将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:札幌

11080403 今年はまたクリスマスプレゼントを配りました。ただし、24日のイブの日だけです。次女のブルータスに真っ先にあげたのですが、携帯メールで「ありがとう!とても可愛いです」と喜んでくれました。贈りましたものは、以下の写真にあります。

 昨日のプレゼント(これは今ではリンクできません)

 それで、このクリスマスのいろいろなことを思い出しました。二人の娘が小さなときの面白いエピソードばかりです。そして、「そういえば。俺たちの親父も小さいときにはいろんなことをくれたな」と思い出しました。
 一番思い出したのは、昭和27年のクリスマスのときのことです。その当時私たちは、秋田市に住んでいました。そのクリスマスイブの夜、我が家に、突然サンタクロースがプレゼントをもって来てくれたのです。私には飛行機、弟にはオートバイのゼンマイしかけのおもちゃでした。兄には何だったか覚えていません。実際に赤い服を来て、白い髭のサンタクロースでした。たぶん、秋田のデパートのサービスか何かだと想像します。そのサンタは何故かカタコトの日本語しか喋られず。小さな私と弟には驚きでした。
 このときのサンタクロースと私たち家族5人が一緒に映っている写真があったのですが、いくら探してもありません。たぶん、母の家のどこかにあるでしょうから。また捜してみます。
 ただ出てきたのが、その翌々年の昭和29年のクリスマスの写真です。11080211


1 父 久二  2 母 たか子  3 兄 莞爾  4 私 周二  5 弟 正志
 私が小学校1年生のときです。私たちは札幌に住んでいました。木田組という土建屋さんのちょうど真ん中に、4軒の家があり、その中の1軒が父の会社の社宅でした。ここでは、この4軒はとても仲良くて、よくみんなで集まってなにかを一緒にやっていました。父が仕切っていたのだと思います。この写真では、その近所の子どもたち、お母さん、おばあちゃんたちがみな集まっています。でも不思儀なのは、私の父以外のお父さん方がいないことですね。
 こんなクリスマス以外にも、夏の七夕のときにも、みんなで集まってお祝いしたのをよく覚えています。夏休みにはみなでキャンプにも行きました。そこでみなで作ったトン汁(思い出すとブタ汁と言っていたな)の味を、今も私は覚えています。
 思えば、父も母もよく私たち子どものために、いろんなことをやってくれたなと思います。だから、そんな父や母ほどのことは出来ませんが、私も娘たちに何かをしていかなくちゃと思っているのです。

10090111  ちょっと遅くなってしまいましたが、8月19日の デザインマシロさんからのご質問  に その蜘蛛業の目森さんが以下のコメントをくれていました。

1. Posted by 目森一喜   2010年08月20日 07:04
webは蜘蛛の巣ですから、web上でやる事は蜘蛛のわざ、という事で蜘蛛業にしました。
本当はもっと別の名称を考えていたのですが、すでに使われているものばかりで、サイトデザイン用に暫定的に使っていた名称を格上げした次第です。
恥ずかしながら、ダジャレと苦肉の策と発想の貧困が渾然一体となって出来上がったサイト名です。でも、今は愛着があります。

 私は幼稚園の最後の9ケ月(その前は秋田市に住んでいました)と、小学1年生と2年生の1月まで札幌市に住んでいました。この札幌は、実に昆虫の多い街で、そして昆虫ではないですが、実に大きな蜘蛛の巣がどこにもたくさんありました。私は蜘蛛が自分の巣を作るさまを見るのが好きでした。
 でもこれは蜘蛛の巣のことではありませんね。
 この蜘蛛業に、私は毎日書いているわけです。

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 長春有情さんから、新年あけましておめでとう へ次のコメントがありました。

1. Posted by 長春有情です    2009年01月02日 15:52
謹賀新年
萩原君ありがとうございます。
今年は会う機会を必ず作ります。
仕事が自由になります

 それで、さらに彼の掲示板に、次のUPがありました。

周二君、新年おめでとうございます。
君のブログに書き込みました。
君の家族の写真を見て、やっぱり君に間違いがなかったこともわかりました。
あの頃、たぶん中学校の頃、君は鹿児島人とはちがい、
垢抜けしていました。
君のブログを見ても、君は田舎の人間ではなかったことがよくわかります。
私も今年はフリーになります。
娘達が東京に行こうとしていますので、東京に行く機会もあるでしょう。
東京に行っても、浅草演芸ホールか新宿末広亭に行くだけのこと。
今年こそ君に逢おうと思っています。
たぶん5月連休のころでしょう。
今年もお元気で活躍して下さい。

 ありがとうございます。鹿児島は、私のいくつも引越た先の一つですが、でも私が小学校6年から高校1年のときまで、丸4年も住んだところですから、懐かしいです。
 私は札幌には2年半、名古屋には3年半(ただし、3ヶ所住みました。小学校も3つです)、横浜には3年半住んだので、比較的長いほうです。ただし、鹿児島は東千石町ばかりでなく、原良町にも住みました。

 懐かしい思いばかりが甦えるものです。

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041a9d95.jpg このブログのサイドバーにありました、「クリスマスまで、あと○○日」というブログパーツとジングルベルをなくして、今の「雪が好き」のパーツに変えました。いえ、「あと新年まで○○日」というようにしたかったのでしたが、よく判らないので、これにしました。思い出せば、私は秋田、札幌という雪国に住んでいましたので、雪が降る光景というのは好きなのですね。
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e4f1a1ef.jpg 昨日、義母がそちらで作った七夕飾りを見ました。嬉しかったです。私が七夕なんてちゃんとやったのは、小学校2年までですね。それまでいました札幌では、あのような行事をすべてやった思い出があります。
 写真はきのう7月7日の新御茶ノ水駅の駅ビルの広場にあった七夕です。(07/08)

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 ナミちゃんのブログへマチスさんがコメントされた内容で、この小樽の運河沿いの雪明かりの路を初めて知りました。自然、家庭菜園、旅行、ドライブ,花、小鳥 というブログの次の記事です。

 http://blogs.yahoo.co.jp/riku46187sizenn/40194913.html 小樽雪明かりの路を見に行って来ました

 私は小学校へ入ったのが昭和29年で、札幌でした。だからお隣の小樽もとても親しく思える街です。でもこんなに綺麗な雪明かりの路なんて、もう想像もつきません。ああ、行ってみたいなあと思いました。
 こんな素敵なブログを紹介いただきましてありがとうございます。
 やっぱり、札幌にも小樽にも行ってみたいなあ、と真剣に思いました。

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673ad8a6.jpg 昨日私のケータイに義母のデイサービス先のわが家から電話がかかってきました。それで義母が39度の熱だったというのです。でもそののちはおさまったようです。

 それで義母が5時に帰ってきてから、すぐそばの吉田医院に行きました。ちょうどわが家の車から降りるところに、車椅子(私のところは、玄関に義母用の車椅子を置いてあります)で、医院に向かいます。 病院で看てもらって、どうやらたいしたことはないようで、少し安心しました。病室に義母と入って、先生の話を聞きましたが、そのときに私ははるかな昔、雪の日に弟を連れて橇に乗せて病院に行った札幌の冬を思い出していました。たしか12月の夕方のことでした。そのときの病院の診察室の様子が私の脳裏に甦ったのです。

 私はしきりに、弟のそのときの姿を思い出していました。

 その帰り、車椅子を押している私には、あの札幌の遠い日に、帰りの吹雪の中、弟を橇に乗せるのではなく、二人で懸命に橇を押して走っていたことが甦りました。母がとても心配して迎えに来てくれていました。

 でもあの頃は電話もないわけで、大変なことでしたね。私が小学校2年で弟が幼稚園生のことです。

  義母は昨日医院では、36度の平熱だったのですが、今朝は38度と少し高熱です。だからデイサービスはお休みします。 妻がもうすぐ出かけますので(いつも土曜日に鍼灸に通っています)、私が義母をみています。義母が私ならば、少しは安心してくれるのが嬉しいです。

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64ff360a.jpg 昨日は、用賀駅のビルの中で、クリスマスツリーを見ました。このツリーの下にピアノが置かれ演奏会が開かれるのだそうです。わが家のおかあさん2007.12.07 に載せた写真です。11月14日に、王子駅前の東武ストアの広場で、今年で最初にクリスマスツリーを見ました。 マガジン将門第379号発刊 に載せました写真です。
 でもこうしてクリスマスツリーを見ると、もっと私が歩いているときに見つけたクリスマスツリーを見てみて、撮ってみたくなりました。
 私の両親は私たちが生まれたときから、いつも大きなクリスマスツリーを飾ってくれました。秋田、札幌でのクリスマスは雪の中の冬の日、いつも大きなクリスマスツリーがあって、愉しいクリスマスでした。たしか昭和28年には、実際のサンタクロースの扮装をした(たぶん、デパートのサービスで、父が頼んだのでしょうけれども)人が夜来てくれて、私たちはたいそう驚いたものでした。
 私たち夫婦も、毎年二人の娘のために、小さなツリーを用意したものでした。あれをいつからやらないようになってしまったのだろうかなあ。かなり面倒で大変ですものね。
 たしか、そのクリスマスツリーに飾るたくさんのもので、みんなであたふたしていた年のこともかすかに思い出しました。愉しいいい思い出ですね。
 また街を歩いて、クルスマスツリーを見つけてみます。
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1bd062bd.jpg 寒くなりました。もう札幌では雪が降っています。私は札幌には、幼稚園のときから、小学校2年の3学期の1月まで冬を2回迎えました。この11月に雪が降ってくるのをよく覚えています。その前に住んでいた秋田とは雪の種類が違います。降ってくる雪を手袋で包んでも雪だまが作れないのです。でも子どもであった私はこの雪が大好きでした。思えば、私の子どものときはいい体験をしたものです。鹿児島で鶴丸高校に入ったときに、同じクラスに、昭和29年に札幌の幌西小学校に入学していた同級生が偶然私の他に2人いたことを知り、大変に嬉しかったものでした。(11/19)
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 私のこのUP永田光男さんから、以下のコメントをいただきました。

2. Posted by 永田光男    2007年09月20日 09:42
ボクの誕生日は1948年5月30日です。
なんか、縁を感じて投稿しました。
上記URLでボクのブログへもお出で下さい。
お待ちしてます。

 ありがとうございます。私のこのUPは、2006年のことですから、今年の今は、もう59歳というわけです。もう60代もすぐそこに迫っているのですね。
 でも私と同じ日の生まれの方とは始めてのことです。私が生まれたのは、茨城県佐貫です。今は藤代市になっています。生まれてすぐに、東京の巣鴨に引越て、3歳のときには、秋田市に引越ました。その後、札幌、名古屋、鹿児島、横浜と引越て歩きました。小学校が5つ、中学校が1つ、高校が2つと転校してばかりいました。弟は小学校が4つですが、中学が二つです。兄は小学校が3つですが、中学校も3つ転校しています。ただ高校が二つというのは私だけです。

 永田光男さんのブログを拝見しました。とても綺麗な写真ですね。羨ましいです。私何か、ただただ画像を載せているだけという感じですね。
 今後もまたブログを拝見させてください。

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札幌はなぜ、日本人が住みたい街No.1なのか
書 名 札幌はなぜ、日本人が住みたい街No.1なのか
著 者 林心平
発行所 柏艫舎
定 価 1,524円+税
発行日 2007年4月10日初版
読了日 2007年8月16日

 札幌は私は昭和28年の9月から32年の1月まで住んだ街です。ここで私は小学校に入学しました。もうたくさんの思い出に溢れているところです。
 ただ、私はこの札幌という街が少しも好きではありませんでした。なんだかそのハイカラさが嫌で堪らなかった思いなのです。
 でもでも、今になって、だんだんと好きになれてきた街です。これはその後住んだ名古屋・鹿児島・横浜でも、今になってようやく好きになれたという思いがあるものなのです。
 ただこれを読んでいて、私の小さいときに思っていたことが、今こうして現実になってきているという思いがします。札幌は、物価高くて、雪は少しも綺麗ではありませんが、そこの住民が一生懸命にいい街として作り上げている都市です。これは実はどこの街でも、その努力を懸命にしているところが、魅力ある街になっているのだと思っています。

 きのう、我孫子の家に行く電車の中で読んでいました。<札幌移住者の声>というページがたくさん設けられていますが、どこでも頷いていた私です。
 札幌も行って歩いてみたいな。

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 ナミちゃんとんアンドじゅん中国から帰国! に書いてくれています。

周さんのブログで書いてあった「めばえ幼稚園」は私が通った幼稚園であり
娘が通った幼稚園でもあるのですが・・・

 私が書いた札幌の「めばえ幼稚園」は、昭和28年の暮から翌年3月に卒園するまで7カ月通いました。なんだか、とても懐かしいです。園長先生が、フィンランド人の女性でした。旦那様もご一緒においでになったと思いますね。この園長先生の顔は今でもよく思い出すことができます。転園してきた私をやさしく面倒を見てくれていました。弟はここで始めて幼稚園に入園したのですね。
 ここで卒園するときに、新訳聖書をもらいました。この聖書には、札幌のいくつもの落ち葉(いちょうが多いのですが)が挟んであります。それを、名古屋・鹿児島・横浜…………………と持って歩きました。でも新約聖書は少しも面白くありませんでした。でも10年くらい前に文語訳の「舊新約聖書」を手に入れて読んできましたが、これは実にいいです。せっかくのあれだけの聖書を、口語で読むと、なんてつまらないのでしょうか。
 でもこの「めばえ幼稚園」はいくつものことが思い浮かびます。
 私は小学校に行っても、日曜学校には通いました。だから小学2年の3学期の最初までは通っていたのですね。でもいつも、私はここで聞かされる神の話、聖書の話には、うんざりしていたものです。その聖書の内容に、心の底からひかれるような思いを抱けるようになったのは、実にそれから50年以上たたないと判らなかったのです。
 今は、佛典もよく読むのですが、とくに禅宗の関係は読んでもさっぱり判りません。禅家語録なんか、ただ「判らない」というのにつきます。
 その点聖書は、読んでいていいです。そうですね、「歎異鈔」を読んでいるのもいいのですが、それと同じ思いがしています。ただし、「歎異抄」は短いのですが、「聖書」は実に莫大な長さがあります。

周さんもインディアン祭り知っているんですね。
夏休み前はあそこはほとんどインディアン一色ですね。
こどももまだ小さく私もまだ若く大切な思い出です。

 私の姪が我孫子のめばえ幼稚園に行っていたときに、私が始めて手賀沼のインディアン祭りに行ったのは、たしか私が王子に住んでいたときだったと思います。手賀沼公園に行きまして、待っているうちに、私は眠ってしまいました。ところが、私の身近の物音に気がついて、目を開けると、私の目の前は、小さなインディアンがたくさんいました。そしてそのインディアンがどんどんと増えていきます。私は驚きました。
 私の姪のみーねえも来ました。でも彼女は、顔にインディアンの化粧を描いていませんでした。彼女にあとで聞くと、顔にペンキを塗るのが(いやペンキだったかは判らないけれど)嫌だったそうです。
 でももうたくさんの小さなインディアンたちで、それは実に愉しいお祭りでした。

 思い出せば、私の二人の娘が保育園の夕涼み会や運動会のときにも、いつもみーねえもきてくれていました。私もみーねえの二人の子どものいろんなイベントには行くようにしています。いつも二人のみーねえの子どもは、「あ、あのおじちゃん、また来ている」(本当はおじちゃんではなく、大おじちゃんだけど)という目で私を見ています。この二人の学校見学も行く気なのですが、いつも別の用と重なっています。
 今度は、私の孫のさまざまなイベントですね。

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b22600e7.jpg 義母が七夕をやったということで、私も自分の七夕の思い出が甦りました。札幌に住んでいた小学校1年・2年のときに、大きな七夕飾りをした思い出です。家の外に大きく飾りました。思い出すと、札幌という街は、あのような行事をよくしたような思い出があります。(7/09)
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 私が 周の雑読備忘録「平山和子『くだもの』」 の中で次のように書きました。

 最初の中表紙はさくらんぼの綺麗な絵があります。最初の表紙も裏表紙もさくらんぼの絵です。私はさくらんぼって、こんなに魅力あるくだものだっていうことを今始めて知った気がします。(いえ、思い出したことがありました。またあとで書きます)。

「またあとで書きます」なんていいながら、忘れてしまいがちな私です。
 私が思い出したのは、この本のさくらんぼの絵を見て思い出したのは、たぶん昭和30年か31年の春(だから私は小学校1年か2年生)に札幌で、父が家族でいちご狩りに連れて行ってくれたことのことだと思います。
 目的はいちごだったわけですが、そこにはさくらんぼもたくさんあり、私がそのさくらんぼをいくつか手にしているときに、母がもっとたくさん手に持って父に写真に撮ってもらうように合図をしたことです。父はこの頃、かなりカメラに凝っていまして(いえ、もうなんでも凝る親父でした。なんでも凝るけど、すぐ飽きるのです。飽きないで長年やっていたのは秋田犬くらいだなあ)、そのカメラを向けてくれたのを思い出します。私の手には、いっぱいのさくらんぼが綺麗にあったかと思い出します。
 思えば、あのときの母の顔も鮮明に思い出します。母はまだ若かったですね。

 思い出せば、あの小さな頃は、いちごもさくらんぼもみな好きだったのに、なんでくだものが嫌いになったのかなあ。あ、そうか、くだものは酒のつまみにはならないからだ。ああ、なんというくだらない私でした。

07022302 私の長女のところで、私はいつも孫のポコちゃんを見て、抱いて、「可愛い」とばかり言っています。そうしたら、昨日長女がいいます。
 長女の仲のいいAちゃんは、札幌に住んでいまして、ちょうどポコちゃんの生まれる1日前の1月2日に生まれました。
 私はポコちゃんがおにぎりのようにまん丸い顔をしているので、「おにぎりっ子」なんて言っています。そうしたら、「AのEちゃんは、ジャニーズ系の顔しているんだよ」といいます。私は、

 何言っているんだ。赤ちゃんはみな、ポコちゃんのようなおにぎりのような顔をしているんだよ。

といいましたら、長女は、「いや、たしかにジャニーズ系の顔しているんだよ」と言って、ケータイメールを見せてくれました。そこにはAちゃんからのケータイメールに添付されている写真がありました。

 お、びっくりです。本当にそこには生まれて50日しか経っていないのに、目のぱっちりした「ジャニーズ系」と言ってもいい、素敵な美男の顔をした赤ちゃんの顔があります。もう大変な驚きです。
 そのAさんは、もうすぐ東京に来るそうです。彼女の実家と、彼の実家に、この赤ちゃんを見せにくるのです。そのときに、長女の家にも寄るということです。私もぜひ彼女とこのジャニーズ系の顔をしたE君に会います。

 でも私は、ポコちゃんを抱いて言っていました。

 な、別にジャニーズ系になんか負けないものな。ジャニーズより、おにぎりっ子のほうが可愛いよ。会って、負けていないことを示してやろうよ。

 ね、負けないものね。

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06122301 毎日UPされている 王子生活札幌でも走ってます があります。なんだか私にはとても懐かしい札幌の市電なのです。

札幌の街には市電が走ってます。
緑色の車体が懐かしい感じの市電です。
(2006.12.22)

 私の家族は昭和28年の9月に、秋田市から札幌へ引越しました。秋田も市電が走っていましたが、社宅は市電よりかなり離れていたので、今度は比較的社宅より近いので、私たち3人兄弟は、そろって市電通りに見に行きました。
 兄は中学1年生、私は幼稚園生で、弟はまだ4歳です。市電通りは広くて、緩やかに市電が走っています。
 でも実に悪戯っ子の私の弟が、市電のレールの上に石を置きました。兄は怒り、私はあわててその石を取り去りました。実にまあるい石でした。白い少し茶色い平たい石でした。私は今のあの石の感触も形も色もよく覚えています。私の弟は、小さくてイタズラばかりする子どもでした。
 私は家に帰って、そのことを母に言いつけたと思います(嫌な奴だなあ)。でも間違いなく、母は怒ったけれど、笑っていたかと思います。でも弟は、「もう絶対にしないこと」と約束させられていました。

 この市電に乗って家族でよく札幌の繁華街に連れて行ってもらいました。丸井(今は札幌丸井というのかな)デパートへや三越デパートへです。そこで父母は買い物をして、私たち子どもは食堂で食べるのがいつも愉しみでした。
 思い出せば、その前にいた秋田市も、次の名古屋も、鹿児島も、横浜も、どこもこの市電が走っていしたね。ただし、名古屋の最初の南区若草町では、名鉄に乗ることも多く、横浜では港北区篠原町だったので、東急東横線に乗ることも多かったです。

 でもその後住みました千葉県我孫子も浦和市も市電(路面電車)がないのが不思儀でした。それから沖縄の那覇市にも市電がないので、少し驚きました。でももう声には出さなかったなあ。その頃一緒に働いている人たちに笑われちゃうかもしれないからです。

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 この一つ前に、昨日タクシーに乗ったことを書きました。そうしたら、また思い出しました。
 同じく昨日、今度は渋谷から靖国神社前までタクシーに乗りました。
 私はまた運転手さんに、東京の路が綺麗なことの感想を喋りました。そして、私の自宅の我孫子も今の王子も路が綺麗に掃除されていることを言いました。
 そして余計なことですが、東京の汚れた街の話もしました。「あそこらへんは、煙草の吸い殻だらけなんですよね」なんて街の名前をあげて話しました。
 それでそのあと、東京だけではなく、あちこちの都市の話をしました。まず大阪の印象から、名古屋の話をしました。
 私は名古屋は好きではないが、実に街が綺麗だと思うということをいいました。そして同じ愛知県でも、いわゆる名古屋−尾張と、岡崎−三河は全然違うなんて話をしているうちに、その運転手さんも、「私も名古屋は住んでいたことがありますよ」という話で、いろいろと話しました。私は名古屋は3カ所住んで小学校も3つだったことをいい、もともとは札幌で入学したことをいいまして、でも卒業したのは鹿児島なことをいいますと、彼も「自分は鹿児島です」ということで、だんだん話が進みます。
 彼の中学の話で、私は甲東中学で、彼もよく知っています。「私は甲南(高校)なんですよ」という話から、「私は鶴丸(高校)ですよ」ということで、だんだん詳しい話になります。
 彼が法事で、鹿児島に帰省した話の中で、鹿児島天文館の美味しいラーメンを奥さんと食べに行ったという話で、それが黒岩ラーメンだというので、私は「あ、彼は中2・中3と同じクラスだったよ」ということでますます話がはずみます。私は天文館のあちこちには、同級生が何人もいますから、もう懐かしい思い出ばかりです。
 彼は昭和22年生まれで、私より一つ上です。だからあの頃鹿児島の路ですれちがっていたのかもしれないですね。

 でも彼は三島に住んでいたこともあると言っていました。私もすぐに三島駅を思い出していました。温泉新聞社で集金に歩いた思い出です。あそこから、伊豆の中伊豆西伊豆の集金旅行が始まったのでした。
 いや、その他もいっぱいお話しましたよ。同じ団塊の世代だから、たくさんの思い出が重なります。

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 団塊世代Uターンの経済効果試算 で私は、団塊の世代が「故郷へ帰る」というので、いわゆる田舎に帰ることには否定的なことを書きました。ただし、もちろんそれは個々人が自分の人生でどのような生き方をしようがそれぞれが自由なわけですから、それはまったく構わないことだと思っています。

 私は「故郷へ帰る」というときの「故郷」というのは、それぞれによって違うだと思っているのです。東京という都会が故郷の人もいれば、例えば、鹿児島県内の郡部が田舎の人もいるでしょうが、鹿児島県の県庁所在地の鹿児島市が故郷の人もいるでしょう。
 でも私は「故郷回帰運動」というものに賛同できないのは、「東京23区が故郷であり、そこへ帰りたい」という人の考え方には認めないようなことを感じるからです。
 ようするに、地方といいましても、東京や名古屋のような地方ではない、過疎化が進んでいる地方がなんとしても、その自分の地域を活性化したいというのが本音でしょう。そして、それは切実な思いがあるのでしょう。
 だから、個々人のとって故郷はいろいろあるわけで、さも「故郷は自然と田園のあるところ」と決めつけていることが私は嫌なのです。そこはついでに「車がなければ生活できないところ」と付け加えてくれよという思いです。

 かつそして、個々人にとって、故郷とは、実際に自分が行き住んだところでなくとも、自分で選んでいいところだと思っています。

 私は生まれは昭和23年茨城県佐貫です。今は藤代市になっています。でも、1歳のときに、東京巣鴨に引越て、3歳で秋田市に引越、そのあと、札幌、名古屋、鹿児島、横浜、そして千葉県我孫子と引越しました。秋田では2か所、名古屋では3カ所に住んでいます。だから名古屋では小学校も3つでした。
 それでそのあとは、浦和に住み、また府中刑務所から保釈ののち我孫子に住み、また浦和に住み、一時沖縄に住み、その後船橋に住み、早稲田に住みました。そこで結婚して王子に住んで、そのあと我孫子に住みました。そして我孫子で3カ所住むところを替えました。
 そして今は、我孫子の自宅と王子の妻の実家と2カ所に住んでいます。

 そんな私には「故郷」というところがないのです。いや、全部が故郷とも言えるでしょうか。私は秋田と沖縄は、私の故郷とよびたいところでしたが、あとはすべて嫌いでした。
 札幌は、なんだか実にハイカラで嫌でした。ストーブの石炭の煙で汚れた雪が嫌でした。名古屋が実に暑くて、そして方言がひどくて嫌でした。鹿児島は、もうまったく嫌でした。毎日桜島のばい煙が降るのが嫌でした。横浜も方言がひどくて「これは同じ日本なのか」と思ったものでした。町を流れる川が汚くて嫌でした。

 そんな、どこも大嫌いでしたが、今はとても懐かしく思い出されます。札幌も名古屋も鹿児島も懐かしいです。でも遠い。横浜は行くことができますから、歩くと、あんなに嫌だった街が、今では懐かしくてなりません。浦和も嫌いな街でしたが、今行きますと、もう涙がこぼれます。浦和から北浦和まで歩くと、もうそれこそ私はあちこちで涙目になっています。

 このWeb東奥の記事では、次のようにありました。

 今夏、県が行った団塊世代への意識調査では、首都圏在住の本県出身者のうち9.4%が定年後の本県移住を、23.4%が首都圏と本県の二地域居住を希望した。

「首都圏と本県の二地域居住」なんていいことだな、と思いました。
 私が、もう1カ所住みたいところはどこかといいましたら、それは沖縄かな。そして沖縄のどこかと聞かれたら、それは実に困っていまうけれども、やはり都会である那覇でしょうか。でも沖縄ももう車がないとどこにもいけない地方ですね。
 それがなんだか少し哀しいな。

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 GIGAZINEこの記事 がありました。

「地域ブランド調査2006市版」によると、市の魅力度ランキング1位は札幌市だそうで、2位は神戸市、3位は函館市。北海道が非常に強いですね。ベスト10のうち4つが北海道です。

アンケート結果を見ると、「とても魅力的」と答えた人が34.5%、「やや魅力的」が52.1%と8割を超える人が魅力を感じているようで。一体どこがそんなにいいのかよくわからないのですが…。(2006.09.07)

「えっ、札幌が!」と驚きました。でも見ていきますと、横浜市が3位にあります。これも驚きました。

◆市の魅力度ランキング(1〜20位)
順位 市名   県名  点数
1  札幌市  北海道  60.5
2  神戸市  兵庫   58.0
3  函館市  北海道  57.6
3  横浜市  神奈川  57.6
5  京都市  京都   56.3
6  富良野市 北海道  55.4
7  小樽市  北海道  54.6
8  鎌倉市  神奈川  53.3
9  那覇市  沖縄   48.0
10  沖縄市  沖縄   45.0

 私は、小学校に入ったのは札幌でした。高校のときは横浜でした。でも今思い返すと、札幌はいい街だったかもしれないな。雪ばかりふっていて、雪が降ると、ストーブの煙が雪の雲に塞がれて、とても綺麗な感じではなくなってしまうのですが、子どもでしたから、雪は好きでした。
 でも私の子どものときの札幌とは違う、いい素敵な街になったのかもしれないな。
 横浜は少しも好きではありませんでしたが、ついこのごろ行きますと、とても綺麗な街になっている感じがして、なんだか好きになりました。私が高校のときは、びっくりするくらい汚れた街という感じで、嫌で堪りませんでした。街を流れる川は実に汚くて、嫌な臭いがしますし、海も、「これほど汚い海があるのか」というほど嫌な臭いのする街でした。
 でもちかごろ行きますと、横浜は実に綺麗な街です。海も川も実に綺麗です。また横浜を歩きたい気持がします。

 そうですね、5月に行きました神戸も好きな街です。大昔行ったときには、少しも好きになれない街でしたが、今年行ったときには、とても好きな街になっていました。
 函館も好きな街です。また行きたいな。
 那覇も好きです。沖縄市は、飲んだことはないけれど、こんどはゆっくり行ってみたいな。
 そして鎌倉は、今年3月末に歩きましたが、やっぱり私の好きな街です。ただし、いつも歩いているときに、寂しい思いがしてしまうのですが(いつも実朝のことを思う浮かべるからかな)、できたら9月末か10月にも歩きたいです。
 それと京都も好きです。何度歩いても、たくさんの思い出が甦ります。

 なんだか、乱暴に書いてしまったな。また歩いてみて、そのときいろいろと書いていきたいです。

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 このブログのサイドバーに「livedoor デパート」があります。きょうから、それを「名古屋」というキーワードで、デパートを形成しています。
 
 最初は、ここは「沖縄」で作りました。私の住んだところでいわば一番好きなところだからです。その次は「秋田」でした。これもまた私が住んだところで好きなところです。沖縄は沖縄本島も八重山諸島もすべて好きですが、「秋田」は、住んだのは秋田市(市内の2カ所に住みました)ですが、「秋田」自体がみな好きです。秋田県全体が好きだというか、秋田犬も好きですし、秋田のお酒も好きですし、秋田美人も好きです。
 ただ、その次は「北海道」ではなく、「札幌」というキーワードでデパートを形成しました。北海道と札幌というのは、私には違うものなのですね。そして私の本心は、北海道は好きなのですが、札幌は、どうしても「好きなところだ」とはいいにくいところです。幼稚園が札幌めばえ幼稚園だし、小学校に入学したのが、札幌市立幌西小学校ですが、どうしても私とは似てもにつかないところでした。いわば、あの札幌のハイカラさが私には合わない気がします。
 
 そして、きょうからは、「名古屋」です。愛知県でもなく、中部地方でもなく、「名古屋」です。そしてここは、私の家族は、南区、千種区、北区と3カ所住みました。小学校は、私は3校でした。でも、どうしても私とは合わない地方という気がずっとしています。まあ、とにかく異常に暑い街でしたね。
 でも、そんな街である、名古屋のことを今はよく知りたい、好きになりたいという思いがします。これは私が気弱になったのかもしれないことです。訳の判らないこだわりばかりで世界を見ている私よりも、名古屋の存在のほうが迫力があるようにおおいに感じています。
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