将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:村上一郎

201704031192-11-04 06:59:24 ゴトの推薦図書。「思想としての東京」
ゴトの推薦図書 「思想としての東京」講談社文芸文庫。

11082203 きょうこの本探したけどみつからなかった。また探します。
しかし磯田光一とこれからもつきあうようになるとは思わなかった。彼の痛々しい晩年見ていて、もう彼の本を読むことはないだろうと思っていた。でもまだ読む価値がありそうですね。
三島由紀夫が自刃したとき、磯田はかなり読ませる文章を新聞に書いていた。「三島由紀夫VS東大全共闘」からかなり書いていた。結局東大全共闘にとっては三島のいう天皇が二重に分かっていなかった。でも私は三島も全共闘を評価しすぎな感じがしていた。その三島の天皇を全面に評価している文章だったと思う。確かに、あの事件を否定する市民主義者や、肯定する左翼よりも、磯田のその文はうなずけるものがあった。そして磯田は最後にこう書いていた。

「この三島の天皇に対抗できる思想といったら、それは吉本隆明
の『共同幻想論』しかないのではないか」

たしかこんな文だったと思う。磯田はどうしても、三島に寄り掛かり、そしてその対称に吉本さんを置いていたように思う。でもはたしてそうなのか。私は意地悪く問いたい気がしていた。それが突如として、彼は江藤淳の方へいってしまったのである。三島のように殉教するわけにもいかず、吉本さんのように、「自立」というわけにもいかなかったのだろうか。急に江藤なのだ。
私はそんな彼を一番からかいたかった。「君のやっているのは、昔日本共産党がいっていたことなんだよ、20年代の共産党と同じじゃないか」と。江藤が何かアメリカとの問題を持っている気がしたから、江藤に言っても、江藤からは何倍もそれへの反論がきそうな感じはしたが、磯田は何故なのだという思いがあった。あれほどの才能をもった、あれほどのするどい評論の書けた彼が何でああなってしまうのだという思いがあった。
私はその答えは、彼は結局何かが怖い、弱い人間なのだなと思っていた。何かに頼らないとやっていけない。人は本来、独りで自立すべきものなのに、彼は日本のアメリカからの自立なんてことばかりに焦点をあててしまった。しょうががないものだな。ずるいんだなと思っていた。ところが彼の死である。彼はかなり真剣だったのだ。そしてこの日本の近代とうまく格闘することができずに、文字どおりそのまま死んでしまった。

おそらく磯田光一はそのことに気づきながら、深い屈折を秘めた作品を書いていたのです。そうして、身のふりどころのない生に耐えながら死んで行きました。
彼には語っていない沢山のことがあるはずです。鋭利な論理性をもっていた磯田光一は、しかし、論理よりも、情念的なものにあこがれを持っていたようです。そんな彼が鋭い思考をもって日本の近代に挑みかかり、その果てに破綻しました。(1992-11-04のゴトさんの文章)

彼の死を思うとき同じく村上一郎の死も思う。全く資質は違うように見えるが、結局は同じなのではないだろうか。日本の近代と格闘して、とうとう疲れて死んでしまった。村上の場合は、短刀による自殺だったが。二人とも、結局「日本」をアメリカに象徴されるものとの対比で考えてしまったのではないか。そしてこの二人とも、すぐそばに吉本さんというとてつもなく大きな存在がいた。吉本さんに「日本なんて、そんなものじゃない」と簡単にいわれてしまうことしかできなかったのではないだろうか。彼等のいう日本とは、結局また本居宣長の作った日本ではないのか。
ゴトさんに聞きたいのですが、ちょっと思ったのですが、磯田に柳田国男とか、折口信夫のこと書いた文章はあるのですか。村上一郎もどうなのだろうか。そこらが分かれば、私にはかなりなことが分かった気がします。
考えてみれば、橋川文三もとっくに亡くなったわけだし、あとはあとは桶谷秀昭だけですね。この人はどうしているんだろう。まだいくつか書いてはいるようですが、なんだかわすられてしまった感じがありますね。
私たちがこの評論家たちと出会ったのは、ちょうど70年のときです。よく学習会やったの覚えています。でもあのころはまだ分からなかった。今になってさまざまなことが見えてきたように思います。しかし、そのころから吉本さんだけは一貫していますね。

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1101051192-11-04 06:59:24 ゴトの推薦図書。「思想としての東京」
 ゴトの推薦図書 「思想としての東京」講談社文芸文庫。

 きょうこの本探したけどみつからなかった。また探します。
 しかし磯田光一とこれからもつきあうようになるとは思わなかった。彼の痛々しい晩年見ていて、もう彼の本を読むことはないだろうと思っていた。でもまだ読む価値がありそうですね。
 三島由紀夫が自刃したとき、磯田はかなり読ませる文章を新聞に書いていた。「三島由紀夫VS東大全共闘」からかなり書いていた。結局東大全共闘にとっては三島のいう天皇が二重に分かっていなかった。でも私は三島も全共闘を評価しすぎな感じがしていた。その三島の天皇を全面に評価している文章だったと思う。確かに、あの事件を否定する市民主義者や、肯定する左翼よりも、磯田のその文はうなずけるものがあった。そして磯田は最後にこう書いていた。

 「この三島の天皇に対抗できる思想といったら、それは吉本隆明の
  『共同幻想論』しかないのではないか」

 たしかこんな文だったと思う。磯田はどうしても、三島に寄り掛かり、そしてその対称に吉本さんを置いていたように思う。でもはたしてそうなのか。私は意地悪く問いたい気がしていた。それが突如として、彼は江藤淳の方へいってしまったのである。三島のように殉教するわけにもいかず、吉本さんのように、「自立」というわけにもいかなかったのだろうか。急に江藤なのだ。
 私はそんな彼を一番からかいたかった。「君のやっているのは、昔日本共産党がいっていたことなんだよ、20年代の共産党と同じじゃないか」と。江藤が何かアメリカとの問題を持っている気がしたから、江藤に言っても、江藤からは何倍もそれへの反論がきそうな感じはしたが、磯田は何故なのだという思いがあった。あれほどの才能をもった、あれほどのするどい評論の書けた彼が何でああなってしまうのだという思いがあった。
 私はその答えは、彼は結局何かが怖い、弱い人間なのだなと思っていた。何かに頼らないとやっていけない。人は本来、独りで自立すべきものなのに、彼は日本のアメリカからの自立なんてことばかりに焦点をあててしまった。しょうががないものだな。ずるいんだなと思っていた。ところが彼の死である。彼はかなり真剣だったのだ。そしてこの日本の近代とうまく格闘することができずに、文字どおりそのまま死んでしまった。

 おそらく磯田光一はそのことに気づきながら、深い屈折を秘めた作品
を書いていたのです。そうして、身のふりどころのない生に耐えながら
死んで行きました。
 彼には語っていない沢山のことがあるはずです。鋭利な論理性をもっ
ていた磯田光一は、しかし、論理よりも、情念的なものにあこがれを持っ
ていたようです。そんな彼が鋭い思考をもって日本の近代に挑みかかり、
その果てに破綻しました。(92-11-04のゴトさんの文章)

 彼の死を思うとき同じく村上一郎の死も思う。全く資質は違うように見えるが、結局は同じなのではないだろうか。日本の近代と格闘して、とうとう疲れて死んでしまった。村上の場合は、短刀による自殺だったが。二人とも、結局「日本」をアメリカに象徴されるものとの対比で考えてしまったのではないか。そしてこの二人とも、すぐそばに吉本さんというとてつもなく大きな存在がいた。吉本さんに「日本なんて、そんなものじゃない」と簡単にいわれてしまうことしかできなかったのではないだろうか。彼等のいう日本とは、結局また本居宣長の作った日本ではないのか。
 ゴトさんに聞きたいのですが、ちょっと思ったのですが、磯田に柳田国男とか、折口信夫のこと書いた文章はあるのですか。村上一郎もどうなのだろうか。そこらが分かれば、私にはかなりなことが分かった気がします。
 考えてみれば、橋川文三もとっくに亡くなったわけだし、あとはあとは桶谷秀昭だけですね。この人はどうしているんだろう。まだいくつか書いてはいるようですが、なんだかわすられてしまった感じがありますね。
 私たちがこの評論家たちと出会ったのは、ちょうど70年のときです。よく学習会やったの覚えています。でもあのころはまだ分からなかった。今になってさまざまなことが見えてきたように思います。しかし、そのころから吉本さんだけは一貫していますね。 (1992.11.06)

2017073102 谷川雁が2日午後5時6分に肺がんのため亡くなりました。71歳でした。これで、吉本(吉本隆明)さんと一緒に「試行」の創刊に関わった3人(村上一郎、谷川雁、吉本隆明)のうち2人が鬼籍に入ったわけです。なんだか時間というのは、非常に無慈悲に過ぎ去っていくもののようです。
三井三池争議のときの谷川雁から、70年代の経営者(たしかテックという会社の社長だった)の姿まで、なんだか遠いところにいる教祖のように私は眺めていました。「自立」とは吉本さんの語彙であるわけですが、これはまた谷川雁が述べたことでもありました。 

自立を思想内容としてとらえれば、それはいかなる範疇にも属さない、名づけることのできない存在に自分がなろうとする決意の問題である。他のあらゆる個人、集団に同一化されない、自分以外の世界すべてにヒジ鉄を加える精神である。

自立とはいずれ「他立」するための便宜的な手段ではなく、それを自己 目的とすることである。10120605

組織形態論としてとらえた自立、展望をもたなければ動こうとしない自立、どうすれば自立できるかと他人に問うことことからはじまる自立なんてものじゃ、自立という言葉がなくのである。                 (谷川雁「民主集中制の対局を」)

しかし、吉本さんはこの「自立」をまさしく私たちの前に見事に提示してくれているように思いますが、谷川雁はどうだったのでしょうか。
吉本さんの雁への追悼の言葉を聞いてみたいものです。
合掌します。(1995.02.04)

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