聊(いささ)か以って 憂いを忘れん

山に上って蕨を採り
日暮れになって腹が減る
谷間に風が多く
霜や露が衣を濡らす
野の雉は群れに鳴き
猿たちは二匹で追いかけ戯れているのに
我が故郷の空を顧みると
ただ樹木の鬱蒼たる山が重なり合っているのみである
高い山には崖があり
林の木には枝があるものを
憂いの訪れ方は定めがなく
誰もそれを予知し得ないだろう
誰の人生も寄る辺がない
いくら憂えたとてどうにもならぬ
されば今のうちに楽しまねば
年月は馳せるが如く過ぎ去ってしまう
流れてやまぬ川の流れの
中に漂う小舟一つ
波の間にただよう姿
自由きままな旅人のようだ
さあ、我が良馬に鞭をあて
軽い外套ひっかけて
この山野を駆け巡り
憂いなどを吹き飛ばそう

いつも曹丕の詩を読みますと、実にいい詩だな、見事だなあ、と思うのですが、詩の作品としては弟の曹植のほうが上だと思ってしまいます。
でもそれはそういうことを前提にして思ってしまっている私がいるだけなのです。個々の作品を読むと、やはりいつも曹丕のほうの作品のほうがいいんじゃないかなあ、といつも思い、そしてまた、曹植の作品を読むと、その詩の前で、感歎の声をあげてしまっています。
やはり曹丕・曹植ともに、大詩人である父曹操の息子たちなのですね。

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 私がこのところ読んでいるのが、以下の本です。

書 名 もう一つの「三國志」
    ───「演義」が語らない異民族との戦い───
著 者 坂口和澄
発行所 本の泉社
定 価 1,714円+税
発行日 2007年8月12日初版第1刷

 もうこれは面白いです。どんなに面白いかというと、私はその面白さを読むのが怖くて、本を開けられないのです。本を読むと、いつか読み終わってしまいます。それがものすごく怖いのです。
 いやいや、私は以下を引用したいだけで、この文を書き始めました。

 曹操には十三人の女性に産ませた男の子が二十五人いた。そのうち六人は生後まもなくか。あるいは十歳未満で亡くなっている。めぼしい子といえばベン皇后が生んだ曹丕・曹彰・曹植、劉夫人が生んだ曹昴、杜夫人は生んだ曹コン、環夫人が生んだ曹沖・曹宇、王昭儀が生んだ曹幹、孫姫が生んだ曹彪あたりであろうか。
 父曹操の文学者としての一流の才能を受けたのは曹丕と曹植、これにやや劣るのが曹コンだった。文学者ではないが、これに十三歳で夭逝した天才児曹沖も加えていい。

 私は前に、この曹操の息子の夢を見たことを書きました。

   http://shomon.net/bun/yume3.htm#050910  曹丕・曹植の兄弟

 でも思えば、この私の夢で見た「曹林」という人物に関しては、この著者は書いていませんね。まあ、仕方ないかなあ。

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2017122401987f6434.jpgさしぶりに、曹植の詩を見てみたいなと思いました。
父である曹操には、『薤露』という詩があります。

http://shomon.livedoor.biz/archives/50915860.html 周の三曹の詩「曹操『薤露』」

この父の詩も曹植は、読んでいたと思われますが、この「薤露行(かいろこう)」とは、葬式の時、柩を挽きながらうたう挽歌。人の死を哀しみ悼む歌であるということです。
私は自分の生涯を悼んでいるのであろうかと思いました。
曹植には、こうした詩が多いですね。いや、こうした詩ばかりかといえるのではないかなと思いました。

薤露行 曹植
天地無窮極 天地 窮極(きゅうきょく)無く
陰陽轉相因 陰陽 転じて相い因る
人居一世間 人 一世の間に居ること
忽若風吹塵 忽ち 風の塵を吹くが若し
願得展功勤 願わくは 功勤を展(の)ぶるを得て
輸力於明君 力を明君に輸(いた)さん
懐此王佐才 此の王佐の才(註1)を懐(いだ)き
慷慨獨不羣 慷慨して独り群(ぐん)せず
鱗介尊神龍 鱗介は神龍を尊び
走獣宗麒麟 走獣は麒麟を宗とす
蟲獣猶知徳 虫獣すら 猶お徳を知る
何況於士人 何ぞ況んや 士人に於いてをや
孔氏刪詩書 孔氏 詩書を刪(さん)して
王業粲已分 王業 粲(さん)として已に分(あき)らかなり
騁我逕寸翰 我が逕寸(けいすん)の 翰(かん)を騁(は)せ
流藻垂華芬 流藻(りゅうそう) 華芬(註2)を垂れん

(註1)王佐才 王者を補佐する才能。曹植自身のことを言っているかと思われる。
(註2)垂華芬(かふんをたれん) 花の香りを示すこと。後世に輝かしい名を残すこと。

天と地は永遠に存在し
日月や四季は次々に交代を繰り返す
だが人の送る一生は
まるで風に吹かれる路上の塵のようだ
私の願いは 思う存分の働きをし
持てる力量のすべてを明君に捧げたい
この王佐の才をもつだけで
高ぶる感情を抱えながら ひとり群れることをしなかった
水族は神秘な竜をその長として尊び
走る獣は麒麟をその宗主に仰ぐ
そのように虫や獣でさえ徳ある者を知っている
まして志ある人物なら尚更のことだ
孔子が「詩経」「書経」を著して以来
王者の業績はかがやかしく明かになった
私はここに直径一寸の筆を駆使して
文を後世に伝え、いつまでも華の香りを残したいのだ

なんとしても曹植は、自らの王佐の才能を生かしたいと常に考えてきたかと思います。とくに、そのことは兄である曹丕に伝えたかったのではないでしょうか。
だがその願いはかなわれることはありませんでした。
だから、最後に、「せめて文章を著して、後世に伝えて花の香を残したいものだ」と言っています。
私はいつも曹植に、あなたの詩をいつも読んで、あなたの詩才を感じていますよ、と伝えたいと思っています。

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06070602 私の好きな曹操、曹丕、曹植の詩を紹介しています。
 私は三国志の世界では、なんといいましても、曹操が一番好きなのです。いや、三国志の世界の中だけではなく、中国史の中でも一番好きな英雄と言ってもいいかと思っています。
 その英雄としての曹操も好きなのですが、やはり詩人としての曹操にも強く惹かれます。「槊を横たえて、詩を賦す」曹操の姿をいつも思い浮かべます。
 また曹操の息子である曹丕、曹植の詩にも大変な魅力を感じてきました。おそらく曹植といいましたら、もし唐の時代に杜甫という詩人が現れなかったらいまでも中国一の詩人と言えるのではないでしょうか。また誰もが、ただ陰険な政治家と考えてしまうだろう曹丕の漢詩も、実に優れており、魅力を感じます。それから私はこの兄弟を、三国志演義で描いているように、仲の悪い兄弟とはどうしても思えません。そんな思いを抱いてしまう詩がいくつもあるのです。
 曹操、曹丕、曹植の順に紹介しています。    (2002.11.04)

   http://shomon.net/kansi/sansou.htm  周の三曹の詩

 この3人のうち、曹植に関しては、岩波書店の「中国詩人選集」にその詩集があり、その他でもいくつか紹介されていますから、その詩を読むのは簡単にできるのですが、曹操、曹丕については、その詩を探すのは実に大変です。なにしろ私は現存する詩に関しては、すべて知りたいのです。
 なんとか、あちこちで見つけ出して、ここにUPしていきたいと考えております。

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