将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:東京ゲーテ記念館

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 粉川哲夫さんからのコメント にさらに以下のコメントをいただきました。ありがとうございます。

1. Posted by 粉川哲夫    2007年01月24日 05:53
「粉川さんの言われていることが、なにかこの時代を「鉛の時代」(この鉛とは、銃に込める鉛の弾にも思えます)として、讃えているように思えた」というご説明で、了解できました。
92年に本でお読みになったということは、『シネマ・ポリティカ』ですね。映画「鉛の時代」の問題の文章は、1983年に『月刊イメージフォーラム』に、まさに西ドイツの新左翼運動を「軍事闘争派」から腑分けするために書かれたものです。あなたが逆に読まれてしまったのは、残念です。なお、原タイトルは、Die bleinere Zeitで、「鉛のように重苦しい時代」といった意味です。
また、拙著は上記を含めて、すべて版権放棄でネットにアップしてあります(誤植があるのはお許しください)のでチェックできます。→http://cinema.translocal.jp/books/

 粉川哲夫の本 は前にも見ていました。今後も読まさせていただきます。

「鉛のように重苦しい時代」とは、たしかにあの時代は嫌な思いが浮かんできます。
 私の大学時代の学生運動は、いわば実に面白い雰囲気があったかと思います。このことは、当時の同じ大学の教職員の方からも随分言われています。同じ年代の他の大学の活動家の方々とも、会うと、けっこう同じようなことを言われます。そして私は60年安保世代の方ともずっとつき合いがあります。唐牛健太郎さん、島成郎さんを始めとして(いやもうこのお二人も亡くなられましたね。その他の方も大勢亡くなられました)、たくさんの方とつき合ってきました。

 ただ、私たちのかなり年下の方から、私たちのことを不思儀なほど誤解されていることを感じています。私たちのことを左翼マルクス主義者だと断じて、それで私たちへの非難を繰り返されると、もう馬鹿馬鹿しくてなりません。それはたしかにマルクス主義者もいたけれど、みんな一色ではなかったよ。

 とにかく、粉川さんにこうして書いていただいて、ありがたいです。もっと私もいくつものことを学んでいきます。

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 私の 粉川哲夫さんに謝罪いたします の6 に次のコメントがありました。

 わたしは「謝罪」や「詫び」をしていただくために投稿したのではありません。誤解されていると思ったので説明させていただいたのです。それと、面識もないあなたから「こんな奴」呼ばわりされる理由が全くわからないので疑問を提起しました。
「あまり粉川さんのことを知らないまま言っていた」と書かれていますが、知らないでどうして「こんな奴」と言えるのですか? 最低限、そういう表現の出てきた理由を知りたいと思うわけです。

 私の粉川哲夫さんに関します謝罪は、粉川さんから要求されたものではありません。私の気持です。
 それで、粉川さんのことを「こんな奴」と思っておりましたのは、92年の5月の頃でして、そしてこの文章を書いた

93-02-16 22:49:48 周の文学歴史散歩2「蘆花公園恒春園」
93-04-14 00:55:32 周の文学歴史散歩3「ゲーテ記念館」

の頃もそういう思いを抱いていたものでした。この文章は、当時のパソコン通信ネットにUPしたものでした。

最低限、そういう表現の出てきた理由を知りたいと思うわけです。

と言われているので、当時の私の気持を思い出します。

 粉川哲夫さんの書かれた本は、私はあちこちで手にして読んでいたかと思っています。ただし、私は今自宅にいないもので、詳しくその本の内容を参照することができません。
 それで私が覚えているのは、たしか東京地裁の中の本屋で粉川哲夫さんの本を詳しく立ち読みしたことを覚えています。
 それが映画の批評でもあったし、「鉛の時代」というようなことを書かれていた内容だったかと思います。
 私は昭和23年生まれで、大学入学が1967年で、当時の三派全学連、そして全共闘の時代を文字通り、そのまっただなかで生きてきました。
 その私たちの時代の閉塞感を打ち破るものとして、赤軍派やイタリアの「赤い旅団」の出現に関しては、私は実に嫌な思いを抱きました(いえ、最初はけっして嫌悪していたというよりも、シンパシーを感じるところがあったかと思います)。
 そんな私の思いの中で、粉川さんの言われていることが、なにかこの時代を「鉛の時代」(この鉛とは、銃に込める鉛の弾にも思えます)として、讃えているように思えたものなのです。でも今考えれば、それはまったく私の誤解でしかありません。
 そんな私の誤解の中で、ある時代、粉川さんのことを「こんな奴」と表現してしまったのです。
 そしてそれは92年に思い、93年にあるパソコン通信ネットに書いたものでしたが、それを今回収録するときに、それが当時の私の思い、誤解であり、今はそんなことは思っていないということを、ちゃんとつけたすべきでした。
 このことをすっかり忘れてしまった私のことを、私は大きく確かに謝罪すべき内容なのです。

 以上のようなことです。粉川さん、お判りいただけたでしょうか。

 なお、6回に分載したのは、投稿欄の字数制限のためで、あなたの「謝罪」と「詫び」にもかかわらず投稿をくりかえしたわけではありません。

 当然判っています。丁寧に書いていただいて、ありがとうございます。私は一度に書きますと、あまりに長くなるので、こうしてわけて書いただけです。

 それから私の一番気掛かりなことは、粉川さんが次のように書かれたことです。

献身的に働いているボランティアたちがあなたの文章を読み、大いにやる気を失ったことはたしかです。

 このことは私は、幾重にも謝らなくてはならないことです。
 申し訳ありませんでした。私はゲーテが大好きであり、この「東京ゲーテ記念館」にも今後寄らせていただきます。
 そして今後もゲーテのよき読者であることを続けていく所存です。

 粉川哲夫さんからのコメント へ

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 引き続き、粉川哲夫さんから、以下のコメントをいただきました。

6. Posted by 粉川哲夫(6)    2007年01月22日 21:19
(6)その意味では、展示の文字の一字一句までわたしに責任があるわけですから、「粉川哲夫」は「みんな嫌いです」というのなら、展示に不満でもいたしかたのないことかもしれません。
それは、わたしの不徳のいたすところでしょうが、献身的に働いているボランティアたちがあなたの文章を読み、大いにやる気を失ったことはたしかです。
そんなこともあり、読みにくい形(一括掲載ができないので)ですが、一筆コメントさせていただきました。

 本当に申し訳ありません。あそこで働いている方みなさんに謝ります。申し訳ありませんでした。「やる気を失った」というのは、大変なことです。私は大変に申し訳ないことをしてしまいました。幾重にも謝ります。

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 引き続き、粉川哲夫さんから、以下のコメントをいただきました。

5. Posted by 粉川哲夫(5)    2007年01月22日 21:13
(5)個人的にも、また「館長」としても、あなたにお会いした記憶はないので、あなたから「こんな奴」と言われる理由がわかりませんが、どこかで大変な失礼でもしたのでしょうか?
ちなみに、東京ゲーテ記念館は、豊富な職員の上に「館長」がいるような組織ではありません。限られた資金と献身的な人間たちによって維持され、誰でもが無料で利用できる資料館です。展示もそうしたボランティアの手助けなしにはできませんが、その企画、レイアウト、キャプションなどの打ち込み、はては館内の掃除もわたしがやっています。ご不満を書いておられる1992年5月ごろの展示は、特にわたしの手作業の度合いの強いものです。

 私もあの記念館が私のすぐ行けるところにあることが嬉しいです。でもそれなのに、まことに無礼なことを述べてしまいました。申し訳ございません。
 何度謝りましても、すまないのですが、私は謝ることしか今はできないのです。

 粉川哲夫さんに謝罪いたします の6へ

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 引き続き、粉川哲夫さんから、以下のコメントをいただきました。

4. Posted by 粉川哲夫(4)    2007年01月22日 15:06
(4)展示へのご不満を書かれるのもブログの自由ではありますが、「なんでこんな奴が館長なんだろう」というのは、どんな根拠にもとづいているのでしょうか?
 しかし、「こんな奴」がいなければ、記念館は、いまのような展示スペースを設けることもなかったでしょうし、資料の公開も限られたものになっていたはずです。

 誠に申し訳ありません。こういう失礼なことを平気で書く奴ではもう許し難いことだと思います。ただ、もう私は謝るしかありません。申し訳ありませんでした。
 私はゲーテがずっと大好きですし、そのゲーテをこのようにさまざまな資料を展示し公開していただけるのは実にありがたいことです。
 私は粉川哲夫さんのお父さまが渋谷で、この記念館をやっていたときから関心をもっていました。ただ、それが現在私の住む王子のすぐそばにあるということが実に嬉しいことです。

 粉川哲夫さんに謝罪いたします の5へ

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 さらに引き続き、粉川哲夫さんから、以下のコメントをいただきました。

3. Posted by 粉川哲夫(3)    2007年01月22日 15:04
(3)なお、リリー・シェーネマンの「解説」に誤りがあったとのことですが、当時の展示品を調べましたが、該当する表現は発見できませんでした。これに関しても、その場で誤と思われたのならば、遠慮なくご指摘いただければよかったと思います。当館としては、解釈や学説を来館者に押し付けるつもりはなく、疑問点に関しては来館者がご自身で調べられるような体制になっています。(続く)

 これまた申し訳ありません。今は、私の記憶があいまいです。私はちょうど1年前より、東京北区王子の妻の実家にいるもので、ゲーテに関する本もすべて、千葉県我孫子市の実家にあります。
 それで私は、このときの1992年5月のある日に、そちらの記念館の中に、以下のようなことを感じたのです。

私はゲーテの数々の恋人たちの中で、一番好きになるのがフリーデリケ・ブリオンです。多分ゲーテも「詩と真実」の中で、そのように書いていたように思います。いやこれは私の想いだけかもしれません。そして私が次に好きになれる女性が、リリー・シェーネマンです。「首にかけていたハート形の金のメダルに」という詩をよく思い出します。ゲーテがリリーから去っていく時の詩です。
 ところがこの記念館では、このリリーの解説に、

 後年、トーマス・マンは、この二人の再会を題材にして小説「ワイマルのロッテ」を書いた。

などとありました。「ワイマルのロッテ」は「若きウェルテルの悩み」のロッテ、つまり、現実の世界ではシャルロッテ・ブフのことではないか。

 私はこのときに、「リリー・シェーネマンとシャルロッテ・ブフとをごっちゃにしているんではないかな?」と思ってしまったのです。
 だが、粉川さんが「該当する表現は発見できませんでした」と書いておられるように、私が何か思い込みをしてしまったのだろうと考えます。これまた申し訳ありませんでした。
 なお、トーマス・マンの「ワイマルのロッテ」は、このごろ読み返しましたが、もう今の私では内容を読んでいくだけで疲れてしまい、わけがよく理解できない私になってしまっております。

 粉川哲夫さんに謝罪いたします の4へ

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 引き続き、粉川哲夫さんから、以下のコメントをいただきました。

2. Posted by 粉川哲夫(2)    2007年01月22日 15:03
(2)ヘーゲルに関して「まともに書いてい」ないとのことですが、展示はそのどきどきの担当者や協力者の見解で行なう形になっており、百科事典的な目配りはできません。ちなみに当館は、ゲーテに関して文字化されたものを収集保存し、専門家・素人を問わず、その研究に無料で協力することを主な活動としています。展示は補助的なものですから、もしその展示で疑問を感じられたときは、その旨を受付で言っていただければ、関係資料を参照していただくなりの対応ができるわけです。(続く)

 ヘーゲルに対しては、ゲーテがそれほどのことを書いていないような気持が私にはしていたのです。人間の歴史に関してヘーゲルはものすごいものを持っているのだろう(とまではゲーテは考えたのじゃないか)が、ゲーテにはそれほどヘーゲルその人には関心がなかったのではないかと私には思えました。
 だが、私の「あれほどのゲーテがヘーゲルの人気に対しては嫉妬していたのかなとも思えるのです。ナポレオンに対してなら、あれほど評価してつき合えるのに、ヘーゲルだと、自分の何か到達できない思想の種類を感じたのでしょうか。しかし、またこのこともこのゲーテ記念館ではまともに書いていません」は、おかしいです。私こそがこんな断定ができるはずがありません。申し訳ありませんでした。

 粉川哲夫さんに謝罪いたします の3へ

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 粉川哲夫さんからは以下のコメントをいただきました。

1. Posted by 粉川哲夫(1)    2007年01月22日 15:03
(1)「嫌い」な人間からのコメントは不快かもしれませんが、名前を出されているので、「責任者」としてコメントさせていただきます。
 東京ゲーテ記念館の展示に関するご批判を書いておられますが、「ゲーテの色彩に関する見解が近年再評価されている」というのは、「嘘」ではなく、事実だったのではないでしょうか? それは、日本では木村直司氏や高橋義人氏の研究にも反映されています。むろん、その「評価」が正しいかどうかは別としてですが。(続く)

 私は1992年5月に地下鉄南北線西ヶ原駅の「ゲーテ記念館」に始めて訪れました。私はゲーテが中学生の頃から大好きな文学者でありまして、この日本にある「ゲーテ記念館」を訪れたいと思ってはきましたが、最初渋谷にある頃は、なんだか訪れる精神的ゆとりもなくて、やっとこのときに行けたものでした。ゲーテの大好きな私としては、もっと早くから訪れてみたいところであり、やっとこのときにそれがかなった感じでした。
 ただ、その頃の私が粉川さんのことが嫌いだというのは、あまり粉川さんのことを知らないまま言っていただけです。でも、じゃ書くべきではないですね。申し訳ありませんでした。

「ゲーテの色彩に関する見解が近年再評価されている」というのは、「嘘」ではなく、事実だったのではないでしょうか?

 ええと、このことは1992年のときに私が思っていたことであり、今はゲーテの「色彩論」は、私こそが不勉強なんだなと感じているところです。
 私は、2006年5月29日発の「マガジン将門第302号」にて、「吉本隆明鈔集」にて次のように書いています。

「ゲーテの色彩論」

 ゲーテはエッカーマンとの対話で、自分の最もいい仕事は色彩論だと言っている。けれどニュートンの科学的色彩論にくらべて惨敗だと、わたしは若い工科の学生のころ考えて疑がわなかった。これが『若きウェルテルの悩み』や『ヴィルヘルムマイスター』にくらべて、どこがいいのだろうと思ったのだ。
 だが、現在なら少し解るような気がする。
 ゲーテは、なぜ天然(宇宙)の自然は若草を緑にし(定め)、秋の紅葉を茶紅色にし(定め)たのかを極めようとしたのだ。若草には葉緑素が多いし、紅葉は代謝が少なくなっているから、緑は消えてゆくというのも、眼が吸収するものと反射するものの違いだというのも、若草の緑は人間感性に上向感を与えるからだという心理的説明も、ゲーテにとっては解答になっていると思えなかったのだと思う。
 京都の秋の紅葉は、寺院の庭などで風もないのに寂かに落ちていたりする紅褐色がいい。東北の紅葉は、多様な山の樹木が緑から真っ赤まで色相のすべてを鮮やかに混ぜているのがいい。地域の気候差、樹木の種が科の差、「自然は水際立っている」と感じる(認知する)。その生態の謎がゲーテの認知したいところだったのではなかろうか。それはまた、宮沢賢治の迷いと信仰のあいだの謎でもあった。 
      (2006.1.31思潮社『詩学叙説』あとがき)

  前にも吉本さんは、この色彩論のことを述べられています。私は中学生のときより、ゲーテは好きな文学者でしたが、この「色彩論」だけは、なんだか訳が解らないというか、評価できないものでした。ただ、こうして書かれてみるのをここで知りまして、初めて安心した私がいます。ゲーテをこのように評価できることに、やっぱり私は吉本さんを尊敬してしまいます。

 ですから粉川さんが指摘されたことは、今の私は少しは感じているところであります。
 でもとにかく、私が無礼なことは幾重にもお詫びいたします。

 粉川哲夫さんに謝罪いたします の2へ

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 私の1月21日の「東京ゲーテ記念館」の書込みは、東京ゲーテ記念館の館長の粉川哲夫さんに関しまして、大変に失礼な書込みをしてしまいました。
 まず最初に謝罪いたします。

 大変に無礼なことをそのまま書いてしまい申し訳ございません。ここにまず謝罪いたします。

 次に、粉川さんが丁寧に書いていただきました点について、ひとつひとつお詫びいたします。

 粉川哲夫さんに謝罪いたします の1へ

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 今私が最初に読みましたゲーテの作品は何だったろうかと思いました。「若きウェルテルの悩み」だったかな。中学2年生のときでした。
 そしてその後、すぐに「ファウスト」を読み、「ウィルヘルム・マイステル」を読みました。ゲーテのナポレオンに関する文章もこの頃読んだものでした。
 その後、「ファウスト」は何度読んだことでしょうか。最初は岩波文庫の相良守峯さんの訳で読み、その後何度も読み直しているのは、大山定一さんの訳です。私は、この訳の「筑摩古典文学全集」の「ゲーテ『ファウスト』」を府中刑務所に入っているときにも読みました。あのときに、始めてゲーテの「ファウスト」が判ったような気持になったものでした。

 私はゲーテが好きでしたが、その「ゲーテ記念館」が渋谷にあるときは、訪れるチャンスがありませんでした。

  http://www.fat1.co.jp/infomation/kitaku/goethe/geothe.html  東京ゲーテ記念館

 それが1992年の5月にここに始めて来たものでした。
 実は前日は、ゴールデン街で飲みすぎて、翌日は朝9時に蘆花公園駅で待ち合わせて、ある国会議員の事務所へ行ったものでした。それが終わりまして、私は突如「ここには蘆花公園恒春園があるな」という思いだし、そこまで歩きました。怖ろしいくらいの宿酔の中で、この公園は実にいい気持のするところでした。
 でも蘆花が尊敬していたレフ・トルストイが気にいらない私は、「嫌なトルストイに出会っちゃったから、私の好きなゲーテのところへ行こう」と、新宿へ出て、地下鉄を乗り継いで西ヶ原まで行ったものでした。午後2時頃、この記念館に到着しました。
 ただ、ここで私はゲーテ「詩と真実」で書かれていることで、グレートヒュンが実はゲーテの架空の初恋の少女であることを知りました。
 このことは、私の以下に書いてあります。

  http://shomon.livedoor.biz/archives/50882749.html  「東京ゲーテ記念館」

 私はこのことで、また嬉しくなり、まずは御茶ノ水の事務所へ帰りまして、そのあとまた飲みに行ったものでした。この日は谷中で飲んでいたものでしたね。
 ぜひ、このサイトをごらんになって、できたら行ってみてください。
 私は実際にお会いしたことのあるドイツ人と話すと、ゲーテというのは今のドイツの人たちはあまり読まないようです。私が話すファウストやウイルヘルム・マイステルの話を一緒にしてくれたドイツ人は一人もいません。「なんで、この日本人は、そんな昔の作家を知っているんだ」という印象を私にもつようです。

 このサイトは、ここのサイドバーでリンクしています。

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  財団法人東京ゲーテ記念館
  〒114 東京都北区西ケ原2丁目30番1号
       電話 03(3918)0828
       FAX03(3576)0045

 ゲーテの嫌いなところをまず考えてみます。

  1.「色彩論」
  2.ヘーゲルに会ったときの姿勢

 まず1は、なぜこの偉大な人が、あんなつまらないことを執拗に書いたのかと思います。いったい何がいいたいのでしょうか。考えられることは、ニュートンにも負けない科学者であるということを示したかったのかなとも思います。しかし、このゲーテ記念館にきて驚きました。ゲーテの色彩に関する見解が近年再評価されているといいます。まったくなんでそんな嘘をつくのでしょうか。駄目なものは駄目といったって、ゲーテの価値は少しも損なわないのです。
 2は、あれほどのゲーテがヘーゲルの人気に対しては嫉妬していたのかなとも思えるのです。ナポレオンに対してなら、あれほど評価してつき合えるのに、ヘーゲルだと、自分の何か到達できない思想の種類を感じたのでしょうか。しかし、またこのこともこのゲーテ記念館ではまともに書いていません。

 私は以上の2点以外はゲーテの全てが好きなのです。
 このゲーテ記念館が渋谷にあったころから、なんども訪れたいと思っていました。本場ドイツにもない資料も集めているといいます。やっと北区の西ケ原へいけたのは昨年のことです。地下鉄南北線の西ケ原からこの館までの道は「ゲーテの道」と名づけられています。
 私がゲーテ自身のことでなく、ゲーテ記念館のことだけでいうと、館長が嫌いでした。粉川哲夫。なんでこんな奴が館長なんだろうと思っていました。あちこちに書く文、その内容、みんな嫌いです。しかし、理由が分かりました。このゲーテ記念館を作った方(たった今はこの人の名前を思い出せません)の息子なのですね。「まあ、仕方ねえな」
 でも私はもともとここらへんを歩くのが好きでしたから、ちょっと散歩のついでによるところとしてはいいですね。ほかにも寄るところがいくらでもあります。
 館の中に入って詳細に見てみました。ゲーテに興味のない人は行ってもつまらないでしょうね。しかし、先に書いた1、2のこと以外にもいい加減なことが書いてありました。
 私はゲーテの数々の恋人たちの中で、一番好きになるのがフリーデリケ・ブリオンです。多分ゲーテも「詩と真実」の中で、そのように書いていたように思います。いやこれは私の想いだけかもしれません。そして私が次に好きになれる女性が、リリー・シェーネマンです。「首にかけていたハート形の金のメダルに」という詩をよく思い出します。ゲーテがリリーから去っていく時の詩です。
 ところがこの記念館では、このリリーの解説に、

 後年、トーマス・マンは、この二人の再会を題材にして小説「ワイマルのロッテ」を書いた。

などとありました。「ワイマルのロッテ」は「若きウェルテルの悩み」のロッテ、つまり、現実の世界ではシャルロッテ・ブフのことではないか。いったいこのゲーテ記念館って、どういう校閲をしているのでしょうか。
 実は私は、ゲーテの恋人をひとりひとり、肖像画まで見て覚えているためにうるさいのです。こんど備忘録として、ひとりひとりのことこのネットで記録しておこうかな。

 ただ私はこのゲーテ記念館へ来て、まったく誤解していたことを初めて知りました。これは良かった。中学2年のころから間違って思い込んでいたわけです。
 ゲーテの「ファウスト」において、第1部で出てくるファウストの恋人はグレートヒェンです。彼女は第2部の最後に神との約束に勝ったとするメフィストフェレスと悪魔たちに薔薇の花を投げて、ファウストを天上に連れていきます。私はこの女性が何故グレートヒェンなのかが不思議でした。グレートヒェンという女性はゲーテ14歳のときの初恋の女性です。ゲーテより2歳年上でした。私がどうにも好きになれない嫌な女です。なんで、こんな嫌な女が「ファウスト」の最後に出て来てファウストを救うのだろうと思っていたのです。しかし、ゲーテ記念館の解説読んで分かりました。あの「ファウスト」のグレートヒェンとは、実際のゲーテ初恋のグレートヒェンではなく、私が一番好きなフリーデリケだったのです。ゲーテはやはりこの少女が一番好きだったし、贖罪の意識ももっていたのでしょうか。ただ作中の名前だけをグレートヒェンにしただけなのです。これで、第1部での彼女の叫びなどが、分かりました。あれはフリーデリケの叫びなのですね。

 私はこのことだけを知っただけで、なんだかとても嬉しくなり安心しました。いままでなんだか悲しい顔したフリーデリケだけだったのが、なんだかこれで救われた気がします。フリーデリケの頬が少し薔薇色になった思いがしました。
 またいつか訪れたいと思います。(1993.04.14)

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 私が今急に思い出したことがあります。「東京ゲーテ記念館」のいことを書いていましたら、思い出してきたことなのです。
 それで以下の記録がありましたので、ここに置いておきます。

93-02-16 22:49:48 周の文学歴史散歩2「蘆花公園恒春園」
93-04-14 00:55:32 周の文学歴史散歩3「ゲーテ記念館」

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