将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:松原智恵子

2017022703  私のnagare結婚式の入場の際の曲は「唐獅子牡丹」でした。そして式の最後に会場に流した歌が、渡哲也「東京流れ者」と加藤登紀子「美しき五月のパリ」でした。私は鈴木清順の「東京流れ者」が大好きだったのです。もちろん、渡哲也の歌も好きです。

  川内和子作詞・叶弦大採譜・補作曲
  「東京流れ者」  唄 渡 哲也

  この映画は「鈴木清順『けんかえれじい』」と同じ年に封切りになりました。私はこの映画もそれこそ何度も何度も見ました。
 
題名  東京流れ者
封切 1966年4月
監督 鈴木清順
配給会社 日活
キャスト
本堂哲也 渡 哲也
千春   松原智恵子
相沢健次 二谷英明
倉田   北竜二
辰造   川地民夫
田中   郷治

  この映画を何回か女性と一緒に見ましたが、女性にはもう馬鹿馬鹿しくてならないらしいのです。最後に哲が千春に対して、「流れ者には女は要らねえ」という科白がありますが、これは女性をくすぐるようなものとして考えたらしいのですが、

馬鹿馬鹿しくもこの科白は男に人気があるらしい

と清順がいっているように、これは男の見る映画なのです。

解散した倉田組の「不死鳥の哲」こと、本堂哲也の男の生き方と、やくざ組織と親分への義理のたてかたと、それが裏切られたときの悲しさと怒りを渡哲也が演じています。渡哲也自身はこの映画について次のように答えています。

   ───「東京流れ者」はどうでしたか? 鈴木清順さんは?
   渡 何もわからなかったですからね。いまやれば監督のいう通りできた
    んでしょうが。なんせ西も東もわからないんですからね。満足に台詞
        もいえなかったですしね。
  ───ご覧になっていかがでした? 評判の高い映画でしたよね。
  渡 見ていないです……。僕への評価ではなく監督の評判が高いんで
        す(笑)。監督のいうことを聞いていただけですからね。寝てろといわ
        れれば寝てたし、口笛吹けといわれれば吹いていたし。

  渡哲也自身、この映画を見るのはかなり照れくさいのだと思います。しかし私たちは、哲がにこっと笑えば、ワッと嬉しくなり、哲が「東京流れ者」を口笛で吹くときは同時に声に出して唄ってしまいます。

  この映画でいいのは、哲のほかは「マムシの辰」こと辰造を演じる川地民夫です。何度哲を狙っても、不死鳥の哲は甦えります。どうしても哲を殺せない辰は自分で自分のこめかみをうちます。私はこの川地民夫をもっとどうして日本の映画界が活かせて使えないのかと思いますね。

  この映画で一番分かっていない役回りをしているのが、歌手千春演じる松原智恵子です。かなり可憐なヒロインのはずなのですが、彼女の演義はからまわりしてしまいます。「指からこぼれる……」という歌を彼女が唄うと、映画会場からは失笑が洩れます。彼女が哲に追いすがり、線路で転んで哲に置き去りになるシーンは、松原智恵子は本当に必死に哀しく演じているのですが、必ず誰もが笑ってしまいます。松原智恵子はあの映画を見て、男という存在に憎悪したのではないでしょうか。

  最後見事な拳銃さばきで、哲はすべてを解決します。そして千春は哲に追いすがります。それを、

      流れ者には女はいらねえ  女と一緒じゃ歩けねえんだ

と突き離し闇の中へ哲は消えていきます。

  たしか何とかという女の評論家がこの映画をみて、「なんて男どもはくだらないんだ」ということを何処かで書いていたことがあります。そうなんですよ。これは女の人には分からない世界なんです。男たちはこんな映画を何度も何度も見ているのです。(1992.10.25)

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 あのときから、もう50年も経ったのだと驚いてしまいます。私はちょうど名古屋市北区大曽根に住んでいました。この記事で、松原さんが語られています。

 南区出身で、中学3年の時に伊勢湾台風を経験した女優の松原智恵子さんは、「『水が来た』という父の声がした直後、水が押し寄せてきた。真っ暗で、家族とじっとしていることしかできなかった」と当時の体験を語った。

 この日は、私たちは、何もしないで、ただテレビを見ていたものでした。ただ、外の犬小屋で飼っていた秋田犬の剣光号がこの日だけは、私たちの家の中に入りたがり、2Fへ上がってきていました。そのとき、雌犬の秀峰姫と、コッカスパニュールのベアとケリという犬は、庭の自分の小屋に入れていました。思えば怖かったことでしょうね。
 そのうちに、すごい風が来て、窓の大きなガラスは割れ、でもまだ父は、その窓を何かで防ごうとしていました。そのときに、横浜の叔父が電話してきたのを覚えています。父が、「今台風で大変なんだ」と叫んでいたのを覚えています。そのうちに、灯りも消え、電気も一切使えなくなります。そして私たち5人家族は1Fの台所と食事する部屋に逃げ込みました。私は犬の剣光号と抱き合って眠ったのを覚えています。
 剣光号という犬は、よくできた犬で、人間の部屋に上がり込んだり絶対にしない犬でしたが、この日は特別でした。だって外では風がうなりをあげていて、もうすべてが壊れる凄まじい音がしていました。
 思えば、剣光号以外の犬たちは、もう怖くてたまらなかったでしょうね。今になって思えば、みんな部屋の中に入れてあげればよかった。要するに、あの頃の私たちには、台風への知識なんかなかったし、テレビも新聞もたいした報道はしなかったのです。
 でもでもその2年前の昭和33年には狩野川台風が、昭和29年には洞爺丸台風が、この同じ9月26日に来ているのですね。そして私たちは、昭和29年の洞爺丸台風には札幌で実に恐怖感を味わっていたのでした。
 この台風では、1851人の方が犠牲になっていたのですね。今強く手を合わせ合掌しました。(佐藤隆家)

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