将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:松戸自主夜間中学

2016080610
2016/09/06 06:16またテレビの前です。
 今血圧を計りました。
  最高血圧163
  最低血圧 88
  呼吸   63
 今日も高いなあ。
2016/09/06 14:37リビングに来ました。1日に何度も自分の部屋とテレビの前を往復しています。今朝目覚めたのは3時50分でした。
2016080611
2016/09/07 06:51今朝は6時ちょうどに起きました。5日に愛接骨院で、身体が良くなってきて、眠られるようになったのだろうと院長先生が言ってくれました。私も「そうかなあ」と嬉しいです。ただやることが少なくなるので、それが悔しいです。昨夜は20時45分に眠っていたのです。
 思い出せば、ただ昨日は3時50に起きていたのですね。このポメラに起きた時刻を書いておくことはいいですね。
 血圧です。7時6分にとりました。
  最高血圧157
  最低血圧 85
  呼吸   61
2016/09/07 07:09上の血圧は、こうして7時過ぎてとりましたものです。2016080612
2016080613
2016/09/07 07:35今NHKテレビを見ていて学校での「いじめ」のことをやっていました。思い出しました。「松戸自主夜間中学」のことです。ここへ来ていた子どうたちは学校でのいじめが多かったのです。私と実に親しかった男の子と女の子を思い出します。二人とも実に私のパソコン通信を見ていてくれました。二人とも実にいい子たちですが、もう随分前に亡くなりました。元気な子に思えたのですが、この世の中は彼らには厳しい、冷たすぎたのです。 私も思い出し反省です。ただ私のパソコン通信を見ていたことが嬉しかったです。パソコン通信をやっている年寄りでも、そして何故か昔学生運動で安田講堂でやっていて、でも実はそれが天皇制を称えているということがものすごい驚きのことだったでしょう。私は今も二人の顔をよく思い出します。懐かしく、悲しく、そして嬉しく思い出します。2016080614

12110710 私はこれを読みまして、ものすごく同感しました。ITスペシャリストが語る芸術の以下のUPです。

  アップル社の使命であり、人々が期待することとは
   http://www.kaynotes.com/archives/6726783.html

 私はこれとまったく同じに感じました。

何かの機会に触ってみた時は、非常に使い難く感じたこともあり、印象は悪かった。

 もっと使い安いのかと思っていたのでしたが、私もこれとまったく同様に思ったものです。ただ随分前に持っていたiTunes は次女ブルータスに取られました。もっとも、これで私が入れて聞いていたのは、詩吟と軍歌ですが。

 Macintoshパソコンは宮廷画のようなもので、Windowsパソコンは、その他の絵全部の絵画のようなものだ。

 これはまったくうなずきました。その通りに私も思いました。その他も私は充分にうなずいていました。
 結局以下のようなことなのでしょうね。

 アップル社は、あくまで、人々をあっと言わせる新製品を創り出すことが命であり、人々が期待することなのだ。
  たとえジョブズがいなくなっても、それがアップル社の使命、あるいは、アップル社が背負う十字架である

  MS-DOSは、たしかに面倒に感じたものです。そもそも私はパソコンを使いこなせるような人間ではなかったのです。でも何故か使い続け、パソコンも自作し続けたあたりから変わってきました。いや私が変わったのではなく、どうしてか、私を見てくれる方が変わったのです。松戸自主夜間中学で7年間パソコンの授業を持っていました。いつも自分で作成したパソコンで授業をやり、ノートも持っ12110711ていて、でも宴会ではいつも詩吟と軍歌をやる私のことは変な人だとみな思っていたでしょう。
 そうだな、思い出せば、全共闘や三派全学連の人にもゴールデン街でパソコンの授業をやったことがありました。でももう駄目な人たちでしたが。

12061101 私が永年関わっていました松戸自主夜間中学の忘年会でのことです。私が詩吟をやって、それからしばらくたって誰も唄わないので、さらに私が平野愛子「港の見える丘」を唄いました。そうしましたら、代表の藤田恭平先生がたって、次の歌を唄ってくれました。

曲名  君忘れじのブルース
作詞  大高ひさを
作曲  長津義司
 唄   淡谷のり子

一 雨ふれば 雨に泣き
  風ふけば 風に泣き
  そっと夜更けの 窓をあけて
  うたう女の 心は一つ
  ああせつなくも せつなくも
  君を忘れじの ブルースよ
二 面影を 抱きしめて
  狂おしの いく夜ごと
  どうせ帰らぬ 人を知れど
  女ごごろは命も夢も
  ああとこしえに とこしえに
  君を忘れじの ブルースよ
         (昭和二三年)

「港の見える丘」が戦争で帰ってこない「あなた」を詩った歌のように、この歌も戦争で亡くなった「君」を詩ったものです。藤田先生は少し解説をしてくれました。だけど夜間中学の若い諸君がどれだけ判ってくれたのかは、それこそ判りません。
 だがとにかく私は、こうした帰らぬ「君」のことも、その君を忘れないこの女性の存在も忘れることはありません。私はこの歌が唄われた昭和23年にこの世に生を受けました。(1998.11.01)

12031704 私の「ハルノ宵子『緑の呪文』」にコメントがありました に書きました以下なのですが、ここを書きます。

私はパソコンにではなく、常時持ち歩いている「ポメラ」で上の文を書いていました。いえ私はポメラだけでなく、IS01もガラパゴスも常時も腰のベルトのデューロカーゴに入れているのです。孫がいつもそれで遊びます。

 私は1992年頃から、常時背中にリュックサックを背負っていました。中にはノートパソコンを入れていました。それで飲み屋等々で通信をやります(当初はパソコン通信、そののちインターネットです)。だから私は1992年から携帯電話を持ち、1993年からはPHSも持ち、これで通信をしました。そのときに、二人の娘と妻にもPHSを持たせました。私は松戸自主夜間中学でもパソコンの授業をやっていましたが、そこでもパソコンをPHSで通信したものでした。
 でも今は、もうノートも持ちません。もう私は以前の姿になることは決してありません。私は電車の中等で、ノートパソコンでインターネットをやっているのが、ものすごく古く見えてしまいます。「何で今ごろ、あんな古いことをやっているのかなあ」。IS01なら、そのままやれるのです。今日も東京湾の上でやっているでしょう。

2017081420 4月18日松戸自主夜間中学のあと、和尚さんと「平井食堂」で飲みました。ちょうど9時半頃店に入っていくと、カウンターに私の友人である下鳥光昭さんがいました。実は彼がこの「平井食堂」を紹介してくれたのです。
彼は私より2歳年上で、昔早稲田大の社青同解放派の活動家でした。私は最初ゴールデン街の「吐夢」で知合いになりました。その最初の出会いが面白かったのです。
たしか私が29歳のときだと思います。「吐夢」で飲んでいましたら、少し離れた席で白米はやっぱり旨いなんていうどうでもいい話をしているオッサンがいました。そこにいた女性とママがダイエットの話をしだしました。するとそのオッサンがいいました。

  ダイエットに一番いいのは、無期限ストライキだよ。この間無
  期限ストライキやったら3キロやせちゃった。それが終ったら、
  メシ食いすぎて、また太っちゃった。またダイエットの為に無期
  限ストライキやろうかな。

私はなんとでたらめな人だろ11092403うと思い、なんだか感激し、いっぺんに好きになりました。それで話かけました。すると彼は私のことを知っていました。名刺をもらうと「下鳥光昭」ということで、ある業界紙の記者で、そこの組合をやっているとのことです。彼が私のことを知っていたのは、彼の弟が埼大生で、私の3年下の活動家だったからです。私も彼の弟を思いだして、なるほどそれで弟も同じ党派だったのかと思い当りました。
そのときからの付き合いになります。そのころは彼は高島平に住んでいたと思います。今は沼南のマンションに住んでいます。彼の奥さん(裕子さん)も昔の活動家で、今は自分で東京中央区でアパレルの企画デザインの会社の社長をやっています。このまた裕子さんが元気で愉しい女性です。私は何度か経営の相談にのっています。
昨年のたしか8月に奥さんの会社に行ったときに、奥さんからこの平井食堂を教えてもらいました。

私  「下鳥さんは元気ですか?
裕子さん「あ、あのおっさんは元気もなにも、ただの酔っぱらい
      でしょうがないですよ。いつも平井食堂というところでそこ
      の主みたいな顔で飲んでいますよ

ということで、平井食堂の名を私は始めて知ったのです。そのあと9月3日の「全共闘白書」出版記念会では下鳥さん本人に会い、さらにこの平井食堂への地図を描いてもらいました。
この奥さんの裕子さんが自分の亭主の下鳥さんのこと話す内容が非常に面白いのです。こんな面白い夫婦の話があるかななんて思います。下鳥さんはあまり奥さんのことを話しませんが、昨年のオフ会忘年会で、高島平の団地で奥さんに包丁でベランダの隅に追い詰められたときには、もうこれで終りかなと思ったなんて話をしていましたね。その他実に面白い話がたくさんあるのです。
またそんな話は、飲んだときにでもしましょうか。またきっと平井食堂で下鳥さんと会うことがあるだろうと思います。

続きを読む

11051005 明日(9日)は、松戸自主夜間中学で和尚さんのパソコンの授業がありますが、その夜間中学で中心に活動されている藤田先生が毎日日本教育会館にて行っている活動を紹介した記事が6日の毎日新聞に載っていました。
 ここはゴトさんがもう何度か取材にいっているところです。私もときどき自転車で近くを通るのですから、そのうちに寄ってみたいと思っています。

[教育]登校拒否などの悩みをファクスでも受け付け−「親と子の教育相談室」
                     93.04.06  東京本紙朝刊 17頁
 勉強や登校拒否問題、子育てなど、子供の生活全般にかかわる悩みの相談を、約十二年前から受け続けてきた「親と子の教育相談室」(東京)が、電話やファクスで相談に応じる態勢を整えた。
 これまで手紙と電話で相談を受け、後日に相談委員の助言を手紙で送る方法をとってきた。即応できる態勢が整ったことで悩める親子の心強い指針として期待されている。
 相談室は一九八〇年暮れに「困っている相談者に寄り添い、ともに悩み、ともに考え、誠実で面倒見のよい相談室であること」を基本に日本教職員組合、国民教育文化総合研究所と日本教育会館が共同で設立した。さらに寄せられた相談の教訓を学校現場で生かす目的もある。相談委員は教育学の大学教授や学校現場の経験者らの専門家が当たってきた。
 当初は手紙による相談を基本にスタート。電話でも受け付け、ケースによっては面接にも応じていた。しかし、受けた相談を相談委員に回し、助言を手紙で返送するため、せっかくの助言が遅れがちだった。
 これまで約三千件の相談を受けてきた。内容は、当初は子供の非行問題が主流だったが、現在は登校拒否が最も多く、次いで進路・進学問題、生活全般のくずれ、成績・勉強、学校批判など。
 登校拒否の相談例では、子供が前の晩に時間割などを整えているが、朝になると玄関を出られない。学校に行かなければ、という自覚、義務感はあるが、行こうとするとはき気や頭痛などを起こしてしまう。「今日は行かなくても良いよ」と言ってやるとホッとした表情を見せる。しかし着替えた制服が脱げないまま、というケース。また、暴力を振るわれ、いじめられている友達を助けてやれなかったことから自己嫌悪に陥って登校拒否になった例など相談の内容は多様。
 藤田恭平室長は「教師の暴力など、本人のプライドや尊厳を踏み付けるような場合、子供にはいやし難いものを残す。人間不信に陥っている子供には、内面を回復してやらなければいけない。家の中で、親がその子をまるごと受け入れてやることです。不登校は不道徳でも病気でもないのだから、責めないでほしい」と言う。
 電話とファクスを備えた態勢では、月曜から金曜の午前十時から午後四時まで相談委員が交代で待機。相談委員は▽宇野一・大東文化大学講師(教育学)▽鈴木喜代春・日本児童文芸家協会理事▽小沢牧子・和光大学講師(臨床心理学)▽田中喜美子・児童教育研究家▽藤田恭平室長をレギュラーに、専門の児童精神科医も加わる。相談は無料で、個人の秘密は厳守する。手紙相談も従来通り受け付ける。
 電話は03・3234・5799、ファクスは03・3234・4110。手紙相談は〒100東京都千代田区一ツ橋2の6の2、日本教育会館内・親と子の教育相談室。   毎日新聞社

 これまで3千件の相談を受けてきたとありますから、できたらこれをデータベース化できないのかななんて思ってしまいます。私たちのネットの「ゴトさんのTR通信」はいまのところこのネットにアクセスしてもらえば、だれでも見ることはできるわけです。このTR通信ももっと多くの人にみていただきたいし、藤田先生のおやりになっていることも、もっと私たちがみていきたいものだと思います。
 データベースといったって、ようするにそれらの相談ケースを、プライバシーを侵さないような形で私たちが見られるならと思うのです。もっともっと知れば、少なくとも今よりはほっとできる子どもや親が出てくると思うのです。

1105050693-02-26 20:33:51 おひさしぶりです ゴト

 何度も読み返しました。やっぱりこのネットでこうしてさまざま話してきてよかったなと確信しました。

※1
 前に夜間中学について文部省に問い合わせをした事があります。松戸自主夜間中学を知る前でした。
「夜間中学ですか、資料はありませんね。そういうのは民間の方があるんじゃないですか」
 という答えが返って来ました。
 こういう言い草があるものではありません。

 こういう言い方って、私もかなり経験していますね。私としては法務局とか、社会保険庁でかなりこのような不愉快な経験があります。このSIGでなくともまたそのような役人の傲慢さをさまざま問題にしていきたいななんて考えています。

※3
 権力についてはジル・ドゥルーズという人がミシェル・フーコーという人の理論を要約して、
1、権力は本質的に抑圧的なものではなく、煽動したりするものだ。ようするに奔騰ではあっても、沈潜しないし、させないものだ。
2、権力は所有される以前に流動しているもので、限定された形態(例えば国家とか階級とか)に出会わなければ所有されることはない。
3、権力は被支配者も支配者も、おなじように貫通する。
と言っているのに、考えさせられます。
 これについて、この要約を紹介した吉本隆明さんは「この三つの規定のどこが偉大なのだろうか。それはわたしたちが知らず知らずのうちに、生体と社会体の近くで実感する抑圧と、制度のうえの社会体や国家のような上部とを直かに結びつけてしまうことで作り上げた権力の像を、それは虚像だと言った、最初の人物のたぶん最初の言葉が、このドゥルーズの三つの要約のなかに含まれているからだ。それこそがフーコーの偉大さであるといえよう」(『新・書物の解体学』)
 と書いています。

 私なんか昔「反権力委員会」などというものを作ったことあるから、恥ずかしい限りです。ちょっとやはり「新・書物の解体学」を読まねばと痛切に感じます。だけど吉本(吉本隆明)さんのあの本は大変そうなんだよな。
 それにしてもまたさまざまなこと考えていきたいと思います。すこしさぼりがちなんだななんて反省しています。

93-01-13 04:42:09 TR通信・47
TR通信・47 ちょっと自慢

 こうした手紙が来るのは嬉しいですね。

担任にすすめられると、あれもイヤ、これもイヤという状態でした。
今は、何かちがうような気がします。何か勉強を少しでもいいからしてみたいと思っています。

11041304 こんなになってくれるのはいいなあと思います。本当は私たちも、もっとゴトさんと同じようにいろんな子どもたちと接していくべきなんでしょう。松戸自主夜間中学なんかもその少しのところをやっているのでしょうけれど、それが大事なことなのでしょう。毎日仕事やさまざまなことに追われていると、ついなにかにそのまま甘えて流されてしまいます。やはりいろいろと考えたり、やっていきたいと思います。

92-10-15 23:43:21 TR通信・26
TR通信・26 殺してから死ね

11032504 このいじめだけは、もうどうしたらいいのだろうかと思ってしまう。これがもう学校だけではないというんですね。職場でも、このいじめで職場に行けない人が増えているという。
 前に松戸にある登校拒否児をあつかっているセンター(今名前は覚えていません、分かったら住所電話等UPします)の講演会が六本木でありました。講演者は吉本(吉本隆明)さんでした。講演1時間半で、質疑応答が1時間というかなりな内容でした。その内容が本になるはずなんですが、まだ届きませんね。
 その中で吉本さんは、このような問題はこれからの一番おおきなこととして存在するでしょうとおっしゃっていました。これからの問題は、地球温暖化とか、環境破壊とかいうことにあるのではなく、これら人間の精神上のことが一番の課題でしょうといわれました。このセンターでも無理に学校にいくのではなく、このようなセンターへ来て、そこで仲間の輪をつくるようなことをやっているようです。松戸自主夜間中学もそのようなものなのかなと、私は思っております。

本当は、一人でもきちんと対処しなければならないのだが、民主主義を多数決だと誤解した日本人は、少数者は切捨てるものと心得ていて、何でも数が多くなければ駄目だ。企業がシェアのみを争うのも、そういうところから来ているのかもしれない。

 そうですね。この民主主義に対する誤解はかなり感じます。民主主義は単なるルールだっていうのが分かっていない。なにか素晴らしい思想かなんかと思っている人がいるように思います。まあまた改めてこの民主主義のことはやりたいと思いますが、とにかくさまざまいいたくなるときがあります。民主主義のことあなたがたは分かっているのか、って。すくなくとも義務教育で教わったはずの民主主義のこと分かっているのかっていいたいんですね。私しゃ聞かれれば、答えますよ。すくなくとも、中学3年生で知っているべき民主主義の概念は説明できます。
 またやりましょうか。

11020910私は今はヤマギシズムの豊里実顕地という所で暮らしています。ヤマギシ会のことは一応ご存じですね。吉本氏も書いているしね。私は学生時代からの延長で、しばらく与野や北浦和の近辺に住んでいましたが、30歳の時にヤマギシ会を知り、それ以来ずっとヤマギシでやっています。暮らしの場所は全国各地に色々動きましたが、20年前から三重県津市にあるここ豊里実顕地に住んでいます。自損事故で背骨を折って車いすに乗るようになり、施設的な都合(診療所があること)などでここに移りました。
車いす生活は20年以上になりました。車いす生活をしていることで不自由なことや困ることなどは殆どありません。「五体不満足」の乙武くんが「障害は不便だが不幸ではない」とか言っていたのは卓見で、その通りです。うまいこと言ったなと思います。私もまあ乙武君に勝るとも劣らない、かなり元気な部類の障害者というところでしょうか。

歩けない以外はほとんど病いはありません。数年前まではむしろ至って健康でした。ただ数年前から一つ「逆流性食道症」という症状が出て、食道と胃の間を縊っている筋肉が締まりがなくなって(これもヘルニアと呼ぶそうです。)胃液が時々逆流します。それで多少不快感や吐き気を伴うことが時々あります。これは一生治らないのだそうです。私もさすがにそろそろガタが来始めているのかも知れません。ただ、今のところそれ以上は特別に不具合があるわけでもないので、まあ、仲良く付き合っていけばいいかなと思っています。

 もちろんヤマギシズムのことは、知っていますよ。1971年のむつめ祭では、新島淳良さんの講演会をやったものです。そのとき私は、彼に手紙を書き、1.劉さいひん(字を忘れた)の入管問題 2.魯迅の作品の話 のどちらかで講演してほしいと願い、新島先生は、1を選びました。私は当日まで魯迅を願ったものでしたが、残念でした。でも当日はいい講演内容だったのですが、馬鹿で阿呆な中核派幹部(もうこの男はずっと前に中核派を辞めています)が、執拗にくだらなく新島さんを罵倒して、私は実に腹がたったものです。私はその頃は、東大闘争の統一裁判問題では、中核派とも同一の側でしたが、この馬鹿さ加減には、嫌になりました。でも私は東大裁判闘争では、あの馬鹿どもよりも先輩活動家(年齢は下でしたが)でしたから、私には何も言えないのでした。
 でもあのとき、新島さんを埼大から後輩の車で送るときに、埼大のむつめ祭りで、やきとり屋の屋台で飲んでいる学生を「いいなあ」と新島先生は見ていました。私は、こんな当たり前の光景を…と思ったものでしたが、考えてみれば、彼の早稲田大の学園祭では酒は飲めないのでした。
 でもでも、実は、私は新島先生が、昔日共の頃も言われたことを、実に馬鹿馬鹿しいくだらぬいい草だと知っていましたたが、そのことは黙っていました。吉本(吉本隆明)さんが、実に新島淳良を明確に批判していたことはよく知っていました。そして当時東大闘争の裁判闘争が、中核派・ブンド・解放派等々とML派・赤軍派・東大全共闘の2つに割れて、でも私は先生の支持する側ではないことを言ったものです(判決はもう1カ月後に迫っていました)。私はただただ彼が魯迅のことを語ってほしかっただけです。
 雑誌『中国』の廃刊のときの号で、活字だから明確には分からないようになっているのですが、竹内好に対して、橋川文三が「竹内好が何だっていうんだ。中国は竹内好の中国だけじゃないんだ」なんて絡んでいたものでした。でもその場でも新島淳良さんは、ただただ黙って飲んでいたものでした(本の活字から、このように解釈しました。いや本当はもっといっぱいの思いがあるのですが)。
 実は私は1970年の秋あたりに、早稲田のどこかの教室で新島淳良さんの魯迅の講義を受けているんですよね。そのときに、中国人の若い女性の学生が劉さいひんさんの問題を質問したのを覚えています。私は「何でこんなときに、その問題を質問するんだ」と不満だったものでした。私は魯迅の作品のことばかり考えていたものでした。
 でもあなたは、今車椅子なんですね。私には大変だなあ、という思いしかありません。いつも松戸自主夜間中学で車椅子の生徒をみんなで抱えて階段等を運んでいたことを思い出します。ここでの思い出も、もう実にたくさんあり、よく思い出しますが、また別に述べていくことでしょう。
 でもあなたの症状は大変ですね。だからこそ、こうしてブログを自分でやってくださいよ。どれほど多くの方の励ましになるのか考えてみてください。

10072102 いくつものことを思い出しています。その思い出も書いていくべきだなあ。

2010/07/21 07:50今NHKテレビでニートの若者が増えているということを聞きました。実は、もう「若者」ではないですよね。数年前に私が接した女の子はもう31歳でした。だからもう34歳ですね。ただし、その娘はパソコンとインターネットはできて、その関係の普通の会話はできました。私が「そうだけど、こうした方がいいんじゃない」というと、普通に意見を交わして、そのあと私の意見を聞いてくれました。私は、そのあとに、その娘がニートだと聞いて驚いたものです。普通に人と会話ができないそうです。私には、普通の人だと思えたものです。インターネットとパソコンの関連のものなら、どこでも買いにいくことができるのです。
 今「ゲゲゲの女房」を見て、使えないだろう若者をみて、私は妻に「彼もこれから使えるようになるんだよ」と言ったものです。
2010/07/21 08:14「ゲゲゲの女房」は赤ちゃんが生まれるのですね。私はもうものすごく嬉しいです。
 上に書いたニートの娘ですが、思えばインターネットでブログをやればいいのになあ。ブログで何かを書くのに、「これは働いたほうが話ができるな」と思って、そのことで仕事についてもいいと思うのですね。
2010/07/21 09:37上に書いたニートの娘ですがブログを書けば、「ありゃ、これじゃ書くことがないわ」ということに気がついて、アルバイトにでも行くようになると思うのです。そんなことでやってはいけないという主張の人も多いでしょうが、私は決してそうは思わないのですね。
 いや、私は松戸自主夜間中学へ7年くらい通ったものでしたが(パソコンの授業で)、あそこでも多くの不登校の子、ニートの子がいました。不登校は中学生だけではなく、小学生でもいました。でもそれが高校生の年になり、やがて20歳をすぎて、実に30歳をすぎる方もいました。でもでも、私は不思儀だったのですが、30歳をすぎて35歳くらいになると、突然亡くなる人が多いのでした。たぶん、社会の目は彼、彼女には実に厳しくて、ストレスが多かったのでしょう。
 今思うと、たくさんの子がいました。いつも授業になんか出ないでみんなでおしゃべりばかりしていたものです。
 私はいつもパソコンの授業をやっていたわけですが、今と同じで、いつも「週刊アスキー」も「日経パソコン」ももっていたものでした。
2010/07/21 10:02「ちい散歩」が大泉学園ですね。たしか、ここに私のこの頃連絡のとれた(でもまだツイッター
でも会話していません)彼が住んでいたなあ。彼の奥さまの名前は覚えているんだ。いやまだお会いしたことはないのですが。「有島武郎『或る女』」の主人公の葉子という名前でした。
2010/07/21 10:36上に書いた松戸自主夜間中学の思い出で書いておきたいことがあります。あとでパソコンのほうで書きます。
 思えばいくつもの思い出がありますね。
2010/07/21 11:17どうしてもパソコンを再起動するしかありません。どうしても仕方ないのですね。困っていました。再起動のわずかな間に、こうしてポメラを打っています。いや起動はしてもすぐには打てないのですね。困ったものです。
 でもこの間にケータイがありました。義母の介護関係のことです。

 上に書いた松戸自主夜間中学の思い出は、実に嫌になる思い出です。また別に書いていくつもりです。

7ce1825a.jpg

 孫と会えるとホッとしています。でもポニョの振る舞いに私のほうが引き気味です。

2010/03/23 18:19長女の家です。今日はこのポメラを開いている時がなかったのですね。ここは今私だけです。期待していた孫の顔には会えませんでした。仕方ないですよね。もうすぐ帰ってきます。もうこうしてポメラを開いていると実にいいです。あ、もう二人の声かなあなんて、いつも思っています。まだかなあ。
 歩いてくるなか、いくつものことを思い出していました。松戸自主夜間中学でお会いした何人ものひとを思い出します。もう会わなくなってしまいましたね。
 あ、玄関にいて待っていようかなあ。

 長女の家まで歩くとき、幾人もの自主夜間中学でお会いした人たちを思い出していました。私よりもずっと若いのに、もう亡くなった方も何人もいます。

続きを読む

教室の悪魔 見えない「いじめ」を解決するために
教室の悪魔 見えない「いじめ」を解決するために
クチコミを見る

 SHIROのポメラ日記(6)ネットいじめは携帯が原因ではない の記事で、この本を読んでみました。

書 名 教室の悪魔
    見えない「いじめ」を解決するために
著 者 山脇由貴子
発 行 ポプラ社
定 価 880円+税
発行日 2006年12月20日第1刷発行
読了日 2009年2月1日

 読み出す前には、私には「中身が辛くて読み通せないかな?」なんて思いもありましたが、すぐにすべてを読み終わることができました。
09020105 ただ、今の子どもたちを思いだし、私の孫のことも心配になってきて、涙を浮かべていたページもいくつもありました。
 この本を読んでいる途中と、読み終わってから、近所のスーパーマーケットに買物に行ったのですが、そこで出会った小学校3年生くらいの男の子(この子は自分の自転車のことで、私に救いを求めてきた)と、お母さんと手をつないで泣いていた3歳くらいの男の子で、またこの本の内容を思い出していました。

 扉にあった文章が以下です。そのあと著者略歴と目次を提示します。目次はこうして書いておけば、また何かのときに、この本の内容を思い出すことができるだろうと考えました。だから、この本の最初の目次よりも、私の以下のほうが詳しく書いております。

「Iの母親は主婦売春しています」と画像つきでばらまかれる嘘メール「汚い」と言われ続けて毎日必死に身体を洗う子どもの自己臭恐怖「退屈だから」といじめをエスカレートさせていく集団ヒステリー…子どもの世界で、いったい何が起こっているのか?地獄の心理ゲームと化した「いじめ」の正体を示しいま、大人がなすべきことを具体的に、ズバリ提示する。

著者略歴
山脇由貴子
1969年東京生まれ。横浜市立大学心理学専攻卒。現在、東京都児童相談センター・心理司。年間100家族以上の相談や治療を受け持つ。ストリートチルドレンの急増するベトナム政府から依頼を受け、児童相談所のスタッフ養成のための講演を行うなど、国内外を問わず幅広く活躍。また、新聞や雑誌への寄稿を通し、臨床現場の生の声を発信し続ける、いまもっとも注目される若手臨床家。著書に『あの子が部屋から出てこないのはどうしてだろう?』『子育てをしない男には女のスゴサがわからない』(ともにポプラ社)、『出会いを求める少女たち』(信山社)、共著に『児童虐待と現代の家族』(信山社)がある。

目次
はじめに
 いま、大人は何をすべきなのか?
第1章「いじめ」は解決できる
   雄二君(仮名)の相談事例から
 1 病院から児童相談所へ
  それでも学校へ行く少年
  原因は何か? 虐待、それとも……
  誰にも、絶対に言えないこと
  せいいっぱいの無言
  なぜ学校を休めなかったのか?
  子どもの気持
 2 両親との面談
  約束の中で
  両親に「いじめ」を伝える
  知らないことにしてください
  学校にいつ、何を伝えるのか
  親が我が子と向きあう時
 3 告白された「いじめ」の実態
  いじめはこうして始まった
  「死ね」「うざい」「消えろ」
  嘘がバレる不安
  「おしっこ」と呼ばれた理由
  重い身体を引きずって
 4 学校に「いじめ」を伝える
  親子の絆
  学校との話しあい
  心のケア
  お父さんが学校で言い切ったこと
  学校へもどる日
  いじめが終わり、そして
第2章大人に見えない残酷な「いじめ」
 1 メールで噂話をばらまく
   「エンコーしてる」と噂を流されたSちゃん
  解説 加害者が特定できない嘘の恐怖
 2 本人ではなく、家族を中傷する
   家族の偽写真をメールで流されたIちゃん
  解説 いじめの因果関係は逆転している
 3 いじめの「ON」と「OFF」を使いわける
   「今日は、例のあの日」を繰り返されたK君
  解説 ダメージを知りぬいた心理的追い込み
 4 共犯関係を演出し金銭要求する
   「一緒に遊ぶ金だろ?」とお金を要求され続けたT君
  解説 倒錯した心理で正常な判断ができない
 5 女の子同士で徹底して恥をかかせる
   下着を貼り出されたYちゃん
  解説 発覚を防ぐ「義務」を、被害者に負わせる
 6 「汚い」「醜い」というイメージを植えつける
   毎日給食を食べられなかったR君
  解説 追い込まれた被害者は、自己臭恐怖症や醜形恐怖症に
 7 発覚しない小さな暴力を繰り返す
   コンパスで背中を刺され続けたO君
  解説 暴力を手加減され、「ありがとう」と言ってしまう被害者心理
 8 完全否定の「なんで?」を繰り返す
   「なんで生きてるの?」と言い続けられたTちゃん
  解説 家でもいじめをひた隠し、被害者は完全なる孤独に
 9 奴隷にしてしまう
   万引きから援助交際まで、命令され続けたIちゃん
  解説 いじめへの恐怖心が犯罪行為へのハードルを下げてしまう
第3章なぜクラス全員が加害者になるのか?
  <いじめる側>から<いじめられる側>へ
  全員参加のいじめで、悪を正義に変えてしまう
  裏切り者を許さない「踏み絵」
  感覚を鈍磨させ、惨酷になるという「適応」
  いじめという「疫病」
第4章「いじめ」を解決するための実践ルール
   親にできること、すべきこと、絶対してはならないこと
  1 被害者を守る
  (1)学校を休ませる
  (2)親としてのメッセージを伝える
  (3)子どもをひとりで外出させない
  (4)いじめに関して、無理に聞き出さない
  (5)家の中では、明るく、楽しく、子どもと過ごせる時間をたくさん持つ
  (6)子どもの話を、まるごと真実として扱う
  (7)いじめられる側にも原因がある、とは絶対に考えない
  (8)いじめに、立ち向かわせない。耐えさせない
  (9)子どもの許可なく、学校に相談に行かない
  2 いじめをなくす
  (1)学校との話しあいは、校長、副校長に同席してもらう
  (2)話しあいは、「相談」ではなく、真実を伝える場
  (3)いじめの解決と責任追及は別々に行う
  (4)解決を学校に委ねない
  (5)加害者に伝える
  (6)クラス全体への周知
  (7)学校全体への周知
  (8)いじめ再発防止への取り組み
  (9)転校という手段
第5章「いじめ」に気づくチェックリスト
  最近、よくものをなくすようになった。
  学校のノートや教科書を見せたがらない。
  親の前で宿題をやろうとしない。
  お金の要求が増えた。あるいは親の財布からお金を持ち出す。
  学校行事にこないで欲しいと言う。
  すぐに自分の非を認め、謝るようになった。
  学校のプリント、連絡帳などを出さなくなった。
  ぼーっとしていることが増えた。何もしていない時間が多い。
  無理に明るく振る舞っているように見える。
  学校のことを尋ねると、「別に」「普通」など、具体的に答えない。
  学校のことを詳しく聞こうとすると、怒る。
  話題に友達の名前が出てこない。
  学校に関する愚痴や不満を言わない。
  保護者会、個人面談で何を話したかを過剰に気にする。
  寝つきが悪い。悪夢を見ているようで夜中に起きる。
  倦怠感、疲労、意欲の低下。
  原因不明の頭痛、腹痛、吐き気、食欲低下、痩せ、などの身体症状。
  何に対しても投げやり。
  以前は夢中で楽しんでいたゲームなどをあまりやらなくなった。
  理由のないイライラ。
  ちょっとした音に敏感になった。
  身体を見せたがらない。一緒に入浴したがらない。
  衣服、制服、靴などを、親の知らないところで自分で洗う。
  友人からの電話に「どきっ」とした様子を見せる。
  急に今までと違う子とつきあうようになった。(不自然な友人関係)
  以前では考えられないような非行行動の出現。
  外に出たがらない。外に出た時に周囲を気にしている。
  金遣いが荒くなった。
  成績の低下。
  もの忘れがひどくなった。
  自傷行為。(リストカットなど)
  「死」をものまかすようなメモ、日記。

 この本を読みながら、私は数々の「いじめ」に関することを思い出していました。
 私が約7年間関わりました松戸自主夜間中学は、最初は中国残留孤児の方がた等がいたものでしたが、すぐにこの学校の「いじめ」で、中学高校を不登校になってしまった生徒が多くなりました。さらには、小学生の不登校児も加わってきたものでした。
 たくさんのことを思い出します。たくさんの生徒たちを思い出します。誰もが、学校に行きたいのに、いじめのために、不登校になります。ある子は転校したりします。そしてでも多くは、小学生としたら、「中学へ入れば、いじめはない学校だろう」、「あの高校に入れば、いじめはなくなるだろう」、「大学こそ、いじめのない、いいところだろう」という思いで、自主夜間中学へ来ていました。でもその状態のまま、30歳を過ぎてしまうかたも何人もいたものでした。

09020102 私は転校ばかりしていました。小学校が5つです。でも中学は一つでしたから幸せだったのかなあ?(私の兄は中学は、秋田、札幌、名古屋と3校でした。弟は鹿児島と横浜の2校です)でも、私は高校は2校でした(鹿児島と横浜)。でもいじめに遭ったという思いはありません。

 でも、私は自分の孫を考え、最初は「私のポコ汰をいじめたら、俺がそんな奴、ただじゃおかないぞ!」という思いでしたが、この本を読んでみて、私のような思いでは、この事態に対処できないのだとということを充分に判った思いがしました。そんな私の思いでは、今の事態には、どうしようもないのですね。

 だからこそ、私たちも懸命に考えて、対処していかないとなりません。そのことを随分考えました。たくさんの子どもたちのことを考えました。
 そして簡単に「携帯電話禁止!」などと言ってしまう大人たちの存在を思いました。そんなことで、解決するわけがないのです。

 ぜひ多くの方が、この本を読まれることを希望します。

841a8147.jpg

 SHIROのポメラ日記 の [子どもと携帯電話]に、1月24日、このUPがありました。

 私は基本的に「安易に『携帯禁止』をしてはいけない」と考えています。本業の情報センターのセミナーやイベントで子ども達に接している経験や、個人的に勉強している心理学・カウンセリング関係の知識からそう考えるのですが、そうした観点から物を言う人がなかなかいないので、この機会に書いてみたいと思います。

 まったく私も同じに考えています。ただ、それでも私はちゃんと言い切ることができません。いえ、妙に言い切ってしまうから、いつも怒られているのです。
 いや、私は「授業中にケータイメールをしていていいのか?」といわれて、「別に構わないのじゃない。俺だって、昔は、ずっと授業中、本を読んでいた」と言って、「だから、パパはどうしようもない人なんだ」と言われてしまうのですね。いや、本を読むことよりも、魅力ある授業内容を私は期待していたのです。

 我々大人もかつては子どもだったはずです。そして、周りの大人達に対して「どうしてわかってくれないんだろう?」と思ったこともあったでしょう。
 大人になると、どうしてその思いを忘れてしまうのでしょうか。
 日々の生活に忙殺されて、目に見えない人の心を思いやる余裕が無くなってしまうのでしょうか。苦しい子ども時代や青春時代をくぐり抜けて大人になって、喉元過ぎれば熱さを忘れてしまうのでしょうか。私もその理由をいろいろ考えているのですが、結論は出ていません。
 それはともかくとして、子ども達の表の行動だけでなく、内面の心の問題にいかに向き合っていくか。理解していくか。難しい事ですが、ネット時代の今こそ必要なことではないかと思っています。

 私は今、私自身がどうであったことを思いだし(でも読書とケータイは違うというのかもしれませんが)、考えていきたいと思っています。

続きを読む

2237f5a2.jpg

 SHIROのポメラ日記 に [子どもと携帯電話]というカテゴリーがあり、このUPがありました。
 このshiroさんは、「地元のガールスカウトの子ども達にパソコンの使い方などを教えるサポートをしている」ということです。

 毎回、パソコンや携帯でのネット利用の注意点などを話しているのですが、今回は「日頃の不満を掲示板に書いてみよう」というテーマでやってみました。
 こちらで「日頃の不満ぶちまけ掲示板」というページを用意して、子ども達やリーダーの大人達にパソコンで開いてもらい、「日頃の学校や家での生活で不満に思っている事などを書いてください」といろいろ書き込んでもらいました。
 15分ほど書いてもらったのですが、たくさんの不満が出てきました。「担任変えて欲しい」「特定の子ばかりえこひいきする」「政府の人たちは国民のことを考えて欲しい」などなど…。みんないろいろな不満やストレスを感じながら生活していることがよくわかりました。

 私は約7年間、「松戸自主夜間中学」というところで、毎月1度パソコンの授業をしていました。まだインターネットの時代ではなく、パソコン通信の時代でした。
 思えば、今のスカイプではなく、netmeetingで、米国やロシア、南米、中国とも無料で会話できること、映像でも見られることをやったものでした。
 みなほぼ不登校の生徒さんたちが多く(他にも中国残留孤児の方とはいろいろいました)、でも残念なことに、その頃は、どうしてもパソコンでは、「勉強」という思いを抱いてしまうのでしょうか。あまり活発にはやってくれなかったものでした。
 だから、今の携帯電話による掲示板の書込み(プロフというのかな。私もあるところの会員になりましたが、あんまり私には面白くないので、もうやっていません)なんていうことは、私の過去のパソコン通信の時代にはなかったものです。
 でもこうしてshiroさんが子どもたちとお話しているのはいいことだと思います。

「そうだね。別な事で発散するっていうのも一つの手かもしれない。でも本当は、その問題そのものにちゃんと向き合って考えないと解決しない。例えば『担任変えて欲しい』っていう書き込みがあったけれども、それは担任の先生と何か誤解があったのかもしれないし、うまく伝わらないことがあったのかもしれない。お互いに確かめたり、直さなきゃいけない所は直したり、その問題そのものをどうにかしないと、結局は解決しないよね」。そんな話をしました。

 まったくこの通りだと思います。

 最近、学校裏サイトの掲示板などで人をいじめたり傷つけたりする書き込みをすることが、大きな問題になっています。「学校裏サイト禁止」「携帯禁止」といった「禁止」や「取り締まる」ことばかりが話題になるのですが、果たしてそれでいいのでしょうか。
 ネットや携帯電話の問題は、子ども達の心の問題が表に現れた「結果」に過ぎません。目に見える表の現象ばかりを見て、それを取り締まろうとするのではなく、元にある原因―子ども達の心の問題にちゃんと向き合わないと、本当には解決しないのです。
 「『大人ってどうして表の目に見えることしか見ようとしないんだろう』って思わない?」と聞くと、スカウトの子ども達はうんうんと頷いていました。
 子ども達の本音が伺えるこうした機会に、我々大人は大いに反省しないといけません。
 そして、これから5年後、あるいは10年後、今の子ども達が成長した時には、目に見える表のことばかりでなく、裏にある心の問題にちゃんと向き合える大人になって欲しい、そう願っています。

 思えば、私なんかは大昔から、どんなになっても自分勝手でした。上に書いたパソコン通信の場でも、私のやってきたこと、やっていることから、少しも変わらないことばかりをやっていたと思います。
 私はパソコン通信の場でもインターネットでも、自分の好きな漢詩の話、ヤクザ映画の話、自分の三派全学連、全共闘の話ばっかりしていました。
 今後は、もっとみなに合わせたことを、一緒にたくさんやっていきたい、いくべきだと思っています。

続きを読む

↑このページのトップヘ