11122417 15日発売された「週刊金曜日」(私はこの雑誌を過去手にとったことすらありません)に、現在新潟県佐渡に帰られている曽我ひとみさんの北朝鮮在住の3人の家族に対してのインタビュー記事が掲載されました。そしてこのことは前日からテレビ局やインターネット上ではニュースとしてとびかっていました。
 現在日本に帰国した5人からは、家族への電話をかけさせないという処置をしていながら、北朝鮮は自分の側からのプロパガンダに協力する日本のマスコミを、先のフジテレビでも同じでしたが、こうして利用します。そして当の「週刊金曜日」の黒川とかいう主幹が、記者会見で、「正しいことをやった」と言いきっています。
 こうなると、この「週刊金曜日」というのは、北朝鮮労働党、金正日の御用新聞だと言わざるをえません。
 いや、もっといいます。この雑誌が以前だした「買ってはいけない」がけっこう売れたわけですが、本の中で批判された各企業が民事で訴えてきて、その訴訟に「週刊金曜日」は負け続けており、賠償金負担が大変なようです。それを少しでも金銭的に補おうと考えたのが、今回のことでしょう。それを北朝鮮も見越していたのだと思います。ということは、まだまだこの手のことを「週刊金曜日」と北朝鮮は続けてやる可能性があります。あと他の方の拉致被害者の家族も同様の目に会ってしまう怖れを私は感じています。
 私たちが、もう「週刊金曜日を絶対に許さない」という強い決意で見ていないと、またひどいことをやる怖れがあるのです。

 この事態に対して、この雑誌の編集委員(註)である筑紫哲也がTBSテレビで、どう弁明するのかと思い、聞いておりました。いやはや、あきれはてたものです。

 (註)前にはもっといろいろと何人かいたように思うが、現在は
  つぎの5人である。落合恵子、佐高信、椎名誠、筑紫哲也、本多
  勝一。私は、「なんで椎名さんは入っているのかな」と残念でな
  りません(私は彼の本はひととおり読んでいますファンです。落
  合恵子というのはよく知らないけれど(これは教えてくれた方が
  いました。昔文化放送のアナウンサーで、「レモンちゃん」とか
  言われていた人ですね)、あとの3人は確実にひどい連中です。
  私はもうこの3人は、「ひどい、ひどい、どうしようもない奴だ」
  とずっと思ってきました。それを知らないで、誉めるような人に
  はもうそれこそ、何時間でも貶し続けてきたものです。

 この筑紫が11月14日の「多事総論」(私はいつ聞いても、「何馬鹿なこと言っているんだ」としか思ったことがない)とかで、このことを述べました。 以下が、彼のそこで喋った内容です。とにかく、もう絶対に許すことのでない内容です。

 「報道と人権」―自由な報道や言論が死んでしまうのは良くない
 えー、フジテレビや毎日朝日新聞、そして今日の週刊金曜日と、拉致被害者が北朝鮮に残した近親への取材が続き、議論が起きております。えー、被害者の動揺を誘う北朝鮮の戦術に乗せられているだけだ、という批判がある一方では、いくらコントロールを働かせても当人の肉声の中には、いろんなそれを越える情報があるという評価もあります。これは事実を知らせるということを一番の仕事としている報道にとっての、永遠のテーマ、ジレンマだといえます。
 湾岸戦争の時に敵のイラクに留まって報道を続けたアメリカ人、アメリカのCNNの記者に対して、激しい利敵行為だという非難がありました。あ、しかしそのアメリカで有名な一つの議論があります。敵軍に従軍を許されたカメラ取材陣が、あー、その敵軍が今から味方のアメリカ軍を待ち伏せ攻撃しようとしてる。そのときにどうすべきか。危険を味方に知らせるべきか。え、これに対して出席したアメリカを代表する二人のニュースキャスターが、そろって結論はカメラを回し続けるというものでありました。もちろん、ほかの参加者やそれを聞いていた聴衆の中に、賛成する声はありませんでしたけれども、しかし二人はこれが自分たちの仕事だと譲りませんでした。
 北朝鮮との関係、今戦争中であるわけではありませんけれども、しかし、報道と人権というこの二つの問題はしばしば衝突を起こし、矛盾を孕んでおります。私個人はそいうときそこまで取材しなくても、と臆することの方が多いんですけれども、しかし、それはその分だけ自分が職業人としては失格だと言い聞かせております。え、ましてや国の方針に水を差すような報道取材はすべきでは無いという、う、こういう議論になりますと、自由な報道や言論というのは死んでしまって、北朝鮮と何ら変わらない国に私たちはなってしまいます。私はこの国が北朝鮮のようになって、えー、なってしまうことはいいことだとは思いません。

 まず、よく眺めてほしいのです。彼は、この中で「自分こそが週刊金曜日の編集委員である」ということを一言も言っていません。「私個人はそいうときそこまで取材しなくても、と臆することの方が多いんですけれども」なんて言っているわけです。これは、まずはどうにも卑怯であり卑劣なことだと私は思います。まず最初にいうべきじゃないのか。私はその当事者であり、「この週刊金曜日のやったことこそが正しい」と言いきるべきじゃないのか。これは、今までの彼の経験からの、「自己保身」なんでしょうね。だんだん、誰もが「週刊金曜日」を批判してしまうような事態になったときには、「いや、だから私は『そこまで取材しなくても』と言っていたでしょう」というのだろう。

 そして、「そろって結論はカメラを回し続ける」「二人はこれが自分たちの仕事だと譲りませんでした」というところを読むと、彼は誰かが(これは13歳の横田めぐみさんを思いうかべてください)拉致される現場にでくわしたとしたら、それをとめるのではなく、カメラを回すということなんですね。たとえ、13歳の少女が泣き叫んで助けを求めたとしても、彼はカメラを回しているのです。事実として、週刊金曜日は曽我ひとみさんが涙にくれるようにしむけただけなのです。被害者がどうなろうと、「事実の報道」こそが大事だというのです。

 私はこの「多事総論」を見たあと、思い出したことを妻に話しました。
 昔、皇居のそばのあるビルの小さな池にカルガモの親子がいまして、それがやがていつか皇居のお堀に移る日が来るというニュースがありました。そのカルガモのことが好きで、ずっとその写真を撮り続けている近くのビルの守衛さんがいました。彼も、他のたくさんのカメラマンと同じなのですが、このカルガモの親子が、激しい交通量の道路を一列になって横切る姿をこそ撮影したいと考えていました。だが、その瞬間がいつくるかは判りません。そしてその道路を横切るということは、実はカルガモにとって大変に危険な行動でした。車にみなひかれてしまうかもしれないのです。
 でもその日がきました。母親カルガモを先頭に、子どもたちも続きます。たくさんのカメラマンがカメラを構えます。でもたくさんの車が通る道路なのです。そのときに、この守衛さんは、道路に出て、両手を拡げて車を流れをとめました。彼のおかげで、車はみな一時ストップします。その中をカルガモの親子は、無事皇居のお堀に至ることができました。
 おそらくその守衛さんも、自分のカメラでこのカルガモの行進を撮りたかったことでしょう。でも、彼は車にひかれるカルガモの姿なんか絶対に見たくなかったのです。
 筑紫ならどうするのでしょうか。「事実の報道」こそが大事だから、カメラを回し続け、車にひかれて道路にペシャンコになったカルガモの屍体を写し続けるのでしょう。そして、ひいた自動車を非難する記事を書くのかもしれません。
 筑紫が言っているのは、こういうことなんです。週刊金曜日がやったことはこういうことなんです。