将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:村松友視

11010205書  名 私、プロレスの味方です
    当然、プロレスの味方です
    ダーティ・ヒロイズム宣言
著  者 村松友視
発行所 情報センター出版局

 プロレスのことを考えるとき、どうしてもこの村松友視のいわゆるプロレス3部作を読み返さなければならないと考えます。この3部作によってプロレスファンは理論的な支柱といったようなものを与えられたといえるかと思います。この3部作以降あらゆる飲み屋で、声高にプロレスを論ずるというようなことが出現したように思います。
 しかしプロレスを語ることが、もはや特別のことではなく、「過激なプロレス」などということばが死語と化している現在、この3部作の再検討再批判をすることは私たちプロレスを語るものにとって通らなければならない宿命のように考えます。

 この「私、プロレスの味方です」は猪木プロレスの信奉者を多く輩出したと思うのですが、実は当時新日本プロレスで前座レスラーを務めていた前田日明は次のように受け取っています。

  村松氏は猪木さんをアメリカン・プロレスとして最大限に評価した。
  アメリカン・プロレスとしても素晴らしいことを書いた。これは猪木
  さんにとって大変な支えになった。……俺なんか村松さんが『私、プ
  ロレスの味方です』の本を出したとき、てっきり『けしからん』といっ
  て怒ると思ったら、以後猪木さんと村松さんと友達になってしまい
  『一体どうなっているんだ』と思った。俺たちは前座でゴッチ流の試
  合ばっかりやっていたからね。   (「週刊プロレス200号」)

 日本プロレス−全日本プロレスの流れに対して、猪木は同じアメリカンプロレスでもカール・ゴッチというガチガチのセメントプロレスラーを利用し、「ストロングプロレス」と称して馬場プロレスを乗り超えようとしていました。しかしテレビ放映がつき、興業として考えるとき、ゴッチのプロレスでは主流にはなれないのです。ゴッチのプロレスからはタイガーマスクは出てこられないのです。そこでゴッチから離れて、それでも猪木プロレスを支えるものとして、この村松理論を猪木は利用したと思います。それが「過激なプロレス」であり、馬場プロレスを「プロレス内プロレス」と切捨てることにより、新日本の優位を保とうとしました。これは見事に成功したと思います。
 実にあの時代はどこの飲み屋でも猪木プロレスの信奉者との論争をよくやったものです。そして彼らが口を揃えていうのが、馬場プロレスのけなしであり、それの根拠がこの村松からきていました。はっきりいって「過激」だか「プロレス内」だか、どこが違っていたというのでしょうか。

  こんなプロレスをやっていたら、10年もつ私のプロレスの寿命が
  5年になるかもしれません。が、こうなったら、どんな相手の挑戦で
  も受けます!(昭和48年12月10日ジョニー・パワーズを破って
  NWF世界ヘビー級チャンピオンになったときのリング上でのインタ
  ビューでの猪木の答え)

 この猪木の「こんなプロレス」という言葉を、村松は「過激なプロレス」と命名します。そしてさらにこの「過激なプロレス」は「過激な観客」を生んだといいます。まさしくこの「過激に闘う者」と「過激に見る者」により、日本のプロレスは黄金期を迎えることになります。

spt022 猪木の派手な闘いと全日本に対する攻撃性と馬場のいつもくちごもる姿勢の中で、プロレス界は推移しました。猪木が馬場が当然受けられないことが分かっていて、試合を挑戦するやり方にかなりな根拠を与えていたのも、この村松の分析です。しかし、その何年後かに、猪木は弟子である前田からの挑戦には、馬場ほどの困難さ(要するに放送局の問題など)は全く存在しないにも拘わらず、避けて終りました。いったいこれがどう「過激なプロレス」とやらなのでしょうか。どうみても馬場も猪木も同じプロレスだったのです。村松がなにか理屈をつけ、猪木がそれを利用しただけなのです。

 私はこの村松3部作が果たした役割は評価したいと思います。プロレスに「市民権」といえるようなものを与えたかと思います。「力道山のころは見たんだけどね」などといってそれで言葉が終ってしまうような人たちに対しても、いまのプロレスはそのときより一歩前へ行っているんだと言えるようなものにしたと思います。
 しかし、またさまざまな問題点もプロレスの世界に持ち込んだように思います。同じプロレスの中に、何か団体ごとに優劣があるかのような錯覚です。この害はかなりなものであったと思います。新日ファンに国際プロレスの金網デスマッチを頭から馬鹿にしてしまうような傾向を持たせることになってしまいました。私は当然かなり言い合いしたものです。

 それが次第に矛盾をきたしてくることになります。猪木にさまざまな矛盾が現れてくるとき、レスラー猪木と人間猪木を別に考えるというような傾向までありました。
 もはやかっての「過激なプロレス」とやらの信奉者も、いまやその過去を振り返るときです。プロレスが本当に好きなら、プロレスの中に本物、ニセモノなどという視点をもってはならないと思うのです。このところの問題を、私たちは誰もがこそこの村松のプロレス3部作の総括検討批判から始めるべきだと思うのです。

 それから私は村松のプロレス以外の小説等々は愛読しています。またそれらもいずれ私の書評で扱ってみたいと考えております。(1993.04.17)

10112110 私のもともとのホームページの将門Webは、「周のプロレス塾」は結構な部屋だったのですが、今このサイドバーのバナーをクリックして、「あ、まずい」と思いました。もうこの頃は、何も書いていないのですね。

 私の「読書さとう」では、

  村松友視『プロレス3部作』
  ブル中野『金網の青春』

を書いたのですが、これじゃまずいよな。いや本の紹介だけでなく、いろんなことを書かなくちゃいけないよなあ。
 私は国際プロレスのラッシャー木村が一番好きで、猪木との対戦は蔵前国技館の特別リングサイトに行きまして、応援していたものです(でも応援と言っても、猪木プロレスは観客が殺気だっていて、木村の応援の声なんかあげられません)。
spt025 この木村に私は偶然代々木上原駅前で会いました。木村はそこに乗ってきた自転車から降りていました。私は感動して、その駅前の私のクライアント(8皆建てのビルで地下から8階までのすべてを使っていた会社でした)の2階の総務の女の子に、ケータイで伝えたのですが、その子は何も感動しなかったようです。(綺麗な子だったのに、私はものすごく、その子にもがっかりしました)。
 とにかく、私はラッシャー木村の大ファンでした。

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